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「9歳の壁」と絶対学力
2003/11/24
■「9歳の壁」と子どもの学習 〜T.Itoyama著『絶対学力』から思うこと〜
「9歳の壁」というのがあるそうだ。そして、この壁を乗り越えられないと高学年になって学力不振になるのだという。この本の著者・T.Itoyama氏は百マス計算の陰山氏の方法を批判して「三角計算」という小学生向けの計算の本も出した。彼の主張は百マス計算ブームに危惧を抱いていた私の関心を惹きつけた。その大要は納得のいくものであった。実際にこの本を計算の苦手な子にやらせてみたが、百マス計算では得られなかった効果を確認することも出来た。
ところで、Itoyama氏の言う「9歳の壁」というのはどういうものか。人は12歳までに抽象思考ができるようになる自然なプログラムを持っているが、そのプログラムに逆らって幼少期に先行学習やパターン学習をさせると、考える力が育たず具象思考から抽象思考に変化する「9歳の壁」を乗り越えられなくなる。具体的には、暗記力と計算力で満点をとっていた子が高学年になると学力不振に陥る。それは考えない習慣をつけさせ、マニュアル人間を作り出すからだというのだ。これは今流行りの知的早期教育への警鐘でもあろう。
これについては、私の若い頃の経験による傍証がある。ある進学塾で仕事をしていた時、その塾は日の出の勢いで躍進をしていたが、もっと生徒を増やそうという方針で、それまで小学4年生から通塾させていたものを、親の要望も受けて小学3年生から引き受けることにした。それで教育熱心な(?)家庭の子弟が通い始めた。中学受験は早いほうがいいというわけだ。確かに熱心な子が多く勉強の成果もあがった。ところが、数年経ち高学年になった頃から奇妙なことが明らかになってきた。受験学年になるころにその子たちの成績の伸び悩みが見られるようになってきたのである。そして、5年生や6年生なってから通塾し始めた子どもたちに追い抜かれることさえ起きてきた。通塾を勧める関係上、父母には秘密であったが、塾内では半ば公然の認識であった。その後の受験の結果はもはや推して知るべしであった。
なぜ、こういうことが起きたのか。通塾の弊害が明らかであった。一般には「塾慣れ」とか「塾疲れ」とか言われたが、私はもっと別のところに原因があると思っていた。それは学校に通い、塾や習い事に通うことに忙殺され、ひたすら理解し覚えることに1日の時間の大半が使われ、ほとんど自分で考える実行する習慣を持つことなく来てしまったことの結果ではないかと考えていた。いくら優れた水泳の指導書を読んでも実際に自分の体で会得しなければ水泳が出来るようにはならない。このことを、Itoyama氏は『絶対学力』(本物の学力)の中でより体系的に明らかにしてくれている。
Itoyama氏はまた、スキャモンの「発達曲線」の説を引用しながら、抽象思考をする前の幼少期における体験的学習の大切さを説いている。子どもの発達にはそれぞれ段階があり、それに即応する形の教育は効果があるが、徒な先行学習は害にしかならないのだ。
Itoyama氏は、「教育とは、決して知識の切り売りではありません。もちろん問題の処理方法を教えることでもありません。教育は学力を育むことです」と言い、またこうも言っている。「教育とは人生を楽しむことができる力を育てることです。一人一人が自分独自の判断基準を創り出すことができる力を育てることです。そして、学力とはこれらの様々なものの見方・考え方を理解できる力のことです。」
必ずしもItoyama説の全てに賛同できるというわけではないが、学校教育で「学力の低下」が叫ばれ、「基礎基本の反復学習」が喧伝されている昨今、本書はそのような教育界の動向に現場から一石を投ずることになるのは確かであろう。もし、子どもの教育を真剣に考えるなら、一度は目を通しておきたい一冊である。