総索引
<葉隠>

●私の愛読書である「葉隠」は400年以上も前に書かれた(語られた)優れたイメージトレーニング指南書です。

……………………………………………………………………………………………
★「葉隠」より「葉隠」奈良本辰也訳編/角川文庫
→人間一生誠に僅かの事なり。好いた事をし て暮すべきなり。
→唯今がその時、その時が唯今なり。
→端的只今の一念より外はこれなく候う。一 念一念と重ねて一生なり。ここに覚え付き 候へば外に忙しき事もなく、求むることも なし。この一念を守って暮すまでなり。皆 人、ここを取り失ひ別にある様にばかり存 じて探促いたし、ここを見付け候人なきも のなり。
→不仕合せの時くたぶるる者は、益に立たざ るなり。
→名人の上を見聞して、及ばざる事と思ふは ふがいなきことなり。名人も人なり、我も 人なり、何しに劣るべきと思ふて、一度打 ち向かはば、最早、その道に入りたるなり 。(初発心時弁成正覚:最初に志を立てた ときに、正しい悟りを持つことが出来る)→「大雨の戒め」P211
→思想は覚悟である。覚悟は長年にわたって 日々確めなければならない。
→同じ人間として生まれた以上、いったい誰 に、何人にひけをとったりすることがあろ う。すべて修行というものは、おれ以上の 者はないと思い上がるほどでなければ役に 立たないものだ。
→武士道とは、死ぬことである。生か死かい ずれか一つを選ぶとき、まず死をとること である。それ以上の意味はない。覚悟して ただ突き進むのみである。「当てが外れて 死ぬのは犬死だ」などど言うのは、上方風 の軽薄な武士道である。生か死か二つに一 つの場所では、計画どおりに行くかどうか は分からない。人間誰しも生を望む。生き る方に理屈をつける。このとき、もしも当 てが外れて、生きながらえるならばその侍 は腰抜けだ。その境目が難しい。また、当 てが外れて死ねば犬死であり気違いざたで ある。しかしこれは恥にはならない。これ が武士道においてもっとも大切なことだ。→いざというときは特別にくるのではなくて 、いまのいまがそれだと、平素からよく考 え、心の中にたたみこんでおかなければな らないはずのものなのだ。
→大切なことはとくにそのことに関係のない 人に相談することだ。
→まさに現在の一瞬に徹する以外にはない。 一瞬一瞬と積み重ねて一生となるのだ。
→いまというときがいざというときである。 いざというときはいまである。そのいまと 、いざというときとを二つに分けて考えて いるから、いざというときの間に合わない 。いますぐに殿の御前に呼び出されて「こ れこれのことについて、その場で答えてみ よ」と言われた場合、きっと困るであろう 。それは、いまといざというときを二つに 分けて理解していることの証拠だ。いまの いまがいざというときだと、一つのものと して頭に入れておくことは、最後まで、殿 の御前に出て物が言える身分の奉公人には ならないかもしれぬが、いやしくも奉公人 であるからには、殿の御前であろうと、御 家老の前であろうと、また江戸城内で将軍 様の御前であろうとも、よどみなく言って 間違いがないように、寝る前にも練習して おくことだ。すべてがこのような調子でな ければならない。
→大事の思案は軽くすべし、小事の思案は重 くすべし。
→武勇の者と年若い者は、自分こそは日本一 だと大高慢でなければならない。しかし、 道を修行する一日一日のことでは、己れの 非を知ってこれを改める以外にはない。こ のように心の持ち方を分けて考えないと、 ラチがあかない。
→人の話を聞き、物の本を読むのも、そのと きの覚悟を決めるためである。とくに武士 道はいつどのようなことが起こるか分から ぬと覚悟をきめて、朝に晩に箇条を立てて 考えを練っておくべきだ。時の運で勝負は 決まるものである。恥をかかないような振 舞い方はまた別である。死ぬ決心があれば それでよいのだ。たとえそこでは負けたと しても、すぐに仕返しをすることである。 それをやるのに知恵も業もいりはしない。 剛の者と言われるほどの人間は、勝敗など 考えないで、なりふりかまわずただひたす ら死に向かって突き進むのだ。そこから本 当の自分がよみがえってくる。
→芸は身を助けるという諺があるが、それは 他藩の侍のことだ。鍋島藩の侍にあっては 、芸は身を亡ぼす。何か一芸を持っている 者は、芸者であって侍ではない。彼は侍で あるといわれるように気をつけなければな らぬ。少しでも技芸の心得があれば侍とし ての生き方に害になると知ったとき、それ らの技芸がはじめて役に立つ。
→何事も人より一段と高い所に立って見なけ ればならない。同じような場所にぐずぐず して、がたぴしひしめきあっているから、 はっきりと物が分からないのだ。
→三徳兼備などというと、普通の人間にはと ても出来ないことのように思われるが、難 しいことではない。智とは、人と相談する だけのことである。これが量りしれない智 なのだ。仁は、人のためになることをすれ ばよい。自分と他人を比較して、いつも他 人がよいと思うようにしてやりさえすれば すむ。勇は、歯をくいしばることだ。前後 のことを考えないで、ただ歯をくいしばっ て突き進んでゆくまでのことである。これ 以上立派なことは考えられない。
→人間の一生は、まことに短いものである。 好きなことをして暮らしたらよい。夢の間 に過ぎてゆく世の中を、嫌いなことばかり して、苦しみながら送るのは愚かなことだ 。しかし、このことを悪くとられては害に なる話だから、年の若い連中には決してし ゃべらぬ極意としておこう。