【総索引】
●思考力の使い方(意識の仕方:注意するポイント)を少し変えるだけで良いんです。 ※このことを知らずに、国語力と算数力を違う力だと思っていると無駄な時間を浪費します。 …………………………………………………………………………………………… ●国語的内容の理解方法とは「一つの視覚イメージの細部を厳密に意識するのではなく、複数の視覚イメージの流れ(関係)を意識しながら味わうこと」です。 すると、細部に注意しないことで流れを意識しやすくなります。「内容」と呼ばれているのは「流れ」のことです。ですから、国語の読解力とは視覚イメージを操作することではなく再現とその移り変わり(流れ)に重点を置くことなのです。 …………………………………………………………………………………………… ●算数的内容の理解方法とは「視覚イメージの細部:単数の視覚イメージを細部に注意して意識すること」です。そして、イメージ操作を加えます。イメージの移動・変形・連想・比較ですね。このイメージ操作を算数の言葉にしたのが計算式です。文章→計算式ではすぐに行き詰まってしまいます。文章→絵図(絵図の変形)→計算式は何にでも応用が利きます。 …………………………………………………………………………………………… ●使う能力(視覚イメージの再現と操作)は同じですが注意すべきポイント(意識の仕方:力の入れ方)が違うのにポイントのシフトをしていないからです。ギアチェンジをしないで山道と高速道路を走ろうとしているから効果が現れないのです。 ●楽しい「どんぐり倶楽部」の「良質の算数文章問題」という中間形(プラットホーム)を知っていると修飾の少ないの数学にも修飾の多い文学にもどちらにも簡単に移行できます。 ●視覚イメージは思考のプラットホームだからです。万能なのです。 …………………………………………………………………………………………… <表現力も全く同じ力:視考力を使います> 視覚イメージを言葉などで表現し直したものが表現です。ですから、要約する場合なら視覚イメージを簡略化してその簡略化した視覚イメージの説明をすればいいですし、長文ならば視覚イメージを細部まで表現すればいい。感情なら人物の視覚イメージを良く見て説明すればいいのです。変化させるのは言葉ではなく視覚イメージなのです。言葉は視覚イメージの説明に過ぎません。説明する対象を変えれば説明の仕方は当然変わるのです。それなのにイメージをそのままにして表現だけをいじってもそれは言葉の言い換えであるだけです。言葉の言い換えが出来ることを表現力が付いたとは言いません。説明すべき・伝えるべき明確な視覚イメージを持つことが表現力養成の第一歩です。この最初の一歩を教えなくては表現力養成という名前の高度な猿真似力養成になってしまいます。 …………………………………………………………………………………………… <下書きから抜粋><絵コンテ読解> 【作文:作文絵コンテ帳:絵コンテ作文帳】 作文とは文を作ることではない。イメージを文で説明したものである。作文ができないのは説明する元になるイメージがないからです。ないものは説明できないから書けないのです。反対に確かなイメージがありさえすればどんな作文も自由自在です。確かなイメージを持たせれば(見えるようにしてあげれば)あとは、そのイメージをよ〜く見ながらイメージを説明していけばいいのです。言葉にすれば説明ですし文にすれば作文です。コミュニケーション能力などと取り立てていうことはありません。表現力と特別な呼び名を使うことも不要です。人間が出来ることは記号とイメージの変換くらいなのですから。 ※作文に味を付ける子供達が得意で効果的な方法は擬人法を使うことです。 子供達は小さいときから自然に物を擬人化して体験に取り込んでいます。入力時に今までしてきたことを出力時にもすればいいのです。 作文でも同じです。 アリストテレスの書いた「弁論術」の中に「事物は生命を与えられることによって活動しているもののようにみえる」として、ホメロスの書いた次の文を引用しています 「再び容赦ない石は平地へと転がり落ちた」『オデュッセイア』11巻598 「槍は肉をむさぼろうと求めて大地につきささった」『イリアス』11巻574 ※使ってある言葉がいかめしいので高貴に聞こえますが 「洗濯物が気持ちよさそうに風の海を泳いでいる」と同じで小さな子供がよく使う言い回しです。 【5秒作文】 ●作文が苦手な子でも指導次第で一瞬でかけるようになる。 「5秒間休み時間にしたことを頭の中で思い出して、その中で一番ハッキリ覚えている場面だけをイメージしてごらん。そして、その場面をストップさせる」「どんな場面かな?」 ※子供はそのメージを言葉で再現する→そのまま文字にすれば長い長い作文になる ※アレンジはいつでもできる <不要な作文や日記の推敲> ●幼児・児童期に作文や日記を文章上達のために利用する人がいます。注意してください。楽しい思い出を楽しみのために書きとどめておくメモとしてなら結構ですが、間違っても推敲などはしないで下さい。 感じること・味わうことが大事な時期なのに、上手に「表現」させようとする。特に、この「上手に」は非常に危険です。豊かな経験を貧弱な言葉で限定し幼稚な表現で固定化し経験自体を陳腐な物に変換してしまうからです。 子供自身だけが分かるヒミツのメモ程度なら経験自体を引き出すトリガーとなりますから経験を損なうことはありません。ですが、推敲され完成された貧弱な文章では経験はその文章そのものの中に埋没してしまいます。幼児・児童期に出来る言葉での表現は「上手であればあるだけお粗末」になってしまうのです。 言葉に出来ないほど悲しいときに見た夕焼けを書き残したいときに「ゆうやけ...」としか書けない子供と「今日の夕焼けは僕の短い人生の中でこれまでに味わったことのない〜」と上手に書ける子供とではどちらが表現力があるだろうか。圧倒的に前者である。子供の未来を考えても圧倒的に前者である。経験を丸ごと保っておくには陳腐な表現をさせないことが重要なのです。 |
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