2006年11月04日
●いじめの構造:原因と対処方法(文責:どんぐり倶楽部・T.Itoyama)
●「いじめ」についての議論を多く目にする昨今だが、トンチンカンな解釈ばかりしか出て来ない。情けない限りである。
●「いじめ」の原因や責任は100%いじめる方にある。人間に育っていないからである。12才までの教育の失敗である。いじめられる方には何の責任もない。100%ない。まず、このことが大前提である。確かに、キッカケはいじめられる方に多くある、が、それは原因でもなければ責任でもない。「いじめ」は人間らしい判断力を育てて貰えなかった人がする行為だからだ。
 つまり、小学校高学年にあたる9-12才で育てられるべき判断力(情緒の安定+正常な感情→人間らしい判断力)を育てて貰えなかった人達の行為なのだ。つまり小学校時代の教育の失敗である。
 <いじめの種>は、小学校高学年にあたる9-12才に作られる。どんなに正常に育っていても、この仕上げにあたる<人間的な判断力>を育て上げることが出来なければヒトを人間に育て上げるという<教育>は完結しない。この時期に判断基準を正しい感情に置くことを教えずに(幼稚な)理論から導き出された結論が何の感情的な吟味もなく行動の基準となることを許している(良しとしている)と人間的な判断力を育てることが出来ないのだ。
 具体的には、行動基準(自分に言動を許容する基準)を「本当だから」「先生が言ったから」「決まりだから」「友達がしているから」「良いことだから」「本に書いてあるから」「言われたから」などという一見尤もらしい、通常では正しいとされている(褒められたりする)ことを自分自身の正常な感情のフィルターを通さずに(正しい感情の吟味をせずに)行動基準として使ってしまうということである。この<お粗末な結論=言動のGOサイン:行動基準>が矯正されずに進むと「走るの(言動)が遅いから〜」「背が低いから〜」「仲間じゃないから〜」「外人だから〜」「色白だから〜」「自分より勉強が出来るから〜」「自分より勉強が出来ないから〜」「綺麗だから〜」...となる。つまり、理由は何でもよくなるのだ。「〜だから」の「〜」さえ見つければGOサインが出るように育てられてしまうのである。異常に育ってしまうのだ。...つまり<いじめ>の対象は無制限なのだ。
 本来は(正常な場合は)自分の言動は自分自身の感情が最終的なGOサインをだす。しかし、、小学校高学年にあたる9-12才の時期に、この正しい判断基準の育成を怠ると自分の感情を通さない他人の(都合のいい勝手な理由による)行動基準を利用して動くことに違和感を持たなくなってしまう。責任転嫁の代表例であるが、実際には見逃されている場合が非常に多い。「事実だから〜」などと言う教師までいる。事実は判断基準の要素にはなるが、判断基準そのものにはなり得ない。このような正しい判断基準の養成(人間らしい判断力養成)は、小学校高学年にあたる9-12才に必ずしなければいけないことである非常に重要な教育である。にもかかわらず、残念ながら意識的になされることは極めて希であるのが現実である。
 昔は<卑怯なことは絶対にするな>というような言い方で家庭や学校で伝えられてきた基準であるが、今は意識されていないようである。非常に危険な(お粗末な)教育環境になっている。
 従って、偶然に問題が発生したときに問いただされることはあっても、意識的に<理論的に正しい(幼稚な理論から生まれた結論は本来は正しくないのだが、そこには気付かない)ことならしてもいいんだ>という考えは間違った行動規範であるということを教育することはない。
●現代では、<いじめ>を回避する正しい判断基準を持っていない人間の方が圧倒的に多いと考えられる。憂うべきことではあるが、対処法はある。環境を整えることで病気にかかっても(感染していても)発病(発症)しないようにできるのと同様に、<いじめ>を抑制することは環境を整えることで可能であるし、人間的な判断力の養成時期(臨界期)を越えている子供達には唯一の対処方法である。ここでも「ゆっくり・ジックリ・丁寧に」が基本となる。穏やかな教育にまさるものはないのだ。
●キッカケを原因と勘違いして<原因追及>をしても何の解決にもならない。全ては教育の責任である。情緒の安定-感情教育-思考力養成-判断力養成を12才までに終えなければ<いじめ>は解決しない。反対に12才までの正しい教育を実践すれば<いじめ>は根絶できる。
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●最も簡単で効果的な対処方法...いじめっ子だけのクラスを作る。40人2クラスしかなくても、5人のいじめっ子がいれば5人のクラスと75人のクラスにする。教室はどこでもいい。...考えたことがあるだろうか?環境を変える最も速い対処方法である。
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★中学受験(の為のパターン学習)が<危険>だと警告する理由もココにある。どんなに受験には効果的な手法でも時期的に最も危険な行為となるからである。ヒトを人間に育て上げるための<教育>の仕上げの段階(小4-6)で仕上げが出来ない環境を作ってしまうからだ。あるいは決定的な勘違いをさせてしまう結果(受験勉強)となるからである。
<理論的な結論=正解=正しい=いいこと=行動基準としていい>ではない。意識せずに、これを吸収し固定化してしまう危険が非常に高くなる。この中には人間が人間であるための感情判断がない。パターン学習は感情判断を麻痺させる。お金と時間を使ってストレスと危険な教育で子供を人間に育て上げることを止めているのである。
 プロ中のプロはこのことを熟知した上で受験指導をする。だから、パターン学習をしていい最短期間を綿密にはじき出すために準備を怠らない。余計な事は絶対にさせない。「絶対学力」にかいてある中学受験の方法はこういうことが大前提となっている。<受験を甘く見ている>という感想があったが、全く逆である。<受験を知り尽くしている>から、たてられる作戦なのだ。12才までの教育でヒトを人間に育て上げることを無視して受験を語ることは犯罪と同じである。
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2006年11月09日
●いじめの構造-2:必然的に<いじめ>を増加させた理由(文責:どんぐり倶楽部・T.Itoyama)[ 考察 ]
●必然的に<いじめ>を増加させた理由
<情緒の安定(〜3才)-正しい感情の育成(〜6才)-人間らしい判断力を含む思考力養成(〜9才〜12才)>が「ヒトを人間に育て上げる<教育>」の基本構造である。このどれもが欠落しても<ひずみ>が生じるのは当然である。環境次第で発症する場合もしない場合もあるが、環境自体は悪くなっているので上記の基本教育が更に重要となってきている。ところが、公教育は全く気付いていない。だから「我が子を守る家庭教育」が必要な時代なのだ。
●昔の<いじめ>は<情緒の安定><正しい感情の育成>の失敗に多くは限定されていた。生活(特に心)に余裕がないとがどちらも難しくなりがちだからだ。ところが、今では最後の仕上げ期の<人間らしい判断力を含む思考力養成>で大幅に失敗している。原因は仕上げ時期である9-12才の時期にしてはいけないことをさせているからである。公教育の現場である小学校も多くの家庭教育も...である。それまで<情緒の安定>も<正しい感情の育成>も乗り越えてきた子供が教育(受験や「もう高学年なんだから」というヘンテコリンな理由)の名の下に潰されている。だから、一見普通に見える子供までもが<いじめ>をする。*考えたり、想像したりするのは異常ではない。飛べないのに飛ぶことを想像するのと同じくらい簡単に想像はするようになっている。が、それを<言動に移すのは異常>なのである。最後の仕上げ教育が出来なかったということである。10年間の子育てが水の泡となる。9-12才の3年間は人間への教育の最後の仕上げなのだ。この最後の仕上げが出来ないと人間らしい判断力は根付かない。すると<人間らしくない言動をとる>ことに歯止めを掛ける(違和感を覚えさせる)ブレーキを意識できなくなる。フロイトの娘は「感情のフィルター」と呼び大江健三郎は「ちょっと待ってみること」と言っているようだが、どちらも判断力の基本となる正しい感情を使うことを指している。
※<いじめ>は昔もあった。と呑気に構えている人がいるがいるが、今は桁違いなのだ。700人の生徒の中で昔は1割の70人が<いじめ>をしていたとしたら今は場所によっては7-8割の490人〜560人である。まさに、異常事態である。しかも、理由も分からず対処法もしらない大人がワンサカといる。これでは、家庭で守るしかないだろう。
●<いじめ><不登校><履修漏れ>の全てに共通している認識不足(欠落)は「ヒトを人間に育て上げる」という教育の基本を実践するための理論である。12才(性成熟年齢)までの人間の成長順序が生物としてプログラムされていることを無視した教育の歪みから生まれている。
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<追記>
●2006.11/24読売新聞・夕刊の「寸評」にある<卑怯を憎む心>を育てる最後のチャンスが9-12才である。
●2006.6/1の開示板での私の回答と同じである。
[3045] のんびり倶楽部 投稿日:2006/06/01(Thu) 13:59  [関東]
「いじめ」に対してどう対応すればいいのか、私もいまだにわかりません。我が子に関して、私が具体的な行動をとったことは2度ありますが、それが正しい対応だったかは分かりません。一度目は、私自身がその場にいるときに、息子が上級生に学校外でいじめられた時で、「あんた、年上のくせに卑怯よっ」とどなって、思わずビンタしてしまいました。ビンタは行き過ぎだと反省したので、その子の家に行き、謝ると同時に、どうしてビンタしてしまったか説明しました。親御さんも、よく理解してくださって「うちの子が悪いときは、これからも叱ってやってください」と言ってくださいました。2度目は相手が別の学校の子で、息子の友人のお母さんが見ていて教えてくれました。息子の学校の先生に相談し、最終的には、双方の学校の校長先生同士の話し合いにまでなりました。他にもう一度、いじめられてることが分かったことがあり、相手の家に行こうか迷っているうちに、いじめがやんだことがあります。
<回答>
>>「いじめ」に対してどう対応すればいいのか
●確かに難しいでしょうね。ですから、私は決めています。必ず本人を怒るってね。こんな感じです。穏やかに語気強く「何ばしよっとか」「...」「何ばしよっとか」「...」「まだするつもりか」「...」
「卑怯モンになりたかとか」「...」
※コレ(卑怯者という概念)って非常に大事なことなんです。