総索引】■究極の思考形態を御存知ですか?
<工事中>
●究極の思考形態を自然に育てる(文責:どんぐり倶楽部代表・T.Itoyama)
●究極の思考形態とはどのようなものなのか、興味がありませんか。実は、その一端は全ての人が経験しています。ただ、殆どの人はその究極の思考形態を持っているにもかかわらずコントロールできないでいます。つまり、天才と呼ばれている人も凡人も実は同じ能力を持っているにもかかわらずコントロール方法を知っているのか知らないのかの違いに過ぎないということです。
まずは、下記の天才達の思考形態を見てみましょう。驚いたことに、どんぐり問題をしている子供の思考と同じであることが分かります。
●結論から書きます。小脳思考の稼働を大脳が選択的に出来るようにすること。つまり、無意識領域で行われる超高速処理を意識的選択的に稼働させることが出来るようにするということです。こう書くと分かりにくそうですが、将棋の長考、哲学の道の散歩、閃きを待つボ〜ッとした時間、漠然と考えながら入る長風呂、そうです、「どんぐり」で言うところの小脳思考ですね。意識できない処理を意識的に使うのですから、相当な体験的な確信と自分(自分の脳内で起こっている反応を感じる感覚)を信じる自信がないと意識的にはできませんが、実は無意識下では誰もが普通にしていることですから、難しくはありません。「あ、閃いた!」となる状態を自在に作れるようにするということです。「12歳までに『絶対学力』を育てる学習法」に「ヒラメキの構造」という見出しで扱っています。実は、「どんぐり方式」は、この究極の思考形態を自然に育てることができるよに仕組まれています。今までは、偶然の環境に頼るしかなかったのですが、どんぐり理論を知れば、誰でも無理なく・無駄なく・効果的にこの究極の思考形態を自然に育てることができるんです。もちろん「教育の優先順位<http://homepage.mac.com/donguriclub/priority.gif>」も、この観点から作られています。
●下記引用文を見て下さい。
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「ALBERT EINSTEIN IN BERN:青春のアインシュタイン(フリュキガー著/東京図書)」より
p.30_上17-下2
「多くの場合、記号(言葉)がなくても思考は進められるもので、無意識のうちにさえもかなりの程度までそれができるということは、じぶんにとって、いまや疑いのないことです。」...この記述は、アインシュタインが67歳のときに書いた「自伝ノート」の中に記録していたものです。
【Itoyama注:お分かりのように、どんぐり理論(Itoyama_Theory)の<小脳思考>のことですね。究極的に行き着くところ(気付くところ)は全く同じなんですね。...事実ですから。
※個人名を使うのは好みではありませんので、英語でも<どんぐり理論>は<The_Acorn_Theory>と表記したいところですが、<The_Acorn_Theory>という言葉はJames_Hillmanが「The_Soul's_Code」で使っていますので、ここでは<Itoyama_Theory>と書いてあります。】

p.32_下18-p.33_上13
いったい「思考」とは何か? 感官に印象が刻印されるさい記憶像が表出するからといって、それはまだ「思考」とはいえない。
【Itoyama注:そう、ここまででは視覚イメージの再現ですから「理解する」までです。】

そのような像が、1系列をつくって、その1系列の環のおのおのがもう1系列の環を喚起するといったところで、まだ、それは「思考」ではない。しかし、ある像がそういう多くのヶ入れるに繰り返し現れるとき、それ自体関連のない諸系列に結びつくことによって、まさにその像がそういう諸系列を配列する如何として収まることから初めて、それは思考となるのである。
【Itoyama注:どんぐり理論(Itoyama_Theory)の<分かる><考える>のことですね。<判断する>と<視覚イメージ再現→感情・感覚再現>までは言及していませんが、「思考」に関しては非常に精緻に考えられています。】

このような要素が、思考手段になり、概念になるのである。この自由な連想、すなわち、「夢」から思考に移行するのは、この「概念」がそのさいに演じる多少とも支配的な役割によって特徴づけられる、と私は考えている。そのさい、ある概念が意味として把握でき、再生できる記号(言葉)と結びつかねばならない、ということまでは必要とはしない。しかし、もしもそうなっていれば、思考というものがそれ(言葉という視覚イメージ再現記号)によって伝達可能となるわけである。
【Itoyama注:ルーチン&サブルーチン&視覚の類推作用→永久脳の働き、「言葉のトリガー理論」の説明ですね。→ですから<幼児・児童期>には言葉はゆっくりでいいので、視覚イメージのよる思考力養成のみが(副作用もなく)有効なのです。】
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「ご冗談でしょう、ファインマンさん(上)」...1965年にノーベル物理学賞受賞
p.43_7-p.44_7...視考力を活用した思考力養成の重要性が分かる逸話
 MIT時代、僕はいろいろないたずらをするのが好きだった。あるとき製図のクラスで、一人の学生が雲形定規を取りあげて、「この曲線に何か特別な公式でもあるのかな?」と言った。僕はちょっと考えてから「むろんだよ。その曲線は特別な曲線なんだから。そらこの通り」と雲形定規をとりあげて。ゆっくり回しはじめた。「雲形定規って奴は、どういう風に回しても、各曲線の最低点では、接戦が水平になるようにできているんだよ。」
 こうなるとクラスの連中が一人残らず自分の定規をいろいろな角度に持ち、この一番低い点に鉛筆をあてて回しはじめた。そして確かに接戦が水平だということにはじめて気がついたのである。みんなこの「発見」に沸き立ったが、誰もがとっくにかなり進んだところまで微積分をやっていて、「どんな曲線についても、極小点(最低点)での導関数(接線)はゼロ(つまり水平)である」ということは知りぬいているはずなのだ。ただそれを実際に当てはめてみることができなかっただけだ。言うなれば、自分の「知っている」ことすら知らなかったということになる。
 これはいったいどうしたことなのだろう?人は皆、物事を「本当に理解する」ことによって学ばず、たとえば丸暗記のようなほかの方法で学んでいるのだろうか?これでは知識など、すぐ吹っとんでしまうこわれ物みたいなものではないか。
※MIT:マサチューセッツ工科大学(英語: Massachusetts Institute of Technology)
...ほぼ毎年、ノーベル賞受賞者をだしている米国マサチューセッツ州ケンブリッジ市にある名門大学
「ご冗談でしょう、ファインマンさん(下)...解説 by 江沢洋」
p.326_7-p.327_2
 ダイソンは、ファインマンについてこう書いている。
 F・J・ダイソン『宇宙をかき乱すべきか』鎮目恭夫訳、ダイヤモンド社、1982年77,80頁。
 ーー彼は量子の世界で何が起こっているかを頭に思い描くことができた。その絵姿から、方程式を経ずに答えを書き下すことができたのだ。
【Itoyama注:視考力を活用した思考ですね。】
<中略>
 ーー私はケインズがニュートンについて語った次の言葉を思い出していた。「彼の特異な天分は、頭の中の問題をすっかり解ききるまで休みなく考えつづける能力にあった。彼の直感の力は他の誰のものよりも強く、長く持続した。それが彼を偉大にしたのだと思う。」
【Itoyama注:小脳自動思考のことですね。】
※私は散文詩でこう書いています。...これは私が20代に考えていたことです。鮮明に覚えていますが、確信したのは千葉の船橋駅の前を歩いているときでした。
【判断しない】
 自分の基準で判断出来るまで
 判断しないでいることが
 本当の力なんじゃないかな
 だから
 迅速に処理することは
 一見力があるように見えるけれども
 その基準が他人の基準だとしたら
 そんなのは力でも何でもない
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「絶対学力」「考える力」をつけるどんぐり教室・柏の葉(千葉県柏市・柏の葉キャンパス)のブログより
2009年11月16日(月)
どんぐり教室のお子さんたちも、最初は地団太踏むほど嫌がった子も、ふと気づくと夢中で考えていたり、「ああ、待って!絶対解けるまで帰らないからね!!!」なんて言ったりする。
2009年11月17日(火)
昨日高学年の子がどんぐりを解いているのを見ていたら、おお、難しいんだな・・・・考え込んでいる。ヒントは出さない、やっぱり。長考すること1時間近く。降参するかと思いきや、やっぱり考え続けている。
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■よくある勘違い:視覚イメージだけを鍛える(右脳教育)...なんてのはアンバランスで無味なこと。悪影響が増大する。12才を過ぎて視覚イメージ操作を手段として使うのはOK。
※図形パズル、数字遊び...勘違いの温床。やっている図形や数字の処理が速くなるだけ。思考力養成には悪影響。なぜなら、思考力養成にはスピードが天敵だから。子供が好きだから...これは、スピードへの憧れにすぎない。(不可能へと向かう)スピード感による快感の欲求。麻痺感覚への憧れ。崩壊感への入り口。
■12才までは「楽しければ〜(どんな方法でもいい)」は非常に危険な判断基準です。やっていること、手法そのものがどういう影響を与えるのかを必ず検証すること。感応を麻痺させる作用がある場合には絶対に採用してはいけない。
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●思い通り(イメージ通り)に動かない体を思い通りに動くようにする必要があるときに要求されるのが反復練習。つまり、自在に操れないものにしか適応してはいけないのが、反復練習。多くは、体の制御に関すること(スポーツや楽器演奏練習)です。
 思い通りの動き=視覚イメージの動き、これは「お手本」の動きだということ。つまり、これ自体の反復は不要。思考は視覚イメージの操作なので常に完璧に制御されます。思うように動かすことができます。ですから、反復は全く必要ない。つまり、思考に反復は無用ということ。思い出しやすくする方法は別問題。
●究極の思考形態を無理なく育てる方法+MAX進化論
思考形態は鍛えれば出来ますが人間らしい判断力を含む思考力養成は教育の優先順位を守らないと出来ない。感情を育てることが根幹に来るからです。
●これ以上の進化はない。なぜならば、これ以上の進化は認識形態の変化を要するからです。認識形態の変化とは感覚器官の構造事態の変化を意味しますから、人類ではなくなるということです。ですから、こういう意味でもこれ以上の進化はあり得ないのです。
これは数億年前(カンブリア紀)の大進化(カメラ眼の誕生:機能的に思考が可能となる)と同等の変化を要するということであり、それは人類ではなくなる(新人類誕生)ということである。...だから、必然的にあり得ない。新しい感覚器官がニョキニョキと出てくるというようなものだからね。
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●選択的に無意識を意識化する(できる)のだが、そのコントロールは感情が受け持っています。操作自体は自動的に(進化の結果として持っているプログラムに沿って)出来るようになるのだから、大事なこと(教育しなければならないこと:意識的に育てなければいけないこと)は、それを意識的に行うことと感情でのコントロールを意識することですから、その感情自体を安定した納得のいくものに育て上げて満足を味わえるようにしておく必要がある。
私達が理論と呼んでいるものは、実は、自然の理(自然の法則・自然界で人間が感得できる動きから学べることだけ)のことなので、半自動的に修得も出来ますし、意識的に鍛えることも出来ます。しかし、その力を高度に繊細にコントロールする豊かな感情はタイミングと時期を見極めながら育てないと非常に育成が難しい。<中略>だから、両眼視が確立し、恭子に固定してから自在に操作できるようになるまでは、感情の育成を阻害する行為(特に異常な学習手法)は絶対に避けなければならない。
●危険な時期に、出来るようにしなければいけないことがある(社会のシステムとして設定されている場合が多い)としても、感情を麻痺させる(鈍感にさせる)ような手法は使ってはいけない。ところが、現在は、この異常な手法が0才から横行している。感情を阻害しなくても同等以上の成果を出せる効果的な手法が今までは無かったので、諦めていた人もいるだろうが、今は「どんぐり倶楽部」に全て揃っている。だから、既存の手法を「今まで使ってきたから」と言う理由にならない理由で使い続けるのは、怠慢という生半可なことではなく犯罪に等しい。
●思考をコントロールする感情、感情をコントロールする複合感覚、その中でも最も優れた制御力である違和感、この違和感を丁寧に育てることが「人間らしい判断力を含む思考力養成」の最大の鍵である。一行で書くと「自分の違和感に自信を持てるように育てる」となる。これが「無意識を意識し、自信を持って実行できる」ってこと。
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●IQの値は全く関係ありません。
 測定方法や状態やコンディションによってもIQの値は変わりますが、IQそのものが変わることはないからです。
 ですから、高い人も低い人も同様に意識化することに注意を向ける必要があります。
 意識の仕方は全く逆方向になりますが、共に正常な範囲の方です。意識の流れを楽しめる方向です。
 IQが高すぎると自動処理速度が速いので意識化する時間をとれずに進んでしまう「なぜだか知らないけど分かっちゃう状態」になりますし、
 IQが低すぎると自動処理速度が遅いので連続的な意識化を感じることが出来にくい「目の前のことだけしか分からない回りが見えない(予見できない)状態」になりやすいからです。
●前述のアインシュタイン氏もファインマン氏も天才(と呼ばれている人:異常に高いIQの持ち主だと考えられます)が陥りやすい落とし穴を
 上手に回避できています。音楽が二人を助けていることも共通点です。アインシュタイン氏はクラシック、ファインマン氏はサンバを
 好んで日常的に親しんでいます。音楽に異常なテンポは絶対にありません。これが良かったのだと推測されます。
【日々雑感より】
§<9才の壁>と<9才の落とし穴>
●親は「楽チンで<9才の壁>を越えた」と思っていながら、子供は「ドップリと<9才の落とし穴>に落ちている」場合がある。もちろん親子でそんなことになっているとは微塵も思っていない。「絵図なんて描かなくても」あるいは「参考程度に描けば答えが分かるからいらないんじゃない?」なんてことを本気で思っている人達である。残念ながら、永久に9才の壁は越えられない。落とし穴から壁を越えるのは不可能だからだ。可能でも気付いたときには12才の思考の臨界期を越えているだろう。そこからの巻き返しはできない。
●9才前後で人間は具象思考から抽象思考に移行できるだけのデータベースを構築します。ですから、この時期には抽象思考が出来るようになります。しかしながら、ここには落とし穴が待ちかまえています。この年齢での言葉や理論(理屈)で考えることが出来る思考は非常に限られています。しかしながら、思考回路網は最長でも12才までには作り上げられ、以降は刈り込みが始まります。すると、言葉や理論(理屈)を使わないで高度な思考を幼児・児童期に可能にするための方法が思考力養成の鍵であることが分かります。幼児・児童期の言葉や理論(理屈)はどんなに駆使して使いこなせたとしても直ぐに限界になってしまうからです。
●言葉や理論(理屈)で思考していた子供達は、複雑な課題を前にすると「もう考えることが出来ない・分からない」と思ってしまいます。ところが、常に明確な視覚イメージで(自分で描いた絵図を操作して)考えていると、この限界は感じることさえありません。それどころか、幼児・児童期であれば頭が柔軟な分、大人でも考えつかないような思考(視覚イメージ操作)を簡単にします。これが、本当の思考力養成です。視考力を活用した思考力養成が本格的に始動するのです。この方法での幼児・児童期の思考力養成は思考回路網作成そのものになりますし、大人でも切り口の多様化やヒラメキのキッカケになります。
●ところが、簡単な抽象思考が出来るようになると、この最も大切な視考力を活用した思考力養成を止めてしまう人(視考力を知らない人は論外)が出てくるのです。これが<9才の落とし穴>です。抽象思考が出来るようになったから9才の壁を越えたと思い込んでしまうのです。残念ながら、抽象思考は誰もが出来るようになるんです。そして、その時期が<9才の壁>の前にたどり着いたというだけのことで越えてはいないのです。抽象思考が出来るようになっても、視考力養成に最も効果のある具象思考(絵図で考える:もちろん本当の物を使ってもいいのですが大変手間がかかります)を続けることが<9才の壁>を越える唯一の道なのです。そして、思考回路網の刈り込みが始まる時まで視覚イメージの再現・操作を通して(視考力を活用して)思考回路作成を続けることが<9才の壁>を越えることなのです。自動的に誰もが移行できる<具象思考→抽象思考>をワザワザ<壁>とは呼びません。<専門家>でも勘違いしている人がいるようなので書いておきます。
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●デビュー作・「絶対学力」のサブタイトルを思い出してほしい。<「9歳の壁」をどう突破していくか?>です。...<どう突破>するかが、問題なのです。誰でも普通に<突破>するだけならできるんです。<どう>突破するのか。...そうです。絶対学力で突破するんです。...ね。最低の方法で突破するのか最高の方法で突破するのか。選択権は保護者にあるんです。
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