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「絶対学力(T.Itoyama著)」文藝春秋発売
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コーヒーブレイク「イチローは知っていた」
 もちろん大リーグのイチローのことです。彼は成功の意味を知っていました。彼はインタビューの中で「準備が全て」と言っていました。つまり「全ての準備をした」=「出来る限りの努力をした」=「努力に成功した」と言うことです。成功という言葉は過程に対する言葉なのです。大切なのは「努力に成功するということ」なのです。イチローはこのことを「準備」と言っていました。彼は、大リーグに行く前に既に成功していたのです。
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「新・絶対学力(T.Itoyama著)」文藝春秋発売
<本文p.35>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
§イメージトレーニングと無意識の行動
さて、次に無意識の行動にイメージトレーニングが大きな影響を与える理由を考えてみましょう。
 無意識の行動とは視覚イメージの後追い行動です。瞬時に再現された視覚イメージを体(頭)が真似しているのです。ですから、意識よりも素早く反応できるのです。無意識と言うよりも体(頭)が視覚イメージの後追い(真似)をしている現象なのです。視覚イメージの再現速度は人間の反応の中でも最速ですので様々なパターンを瞬時に再現できます。ですから、刻一刻と変わる状況にもトレーニング次第で瞬時に対応できるようになるのです。「無意識の中にも視覚イメージありき」ということです。体(頭)はイメージを追う(真似る)習性があります。ですから再現イメージは理想的なイメージであることが必要ですし、正確で現実的な方がいいのです。反対に失敗のイメージややってはいけないイメージを再現していると無意識に反応するときには、その悪いイメージを真似てしまいます。これが悪いイメージトレーニングをしてはいけない理由です。このことは子供の教育方法や一生の考え方にも大きなヒントとなります。特に十二歳以下の子供に反面教師は通じない、してはいけない、見せてはいけないということの理由の一つにもなっています。
 咄嗟の判断という言葉も同じです。言葉の上では「判断」といいますが意識的な判断とは異なり、体(頭)が反応したことを意味しています。何に反応したかというと視覚イメージにです。この「体(頭)は視覚イメージの真似をする」という習性を利用すると、瞬間的に反応しなければならないスポーツなどでは絶大な効果を発揮します。また、咄嗟の判断でとった行動は覚えていないことが往々にしてありますが、意識される前に再現された視覚イメージに従って体(頭)が反応するのですから当然のことです。
 野球で言うならば、内角ストレート高めのストライクゾーンに意識的にヤマをはっていた打者が、予想外の外角低めのボール球にでも正確に反応してヒットを記録することができる場合があります。意識外の行動ですから無意識の領域ですが、イメージトレーニングとそのイメージ通りの行動を再現できる運動能力を育てていれば難しいことではありません。これらのことは古くから言われていることで新しい理論でも何でもありません。私の愛読書である「葉隠」に至っては三百年前に書かれた優れたイメージトレーニング指南書です。 ただし、良くも悪くも、このように視覚イメージは無意識の行動や咄嗟の判断に大きな影響を与えますので、勉強であれスポーツであれ指導者はその影響の大きさを熟知していなければなりませんし、不適当なイメージトレーニングは致命傷を与えることも知っておかなければなりません。

   §もう一つのイメージトレーニング
 もう一つのイメージトレーニングを紹介しましょう。これは体操などでよく使う方法です。今までにやったことのない動きをする場合に理想的な状態を体で先に体感してイメージを確立してから練習するという方法です。この方法は、逆上がり(鉄棒)、開脚跳び(跳び箱)、逆立ち(マット運動)など全ての運動に有効です。よく、コツをつかませるといいますが、理想状態、例えば逆立ちして足を揃えて伸ばして静止している時の感覚を頭にイメージ(体感イメージ)として定着させるのです。どうして、この理想的な体感イメージを持つことが最も効果的かというと、それは最も確実な自分の「お手本」を常に持っていることになるからです。練習しながら、このイメージ(お手本)に自分の状態を近づけることで逆立ちは簡単にできるようになります。小学校2年生の子が、1時間ほどでピタリと逆立ちして静止したときには驚きましたが、確かな体感イメージを持たせれば難しいことではないのです。自分が持っているお手本の体感イメージを再現できるように体を動かすだけでいいのですから1人でも正しい練習ができるのです。反対に、この正しい体感イメージがないままに練習すると何百回何千回と練習しても一向に上達しません。自分のお手本がないからです。お手本は常に参照できるところである頭(体)の中になくてはいけないのです。漢字の練習の時も、瞬時に正しいイメージ(字形と筆順)を確認できるようにお手本は常に真横に置いておく理由と同じです。
 体感イメージを利用できるのは、もちろん体育だけではありません。体を動かすことなら何にでも(指先のことでも)応用できます。「毛筆」なら、筆を持った生徒の手に先生の手を添えて一緒に筆を動かすことで体感イメージを作ることができます。字を綺麗に書かせたいのなら家庭で手を添えて指導すれば簡単に上達します。「音楽」なら、タクト(指揮棒)を持った手にカラヤンが手を添えて指揮をしてくれたら私達は限りなくカラヤンを体感できるでしょうし、タクトの存在理由も分かるでしょう。「工作」ならノコギリや彫刻刀を一緒に動かせば力のいれ具合や角度の付け方なども体感イメージとして伝えることができます。「家庭科」なら一緒に鍋を振ったり針を動かしたりすることでお手本となる体感イメージを残せます。どの教科でも体を動かすものには、まず、理想的な体感イメージを意識的に持たせるようにすることが最も大切なことなのです。この個人別の「お手本」を一人一人に持たせることが教育者の責務です。何かができる、できないは別の話なのです。余談ですが、実はその人にピッタリの素敵な笑顔でも、理想的な笑顔をしているときの体感イメージを持って練習することで、その素敵な笑顔を修得できるのです。演劇の世界などでは古くからなされている一般的なことです。