第3話 少年よ、大志を抱き自由を掴め!
  "おお船長!わが船長よ!"

ウォルター・ホイットマンという詩人が、エイブラハム・リンカーンを敬称し謳った詩の一節である。
リンカーンを称えるホイトッマンのように、生徒達はキーティングを"船長"と呼び、馴れ慕う。

 「僕は今までおとなしすぎた。もう違うぞ。
 カルペディエム!今を生きるだ!
 これで死んだって構うもんか!

 一度会っただけなのに僕のことを考えてくれてた。
 僕が彼女を思っていたときに彼女も僕を思ってたんだ。

 これはただごどじゃない。感じるんだ・・・ 
 彼女は僕を好きになる!」

恋に身を焦がすノックス・オーヴァーストリートも、
キーティングの"情熱"に背中を押された1人だ。

"彼女は僕を好きになる"

という"自分の声"(直感)を信じ、
ノックスはクリスという少女を通して
自分の存在を見いだし、
人を愛する喜びに目覚めていく。

ウェルトン学生時代のキーティングが、学校の外れにある洞窟を秘密基地として、友人数人と秘密結成して
いたという「死せる詩人の会」の話に触発され、何かが変わればと、同じように秘密組織をマネてみたものの、
周りの者達が自分だけの存在を証明できる居場所を見つけ始めていくなか、自身に何も見いだせずにいた
チャーリー・ドルトンだけは焦りを隠しきれずにいた。

「なんだか、これまでまるっきり生きて
 なかったみたいな気分だ・・。
 ぼくはもう何年も、自分から
 "冒険する"っていうことをしていない。

 ニールはやりたいことをちゃんと知っている。
 ノックスも、クリスという立派な目標を持ってる。
 けど、ぼくは自分が何者かも、
 何をしたいのかも分からないんだ・・・」

「僕たちはここに来て遊ぶだけなのか?行動を起こすべきだよ!ただ集まって詩を読んでて何になる?」

自己変革を急ぎすぎた結果、チャーリーは仲間を出し抜く形で、学校新聞の構成委員である立場を利用して、
"死せる詩人の会"の署名入りで「性の捌け口に女生徒を入学させろ」と、記事をすりかえそのまま発行してしまう。

          ドアをあけても 何も見つからない
          そこから遠くを ながめてるだけじゃ

          別にグレてる訳じゃないんだ
          ただこのままじゃいけないってことに
          気付いただけさ

          そしてナイフを持って立ってた
          そしてナイフを持って立ってた
          そしてナイフを持って立ってた

          言葉はいつでもクソッタレだけど
          僕だってちゃんと考えてるんだ
          どうにもならない事なんて
          どうにでもになっていい事

          先生たちは僕を 不安にするけど
          それほど大切な言葉はなかった

          誰の事も恨んじゃいないよ
          ただ大人たちにほめられるような
          バカにはなりたくない

          そしてナイフを持って立ってた
          そしてナイフを持って立ってた
          そしてナイフを持って立ってた

          ナイフを持って立ってた
          甲本ヒロト <THE BLUE HEARTS >

翌朝、チャーリーの記事は、校内の一定秩序を乱すものとして、大騒ぎに至っていた。
犯人探しのために全校集会が行われる。「今ここで名乗り出れば退学処分を免れるぞ」
という校長の最低限な好意を尻目に、電話のベルの高い音が礼拝堂中に鳴り響く。

「はい、こちらウェルトン学院。
 少々お待ちを。
 校長あなたにです。
 神様から女生徒を入学させろと」

案の定、説き伏せられ、体罰を受け入れることと全校生徒へ向けての謝罪文を強要されたものの、
チャーリーの心は、おもいきった行動により、大勢の前で存在を証明できた喜びでいっぱいだった。
だが、味方をして喜んでくれるものと思っていたキーティングにまでも、注意を受けてしまうことになる。

         愚か者は、幸福がどこか遠いところにあると思いこんでいる
         利口者は幸福を足元で育てている
                                  ジェームズ・オッペンハイム

"自由"とは、自分の外側ではなく、自分の内側にあるもの。「"自分"を"由"する」と書いて"自由"と読む。
"自由"とは、文字通り、「自分を拠り所(由来)として自分を表現していくこと」を意味し、
その結果のすべての責任は自分(由来)にあるということを同時に意味する。

"自由"とは、いつだってなんだって自身の心の中に生息しているもの。

本当に"自由"な人というのは、ただ漠然と「なんでもやれる」という行動状態だけを表しているのではなく、
志(心に決めて目指していること)のための「なんでもやれる」進取の気性に富んでいる者を示すということ。

"自由"とは、外側に向けて「なにをやってもいい」というわけでは決してないということ。
外側から受ける不自由さに、不満を抱いて起こした行動には、"自己責任"が伴わない。
「外側から受ける束縛」は一見不自由さを感じるが、「外側のせいにできる」という"逃げ"の心がどこかしらにある。

       自分の将来について考える時間は、自分の過去となるものを生きている時間です。

       毎日を人生という本の汚れのないページだと思いなさい。
       インクや泥のしみでそのページを汚してはいけません。
       そのページをしみ一つないまま次の段階へ持ってゆけば、
       夢も思わないほどの進歩を遂げることができるでしょう。

       覚えておいて一番役に立つのは次の言葉です。

       汚れない未来として、毎日を生きなさい。
       そしてその日を、すでに発表されたあなたの過去の
       記録であるかのように、注意深く扱いなさい。

                                     ルース・モンゴメリー

「今を生きること」の意味を履き違えたチャーリーに、「"自由"の裏には責任が伴う」ということを、優しく諭すキーティング。
チャーリー自身も「自分の行動は校則で縛りすぎる学校が起こさせたものだ」という責任転嫁な考えがあったことに気づく。

  「 諸君、"志"を高く持つことだ。 いいね? 」

       目の前に今、創造的で満ち足りた日はないかもしれない。
       しかし生きていかねばならない。

       ある一日を、雑用だけのいやな日にしてしまうこともある。
       退屈で惨めで、イライラする、時間の無駄とも思える日もあるだろう。
       しかし同じ一日を、エネルギーにあふれ、興奮に満ちた、
       あなたの人生の最良の日にすることだってできる。

       よく言うように、「これが私の人生最後の日」とでも考えて、
       それぞれの瞬間を生きればよいのだ。どちらを選ぶにしろ、
       同じ長さの一日であるし、同じエネルギーを使うわけだ。

       違いは、喜びと共に生きるか、みじめに生きるかである。
       それならなぜ、喜びのほうを選ばないのだろう。
                                     レオ・バスカリア

                  必要なものは揃っています
                  健康な体とスケッチ・ブック

                  朝 目を覚ますと
                  また未知の一日が始まる
                  何が起こるか分からない

                  橋の下で寝ることもあれば
                  世界一の豪華客船で
                  特上のシャンパンだ

                  人生は"贈り物"
                  ムダにはしたくない

                  どんなカードが配られても
                  それも人生

                  今を大切にしたい

                 ジャック・ドーソン "TITANIC"

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<子どもの質問に答える前に、大人がすべきこと>
             
 若月秀夫 著(品川区教育委員会 教育長)

最近、テレビのコマーシャルで「どうして勉強しなきゃいけないんですか?」
「何で学校に行くんですか?」と質問をするのがある。世間の大人は一体、
ああいう子どもの質問に対して、何て答えるんだろう。これは、何も決まった
答えがあるわけでもないが、もし私だったら「それは、人間が生きていく上で、
自由になるため
なんだよ」と答えたいと思う。

例えばね、映画『フーテンの寅さん』の中で、甥っ子の満男が「何でこんなに
勉強しなくちゃいけないんだろう」と寅さんに質問するシーンがある。寅さんは
「おまえね、俺みたいなのにそんな難しい質問するなよ」と言いながら、

「俺みたいに勉強しなかった人間はな、人生のいろんな岐路、あるいはいろんな
問題に当たったとき、どうしたらいいか、よくわからねえから、さいころか
なんかをころっと振って、それで決めるんだよ。俺は勉強しなかったから、
自由に自分の考えを持つことができないんだよ。勉強するってことはよ、
結局、自由になるってこっちゃないかい」と答えている。

子どものそうした、ごく自然な質問に対して、大人自身がどれだけ自らの
生き方を振り返って答えられるのだろうか。あるいは、どれだけきちんと
まじめに考えてあげられているのだろうか。それには、大人は何をしなければ
ならないのか。

子どもたちに何かをするという以前に、生きていくということに対し、
自分自身がどれだけ人としての考え方を持っているか

私は、まずそこが重要なことだというような気がする。