※モンテッソーリに関する記述はコチラ
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こんにちは。時間のあるときに過去ログを読んでいます。いろいろな問い(悩み)に的確
にご自分の(どんぐり倶楽部の)考えを言い切っておられること、また同じような質問に丁寧に答えられているのですね。後から読む私のような者にもとても参
考になります。ご自分の考えを信じ、信念を貫いておられるんですね。書き込みをしている人と先生の関係は、子供と親との関係にも似ていますね。親が常に自
分の考えはこうだよ、と子供に接していると子供は迷はなくて済みますものね。いつ聞いても、どこで聞いても同じ返事をすることの大切さを実感しました。以
前、『子供が変わりました。』と書きましたよね。今日の午前中、体調が悪く少し横になっていました。「ちょっとしんどいから寝るね。」というと、「そんな
ん言わんと起きてよ!」と何度か言った後に静かになりました。(夫は不在でした。)寝てしまったかな?と、様子をうかがっていると、「できた!」の声、
(何ができたの?もしかして?)待っていると「起きて!見て!」そうです、文章問題をやっていたのです。「後で見といてや!」とノートを置いて部屋を出て
いきました。素人のどんぐり母さんが見ても 「よっしゃ〜!」があげられる出来でした。これまでの間違った育て方、接し方をこれから時間を掛けて治して行
きます。まだまだ子供を見ることが下手ですが、やりがいのある仕事です。ふと手元にあるシュタイナー教育の本を読み返してみました。広瀬牧子さんの本で
す。(2冊書かれています。)そこには、9才について興味深い事が書かれていました。絶対学力、新絶対学力、HPに書かれている事との共通点がたくさんあ
りました。絵についても、どうして子供が絵を描きたがるのかをご自分のお子さんのことをご自分が体験された事を例に挙げて書かれています。また、驚いたこ
とに絵のことに関しては、子供の行動と似ており、鳥肌がたちました。先生は、シュタイナー教育のどこ部分に共感されているのですか?お考えに触れるに当
たって、聞いてみたくなりました。お答えは、書き込みのお返事の中やご本の中にあるように感じますが、くっきり浮かんで来ません。教えて下さい。お願いし
ます。(原毛綿やフェルト、人形、木のおもちゃ、キンダーハープなど娘が小さいときからの宝物が、今だに部屋のあちこちで娘を見てくれているように置かれ
ています。子供が学校でストレスを感じるようになったのは、小学1年の3学期からです。いま、思い出しました。)
>>先生は、シュタイナー教育のどの部分に共感されているのですか?
●シュタイナーは自分の感性(自分がどのように感じるか)と子供(人間の自然な成長)を信じていました。そして、丁寧に子供の成長を見ています。
この点が共通点です。これは一流の芸術家が常に自然を相手に本物(教育ならデータではなく子供そのもの)を直接対象にして「よく見ている・感じている」こ
とと同じです。全ての理論は後から説明をするための説明に過ぎません。あるのは目の前の子供の反応(現象)だけだからです。シュタイナーは、このことに気
付いていた一人です。また、殆どの幼児教育書の原形や理論は健常児ではなく知的・情緒的障害児を対象にした研究からの借用です。それをそのまま健常児の教
育理論に当てはめたりしていますが大変な間違いです。健常児のスポーツにリハビリばかりをさせているようなものです。
●もう一つ、シュタイナーは教育の最も効果的な方法を知っている点でも優れています。学ぶとは真似ぶということですが、教えるのではなく「先生」が楽しく
何かをしている、そして「生徒」がその空間に一緒にいる。この環境が理想的な教育環境なのです。すると、子供は「あ、何か楽しいことがあるんだ」「何か
な」「どうするのかな」と自発的な欲求で学習を始めます。自発的な欲求から起こされた行動(学習)は吸収がよく効率的になり創造的です。本来は小学校がこ
の環境でなければいけないのですが気付いていませんね。楽しい80%→分かる18-20%%→できる0-2%の重要度なのです。
●ただ、シュタイナーと違うのは幼児期の表現形式の指導はできるだけしない方がいいという点です。表現形式の指導は出力練習です。出力練習にかける時間を
入力に当てたいと思うからです。その方が、子供達はもっと豊かに育ちます。そして、才能は「溢れてくる」のです。その時に表現は生まれ。方法を模索しま
す。教えるべきではないのです。幼児期の貴重な時間の短さを考えると時間の無駄に見えます。
●シュタイナー教育は「基本中の基本」ですが、全てではありませんし、日本では修正して取り入れるべきものです。
●しかし、何度もいいますが、子供を「よく見る」ことができれば、理論は不要です。
[From どんぐり倶楽部:糸山泰造]
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[353]
はじめまして! どんぐり倶楽部と遭遇してからホームページを開けない日はないぐらい はまっています。娘(小2)と2人で年長の問題からはじめました。
学校の授業もよくわからないようで そのことでストレス反応が体に出ています。問題集は娘が理解できそうなのから選んで、取り組んでいます。シュタイナー
教育にも興味があり、以前から考え方など参考にしてきましたが、学校という大きな組織の中で、羅針盤を見失いかけていました。性格(気質)の違いで学習の
進め方の違いがあるようにも感じます。何かアドバイスがありましたら お願いしたいです。 ちなみに娘は、シュタイナーの言うところの、粘液質と憂うつ質
にあてはまると思っています。 どうぞ、よろしくお願いします。
●学習の進め方は学校に合わせるのが最も楽です。問題は量と方法です。特に宿題はジックリ検討すべきでしょう。
●「粘液質と憂うつ質」と分類することは危険です。この中でも10人の子は10人異なるからです。また、時期(成長年齢)でも対応すべき方法は異なります。
●今の現実的な問題(例えば先週一週間で気になったこと)を具体的に教えて下さい。また、そのことに対する保護者の考え方(先生の意見は不要です)をお聞かせ下さい。
※私事ですが、今日は雨で小3の娘が時間を持て余していますので、宇宙語(かいけつゾロリのシールブックにあります)で宇宙探検のお話しを合作しています。
http://homepage.mac.com/donguriclub/space.html
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[321]
先生のご意見をお聞きすることができ、とても安心しました。先生がいつもおっしゃっている「子供をよくみなさい」という言葉の意味を私なりにですがやっと
理解できたような気がします。ただ、もうひとつ最近どうしても気になることがあります。それは子供が具体的に実感的に感じ取ることの出来ない知識をどこま
で与えていけばよいかという事です。例えば、うちの子は地球が丸いことは知っていてその写真を見てみたいと言い出したので見せたのですが、どうやら想像し
ていたものと写真は違ったようなのです。おまけに丸い地球の中に住んでいると思っていたようでした。シュタイナーについてはあまり詳しくないのですが、確
か読み聞かせでも絵を子供に見せないほうが想像力がつくというようなことが書いてあったと記憶しております。最近、子育てを振り返ってみるとその辺がかな
り失敗したなと反省していることもあり、そういう子供の想像しているものを図鑑などで正しく見せることは低学年のうちは好ましいのかどうかという点で判断
しかねています。先生ならどうされますでしょうか。
●教育とはいいますが、教育は「教える」という感覚では失敗します。教える:育てる=1:9だと思って下さい。
●図鑑等を見せるのは大いに結構です。ですが、そこに書いてあることを教え込もうとしてはいけません。子供自身が自分の興味で今の自分に必要な分だけ吸収するのです。図鑑を見せて吸収率ゼロでもいいんです。100%でもいいんです。
>>確か読み聞かせでも絵を子供に見せないほうが想像力がつく...
●想像力が付くということではありません。想像を広げやすい・制限しないということです。絵図は絵本に限らず見せるといいですよ。入力された絵図はイメージの移動変形の手伝いをすることが出来ますからね。
●言葉はイメージを導く記号です。言葉を聞いてもイメージ再現できない子だったらどうしますか?全ての言葉を絵図にしながら読んであげるんです。
※もちろん言葉とイメージの連動は生活の中で行われることが最良の方法です。計り知れないほどの情報(実感)と供に入力できるからです。ですから、早期の知的教育は害になるのです。
※同じ手法でも時期(子供の成長段階)によって影響の善し悪しは全く異なることを常に考えておくことが肝心です。
[From どんぐり倶楽部:糸山泰造]
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[122]
先生、アドバイスありがとうございます
文章題を絵に描いてあらわすことはとても重要なことなのですね
思考力を育てる。。。今、育てなくてはならない一番大切なことに思えてきました。イメージができる力というのは算数に限らず国語も英語も必要不可欠
ですね。今まで国語はどうやったら。。算数は。。などと切り離して
考えていましたが、学習法は同じだということに改めて気づかされました
●思考力の源は視考力(目で考える:イメージ思考)なのです。この力を養成するという意識が
あると、今学校で騒がれている「基礎計算力」「ゆとり学習」「体験学習」「問題解決学習」「生きる力」「考える力」等は全て同じ力(視考力)を仲介させる
と好転することが分かります。
●人間が持って生まれた最速最大の処理能力はイメージ思考なのです。
●人は言葉で考えると言われていますが、言葉と理解(体感して納得する)の橋渡しはイメージなのです。瞬間的すぎて(あまりにも反応が速いので)意識できない人もいるのですが、静かに自分の頭の中を見ると見えてきます。
●これは教育の基本です。見ること:イメージすることは実体験に限りなく近いのです。ですから、深く理解できるのです。このことを知らずに教育は成り立ちません。シュタイナーもこのことに気付いていた一人なのです。
[From どんぐり倶楽部:糸山泰造]
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[112]
なぜ、百ますに対抗なさる発言をされるのでしょうか?
絶対学力読ませて頂きました。
百ますとは基本的に違うものだと感じました。
私は娘に百ますも反復もやらせたくないと感じておりました。
が、先生のトライアングルや文章題はさせたいと思いました。
私的には百ますを越えるものではなく、全く違う位置づけでした。
百ますも反復も身体で覚えるもので、先生のおっしゃるものは
目で感じるものだと思いました。
本当に基本というのであれば、こちらの方が良いと直感で感じます。
シュタイナー教育の本を数冊読んでいます。
これを日本に取り入れるとなるとどうすべきか、と常々思っていました。
先生の本を拝読したとき、その答えが見えたような気がしたのです。
先生が百ますや反復に対抗されると少し悲しくなります。
だって、全く別のものですから。
娘に先生の問題をさせるとじっと考えています。
百ますや反復をさせると機械の様に只々黙々とやります。
私は考えてやっている娘の方が好きです。
単純ですが、だから先生の学習方法が正しいと思ってやっています。
●エネルギーは有限です。100のエネルギーを持っている子が、もしも、A点からB点に行っ
て楽しく過ごすとして、B点に行くのに90のエネルギーを使うと10のエネルギー分しか楽しめません。ところが10のエネルギーでB点に行ければ90のエ
ネルギーで楽しむことができます。私は教育は人生を楽しめる力を付けることだと思っています。行く方法が一つしかないのであれば、その道を行くしかありま
せんが、花が咲き緑豊かな近い道が発見されたのです。その時、子ども達を前にしてどう行動すべきでしょうか。
※あなたには分かると思います。子どもは育て方一つで劇的に変わるのですから。
[From どんぐり倶楽部:糸山泰造]
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[5]
解説ありがとうございます。
「目で考える」というコンセプト、また、それが「体験の反復」と似ているというご指摘は非常に新鮮です。何となくわかってきたような気がします。ただ、まだ理解はおぼろげなものですので、子供と接する体験によって納得できるまで温めていきたいと思います。
「日本社会ではシュタイナー教育の心+αで工夫すべき」とのお考えにはとても共感いたします。機会があれば、その点に関してのご発言を期待しております。
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小1(男)と8ヶ月(女)の父親です。
夫婦で読ませていただきました。巻末の資料が充実していてたいへん参考になりました。パズル好きの家内など、「う〜ん、むずかしい〜」とうなりながらハマっていたようです。
●ゆとり教育−じっくり考える−「わかる」から「できる」へ−でも学力低下
VS
●反ゆとり教育−計算・反復・暗唱−「できる」から「わかる」へ−学力増進
という対抗軸で語られてきた最近の教育論は、非常に分かりにくいものでした。寺脇研さん、和田秀樹さん、陰山英男さん、それぞれおっしゃることは間違って
いないように思いますし、自分の体験に照らして、どちらも一理あると感じます。多くの親がこういった二項対立の議論に振り回され、あっちへ行ったり、こっ
ちに来たり、右往左往してしまっているのではないでしょうか。
冷静に考えれば、こういった問題を「どちらか一方が正しいはず」と簡単に片づけようとすることに無理があるのかもしれません。
しかし、ある局面で「どちらかの選択」をする必要があることもまた現実です。
現時点(息子の場合、今度小2)で家庭学習に取り入れるべきなのは「100ます計算」なのか「ゆっくりじっくり文章問題」なのか。
息子は「オレ、計算得意だもん」と学校での「100ます」は楽しくやっているようですが、ためしに「文章問題」をやらせてみると、「重症」というより「危篤状態」に陥っていました。
やはり、ここは少なくとも家庭では「ゆっくりじっくり」かな、と考え始めています。
ひとつ糸山さんにお聞きしたい点は、人智学の観点から「ゆっくりじっく文章問題」を見た場合に、どう関連付けられるのか、または関連付けられないのか、ということです。
糸山さんは「過去ログ」の最初の書き込みに対するお返事の中で人智学への関心を表明されていますし、ページリストの中にも「人智学シュタイナー教育との接点」という項目を設けられています。
私の友人に人智学に造詣の深い者がいて、勧められてシュタイナー関連の著作は何点か読みました。特に興味深い点は、人間の成長段階に合わない教育をする
と、子供に重大なダメージを与えてしまう、という点です。7才以下の早期知育教育がその例として挙げられますが、7才〜9才(小1〜小3)ぐらいの時期
に、「とことん考える」ことを重視することは人智学的にはどうなのでしょうか。人智学では7才から14才までの間はアストラル体の完成期にあたり、教育面
で重視されるのは「感情教育」となっているかと思います。そのため、授業における芸術性が非常に重視されるわけですが、文章題で式を立てたり正解を導くこ
とよりも、問題を絵で表すことを重視されているのは、そのことと関係があるのでしょうか。
また、シュタイナーは反復や暗唱の重要性を指摘していますし(スピードは別ですが)、「理解から習熟」より「習熟から理解」を良しとしているようにも思え
ます。この「反復」と「習熟から理解へ」ということと、文章題によって「考える力」を養うということとのバランスをどのようにお考えでしょうか。
日本でのシュタイナー関連の発言(HPや書籍など)を読んで残念に思うことは「シュタイナー教育ってこんなに素晴らしい」「家庭でもこんなふうにシュタイ
ナー教育取り入れられます」といった発言が多く、リアルな日本の教育事情(特に小学校以上)やそこでの論戦に、人智学的立場から参加していくといった類の
発言がほとんど無いように感じられることです。
受験の乗り越え方まで含めた具体案を提起されている糸山さんが、人智学に関心を寄せられているということは、非常に興味のあるところです。
●私の考えの基本には哲学は生理学の一部である。という確信があります。そして、この生理学(人の反応の仕方)は私自身と目の前の子供から教えられたものです。
人智学を学んでからこの考えにたどり着いたのではなく、この考えがあって、その後にシュタイナーを知りました。シュタイナーは体験の積み重ね(体で納得す
ること)を主軸に考えています。この点が教育に関する私との共通理念です。人間は体験で深く納得するからです。7才〜9才(小1〜小3)ぐらいの時期に、
「とことん考える」ことを重視するという文面ですが、「とことん考える」ために「算数文章問題」をするのではありません。「目で考える」練習です。本でも
書いていますが答えが出なくても間違っていてもいいのです。「目で考える」ことと「体験の反復」は似ています。また、シュタイナーのいう反復や暗唱の重要
性は単に反復するということではなく体験を積み重ねることで深めるということです。単なる繰り返しを意味してはいません。さらに「習熟から理解」は「体験
を通して理解する」=「目で考えて理解する」と置き換えていただくとよく分かると思います。
●ページ数の関係で、本では割愛しましたが「リアルな日本の教育事情」→日本社会ではシュタイナー教育の心+αで工夫すべきだと考えています。特に、シュタイナーから日本の一般社会へ移行するときの子供が受けるカルチャーショックには十分準備をしておくべきだと思います。
●「シュタイナー教育だからいい」というわけではなく、シュタイナーの考え(心)と私の考えには共通認識があるということです。さらに、アストラル体の完
成期とされる時期ですが、私はシュタイナーのいうところのアストラル体は豊かな状態で誕生していれば早急に完成させる必要はないと考えています。私の言葉
で言うと「抽象思考への移行が出来ていれば個人の環境に合わせて成長させるべきだと思う」のです。ですから日本でなら小6-中1〜を頭の鍛錬期と設定する
のです。飛べるようになったからといって曲芸飛行まで一気に進む必要はないのです。(曲芸飛行という表現は反感をまねきそうですが分かりやすいと思って使
いました。他意はありません)
※答えになっていればいいのですが。いかがでしょうか。
[From どんぐり倶楽部:糸山泰造]