▼思考力を育てるにあたっては
「子供は一人一人違う」とか
「個性に合わせて」とか
「家庭の方針」とかは
あり得ません。
人間の思考方法は同じであり、
成長過程も同じだからです。
個性を伸ばす前に
人間(自分で考えることが出来る人間)に
育てなければならないからです。
有名な
「みんなちがってみんないい(金子みすヾ)」
という詩には
「ヒトから人間にまで育て上げた後ならば」という但し書きが必要なのです。
▼弱視(貧弱な視力)を作る眼帯と弱思(貧弱な思考力)を作る高速計算練習
子供の眼帯(高速計算練習)は
要注意です。
正しくは、
子供の眼帯(高速計算練習)は
原則的には「禁止」です。
理由は
正常な視力(思考力)が
育たない可能性が
非常に高いからです。
弱視(弱思)といいます。
私達は毎日
外界らの刺激(情報)を
五感から入力し、
それを脳で
処理し続けています。
その中でも
格段に大量の情報を
得ているのが
視覚からの刺激です。
人間は視覚動物とも
言われているほどですから、
子供は視覚で
成長を遂げているのだ
と言っても過言では
ありません。
また、視力(思考力)は
生まれつき正常(1.0)なわけではなく
視力(思考力)の成長期に
毎日、様々な物を見て、
脳細胞が刺激を受けて
成長した結果、
初めて正常といわれる視力(思考力)が
得られるのです。
視力(思考力)の成長期に
短期間でも
眼帯(高速計算練習)をされてしまうと、
視力(思考力)刺激のない間に、
急激に視力(思考力)関係の
脳細胞が
働かなくなります。
困ったことに、
細胞の成長は「ゆっくり」ですが
止まるのは瞬間であり
消え去るのは「すばやい」のです。
こうして
脳内の機能的な視力(思考力)障害が
できてしまいます。
いったん弱視(弱思)化した
子供の視力(思考力)を
取り戻すのは
非常に困難で
根気が必要です。
さらに、
気付くのが遅れて、
子供の時期に視力(思考力)の
再生を試みなければ
一生、視力(思考力)が
育つことはありません。
臨界期を超えてしまった機能は
不要なものとして
消し去られて
しまうからです。
このことをアポトーシスといいます。
成長過程で不要となった細胞が
自動的に消滅する合理化現象です。
眼帯(高速計算練習)や、
眼帯(高速計算練習)に準ずる、
子供の視力(思考力)の養成を
妨害する学習(考えない学習)は
厳禁なのです。
光のささない
暗い部屋に放置したり、
黒いサングラスをかける行為
学習では
暗記・暗算・高速計算
考えずに読むだけの暗唱
考えずに書くだけの多量の漢字練習
も危険行為です。
でも「老人のリハビリには効果があるのだから」
という人がいます。
もちろんです。
子供と老人とは
全く違うから
「効果がある」のです。
機能が始動し
基本的な能力が
固定した(臨界期を超えた)後は
多少乱暴な刺激でも
致命的な機能損傷はないからです。
ですから、
してもいいことと、
してはいけないことが
違うのは当然なのです。
特に、
成長期の前後では
同じ刺激でも
与える影響は全く違うのです。
それなのに
「脳内のエネルギー消費量が増加(血流増加)する」
だけのことを
「脳が活性化する」
と曖昧に表現し、
「活性化=良いこと」
のように印象づけて
単純思考の強化をさせる
危険教育が進行しています。
危険極まりないことです。
ガムを噛んでも
脳は活性化するし、
不快なことを考えても
脳は活性化するんです。
何ともお粗末な考えです。
視力も同じように、
成長(機能始動と機能確認)を終えれば(臨界期を過ぎれば)、
長期に眼帯(高速計算練習)をしても、
視力(思考力)は回復します。
機能回路が出来上がって
固定しているからです。
臨界期は
視力は6才
思考は12才です。
これは、子供の一生の問題です。
ですから、
眼帯(高速計算練習)は
厳禁なのです。
では、子供の眼科手術(中学受験)の時は
どうすればいいのでしょうか。
手術の時でさえも
眼帯(高速計算練習)は
原則的に手術日当日(受験前1ヶ月)だけです。
眼科手術(中学受験)の時でさえ
子供に眼帯(高速計算練習)はさせない
というのが、眼科医(教育者)の常識です。
子供の眼帯(高速計算練習)が
非常に危険なことを知っていると、
それだけで子供の視力(思考力)を
救うことができる場合が多いことを
知っておいてください。
子供達の力は計り知れません。
ですが、機能障害だけは
自力での回復が出来ないのです。
どうか、くれぐれも
子供の眼帯(高速計算練習)には
ご注意下さい。
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