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<掲示板より>「百玉そろばん」について
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[2247] 投稿日:2006/02/07(Tue) 00:07  [関東]
いつも掲示板を読ませていただいています。幼稚園年長の男の子の母親です。お忙しいところすみませんが、先生のご意見をおきかせくださると有難いです。 「百玉そろばん」がうちにあるのですが、どんぐり問題の数が多くなってくると、絵ではなく百玉そろばんを使って考えたがります。百玉そろばん→  http://www.coara.or.jp/~nonaka/tossland/100dama/index.html例えば<0MX89>赤い花と 白い花があります。合わせるとみんなで24本あります。また、赤い花は白い花より6本多いです。では、白い花は何本あるのでしょうか。という問題で、最初 に24個の玉を用意しておいて、その玉を何度も動かして組み合わせてみて、9と15という組み合わせにすれば一方が6多くなる、ということに気付くという 具合です。私としては、楽しんで絵を描いてほしいなあ・・と思い、答えを出すことを急かしたりしているつもりはなく、「答えではなくて絵が大事なんだよ」 と言っているのですが、息子は、答えを早く出したい、絵をたくさん描くのが面倒、そんなにたくさん絵を描かなければいけないのならやりたくない、という感 じなので、ついついそろばんでやらせてしまっています。(問題を考えること自体は好きな様です。絵を描くことにはあまり興味がないようで、ごくたまに描く 程度です。工作は大好きでほっておいても自分でしょっちゅう何か作っているのですが・・)。ちなみに、今まで、息子に早期教育に関するものや公文などはや らせていません。こういう場合、絵に描かずにそろばんを使っても問題ないでしょうか。それとも、やはり絵を使って解かせたほうがいいのでしょうか。絵を描 いて解くのが面倒、という状態は年長児として問題ありでしょうか・・・(私の接し方が息子をそうさせてしまっているのでしょうか・・・)。
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●子供に楽な方法を与えれば殆どの子供は楽な方を選びます。ところが、その「楽な方法」が応用の効かない方 法の場合は12才までは要注意です。考えるとき(計算ではなく考えるとき)に「百玉そろばん」が有効ですか?絵図は万能ですね。つまり、基本となる絶対基 礎学力とは何かが大事なのです。
●計算過程の記録が残らないのも良くありませんし、どう考えたかも残りません。指折算や絵図での数字の操作では数字でさえも考えること・工夫することが出来ますからね。
※何のための「百玉そろばん」ですか?
・数字の構造を理解するため?→お金の絵図が優れていますね。
・ 計算するため?→指折算(算盤は持ち歩きませんが指はいつもありますね)・三角視算表・筆 算が優れていますね。
・考える→絵図しかないですね。
・多角的な見方→絵図しかないですね。
・計算できればいい→電卓をどうぞ。算盤の暗算をどうぞ。→でも今すべきことではありませんね。いいえ、してはいけないことですね。
●「有用性があること」と「脳内進化を促すこと」とは違いますね。今は脳内進化(思考モデル作成)させる時期ですね。
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<参考:必要なときに必要なものを>
http://homepage.mac.com/donguriclub/soroban.html
http://homepage.mac.com/donguriclub/finger.html
http://homepage.mac.com/donguriclub/sisan.gif
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>私の接し方が
●ではなく「与えたもの」があなたの望む状況とは違う状況を作り出すためのものだったということです。道具には目的があります。その目的が何なのかを確定しないと自分の意図に反した結果が生まれます。
※算盤は結果(答え)だけを出してしまうように構造的になっていますね。当然「答えを早く出したい」になります。
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>こういう場合、絵に描かずにそろばんを使っても問題ないでしょうか。
●今は無いように見えますが、大きな問題になります。
>絵を描いて解くのが面倒、という状態は年長児として問題ありでしょうか
●おおありです。十分に描き尽くした後での言葉なら「進化」なのですが、最初からこれでは「進化する機会がなくなる」ということです。
※とりあえず、算盤を使っても結構ですので絵図を描かないと解けそうにない問題だけを与えてください。バランス(絵図と算盤)を少しずつ変えてみましょう。
※今、目の前で同じ問題を解いている子を想像してください。
・ A君「めんどくさいなぁ」→直ぐに終わる→「めんどくさいなぁ」→直ぐに終わる→同じ様な最短思考モデルを繰り返して(発展が無く)数だけをこなす
・B君「おもしろいなぁ」→時間がかかる(時間をかけて1つの問題で様々な思考モデルが出来ている)
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●さて、今すべきことは何でしょう。「最短ルートは必要なとき以外は使わない」が豊かな経験が出来ますよね。今は「最短ルート」を使ってはいけない最も貴重な脳内進化時期ではありませんか?
http://homepage.mac.com/donguriclub/difference.htm
<<慣れさせることの危険性>>
http://homepage.mac.com/donguriclub/nare.html
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●誤解の無いように書いておきますが「優れた教材も時期を間違えると悪影響を及ぼす」ということです。
>最初に24個の玉を用意しておいて、その玉を何度も動かして組み合わせてみて、9と15という組み合わせにすれば一方が6多くなる、ということに気付くという具合です。
●この操作は絵図と同じ操作です。つまり、同じことをするのですが用意されている「物」を使ってする場合と、自分で作りだしたものでする場合とでは「格段に育つ力が違う」ということです。「簡単・便利=基本」ではないということですね。
※また、絵図なら長い○1コを5個分と考えることもできますが、できあいの玉ではこの自由度がなくなりますね。この自由度が進化(工夫で生まれる脳内進化回路の養成)に繋がるんです。
●計算ドリルで筆算が既に書いてあるドリルがありますが同じように非常にいけません。「筆算練習は筆算を書くところから始めなければ意味がない」のに書い てあるんです。一見、楽で便利ですね。筆算練習も出来ているように見えますね。でも、筆算をしなくなるんです。何故でしょう?自分で最初から書いていない からです。書かない練習をしたからです。当然です。習慣には「する習慣」と「しない習慣」があります。怖いのは見えない「しない習慣」なんです。「書かな い」「描かない」「考えない」→「書けない」「描けない」「考えられない」になるからです。
[From どんぐり倶楽部・代表:糸山泰造]

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[2246] 投稿日:2006/02/06(Mon) 09:54  [近畿]
先生 お返事ありがとうございます。子供にとって計算が「できる」「できない」は、たいした問題ではないこと、(自信に繋がる事ではない)先生が教えて下 さったように、「何か」をしたいから計算という道具を使う。スーパーごっこをしている子供に教えてもらっていたのですね。お返事をどんぐりのノートに貼っ ておきます。いつも、いつもありがとうございます。
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●意味がないのに(意味を見出せずに)出来るからする。出来るようになるためにする。という感覚は「意味が 無くても出来るからする」→「意味は不要、出来ればいいんだ」→「すべきかどうかの判断は無用:判断しなくていい:判断できない」という最悪のルートを作 ります。頭の回路の組み立てが終わってしまった大人ならばそれでも結構です。ですが、頭が作られかけている急成期には絶対にしてはいけないことなんです。 「出来るようになればいい」は非常に危険なんです。
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●「自信を持たせるために計算だけでも漢字だけでも〜」という声も聞きますが、止めて下さい。そんなガラスの自信は持って貰っては困るんです。この時期に 子供達に与えられた自信は一生の自信になるものです。計算が速くできることや漢字を沢山知っていることを一生の自信にさせてしまうくらいなら何にもさせな い方が格段に素敵な子供に育ちます。
※自信は視考力(誰もが持っています)を自在に使えることで育てるんです。視考力は万能ですからね。一生の自信になるんです。
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<最新ページ>
http://homepage.mac.com/donguriclub/difference.html
[From どんぐり倶楽部・代表:糸山泰造]
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「開いた口がふさがらない...算盤」
●「開いた口がふさがらない...呆れて物が言えない...でもこの程度の認識なんだろうなぁ」と思うコメントを偶然目にした。
>このページの論理からいうと、そろばんはもっと優れているのでは?とも考えました。百ます計算や三角計算を極めても、3ケタ×3ケタを暗算でできるよう にはなりませんからね(笑)脳を活性化させ、無駄がなく、具体的操作ができ、暗算にも発展できる。ますますそろばんを教えたくなってきました。
●<3ケタ×3ケタを暗算でできる>ようになっても思考モデル(思考回路)は1個も増えていないのだから全くの時間の無駄である。幼児・児童期には多種多 様な視覚イメージ操作が大事なのであって算盤でする10種類の視覚イメージ操作では何の思考モデル(思考回路)作成もできない。だから、ダメなんです。単 純作業の反復は思考モデル(思考回路)を作る幼児・児童期の思考に関しては時間の浪費でしかない。と、ここまで言っても分からない...見えても分からな い...異常です。<優れている>...?<機械的に>と言うことだ。なら、コンピューターの方が優れている。機械的なことを最低限で最も効果的なところ でストップすることが重要なのだ。全く分かっていない。算盤の利便性は十分に心得ている。が便利であることと、思考力養成とは全く異なる。算盤の利便性は 単純視覚イメージの単純操作であるが故に優れているのだ。ちなみに、指織算(指算盤)でも算盤と全く同じことができる。理屈も同じである。無理なく大きい 桁数まで扱える分算盤が優れてはいる。しかし、それは思考モデル(思考回路)養成には害があるばかりなのだ。だ・か・ら、幼児・児童期の思考モデル(思考 回路)作成可能時期には時間の浪費という意味で有害なのだ。12才を過ぎてから思う存分やってくれ。思考モデル(思考回路)を作れなくなってからなら、単 純作業の高速反復による高速処理を強化しても悪影響は少ない。結果(答え)だけしか残らない視覚イメージは応用が利かないのだ。思考力養成の要である思考 モデル(思考回路)を作ることが出来る幼児・児童期という限られた貴重な時間を使って10種類の貧弱な視覚イメージ(算盤の珠の視覚イメージ数)の高速徹 底反復をすることで暗算を強化することがいかに危険なことかを全く分かっていない。この練習をしている時間は考えない練習をしている時間なのだ。
●誰でも一瞬で暗算が出来、何の弊害もない方法「横筆算」なら記録も残る。十分に速い。「より速くできる方がいい」なんてのは幼児・児童期には最も危険な考え方である。