総索引】【読書感想ブログ:下記と同じ先生のブログです】
※是非、HPを訪問してください。子供達の変化がよく分かります。
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日々の思い
2009年2月12日 (木)
すごくすごく嬉しかったこと
うちに来てくれるようになって半年余りになる低学年の子がいる。うちに来る前、既に何年も某プリント学習をしてきたというその子は、まだ小さいのに数字を 見ると何とも言葉にしづらい反応を見せた。初めのうちはあらゆることに対して焦って答えを書こうとし、ちょっと分からないとイライラしたり、とてもとても 苦しそうな表情になったりしていた。しかし、そのうち、「数字」が書かれていない問題についてはどんどん変化を見せ始め、しっかり考えられるようになって いった。これなら大丈夫かなと思ったのだが、数字に関してだけは、見た途端、何か別のスイッチが入ったかのように慌てだし、ろくに考えずに答えを書こうと するか、焦って指を折って数えようとするか、完全に止まってしまうか、そのいずれもが数字を見ていないときのその子とのギャップを感じるようになってき て、まさか、もしかしたらこの子は「数字」に対して何か受け付けないんだろうか?もしかしたら何かあるんだろうか…とそんなことまで考えるようになり始め ていた。私では役に立たないのかもしれない…。本気でそう思い始めていたけれど、その子はいつもとても一所懸命で、実際、大きな変化を見せているところも たくさんあったから、今自分がやれることをやってみようと決め、それでやらせてもらって構わないかをおうちの方にもご相談させてもらった。私はそれしかで きないから、それがダメだったら無理して通って頂いても申し訳ないし、やり方を教えてくれるところはいくらでもあるのだし…。恐らく、そのお話をさせても らったときは、おうちの方も迷っておられたのではないかと思う。半年は短いけれど長い。これを続ければ確実に変化が見られるのならともかく、こればかりは なんの保証もない。それでも、辞めずにいてくださった。変化は突然訪れた。数字が書かれたプリントを前にしても、表情が比較的穏やかなままだなと感じるよ うになった日、明らかにこれまでと反応が違った。文章問題を絵に描いてもらうことすら困難だったのだけれど、表情が変わったと感じた日、苦労しながらも何 度も声を出して笑いながら、どうにかこうにか絵を描いてくれた。お迎えに来られたおうちの方に「なんかいい感じになってこられましたね」と声をかけると、 今週は明らかにおうちでも変化を感じられたとの答えが返ってきた。そして、その翌週のこと。それまでは見せると無表情になって固まるか、とても悲しい表情 になるかしていた文章問題を穏やかな表情で読んだ後、その子が笑顔で言った。「わぁ〜、楽しそう!」耳を疑うほど、思いがけない言葉だった。言葉にできな いほど嬉しい言葉だった。もちろん、まだスラスラとはいかない。それでも本当に明らかな、劇的な変化なのだ。文章問題を前にして、その子が笑っているのだ から。「楽しそう」と言ったのだから。最近、直接それを感じる機会があまりなかったのだけれど、改めて、小さい頃からの大量の機械的反復の恐ろしさを感じ た。長い間かけられていた悪い魔法から、今その子は解かれようとしているところなんだろう。どんぐり倶楽部のどんぐり先生が「人為的学習障害」という言葉 を使われているけれど、そういうことは本当にあるんだなと、改めて感じた出来事にもなった。
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2006年12月 1日 (金)「なんだったんでしょうね。。。」
一昨日のブログに少し書いたのだが、つい先日、最近通ってくれるようになった子と掛け算のレッスンをしていた。
その子はこれまでにそろばんや進学塾などでも勉強をしており、既に掛け算は筆算までやっていると聞いていたのだが、もともと、お母さんがどうも実感を伴っ ていないような気がすると感じられて尋ねてくださったという経緯もあり、復習を兼ねて教具を見せながら掛け算をやり直してみることにしたのだ。九九はもう 完全に覚えてしまっているため、それに少しでも実感が伴えばということで復習をしたわけなのだが、やはり先に入ってしまったものは抜けるはずもなく、テク ニックで答えを出し、その答えが合っているか合っていないかを確かめる術は持たないような状態だった。(そんな子は決して少なくないように思うけれど。) 九九の範囲はもう仕方ないなということで、2桁×1桁を教具を見ながら考えてもらう方へ移行した。教具を実際に目の前に置いているにも関わらず、既に答え を出す方法を知っているため、目で見た数を考えようとするより先に、そろばんをはじくように指が動いたりしている。
しかし、合わないときが少なからずあり、そのたび私が「これを見て。全部でいくつ?」と教具に目をやるように促すと、ようやくそれを見ながら考えるという 状態だ。もちろん、一気に変わるものではないことぐらいわかっているし、仮に計算に関してはテクニックである程度まで行ってしまっても、違った方向から刺 激を与えることでテクニックに実感が伴うこともあるだろう。けれど、正直大抵の場合かなり時間がかかるし、子どもも最初の壁を越えるまでかなり苦しそうに する。そこを乗り越えるのを放棄してしまえば、その子が変わることは難しいかもしれない。
まあ、そういう子どもは結構多いので、何も彼が特別なわけではないけれど、学校より先取りして学ぶものに関してまで、テクニックだけを優先させる意味はど こにあるのだろう?77×7を98と答えることに違和感を感じない状態で計算の方法だけ知っていることに、一体どんな価値があるのだろう?レッスンが済ん だ後、少し離れたところでレッスンを見ておられたお母さんがつぶやかれた。「いっぱいやってたんですけどね。なんだったんでしょうね、あれは・・・。」こ の親子はまだ幸せだ。低学年の段階でお母さんが実感がないことに気づき、どうにかしなければと思われたのだから。真っ白な状態からやるよりは少し時間はか かるかもしれないが、まだ充分取り戻せるはずだ。(もちろん、機械的反復学習を継続しなければの話だが。)けれど、気づかない親御さんの方がきっと多いのだと思う。
そうでなければ、こんなにも根強く「大量の機械的反復による学習」が広範囲で受け入れられるわけがない。あなたのお子さんは大丈夫だろうか?方法だけを覚えて、実感も何もないのにどんどん先に進んではいないだろうか?
子どもの大切な大切な時間を無駄にしないためにも、お父さん、お母さんが数年後に後悔しないためにも、目の前のお子さんの状態をきちんと見ながら、ゆっくりじっくり進んでいってもらいたいと強く強く思うのだ。
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2006年11月12日 (日)どうしても不思議なこと
このところ改めてしみじみ思うことがある。実はこの1、2ヶ月、パタパタと新規入会の子達が増えたのだが、その中に1年生の男の子が何人かいる。この時期 の入会なので、ほぼみんな何かしらお家の方が気になる面が見え始めて・・・という感じの子達だったため、苦手意識が消えるのにどのぐらいかかるかなぁと 思ってレッスンを始めた。
ひとりの子は、事前にお家の方からもちょっと心配な点などを少し伺っていて、そうか、ちょっと意識しておかなきゃと思っていたのだけれど、いざレッスンに なったら、初回からやる気満々の表情で登場してくれて、実際、レッスンでもすごく集中して終始頑張り続けてくれた。見ていても表情自体が「賢い顔」になっ ているのだ。初回に色々やってみたけれど、一体どのあたりがご心配だったのだろう?と思うほど、何の問題もなく、その後ひと月余り経ったが、今ではもう学 校より少し先のことまで進んだ上、明らかに計算が早く確実になったのが感じられる。もともと、お家の方は勉強の教室なんて通いたくないって言うんじゃない かとドキドキで連れてこられたようだったが、彼は相変わらずやる気満々の表情で教室に駆け込んできてくれる。別の子は、体験に来てくださったときのお話で は、2学期になって数日体調を崩して学校を休んだところ、急に算数が難しくなってしまったらしいということで、確かに何か苦手意識のようなものを感じた。 まあ、まだ学校でやっていることは限られているから、そう心配しなくても大丈夫だろうとは思っていたが、この子の変化は本当に早かった。まだひと月も経っ ていないのだが、既にまだ学校ではやっていない問題にも到達し、その理解もあっという間だったのだ。私もいい加減なもので、この教材を最初から順にやって いれば、すぐに学校を追い抜くことはわかっているのだが、どの内容までが1年生でどこからが2年生なのかを正確にチェックしていないため、十いくつ+ひと 桁の数で答えが20までのものは1年生の教科書ではまだ出てきていないということに気づいておらず、それまですんなり進んできていたので、そういう問題が 混ざっているプリントを何も気にせず、彼の前に置いたのだ。すると、彼が一瞬「こんなんやったことない」と言ったので、「あれ?そう?絶対できるよ。」と 言って、1問だけ十の位を隠して「ひと桁+ひと桁」の式にした状態で見せ、「これわかるよね?」と尋ねるとすんなり答えたため、「で、あとここに10ある から?」と指をのけながら尋ねると、あっさり正解。その後はスラスラと問題を解き始めたかと思えば、帰り際にはその問題の解き方をお母さんに説明までして いた。(笑)他の子達を見ていても、低学年であれば本当にあっという間に変化が見られる子が殆どで、特に、これまで勉強の習い事などをしていないというお子さんであれば、その変化は驚く速さで現れることが多い。そ してまた不思議になるのだ。私の教室のレッスンは高学年の一部の子などを除いて、原則週1回1時間だ。それに対して学校の算数の授業は少なくとも週3、4 回はあるだろうし、お家でドリルなどの宿題も出るのだろう。もちろん、学校はひとクラスの人数が多いということはわかる。しかし、4月から学校に通って 10月、11月まで授業を受けた子達が苦手になってしまったことを、延べ3、4時間で取り戻し、それ以上の力を発揮させることは決して難しいことではない というこの現実を目の当たりにするにつけ、一体学校ではどんな授業がなされているのか、どうしても不思議でならないのだ。教室を立ち上げたとき、友人の子 どもが来てくれた。彼女は1学期のおしまいで1桁同士の引き算に挫折していたという。しかし、教室に来てくれた最初の日から、彼女が算数ができなかったこ とはただの一度もないのだ。その後も、学校の算数が苦手になって来てくれた子達は少なからずいるが、低学年であれば殆どの場合、その苦手だった部分をクリ アして、それ以上の力を発揮してくれるようになるのに大した時間はかからない。当然私が魔法を使えるわけでもないし、もちろん、なかなかはかばかしい変化 が見られない子もいるにはいるが、確率としては極めて低い。とすれば、世の中の大半の子に短期間で効果があり、その方法は決して難しいものではないのに、 なぜ世の中に小さいうちから算数が苦手になってしまう子が跡を絶たないのか・・・それがどうにも不思議でならないのだ。
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2006年2月15日 (水):ここにも。。。

去年の11月頃から来てくれるようになった子達がいます。大手の中学受験塾が合わなくてということで来てくれるようになりました。彼らは二卵性の双子。顔も体型も全く違うけれど、本当に素直で無邪気で可愛い子達です。
来てくれた当初は正直言ってかなりの学力差を感じました。(以前、割合のことでブログを書いた子達です。)けれど、時が経つにつれ、最初不安だった子の方がどんどん安定して、じっくり考えられるようになってきました。
それに反して、最初は自信を持っていたはずの子の危険な状態が徐々に表面化し始めたのです。彼は式さえ分かれば計算は速い。学校などで習った直後のことは かなりできる。だから、自分が「自分の頭で考えていない」ということに気づいていないようです。これまで何度も「これ割るん?」とか問題を読んだ瞬間「わ からん。」とか「ヒント教えて。」とか、そんなことを言うたび、なるべく突き放し、最小限のヒントに留め、少しでも考えてくれるよう働きかけてきました。 実際、もうひとりの彼にもそうしていましたので、本当なら2人に同じような効果が出てもいいはずです。なにしろ双子ちゃんですし。生まれたときも育てられ 方もほぼ同じだったはず。なのになぜこんな状態なんだろう?と思っていました。その理由が今日分かりました。。。彼らは小1の頃から機械的反復プリント学 習塾に行っていたそうです。そして、そこではひとりはかなり進んでいて、もうひとりは苦戦していたそうなのです。かなり進んでいた彼は有名受験塾にもある 程度の間通い続けたそうです。そしてもうひとりの子は早い時期にリタイヤしたと。。。今この子達とレッスンをしていて感じるのは、プリント学習で苦戦し、 受験塾にも早々にリタイヤした彼の方が明らかに頭が柔らかく、イメージすることもできているということ。この子に関してはあまり心配をしておらず、今後十 分伸びるだろうと思っています。しかし。。。もうひとりの彼は、せっかくこれまで頑張ってきたのに、それが仇となっているのです。。。もちろんそれは彼に は言えませんが。。。本当に悲しいことです。同じ家で同じように育った子のこの差も、単に素質や能力の差という人もいるのでしょう。けれど私にはそうは思 えません。
反復に耐えた子の方がこれまでずっと塾や学校での成績はよかったようですから、もしかすると資質的にはその子の方がより伸びるものがあったのかもしれない のです。それなのに。。。「考えてみて」という言葉に彼はきょとんとします。「絵を描いてみて」と言っても、しばしば問題を踏まえない絵を描きます。けれ ど、もうひとりの子は短期間でかなり考えられるようにも、描けるようになってきました。少しずつイメージできるようになっているのを感じます。もちろん、 彼が諦めない限り、私は諦めません。ごく僅かながら、変化の兆しは見え始めているようにも感じます。初めの一歩は時間がかかるかもしれませんが、とにかく その一歩を彼自身の力で踏み出してもらえるようできる限りのことはしようと思います。ただ、やはり皆さんにお願いしたいのです。何度も何度も言いますが、とにかく幼児・低学年期に単純計算の大量な機械的反復学習はさせないでください。本当に心からお願い致します。
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2006年2月14日 (火):違和感(4)
私は小学校の教員免許も持っています。非常勤でよければ今すぐだってどこかの小学校で働けるかもしれません。(あ、年齢制限があったかもしれません が。。。(苦笑))ですが、正直な話、教員免許を取るために大学で学んだことなんて、笑ってしまうぐらい少ないのです。もちろん、授業はきちんと取りまし たし、殆ど出席もしていました。やりたい勉強でしたから、いい加減に取り組んだつもりはありません。けれど、実際のところ、もし教員採用試験にパスすれ ば、卒業したらもう「先生」と呼ばれ、子ども達を指導するのかと思うと、恐ろしく思いました。たったこれだけの勉強で取れる免許ってなんだろう?と。今、 子ども達と学んでいて役に立っている知識の殆どは卒業後に身につけたものです。学生時代に学んでいたことは殆ど覚えてもいません。そんな状態で先生になっ ている方も少なくないと思います。なのに、日々の業務に忙殺され、じっくり教材研究をしたり、指導案を作ったりということも殆どなく、その先生の授業を受 けている子ども達を想像してください。お断りしておきますが、私は小学校の先生を批判しているのではありません。先生方もお気の毒だと思っています。きっ と、本当はもっとしっかり研究したいのに、準備したいのに、そんなジレンマを抱えながら指導しておられる先生も沢山おられるのだと思います。(そして、い てほしいと思っています。)ただ、悲しいことに、現実は恐らく私の予想とそうかけ離れたものではないのではと思っているのです。昔は授業時間数もたっぷり ありました。だから、現場の先生方ももう少し余裕があったはずです。けれど、ここまで授業時間が削られ、行事は減らず、その中で授業を年間計画通りに進め なくてはならない。今の先生方は本当にお気の毒です。けれど、それを選択したのは先生方ご自身だとも言えるのです。(私にはその能力がないと思いましたの で、教員にはならないと決めましたので。)何よりも子どものことを最優先してもらわなければ困ります。それでなくても、小学校低学年まで、場合によっては 小学校6年間は、子どもの発達の上で最重要時期とも言えるのですから。あぁ。。。すいません。。。どんどん収拾がつかなくなってきていますね。これを書い ている途中でK先生のブログを読み、また別のタイトルで重複する内容を先にアップしてしまったりもしていますので、このお話は一旦このあたりでまとめさせ て頂くことにします。これを書いている間に、自分が書いた卒論のテーマのことを思い出したり、会社員になって間もない頃感じた「学校」や「先生」に対して の思いなども思い出したりしました。またそちらも追々書かせて頂こうと思います。とにかく、誰でもひとつのことを見詰め続けていると、どんどん視野が狭く なって行きますし、他のいいところや今あるものの悪いところなどに気づかなくなっていくということはあると思うのです。中にいると見えないもの、気づけな いものがあるのだということを、私自身ももう一度意識していかなければならないなと思います。
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念のため
以前から「読書感想ブログ」の方では何度か書かせてもらった気もするのですが、もしかするとこちらしか読んでおられない方もおられるかもしれませんし、誤 解のないよう、念のためもう一度書かせて頂こうと思います。今では教育関係者、小学生までのお子さんを持つ親御さんで知らない人はいないのではというほど 有名になられた陰山先生。
先日、先生の支持者達が集っておられるらしい掲示板での議論を目にし、思わずブログに感想を書いてしまったところ、思いがけずどんぐり先生のサイトでご紹 介頂き、このところ、どんぐりさんからいらしてくださっている方も結構おられるようです。もしかすると、陰山先生の掲示板の関係者の方も読んでくださって いるかもしれませんので、尚更きちんとお伝えしておこうと思いました。私は陰山先生の山口小での実践報告を初めて本で読んだとき、本当に素晴らしいと思い ました。学校だけに留まらず、地域ぐるみでの実践。当然家庭でも親御さんたちが一所懸命朝から食事を作り、早寝早起きをさせ、挨拶をさせ、そんなことをや り遂げた結果、子ども達が伸びたという報告は本当に素晴らしいと思いますし、それを続けるには相当の努力が必要だったに違いないと思います。けれど、それ をやれば間違いなく子どもは伸びるだろうなと、それは本当に心からそう思っています。(そのあたりは恐らく、K先生も同じようなことをお感じなのではと思 いました。)陰山先生の実践をトータルで採り入れ、実践されるのであれば、恐らく多少100マスをやったって、さして害はないのかもしれないとも思うので す。実際、私達が子どもの頃にも計算ドリルは存在しましたし、ある程度は反復もさせられていましたから、100マスだって、1日1枚程度なのであれば、強 烈な副作用が出るということもないのかもしれません。(もちろんそれも個人差があるとは思いますが。)
ただ、まだ書き終えていませんが、「違和感」というブログで書かせてもらっているように、小学校の先生方はとてもお忙しい。その分、手軽に導入できる 100マスや漢字学習の前倒しなど、反復を必要とする部分だけを導入している先生もおられるような気がするのです。(子ども達の話を聞いていても、100 マスをやっている先生は結構おられるようですし)おまけにご家庭でも、書店で手軽に購入でき、メディアでは効果だけが紹介されているとなれば、他の実践は 抜きにしてそれだけをやらせているということもあるのではないかと思うのです。だとすれば、結局、私は最も恐れている「機械的反復学習」でしかなくなって しまうのではないかと、そのことを危惧しているのです。学校での学習内容はかなり削られ、簡単になってしまったことは多くの方が知っている通りです。単純 計算を鍛え、反復で漢字を覚えこみ、音読をさせていれば、恐らく小学校の間はある程度テストでも点が取れ、表面上問題が見えてこないということもあるのだ と思います。また、1クラスに30人、40人の子がいるのですから、優秀な子をより伸ばすということよりも、落ちこぼれを出さないことを優先した授業計画 がされていてもなんら不思議はありません。そういう意味では恐らく「100マスは効果がある」という結論になるのかもしれません。落ちこぼれは減らせるか もしれませんが、そのかわり、伸びるはずだった能力を潰されていても、それを証明する方法がない限り、先生や学校の責任は問うことは困難でしょう。そこが 何よりも怖いのです。陰山先生は講演などで100マスのことは殆どお話されないというようなことを読んだような気がします。仮にそうだとしても、先生のこ とを知っている大人に「陰山先生といえば?」と尋ねれば、かなりの確率で「100マス計算の人」という答えが返ってくるのではないかと思うのは私だけなの でしょうか?ご本人の意図と違った状況になっているのかもしれませんし、先生ご自身は100マスを推奨しているのではないのかもしれません。けれど、もし そうだとしたら、もっともっと先生ご自身が「私はそんなこと言っていない。トータルの実践なしに100マスだけをやったって効果は望めない。」ぐらいのこ とを言って下さってもいいのではと思うのです。ご自分がどれだけ有名になっておられるか、影響力がどれだけ大きいか、そのことをもっとしっかり感じて頂き たいと思うのです。。。とにかく私は、子どもの無限の可能性を潰す危険のあることは、極力避けるべきだと思っているというだけのことで、特定の誰かを非難 しているのでもなく、活動を妨害しようとしているのでもありません。陰山先生を支持する方は先生の実践全てを支持し、実行してほしい。手軽な部分だけ取り 出して、それだけを反復させることは危険だと知っていてほしい。それが私の今の気持ちです。
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2006年2月13日 (月):言い知れぬ恐怖・追記
今、K先生のブログを覗いたら、記事を削除されていました。私自身の先ほどの記事は、陰山・・・の掲示板で記事をどうこうしたということに対して書いたの ではなく、K先生の消えてしまったブログで、掲示板管理者がある方へ送ったメールの中に「陰山先生の活動が誤解される」というような趣旨の文章があったこ とに対してでした。K先生のブログに寄せられたコメントを見る限り、記事を自ら削除された方は少し問題のある方だったのかもしれませんし、それをご自分で 全て削除されたのですから、そのことに対してどうこうという気持ちはありません。そうではなく、「陰山先生」のされていることを「誤解」されるという表現 にひっかかったのです。物事には常に表と裏があると思うのです。どんなに素晴らしいものでも完全なものは存在しないのではないかと思っています。特に教育 に関して。だからこそ、日々みんな悩み、迷い、よりよいものを求めているのだと思います。それが今、私にとっては「考える学習」「学びとる学習」なので あって、もしもこの先、更によいと思えるものが見つかれば、きっとそれを採り入れることになると思います。もちろん、投稿者のこれまでの発言自体に色々問 題があり、それに対して管理者が「できれば投稿を控えて下さい」と申し出ただけなのかもしれません。けれど、管理者が陰山先生の実践の危険な面を一切認め ていないのは事実だと思うのです。そして、その実践を信奉する方たちが離れていかないよう、不適当な発言をしないように求めているようにも感じてしまうの です。もちろん、管理者ご自身が陰山メソッドの信奉者でおられるのだと思いますが。。。ずっとずっと思っていて、まだまとまらないのですが、「誰がやって もお手軽にできてすぐ効果が出る教育」なんてどこかおかしいのではないかと思うのです。量産できて量販できる。その時点で「本物」とかけ離れていくような 気がするのです。少なくとも幼児・小学生の教育に関しては。。。
だって、子どもは一人一人違っていて、きちんと見守ってあげなければ本当の効果は出ないはずですし、躾ひとつとっても、言ってすぐできるなんてことはない はずです。だから、小さい子向けの「お手軽学習教材」はまずは疑ってかかるべきなのではないかと思うのです。中には素晴らしいものだってあるかもしれませ ん。でも、とにかくまず疑ってかかる。それが大事なのではないかと思っています。今時間がないので、ひとまずこのあたりで。。。
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言い知れぬ恐怖
さっきK先生のブログを読んだ。今日はブログをご紹介くださったどんぐり先生にメールのお返事を頂き、陰山学級掲示板の管理者が教育者でなく、一般企業の会社員であることを知った。その上でのK先生のブログ。。。
私はなんだか背筋が寒くなった。大人はどこまで子どもを喰い物にしていくのだろう。もちろん、素晴らしい大人も沢山いる。そんな方たちがいるから、素晴ら しい子どもも育っている。けれど、ずっと思っている。少し前では「援助交際」や「出会い系サイト」を使った犯罪などが連日のようにテレビをにぎわしていた ことがあったけれど、それを作ったのも大人。子どもを喰い物にしているのも、紛れもなく大人なのだ。有害図書や有害視されるゲームなども全部そうだ。本当 に子どものことを考えるなら、絶対に守るべきルール、モラルがあるはずだ。けれど、売る側にそんな視点はあるようには思えない。そんな大人はきっと、みん な自分のことしか見えていないのだ。伊藤先生が言うように「視野の狭い」大人なのだ。私はいつも思う。自分だけ、自分の家族だけ、自分の子どもだけ。。。 そんな考え方はもうやめようよと。もちろん、私だって自分は可愛いし、家族は大事だ。何かあれば、知らない他人ではなく、親を守るだろう。けれど、自分や 自分の大切な人を守るためには、狭い世界だけ見ていてはどうにもならない社会になっているのではないのだろうか。どんなに気をつけていたって不慮の事故は 起こる。それは誰もが避けられない。けれど、減らせる事故や犯罪は圧倒的に沢山あると思うのだ。お子さんがおられる方は皆さん、少し考えてみてほしい。自 分の子の幸せを願い、必死に子育てをし、場合によっては「将来の幸せ」のためと思い、小さい子に必死で勉強をさせる。その結果、志望校に合格したものの、 ある日突然その子が誰かを殺したらどうする?勉強だけを詰め込んだ結果、心が育つことのないまま、訳のわからない犯罪や事件を起こしている人間は決して少 なくないと思うのだ。手塩にかけて育て上げた子が、ある日突然、見ず知らずの人に殺されたらどうする?それはどうしようもないことだったというしかないか もしれない。けれど、そう言って諦めたら、世の中何も変わらないのだ。子どもを歪めるのはやめよう。子どもを喰い物にしてお金儲けするのはやめよう。素敵 な子ども、幸せな子どもが増えれば、絶対社会は変わる。学歴だけは立派な政治家が国民の税金をバカみたいに無駄遣いして、自分達の幸せしか考えていない現 実を私達はどれだけ聞いてきただろう。子どもをそんな大人にしてはいけないのだ。子どもを喰い物にしたら、きっと必ずしっぺ返しがくる。どんな形でかはわ からない。我が子が犯罪者になるという形かもしれない。喰い物にした子が力をつけて社会を牛耳る日がくるかもしれない。そのときになって後悔したって遅い のだ。世の中には心ある大人が沢山いることを知っている。「ムダだったかもしれない。。。」「何も伝えられなかった。。。」そんな思いを抱きながらも、諦 めずに頑張っている方が沢山いることを知っている。私の尊敬する素晴らしい先生方でさえ、何度も何度もその無力感を感じておられるに違いない。けれど、諦 めたらそこでおしまいだ。自分が変えられる、伝えられる人は限られているかもしれない。けれど、諦めなければ、いつかきっと「本物は残る」。そう信じた い。
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2006年2月10日 (金):違和感(3)
知らない方がいいこともあるでしょうけれど、子どもの教育に関して「知らない方がいい情報」なんてないと思うのです。できる限り沢山の情報の中から取捨選 択をする。子どもに関することはまずはどんなことでも知りたいと思っています。けれど、お母さん達は自分のお子さんしか目の前にいない。学校の先生達は もっと子ども達との学習に時間を割きたくても、時間が絶対的に不足している。(特に小学校の先生がそうだと思うのです。部活の顧問をされている中学の先生 とかはまた別の話として。)少し話が逸れますが、正直言って小学校の先生は忙しすぎると思うのです。というか、本気で毎時間教材研究をして授業に臨むのは 残念ながらほぼ不可能だろうと思っています。もちろん、私が直接現場を知っているのはもう遥か昔、大学生のときに行った教育実習でのことですから、今は多 少何か変わっているかもしれませんし、一部「教科担任制」なども導入されているようですが、普通にひとりの先生がそのクラスの子の全教科(図工や音楽は専 科の先生がおられたりもするでしょうけれど)を指導するのであれば、毎時間の授業の準備をバッチリするのは不可能だと思います。実際、教育実習に行ったと き、数時間だけ授業を担当することになり、その指導案を作りました。もちろん学生なので、指導教官の手直しなどが入ったり、やり直したりということもあ り、余計に時間はかかりますが、いくら慣れている先生でも教材や教具を考えたり、1時間のうちにどこでどんな質問をして、板書はこんな風にして、この質問 をすればこんな感じの意見が出るだろうから、次はこう繋げて。。。そんな計画を立てるためにはそれなりの時間がかかるはずです。おまけに、目の前の子ども が変われば教材が同じでもまた練り直し、教科書は3年に1回改訂になる、担当する学年も大抵は1年ごとに変わる。当然授業以外にもしなければならないこと が山ほどあって、その上で授業の準備。それも、一番驚くのは、担任しているそのクラスで1時間授業をしたら、その指導案は少なくとも今年は二度と使えない のです。たった1回45分や50分の授業のためだけに完璧な指導案を作るのはあまりにも効率が悪い気がします。そして、実際のところ、それは不可能だと思 うのです。(現場の先生で、私は毎時間完璧にやっているという方がおられたら是非名乗り出て頂きたいほどです。もちろん、私の能力が低いからだと言われれ ばそれまでですが、私には不可能です。少なくとも、完璧な授業計画を立て、指導案を作り、学校行事その他の業務もこなした上で何年も教員を続けるなんて、 私の能力では120%無理です。体が続きません。。。)もちろん、素晴らしい先生が沢山おられるのはわかります。私自身、素晴らしい先生方との出会いが あったからこそ今があるのですから。けれど、悲しいかな、そうじゃない先生もおられるのは事実だと思うのです。本当に真面目で熱心な先生は、多分体を壊 す。体じゃなくても「心」を壊す。そして、続けたくても続けられなくなっていくのだと思うのです。どんどん話が逸れている気がしますが、小学校で教科担任 制にするのは難しいのでしょうか?今の子達は殆どが習い事などで色々な大人から何かを習っていますし、教科によって先生が代わったって、それは平気な気が します。そうすれば、先生達だって、ひとつの指導案で数クラスの授業ができる訳ですし、その教科に関してもっと深く研究したり、教材や教具を作ったりする 時間だって生まれるのではないのでしょうか?先生に余裕ができると、きっとよりよい指導ができるようになると思うのです。子ども達にとっても幸せなことな のではと思うのですが、どんな問題があるのでしょう?(違う方向に行ってしまいそうですが、まだつづきます)
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2006年2月 9日 (木):違和感(2)
うちの子達は週1回1時間のレッスン、宿題は迷路やパズル、積み木遊びみたいなものも含めて週に10枚。ホントにそれだけしかやらないのに、学年よりずっ と先のことまで学習しているし、頭も柔らかいまま。人間性も全く歪んでいる様子もありません。ですから、少なくとも幼児から低学年の間に危険だと言われて いる反復学習をさせる必要性を一切感じないのです。それどころか、その学習を併用している子は明らかに伸びが遅かったり、下手すればできていたことさえも できなくなったりしているのですから、少なくとも私のところに来てくれている子のお母さん達には「絶対させないでください」とお願いしているのです。それ でもまだやろうかどうしようか迷う人がいる。併用ならいいじゃないという人がいる。毒になる可能性が高いのに。。。そんな思いで本当に悲しくなりました。 けれど、別のことでも言い知れぬ違和感を感じていました。それは、100マスや機械的反復を肯定している方や迷っている方の発言の中に、どうみても主役で あるはずの「子ども」への視点が抜け落ちているとしか思えないものが少なからずあったということです。もちろん、それは私がそう感じただけで、実際には皆 さん、子ども達のことを考えておられるのかもしれません。けれど、一番優先され、守られるべきは「子ども」であり、「子どもの才能」であると思うのです。 危険視する声があるのであれば、もっと真摯に検討すべきなのではないのだろうかと思えてなりません。私がまだ見つけていないだけかもしれませんが、「考え る学習」「実感する学習」を批判し、弊害を述べたものはあるでしょうか?あるなら見せてほしい。無理矢理考えるとすれば、例えば単純な計算問題の羅列に抵 抗を示し、やりたがらない。そんなことはあるかもしれません。けれど、それは楽しくないからやりたくないだけで、できない訳ではありません。少なくとも 「致命傷」などというレベルでの危険は「考える学習」「実感する学習」にはどうしても考えられないのです。
一方は安全性が高く、確実に力がつき、子どもも楽しんで学べる。他方は危険性が高く、単純計算のみ速くなり、楽しいとしても一時的、表面的なものでしかない。その2つを比べてどちらを選ぶかに迷う余地などあるのでしょうか?正 直言えば、私だってほんの数年前までそんなことは知りませんでした。ただ、その危険を唱える先生や本に出会い、そこから色々な本を読み、話を聞き、実際の 子ども達を前にしながら、幼児・低学年期の「考えない学習」がどれだけ危険で子どもの能力を潰すのかを実感し、その思いは日を追うごとに強まる一方なので す。私自身、もう後悔をしたくないのです。塾に勤めていたときに知っていれば、もっと伸ばしてあげられた子達がいたはずです。(つづきます)
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2006年2月 8日 (水):4年生の彼
教室の立ち上げのときから来てくれている現3年生と4年生の子達は、しばしば驚かせてくれます。3年生の彼女達のことは何度か書いていると思いますが、今 回は4年生の彼。 彼は数ヶ月前にピグマリオンの教材をひと通り終え、現在は少し難しめの5年用のワークとどんぐり倶楽部の文章題、算数パズルなどをやっています。 5年生の内容は彼にとってはほぼ全て復習内容なのですが、とりあえずまだ4年だし、受験の予定もないので、再度復習をしているという状態です。その彼との 昨日のレッスンでのできごと。昨日、どんぐりの文章題にこんな問題が出てきました。 「ハム太郎とチュー助が運動場で2kmマラソンをしました。運動場は1周400mです。ハム太郎はチュー助が1周する間に160m先まで走ることができま す。 では、ハム太郎がゴールしてからも走り続けるならば、チュー助がゴールしたときハム太郎はスタートしてから何周したことになるでしょうか。走る速さは変わ らないものとします。」 この問題には多分いくつものハードルがあります。文章題が苦手な子ならこんな状態になると思います。 まず、2kmと400mの単位が揃っていないことに気づかずひっかかる、もしくは単位換算でひっかかる。 そこをクリアしても2000÷400は当然筆算。5周と出たとして、160mに5周をかけるという発想がすんなり出るかどうかも子どもによっては微妙。仮 にそこもクリアしたとして、800÷400もやはり筆算。そしてようやく2周が出てきて、最後に2+5をして答えの7周に辿り着くという感じになるのでは ないかと思います。 そもそも、どんぐりの文章題は1週間に1題でいいとも言われているぐらいですから、結構難しいものが多い訳です。(難しいというか、じっくり考えなければ わからないようなというか。) それなのに、昨日の彼。。。 問題を読み終わるや否や 「んと、5周やな。(既に2000÷400が終わっています。。。)」 そして 「え〜と、160で5やから。。。800!2周や。(秒殺です。。。)」 最後は「んと、7周やな。(終了しました。。。)」 彼のプリントには「7周」という文字だけが書かれていました。。。(苦笑) とりあえず答えが出た後でやったことの式を書いてもらうこともありますが、とにかくホントにすごいんです。 けれど、実はこの彼も2年の夏に来てくれたときには単純計算は結構速いけど、文章題は嫌い。。。ってタイプの子だったんです。
うちに来てくれるようになってからも当然そろばんやら機械的反復プリント学習やらは一切やっていないんです。それが今ではこの状態。私がついていけないこともあります。(苦笑) 彼の頭の中を見てみたい。。。しばしばそんな思いに駆られます。(笑)
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2006年2月 7日 (火):違和感(1)
最近、ブログでお知り合いになった方々のブログを訪問していて、あるブログで私がとても危惧している「機械的反復学習」のプリント塾のことについて議論が 交わされているのを読ませてもらいました。そして、そこから繋がって、100マス計算で有名な陰山先生の掲示板に辿り着きました。そのどちらでも、多くの 保護者の方や学校の先生、塾の先生たちが色々な意見を書いておられるのを読みながら、何だかうまく言えない違和感を感じました。
以前から何度かご紹介しているK先生が、私が読ませてもらったブログのどちらにも登場しておられ、おっしゃっていること、信念として持っておられること、 それらは常に筋が通っており、とても共感できたのですが、他の多くのコメントを読みながら、私は何だかよくわからないのですが、とても悲しい気持ちになり ました。幼児期の機械的反復の危険性を訴えている人は少なくないかと思います。けれど、多くの大人たちは「もしそんなに危険ならもっと規制されているん じゃないの?」とか「少しぐらいなら大丈夫じゃないの?」とか「わからないけど、みんなやってるし、歴史もあるんだから」とか、そんな判断で取り組ませて いるように思うのです。私自身、どの程度までは大丈夫でどこからが危険なのかはわかりません。恐らく、どんなに研究が進んでも正確な数値が出せるようなこ とではないのではないかと思います。子どもの性格やそれまでの育てられ方、家庭環境などによっても差が出るであろうことが容易に予想できるからです。幼 児・低学年期の機械的反復の危険性を挙げる先生方の多くは、そのかわり「じっくり考える学習をしましょう」であるとか、「しっかり外で遊びましょう」であ るとか、「自然に触れましょう」であるとか、その代替案(私はそちらの方が圧倒的に重要だと思っていますが。)を提示しておられることが殆どですし、危険 性を感じるようになったのは、実際にご自分が指導されてきた上でという方も多い訳です。おまけに、その時期の機械的反復学習を否定している先生方の多く が、じっくり考える学習をさせた結果、確実に成果をあげておられる訳です。少なくとも、私が知る限り、機械的反復学習に警鐘を鳴らしておられる先生方で、 代替案も出さず、子どもの能力を伸ばすこともできていない先生はおられないのです。(もちろん、中にはおられるのかもしれませんが。)とすると、
なぜそこまでして、大切な時期に「機械的反復学習」に拘るのかがどうしてもわからないのです。
仮に、考える学習をさせることが経済的な負担が大きいであるとか、準備に時間がかかるであるとか、そういうことがあるならまだしも、決してそんなことはないのです。
ずっ とずっと思っていることです。安全性の確認されていない、副作用がきついお薬があったとしましょう。特定の症状にだけは効果があります。けれど、安全性が 確認されていないのです。その症状を改善、もしくは完治させるために、安全性の確認された価格もほとんど変わらないお薬があっても、前者のお薬を服用する 人は世の中にどれだけいるのでしょう?もし、それでも前者のお薬を飲むという方はそれもひとつの選択ですから、それ以上私がどうこういうことはありませ ん。けれど、後者のお薬を選ぶ、もしくは、少なくとも安全性の確認されていないお薬は飲まないという方なら、ど うして迷いながらも危険かもしれない(危険だと断言してもいいかもしれませんが)機械的反復学習を選ばれるのかがどうしてもわからないのです。他に選ぶも のがないのならまだしも、それがそこにあるのになぜ?どうしてもそう思うのです。何よりも大切なお子さんのことなのに。。。
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●下記はどんぐり先生のコメント
>>私が寒気を感じるのは子供を見ることなく、家庭生活などの「それらしいこと」を言うことで肝心の弊害を見えなくするという手法をとっていることです。毒薬を売るために「健康維持には適度な運動が大事です」と言っているように聞こえます。