【総索引】「考えるとはどういうことかを教える必要性について」
●人間(霊長類)は視覚動物と言われるくらいに高度で高速の視覚(平面視覚イメージ)処理能力を持っています。これは生命維持のために空間認知と動態予測を発達させた結果です。そして、この視覚メージ操作の産物として思考力が生まれました。つまり、私達は言葉ではなく視覚イメージで考えているということです。言葉は便利ではありますが本質ではありません。教育でこの言葉と視覚イメージの関係を意識していないととんでもない勘違い教育をしてしまいます。「脳内言語は視覚イメージである」のです。子供の頃の遊びはこの視覚イメージの操作練習になっています。ここで、思考に最適な視覚イメージのサイズを決めたり思考モデルを小脳に保存したりして、乳脳から永久脳への変身(変脳)の準備をするのです。幼児期の天才的な記憶力は暗記をするためのものではなく将来の永久脳の原形となる思考モデルを一時的に多量に作って小脳にどんどんコピーし保存して思考の基礎整備をするための一時的な過剰発達です。ですから、思考モデルを作らずに記憶力が良いからどんどん暗記ばかりさせて思考モデルを作らないままに思考の臨界期を迎えると、もちろん考える力は育ちません。さらに、9-12歳の時期(性成熟期以前)に思考モデルの使用がない場合は不要な回路として消されます。これが、思考の臨界期です。ノーベル賞受賞者が口を揃えて子供の頃の遊び体験が重要というのは「健康的」だからではなくて「思考の基礎整備」をしているからです。体験情報ほど豊かな情報はなくその情報を素にして思考モデルを作るからです。思考モデルは視覚イメージの操作です。そして、言葉が分かるようになったら言葉とリンクさせて視覚イメージの操作を練習するのが基本です。「言葉だけ」「イメージだけ」では役に立ちません。言葉を添えて視覚イメージを活用することが思考力を育てる最も効果的な方法なのです。 考えることが出来るようになるには「考える練習」が必要です。今までは言葉が分かれば考えられると勘違いされている部分が多くあり、とてつもなく遠回りをしていました。分かるとはイメージ再現であり、考えるとはイメージ操作であり、判断するとはイメージ抽出です。ですから、練習には簡単な絵図や写真を使うことが有効になります。脳内言語をそのまま使った練習だからです。 |
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