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神経因性疼痛のメカニズム解明に取り組む。
薬学研究院・薬学解析学分野:教授・井上和秀/助手・津田誠

痛みについて:痛みは私たちの体の異常を知らせる大切な信号であるから無闇に取り除くことは良くないが、原因の分かっている痛みが激しすぎる場合には、個人のQOL(生活の質)を低下させるだけでなく、社会的にも大きな損失をもたらすので、取り除く必要がある。しかし、神経因性疼痛をはじめとする難治性疼痛は発症の仕組みがよくわかっておらず、非ステロイド系抗炎症薬やモルヒネが効かない場合が多くて、患者や周囲の人たちの心身への負担は重い。神経因性疼痛は痛みを伝える神経が、外科手術の不手際、がんの浸潤、脊髄損傷、帯状疱疹、糖尿病性神経炎などによって直接傷害を受けたときに引き起こされる。多くの患者は弱い触刺激でも激痛を訴える異痛症(アロディニア)に悩まされるという。井上教授たちの研究グループはこの神経因性疼痛のメカニズム解明に取り組んでいる。

2.ミクログリアと痛み
 中枢神経系の組織はニューロンとグリア細胞(神経膠細胞)から成る。グリア細胞にはアストロサイト、オリゴデンドロサイト、ミクログリアの三種類がある。井上グループが神経因性疼痛病態モデル(痛みを伝える末梢神経の一部にダメージを与えたラット)を使い、神経因性疼痛が引き起こされるメカニズムとATP受容体の関係を調べていくうちに、免疫を担当するミクログリアが神経因性疼痛と関係していた事が明らかになった。ATP受容体とは、細胞外のアデノシン3リン酸やその仲間を認識する受容体の総称で、NaイオンやCaイオンなどを通す穴(イオンチャネル)を構成するP2XとGタンパク質とリンクして機能するP2Yに大きく分けられる
(図1)

3.神経因性疼痛とATP受容体の関係
 神経因性疼痛病態モデルは手術後七日には非常に強いアロディニアを示した。このアロディニアは、P2X4受容体サブタイプにも効く拮抗薬(受容体に作用してその機能を抑える物質)TNP‐ATPでほぼ完全に抑制されたが、P2X4に効かない拮抗薬PPADSではまったく抑制されなかった。このことからP2X4がアロディニアに関係していると推察された。そして驚くべき事には、P2X4が病態モデルの脊髄ミクログリアにのみ過剰発現することが分かった(Nature,424, 778‐783, 2003)。さらに、P2X4受容体を選択的に抑制するために、P2X4のmRNAに対するアンチセンスオリゴ(mRNAの働きを抑えてしまう合成DNA)を作って投与したところ、P2X4タンパク発現とアロディニアの発症が抑制された。これらの結果は世界的な反響を呼び(Nature,424 : 729‐730, 2003)、P2X4が新しい鎮痛薬のターゲットとして紹介された(Nature Reviews /Drug Discovery2, 772-773, 2003 JAMA 290,2391-2392, 2003)。さらに、井上グループは最近サイエンスでもこの分野のリーダー研究グループとして紹介された(Science 308,778-781,2005)。
 「隣接するアストロサイトやニューロンから放出されているATPがミクログリアのP2X4受容体を活性化すると考えられる。P2X4受容体が活性化すると細胞内で様々な生理反応を引き起こし、液性因子を放出し、やがて神経因性疼痛を引き起こしている可能性がある(図2)」と井上教授たちは考えている(Trends in Neurosciences 28, 101-107, 2005)。


4.将来への夢
国際学会にて(左より、井上和秀教授、共同研究者のトロント大学マイク・ソルター教授、津田誠助手)

 現在、彼らはP2X4受容体を抑制する鎮痛薬の開発を目指し、さらに研究を進めている。また、最近は情動や免疫と痛みの関係や、かゆみと痛みのメカニズムの違いにも興味を持っている。「日本人は痛みを我慢する美学がある。しかし、ターミナルケアで最も問題となっているのは痛みであり、人格をなくすような激痛は本人にとってもご家族にとっても悲惨な出来事である。モルヒネも効かない痛みで多くの方が苦しんでいる現実を早く改善したい」と井上教授は言う。
 日本には「痛みやかゆみ」を専門的に研究する場が少ない。九州大学の中に、痛みとかゆみのセンターができ、多くの患者の苦しみを救えるようになればという夢も持っている。
 本教室の紹介記事は二〇〇五年十月にNatureジャパンのホームページ(
http://www.natureasia.com/japan/jobs/tokusyu/0501027-2.php)に掲載された。その後研究が発展し、アロディア発症メカニズムの一端が明らかとなり、二〇〇五年十二月十五日号のNature(438,1017・1021,2005)に発表された。
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http://www.natureasia.com/japan/jobs/tokusyu/0501027-2.phpより
難治性疼痛のメカニズム解明に取り組む
九州大学大学院薬学研究院医療薬科学部門薬効解析学分野 井上和秀教授
からだの異変を知らせる危険信号である痛みは人間の生存に欠かせない知覚だが、その程度が激しいと個人のQOL(生活の質)を低下させるだけでなく、社会的にも大きな損失をもたらす。
中でも神経因性疼痛をはじめとする難治性疼痛は発症の仕組みがわかっておらず、非ステロイド系抗炎症薬やモルヒネが効かない場合は治療法がないため、患者や周囲の人たちの心身への負担は重い。神経因性疼痛は末梢神経あるいは中枢神経の損傷によるものが多く、例えば、手術の後遺症、がん、脊髄損傷、帯状疱疹、糖尿病性神経炎、三叉神経痛などによって引き起こされる。自発痛や痛覚過敏があり、さらに通常では痛みを感じない、例えば空調機器からの空気が当たる、肌着が触れるといった弱い刺激でも激痛を訴える異痛症(アロディニア)に悩まされることもある。
九州大学大学院薬学研究院医療薬科学部門薬効解析学分野の井上和秀教授はこの神経因性疼痛のメカニズム解明に取り組んでいる。井上教授は長くATP(アデノシン三リン酸)の生理機能を研究してきた。ATPは細胞内でミトコンドリアから作られ、細胞のエネルギー代謝を担う一方、細胞外で細胞間情報伝達物質として働く。また、細胞表面に存在するATP受容体は、イオンチャンネル型のP2X受容体とGタンパク質共役型のP2Y受容体に大別されることも明らかになっている。
井上教授が痛みの研究を始める契機となったのは、1995年に痛みを伝えるニューロン(神経細胞)に特異的に発現するP2X3受容体が発見されたことだった。「かねてから直接社会に役立つと認識できる研究をしたいという思いがあり、痛みはテーマとしてぴったりだった。また、臨床に近いテーマなので、他分野の研究者との共同研究もしやすく、研究のフィールドが広がると考えた」と話す。
痛みは末梢と脊髄を結ぶ一次求心性感覚神経が興奮し、それが脊髄後角のニューロンへ伝わり、脳幹や大脳皮質のニューロンへと伝達して、痛覚として認知される。
このように痛みを伝える主力はニューロンであり、情報伝達物質としてのATPも従来ニューロンとの関係が研究されてきた。しかし、井上教授らの研究から、グリア細胞も痛みを引き起こすのに関与していることが明らかになった。中枢神経系の組織はニューロンとグリア細胞(神経膠細胞)から成る。グリア細胞にはアストロサイト、オリゴデンドロサイト、ミクログリアの3種類があるが、このうち免疫を担当するミクログリアが神経因性疼痛と関係していたのだ。
井上教授らは、アロディニアを検出できる、脊髄神経を損傷した動物モデル(第5腰部脊髄神経を結紮し、結紮部の末梢側を切断したラット)を使い、神経因性疼痛におけるP2X受容体の関与を検討することにした。
最初にP2X1、P2X2、P2X3、P2X4の各ATP受容体の拮抗薬であるTNP-ATPを脊髄くも膜下腔内に投与したところ、アロディニアはほぼ完全に抑制された。また、P2X1、P2X2、P2X3、P2X5、P2X7の各受容体の拮抗薬PPADSではまったく抑制されなかった。このことからP2X4がアロディニアに関係していると推察された。
正常の脊髄後角ではP2X4受容体はほとんど発現しない。しかし、この脊髄損傷の動物モデルではアロディニアの発現と相関して経時的に5〜6倍にまで増加する。そして、その発現部位はミクログリアだったのだ。
さらに、P2X4受容体を選択的に抑制する薬はまだ存在しないため、アンチセンスオリゴを作って投与したところ、アロディニアの発現が有意に抑制された。それによって、この現象はミクログリアの数の増加によるものではなく、P2X4受容体の増加とその刺激によることが裏付けられた。
これは、グリア細胞にも痛みのシグナルが現れ、そのシグナルを抑制することで痛みをコントロールすることが可能という画期的な発見となった。
「ミクログリアのP2X4受容体を活性化するATPはおそらくミクログリアに隣接するアストロサイトやニューロンから放出されており、P2X4受容体を活性化させていると考えている。P2X4受容体が活性化すると細胞内にカルシウムが流入することがわかっているので、これがその後の様々な生理反応を引き起こし、痛みの誘因となっている可能性がある」と井上教授。
現在、P2X4受容体を抑制する鎮痛薬の開発を目指し、さらに研究を進めている。「日本人は痛みを我慢する美学がある。しかし、ターミナルケアで最も問題となっているのは痛みであり、人格をなくすような激痛は悲劇。神経因性疼痛の患者さんの声を聞く機会も増えており、何とか早く薬につなげたい」。
また、最近は情動や免疫と痛みの関係や、かゆみと痛みのメカニズムの違いにも興味を持っている。日本には、痛みやかゆみを専門的に研究する大学がない。「九州大学が痛みとかゆみで苦しんでいる患者さんにとって救いの場となる研究センターになればうれしい」と井上教授は将来の夢を語っている。