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名前のない学習塾
2010年04月29日:工夫をどこでするのか1
本日を持って閉じられることになるどんぐり掲示板のアマドックさんの質問 に、私なりに答えられたら、と思ったんだけれど、わたし・・・掲示板に書き込もうとすると、はじかれるんですう。 嫌われてるのかなあ、いじい じ。しょうもないこと書きこまんといて、ってメッセージなのかなあ、いじいじ。ということで、こちらに。だれかアマドックさんに伝えてくださ〜い。もう来 ない、て書いてはったけど、もう、一回くらい見はれへんかなあ・・・・。先生がアマドックさんへのレスの中で引用してるメールのやりとりは私とです。は い、成田講演会の5日前に、先生からこの資料を配布してね、と送られてきたのを見て、ああ。先生、これは。みんな混乱しはる。そもそもこの計算の過程を追 える人が何人会場にいてはる?絶対にわかれへん。それに工夫するのがどんぐりちゃうの、って賢いお父さんたち思うよ私もまだわかってへんのに。と思って、 「これは、成田ではやめましょう」と返信した時のやりとりです。その資料というのは、ひとつめは、開成中学の入試問題(計算問題)一つずつ、小数は分数に 直し、帯分数は仮分数に直し、割り算はかけ算に直し、約分し、分母を払い・・・・と22段階を経て解いています。ふたつめは、「1+9/40+0. 005」を40000で通分して解いています。
私の質問はアマドックさんとまったく同じです。以下がその時のやりとりです。
>この計算は9÷40が割り切れることが予測でき、計算すると0・225で0.005と合わせると0.23になり、1と合わせると1.23と簡単に答えが出ると思うのですが、
このように工夫をすれば簡単にできる場合でも、必ず分数計算に持っていくことが必要だということでしょうか?
●必要です。
>また、40と1000を通分するのに、4000や2000のほうが小さくていいと思いつく人もたくさんいると思うのですが、それも40000でなければいけないということでしょうか?
●そうです。
>このあたり、疑問に思うお父さんたちが多いと思います。(私もですが・・)
いつも「工夫する」と言っているのに、計算は工夫しないでパターンどおりや りなさい、というのが納得できていないところです。25×2や40÷2を筆算でやらないと答えを出せない中高生たちを見ているのもありますが・・・。筆算 をやってはいけないということではなくて、数や計算のイメージがまるでないんです。
●計算なので、どうでもいいんですが、先につながる準備をすべきですね。
>9÷40が割り切れることが予測でき..できない場合は?
>小さくていい...ことはないんです。最小公倍数が簡単に見つかるときは 見つける?見つからないときは?という混乱させる方法はとらせない。余裕のある子は、どっちでもいいんですけどね。計算の手順は、どんな場合にでも使える 方法でシンプルな方がいいんです。計算は工夫しない。工夫の中身が異質です。するならば、応用の聞く工夫であるべきです。その工夫は、手間がかかっても基 本通りにする。文章問題なら、分かってても絵図を描く、と同じです。
・0.12×3.4=12/100 × 34/10 = 102/250=51/125=0.408(必要なら最後に小数化
の割り算...これは簡単だし必要)
・0.12÷3.4=12/100 ÷ 34/10 = 12/100 ÷ 34/10=12/100×
10/34=6/170=3/85...ココまで
※先に繋がらない学習を習熟させてはいけない
例1:1/2 + 5/6 = 
×→3/6 + 5/6 = 8/6 = 4/3
○→6/12 + 10/12 = 16/12 =8/6=4/3
例1:7/130 + 5/14 =
×→(7*7+5*65)/910
○→(7*14+5*130)/130*14
=(7*2*7+5*2*5*13)/2*65*14=(7*2*7+5*2*5*13)/2*5*13*2*7=(49+325)/910=374/910=187/455
先に繋がる→高校数学新編数学II 数研出版
P.11→(χ2-χ)/(χ2-1)=χ(χ-1)/(χ+1)(χ-1)=χ/(χ+1)
P.12→(χ2+χ)/(χ+2) ÷ (χ+1)/(χ2-4)
 =  (χ2+χ)/(χ+2) × (χ2-4)/(χ+1)
 = χ(χ+1)/(χ+2) × (χ+2)(χ-2)/(χ+1)
 = χ(χ-2)
●実は、上記の疑問は、計算問題を沢山するからおこる不満から出てくる疑問なんです。小数数計算を年間数問しかしないとすると、その数問のために最小公倍数を見つける練習をするかというと、ます、しませんし、応用も利きません。
先に繋がる→高校数学新編数学II 数研出版
P.11→(χ2-χ)/(χ2-1)=χ(χ-1)/(χ+1)(χ-1)=χ/(χ+1)
P.12→(χ2+χ)/(χ+2) ÷ (χ+1)/(χ2-4)
 =  (χ2+χ)/(χ+2) × (χ2-4)/(χ+1)
 = χ(χ+1)/(χ+2) × (χ+2)(χ-2)/(χ+1)
 = χ(χ-2)
>ここまで来て、やっと「先につながる」が理解できました。
●というより、ここしか使わないんです。理科に関しては、最終的に(実験 データをとる場合に)小数を使いますが、その時でさえも概数にします(小数2〜3位)。例えば 3/10 という値を小数で記録すると  0.333333333333333333333 と循環小数になりますね。ですから  3/10 が正しい表現であり、グラフに変換する場合もx方向に10進めてy方向に3上がった場所に点を打って原点と結び、x軸の 1 のyの値を求めれ ば正確な位置も分かります。
>算数が苦手な子どもは数が大きくなればなるほど、イメージができなくなり ます。3/6が1/2と同じだということはイメージできても、もっと大きい分数になるとイメージできなくなります。また、40÷2が10円玉4こを2人で 分けるとかにつながらない。「イメージができていない」のに、形式を教えるということに疑問を持っていました。でも「計算だからどうでもいい」「数を多く やるから出てくる疑問」に納得しました。本当は計算問題以外のことでイメージはできていないといけないんですよね。それがなくて、計算問題しかやっていな いから、今の状態になっているんですものね。工夫して計算しなさい、では問題の解決にならないと納得しました。
●そうなんです。数を感じられるのは20までなんです。あとは、感じられな いから数字と単位で仮想体験(想像)するんです。もともと、「数量感覚」という言い方をしますが、数と量とは全く異なる性質のものなので同時には習得すべ きではないんです。数は指だけ、量は体感(目では比較しての広さ、手では重さ)で基本量を知るくらいなんです。大人でも4.2トンといわれてもピンとこな いし、4兆3千万円と言われても分からないのが当たり前です。「数量感覚」という言葉に踊らされてはいけません。基本数量のみを感じて、応用できるように する。途中の計算式は数字の操作に徹する。なぜなら、立式時点では2×8と8×2は意味が異なりますから交換できませんが、計算途中では自在に組み換えて 計算しやすいようにします。立式と計算は別なんです。そして、計算は、計算方法の分類分けをなるべく「させない工夫」が、本当の工夫なんです。
>小数計算は分数に直せばいいのはわかっているのですが、5年生は一年間小数計算で、先生の指導通りにしなくてはいけないので、学校ではそれができません。
●頭の中で平行してします。かけ算九九で9*2=18、を言っているのに頭の中では2*9=18で処理するのと同じです。
>私の場合、たし算・ひき算は宝とカケラの絵を描いて答えを出してから筆算 を書かせ、かけ算は数の大きさから答えを予測して小数点を打つ位置を決めさせ、割り算はなぜ小数点を動かすのか確認してから筆算をさせていますが、その方 法で子どもたちよくわかっていても、最後には学校の「やりかたの暗記」にひっくり返されてしまいます。(泣) ひっくり返されてしまうのだったら、やって も無駄だということでしょうか?6年生になるまで無視していたほうがいいでしょうか?
●「小数点を動かす」という考えは持たせないですね。最終的に自分の計算をしている中で結果が小数点の移動と同じになることを知る時がある、そこで、計算結果は同じになる。だから、動かす方法もある。
●ですから、私の場合は、愚直に「小数→分数変換→分数計算→必要なら最後に分子÷分母で小数還元」この過程に、理由も分からずに「小数点を動かす」という作業は一切ありません。
※実は、単位換算表は、小数点=カケラ点  分数と小数の関係 なども同時に学べる優れものなんですよ。紹介する?
>中学理科もなるべく小数計算は分数に直してやっているのですが、計算の苦手な子どもにとっては小数のまま計算するほうが、楽な場合もあります。
●これは修正できますね。
>問題集の解説もすべて小数計算で、
●途中計算は理科には不要です。計算すればそうなるのか..で終わり。
>答えも理科は小数で書くことが求められます。
●もちろんです。
>このような場合も分数に直す、にこだわるべきなのでしょうか。
●そうでもないです。理科は、データの数値と定数を考えるくらいですので、 さほど変わらないと思います。理科を説くための計算と考えるのであれば小数計算。全ての計算に対応するための材料と考えるならば分数計算+小数還元でしょ うね。子供のそれまでの、学習履歴に従うほうがいいでしょうね。計算で、そこまで神経質になる必要はありませんが、最善策はなにかということは突き止めて おく必要はあります。知っていても知らせない場合もあるということです。
◎このあと、単位換算表の話になったのですが、ばたばたの中でのやりとりだったので、
ここでいったん切れています。記事も変えます。
最終更新日  2010年04月30日 01時20分27秒
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2010年04月29日:どこで工夫するのか2
こういう時って書いてしまわないと寝られないので(爆)、まとまりません が、とりあえず書きます。アマドックさんもそうじゃないかな、と思うのですが、私がよく?????になる原因のひとつが、どのような子どもたちを頭に置い て考えているか、ということがあります。私が思い浮かべる子どもたちは「教室でだけどんぐり」の子どもたちです。もちろん、宿題は普通にやっています。教 室でお宝算を教えたり、命の縦線を教えたり、三角試算表を見せたりしますが、毎日の家庭学習では使われません。学校のやり方で毎日大量の宿題をやっている ため、教室でどんぐり式の計算のやり方を教えても、それが定着したことはありません。どんぐりを続けていても、100を4つに分けたら25になる、とか、 50が4つあったら200だとか、15と15で30だとかは、高学年になっても思いつかない子どもたちもいます。また、中学以降に教室に来る子どもたちの 多くは、40÷2を筆算でするような子どもたちです。高校生でも30÷2=15だとわかる子どもが少ないです。「40をふたつに分ける」「30円をふたり で分ける」イメージがまったくないまま、即・筆算でやろうとする子どもたちを見てきて、私は長い間、筆算を敵視してきました。「なんでもかんでも考えない で、イメージさせないで、筆算でやる癖をつけるからだ!!!」と学校教育に怒っていたのです。ずれていますね。「なんでもかんでも考えないで、イメージさ せないで、」はそれでいいとして、「筆算を・・・計算を・・・・大量にやらせるからだ」と怒らなくてはいけなかった。逆も言えます。「筆算を・・・計算 を・・・大量にやらせるから、なんでもかんでも考えない、イメージしなくなるんだ」でもしかし、私はずれていたので、どんぐりを知ってどんぐり先生の本を読 み、CDを買い、文章問題を子どもたちと始めた後に、いったん、どんぐりから離れたんです。(なちまりさん、私もこういうヤツです。この時期私は「どんぐ りはいいけれど、うちの塾生には・・・」といつも考えていました。先生も悩んでいると思います。あまり責めないでくださいね。^^;;)そして「イメージ して、工夫をして、計算をする」教材を使ってみた時期があったのです。掲示版でたんぽぽさんが次のように書いている通りのことを感じました。→ あと、 「2を998に移して」といったものがさっと浮かぶのは、ある程度パターン訓練をしてそういう思考回路を作らないと、さっと出てこないように思います。そ の思考回路をつくるための教材でした。子どもが気がつくのを待つ。でも、、、、、いくつかの方法の中から、どれを「採用するか」。だったと思います。授業 を見学したことがあります。先生がお母さんたちに「こういうふうに考えて」と教えて、お母さんたちが隣に座っている子どもたちに「ほら、先生はこっちのほ うがいいって」と子どもが採用した考え方とは違う考え方を教えていました。(これ、どんぐりでもありがちですよね。どの教材を使っても、ありがちなんで す。成田のdvdで先先生のCD飛ばしやくらげの解き方を見たからって、それを「採用」しなくちゃいけないって思わないでくださいね。)この教材を使って いる時期、仕事で暗算をすることがよくあったので、暗算は得意になりました。「どれを採用しようかな◯」と計算することが楽しくなりました。工夫して計算 することは楽しいです。でも、やっぱり、ただの計算なんです。ただの計算の中での工夫なんです。何通りもありません。どんぐりが育てようとしている「工夫 するチカラ」というのは、違う。あ〜〜2時になったので、やっぱり寝ますね。つづきは明日。
最終更新日  2010年04月30日 02時08分59秒
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2010年04月30日:どこで工夫するのか3
どんぐり問題をやっている子どもを見ると、「合わせる」「分ける」をする時 に、子どもたちは実にいろんな工夫をしていることがわかります。アマドックさんが書いておられる計算の工夫のようなことは、子どもたちはどんぐり問題を解 く中でしています。ただ、頭の中でやりません。必ず絵図を描いて、自分が何をどのように操作しているのかも、目に見えるようにしてやっています。これを 「良くない」とし、「頭の中でできるように」と思うと、一部の子どもたちをのぞいては、かなりの反復が必要になってくると思います。反復しても、できるよ うにならない子どもたちも多いです。一般に言われている「何も考えずに、暗記で答えを出すための反復」ではありません。「数をイメージして、操作して答え を出すための反復」です。でも、反復は反復。子どもの学習時間の多くを奪います。絵図にして描けば、無理なく、その子が自分で考えた方法でいつでもどこで も答えを出せることに、あるいは筆算を描いて、指を使って計算すれば済むことに、多くの時間を使います。多くの時間を奪います。限定された、思考回路をつ くることはできても、それだけです。(もちろん、余裕のある子どもは、他のところでいろいろな思考回路をつくっているので、大丈夫です。応用がききます。 それは分かって上で書いています。)そして・・・計算が工夫してできるようになっても、あるいはその点に関しては「得意」でも、「言葉からのイメージ再現 と操作」ができない限りは文章題はあいかわらず「意味わからない」なのです。半年ほどその教材を使い、このことを目の前にいる子どもたちを見て痛感してか ら、私はまたどんぐり倶楽部に戻りました。でも、私がその教材の使い方を間違えていたのかもしれません。だから、教材が悪いとは言いません。結果を出せな かったのは、やり方が間違っていたのかもしれないし、子どもたちの特質もあったと思います。でも・・・・どれだけ優れた教材であったとしても、「必要な い」。と今は思います。「必要ない」とは、「その練習のために、子どもの時間を使う必要はない、使ってはいけない」ということでもあります。そして、どん ぐり問題をする中で、計算の工夫だけではなく、さまざまな工夫「視覚イメージの操作」を子どもたちはしています。こちらはすべてオリジナルです。こちらの ほうがずっと大事なことは言うまでもありません。
最終更新日  2010年04月30日 08時11分51秒
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2010年04月30日:どこで工夫をするのか4
どんぐりでは思考回路は文章題を絵図化して解きながらつくります。計算の工 夫ももちろんその中に含まれていますが、計算の工夫をする中で思考回路をつくるのではありません。なぜなら、計算問題は、どんぐりの場合、ほんの少量しか やらないからです。「どんぐり方式で宿題を制限して、少量しかしていない自分の子ども」ではなく、「普通に学校で言われている通りに日々大量の計算問題を している子ども」を見ていると、この大前提を見失いがちになります。どんぐり理論を、どんぐり方式で勉強していない子どもたちにあてはめて考えるから、い ろんな「ずれ」が出てきます。これは、どんぐりママさんたちにも理解してもらいたいところです。「計算を必ず筆算で」というと、「パターン学習になってし まうのではないか」という疑問は、計算を大量にやるから出てくる疑問です。大量に、次々とやるから、パターン学習になる。工夫しなくなる。いや、工夫する ものだという考えさえ持たない。数字もまったくイメージしない。もともと、人間は大きな数はイメージできません。私たち大人だって20以上の数を扱う時 は、実際にはイメージして扱っていません。一連のやりとりの中で(そのメールがなぜか消えているので残っていません)私は大事なことに気がつきました。 「40÷2=20」「15+15=30」「25×4=100」と自然とわかる子どもたち(私のような大人も含め)は、それを「イメージしているからわかっ ている」のではなくて、「それを使った経験が多い」からわかっているのだと言うことです。「使った経験」・・・計算問題の中で出会った経験、というより も、生活の中で使った経験です。多くの場合は、お金を自分で使う、という経験です。計算問題の中で出会った回数ではありません。一時間の中で25×4に何 回も出会いながら、毎回筆算でやる子どもたちも見てきました。話がずれました。そのような子どもたちを見ているから、「固定されたパターン学習になるので は」という危惧が生まれてくるのです。大量にやらなければ、パターン学習にはなりえません。大量にやらなければ、嫌にもなりません。工夫(思考回路をつく ること)は文章題を絵図化して解く中でやっています。少量だからこそ、基本を守った筆算でいいのです。最小公倍数を使わない、一見回りくどく見える分数計 算でいいのです。いや、いいのです、でなくて、そうでなくてはいけないのです。数少ない計算問題で、「計算の基礎基本」を確認するのですから。そうでなく てはいけないのです。22の途中経過をひとつずつ書いた、開成中学の入試問題を使った計算練習。「こんなこと、入試の時にやっていられっか!この1問にど れだけ時間を使うんだ!」という疑問があたりまえのように出てくると思って、講演会で使うにはリスクが高すぎると思いました。この問題を、毎日一行だけ進 めていけば、素敵な計算練習になります。小学校(中学入試だから中学校の範囲も入っているけど)の計算の約束事をすべて丁寧に、復習できます。ここに、工 夫はいりません。工夫をすることが目的ではないからです。
最終更新日  2010年04月30日 08時39分48秒
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2010年04月30日:どこで工夫をするのか5
この春中学生になったゆりちゃん。小6のほとんどもどんぐり問題で通しまし た。3学期に小学校の算数の総復習をしようと思っていたのですが、1月からインフルエンザなどで体調を崩し、1~2月はほとんど教室に来られませんでし た。なので、3月に、一般のワークから選んだ確認問題(計算、文章題、図形)をやってもらい、間違えた問題、わからなかった問題を一緒に確認しました。同 時期に、学校から春休みの宿題が出ていました。こちらは分数計算の反復練習プリントでした。ちなみにゆりちゃんはごく普通の平均的な生徒で、宿題ももちろ ん自分でこなします。6年生のゆりちゃんの担任は<どんぐりを紹介して、2時間ほどお話をした先生>だったのにもかかわらず、大量の宿題を出す先生でし た。これがゆりちゃんの置かれている「環境」でした。だから、教室では何を置いても文章題、をやってきました。私が渡した問題と、学校から出た宿題。結果 が非常におもしろかったです。学校から出た宿題は問題なくさくさくこなしていました。分数のたす・ひくはちゃんと通分をし、割り算はちゃんとひっくり返し てかけ算にしていました。たし算だったらたし算、かけ算だったらかけ算、割り算だったら割り算がずらずら並んでいるプリントです。私が渡して、わからん帳 に入った問題。小数を分数に直す。分数を小数に直す。小数のたし算。ひき算。かけ算。割り算。小数や分数の割合や倍の文章題。6年生は小数を扱わないの で、小数計算を忘れていたということは100歩ゆずって仕方がないとしても、(ということは本当なありえないのですが。唯一覚えていたのが「小数点の数だ け点を動かす」というかけ算で習ったやり方で、たし算、ひき算にもそれをしていました。もちろん5年生の時にカケラも宝も筆算も教え、図を描いて解くこと も教えていましたが、やはり「小数点の数だけ点を動かす」強烈なインプットと反復の結果が残るのです。どんぐりで小数が出てきた時には絵図にしていました が、学校の問題には応用されません。)文章題の中で分数計算が出てきた時には、「え?分数のかけ算?どうするんだっけ?」と頭が真っ白になっていました。 ついきのう、学校の宿題で大量の分数のかけ算のプリントを完璧にこなしていて、はい、先生、これは全部できた、とその日持ってきたのが、目の前にあるの に、です。これが、パターン学習の弊害です。文章題で小数の割り算が出てきました。難しくない割り算です。今までなら、小数計算の範囲で復習し、小数のま ま筆算させていた計算です。ためしに「小数⇒分数⇒分数計算⇒答えを小数に」という過程でやってみました。ゆりちゃんがつまづいていた所をすべて、復習で きました。今度は自分でやってごらん、と言いました。ひとつひとつの過程を、じっくりと確認しながら、一問を解きました。「先生、すごく疲れた。すごく頭 使った気がする。」とゆりちゃんは言いました。その彼女の様子を見ながら、なぜ、こうするのか、心から、納得しました。計算は計算の基礎基本を習得するた めに、少量を、基本に忠実に、ていねいに。家庭では親の気持ち次第で、その方法でできます。ぜひそうしてください。^^
最終更新日  2010年04月30日 09時30分23秒
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2010年04月30日:どこで工夫をするのか6
アマドックさんが提示して下さったこの問題。以下掲示版からアマドックさんの書き込みを引用します。
 1/(χ+1)(χ+2)+1/(χ+2)(χ+3)
この問題は最小公倍数を使って通分することの意味がわかっているお子さんでしたら
 1/(χ+1)(χ+2)+1/(χ+2)(χ+3)
=(χ+3)/(χ+1)(χ+2)(χ+3)+(χ+1)/(χ+1)(χ+2)(χ+3)
=(χ+3+χ+1)/(χ+1)(χ+2)(χ+3)
=(2χ+4)/(χ+1)(χ+2)(χ+3)
=2(χ+2)/(χ+1)(χ+2)(χ+3)
=2/(χ+1)(χ+3)
上記のように解きます。だけど、私が数学の苦手な高校生に上のような計算問題を教えるときはこのようには教えません。まさに「右××」の手順で教えます。 「右××」とはいいませんが…。その理由は、いくら丁寧に解説してもぴんときてくれないからです。一方、「右××」の世界は分数の足し算の本質がわかって いなくても手順暗記だから解けるのです。
 1/(χ+1)(χ+2)+1/(χ+2)(χ+3)
=(χ+2)(χ+3)/(χ+1)(χ+2)(χ+2)(χ+3)+(χ+1)(χ+2)/(χ+1)(χ+2)(χ+2)(χ+3)
={(χ+2)(χ+3)+(χ+1)(χ+2)}/(χ+1)(χ+2)(χ+2)(χ+3)
=(χ2+5χ+6+χ2+3χ+2)/(χ+1)(χ+2)(χ+2)(χ+3)
=(2χ2+8χ+8)/(χ+1)(χ+2)(χ+2)(χ+3)
=2(χ2+4χ+4)/(χ+1)(χ+2)(χ+2)(χ+3)
=2(χ+2)(χ+2)/(χ+1)(χ+2)(χ+2)(χ+3)
=2/(χ+1)(χ+3)
私は高校生にこのようなタイプの計算を教えるときに思います。小学校の時に、手順暗記のパターン学習ではなく本当の理解に根ざした最小公倍数を使った分数 の足し算を教えてもらいたいと。ただ現実には、学校で行っていることは分数の足し算に最小公倍数を使ってはいるものの、なんでそうした方がいいのかの理解 はじゅうぶんになされていないようです。それはまさにドリル的な学習のたまものだと思っています。
ここまで、引用おわり。
すごく、わかります〜〜〜〜〜〜。うちの高校生、みなこうですもん。私もまったく同じこと思っていました。でも、今思うのは、学校の勉強の教え方では、 「本当の理解に根ざした最小公倍数を使った分数の足し算を教えてもらいたいと。」はのぞめない、ということです。なぜなら、「倍」の意味からして、子ども たちはわかっていないからです。分数の意味もわかっていないからです。そのことを教える側がわかっていないまま、教えているからです。本当の理解を伴っ て、6年生で最小公倍数を使った分数の通分を教えるには、「倍」「分数」の意味からきちんと教えないといけません。そして、その「意味」を大切にするなら ば、教えた後に、大量に反復することはしてはいけない。九九をタイムはかって言わせるとか、しちゃあいけないんです。だから、みなさん、子どもを守らなく ちゃ、ってどんぐり倶楽部に来るのですよね。^^えっと。私が思うに、今の学校のやりかたのまま、「分数計算横××」を徹底反復させると、
 1/(χ+1)(χ+2)+1/(χ+2)(χ+3)
=(χ+2)(χ+3)/(χ+1)(χ+2)(χ+2)(χ+3)+(χ+1)(χ+2)/(χ+1)(χ+2)(χ+2)(χ+3)
={(χ+2)(χ+3)+(χ+1)(χ+2)}/(χ+1)(χ+2)(χ+2)(χ+3)
=(χ2+5χ+6+χ2+3χ+2)/(χ+1)(χ+2)(χ+2)(χ+3)
=(2χ2+8χ+8)/(χ+1)(χ+2)(χ+2)(χ+3)
=2(χ2+4χ+4)/(χ+1)(χ+2)(χ+2)(χ+3)
=2(χ+2)(χ+2)/(χ+1)(χ+2)(χ+2)(χ+3)
=2/(χ+1)(χ+3)
しかできない高校生が大量に生み出されます。しかし、6年生で最小公倍数を使って、の方法を、もっとていねいに教えたとしても、6年生まで(12歳まで) の時点で、それを「理解できるかどうか」はもう決まっているので、実は、あまり変わらないんじゃないかな、と「学力低下の最前線」にいると、自覚している 私は思います。
でも、どんぐりで育った子どもは、高校生になったら、自然に、
1/(χ+1)(χ+2)+1/(χ+2)(χ+3)
=(χ+3)/(χ+1)(χ+2)(χ+3)+(χ+1)/(χ+1)(χ+2)(χ+3)
=(χ+3+χ+1)/(χ+1)(χ+2)(χ+3)
=(2χ+4)/(χ+1)(χ+2)(χ+3)
=2(χ+2)/(χ+1)(χ+2)(χ+3)
=2/(χ+1)(χ+3)
こうするんじゃないかな、と思います。「通分して約分した結果として、こうなっている」ということが「見えている」のではないでしょうか。分数ではないで すが、この記事での loveさんちの子どものように、時と状況に応じて、もっとも「楽」な工夫が教えられなくても、自然にできるようになると思います。中高生になって、計算 で工夫が思いつく子どもは間違えなく計算以外でも工夫が思いつく子どもです。「何でも工夫できる力」をつけておくと、計算でも当然工夫します。それは、子 どもたちのどんぐりを見れば一目瞭然です。その力をつけるために、計算は最小限にする。でも、その最小限の計算練習の機会をとらえて、計算の基礎基本をて いねいにできるようにする。だから、筆算であったり、横××であったりするんだと思います。でもね、私はアマドックさんが見ておられる子どもたち、という のは、日々学校の方法で徹底反復させられている子どもたちなんです。だから、「どんぐり理論、わかっちゃいるんだけど」他の方法は・・・と考えます。反復 が避けられないことならば、その「反復の仕方」「反復する時の意識のもっていきかた」を変えることのほうが、学校の勉強での結果を考えた時に、近道じゃな いか、と考えたりします。実際、そういう面はあると思います。現実として、我が子以外の子どもの環境は変えることができません。だから、掲示版でのやりと りを読んでいて、私が心が痛むのは、「自分の子どもをどんぐりで育てている親」と「どんぐり的な環境が整っていない子どもたちを指導している私たち」の間 の溝を感じる時です。お互いが、「理論」だけでなく、お互いの見ている子どもたちの置かれている「環境」に目をやれば、お互いがなぜこのように言っている のか、見えてくるものもあると思います。