【総索引】教育の窓・ある退職校長の想い(ココをクリックするとJUMPします) 2006年02月04日:塾と学校と わたしは長い間、塾と学校の性格を次のように考えていた。 塾は、基本的には、目的意識をもち、そこへ通いたいという意思をもった子どもが集まる。それに対し学校は、やはり基本的にということだが、その地域に住む子どもが、目的意識とは関係ないところで集まる。 そこから言えることは何か。塾は訓練でよい。目的意識をもっているのだから耐えるだろうし、また、耐えられなければやめればいい。それに対し、学校は、基 本的に、『通うのが嫌。』という気持ちにさせることはできない立場にある。したがって、興味・関心・意欲・態度をものすごく大切にしなければならない立場 にある。 そういう意味では、学校でも、塾的な性格を持つ教育活動はある。サッカー、バスケ、合唱などの特別クラブ的な活動である。これはやめることもやめさせることも、基本的には可能だろう。だから、訓練的な性格をもたせても、ほとんど違和感はない。 そんなことを長い間思っていたし、若い先生方にも言っていた。 ああ。今、K先生をはじめ、心ある塾の先生に、心からお詫びしたい。金輪際、後者の言葉は口にしないことを誓う。申し訳ありませんでした。 今回の『陰山学級物語掲示板』におけるK先生の真摯な取組は、他の多くの読者とともに、心打たれた。具体的な問題をあげられて、説得力あるコメントと思った。 そして、何よりも、自分の長い間の固定観念、思い込みと言ってもいいが、それが見事に打ち砕かれたことを知った。まさに、わたしのいう塾と学校の立場が逆転してしまっているではないか。 塾も学校も経営はしているが、基本的に異なるのは、塾は子どもに来てもらわなければ成り立たない性格を持つ。学校は、子どもに来てもらう心配をする必要は 基本的にはない。そういう意味で、保護者の理解を得る必要があるのは学校以上だ。K先生のブログでも、その悩み、苦しみは垣間見える。 勇気ある教育、経営に、言葉では言いつくせない、感銘を受ける。 さて、現代における教育の目的は何か。 これは、今の世相を見て、明確になったと思える。『思いやり、豊かな人間関係の構築、人権意識をしっかりもつこと、じっくり物事に取り組み豊かな思考力を 養うこと、豊かな感性』。一言でいえば、『豊かな人間性』の構築と言えよう。そして、さらに論をすすめれば、『民主主義社会を守り育てる人材の育成』とも 言えるのではないか。 もっと言わせてもらおう。子どもを追い込み、強制させ、それで知識・技能を身に付けさせようとする教育は、学習方法において、戦前のそれとなんら変わるところはない。 今、悲観的な材料にこと欠かない。今、民主主義社会を守る人材の育成は急務なのである。 さて、そのためには、どんな教育を推し進めなければならないか。これもかなり明確になってきたと思える。 『分かる』より『できる』とおっしゃる方。その方は、後で修正されたようだ。でも、そういう考え方は公教育においても多いと思うので、あえてふれたいのだが、一言で言って、こわい。思考はなくていいと言っているようなもの。今のいろいろな事件を連想してしまう。 あとで、『ああ』と、分かるというが、それは偶発的に起こるもので、意図的・計画的に授業をすすめる公教育の立場としては、いかにも弱い。そんなこと、偶然に期待しても、そうならないことだって多いことは、今の世相が証明しているように思える。 家庭に協力を求める部分も多いようだが、これも、二極化が進んだ現在、求めても応えない家庭の子どもはどうなるのだろう。基本的な生活習慣も身につかず、 学ぶ習慣もない子は、おいてきぼりを食うのだろうか。わたしは、テレビで陰山先生の話を聞いたとき、そういう危惧をもった。こういう子どもの場合こそ、公 教育の力で子どもを変容させ、それによって保護者が変わることを期待するのが筋だろう。 K先生の『じっくり、ゆっくり、丁寧に』が、公教育においても重要だ。これは、試行錯誤を認めることであり、思考を保障する。さらに言えば、Hidekiさんのおっしゃる『楽しい学習』をも味わわせることができる。 『両者のいいところを』というお考えの方が多いようだ。わたしも、担任時代、ドリルをとり入れなかったわけではないから、こういうふうにおっしゃられると、わたしのしていたことと大差ないように見えるかもしれない。 最後に、『人間が人間らしく生きる』ことが大切なのである。子ども時代は訓練で、大きくなったら人間性をなどという人もいるが、基本的に、思考停止して育った脳は、大きくなってからと言っても、もはや無理なのである。繰り返すが、今その種の事件があまりにも多い。 2006年02月03日:ありがとうございました みなさん、ほんとうにありがとうございます。 『陰山先生の掲示板』にのせさせていただいたわたしのコメントが消されたということで、たくさんの方から、当ブログにコメントをいただきました。 また、それだけでなく、今日先生がコピーしてくださっていたこと、もう、言いようもないくらいうれしいです。感謝しています。 とにかく、多くの方の声をお聞きし、ほんとうに励まされました。ブログを始めてよかったと心から思いました。 でも、今、K先生のブログで、わたしのコメントを読ませていただくと、かなりの拙文ですね。かぜっぴきのなかで書いたせいかな。(いや、まったくの言い訳です。すみません。) とりあえず、お礼とお詫びのみにて、今日は失礼します。 2006年02月02日:風邪か ああついに風邪をひいてしまった。こういう形で学校を休むのは、今年度、初めてだ。ここ数年でも珍しい。気が緩んでしまったかな。再度、がんばろう。 それにしても、現職のころに比べると、同じ休むにしても気持ちが軽い。これはありがたいことだ。 それも、これも育ってきた初任者のおかげだ。 そんなこともあった。 わたし、言った。
さて、今日、午後はなんだか、少し楽になったのでパソコンに向かった。 お お。すごいのがあった。『M学習のすすめ』のK先生が、あの、百マス計算の陰山先生の掲示板に書き込みをされていた。多くの保護者、学校の先生をまじえ て、活発な論戦が繰り広げられていた。わたしもコメントをさせてもらったが、近いうち、このブログでもとり上げたくなった。 |