総索引

<リタラシーの貧弱さ:視覚イメージを十分持っている大人には有効でも、持っていない子供には無効です>
●暗唱用に作られた音声教材や文字教材を言葉の入力用として使い学力を育てられるような錯覚をしている人がいるようです。
 暗唱の真価は自分のスピードでジックリと物語を味わうために視覚イメージ再現のトリガーとなっている言葉(音声)を連続的に記憶できることとです。それなのに視覚イメージを再現できない状態で音(言葉)だけを暗唱させるという全く無駄なこと(貴重な時間の浪費)をしている。言葉(音声:音)だけの暗記には何の意味もありません。言葉とは視覚イメージの音声化を記号にしたものです。視覚イメージがなければ全く価値はありません。先に言葉だけでもというのは弊害があるだけです。順番が逆です。なぜなら、人間は視覚イメージで考える動物だからです。
……………………………………………………………………………………………

<京都大学霊長類研究所>
 わたしたち人類の祖先と、一部の猿の仲間はやがて再び地上におりて生活をはじめるが、視覚優位の脳はそのまま残された。人はその後音声言語を用いるようになったので、聴覚の重要度は猿よりは増していると推定されるが、それでも聴覚に関連した大脳皮質の領域は側頭葉の上部に限られており、視覚優位の特徴は保たれている。
 人の仲間である霊長類はこうして視覚が良く発達した。ニホンザルと近い関係にあるアカゲザルで調べると、視覚に関連した大脳皮質の領域の総面積は、大脳新皮質全体の約55%にもなる。この面積は、聴覚関連の領域の総面積約3.4%を大きく上まわっている。(55÷3.4×100≒16倍)ニホンザルで学習課題を教えるときも、視覚刺激を手がかりとした学習課題は比較的簡単に教えることができるが、聴覚刺激を手がかりとした学習課題を教えるのはなかなかほねがおれる。これとは逆に、ネズミを訓練するときは、聴覚の方が視覚よりも簡単である。→
参考(・感覚の仕組み→・霊長類は視覚動物を開いてください)
……………………………………………………………………………………………
●自分の子供をネズミ扱いしたい親がいるとは考えられませんが、いろんなところでヘンテコリンなことを聞きます。
※尤もらしく「言語教育の基本は音にあります→音声入力でいい」ということを耳にしますが。
言葉の本質を知らない危険行為です。
 どんなに多量の言葉を知っていても体験の裏付け(特に視覚イメージと言葉とのリンク)がなければ貴重な時間の無駄遣いです。
※母国語の場合でさえも言葉の習得の前には必ず視覚イメージの体得(体験)があるのです。視覚イメージを抜きにした語学修得は無理無駄の連続です。
言葉を100個覚えていても、その言葉と繋がる体験(主に視覚イメージの作成)を一日ですることは不可能です。何年もかかるのが普通です。ところが、反対に体験(視覚イメージの作成)を100個持っていたら、その体験(視覚イメージの作成)と言葉を繋げることは一日で可能です。数分でも可能でしょう。順番を無視した教育は致命傷を与えます。味付けに最初に塩をいれててはいけないのと同じです。これは教育の基本中の基本です。人類への進化の基本でもあります。くれぐれもご注意下さい。
※もちろん入力がなければ出力はありません。しかし、
消化・吸収力がなければ、どんなに入力してもゼロなのです。消化・吸収力とは感じる力・味わう力です。感味力です。この力は「ゆっくり・ジックリ・丁寧に」でなければ育たないようにできています。高速or多量学習が乳幼児には致命傷になる理由です。


総索引