総索引
新・絶対学力〜視考力で子供は伸びる〜
   
〜知性も感性も無理なく育てる豊かな教育を約束します〜

【まえがき】
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第一章・「分かる」とはどういうことか
   §算数文章問題を解ける子・解けない子

第二章・「読み・書き・計算」は得意なのに文章問題が苦手な理由
   §素振りと練習試合

第三章・教育と脳科学の不思議な関係
   §学力という言葉を使わない理由
   §教育と医療の混同は子供たちに致命傷を与える

第四章・言葉のトリガー理論
   §言葉が分かるとはどういうことか
   §類推する脳
   §言葉とイメージ
   §体験的学習が重要な理由
   §言葉のトリガー理論

第五章・学力の素
   §勘違いしてはいけない

第六章・体は頭の真似をする
   §見せる教育・見せない教育
   §イメージトレーニングと無意識の行動
   §もう一つのイメージトレーニング

   ◆教育コラム・残虐で幼稚な犯罪の元凶と予防策◆

第七章・「分かる」から「考える」へ
   §考える力のない子はいない

   ◆コーヒーブレイク・紅葉だねぇ◆

第八章・視考力を育てる
   §誰もが持っている視考力という宝物
   §理解を格段に容易にする「学習のプラットホーム理論」
   §視考力の真価・天才の常識をみんなの常識にする

   ◆コーヒーブレイク・見えている?◆

第九章・豊かな教育
   §二種類の理解
   §教育の絶対優先順位 

第十章・正しい学習手順
   §視算「三角計算」
   §一番大事な最初の一歩
   §筆算の重要性・「10の補数と九九」以外の暗算練習がすべて不要な理由
   §ビジュアル筆算
   §視考力養成の第一歩・フィンガーイメージ 

   ◆コーヒーブレイク・視考力の芽生え◆

第十一章・小学校の役割  
   §算数の学習方法・注意すべき「高速単純計算」

   ◆コーヒーブレイク・動かない自転車◆

   §競争は必ずさせましょう

第十二章・効果的に工夫された教材
   §暗算厳禁の理由
   §算数で教育するということ

   ◆コーヒーブレイク・夢追い族の守り神◆

第十三章・シュパルタ教育
   §2歳から12歳までの「10年教育:10years' education from 2 to 12」
   §小学校はシュタイナー、だけど中学スパルタ教育
   §無理なく300%の頭を育てる「Good Education with Smart Learning」
   ◆コーヒーブレイク・アリさんからウサギさんへ◆

第十四章・教育問題の大きな勘違い
   §総合的学習・ゆとり教育・問題解決学習・発展的学習・体験学習について

第十五章・日本人の英語教育がうまくいかなかった理由と根本的改善策
   §今までの英語学習の方法では効果がない理由
   §語順訳の真価・日本人の得意技
   §算数と英語の接点
   §こうすれば、日本人は誰でも英語が得意になる 
   §be動詞の本当の意味 
   §日本語の秘密と英語の秘密

第十六章・英語を使わない低学年から英語学習
   §低学年からの語学学習は細心の注意を要する
   §英文黙読・Silent Reading

第十七章・英語の発音や会話とリスニングのマスター方法
   §英語の力を飛躍的に伸ばす簡単な方法

第十八章・高校入試の重要な意味(中学生のための教育講演会より)
   §誤魔化してはいけない

第十九章・貴重な資料としての価値を持つ書評
   §低学年戦略の大失敗・大いなる警鐘

第二十章・家庭学習おたすけプロジェクト
   §親ではなく先生として教える・寺子屋プロジェクト
   §全国在宅指導システム・GIEプロジェクト
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【あとがき】
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資料1・良質の算数文章問題(40題)・問題+図解説明
資料2・英語の語順訳サンプル
資料3・作文指導例(小学生・中学生)
資料4・三角視算表
資料5・漢字読本(小学二・三年生用サンプル)
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【まえがき】

「視考力」の養成を中心に据えた豊かな教育を提案します

 子供のころ、算数の文章問題が苦手だった人は少なくないと思います。そして、それが原因で数学嫌いになった人も多いでしょう。ところが、あれほど手を焼いた算数の文章問題も、大人になってからやってみると、意外にスラスラと解けてしまいます。なぜでしょうか?いつの間にか数学の力が身についたのでしょうか。そんなわけはありません。私達はさまざまな経験を積み、いろんなものを見てきたために、子供のころにはできなかった文字の映像化(頭の中で文字を視覚イメージとして再現すること)ができるようになったのです。長い文章もイメージ化すると単純に表せますから全体像が見えてきます。それで何を答えとして求められているのかが分かってしまうのです。見えると分かるんです。子供のころは文章問題の字面を追っていただけですが、大人になると文章問題の全体像が見えるようになるのは視覚イメージを使って考えることができるようになるからなのです。このように、視覚イメージを使って考える力を、私は「視考力」と呼んでいます。
 それでは、視考力を身に付けるには大人になるまで待たなくてはならないのでしょうか。そんなことはありません。訓練さえすれば、子供でも簡単に「視考力」を身につけることができます。そうすれば、どんなに難しい文章問題に出会っても大丈夫。丸暗記の詰め込み学習や条件反射的な高速暗算練習などでは育たない一生使える本当の学力が身に付くのです。もちろん受験勉強にも視考力はその威力を十分に発揮します。
 私は長年にわたって最難関といわれる中学や高校への受験勉強を指導してきました。ですから、入試に対応できる「学力」の養成方法は熟知しています。また、小中学校でできることやできないことも承知しています。さらに、子供達を壊しかねない工夫のない力任せの受験勉強を尤もらしく指導している受験塾の弊害も体験してきました。そして、私がたどり着いた結論は、「受験のシステムが変わらなくても、学校改革が進まなくても、それでも工夫次第で知性も感性も無理なく育てること(豊かな教育)はできる」ということでした。教育は工夫次第で劇的に変わることができるからです。
 受験用の学力と本当の学力が全く違うと言うことはあり得ません。ところが、実際には受験でしか通じない力だけを身に付けている子供が大勢います。これは学習する方法や順番とバランスが異常だからです。小中学生を一貫して教えていると、このことが良く分かります。多くは受験用の技を学力と取り違えていることに原因があるようです。
 子供達には豊かな教育を受ける権利があります。人間にとって必要不可欠な「知性」と、しなやかで瑞々しい「感性」を獲得する権利です。そして、ほんの少しの工夫で受験をも笑って突破できる実力も育てることができるのです。難しいことではありません。今まで気付かなかっただけなのです。キーワードは「視考力」です。この本では、この視考力について詳しく書きました。視考力とは読んで字のごとく、「視て」「考える」力のことです。前著「絶対学力」では「目で考える」という項目で扱っています。そして、この視考力は「絵図を使って理解する」ことで育っていきますので、算数の文章問題を「絵図で解く」ことが最も効果的な練習になります。
 子供達は「お絵かき」が大好きです。ところが、勉強となるとなかなか自分から絵図を描こうとはしません。算数の文章問題でも絵図さえ描けばひと目で分かるのに、何も描かずに「分からない」「難しい」「習っていない」と言いながら、脈絡のない数字を足したり引いたり掛けたり割ったりし始めます。そして「コレ割り算?」などと言い出します。これは異常なことです。持っている力を封じ込められているのです。つまり、彼らは絵図を使わないのではなく、絵図の使い方を教えてもらっていないのです。これではちょっと複雑な問題に出会うと、直ぐにお手上げ状態になってしまいます。絵図を使って整理し、理解するという、人間がもっとも得意とする情報処理能力の使い方を教わっていないのですから、「分からない」のは当たり前なのです。
 世の中には「読み書き計算を徹底すれば、考える力は自然に育つ」と思い込んでいる人が少なくありません。本当にそうでしょうか。私には、読み書き計算で考える力が育ってほしいという「希望・願望」としか思えません。なぜなら、何万人という子供達と接するうちに、読み書き計算が優秀であるにもかかわらず、考える力が育っていない子が圧倒的に多いという事実に気がついたからです。いつまでもないものねだりをしていても始まりません。考える力を育てるには、考える練習が必要なのです。もう、「考える力は自然に育つ」という大きな勘違いから目覚める時ではないでしょうか。保護者や教師がそれに気がつかなければ、子供達がかわいそうです。
 この本では、「目で考える力=視考力」を中心に扱っています。この力は誰もが生まれながらにして持っているもので、「多面的に物事を見る力」「工夫する力」「考える力」の源になります。またこの力は、足し算・引き算・九九・文章問題から受験まで効果的に使われますし、スポーツや芸術活動にも有効です。そして、社会人になってもビジネス上の企画立案や問題解決、人生設計などにも威力を発揮します。このように、一生使える「目で考える力=視考力」を小学生の頃から身につけるようにすれば、あらゆる学習が格段にやさしくなり、本当の意味での考える力が身に付くのです。
 私が指導している算数文章問題教室(年長〜小六)には、いろんな個性の子供がやってきます。学習のレベルもさまざまです。しかし、どの子も最初の数ヵ月間は、判で押したように「分かんない」と言い続けます。ところが、絵を描きながら解いていくやり方をゆっくり教えると、学習のレベルに関係なく、どの子も解けるようになります。これが私の提唱する「目で考える力=視考力」を使った学習です。「読み書き計算」も必要ですが、それをいくら徹底したところで、考える力は身につきません。目で考える「視考力」が考える力を育てるのです。もちろん、「視考力」は日々の学習にも有効ですし、受験にも有効です。そろそろ表面的な力任せの「貧弱な教育」ではなく、無理なく無駄なく効果的な視考力の養成を中心に据えた、知性と感性を同時に育てる「豊かな教育」を体験させてあげようではありませんか。
 合い言葉は Good E Smart L(Good Education with Smart Learning) です。
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【あとがき】
 小学校の先生は、誰もが哲学者でなければなりません。なぜならば、子供たちは哲学を学びに学校へやってくるからです。哲学というのは生き方の学問です。そして「生きる」とは「感動する」ことです。このことを教えるべき人間が知らずに「生きる力」を育てられるはずがありません。「感動」を味わわせるにも視考力は威力を発揮します。なぜなら、視考力は容易に発見を促すことができるからです。そして、発見の中には感動があるからです。
 子供は教育次第で劇的に変わります。特に小一〜小三は「9歳の壁」を乗り越えるためのもっとも重要で貴重な準備期間です。今まで教育界では、視考力(目で考える力)を念頭に置いて学習を進めることはありませんでした。しかし、人は考えるときに必ずイメージを使っています。目で考えることの大切さ・楽しさ・ラクさを子供たちに意識させてください。これさえ身につけば、子供は自力で成長することができます。視考力は、中学を出て働く子供にも、大学まで進む子供にも、等しく必要な力なのです。
 今までは「計算力の強化」と「考える力の強化」は同時にはできないと考えられていました。ところが、視考力という考え方を導入すれば、この二つは同じ方法で強化できるのです。まずは、ご自分で検証してみてください。
 アインシュタインはこう言いました。「一番よく分かるのは自分自身で体験することだ」と。私もそう思います。なぜならば、人の基本的な反応は誰もが同じだからです。そして、もっとも精密に検証できるのは自分自身だからです。脳裏によぎったことや感情までも知ることができるからです。
 よく見れば誰にでも分かります。特別な訓練は必要ありません。まことしやかな情報に惑わされることなく、自分が感じたこと、反応したことを信じればいいのです。まずは、自分で試してみることです。それからでも遅くはないはずです。費用はゼロ、時間は五分。教育は子供たちの一生に関わります。五分を惜しむ人はいないでしょう。五分で分かる新しい手法を検証しないのは、明らかに何らかの意図があるからです。それは教育とは関係ない意図です。
 教育は、どこかの会社のためにあるのでもなければ、どこかの先生のためにあるのでもありません。教育は、子供たちのためにのみあるのです。どうか子供たちのために、自信を持ってください。

 教育は自信がなくてはできない
 自信は自分の反応を信じる覚悟がないと
 生まれてこない 

 私はできあいの理論を信じません。私は目の前の子供たちの反応だけを信じることにしているからです。しかしながら、今回だけは小山田さんという全盲の方にお話を伺いました。イメージ思考についての最終確認をしたかったからです。視覚のない方にも私の考えが通じるのかどうかを確かめたかったのです。イメージ(特に視覚イメージ)で理解したり考えたりしていることが全盲の方にもあてはまるのだろうかと思ったからです。
 小山田さんは、「言葉はきっかけにすぎないですね」「イメージで考えているというのは、まったくその通りだと思います」と言われました。この言葉を聞いて、私はこの本を書き上げることができました。脳科学などによる証明は何百年とかかるでしょうが、子供たちへの正しい教育は今すぐ必要なのです。
 今までは無批判的に、学力の基礎は「読み・書き・計算」と言われてきました。また、誰もがそう思っていました。そして、いまだに「読み・書き・計算」ができていれば学力は育っていると思われています。ところが、何十年も「読み・書き・計算」をやり続けてきた結果、今日の学力低下問題にたどり着いたのです。「読み・書き・計算が徹底していなかった」という問題ではないのです。学力の基礎が、「読み・書き・計算」にないことに、そろそろ気づいてもいいのではないでしょうか。素振りを徹底しても実力はつかないのです。
 私は、いつの時代にも子供に必要なものは、「遊び(Asobi)・友達(Tomodachi)・視考力(Shikouryoku)」だと思います。私はこれを「すべての子供に必要なATS」と呼んでいます。
 日本には昔から教育改革という言葉はありましたが、教育改革そのものは存在したことがありません。それは、教育の定義がなかったことに似ています。「教育とは何か」「理解するとはどういうことか」を明確にできなかったからです。前著『絶対学力』には「教育とは人生を楽しむことができる力を育てること」と書きました。そして、この本では「理解するということはイメージしたものを頭(体)で体験して納得すること」と書きました。この二つのことを忘れなければ、教育に失敗はあり得ません
 最後に、毎年卒業生に贈る言葉をみなさんにも贈ります。子供たちに伝えたい一言です。

 Your will makes your way.(君の道は君の意志が作る)


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