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<画像は上記HPでご覧下さい>……………………………………………………………………………………………
2007年2月16日:続き
どんぐり先生はよく「子供は一人ひとり違います」「工夫、対応は個別です」とおっしゃいます。。つまりあることをしない(あるいはする)ことが生み出す環
境は各家庭によって様々だと言うことだと思うのです。「子供が家事をする」ということを例にとって考えます。大事なのは「家事をした」ということではな
く、「どのように」したかということだと思うのです。だんきち先生は今日の記事に「子どもはぜんぶ「本気」でやらなくてはいけなかったから」と書いておら
れますが、この「本気」という言葉にこめられた意味は私の言わんとするところと同じだと考えます。そしてここ数日で私が一生懸命文章にしたかったのもその
ことです。「何をするか」ではなく「どのようにしたか」が大事なんだと。そして「どのようにしたか」を大事にするためには、子供のおかれた環境にあった工
夫が必要になる。。。当たり前ですが。たとえばうちは義父母と同居です。義父母の居間にはケーブルテレビも入っています。私が子供を放っておけば子供たち
は自主的に動くかというと違います。上げ膳据え膳でおばあちゃんにやってもらい、そのうえ「テレビを見ているときは大人しいから」とケーブルテレビを見放
題になります。また「学校は何時にいくのか?」「毎日行け」等のプレッシャーも受けるでしょう。これらを防ぐにはやはり私の防御が必要になってくるので
す。やや自己弁護のようですが・・・言いたかったのは「○○しておけばいい」ということは子育てには無いのだと思います。また同じように考えると「何かが
出来る(あるいはできない)」ということにそれほどの意味はない、ということだと思うのです(飛躍してますか?)たとえば料理が「出来る」子と「出来な
い」子がいます。出来ない子は様々な要因があってできないし、出来る子にはいろいろな要因が働いて出来るようになってます。その「要因」のほうが「でき
る・できない」の結果より重要だとおもうのです。親が一から十まで教えて、嫌がっているのに無理やりやらせて・仕込んで・・・その子は料理ができても楽し
めていないし、「自ら学び取る心」は育たなくなるのではないでしょうか?うまく伝えられたかどうか自信はありませんが、小豆は今、どんぐりの問題をやって
いても式を立てることはありません。また4+3も多分暗算はできません。でも「できない」ことは問題じゃないんです。これを焦ると間違うと思います。暗算
ができないことがそのまま「数量感覚が無い」ことにはつながらないし、「文章題の意味がわからない(ように見える)」ことがそのまま「国語力の不足」にも
つながらないと思うのです。ここ最近、いくつかのブログでどんぐりを始められた方たちから↑のような言葉を聴きました。違うんですよ〜、と私は言いたいん
です。あ、あとだんきちさんのコメントの中で「先生8個とあなたは5個。ではどちらが何個多い」と聞かれて「8個」と答えるお子さんの例がありました。こ
の子は本当に言葉の意味がわからないかもしれない。でも別の子は「答えなきゃ」というプレッシャーで頭がフリーズし、答えを間違えることが原因かもしれま
せん。だから自分のお子さんが「答えられない」からと言って「国語力をつけてかからなくては!」と焦る前に、原因をじっくり探って見られたほうがよいとお
もうんです。そしてもし国語力がないとしても、焦ることは全くないんです。どんぐり以上に効果的な学習はないんですから。どんぐりで育てればいいんです。
常に言葉とイメージがリンクす
るのがどんぐりのすごさなんですから。どんぐりで練習すればいいんです。・・・と私は思ってます。今日も生意気千万、無礼千万の記事になりました。でも本
音です。せっかくどんぐりに出会ったんだから、それをよくよくあじわってほしい。。。そこにすべてがあるのに。子供に無用の負担を与えずにすむんですか
ら。どんぐり先生の「言葉の贈り物」より・・・
【2006.12/3】...心へと続く道
暗闇の中で
子供をデタラメに
走らせるのは止めよう
足元をシッカリと照らし、
誰もが歩いていける道がココにある
舗装はしていないから、
歩きにくいかも知れない
でも、作り物じゃないから
絶対に壊れたりはしない
この道を信じて、
子供を歩かせてみないか
この道は、人間の心へと続く道なんだから
暗闇の中で
子供をデタラメに
走らせるのは止めてくれ
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最終更新日時 2007年2月16日 10時32分3秒[ ワタクシゴト ]
昨日の記事へのコメントで、だんきち先生が紹介してくだ
さっている『道草学習のすすめ』のHP。私も毎日チェックしています。未読の方はぜひどうぞ。昨日ご紹介いただいたのは『グショウ庭の宝物』の記事です。
私はだんきち先生がおっしゃりたいのがこの記事と同じことだと思っていました。そして私は『ようこそ、子供の世界へ!』の記事をあわせて読んでいただきた
いなと思っています。グショウ庭は大事です。ですがグショウ庭を与えればいいのかというと違う、と言いたいわけです。手前味噌ですが、以前書いたこの記事
の中でこんなことを書きました。どんぐりの文章題は算数の問題でありながら自由に子供たちを遊ばせる場なんです。子供たちは自在に問題をつかって(遊具の
一つとして)遊びます。それは決してすぐに答えに結びつくものではないですが、確実に子供を育てます。その場で答えが出ないことは決して悪いことはなく、
子供たちはその中から確実に「何か」を拾い上げます。「それじゃないの、こっちを拾いなさい」
なんておせっかいを大人がやってしまうと子供たちは「つまらない」と感じてしまいますし、それだけを拾うことで終わりにしてしまいます。これでは子供本人
の価値観、本当の感情、そういうものを壊してしまいます。他人の価値観で生きる、他人の頭で考える、そういう子供を作ってしまいます。その場で(問題)で
拾えなくても全く問題ないんです。だって700問の中に何度でも拾うチャンスがあるんですから。たとえば子供が葉っぱを集めているとします。その子はイチョウの葉ばかり集めています。大人はその横にある美しいもみじの葉を「拾わせたい」と思いいろいろと誘導しがちです。で
も子供にとってそのとき重要なのはイチョウの葉なんです。イチョウの葉がそのときのこの子にとってはダイヤモンドより輝いているからです。きっと心配ない
んです。イチョウの葉を満足いくまで拾えば、次何しようか、と思います。今度はキノコが気になるかもしれません。でもよいんです。キノコにもいろんな宝が
つまっていますから。昨日も書きましたが、だんきち先生はもともと「子供に干渉する」母親ではいらっしゃらない。だから初めから子供の遊びに干渉するな
んて発想がさらさら無く、グショウ庭をみて目を輝かせている子供たちを自由に遊ばせておられるんだろうと思います。ところが今、多くの子供たちは「そう
じゃないの、こっちのどんぐりを拾いなさい!」という感じで「遊び」すら「大人の気に入るように」「させられている」のが実態ではないかと思うのです。ど
んぐりの過去ログでとても印象に残っているものの一つです↓。
[2432] まーぶる 投稿日:2006/03/08(Wed) 02:39 [関東]
子供の友達を集めてどんぐり問題の勉強会をしている者です。たいていのお子さん達は順調に進歩しているのですが、一人だけどう解説しても問題の意味がわか
らないお子さんがいます。2年生ですが、言葉の基本的な意味がわからないので(例えばきのう、きょう、あしたの違いが何のことだかわからない)言葉の説明
から始めますが、一人では問題を絵にすることができません。足し算、引き算、掛け算が計算問題で出てくれば解けるのに、意味を理解していないので、絵を描
くところまでいかないのです。以前、違いはいくつという問題で、「違い」の意味がわからなかったので丸を二列書いて線で結んでいったところ、そのパターン
だけは理解したようですが、そっくり同じ形でないとだめで、それを他の問題に応用することが出来ないのです。相手をしていて感じるのは、他のお子さん達が
難しいところをつまずきながらも乗り越えていく時とは異質な難しさです。そのお子さんについて、このままこのやり方で進めていってよいのかとても迷ってい
ます。お知恵を貸していただけないでしょうか。
●コレまでの学習履歴(どんぐり以外)を教えて下さい。
●反射学習の影響をダイレクトに受けている(汚染されている)とおこる重大で危険な反応に下記の様な循環過程があります。
「面倒なことを嫌がる→手間がかかることをしたくない→できない→する気にならない→理解する気がわかない」
●遊びはどうですか?自主的に積極的に遊べますか?
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●幼児・児童期の学習では勉強や遊びの区別無く感情とリンクして育っていきます。この時に子供が重要ではないと思うことを強制的に感情を無視して続けさせると感情破壊を招きます。そして、この感情破壊は「(理解)する気」の根本的な活動を阻害します。
※宿題も含めて単純で強制的な反復をさせることの危険性は年齢が低いほど高くなります。
※感情破壊まで進んでいると回復は非常に困難です。一切の単純作業(特に家庭学習での単純反復「暗記・暗算・高速処理・多量計算」)を全てさせないことが
最も効果的な危険回避方法です。この環境設定をして「どんぐり倶楽部」の「良質の算数文章問題」だけを1ケ月1問〜4問程度を丁寧に正確に楽しく描く練習
をします。手が動き出すまでに半年程かかるかもしれません。私が扱ったケースは4年生でしたので時間がかかりましたが、2年生なら回復期間はもう少し短く
て済むと思います。
※ポイントは宿題も含めて「考えない学習」は一切させないことです。自動宿題しますマシーンがなければ守れないでしょう。
[From どんぐり倶楽部・代表:T.Itoyama]
[2434] まーぶる 投稿日:2006/03/08(Wed) 10:09 [関東]
どんぐり先生、お返事をくださってありがとうございます。このお子さんは現在まで公文系の反復学習等は一切したことがありません。幼稚園も自然が豊かで、
たっぷり外遊びをさせてくれるタイプの所で、どんぐりをポケット一杯に拾っていたにもかかわらず、どんぐりの絵はかけません。どんぐりの写真を見せただけ
ではダメですが、私が隣でどんぐりの絵を描けば何とかその通りまねをすることはできます。普段の遊びは、自分から積極的に外で遊ぶというよりはゲームのよ
うな受身のものを特に好んでいるようです。このお子さんの場合、面倒だからといった理由で問題を解きたくないから拒否しているという感じはしません。むし
ろ問題の言葉や状況の意味も私の説明の言葉も理解できないといった様子で、本人もとても苦しそうです。解きかたを極端に単純な形にパターン化すれば、その
パターンだけはまねできますが、当然のことながらそれでは全く応用できないので、こんなやり方がこのお子さんのためになるとは思えません。第一こんなこと
をしていたのでは「どんぐり倶楽部」の問題を使った公文式になってしまいます。普通のお子さんの場合は、学校の勉強がどんなに不振でも、こちらが子供達自
身の発見を引き出す努力をして根気よく待ってあげれば自分から伸びていきます。その手ごたえを知っているだけに、このお子さんも何とかわかるようにしてあ
げたいと思うのですが、やり方が見つからなくて私自身も苦しいです。このお子さんは問題を解くために机に座るより先にやることがあるのではないかという気
がします。外で遊んだり絵を描いたりできるようにすることが先決なのではないかと思う反面、今からそれをするのが時期的に良いのかどうか迷います。本人が
十分それが出来る環境で育ってきたにもかかわらず、自分から絵も書きたくなければ外で遊びたくもない場合、無理にそれを勧めることがどうなのかとも思うの
です。
●分かりました。すると、考えられるのはテンポの問題ですね。遊びも含めて、このお子さんの独自のテンポ(第一個性)と合致していない環境を作っていた場
合には、どんなに一般的には良い環境でも強制になります。この場合は集団での指導はしません。まず、その子のテンポを把握するところから始めます。テンポ
が分かれば、そのテンポに合わせて環境を作り直します。もちろん、家庭でしなければ効果は出ません。
※テンポについては「子育てと教育の大原則」に詳しく書いています。
[From どんぐり倶楽部・代表:T.Itoyama]
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皆さんは何を思われますか?最終更新日時 2007年2月16日 10時31分48秒
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2007年2月15日だんきち先生へのラブレター(2)
だんきち先生コメントありがとうございます。昨日からなんだか頭の中がうにょうにょしていたんです。だんきち先生のおっしゃってる事はわかる気がするのに
腑に落ちないというか。。。朝の記事を書いた後やっと腑に落ちました。だんきち先生は「子供の自主性を奪わない」お母さんだったんですだからお子さんは自
分のテンポで自ら学び取っていかれたんですね←気付くのが遅すぎ。コレに対して私は子供に「押し付けていた」母親で、子供のテンポと自主性を無視してき
て。。。どんぐりに出会ってやっと「コレじゃ駄目だ」とわかったという・・・。だんきちさんがもう10年以上前に立っておられたスタート地点にやっと立っ
たばかり。だからおっしゃることがちゃんと理解できなかったんです。だんきちさんが大事だとおっしゃるのを子供自ら選んで体感した「体験」だと言葉を定義
すると、私が小豆に押し付けていたのは体感のない「経験」だった、と。ああ、すっきり。で、多分今塾でだんきちさんや私が出会っているのは「経験」してい
ても「体験」したことのないお子さんたち。だから学び取る力が育ってない。その子供たちに何を使い、どんな時間・環境を設定すればいいのか、ってことです
ね。私はそれにはどんぐりが最適だと感じているんです。
なにしろ「自分の手で」オリジナルの絵図をかきあげていき、しかも想像力を駆使して「楽しみを生み出す」教材だから。今ちょっと出先からで、過去ログノー
トと時間がないので引用が出来ないのですが関連の過去ログをまたあとで転載させてもらいます。すみません。私は本当にだんきちさんが好きで、過去ログ読み
ながらとても印象深い方だったのです。好きだから意識してしまうんですが、ご迷惑かも。すみませんです。続きはのちほど・・・。
最終更新日時 2007年2月15日 11時45分33秒
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激論!って感じですが…。(4)
昨日の記事にだんきち先生から貴重なコメントをたくさん頂きました。いや実はだんきち先生のコメントを初めから期待して書いていた私です。意見交換ができ
てすごく楽しいのですが、ひょっとして他のみなさんから「喧嘩腰」なんて思われていたりして・・・。塾の講師って宴会(?)の席でも指導法の話やA君はな
ぜ数学が苦手なのか?その苦手をどう克服するか、というような話題で盛り上がっちゃうことが多い(私のいる塾のメンバーは)し、その話のときにあまり上下
関係を意識していないのです。私みたいなペーペーでもちゃんと話を聴いてもらってて・・・「でもそれは違う」とかの反論を浴びたりしながらみんなで考えて
るという感じなんです。だから私にとってはすごく普通の会話なんです。だんきちさんもきっと同じ、と思ってるんですが、ひょっとしてちがってて、「ものす
ごい無礼」と思われていたりして・・・。だんきち先生、ごめんなさい。とても勉強になってます。さてちょっと話を変えて親ばか掲載です。←大豆作。左か
ら蛇、真ん中と右はペンギンです傑作だ〜さてさて「勉強をしてはいけない一週間」順調に過ごしてます。昨日は学校も行きました(でもお迎えでしたが)。一
日目・二日目は大はしゃぎでしたが、昨日あたりはちょっと退屈している様子です。手芸してみたり、ガンプラに取り組んでみたり・・・。その様子を見ている
と母には面白いことがたくさん。(その一)昨日霜柱を見に外にでました。歩きながら何かを数えている小豆。「一・ニ・三・・・一時間、一・ニ・三・・・二
時間・・・」と数えていって「あそこからここまでで11時間もかかってる〜」「お昼寝亀さん」が頭から離れないもようです。(その2)お饅頭の入っていた
プラの薄い仕切り。縦に3列、横2列です。まず縦に半分に折って「パクパク〜」などと遊んだあと、次は横に折ろうとしてます。じ〜っと見ながら「こっち
(縦)はきれいに折れるけど、こっち(横)はだめだよなぁ」。「なんで?」というので「何でだろうね?」と答える母。「3だと半分にならんなぁ。この一列
が邪魔だもんなぁ・・・」としみじみ(?)つぶやきながらまたじ〜っと容器を見つめていました。(その3)「おかあちゃん、ちょっときて〜」と手が離せな
いときにいうので「なに〜?今手が離せんのよ〜。急ぐの?」と聞くと「待てるけど何分?」と聞きます。「あと15分まって〜」と答えると一生懸命時計とに
らめっこ。小豆「9のところまでだな。いいよ」。母「あ、でもやっぱり一応5分延ばして〜」小豆「じゃあ20分か。10のところまでだな」と、自分から時
計を読んでます。(その4)自分のお小遣いの入った財布を引っ張りだし、「いちま〜い、に〜まい」と数えます。円玉、十円玉、一円玉・・・と数えたところ
で50円玉がでてきました「あ〜、せっかく数えたのに〜」といいつつ、うまくあわせて数えることができましたでも千円札も数え忘れ。。。でもめげずにちゃ
んと数えてました。そしてお金を仲間わけして財布の中を整理。「できた〜」と満足そうです。(その5)おばあちゃんがお刺身を買ってきてくれました。「三
パックあるから、二人で一パックな」というおばあちゃんの言葉を聞いた小豆、「じゃあ今日は6人しかおらんの?○○チャンたちは来ないの(姪たち)」「そ
うだよ〜。」と答えて思わずにっこり。三パックを二人で分けて・・・から6人分がイメージできたってことですよね。その一からその5ま・・・「大したこ
とない」と思われる方も多いでしょうが、以前の小豆、普段の小豆とは全然違うんですよ。だんきち先生のおっしゃる「体験」の大事さ、私もわかります。そ
して多分だんきちさんのおっしゃるのは「能動的な」
体験なんだろうな、とも思います。昨日コメントにお返事を書いているときに「小豆にさせすぎていた」と書きました。私は職業柄?性格かな?「学習につなが
る体験をさせなくちゃ!」と思いすぎ、小豆の第一テンポを無視していろいろな「体験」を押し付けていた母親でした。「あとどのくらい?」と聞かれて時計を
見せて説明したり、お菓子の分け方を考えさせたり・・・。↑のようなことが悪いのではなく、小豆の気持ちやテンポを無視し、「出来るようになれ〜」という
強烈なプレッシャーを押し付けてました。それで小豆は一時期、絶対自分では考えず、「わからん」「嫌だ」の連発。どんぐりを知って、ようやく「本人のペー
スが大事」と気付きました。
↓掲示板過去ログより・・・
2808]Hさん 投稿日:2006/05/01(Mon) 08:09 [関東]
突然メールいたします。本当にどうしてよいか分からない母親になっています。子供は小5の女の子。あっという間に小5です。今学校から毎日4熟語ずつ漢字
練習がありますが、ふと見ると「禾」へんなのに「木」へんを書いています。それも5回とも。私が良く見て書きましたか?と問うと「やってる!」の一点ば
り。どうしてこの子はよく見ることができないのでしょうか?練習して5分後にテストをしてもほとんどできません。また5歳の妹とジャングルジムで遊ぶと同
じところで5回も頭をぶつける。1回ぶつけてどうしたらぶつけないか考えないの?と聞くと低いからショウガイ!と答える。正直5歳の妹の方が5W1Hで
しっかり話します。比較するわけでありませんが、10歳にもなって人との受け答えがまるで、5歳児以下です。日に日に怒りがたまる一方です。臨界期ぎりぎ
り、どうにかしなければ。このような子に育てたのは私なのだから!でもどうしてよいか分かりません。算数の良質文章問題をしっかりやることが今は大切なの
でしょうか?
>>どうしてこの子はよく見ることができないのでしょうか?
●多いからですよ。彼女には多いんです。あるいは今までが多かったから嫌になってるんです。
過去ログを全て読んで下さい。全て回答済みです。
http://homepage.mac.com/donguriclub/bbs-log-all.html
>>算数の良質文章問題をしっかりやることが今は大切なのでしょうか?
●生活の全てを「ゆっくり・ジックリ・丁寧に」すること。時間的に出来なければその出来ないことをしないようにすること。
●自動宿題しますマシーンはないんですか?
>>でもどうしてよいか分かりません。
●本気でどうにかする意志はありますか?なら、今日中に過去ログを全て読むこと。そうすれば「早急にすべきことがわかります」
※「意識して数少なく丁寧に」しなければ改善の余地はないでしょう。
この過去ログを読んでグサ!となり、それ以来本当に「数少なく、ゆっくり」を自分に言い聞かせています。時計なども「あと何分」と聞かれたら時計に(やや
大げさに)目をやって「今針が○のところだから△分だわ」というように、私が考えているのを聞かせる。小豆には答えを求めない、という風に変えました。
「考えてみて」なんて言うと「嫌だ〜!わから〜〜〜ん!」となっていたんです。でも最近は自分で数えて「あってる?」と聞いてきます。話がまとまりません
が、多分だんきち先生のお子さん方は「自ら」選んで体験してこられたんだと思います(記事が楽しみです)。うちは逆に「させていた」ことでせっかくの体験
が「毒」になっていたわけです。「させなくなって」初めて小豆は「体験する」ようになったんですね。それからやはりどんぐりの影響は大きいです。「意識的
なイメージ再現」をしているのがわかるときが増えました。今日もまとまりませんが、とりあえずアップします。良い一日を〜
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2007年2月14日:おまけ
お弁当作りながら考えるに・・・さっきの記事で言いたかったことの一つはこうでした↓。「簡単な文章題なら解ける」というのはどういうことか・・・「簡単な言葉→イメージしやすい・イメージできる→だから解ける」のではなく、「簡単な言葉=算数記号に直訳できる→イメージ再現の必要が無い→
だからなんとなく答えが出る」だと思うのです。たとえば「全部でいくつ」「合わせていくつ」「残りはいくつ」などは+、−に直訳できるから、中の数字を組
み合わせればOK。「〜は・・・の○倍」では多分「○倍」を掛け算に変換することは教えれば出来る。。。でも「〜は・・・の」の関係はわからない。なぜな
らイメージ再現していないから→言葉がわからないからじゃない。「〜は・・・の」の意味はイメージ再現しなくてはわからないけれど、子供たちは文章題から
イメージ再現をする、という練習をしていないし、普段やらないのですから、ここをよく間違えます。間違えると「読み取れてない=国語力が無い」と思ってし
まうのですが、国語力じゃなくてイメージ再現操作をしていない証拠なんじゃないかなぁ・・・。とすると、「言葉がわかってないから」だという考えのもとに
「簡単な言葉で書かれた文章題」を与えても解決にはならない&国語力も伸びない。言葉がわかってないのじゃなく、イメージ再現していないことが問題の本質だから。となるといつまでも赤ちゃん言葉しかわからないと思って赤ちゃんことばで話しかけ続けているようなことになるんじゃないかなぁ、と思うのです。さらに「解かなくては」というストレスすら与えてしまう。必要なのは「イメージ再現しなくてはいけない」問題なんです。そして「答えはおまけ」で楽しめるどんぐり文章題なんです。うんうん、これが言いたかったんです。『思考の臨界期』にはこのブログで書いているようなことはとっくに書いてあります。ぜひ読み直してみてくださいね。
最終更新日時 2007年2月14日 7時38分59秒
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続きです:次に「数量感覚」のことも書かせてもらいます。どんぐり先生は何も「計算は必要ない」とおっしゃっているのではないですよね。ただ「計算の習
熟と考える力をつけるのと、どちらに時間がかかるか?」「思考の臨界期はいつか」を考えれば「何をどういう順番ですべきか」がおのずと決まってくる、とい
うことだと思います。そして計算に関しても「じっくり意味を考えながらやる」「筆算を書く習慣をつける」等、はっきりした目的のために「これだけ算数計算
編」があります。話が前後しますが、「数量感覚」って何でしょうか?前回「出来合いの絵図」で文章題をとくことと、どんぐりの違いを少し書きました。百玉
そろばんの件を以前に書いたように思うのですが、こういう教具も「自分で描いた絵」とか「十本の指」にかなわない、と過去ログなどにもあります。私はどん
ぐりを知る前、子供に百玉そろばんを与えて計算をさせてました。するとどんぐりをはじめた頃、百玉そろばんをつかいたがりました。問題の数だけ絵を描くこ
とを嫌がりました。だって絶対楽ですから(百玉そろばん)。でもこれではその教具が無いときに困りますね。「絵図を描くのがめんどくさい」→描かない→描
けない・・・となってしまうところでした。「え〜でも絵図を描かなくても頭の中に教具がイメージできて暗算できればいいんじゃない」と思ったころも実はあ
ります。ぱっぱと暗算できることに憧れめいたものもあるんです(自分が苦手なので)。でもよく考えるとそれも時期によっては文章題を味わう邪魔になるかも
しれないな、と思います。大人の考えでは文章題を読んで、式がたって、それから計算をやる・・・だから計算と文章題が解けないことは関係ない。むしろ解く
助けになる。。。ということだと思います。でももしかしたら子供の頭の中は違うかもしれません。文章題を読んだとき、数字が出てきます。これが子供の頭の
中でたとえば百玉そろばんの玉にイメージ変換されてしまったらどうなるでしょう?たとえば「15秒で10ml」の15と10がそろばんのたまに変換されて
しまったとしたら・・・。15秒→○○○○○○○○○○ ○○○○○10ml→○○○○○○○○○○「秒」と[ml」は?文章題にでてくる数値には数だけ
を表している一意的なものはほとんどなく、何らかの「量」や「質」を持ってます。ところがこの感覚を持って問題をとけるこが本当に少ないです。「50g」
と「30回」を平気でたしたりひいたりしている子が本当に多い(というかしないこの方が近年少ないです)。これは一意的な数字操作である「計算」をさんざ
ん練習させられている結果ではないかと思うのですが。。。これに対し、どんぐりの文章題を自分の絵図で表す体験を積む場合はどうか・・・カタツムリ4匹を
自分の見たカタツムリを思い出しながら自分の手で描く。そのカタツムリに葉っぱを二枚ずつ持たせる・・・葉っぱを描く時とカタツムリを描く時、頭の中でこ
の二つが「同質」と捉えられることは無いでしょう。しかも自分が描いたカタツムリは他のカタツムリと違う、とくべつなものです。←月と地とさんちのD君の
カタツムリですこんなの描けません、私には。小豆は「一時間で三歩」の亀さんがすごく気になるようで、昨日も三歩歩くたびに「一時間」「二時間」と数えて
いって、「そこからここまでくるのに12時間もかかるんだよ〜」と笑ってました。こういう感覚も単なる計算練習では身につかないものだと思うのです(普通
の文章題でもダメかも。だって楽しくないと記憶に残らないもの)。出来合いの絵図を見ているときに↑の絵を見ているような感情はわかないし、描いた本人な
らなおさらですよね。それに絵にするときに4匹と2枚の関係をイメージするのですから、両者の関係が同質でないことがキチンと理解できますよね。出来合い
の絵図ではこういう異質感は薄れてしまうと思います。どんぐりっ子にとって、数字は「数」だけを表すものにはならず、ちゃんと質感(?)をもってイメージ
されるものになるはずです。それはとてもとても大事なことではないでしょうか?つい最近まで、小豆は3+4も指でやってました。いや、ひょっとしたら今で
もやるかも。つかわないときもあるんですが。でも一時間に3歩はイメージできます。だからあまり心配していません。ちょっと不便だろうな、とは思うのです
が。計算練習が必要なら、もっと学年が上がってからで間に合うとわかりましたし。。。だんきち先生のところでは中学生がすごく伸びたのだそうです。いざと
なればだんきち先生のところに送り込んでしまおう小豆は余裕のない子で、いろんなことを器用にこなすタイプではありません。だから余計に「まずはどんぐり
の文章題」なんです。「文章題の最後の段階でつかうのだから」「イメージしたあとで使うのだから」影響は無いと思うのは大人の勝手で、子供は練習回数が多
くなり、習熟すればするほどそちらの回路が先に働くようになる気がするのです。文章中の数字が勝手に○(そろばんの玉)のイメージに変換されるようになっ
てしまうくらい習熟しちゃうと困る、と思うのは私だけでしょうか?それに計算を暗算でやることが「良いこと」と価値付けられると、筆算を書くことを嫌がる
ようになりかねません。そうすると計算間違いがあっても原因がわからなくなります。また計算は「答えを出す」ことが優先されますので、その価値観が文章題
を「味わう」ことの邪魔をするかもしれません。あと少し感じるのは「簡単な文章題」なら解けるのは、国語力の問題ではなく、「合わせていくつ」→+、「○
個とるといくつ」→−・・・と算数語に直訳できるからじゃないのかなぁ。。。言葉が単純だからイメージしやすい、のでなく、イメージを飛ばしても式が立っ
て答えが出せるからじゃないのかなぁ、と最近気付きました。こういうタイプの子供たちは言葉からイメージ再現なんかしてないんじゃないでしょうか?たとえ
ば I run. なら「私は」「走る」で、日本語としてもおかしくないですよね?単語を知っていればそのまま訳せばOK。語順訳→和訳の仕組みを知らな
くても答えは出せます。そんな感じじゃないかな、と思うのですが、どうでしょう?と、いうような理由で、私は「まず」「どんぐりの文章題」を子供に与えた
いと思います。計算は必要があればシッカリ絵を描く体験を積んだあとで、と思っています。う〜ん、なんだかやっぱり中途半端な文章です。上手に読んでいた
だいて、まとめてくださると嬉しいです←おい!
最終更新日時 2007年2月14日 6時1分2秒
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2007年2月13日:国語力・計算力・どんぐり文章題
はじめに申し上げておかなければなりませんが・・・多分今日もうまくまとめられませんです、はい。。。皆さんの読解力に期待&ヘルプミー!コメント欄あっ
てのこのブログだと、最近ヒシヒシ感じております。ご協力に感謝です先日だんきち先生と意見交換させていただいた過程で、自分の考えが深まったことがあり
ます。上手に説明できないと思いますが、さらに考えを深めるために書かせていただこうとおもいます。「国語力が無いから文章題がわからない」←これが勘違
いであることはどんぐり先生が繰り返し述べておられます。「でも実際、子供が文章題の中の言葉を理解していないから絵が描けない。だからまずもっと簡単な
言葉で出された問題で練習しなくてはだめじゃないのか」と、私は思いません。小豆や塾生が特別国語力が高いわけではないと思います。私はただこう考えてい
るのです。「どんぐりをやっていくことで国語力(読解力)が育っていく。
それが一番無駄が無いし楽しい」と。なぜなら12歳までの学習はすべて「耕す」ためのものだと知ったからです。「今」その言葉を知らないことは何も悪いこ
とでなく、また恥ずべきことでもありません。知らないから、わからないからこそ「面白い」のがどんぐりっ子ですもの!知らなくても大丈夫、その言葉を脳内
で再生しながらお絵かきをしていけば小脳が働きだすんです(と思います)。そして次にその言葉に出会ったとき、「あ!?」とひらめきます。一度や二度では
ひらめかないかもしれませんが、徐々に効率はよくなります。他のものではダメです(効率が悪い)。どんぐりの文章題だから良いのです。なぜ?どんぐりでは
右脳と左脳が同時に育ちます(『思考の臨界期』必読ですよ)。それはどういうことでしょうか?どんぐり文章題に取り組むときのことを考えてください。まず
文章を読みます(左脳)。次に文章から浮かんだイメージを絵にしていきます(右脳&左脳)。絵図を見ながら考えたり計算したりします(右脳&左脳&小脳)
わからなくても小脳は勝手に考え続けちゃいます。す・ご・い・で・すね〜「でも文章の意味がわからないから正確な絵図がかけないんです!」だからわから
ん帳があるんだと思います。絵図を描く訓練なんです。そのときに完成しているほうが変なんです、きっと。正確であるより楽しい方がよいと思います。だって
子供が楽しんで描いているときには本当にたくさんの情報が絵の中に盛り込まれますから本当に大丈夫なんです。「文章を意識して」「自分の手で」
描いたことが大事なんです。ここでどんぐりのすごさ再確認です。どんぐりで絵を描くときと普通のお絵かきの違いがここにあって、それだからこどもの「学
力」が育つんです。どんぐり文章題をやるとき、絶対に「文章を読む(読んでもらう)」ことをします。そこがスタート地点で、「イメージ再現」が始まり、
「頭に浮かんだイメージを絵にする」ことが始まります。たとえこのとき「赤い亀」と「青い亀」がいることだけが正しくて、他の設定が無視されるように見え
ていても大丈夫です。楽しくおわることができた時、子供は絶対その絵を覚えています。そしてそのとき聞いた文章もです。だって忘れられない設定ですよ、ど
んぐりの文章題はご心配なら子供の描いた絵を見ながらもう一度ゆったりやさし〜く(絵本を読んでいるつもりで)読み聞かせるのがいいと思います。ここで絵
を批判したり答えを求めちゃダメ、ですよね、レオンくん?
○たのしまないと、え はうごかない。
○たのしむには、ストレスをブロックしてあげないとね。みえないストレス...せいげんじかん・こたえ・じょうずなえ・ひかく・...。
(2007年02月12日 09時21分30秒)
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多分絵だけじゃなく、小脳も動かなくなっちゃいますね、きっと。小脳のスイッチが入れば大丈夫です。日常生活で「言葉」を拾うようになります。日常に言葉
が落ちてなかったら?またどんぐりで拾いましょう。ちょっと時間が余分にかかるかもしれませんが・・・。間違えていたって、無駄は無いんです。絵の中にい
ろんな情報入れこむ練習をしましたから。言葉を聴いてイメージを膨らませる練習をしたんですから。それにどんぐりはぜったいに「無駄にしない」んです。そ
のための仕組みが随所にあるんです。どんぐりは片面印刷の問題を切り取ってノートにはります。これだって大事な仕掛けのひとつです。問題と同じページに絵
図を描きます。足りなかったら紙をたしていきます。だから問題文と絵を一度に目にできます。ルーズリーフでなくノートにするのはなくさないためです。それ
に自分の解いた順番もわかるし解けなかったらわからん帳に入れます。これも大事な仕かけです。すべてが「仕組まれて」いるんですよ。だから大船に乗った
つもりで「どんぐりをとく練習」なんてせず、その時間を「遊び」に使うのが「正しいどんぐりの楽しみ方」だと思うのですもし「どんぐりをするための訓練」
なんてしちゃうと「解かなきゃ」とか「うまく描かなきゃ」とか「問題の意味をちゃんと理解しなくちゃ」というストレスをかけちゃうのじゃないかなぁ。。。
字数オーバーしそうなので、一旦きります。
最終更新日時 2007年2月14日 6時0分40秒
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2007年02月11日:文章題の味わい方・・・続きです
さて続きです。これから書くことは私が感じていることで、どんぐり先生がおっしゃりたいこととは違うかもしれません(だから間違っているかもしれません。
お読みになる方、気をつけてくださいませ)。どんぐり倶楽部で基本中の基本、「言葉のトリガー理論」を考えてみます。言葉は本来「イメージ再現のため」の
引き金である・・・「何を当たり前のことを」と思われる方もあるかもしれません。ところが子供たちが問題に取り組んでいる(取り組ませられている)様子を
よくよく観察すると、このトリガー理論が見事なまでに無視されていることに気付くはずです。先の記事で例に挙げたRちゃんとAちゃん。彼女たちの中では算
数の文章題の「言葉」はイメージではなく、「答え」を導くためのヒント(?)にしかなっていません。彼女たちは塾で「絵図で描く」という指導を受けたた
め、「静止画像」は再現できるようになっているかもしれませんが、「動画」は再生できないのです。だから彼女たちの絵は動画の一場面を切り取ったものでは
なく、どこかで見た絵の模写のようになっているのだと感じます。動いているイメージから切り取った一場面と、それだけしかない一場面では同じ一場面でも全
く内容が違います。たとえばフンコロガシのお兄ちゃんが弟を幼稚園に送って行く問題で、家から幼稚園までの道を絵で(線分図ではなく)描いたとしても、そ
こを通るフンコロガシ兄弟の動きは見えないわけです。その動きが見えなければ問題の本質が掴めません。白い花が四本、せ〜の、で水を吸い上げる動画が見え
なければ自分の描いた絵図からなぜ答えが導けないのか、わからないままでしょう。どんぐり問題を「とくこと」を目的にやっていたとします。「静止画」は描
けるようになるでしょう。でももしどんぐりの本質をつかんでいなければ、単に「式のかわりに絵図」を描いている状態になり、すると絵図を描いている分だけ
問題が見えにくくなるかもしれません。学校ではどうでしょうか?子供たちは「テストで点を取ること」が大事だ「問題をよんで式を立てることが大事だ」とい
う価値観を大人たちから伝えられています。すると文章題を読んだとき、それらの言葉一つ一をイメージにではなく、式におきかえていくでしょう。子供たちは
「文章題を読んで式を立てて答えを出す」ことを教えられ、訓練され続けています。途中にイメージ再現があることなどどこで覚えることが出来るでしょうか?
では問題とともに「具体物」や「あらかじめかかれた絵図」を与えればいいのではないか。と思われるかもしれません。ところがこれも駄目なのです。なぜなら
出来合いの図や教具には「本人が実感できる時間」が流れておらず、また「本当の数量感覚」も含まれていないからです。たとえば「みかんが3つあります。そ
こへまた4つもらいました。全部でいくつでしょう」というような問題があるとします。これを初めから絵図を与えて子供に解かせるとします。すると子供の頭
のなかでは何が行われるでしょうか。いえ、何が行われないでしょうか?下手すると「全部で」だけを読んでそこに描かれた絵図を数えてしまいます。7個のみ
かんが描かれています。「あ、答えは七か」で、式を立てろといわれています。だから7になるような式を立てます。問題の中に3と4があります。だから3+
4、あ、7になるな。よっしゃ。てな感じでしょうか?言葉とはそのためにある、と誰も教えなかったら。。。ではどんぐり問題から算数に入った子供はどうす
るか。たとえば先日、この記事を書くため、小豆にこんな問題を解いてもらいました。「ひまわり幼稚園では毎日子供たちが楽しく遊んでいます。子供たちの半
分は男の子。男の子の半分は年長さんで、他の子はみんな年少組です。年長さんは二人です。ひまわり幼稚園の子供は全員で何人でしょう?」「ごめん、こんな
のよくないんだけど、おかあちゃんのお仕事で使いたいからといてみてくれん?」と頼みました。と、小豆はひまわり幼稚園から絵にしていきました。←実は
怒っています。柵は拒否感の表れかも・・・ここでストップをかけました(結局描いてくれましたが)。ここ数ヶ月、ずっとどんぐりだけをやっているような状
態になり、小豆は文章題を読んだときに背景にある「時間や空間」を感じるようになったのだとおもいます。小豆にとって文章題の言葉はイメージを導くための
トリガーであって、答えを出すための材料ではなくなっている(。。。と思いたい)ようです。ところで年長や一年生でどんぐりを始めると、お絵かきに夢中に
なって答えを出そうとしない場合があります。
親は(指導者は)心配します。が、どんぐり先生が何度もおっしゃっているように、これが「理想的」なのだと私にもだんだんわかってきました。お絵かきに夢
中になるとき、子供は「問題を解かなければいけない」というのろいから解き放たれます。のろいから開放されると子供たちの絵には本当にたくさんの情報が盛
り込まれます。そしてまた絵の一つ一つのパーツが連結していきます。絵の背景を考える過程でたくさんの思考回路が増設されます。絵が生き生きと動き出しま
す。どんぐりの問題はとくための問題ではありません。今目の前の問題がとけるかどうかを評価するものではなく、今目の前の問題を使って子供たちを育てるた
めのものなのですから。どんぐりをはじめた頃(学校に行っていたころ)の小豆の絵は「式の代わりの絵」という感じです↓。←これは海の青さと空の青さの問
題です。背景に流れる時間・物語の楽しさ、海や空から感じること・・・何も再現されていません。問題をとくために必要な、極端に限定した情報しか拾われて
いません。子供たちがたとえばみかんを描くとき、それが上手だろうが下手だろうが、そこには自分が感じた「みかん」とそれを食べたりもらったりしたときの
体験がこめられます。みかんから連想するものすべて(その子の世界)がこめられていきます。またその子供がみかんの何に一番価値を感じているのか・・・み
かんの色なのか、ぶつぶつした感じなのか、またはそれを受け取った状況なのか・・・そういうものがつぎ込まれて一つの絵になります。子供が自由に描いた一
枚の絵図の中には本当にたくさんの情報が入っていきます。それを全部言葉で説明するのは困難なほどです。その中には後々、文章題をとくために欠かせない要
素もたくさん盛り込まれています。今目の前の問題には関係ないかもしれませんが、いつかは必要になるものです。問題をとくためだけに必要な情報だけでな
く、自分自身の関心や価値観、そんなものもオリジナルの絵図の中に描き込まれていきます。こうして子供たちはどんぐり問題をとおして、あらゆる情報を絵図にこめていく体
験を積んでいきます。普通の文章題をとくとき、一年生レベルでは「時間」の流れまで意識する必要はありません。でもどんぐり文章題は年長問題から「時間」
を意識して絵図を描く練習をつんでいきます。再現したイメージを絵図化していく練習をつんで来なかった子供たちに、6年生になってから突然「時間」を入れ
た絵図を描けといってもかけないのは当然です。たくさんある情報の中から必要なものを拾うことはできても、無いものを拾い上げることはできません。「みか
んが3つあります。あとから4つもらいました。全部でいくつでしょう」というような単純な問題を式を立ててとくことばかりをやらせることは、子供たちに問
題文の中から極端に限定した情報だけを拾う訓練(この場合は数と足し算記号に直訳できる言葉)をさせることになります。その結果失っていくものは大きすぎ
る・・・。これは先日のくらげの海の問題です。ゆったりとした海の世界、クラゲたちの様子・・・ゆったりとした時間の流れ・・・小豆自身が今関心を持って
いること(ケロロ)・・・いろんな情報が描き込まれています。絵を描きながら小豆がいろいろなことを試している(いろいろな要素をどう描き表すか考えてい
る)のにも気付きます。この絵では「たくさんの数を描く時、どうやれば楽か」を考えていました・・・他のときには立体的なものの表し方や、動きの表現やな
んやかや・・・。小豆は「あと9匹もくらげ描くの大変だわ〜。小さいのにしよう」と言って、小さくくらげを描きました。これが抽象化への第一歩になりま
す。大→小(ノートに収まりきる、描きやすい)、複雑な図→単純な図・・・こうして単純化、抽象化が進めば線分図やグラフになっていきます。自分で描き込
んで描き込んで描き込んで・・・その結果として生まれた抽象的な図なら、たとえば100人の子供を100個の○で表現したなら、その子は○に子供の顔をイ
メージすることができます。しかし初めから線分図を与えられたり、「いいから数を丸で表しなさい」といわれたら・・・子供たちはその○のなかに何も見ない
でしょう。以前こんな記事を書きましたが、中学生の子供たちがグラフから何も情報を拾えない、そういう事例を山ほどみています。う〜ん、どんどん話が広
がって収拾がつかなくなってきました・・・。この記事は没にしようかと思いましたが、とりあえずアップしてみます。わかりにくくてごめんなさい。一応まと
めます。どんぐりに年長さん用がある一つの理由は「文章題=とくもの」という価値観が学校から入る前に「言葉」→「イメージ再現」の体験を積むためかもし
れません。どんぐりをはじめる年齢が高ければ高いほど、それまで影響を受けていた「問題はとかなくてはいけない。正解が大切だ」という価値観が自由にイ
メージを広げることを阻害します。その結果絵に盛り込まれる情報は限定されます。問題をとくことと関係ないように見える絵には他の問題をとくための様々な
要素が複雑に入り込み、それが子供の絵図と頭を育てることになるのに・・・。さんざん自由に絵図を描いた結果の簡略化は大丈夫。簡略化した絵図の中に、子
供たちは自分が以前描きこんだたくさんの情報を再生できるから。でも初めから簡略化されている絵図は、その子が極端に限定した情報しか拾っていないことを
示しているかもしれません。駄目だ、まとまらない。どうしよ〜。。。でもせっかく書いたのでやはりアップします。変な文章でごめんなさい。
最終更新日 2007年02月12日 05時21分26秒
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2007年02月11日:文章題の味わい方
昨日の朝、どんぐり倶楽部の掲示板にどんぐり先生が次のコメントを書き込まれました。
●AERAへのアドバイス:どんなに「読み聞かせ」をしても、どんなにたくさんの本を自分で読んでも、どんなに集中しても<このこと>を知らなければ読解力は育てられません。「読解力とは文字を視覚イメージに変換することである」
<学年別>
●小1:言葉からの視覚イメージ再現を楽しむこと。答えはオマケ。「お絵描きに夢中で進まない」が理想的。上手下手に関係なくオリジナルであること。豊か
な表現力の源となる感味力養成が大事。読んであげる方がいい。自分で読めるから読ませるのはストレスになる場合が多い。数が確定していないものでも意識で
きるようにする。見えないものを見る力(描く力)が決め手!
●小2:計算式は書かなくてもいい。こうすれば(こう考えれば)解ける(こうなる)という筋道をつけることができるようにする。答えまでの「理論展開」を目でできるようにする。構図による理解。視考力養成。
●小3:視覚イメージの再現に加えて視覚イメージの操作(思考)力を視考力を活用して養成する。絵図を描いても絵図を使わずに、計算式だけで答えを出そうとする場合には要注意。不要な言葉は書き込まない。
●小4:絵図・筆算・計算式・答え」の4点をセットとして書けるようにする。絵図から導いた計算式(算数語)を意識すること。途中式(推論の軌跡)を丁寧に書く。問題文にない数字は必ず計算式で出す(算数語で書いておく)。
●小5:「絵図・筆算・計算式・答え」を書く場所を分けて見やすく整理しながら書く。視考力のブラッシュアップ。簡潔な絵図でいいが線分図はなるべく避ける。
●小6:過不足無く、全体を見通しやすいように(一目で理論展開が理解できるように)絵図を工夫して描く。誰が見ても分かるように描く。プレゼンテーション・表現力をも含めた視考力を活用した思考力養成の仕上げ。
このコメントに関連して、私自身の考えをかきたいと思います。
<6MX01>赤チューリップと白チューリップがあります。赤は白より28本多く赤は全部で32本です。このチューリップはどれも1本で15 秒に10ミリリットルの水を吸い上げます。では白いチューリップだけで7.68リットルの水を吸い上げるにはどれくらいの時間がかかりますか。
塾生でこの問題はみんな苦手です。最近目覚しい進化を見せてくれるRちゃんも苦手です。Rちゃんは公文の出身ですが、この7ヶ月とてもよくがんばっ
てくれ、絵図もしっかり描けるようになりました。私も嬉しく思う反面、やはり何かかけている感じを受けていました(問題をとく様子)。彼女のこの問題への
取り組み方はこうです。まず28本多くて32本、ここはクリアして4本(はじめての頃はここですでに悩んでいました)。4本の白い花を描きます。そしてそ
の花がじょうろで水をもらっている絵を描き、そこの10mlと入れます。そのあと15秒、という文字をそれぞれの花の下に書き入れます。すると「4本で
40ml飲むのに60秒かかる」と考えます。そしてここからどうしても抜けられません。もう何回目のトライになるかわかりませんが、どうしてもそこから抜
けられないのです(様子を見たくて一月に一度はトライさせてます)。
<6MAX48> アリンコ小学校のミジンコ教室でカードゲームをすることになりました。そこで、クラス全員をグループ分けすることになりました。
ところが60人ずつのグループに分けると24人余り、同じ数のグループで63人ずつにすると6人足りなくなるそうです。それでは、ミジンコ教室の生徒は皆
で何人なんでしょう。
<6MX80> フンコロガシは 7:45 に家を出て、弟のウンコロガシを学校の先にある幼稚園へ送ってから登校するので、学校には 8:12 に着きます。家から学校までは1km。弟と一緒の時はフンコロガシは毎時3km、一人の時は毎時4kmで歩いてるとして、学校から幼稚園までの距離を求めましょう。
こういう問題はかなり「できる」子でも苦しみます。というより、これは私の指導がまずかったのだと最近ようやくわかりました。子供たちがなぜ解けな
いか。。。それは問題の中に流れている「時間」を意識させてこなかったからです。塾で指導する私が「絵図で考えるんだよ」「問題を絵にするんだよ」という
ところに重点を置きすぎた結果、問題を味わうことが抜けていたせいです。つまり子供たちはまじめに「問題を絵図にした」だけで、イメージ再現をしていな
い、あるいは再現がとても貧弱だったのです。ようするに「式の変わりに絵図をかく」だけだったということです。それでも式より絵図のほうがはるかに有効
で、子供たちの読解力はずいぶん伸びたと思って喜んでいました。でも・・・親御さんや塾長を納得させるため、ついつい「とく」方にシフトしていた私でし
た。そのせいで一番大事なこと、「文章題を味わう」ことが抜けてしまいました。子供たちの頭の中を想像してみると・・・。
赤い花と白い花があります。→赤いチューリップと白いチューリップを描こう。
赤は白より28本多いです→28本も多いんだぁ。
赤は全部で32本です。→32-28だな。
このチューリップはどれも1本で15秒に10ミリリットルの水を吸い上げます。→絵を描こう→白い花四本の下に15秒と10mlを書き入れる。
とりあえず立式していたのを、とりあえず絵図にしている・・・そんな感じでしょうか?つまり彼女の頭の中にあるのは「静止画像」で「動画」ではないのだと
思います。そこで彼女に「とくのは来月くらいにしようよ。今はお絵かきの時間。漫画みたいにこのお話を絵にしていってよ。下手でも(彼女はうまいけど)全
然かまわんよ。私よりはうまいから心配すんな」などといいました。すると彼女ははじめとても戸惑うようすでした。そこでとりあえず、年長問題から楽しそう
な話(ありのりん子ちゃん)を絵本風に描いてみて、と頼み、一緒に描きました。その次の週、白い花が円陣組んでいる(ファイト!とやってる)ような絵や、
せ〜の、でコップにストローを差し込んで必死に飲んでいる絵を描き始めました。それでも彼女が悩んだのは「時間」。。。時間をどうかき入れればよいか考え
ているうちに時間切れになりました。このRちゃんのことがあって、もう一人とても気になっていた子、小5のAちゃんのことをよく見てみました。彼女は問題
を読むと、登場人物(動物)を丁寧に描き、次にたとえばアイスクリームとかお菓子を描き、そこで答えが出ないと頬杖をついて時計と睨めっこを始めます。私
が何か指示を出せば素直にやるのですが、全く脳が働いているように見えず、どうしたものか・・・と悩んでいるところです。この子の絵も全く動いていませ
ん。だから一場面で解ける問題は正解するし、生き生きと取り組むのですが(だんご虫のお母さんが3匹に10個ずつ、900円でお菓子を買うはなしなど)、
絵を動かさなくてはいけない問題は難易度が低くても嫌がります(マッコウ君とザットウ君の太平洋往復競争のようなもの)。それでも私が促すと一時間ずつの
線分図を描いていき、最終的に答えにたどり着きますが、途中その絵図を見て何か法則に気付くという様子もありません。「言われたからやってる」という感じ
です。そこでこのクラスでも(このクラスは二人。ヘリコプターとUFOの問題の優ちゃんも一緒)「漫画描こう」と3Mから描いてみることにしました。優
ちゃんは楽しそうに時間を追って描きはじめました(ムーリー君が時間とともに汗びっしょりになるなど)。でもAちゃんははじめの一場面からどうしても絵が
動きません。「じゃあ、どんなお話かゆっくり頭の中で想像してね」といいながら、もう一度ゆっくり問題を読み聞かせました。そしてわざと優ちゃんの絵のこ
とを「見てごらん、面白いよ」(違う問題をやってる)と見るように促したり。。。でもまだ絵が動きません。かなりユニークな問題を読んでもニコリともしま
せん。。。正直心配なのですが、もう少しこのやり方でがんばってみようと思っています。0Mの「お絵かき」にしようかな。。。←はじめ不用意に、5m以外
を与えたらその時点で涙ぐんでしまいました。全部学年をなおして使ってます。ずいぶん長々と教室の様子を紹介しましたが、ここから本題(?)です。でも
一旦投稿します。また後ほど。
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2007年02月08日:ハム太郎とチュー助
昨日からのどんぐり問題です。実は小豆、ケロロロボとギロロロボのプラモデル(マニアックな話でごめんなさい)欲しくて、父ちゃん選定の金星問題に手を出してます
0M87 ハム太郎がチュー助の家まで行くのに40分かかります。今日ハム太郎は漫画の本を借りにチュー助の家に午後1時10分に着くように家をでるつもりです。では、ハム太郎は何時何分までに自分の家をでればいいでしょう?
←左下のハム太郎の家から右上のチュー助の家まで行きます。道はなんと金ぴか舗装だそうです。&ハム太郎の家の下に魔女の足が!これは先週の読み聞かせの『オズの魔法使い』を再現してみたようです。
←チュー助くんは王子です。
そして道の地下には前回のもぐらの問題で完成した地下基地があります。その基地の自室で一人たそがれる軍曹さんです。私的にとってもヒットさて、ここまで
が昨日の作品。今日は「とく〜・・・でも難しい・・・」と悩みます。悩んでいるのは問題が難しいからでもありますが、答えが出なかったら前払いしてもらっ
てプラモデル買ってもらったので気がとがめるらしいです。「小豆、考えて考えて間違えたらいいんだよ。がんばって間違えよう」と言うと「いいの?」とキョ
トン。そこでなぜ間違えてもいいのか、でも考えなくちゃいけないかを説明。大脳と小脳の話をしました。「普通はこっちの大脳だけで考えてると思われてるん
だ。でもどんぐり先生は秘密に気付いたんだよ。考えて考えて考えると小脳スイッチが入るんだよ。そうするとね、考えてないと思っているときにもずっと自動
的に考えてくれるんだよ。そのスイッチを入れるのにどんぐり問題が一番いいんだ。」てな具合に簡単にですが。「わかった〜」と感心&安心の表情の小豆。
「時計かいてみようかなぁ」と時計を描こうとします。「本物見て描いてもいい?」と言うので壁時計をはずすと一メモリずつ一生懸命描きました。ところどこ
ろメモリの数が違いますいつ気付くかな?文字盤が描けたところで一生懸命数えていますが「うまくいかないなぁ・・・」「針を描きたいけど、ぐちゃぐちゃに
なりそうだし・・・」とちょっとこちらを見ます。「どうしようねぇ?」と私。小豆は「いっぱいかけるかなぁ・・・こんな時計のプリントがいっぱいあればい
いけど」。。。その様子があまりにかわいいので、つい助け舟を出してしまいました(プリンターに視線を送っちゃった。複合機でコピーできるんです)。小豆
「コピーできる?してもいい?」で、文字盤をコピーしたあと、安心して小豆オリジナルデザインの時計を描きはじめます。←一つ描いて「続きはまた明日」。
小豆「あ〜でも・・・わ・・・わ〜難しい」わからないと言いかけて言い直しました。「あ、偉い、わからないって言わなかったね!」小豆「言いそうになっ
た。危ない危ない。でも間違いばっかりだったらどうするの?」母「わからん帳だよ〜。お宝ゲットじゃん」小豆「お父ちゃんにプラモかってもらっちゃった
よ?」母「6年生までにがんばって考えてよ」小豆「うん」母「でもコピーとったし、いっぱい間違えようよ。間違えをたくさん残した方がわからん帳の値打ち
が上がるから」小豆「?」母「迷路しているとき、指だけでなぞると間違えたときどうかな?」小豆「何回も間違えちゃう。だってどこ通ったか忘れるもん」母
「じゃ、どんな工夫するの?」小豆「ぼく鉛筆もってやるで。それで線をかいていくの」母「それとおんなじだよどこで間違えたかのデータになるんだよ」小豆
「うん」こんな会話のあと、学校に元気に学校に(給食食べに)行きました。実は今日は疲れている様子で、もしかしたら休むかな、と思っていましたが、どん
ぐりのあとは元気でした。帰りには先生から聞いた怪談を聞かせてくれました。幽霊を描いた画家さんが明日学校に来て絵を教えてくれるそうです。そしてその
絵が公民館にあると言うのでY君と三人で寄り道して見て来ました。「すご〜くでっかい。それに美人」と言うのが二人の感想でした。いや、本当、きれいな絵
で幽霊さんもすごい美人。こんな美人ならずっといてくれてもいい、とか、うちの夫は言いそうです。何号かわからないのですが、自分たちが描く画用紙サイズ
を想像していた二人にとって、「でっかい絵」は感動物だったようです。明日はその画家さんに会いたいから2時間目に間に合うように行くそうです。さて昨日
の夜のことです。久々に小豆が幼稚園の年長さんの頃描いていた絵日記を引っ張り出し、読みました。字を覚えた頃、字の勉強になるし、と書かせていたもので
す(どんぐり前です)。絵も字も今とは大違い。。。←鳥です。←こちらは発表会の様子です。こういう絵を見て本当に心配していた私でした。明らかに園のほ
かのお友達に比べ、幼い絵でした。でも昨日、改めて見直してみると・・・↓誕生日に買ったキーボッツというおもちゃの絵です。他のものよりはるかに集中し
て熱心に描き、しっかり描けています。特に鍵穴。上の発表会の絵も指揮棒と木琴(自分がやった)の撥がしっかりかけてますね。「表現したいものがあること
のほうが大事」と言うどんぐり先生の言葉が腑に落ちました。日記を読むと楽しかったようで、「またはじめようかな」と言う小豆。小豆「でも書くの大変だし
なぁ・・・」「じゃ、大変じゃない程度に絵だけとか、メモだけでもかく?字は母ちゃんが書き取ってあげてもいいし」。と言うことで今日から絵日記再開で
す。宿題では毎日200字程度の日記が出てますが、うちはもちろんどんぐり方式。絵コンテ&メモでいきます。
最終更新日 2007年02月08日 22時52分38秒
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懇談の様子を読んで・・・ だんきちさん
そらまめさん、こんばんわ。たった今どんぐりの掲示板で小豆君の懇談の件読みました。こちらには書いていらっしゃらなかったので知らなかったです。大変で
したね。読んでいて、悔しい思い以上にとても悲しい気持ちになりました。子どもたちが本当にかわいそうです。1年生から、なんでそんなにがちがちなんで
しょう。他のお母さんたちの言動も信じがたいものがあります。きっと担任の先生にあおられている所もあるんでしょうね・・・。もし持ち上がることになって
しまったら、転校を考えるのも有りと思ってしまいました・・。そらまめさんとのやりとりの後、なんだかとってもゆとりを持って子どもたちとレッスンができ
るようになりました。どんぐりもぴぐまも「ゆっくり、じっくり」楽しんでいます。本当にありがとうございました! (2007年02月09日
00時51分27秒)
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Re:ハム太郎とチュー助(02/08) ひかりんさん
そらまめさん、こんにちわ。私も小1の娘がいて昨年12月にどんぐりに出会い親子で始めたところです。このハム太郎とチュー助の問題は先月中旬にやりまし
たが時計の目盛りを読み間違えたことに気がつかなくて一時間以内に終らず今月再挑戦する予定の問題でした。「考え方が合っているのなら時計の目盛りの読み
間違いを教えてあげるべきか、それともそれに気づかせるべきか」いつもどこまでヒントを与えれば良いのかどこまで子どもに粘らせればいいのかで迷います。
最近、少々完璧主義の私の性格が災いして子どもにどんぐりの問題を楽しなせていない気がして悩んでいたので、そらまめさんと小豆君のやりとりを読んで何か
掴めたような気がします。「がんばって間違えよう」「いっぱい間違えよう」というそらまめさんの言葉に胸がズキリと痛みました。そういう余裕が私には無い
なあって‥…。アメリカ在住のため現地校と日本の勉強の両方で毎日忙しくどんぐりも1週間に一度がやっとですがそらまめさんと小豆くんのようにもっとこの
時間を子どもと一緒に楽しめる時間にしたいなと思います。これからちょくちょくそらまめさんのプログにお邪魔したいと思いますのでどうぞよろしくお願いし
ます。(2007年02月09日
04時15分40秒)
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Re:懇談の様子を読んで・・・(02/08) 畑野そらまめさん
だんきちさん
>そらまめさん、こんばんわ。
>たった今どんぐりの掲示板で小豆君の懇談の件読みました。こちらには書いていらっしゃらなかったので知らなかったです。大変でしたね。読んでいて、悔しい思い以上にとても悲しい気持ちになりました。子どもたちが本当にかわいそうです。
ありがとうございます。小豆の件をだしにされたのが悔しかったですが、でも自分の子だけでも守ります。数日前にどんぐり先生に掲示板でアドバイスいただいたので、落ち込みがいつもより少なかったです。
>1年生から、なんでそんなにがちがちなんでしょう。他のお母さんたちの言動も信じがたいものがあります。きっと担任の先生にあおられている所もあるんでしょうね・・・。もし持ち上がることになってしまったら、転校を考えるのも有りと思ってしまいました・・。
学級懇談に残っておられたお母さんたちは担任とがっちりスクラム組んで子供を鍛えよう、と言うお母さんたちです。だから残っておられない方たちの中には違う考えの方もおられるかな、と。。。
>
>そらまめさんとのやりとりの後、なんだかとってもゆとりを持って子どもたちとレッスンができるようになりました。どんぐりもぴぐまも「ゆっくり、じっくり」楽しんでいます。本当にありがとうございました!
-----
すみません、生意気ばかり。でもすごく参考にさせてもらってるんです。お子さんたちのノート、是非みたいです。
また意見交換お願いします。(2007年02月09日 07時11分54秒)
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Re[1]:ハム太郎とチュー助(02/08) 畑野そらまめさん
ひかりんさん
>そらまめさん、こんにちわ。私も小1の娘がいて昨年12月にどんぐりに出会い親子で始めたところです。
12月からだと一番迷いの時期かもしれないですね。私もいろいろ迷いました。今7ヶ月目でようやくここまでです。でもまだ失敗も多いです。
もしよろしければhttp://plaza.rakuten.co.jp/hitotubunomugi/diary/200610270000/←こちらの記事をどうぞ。
うちの迷いの軌跡です。
今感じるのは、やはり子供が「楽しんで」終わりにできたときのほうが小脳思考につながっている感じがします。それが実感できてきてあまり焦らなくなりました。
>このハム太郎とチュー助の問題は先月中旬にやりましたが時計の目盛りを読み間違えたことに気がつかなくて一時間以内に終らず今月再挑戦する予定の問題で
した。「考え方が合っているのなら時計の目盛りの読み間違いを教えてあげるべきか、それともそれに気づかせるべきか」いつもどこまでヒントを与えれば良い
のかどこまで子どもに粘らせればいいのかで迷います。
これは誰もが迷うことですよね。でもヒントなしがいいです。私も何回も失敗していますが、そのたびに後悔してます。ヒントなしの方が絶対子供が楽しんでくれますよ!(2007年02月09日
07時16分24秒)
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続きです 畑野そらまめさん
>最近、少々完璧主義の私の性格が災いして子どもにどんぐりの問題を楽しなせていない気がして悩んでいたので、そらまめさんと小豆君のやりとりを読んで何
か掴めたような気がします。「がんばって間違えよう」「いっぱい間違えよう」というそらまめさんの言葉に胸がズキリと痛みました。
私も言うはやすし、行うはかたしです。いつでも変なところはご指摘いただくとありがたいです。
>そういう余裕が私には無いなあって‥…。アメリカ在住のため現地校と日本の勉強の両方で毎日忙しくどんぐりも1週間に一度がやっとですがそらまめさんと
小豆くんのようにもっとこの時間を子どもと一緒に楽しめる時間にしたいなと思います。これからちょくちょくそらまめさんのプログにお邪魔したいと思います
のでどうぞよろしくお願いします。
忙しいのが一番辛いですよね(え?私だけかな?)。すごく大変なのにどんぐりにたどり着かれて、それはとても値打ちがあることだと思います。
まずは自分を休ませて余裕を持ちましょう(自己弁護かも)。母親の余裕は大事だと、ここ数日ひしひしと感じてます。
またぜひいらしてください!(2007年02月09日 07時19分13秒)
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○でんご〜ん:とっておきもんだい レオン117さん
●「どんぐり」の仕掛け「取って置き問題」について。例えば<4MX21:時計問題>...これは3年間考え続けて貰うための問題です。つまり最初から
「分からん帳」行きを予定してあり、毎年2回くらい目にするようにココに置いてある問題です。で2年後に<6MX09:蛇亀問題>を解いていて気付くんで
す。時計問題とどこか似てるなぁ...ココで距離を角度に置き換えたり時計の進みを距離に変換できると問題の本質が同じだと分かります...でも分からな
くても大丈夫...<6MX58:時計問題>でまた、同じ思考回路を別の角度から要求されます。...それで分からなくてもOK。これらの問題が「分から
ん帳」に集まることで、それぞれの絵図を見比べることが出来ます。すると見えてくるからです。これが小4から小6までの3年間、無意識下でさえも考え続け
る(思考回路を作り続ける)状態を作り出す問題なんです。さらに、実は、途中にもっと多くの何段もの仕組みを入れてありますが、それはヒミツです。「解き
方」を守って「分からん帳」を作っていれば思考力養成はできるようになっているんです。だから、「解けないから〜」は全く意味がないんですね。大事なのは
<見えないもものを見る力>→書いてない数字を見えるようにする力。「分からん帳」が宝物である所以です。(2007年02月09日
08時26分45秒)
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2007年2月6日:続きです(2)
「教育は子育てのほんの一部です」の続きです。先日町内のある集まりに出ていたとき、一人のお母さんが「ゲームは子供に持たせないようにしよう」という話
をされました。「ゲーム脳になるし、命を軽く見るようになるって言うし、近所同士で同盟組んで持たせないようにしましょう」と。ここまではそうですね、と
いうより他のない話だったわけです。でも続けてこのお母さんがおっしゃった言葉に私は違和感を感じました。「あと家族の死を体験させなくちゃいけないって
言うでしょ?うちはおばあちゃんがなくなっていてお葬式も覚えているからそれはクリア。で、ゲームを持たせなかったらこれでもう心配ないと思ってる
の」・・・なんか違う、と感じたのですが、その場では言葉になりませんでした。「ゲームをさせない」ことは確かに大事なことだけど、家族の死を体験すれば
それで大丈夫???そしてこの方は学習面ではK式に子供を通わせ、「宿題(大量)がおわるまで外にでてはダメ!でた場合は先生に連絡を取ってペナルティを
与えてもらう」という方針・・・なんか違う!のはその教材、学習のやり方、子供へのしつけの方法すべてが子供の「死生観」に影響を与えるという観点がない
から・・・やはり子供を有機的にとらえていないからなんだろうな、と気付いて納得。たかが教材・たかが勉強というなかれ。。。それがこの子の「育ち」に恐
ろしいほどの影響を及ぼすのですから。話がちょっと変わります。この日記にはあまり登場しませんが、大豆は3歳。難しいお年頃です。小豆も癇癪を起こし
て大変だった記憶がありますが、大豆はさらにすごい。先日検診ではコウハンセイ発達障害の疑いで「要観察」になりました・・・。とにかく泣き喚くときのパ
ワーがものすごく、少しのきっかけで豹変するので大人たちは驚かされます。そして自分が嫌だと思うとどうなだめても聞きません。たとえば先日小豆と大豆
を、実家の父がそり遊びに連れて行ってくれたのですが、その際大豆の長靴がなかったため、新しく買いました。ところが絶対はかない。はかないと言い張った
ら絶対はかない裸足の大豆を私が抱いてそり遊び。「足が冷たいから」と4回ほど滑ったあとは車でおにいちゃんを待ちました。じいちゃんは「可愛くない奴
だ」と思ったようです。いや、孫ですから可愛いけど。これは家の祖父母も同じで、「叩いてでも言うことを聞かせないとあとが困る」と何度も言われました。
子供を育てていて一番悩むのが私の場合「あとでこの子が困る」という言葉です。先日も小豆の担任やいろんな方から「低学年のうちに泣いてもわめいても毎日
学校にこさせておかないとあとで困る。それは将来集団生活ができなくなるからだetc・・・。」と言われ、かなりどつぼにはまりました。大豆のことでも
「こんなに癇癪がきつくては大変なことになるんじゃないか」と、ため息が出る日々でした。でも・・・昨日お会いしたあるどんぐりママから「パワーのある子
は癇癪もすごい。うちの息子もそうでした」と言われ、そしてその息子君が素敵に成長しているのを目の当たりにして、ほっと力が抜けました。そして今日、そ
の言葉を反芻しながら大豆を見ていたところ・・・午前中でかける予定がありました。それで「おかあちゃんがこれとこれをして、それがおわったら一緒に出か
けようね」と声をかけました。「は〜い(好きなところに行くから)」とニコニコの大豆。下で用を済ませ、部屋に上がってみると、大豆は小さくきった折り紙
の上にかき餅(好物)をおいた状態で癇癪を起こしています。そりゃあもう、どんなことがあったんだろう、と思うほどの大泣きさらに泣き喚きながら手当たり
次第に折り紙を破っています。折り紙を破っちゃダメ、とつい叱りそうになりましたが、よくよく見るとかき餅を乗せた折り紙にテープを貼ろうとしていた様子
です。ピンときて「もしかして大豆、この御餅を包もうとしたの?」と聞くとこっくり。大き目の紙を出してやり「これなら包めるよ」というとしゃくりあげな
がら御餅を持ってきます。二人で協力して紙に包んでテープで巻いて、無事に作業完成しました。「これをもっていったらお腹すいても大丈夫だもんああ、よ
かった。母ちゃんにも上げる。お兄ちゃんにも。」と大豆。気が利く優しい子なんです←親ばか。先日の長靴の一件も、とても気に入ったので汚したくなかった
のだとわかっています。でもこの子の愚図りかたは本当に激しくて、大人から見ると「これではいけない!」と思うようなすさまじさなのです。だから叱られる
ことも多いし、私もため息をついてしまうことが本当に多かった。でも今日一生懸命「パワーのある子なんだ。」と大豆が泣き出すたびに自分に言い聞かせてい
たら・・・出力をうまく調整できなくて辛いんだ、というのが見えてきたし、やろうとしていること自体がとても優しくて子供らしいかわいらしい発想なんだと
いうことがよくわかりました。そして今この爆発を「ダメだ」と叱れば、この子は自分が悪い子だというメッセージを受け取ってしまうのだ、とわかりました。
この子は十分「悪い」とわかっているのだということも腑に落ちました。子供たちに問題が見えたとき、ついつい「今のうちになおさないと大変なことになる」
と思ってしまい、その矯正にエネルギーを注いでしまいます。でもそのことで見えなくなってしまうもの、なくしてしまうものもたくさんあるし、それは取り返
せないかもしれない。↑は生活面での話でしたが、学習面での「問題」も同じなのだと思います。今表出している学習面の凹みだけに目をやってしまうとそこを
埋めることだけに必死になってしまいます。ところが埋めるために別のどこか(たとえば土台)を削って、穴が埋まったときには土台がボロボロになってい
る・・・なんて、恐ろしいことが起きてしまう。日記で書いたように子供は生きた有機的な存在ですから、「学習面」を強化(?)するために与えている教材
が、実はその子の生すべてに影響してしまう。特に12歳までは!だから教材は吟味を重ねたものでなくてはならないのだし、凸凹に見える学習面での優劣もそ
こだけを取り上げて「矯正」しようとしてはいけないのだと。。。どんぐり先生は12歳までの子供たちは「どんぐりの背比べ」の年代、とおっしゃっているの
ですが、この言葉もピンときませんでした。だってどうみても個人差が大きくて成績や運動面で大きな優劣の差があるじゃないか、と。。。でも小豆とどんぐり
に取り組んでいてわかってきました。なるほど、って。どうしてなるほどと思ったのかと言えば、今凹んで見えているところが問題なんじゃないんだ・・・とわ
かったので。・・・まとまらないうちにまた時間切れです。もう少し続くかも・・・今日も一日を楽しみたいと思います。
最終更新日時 2007年2月7日 6時25分3秒
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教育は子育てのほんの一部
どんぐり先生の数ある「言葉」の中の一つ、「教育は子育てのほんの一部です」という言葉。。。知っていましたが理解していなかった、と今日気付きました。
この言葉を今まで私がどう理解していたかといえば・・・たとえばコンピューターの部品の一つが「教育」で、これはかなり重要なパーツなのだけれど、かと
いってそこだけが大事かといえばそうではなく、他にも「心を育てること」とか「たしかな違和感を育てること」とか・・・そういう大事なパーツはもっと他に
もたくさんあって、教育だけを重視してほかを無視してはいけない、という風な、いわば警句のように理解していました。が・・・違うんだ〜、と気付きまし
た。どこが違うかといえば、すっごく当たり前のことなんですが、私が育てようとしているのは「人間」であって、「アンドロイド」じゃないってことです。
「馬鹿か!」とお叱りを受けそうです。そんなこと当たり前じゃないか、と。お叱りごもっとも。そうなんです。でもその当たり前のことに気付かずにいました
(猛省)。ちょっと話がそれます。みなさん『医龍』という漫画をご存知でしょうか?去年ドラマ化され、面白かったのでコミックを大人買いしちゃったんで
す。その医龍の中にあるエピソード。。。主人公が別の心臓外科医と組んで手術をしています。途中いきなり心臓が止まってしまいます。そこでもう一人の外科
医(この人も優秀な医師)が人工心肺に切り替えるetcの指示を迅速に出します。この判断は医師なら誰でも「的確で迅速な判断だ」と彼をたたえたくなるよ
うなものでした。ところが主人公は「まて!↑の指示を実行するな。俺が執刀医だ!」と言ってそのままじっと心臓を観察しています。と・・・しばらくすると
また心臓が動き出すのです。つまり主人公は心臓だけを見るのでなく、人体全体の血液の流れetcを見てこの心停止が一時的なものだと判断していたのです。
同じ漫画の中で一人の医師が言います。「この世には二種類の外科医がいる。一つは臓器を解剖学的にとらえるもの。・・・この手術で言えば心臓を単体の臓器
としてとらえ、心臓局所の問題にしか注意の行かない医者。そしてもう一つは・・・人体を動的に捉える医者!人体を様々な生きた臓器がつながったトータルな有機体としてイメージする医者だ!」と
まあ、このセリフの後、手術中の主人公と手術台の上の臓器すべてが透けて見えている患者(生きて動く臓器)の絵が入るのです。どんぐり先生がおっしゃる
「教育は子育てのほんの一部です」というのはまさにこの「生きた臓器がつながった有機体」としての人間育てのことをおっしゃっていたんだ、と、本当に遅れ
ばせながらやっとやっと気付きました。たとえば「百マス」で有名なK氏(先生と呼びたくないぞ)。彼らの言葉にももっともらしいことが含まれています。
たとえば「早寝早起き朝ごはん」。これは同じことをどんぐり先生も言われていると思います。が・・・K氏は要するに「解剖台に横たわった命なき臓器」しか
見ていない人だと思います。こういうタイプに手術されると「手術は成功した、しかし患者は死んだ」となるわけです。うわ!我ながら大胆な発言・・・う〜
ん、それにしても何とかならないかな、私の文章力・・・。なぜどんぐり先生は一つ一つの教材にあれほどこだわられるのか・・・「教育は子育てのほんの一
部」とおっしゃっているのに?と、ふと思ったのです。たとえば教育が「動脈・静脈」だとします。K氏のタイプは「動脈は大事だ」とは知っています。そして
教材を処方します。その教材をつかってせっせと動脈の機能を高めようとします。ところがK氏の使う教材は動脈を太くするけれど、毛細血管に致命的なダメー
ジを与えてしまいます。どんぐり先生には毛細血管が受けているダメージが見えています。毛細血管は太い血管に比べて重要でなく見えるかもしれません。でも
毛細血管が張り巡らされ、クッションの役割を果たしてくれるからこそ心臓のポンプ運動や血流による衝撃が和らぎ、血管が守られているんです。ちなみに私の
実弟が3年前に脳動静脈奇形で倒れましたが、この奇形があると毛細血管の異常で血流の衝撃が吸収できず、血管破裂を起こしてしまうのです。その破裂が起こ
るまで、弟は何の問題もない健康体でした。誰も奇形に気付きませんでした(当然ですが)。破裂したという結果はK氏にももちろんわかります。でも彼は臓器
を解剖学的にしか見ていないため、自分の与えた教材と結果との関連が見えません。すると「それは家庭のせいだ。早寝早起き朝ごはんができてない!親が悪
い!」と言う理屈になります。あ〜、もう、この下手な説明・・・いやだ〜本当にどなたか私の代わりに上手に説明してくださいませ〜。気を取り直して・・・
どんぐり先生は教材にこだわられます。それはなぜなら教材一つが生命体としての子供に大きくダメージを与えるということを熟知されているからです。だか
ら先生の教材は子供という生命体全体を高めていきます。デンタくんでさえどんぐり先生は「危険回避のための緊急手段」とおっしゃっています。そして「出
来るとわかったら練習しなくて良い」とも。それはなぜか?教材は子供になんらかのメッセージ(価値観)をおくります。このメッセージによっては副作用があ
り、微細だけれど人体にとってなくてはならない臓器(毛細血管のような)にダメージを与えたり、またせっかくの良い栄養を吸収できなくなったりします。ど
んぐり倶楽部の良質の文章題が贈るメッセージは「ゆっくり、じっくり、丁寧に」「あなたのオリジナリティが大事なんだよ。あなたはすばらしいのだよ」など
です。これに対し巷にあふれる「出来るようにするため」の教材は「出来ることがすべてだ」「早いことがすべてだ」「暗算がスマートなんだ」・・・もちろん
教材を発明した人たちが上のようなメッセージをこめようとしたわけでないでしょう。ですが発明した人の善意とは関係なく、教材はメッセージを発します。。
「出来ることがよいとだ」「スマートにやることが良いことだ」と。これは使用させた側の意図に反している場合も多くあります。「見せない教育」についてど
んぐり先生がおっしゃっていますが、目にした映像は解説とは別個に単独で子供の脳に保存されるそうです。だから殺人の悲惨さを訴えるための死体の並ぶシー
ンが保存され、頻繁に目にした像は心で「肯定」されてしまう。だから見せてはいけないのだ、と。教材にもこういう側面があるのだと感じます。私も百玉そろ
ばんを使っていました。そしてなぜつかってはいけないのかわからなかった時期があります。確かに百玉そろばんのおかげで九九も十の補数もわからなかった小
5の塾生は10の補数を理解しました。繰り上がり、繰り下がりもわかるようになりました。でもきっと、その「出来るようになったこと」以上のダメージを私
は彼女に与えてしまったのだと今は思います。それは一つの血栓を取り除いたかもしれないけれど、またすぐ次の血栓ができてしまう。対処療法のようなもの
だったのだと今はわかります。それだけでなく、間違ったメッセージ、子供にとってダメージとなるメッセージを贈ってしまったのだから罪が重いのです。「あ
なたにはまだまだできないことがたくさんあって、それは悪いことなんだよ」「出来るようにしなくちゃいけないんだ」etc・・・。私は一応塾で指導してい
ますが、どんぐり先生のように「動的に」子供を捉えることなど思いもよらない未熟者でした。子供たちの「動」を見るためには成長段階によるファクターもあ
るわけで、同じ薬でも年齢によっては毒になり、また逆に薬にもなる、と・・・これはどんぐりの常識でしたが、改めて納得しました。今でもまだ自分の目で確
かにとらえる自信はありません。が、「動的に」見る重要さを教わりました。それは大きな福音だけど、それを知った後で切磋琢磨して、自分も動的に人間を見
られるようにならなくては子供たちは救えません。がんばります。う〜ん、それにしてもどんぐり倶楽部って深い・・・。深いぞ〜!と言うところで夕飯の支度
をしてまいります。では。
最終更新日時 2007年2月6日 19時26分30秒
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もぐらの餅つき・・・完成です♪(1)
え〜っと、中3日(?)あきまして、もぐらの餅つきです。このたび新設されましたのピアノルーム、アイロン部屋、食料倉庫です。←右上の洗濯干し場はこ
の前まで洗濯物はありませんでした。このたび晴れて利用されることになったようです。わかりにくいですが部屋の下に描いてあるギザギザのチューリップみた
いな(?)のはしずくがたれてピチャンと跳ね返っているところだそうです。←ピアノが難しかった、と言ってます。消しゴムを思わず使い、「あ、これは埃
ね」と消しあとをごまかしてました・・・。←こちらは食料倉庫。ミミズがストックされております。ちなみにお餅もミミズ入りだそうです。←洗濯干し場と
思っていたところはクローゼットだったようです。つるされたズボン、アイロンでこげたそうです。。。←全体像です。問題を「一緒に読んで」というので一緒
に読みました。「12回音がしたの?音三回につき一個ってことだよね?」おお!三回につき、ときたか。いつの間にか自分の言葉で言い換えが出来るように
なってきています♪どう描くかなぁ・・・と思っていたら指で数えちゃいました。。。ま、いいか。御餅を三つと一つ(点線で)描きました。最後の一個がまだ
うすの中のようです。素敵な作品になりました。母は満足じゃ
最終更新日時 2007年2月6日 10時8分57秒
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2007年2月5日:記事が消えました(涙)(7)
書き終わってenterを押したら全部消えました!なぜ〜〜!もう時間がないのに〜!みなさん、昨日の記事のコメント欄(記事じゃなくて)、とても有益な
やり取りをだんきちさんとレオンくんがなさってますのでぜひ見てください!あと、前々から疑問だったことがあります。だんきちさんのところで聞けばいいの
ですが、ちょっとここでも情報募集です。私は暗算がとってもとっても苦手です。だんきちさんの塾生さんたちのように32−9なんてパッと計算できません。
実際今も13か23かパッとわかりません・・・(爆)。ADHDといわれるお子さんたちは「短期記憶」が苦手と聞いて、私も同じだな、と感じています。一
度に一つのことしか頭に入らないのです。だから暗算で32のイメージを保持してそこから9を取る、というのは至難の業に思えるんですが、これはちゃんと訓
練していないからですか?私自身がそうだったので、塾の子供たちにも小豆にも暗算を訓練したことがありません。私ならすごくエネルギーを消費してしまうん
です。教えられないんです・・・。まずいかな・・・。指をつかえば大丈夫なんで、デンタくんだと(私は)まあいけるんですが、それでも20以上の数は怪し
いです。と、何のためにカミングアウトしているんでしょうか>私。何か書きたいことがあったんですが、焦るばかりで思い出せません(ほら、ね。短期記憶弱
いでしょ?)。時間がどんどん過ぎていくのです。。。また夜これますように(祈)。
最終更新日時 2007年2月5日 6時37分12秒
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2007年2月4日:良質の文章題(7)
ちょっとはじめに大豆の作品を親ばか掲載させていただきます。上段左が小豆・右が母ちゃん、下段が父ちゃんです。「大豆は?」と聞くと「大豆の顔は見えん
からかけれん」そうです。さてさて話は変ります。どんぐり倶楽部の「良質の文章問題」をやっていてつくづく感じるのですが、本当にしかけがいっぱい!うま
く書けるかどうかわからないんですが・・・0m 野原でのんびりお昼寝している亀さんが突然忘れ物を思い出して走り出しました。でも亀さはどんなに早く
走っても時計の針が一周する間に3歩しか歩けません。では亀さんが18歩歩く間に時計の長い針は何周まわることになるのでしょう。←以前に紹介した小豆の
回答です。この問題すごいですよね。これはもちろん6年生になってから「速度」の単元につながっているわけです。しかも年長〜小学校低学年の子供たちにも
無理なく、実感を伴う形(長い針が一周・三歩)で出されているわけです。たとえば小豆に「一時間に100km」と言ったとすると「なんとなくわかるけど実
感がわかない」という感じだと思います。でも「三歩」だと「すっごくゆっくり〜」というのが身体で納得できます。実際に小豆はこの問題がとても印象深かっ
たようで、先日も「今5時だからあと(と指で数え)7時間で今日はおわりでしょ?そうすると電線亀は・・・(また指で数える)21歩しか歩けん!」といい
ながら21歩歩いてみて、「晩御飯食べに行けん(2階にいたので)」と嘆いていました。「三歩」・・・ここにどんぐり先生のすごさとあたたかさと子供たち
への慈愛をヒシヒシと感じます。子供をよく見て感じた人でなければ作れない問題です。そして子供を信じている人でなければ!塾で使っている教材でよくあっ
たのが「11/7時間(7分の11時間)などという変な数字が答えになるもの・・・これは本当に辛い。なぜ辛いかといえばこの時間は子供に「実感」できな
い数字です。腑に落ちないのです。計算上はそうなるけど納得いかない・・・こういうことが続くと2時間+3kmなんて計算を平気でやってしまうんじゃない
か。。。と気付いたのはどんぐりに出会ってからです。これが11/6(6分の11)ならいいのに、と思ってましたが。これだと分母を60に通分することで
いろんなことが見えてくるから。どんぐりだとこういうのは普通に仕組まれてます。筋肉豆腐の問題などもきれいに答えがでます。「わかった!」「なるほ
ど!」という爽快感と実感がある。それがどんなに子供にとって大切なことか。。。算数の教材だからいいじゃん、なんていっていてはダメなんだ、と最近本当
にわかってきました。子供が体感できる(実感を伴うイメージが再現できる)ということが本当に子供たちを安定させ、心も頭も育てるんだ、と。う〜〜〜ん、
恐るべし、どんぐり先生。実は今日だんきち先生のところに生意気なコメントを書いてしまいました。だんきち先生のお人柄を感じているので安心して書かせて
もらったのですが、もう少し補足したいなと思って書いてます。どんぐり先生はよく「どんぐりの良質の文章題をただの文章題だと思ってはいけません」とおっ
しゃいます。この意味をちゃんとわかっているかどうか、自信はないのですが・・・今の段階での私の理解を書いてみます。どんぐりの教材としてのすごさは子
供を「育てる」ところにあります。子供たちは遊びの中でこそ育ちます。これはどんぐり先生以外にもたくさんの方が指摘されていることです。どんぐりの文章
題は算数の問題でありながら自由に子供たちを遊ばせる場なんです。子供たちは自在に問題をつかって(遊具の一つとして)遊びます。それは決してすぐに答え
に結びつくものではないですが、確実に子供を育てます。その場で答えが出ないことは決して悪いことはなく、子供たちはその中から確実に「何か」を拾い上げ
ます。「それじゃないの、こっちを拾いなさい」なんておせっかいを大人がやってしまうと子供たちは「つまらない」と感じてしまいますし、それだけを拾うこ
とで終わりにしてしまいます。これでは子供本人の価値観、本当の感情、そういうものを壊してしまいます。他人の価値観で生きる、他人の頭で考える、そうい
う子供を作ってしまいます。その場で(問題)で拾えなくても全く問題ないんです。だって700問の中に何度でも拾うチャンスがあるんですから。たとえば子
供が葉っぱを集めているとします。その子はイチョウの葉ばかり集めています。大人はその横にある美しいもみじの葉を「拾わせたい」と思いいろいろと誘導し
がちです。でも子供にとってそのとき重要なのはイチョウの葉なんです。イチョウの葉がそのときのこの子にとってはダイヤモンドより輝いているからです。
きっと心配ないんです。イチョウの葉を満足いくまで拾えば、次何しようか、と思います。今度はキノコが気になるかもしれません。でもよいんです。キノコに
もいろんな宝がつまっていますから。大事なのはもみじに誘導することじゃないんです。もみじもキノコもイチョウもある、その場を子供たちに提供し続けるこ
と、その場で十分に自分で遊ばせることなんです。しかもどんぐりは絶対もみじにも気付くように仕組まれてます。どんぐり先生もワルよのうというわけで
(?)私はどんぐりの文章題以外の文章題は全く必要ないと考えています。塾の子供たちにも小豆にもさせるつもりはありません。といいつつ、時々教科書の問
題を絵で書かせることはあるんですが・・・すごくつまんないけど・・・。「どんぐりが出来るように他の問題で先に練習させる」って必要ないと思います。ど
んぐりは「解く」問題じゃないんです。「遊び場」なんです。子供は十分な遊びから学び取ります。「解くものなんだ」なんて思わせたら失敗だと思うのです。
「これ算数だったの?」といったお子さんが過去ログに登場されますが、これが理想だと思います。素敵です。と、また途中ですが、ちょっと一息入れてきま
す。のちほど〜。
最終更新日時 2007年2月4日 8時38分23秒
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2007年2月2日:もぐらの餅つき・・・2日目&カードケース(4)
今日もお絵かき算数、もぐらの餅つきの続きです。「格闘ルームを描く〜」と張り切ってます・・・。←わかるかなぁ?けりの練習をする棒に縄を巻いたものと
パンチ練習用の板二枚です。「描けた〜」という言葉に「次どうするかな」と待っていると・・・「ガンプラルーム描く〜」とズコックを手に・・・←まずは昨
日描いた「軍曹さんの部屋」にズコックを収めかけますが・・・いかんせん狭い!どうする?と思っていると四角で囲んで「これは額」と絵にしました。なかな
かやるな!←続いて増設した部屋にズコックを・・・。残念!また狭いようです!「ここは作りかけを置く部屋〜」と言うことで次です。←ようやくおさまりま
した。やった!「描けた〜」と嬉しそうに見せにきてくれました。描いていた時間は約30分かな。そして今日はここで終了です。最近自分で楽しく切り上げま
す。どんぐり問題を使って遊んでいる感じです。頼もしい限り勉強時間が終わったので次は手芸←小豆の希望。←制作時間一時間。ほとんど一人でつくりまし
た。ものすごく満足そうな小豆です。明日紐をつける予定です。これが出来上がってから学校に行きました。今日は昼休憩に外でみんなと雪遊びを楽しんだよう
です「楽しかった〜」と帰ってきました。雪に感謝!天の恵みってやつですね。今週は3日連続で登校しました。がんばった!最近小豆の顔が変わってきた感じ
です。すごく幼く、かわいらしくなってきましたちょっとお呼びがかかったので途中ですがここまで。またあとで書けるかな〜・・・。
最終更新日時 2007年2月2日 23時14分40秒
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2007年2月1日:モグラのもちつき・・・初日(4)
「今日もお絵かき算数」と言う小豆。何問か読んで選ばせますが・・・「それはギャグに出来んからいや」と言います。基準はいつもそれです。結局モグラのも
ちつきに。何でこれがギャグに???と思っていたら・・・0M43 モグラがもちつきをしています。夜遅くにしているので、ぺったんぺったんとおとだけが
します。3回音がしたら1個おもちができます。今までに12回音がしました。おもちは何個出来ているでしょう。←でました!ケロロ小隊若手タママ二等兵。
モグラになって登場です。爪がすごいのがモグラの証らしいです。最近は私がずっとついてなくても一人でお絵かきしてます。一応私も勉強時間ということで、
塾の下準備などを同じ時間にします。このあとどうなるんだろう・・・と横目でチラチラ。←おお!なんだか通路が・・・本気でワクワクしてしまう母。どうな
るんだ〜???←「リビングが出来た〜」などと歓声を上げながら描いています。横目で見ながらワクワクドキドキのはは。なんだかすごく素敵な絵になりそう
な予感でした。どんどん描いていってお風呂や洗濯物の部屋、脱衣所と洗面所も描きました!ステキダ〜〜〜親ばかですみませんが、すごく素敵な絵!幸せな気
持ちでいっぱいです。こういう凝った絵を描くようになってくれました。←つくづく親ばか。「今日はここまで〜」とニコニコ。最後に問題を読み直してまし
た。どうもこの読み直しのときに答えの出し方を考えている感じがします。「一回だけ読む」のは6年生までに出来るようになろうね、と話しています。う〜
ん、それにしても楽しい絵でした。あ、ちなみにもちつき部屋の下に小さく描いてあるのは「軍曹さんの部屋〜」だそうです。二等兵の部屋の方がどう見ても豪
華・・・。なんでやねん!
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2007年01月31日:くらげの海完成です。
どんぐり倶楽部の掲示板にも書いたのですが、今朝私が学校に行き、養護の先生と話をしてきました。今まではオブラートに包むように話してきましたが、もう
らちが明かない気がしましたので、はっきりと「1年○組に戻したくない。それはこれこれこういうわけです」とお話してきました。担任の先生の言動も少しお
話し、「正直に言って不信感が募るばかりです」ということをはっきり言いました。養護の先生もいろいろと思うところがおありだったようです。「彼女(担
任)も小豆君のことで今までの教員生活が否定されているように感じているみたいです。彼女も人間ですから、辛いと思います」とおっしゃりつつも、小豆のこ
とを一番に考えてくださっているのがわかり、本当にほっとしました。そのあと校長先生にももう少しソフトにですが「クラスに戻さない」ことを念押ししまし
た。ただ給食と掃除、終わりの会は参加できるようですのでそれはそのまま。。。友達との貴重なふれあいの時間です。さらに今日はもう一押しして小豆のど
んぐりノートを校長先生・養護の先生に見ていただくことをお願いしました。小豆はどうしても担任の先生には見せたくないといっていましたが、校長先生なら
良いといいます。帰ってきてから「どうだった」と聞くとクールに「みてもらえた〜」と言ってました。ははは思わぬところからどんぐり披露できました。さ
てさて、くらげの海の続きです。重役出勤で朝学校に行く前にやりました。「え〜っとあと何匹だっけ?」といいながら数え・・・「う〜ん、まだ9匹もかくの
かぁ・・・」どうするのかなぁ(母心の声)。「よし、小さいの描こう」。おお!工夫したなぁ!偉い!と密かにはしゃぐ母。小さくてもケロロキャラがあちこ
ちに・・・。←小さいほうが描くの楽って自分で工夫した、それを目の当たりに出来て本当に嬉しい母でした!←今日のブロック作品です。毎日工作とブロック
で遊びます。大豆は折り紙と紙切りに夢中です。←紙飛行機です。オレンジのはジェット噴射口だと言ってます。親ばかながらなかなかのできばえです。
最終更新日 2007年01月31日 22時11分54秒
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2007年01月31日:くらげの海
昨日はお見苦しい記事ですみませんでした。吐き出してずいぶん楽になりましたし、皆さんのメッセージが本当にありがたくて、あたたかいエネルギーを頂きま
した。本当に感謝です。実は昨日は鳥取のどんぐりママさんとオフ会させてもらいました。煮詰まっている私を心配して声をかけてくださり、ずいぶん話を聴い
ていただきました。先輩ママさんの言葉は温かくて重みがあって・・・そのおかげで昨日はブログでもどんぐりの掲示板でも吐き出せたと思います。ふたが取れ
たという感じです。なんとなくがんばらなくちゃ、という思いが強すぎたんだと気付きました。弱音を吐いてもいいんだ、と思えて楽になりました。また小豆と
大豆に実際に会って頂き、「良い子ですね〜」と言っていただいたことで、本当にほっとした私です。ありがとうございました。また月曜日に会うのですしかも
もう一組どんぐり親子さんと一緒ですすごく楽しみです。さてさて、昨日・一昨日の勉強は「お絵かき算数」ということで、おなじみのくらげの海を。
0M03 ここはくらげのうみです。毎日たくさんのくらげが集まってきます。今日は昨日より5匹多いようです。昨日のくらげは6匹でした。明日も今日と同
じ数だけ増えるとすれば明日はくらげは何匹になるでしょうか。←問題を読んでちょっと考える(指で数えている感じ)。「11匹描くんだよ」といいながら描
き始めます。←壁から生えているのはくらげの幼生だそうです。双子が多いんだとか。ここまでで一昨日は終了。続きの昨日→どうしてもケロロ小隊が・・・。
かなり熱をこめて描きました。そしてここで終了。「16匹になるように描くんだよ」と言っています。どうやら「今日と同じ数増える」というのを「今日増え
たのと同じだけ=5匹」と思ったようです。これはどちらとも取れるので正解にして良いと思ってます。でも絵は描いてねどんなくらげが出てくるか、楽しみで
す。
最終更新日 2007年01月31日 07時13分20秒
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2007年01月28日:十分です
去年のいつごろだったか忘れてしまいましたが、JAが発行している『家の光』という雑誌に五味太郎さんのインタビュー記事が掲載されていました。五味太郎
さんの絵本は名作ぞろいで、二人の子供たちも大のお気に入りです。子供の心をぎゅっとつかんで離さない・・・すごい人だな、と常々思っていました。その記
事の中に忘れられない箇所があります。「子供はいつも正しいんです。だからもし子供が『学校に行きたくない』と言ったら、親は『じゃあどこに行きたい?』と聞いてあげるべきです」ま
だどんぐり倶楽部に出会う前でしたが、これは本当にガツンと心に答えました。五味さんのお嬢さんお二人も高校を退学されたそうです。五味さんは「やめた
い」という娘さんに「そうか」と答えて手続きをしただけだそうです。お嬢さん方は今それぞれの道を歩いていらっしゃるとのことです。世の中に偶然はない
そうです。すべてが必然なのだ、と。最近すごくそれを感じます。この記事を小豆が入学する前に読むことが出来たのは本当に幸いでした。だから「学校行きた
くない」と小豆が言い出したとき、「いまだ!」って思いましたとはいえグラグラゆれてる情けない母ですが・・・。でもいまだにこの言葉はどんぐり先生の言
葉たちとともに私の支えです。
子供たちは正し
どんぐりをやっているとだんだんそのことが実感できるようになります。実はどんぐり以前、どんぐりをはじめた頃、小豆の絵が気がかりでした。下手
だと思いましたし、何が描いてあるのかさっぱりわからない・・・それに隣のYくんと比べると絵がとても寂しい・・・。Yくんが画用紙いっぱいにチューリッ
プや川、大きな太陽を描いている。。。その傍で小豆は小さく三日月を描き、絵の具を盛り上げてクレーターを描きました。あとはもみじとイチョウの葉を三枚
ずつ・・・。本当に太陽と月、対照的だな・・・と思い、また父親の象徴と言われる太陽や、母親の象徴とされるチューリップ。。。そういうものが描かれず、
また全体的に寂しい感じの小豆の絵が心配でした。どんぐりの掲示板で子供の絵についての同じような悩みに「見るべきは絵ではなく、子供です。心配ないとい
うことです」とどんぐり先生が答えておられるのを見て安心したり、「でも」とゆれてみたり・・・。ようやく最近、絵の完成度やうまい下手でなく、そのとき
に子供が何を描きたかったのか、何に関心があったのか・・・そういうことに目がいくようになりました。うまい下手でなく、子供の存在自体を喜べばいいん
だ、と感じるようになりました。さて・・・今日はものすごく泣きました。それはここを見たからです。どんぐり先生、本当に感謝です!誤解のないように
(だれも誤解しないだろうけど)言うと、小豆の絵が「上手」だと思って嬉しいわけではないんです。「十分」なんだ、と思っているのに、その自分の心を信じ
きれずにいた自分が恥ずかしくて、でも小豆と大豆がいてくれることが嬉しくて。。。こんな母のもとでもしっかり育ってくれているのがありがたくて・・・。
うまくいえませんが、そういう涙でした。
大事なのは「表現したいこと」があること、ですよね。
それが育ち、成熟するのに必要な長い長い時間を、ゆっくりと待ち、その間出来る限り子供を守ること、それが親の役目なんですね。親になるってむずかしいなぁ・・・。過去ログ1360より
●準備するとは、すべきことを見せてあげて、子供自身が覚悟をする時間を十分に与えるということです。用意をすれば準備が出来たと思うのは大人の勝手な留
論です。問題は心の準備です。心の準備:覚悟は何回も時間をかけなければ出来ませんし、自分のものにはなりません。親が出来ることは心の準備を出来る環境
と時間を与え続けることです。多くの場合は「楽しく待つ」ことになります。
[From どんぐり倶楽部:T.Itoyama]
環境はまだしも・・・時間を与えつづけることって難しいです、本当に。子供を信じて・・・楽しく待ちますがんばろう>自分。
最終更新日 2007年01月29日 07時48分56秒
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2007年01月28日:悲喜こもごも
塾で中学生に「先生変ってる」と言われました・・・。「なんで?」と聞くと「消しゴムで消すな!って言うから」だそうです。何じゃそりゃ?「だって学校の
先生も親も『きれいに消しなさい!』って言うもん」だそうです。最近この子達は勝手に「わからん帳」を作ってきます。「冬休み明けのテストもちゃんと貼っ
たで〜」と言うのでべた褒めしました!わかっていてもなかなか出来ない。。。だからこれまでは塾にもってこさせて(忘れていたら取りに帰って←すごく近
所)という掟破り(?)なやり方でわからん帳作製講座をしてました。この子達は小学校6年間、だれにもその方法を教わってこなかったわけですから、サポー
トが必要だと思ったのです。1学期はまだそこまでわからん帳を私が重視してなくて(まだどんぐりに出会ってなかったから)、2学期に本腰をいれ、3学
期・・・子供たちが「わからん帳教えて!」とか「これも貼るんだよね?」とか子供たちって本当に素直だと思います。最近「書く」ことがかなり負担なんだ、
「書かなくても思い出せるんだ」というのがやっとわかり、板書ノートをコピーして子供たちに渡すようになりました。↑本当に子供たちの表情が変りました。
なんというか眉間のしわがなくなったと言いますか・・・授業中のちょっとした「豆知識」を良く吸収してくれるようになってます。う〜ん・・・どんぐり先生
さすがです。今までの10年、私が担当した子供さんたちに平身低頭謝らねば・・「社会が最悪〜」という子が多いので、来週はちょっと時間を割いて社会の勉
強法を練習することにしました。本当は社会は別枠で月謝を取っての指導があるので(1年生は誰も受けてない)これは塾長には内緒・・・バレタラヤバイ
ゼ。。。さて、仕事を終えてうちに帰ってみると・・・小豆は今朝「10時になったらY君のうちに行く!」と張り切っていました。昨日下校時に遊ぶ約束を
したようです。で、帰ってみるとわりと元気そうな小豆。「遊べた?」と夫にこっそり聞いてみると・・・「一時間ほど行っていたけど追い返されたみたい」
と。。Y君最近全く外で遊ばなくなりました。あれほど活動的だった子が、どうしてだろう、と少し心配です。正月明けから少し様子が変りました。小豆と遊ぶ
遊ばないは別として、家に閉じこもって外にでません。下校時のY君は前と変らぬ、元気で活動的なY君に見えるのですが・・・。小豆を家に入れたもののテレ
ビを見ていて無視。小豆がコタツに入ろうとすると押し出し、ストーブの前に行くと押しのけ、「帰れ!」と言って部屋の外に押し出したそうです。「で、追い
かけっこになって楽しかった」と小豆・・・オイオイ。。。でもたくましくなったな、と(親ばか)。少し目を赤くして帰ってきたようですが、大泣きすること
もなく、あとは家で弟やお父ちゃんと遊んだようです。夜はわからん帳を一緒につくり、『オズの魔法使い』(3日目)を読み聞かせ。大豆はすぐにすやす
や・・・。でも小豆はなかなか寝ず、結局最後まで読みました。最後の方でブリキのきこりに「ハンダ付け」するというくだりがあり、それに興味津々で父ちゃ
んに実演してもらい、自分もさせてもらってました。そうするうちにさらに目がさえ・・・もう夢の中の母ちゃんを放っておいて、父ちゃんに折りつる講座を開
催してもらったようです。仲良し鶴さん。。。また二人が生き生きと外遊びできる日が来ますように・・・願わずにいられぬ母です。
最終更新日 2007年01月28日 08時52分50秒
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2007年01月24日:覚書
イメージ→式・・・逆は危険。式→イメージは失敗する。↑が十分でないと式からイメージを取り出せない。式の意味が理解できない。イメージ→線分図・円グ
ラフ・棒グラフ・折れ線グラフ・・・逆は危険。グラフなどからイメージが取り出せない→グラフの示している内容が理解できない。具体的な絵図→グラフへは
本人が納得するまでの十分な時間が必要。それを省略するとイメージとグラフ、イメージと式が乖離してしまう。apple←りんごと教えずにつづりを教えて
覚えてもらうことは出来る。でもappleと書きながらりんごのイメージは浮かばない。式は算数語。英語なら↑の指導を「変だ」と思う人が多いのでは?で
も数学では平然と行われている。またオリジナルの絵図でないと「感情の再現」は出来ない。←これがないと離人症と同じになる。「つべこべ言わずにやりなさ
い」「こうやるの!」と強制し続ければ、「感じなくてもやればいい」「言われたとおりにしときゃいい」になる。勉強だけではなく他の面も。触っているのに
触っている感覚がない。実感がない。→人を殺しても実感がない・・・。
最終更新日 2007年01月24日 18時37分53秒
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2007年01月24日:紙芝居のかえるさん・・・未知数「ほにゃらら」と筋肉豆腐
今日の小豆の勉強は、先日二人で作ったメニュー表の中からひとつ、「お絵かき算数」でした。←この前の続きの紙芝居、後ろ五枚の残りの四枚を描きました。
ここまで描いて「みて〜」と見せてくれました。バイパー(弟)が良くかけてます。←これわかる人は通ですね。「あとは・・・ほにゃらら枚描いて全部で20
枚にするんだよ」と言います。おお!「ほにゃらら枚」!未知数の芽生えです!←違うかな?ほにゃららをXにかえれば方程式です。いえ、ほにゃららでもかま
いませんが。。。もちろん方程式なんて教えませんし、わかりはしませんが、「わからない数をとりあえず「ほにゃらら」と表現する」という工夫は方程式の発
想です(と思います)。このイメージが大事なんです(と、思います)。塾ですごく気になるのは「ぼく(男の子に多い)数学はわりと出来るんです」という子
に「方程式の応用」をやってもらうと全然歯が立たない・・・。でも方程式の計算は出来るんです。「計算ができる」ことをもってして「数学が出来る」と自己
評価しているわけですが、それは多分周囲にもそういう価値観「数学=計算」があるからだと思うんです。でも本当に「なぜXをつかうのか?」「なにをXとお
きかえるのか」がどうしてもピンと来ないようです。えっと、別に小豆が中学に入ったらバリバリに数学得意になる、なんてずうずうしいことは思ってません。
ただどんぐり問題のすごさを伝えたい、逆に百マスや大量反復プリントの危険さを伝えたいだけです。それから「計算=基礎基本」でないことも。基礎であれば
「応用」が利くのが本当です。でも計算だけ出来て文章題が全く出来ない子供たちが本当に増えてます、いえ増やされています。「イメージ」「工夫する力」
「図を描く習慣」・・・本当の基礎・基本はこちらですよね。何度も繰り返して小豆には申し訳ないですが、小豆は特に優秀な子ではなく、かえって学校では
「低学力」と位置づけられる子だと思っています。その子でも環境と材料を調えれば、きちんと工夫してくれますし、方程式につながるイメージを自分で手に入
れることができるんです。これが子供が本来持っている力なんだ!と、今朝は感動しました。あ、あともうひとつ、全然関係ないのですが、昨日は学校に行った
小豆。今日は「休養日」と自分で決めて休みました。じいちゃんとオセロで対決した小豆、負けてがっかり。「じいちゃん強い・・・」思わず「小豆、つよく
なったねぇ!」といった私に怪訝そうな顔。「負けられるようになったら強くなるよ」というとさらに「???」。「前はまけたら大泣きしてぐずっていたじゃ
ない。負けてもぐずらずに対策を考えられるようになったらどんどん強くなるよ。わからん帳と一緒で負けは大事なんだよ」といいましたが、まだなんとなく納
得できてない感じでした。さて、納得できないといえば・・・。じつはかなにゃんさんに「あっきぃくんの筋肉豆腐を見せてください」とお願いしていたのを
早速アップしていただきました。←こちらはだまたさんちのたけちゃんの作品です。←これは我が家の小豆。と、一年生3人の作品を見ていただいたところ
で、もうひとつ小豆のノートを見てください。←これは私が作った問題を小豆に解いてもらったものです。「ひまわり幼稚園では毎日子供たちが楽しく遊んでい
ます。子供たちの半分は男の子。男の子の半分は年長さんで、他の子はみんな年少組です。年長さんは二人です。ひまわり幼稚園の子供は全員で何人でしょ
う?」という問題です。バレーボールをしているアフロヘアの子供たちが年長さんです。砂遊びをしているのが男の子。「女の子なのに野球しているの。他の二
人はそれを見ながら『何をしよう』って考えているの」だそうです。何でわざわざこの問題をしてもらったか。別に筋肉豆腐を解かせるため、ではなく、でてく
る物・数字が「具体的」だったらどうなるかな?と知りたかったんです。半分の半分がわかるかな?→わかりました。でもこんなお試しはお勧めではありませ
ん。小豆、ごめん!でもこの問題、小6のリーちゃんもいまだに「なんかわからん」というんです。「何で半分の半分が筋肉?」って。いえ、一応答えは出すん
です。でも納得できないらしいです。過去ログにもそういう話が載ってました。←あとで探します。で、思ったんですが・・・小豆たち7歳児にとって、豆腐は
豆腐ですよね。それがたんぱく質とか水とか、いろんな成分で出来ていると知識では知っているかもしれませんが、たんぱく質は見えません(形がないという
か)。そして豆腐が筋肉になるというのが「?」なんだと思います。自分の描いた絵の豆腐は豆腐でしょ、って。豆腐が粘土みたいに筋肉になるの?って聞いた
子もいました。小豆の絵を見ると「栄養」を送ってますよね(お腹の中の筋肉豆腐)。あの栄養が血液を伝わって全身に送られて筋肉になるそうです。小豆たち
一年生はまだ具象の世界で生きているんだと思うのです。そういうお話と豆腐を便宜的に(?)半分とまたその半分(1/4)に分けて「筋肉でここが
100g」というグラフの元(円グラフとかの)のイメージが結びついてないんでしょうね。栄養素の話でよくでてくる円グラフ。あれの原型ですよね、この筋
肉豆腐の問題は。このイメージがだんだん育っていって、身体に栄養が吸収されるイメージと円グラフで表されていることが脳内で有機的に化合していくんじゃ
ないかな、と思うんです(って、こればっか)。あ、あのグラフの意味はそういうことか、って。。。だから私は子供たちが「割合を理解してない」のというの
じゃないと思います。小6のリーちゃんの場合、具象が極端に単純化されてグラフになる、その過程が飛んでしまっていたので、双方を結びつけるのが困難なよ
うに感じます。うまくいえませんがだからこそ、筋肉豆腐に納得できない今がとても大事だと感じます。あ〜〜〜、全然まとまらない。のにまた時間切れで
す。こんなのばっかりです。
最終更新日 2007年01月24日 16時46分20秒
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2007年01月24日:子供時代2
子供時代って二度とは来ないですね。過去ログで、いつも素敵だな、と思っている(たくさんあるけど)もののひとつです↓。
[2858] のんびり倶楽部 投稿日:2006/05/09(Tue) 14:51 [関東]
しまりすさんの言葉と先生のコメントを何度も読み返して考えてました。私は子供達が幼児のうちは「大人になったら不本意なことも、苦しいこともあるだろ
う、今だけでも世界で一番幸せな子供時代を送らせてやろう」と言う気持ちで、自由保育の幼稚園に入れ、家でも自由に生き生き遊べる環境作りを心がけまし
た。浅はかにも、早期教育を否定する明確な論拠など無かったです。勿論、」早期教育めいたことはしてません。どんぐり方式については、私は「人間は生物で
ある」という考えで続けてます。つまり、視力が出る時期に眼帯をして生活すれば視力が出ないように、脳みそも適切な時期に、その時期に発達させるべき脳の
機能を育てないと、その能力は、視力が出ないように出てこないで終わってしまうかもしれない、ということです。狼に育てられた子供が助けられても、言語の
発達に適切な時期が過ぎてしまったので言葉が習得できなかった、というのと同じようなことです。先生の「世界どこに行ってもすることは同じ」コメントも、
世界のどこの人間も、人間という生物なので、ある時期に発達させるべき脳みその機能は同じだ、と解釈しています。受験とか、塾とか、学校のカリキュラム以
前の問題(生物学的発達の問題)として、どんぐり方式をとらえています。以前、息子(小6)の頭の健康診断の結果が良好だったので「この子は生きて行けそ
うだ」と感じたと書きましたが、それは息子が出世するとか、いわゆるいい大学に行けるというレベルでなく、人生の紆余曲折でも何とか工夫して乗り切ってい
くだろう、と言う意味です。人間という生物は、学校の成績とは関係なく、知恵を働かせて工夫する能力を身につける必要があるのではないでしょうか。そのた
めの「脳みそトレーニング」と、私はどんぐりを理解しています。とは書きましたが、先生の意図とはまるでは慣れているかもしれませんね。訂正しておいてく
ださい。
●訂正すべき所はありません。Goodです。
●私は教育家ではなく教育屋を暫くしていましたのでオマケとして受験にも効果的な形をとっているだけです。子供達を守るためにも日本では必要だと思います。栄養もあってオマケも魅力的...グリコアーモンドキャラメルかな。昔の味の方が好きでした。
「大人になったら不本意なことも、苦しいこともあるだろう、今だけでも世界で一番幸せな子供時代を送らせてやろう」
↑いつも「世界で一番幸せな子供時代かなぁ」と自分の子供のことを思ってみます。・・・まだまだだなぁ・・・。よく聞くことばですが、「大人に
なったら○○しなくてはいけないのだから、今のうちに慣れさせよう」「高学年になったら○○しなくてはいけないのだから、今のうちに・・・」こういう考え
は善意です。「その子が楽になるように」という思い「のちのち苦労しないように」という思い。。。私だってそう思っていろんなことを子供たちに「やらせ
て」きました。わが子にも、塾でも。でも最近思うのです。こういう大人のおせっかいが子供たちの貴重で、二度とは戻らない子供時代を奪っているんじゃない
か、と。子供って本当は大人よりもっとよく知っています。良く見てますね。いろんなことを・・・。「自ら学ぶ力」を持っているんですね。ただ「何を学ぶ
か」の優先順位が大人と違うだけなんだと思います。そのときにのびのびと「自ら学びたいこと」を学べる環境なら、そのこは「吸収すること」が好きになると
思うのです。逆に「これだ〜。これをやれ〜」と無理やり「大人がやらせたいこと」を詰め込まれると・・・「吸収すること=辛いこと・くるしいこと」という
価値観が出来上がるでしょうね。中にはあまり「辛い」と感じずにスポンジをふくらませられる子もいるでしょうが、その子たちも気付いたときには「もう吸収
する余裕がない」ことになってしまうのじゃないかなぁ・・・。
●生を楽しむ者=人間:人間の生を人生と言う:人生は楽しむために在る:楽しむには視覚イメージの再現・操作を快く感じるように育てなければならな
い(本来、快感を感じるようにはなっているが使い方を教わらないと忘れてしまう)→視覚イメージ操作を楽しさと共に再現・操作出来るように育てることがヒ
トを人間に育て上げる教育の基本である。
↑今日更新の日々雑感(どんぐり倶楽部)の一文です。楽しく「視覚イメージそうさ」が出来るということは「楽しく考えられる」ことと同意ですよ
ね。と、また時間切れ・・・。すみません、今週はちょっとまとまって記事を書く時間がないかもしれません。コメントのお返事もおそくなり失礼しています。
でも読んでますし、そこからまた考えてます。ありがたいです。あとで更新できますように(祈)。
最終更新日 2007年01月24日 08時09分46秒
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話を少し変えますが、昨日日記に「学習習慣」のことを書きました。書いてから皆さんのコメントを読み、また過去ログを読み直しました。そうしながらまた思
うことがありました。うちの小豆はまだ7歳です。素直に親の言葉に耳を傾けてくれる年です。でもこれからずっとそのままではないはずです。紆余曲折がある
だろうと思います。「どんぐりなんていやだ!」とか、「わからん帳なんてしらん!」とか、いい始めるかもしれないです。「おかあちゃん、何でそんなムキに
なって、人と違うことを言うの!」というかも。。。言い始めたからダメ、何じゃないと思うんです。「そんなことを言うように育ててしまって」じゃないと思
うんです。そういう時期もあるし、外からの要因だって大きいかもしれない。大事なのはきっと、そのときに親がどうするか。多分たくさんのどんぐりママさん
たちはあきらめないと思います。掲示板にメイさんが書いてくださったように(ごめんなさい、後でお返事します)、横で絵を描くことをはじめられたり、子供
ときちんと向き合って話し合いをされる方もあるかもしれません。もっといろんな工夫がそれぞれの家庭であると思います。その工夫する姿を見せること、「間違いは大事なんだ」「どんぐりは大事なんだ」という親の確かな価値観を示し続けること(日常でも。自分の間違いも許しましょう・・・と自分に甘い私は思う)が大事なんだと思います。そ
の間、子供がどんぐりに取り組まない日があったとしても、決してそれは「ゼロ」や「マイナス」ではないのだと思うのです。12歳を過ぎ、大人の脳になり、
大人への階段を自分で上がるようになったとき・・・そのとき「あ、これか」「だからあんなに親は一生懸命だったんだ」と気付く日が来るかもしれない(来な
いかもしれない)。そしてそのときに「たしか親はこうやっていたな」と試してみるかもしれない(しないかもしれない)。。。そのために「見本」を見せ続
け、価値観を示し続けることなんだろう、と思うのです。子供がそのやり方・考え方を選ぶかどうか、それは子ども自身が決めることなんだと思います。「子育
ては与えっぱなしなんです」というどんぐり先生の言葉を思い出す私です。本当はもっと書きたいこともあるんですが・・・朝は時間切れです。また後ほど〜。
最終更新日 2007年01月23日 06時13分43秒
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2007年1月21日:学習習慣・・・その3(3)[ どんぐり文化祭 ]
<結論めいたこと>
と、言うわけで、今後の小豆の学習について考えました(すごい教育ママ)。今まで週に1〜2回、文章題を。あとは様子を見てこれだけ算数計算編、と一文字
漢字(これは本当に時々)でした。とりあえずこれはこれでいいのですが、このほかに「わからん帳を作る」「これだけ算数のプリントをノートに貼る」ことな
ども「勉強」として組み込もうと思います。そのために解く問題数は減ると思います。問題に取り組む気持ちの日は問題を。ちょっとそれは・・・という気持ち
の日は作業を一緒にしようと思います(もちろん完璧を目指すのではありません)。「それも大事な大事な勉強」と伝えていこうと思います。今までは私がわか
らん帳を作っていました。わからん帳に入れるかどうかだけ、小豆が決めていました。わからん帳の本質がわかっていませんでした。反省です。今日はわからん
帳に入れるまでの間、プリントを保管する箱を見つけてきました(ちょうどいい大きさのもの)。で、この箱の外装も「勉強メニュー」のひとつです。小豆が楽
しみにしています。さて。。。最後に少しまとめてみます。「本当の学習習慣と未知を楽しむ力」・・・これこそが12歳までにゆっくり・じっくり・丁寧に育
てていかなくてはいけないことだとようやくわかりました。
どんぐり先生は「答えはおまけ」さらには「おまけに思
考力が身につく」といわれます。「楽しむこと」が何より大事だ、とも。どんぐりをはじめてすぐのころは「視考力」ばかりに心を奪われてしまいます。でもど
んぐりで大切なのは↑だけではなく、「基本となる正しい学習習慣」の育成もぶっとい柱なんですね!うかつにもようやく理解できました(という気がしてま
す)。「答え」「思考力」これらはチューリップにたとえると「花」。花にばかり目を奪われていると、この花を咲かせる力が土の中の「球根」にあることを忘
れてしまいます。球根を太らせなければ次の年、花は咲かないのです。球根に栄養を送るため、あえて花を切り取ることすらありうるでしょう。球根の栄養とな
るのは「真の学習習慣」と「工夫して楽しむこと」です。これがあれば球根は太り、自然な時期にふさわしい花を咲かせるでしょう。「視考力は大学院に進む子
にも、中学卒業で働く子にも必要な力です」←こういう力こそ基礎基本ですよね。他人に質問できる力も、自分の弱点を見つけられる力も(わからん帳)、間違
いを恐れない心も・・・すべて社会に出てから通用する力です。当たり前ですが、どんぐり倶楽部は「学校秀才」を作るためにあるのではないんですね。すべて
が子供たちを「人間」に育てるために用意されているのですね。もうひとつ、私たち親が心しなくてはいけないこと・・・「アオムシ君物語」ですね。花を咲かせろ、花が美しい、花こそ全て・・・深く考えることなく、こういう価値観を子供たちに伝えてはいけないか、いつも自分を振り返り、チェックする必要がありますね。
もし花をもてはやせば、子供たちは親のため、美しい花を咲かせようと、球根をどんどん細らせてしまうでしょうから。。。ふう。。。ようやく、どんぐり母と
してのスタートラインにたどり着いた気がします(とか言って、まだまだはるか後方にいるのかも)。今日からまた新しいスタートです。
長い文にお付き合いくださり、ありがとうございました。
最終更新日時 2007年1月21日 15時57分35秒
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学習習慣について・・・その2[ どんぐり文化祭 ]
ところで、「学習習慣」といえば、宿題擁護派のお題目・・・になっているように思います。「机に向かう習慣をつけるため」「学習習慣をつけるため」に宿題
を出す、させる・・・というような声をよく耳にします。
宿題は本当に学習習慣の定着に役立っているのでしょうか?工夫のない悪い宿題は「考えない習慣・机の前で思考停止する時間」を強制する・・・これがどんぐ
り倶楽部の主張です。あえて「どんぐり倶楽部」とかかせていただいたのは、どんぐり先生だけのお考えでなく、私たちどんぐり実践者の実感であり、主張した
いことだからです。↓このプリントは学校で算数の時間に取り組み(タイムを計る)、宿題にも出ているプリントです。
筆算をかくスペースはもちろんありません。しかも「速く」ですので、こどもたちは検算をしようともおもわないでしょう。同じ問題を毎日やるのですから、い
つかは答えを覚えてしまいます。その結果「速く」出来るようになりますが、「なぜ間違えたのか?」を振り返ることもないでしょう。「覚えてないから」とい
われそうですしね。これは思考力破壊につながることはもちろんですが、他にも大きな弊害があります。このプリントにまじめに取り組むことで「良い学習習
慣」(消しゴムを使わず・筆算をきちんと書き・スペースにゆとりをもって書く・間違いを大切にする等)が身につくでしょうか?こういう「考えない時間」を
強制されることを避けるため、どんぐり倶楽部では「宿題マシーン」が用意されています。もちろん『天母への道』のかなにゃんさんのように、「宿題変更」を
申し出る選択肢もあります。小豆の場合、はじめそのようにしましたが、小豆自身の希望(どんぐり問題は先生に見られたくない。マシーンがいい)でマシーン
が稼動しています。面倒なので今は「宿題変更」の方がいいと思ってしまうけど。
で、この計算プリントなどは一問だけノートにやり、残りはマシーンです。でも「マシーンが出来るのはマシーン用の宿題だけだからね。人間用の宿題は出来ないんだよ」と言っています。さて木曜日↓の宿題を持ち帰りました。
「工夫して数えましょう」とあります。「小豆、これはマシーンには出来ないよ。小豆の工夫と母ちゃんの工夫は違うはずだから」といいました。「わかった」と小豆は数え始めます。
予想通り小豆の現時点での工夫は「数えながらしるしをつける」ことです。先生側が期待しているのは「10のまとまりを作る」などだと思います。私も実は
「その方が楽だよ〜
」とおもってしまいます。でも・・・小豆はちゃんと自分の工夫をしたのです。で、数え間違いをして「またやってみる」になりました。コピーしてわからん帳
行きです。「この工夫では足りない」ということを学んだわけですからOKです。また同じように数えて、今度は数えられるかもしれませんね。「時間を置いて
落ち着いて再チャレンジ」これも工夫ですね。「大変だった〜
」と思えばまたいつか別の工夫に気付く日が来るとおもいます。今「ほら!10の塊を作るのよ!」と教えることは簡単ですが、それでは小豆自身の工夫を奪う
ことになります。そういう積み重ねは「自分で工夫しない」習慣を生むことになると思うのです。さらに答えが出てしまえば「わからん帳に入れる」という良い
習慣をつけるチャンスをひとつ逃すことになってしまいます。
どんぐり先生が繰り返し繰り返しおっしゃることのひとつに「答えはおまけです」があります。これがなかなか納得できないんです。つい「あ〜、もうちょっと
で答えなのにぃぃぃ」とか、「答えがでたから、ま、いいか」となります。「答えがおまけ」なのは12歳までは思考回路の作成が優先されるという理由がもち
ろんあります。でもそれだけではないと気付きました。「本当の学習習慣」をつけるためでもあるんですね!答えが出たから筆算は書かなくてよい←答えが間
違っているときも確かめようがない。確かめるために大切な「筆算を残す」習慣をつけられない。
間違えるのが嫌だからヒントを与えて「出来た」で終わらせる。←わからん帳を作る習慣がつかない。さらに間違いを嫌う心を育ててしまう(悪性腫瘍を育てて
いるのと同じ)。数学に限っていってもどんなに優れた数学者でも「出来ない」問題はたくさんあると思います。逆に「わからないこと」が大事にされるのが本
物の数学の世界だといいます。「出来ない」ことを嫌がる心は「出来ることしかしない」ことにつながります。小豆や私のように「出来ないこと」が多い人間は
↑ではほとんどのことから逃げて生きなければならないでしょう。それでは人生の楽しみがなくなってしまいます。「わからないこと」「出来ないこと」を前に
して、「それでも楽しめる」「自分なりの工夫が出来る」「間違いを恐れない」という心と習慣が大事で、それを子供の中に育てていくのが保護者の仕事。「出
来る」ようにさせることが親の仕事ではない、ということではないでしょうか。だっていつまでも親が「出来る」ようにはさせられないですから。特に恋愛なん
て絶対無理です(笑)。それともうひとつ、今日この日記を書くきっかけになったのはかなにゃんさんのこの日記で
す。これを読んで「小豆は『計算ドリルしなくても出来るんだから大丈夫』、とはいえないなぁ」と思ったのです。前にも書きましたが、小豆は「余裕のない
子」です。もしこの50問計算のプリントをみなと同じ時間でさせようとする場合、たくさんのエネルギーを必要とするでしょう。これをたとえば5分でやるの
が「普通」と定義し、もっているエネルギー100のうち5のエネルギーでそれを出来る子、10遣えば出来る子、個々ですよね。小豆は80くらい必要として
しまう気がします。すると他の事に使えるエネルギーはたった20です。
5で出来る子は95、他の事に使えるエネルギーが残るのに、です。すると「人生を楽しむのにつかうエネルギー」がずいぶん違ってしまいます。他の子が歩い
ているのにいつも全力疾走していては辛いです。以前どんぐりの掲示板で「うちの子はおっとりしていて場の空気が読めないのですが」というような質問があっ
たとき、どんぐり先生は「自信をもって『おっとりと場の空気が読めない』ままでいられるようにすることが親の仕事です」という意味のアドバイスをされまし
た。「普通」になることに消耗させるのではなく、その子が余力を持って人生を楽しめるように「環境設定」をすること、それが親の仕事・・・違うかな?と、
まあ長くなりましたが・・・最近につまってました。学校のこと、家庭学習のこと・・・昨日の日記で先生へのことなど書いたのも心の中のヘドロを一度外に吐
き出したかったからのようです。担任の先生はじめ、いまいろいろな先生方が小豆にかかわってくださっています。それをありがたい、と思い、感謝する反面、
「だから行かせなければ申し訳ない」という気持ちも生まれていました。小豆の心より、先生方への体面を気にしている自分がいました。一粒の麦になりきれな
い自分です。昨日の日記で書いた先生方の言葉や態度に「私も困った親だと思われている」というのが怖かったのです。でも、書いてみて改めてわかりました。
小豆は悪くない(笑)。小豆の中に学校へ行く気持ちも育ちつつあります(友達と会いたい)反面不信感、恐怖感も強いです。昨日日記を書いた後わかりまし
た。「もう無理に行かせなくてもいい。小豆が楽しめる日・行きたい日には行けるように手伝うだけでいい」と。あとは家でどんぐりに取り組めばいい。そして
「楽しむことを大切に」すればいい・・・そこにすべてがあるんですから。過去ログよりもうひとつ
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[2414] Mさん 投稿日:2006/03/05(Sun) 00:53 [関東]
今晩は、初めてメールします。どんぐりを知って子供についての悩み、不満、それは自分自身に問題があったのでは・・と思いました。「ゆっくり、ジックリ、
丁寧に」が必要なのは、私自身だった。どんぐりに出会えて私も救われた様な気がします。小2と小1(ボーダーライン)の男の子がいますが、今月からどんぐ
り一緒にやってます。手探り状態ですけども・・・。よろしくお願いします。ちなみに私は小4の問題が出来ませんでした。先行き不安です。
●すべきことは一つです。「子供(外見は人間でも頭は進化途上のヒト)を大人(自分で考え・人間らしい判断をできる頭を持った人間)に育て上げること」です。
●ヒトは親によって人間に育てられなければ人間にはなれません。
●ヒトを人間に育て上げる教育方法(乳脳を正常な永久脳に進化させる教育)と人間になった後でする教育方法(正常な永久脳を活用した教育)が同じはずはあ
りませんし、同じであってはいけません。脳の育て方と脳の使い方は違って当然なのです。脳内進化学習と社会適応学習とリハビリ学習とは違うからです。普通
に当たり前のことです。
■漠然と「頭を鍛える」といいますが、これは無数の頭の使い方のうちの1種類(あるいは数種類)を強化するだけで「頭を育てる」ことはできません。いずれにしても、高速多量学習は正常な永久脳に育て上げた後でしか活用できない危険学習です。ご用心ご用心。
※「どうすればいい?」...みんなで作り上げた掲示板に答えはあります。
※「何を使えばいい?」...ホームページに揃っています。
※「誰が育てるの?」.....何時の時代も保護者の役目です。あとは「遊び」と「友達」が必要です。
[From どんぐり倶楽部・代表:T.Itoyama]
最終更新日時 2007年1月21日 15時35分19秒
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2007年1月20日学習習慣・・・忘れがちな大黒柱(1)[ どんぐり文化祭 ]
勉強がわからなくなるのに抜群の効果を発揮する習慣
○消しゴムで間違いを消す。
○途中の計算(筆算・中学生では方程式の過程など)を書かないまたは計算後に消す。
○ノートはびっちりつめて書く
○テストは点数だけみて捨ててしまう。
さすがにどんぐり倶楽部を知る前から↑のことはわかっていました。塾でも繰り返し指導してきたし、家庭教師をした子供たちにも同じことを言いました。我な
がら褒めてもいいな、と思うのはわからん帳を指導していたことです。←でも中途半端でした(だめじゃん)。こういう悪習慣をしっかり身につけてしまってい
る子供たちが本当に多いです。逆に「消しゴムを使わずに間違いはバツをつけて横に計算しなおす」「筆算をしっかり残す(計算後に消さない)」「ノートはゆ
とりをもって広々と書く」「テストは弱点補強として保存する」なんて子にここ数年お目にかかったことがありません。なぜだろう???学校でも家でも指導し
ないのかな?と常々疑問でした。さて、このマイちゃん(だまた家)のノートをご覧ください。
「消しゴムを使ってない」「途中の計算をしっかり残している」「ノートはゆったり使っている」・・・テストに関してはこの画像ではわかりませんが、多分わからん帳もばっちりあるはずです、よね、だまたさん?すばらしいです。しかも「算数の文章題」を楽しんでいる!
これって本当にすごいことなんですよ。昨日塾でリーちゃんと一緒に勉強してました。冬休み明けて2回目。前回リーちゃん消しゴム使い魔に逆戻りしてしま
い、まだなかなか元に戻れません。せっかく描いた絵図も「あっ!」とおもう間にゴシゴシ・・・(涙)。結果、また一からやり直し。同じ間違いをしていても
(同じ間違いをすること自体はかまわないのですが)同じ間違いをしているということに気付けない。。。今回は「消しゴムとりあげ〜〜〜
」と取り上げましたので消しゴムは使わない。でもノートケチケチ症候群も再発。。。初めからば〜〜〜んと紙をついで、「これいっぱいに描かないと帰さな
い」と脅します。リーちゃんだけでなく、休み明けの子供たちは少なからず悪癖が再発します。でもあきらめず、何度でも伝えていくしかないです。でも学校で
も家庭でも、こういう良い習慣を無視されていくと、なかなか修正は困難です。特に中学生になってからは頑固になります。
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どんぐり倶楽部の過去ログ,No.30より・・・
[2933] Sさん 投稿日:2006/05/19(Fri) 14:03 [近畿]
(抜粋です)そんな折、計算ドリルではない書き込み式の準拠問題集が宿題に出ました。書き込み式と言っても、余白は少しです。1問だけやる?と言ってやら
せたら、書いた筆算が間違っていることに気づいて消しゴムで消していて、それを見て少なからずショックでした。どんぐりの問題ではそれまでの絵や筆算が間
違っていてもXをして書いていきますが、学校の問題では間違った過程が少しでも残るのが嫌なんだ。その後、私が残りの問題をやってみると、書く(描く)ス
ペースがないことにイライラし、別の紙を貼ってそこに書きました。連絡帳には「筆算や絵図をかかせたい」ということを再度書いて持たせました。その日の宿
題は時間の計算(文章題3題)だったのですが、「ノートに書いてする(筆算も書く)
」と書いてありました。私の書いたことに対する担任の先生の返事は「筆算をきちんと書いた方がいいということには同感です。紙を貼ってくださると助かりま
す。」とありました。テストの時の紙まで用意できないんだけどな、と思いつつ、それでも少し進歩かな?と思います。学校との接し方、こういう方向性で間
違っていませんか?
>>「ノートに書いてする(筆算も書く) 」
●問題と同じスペースで書けないと効果は半減します。間違ったときに問題と間違った過程が確認できなければ弱点補強に使えません。問題と解
答用紙が別というのは入試問題のように確認しない前提の時だけです。だから「良質の算数文章問題」は切ってノートに貼れるように、贅沢ですが片面印刷なん
です。根本的に学習方法を知らない「やればいい」という感覚なんです。そこをどう切り抜けるかが工夫です。私の生徒は問題集を全て一度コピーしてノートに
切って貼ってましたよ。当たり前のことです。こういうことを学習の基本(本当の学習習慣)と言うんです。机に座っていることが学習習慣ではないんです。ど
うですか?そろそろ分かってきましたか?学習とは学習方法のことなんです。
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「学習とは学習方法のことなんです。」「こういうことを学習の基本(本当の学習習慣)と言うんです。机に座っていることが学習習慣ではないんです」←みつけた〜〜〜!って感じです。今までも何度も読んでたはずなんですけど、過去ログは読むたびに新発見があります。過去ログからまた引用・・・
[2722] Eさん 投稿日:2006/04/22(Sat) 19:15 [近畿]
先生、こんにちは。もうすでに解答済みなのかもしれませんが、これまでにどうしても解決していないことがあります。高学年の息子は「絵図を書こうね」「絵
図だけでも答えが浮かぶような絵図を書こうね」と耳にたこが出来るほど毎回毎回言い聞かせておりますが、一向に自分から絵図をすすんで好んで書こうとして
おりません。私が一緒にやるときは絵図を書きますが、好んでは書きません。「どうして絵図を描かないの?」と聞いても「頭の中にあるし、それを紙に書くの
は難しい」と言うのです。こればっかりは自分で書こうという自覚を持たない限り見ていないところでは、いつまでたっても書かないと思います。どうしたら絵
図を描いたほうがすぐに分かるということを解ってくれるのか、困っています。意地になっているようにも見えないのですが・・。
>>絵図を描いたほうがすぐに分かる
●から描くのではありませんよ。
追記ですが、先生のご教示どおり隣や正面で私も一緒に解いて絵図をしっかり描いております。それを毎回見ているにもかかわらず・・なのです。怒っても全く意味がないと思い、絵図を描き続けていますが、息子には伝わっていないようです・・。
●伝わっていますよ。お母さんは「楽しんで描く」ことに徹することです。描かせようなんて思ってはいけません。彼自身が絵図を描かないと解けない問
題にぶつかった時に今の光景を思い出して、そこで分かるんです。「絵図を描くことの意味」をね。目の前の問題を解くために描いているのではないことをお母
さんが覚悟すべきです。覚悟が見えません。
※自分が納得しなければ「しない」のは健全な証拠です。
[From どんぐり倶楽部・代表:T.Itoyama]
[2728] Eさん 投稿日:2006/04/23(Sun) 21:40 [近畿]
>>彼自身が絵図を描かないと解けない問題にぶつかった時に今の光景を思い出して、そこで分かるんです。「絵図を描くことの意味」をね。そう
だったのですか・・。私は今まで少し勘違いをしていたようです。お返事有難うございました。また迷ったときはアドバイスをお願いいたします。
●未知の問題を解くために練習しているんですよ。...だから応用力が育つんです。正解が応用力を育てるのではありません。
[From どんぐり倶楽部・代表:T.Itoyama]
「●未知の問題を解くために練習しているんですよ。...だから応用力が育つんです。正解が応用力を育てるのではありません。」
「正解が応用力を育てるのではありません。」←リフレイン〜。これ、これです!「基本」とは「なんにでも応用が利く力」のことだ、とどんぐり先生が繰り返
しおっしゃっています。「未知の問題」に突き当たったとき、それに向き合える力、そのための習慣。。。それこそが「学習の基本」であり「本物の学習習慣」
なわけですね。
[2447] Mさん 投稿日:2006/03/10(Fri) 13:17 [関東]
こんにちは。春から息子は新2年生になります。筆算にもだいぶ慣れたので、週一で少し難しい筆算2問と、どんぐりの文章題をがんばっています。さて、
123−24という問題を出しました。いつもどおり、筆算の式を書くのかなと、思っていましたら、見るなり「99!」とあっさり解答。「そうじゃなくて、
ちゃんと書いて・・・」と言うと、
「23−24はー1でしょ。残りは100だから99でしょ。」と解説してくれました。暗算とはちょっと違うようなのですが、こういう考え方はどうなのでしょうか?大人はよくやりますよね?
●もちろんOKですが、筆算は書く「練習」です。だから数すくなく必ず丁寧にするんです。計算できたから「筆算しなくていい」なんてことはないんです。「書くことそのもの」が練習なんです。だから数多くしてはいけないんです。
[From どんぐり倶楽部・代表:T.Itoyama]
「計算できたから「筆算しなくていい」なんてことはないんです。「書くことそのもの」が練習なんです。だから数多くしてはいけないんです。」と、引用を始めたらきりがないのですが・・・
そこでこのプリント↑(これだけ算数計算編)をご覧ください。内容は繰り上がりのない一桁同士の足し算です。デンタ君を使ってゆっくり計算すれば小豆も正
解できます。しかもこのプリント、すでに答えが出ています。それなのに「なぜわざわざ筆算をさせるんだろう?」とおもっていました。また文章題週に1〜2
回で精一杯というのもあり、実は今まであまり筆算を練習していませんでした(汗)。だから小豆の筆算はまだ描き方が不安定ですね。ようやく母が心を入れ替
え、これだけ算数を一日一枚、取り入れられるようになりました。
↑ちなみにこれも「これだけ算数計算編」のプリントです。
一円玉10枚が変身ポーズ・・・で10円玉に(笑)。今仮面ライダースーパーワンに興味津々です。最終更新日時 2007年1月21日
15時30分57秒
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2007年01月17日:オリジナルの絵図
↓この写真を見てください。
これは年明けに姪が描いた絵図です。この絵を描いた後、姪は本当に穏やかな、それでいて誇らしそうな笑顔を見せてくれました。私にとって最高のプレゼント
でした。姪は17歳。知的障害で普段は家族とはなれて寮にいます。姪が絵を描くのを私はほとんど見たことがありません。二人の妹たちは幼い頃よく絵を描い
ていました。でも長女は画用紙を前に固まったように鉛筆を握り締めているだけでした。長女は特に「自信」がありません。「自信」は自分を信じることです。
彼女は自分を信じられず苦しんでいるように見えます。いつも「それではダメ」と言われてきた姪です。と・・・偉そうに書いていますが、私はどうかといわ
れれば言葉もありません。小豆は「出来ないこと」が多い子でした。手先もとても不器用でした。公園でも遊具でうまく遊べませんでした。小豆より小さな子が
どんどんこなす遊びが小豆には出来ませんでした。私は「出来るようにさせなければ」と、なだめたりすかせたり、さらには叱ったりしました。「親が毅然とし
てさせることが大事だ」と思い、滑り台が熱いから降りたくない(怖い)と言っている小豆を抱き下ろさず、一時間も泣かせていたこともあります。←小豆は泣
きながら滑り降りてきました。「この子にはやる気がない」「やろうという意欲、がんばりがない」と、いつも心の中で小豆を責めていました。トイレの自立も
遅く、お漏らししても平気な顔をしている小豆にイライラしました。夜のおねしょも一向気にする様子もなく、朝がたわざとの用に重ねてお漏らしをする小豆で
した。寝入っているわけではなく、起きているはずなのに・・・。幼児教室の体験入学で「考えようとしていませんね。お母さんが口を出しすぎではありません
か?」と言われました。どんぐりを始める前、小豆の口癖は「わから〜ん」「でき〜ん」でした。自分ではよく褒めていたつもりですが、褒めていたと言うより
はおだてていた、または評価していたのだと今はわかります。そうすることで小豆を操作しようとしていたのだ、と。子供に必要なのは親がその子を「喜ぶこ
と」だと思います。その子の存在を喜ぶこと。ああ、耳が痛いです(おい!)。わかっちゃいるけど難しい!はじめの姪の絵、これを描いたとき、そして自分
の絵を見て答えを出せたとき、(くりかえしになりますが)姪は見たこともないほど嬉しそうな顔をしました。いつでもはっきりと思い出せるほど、印象深い笑
顔でした。ここでどんぐり先生のブログの記事を「オリジナルの絵図」をキーワードにお読みください。「まだ気付かない人がいる」・「算数で国語が伸び
た」・「学習の優先順位は」姪にもし私が描いた絵で答えを出させたなら、姪はあんなに嬉しそうな顔をしたでしょうか?出来合いの絵図を見せて問題を練習さ
せたなら?ひょっとしたらとき方を覚えられるかもしれません。でもそれで姪の中に何かが生まれ、育つでしょうか?「答えはおまけ」とどんぐり先生が繰り返
されるのはなぜでしょうか?そして「教育は子育てのほんの一部」だと言う言葉。先生の教室では6ヶ月間絵を描こうとしない子をずっと待つそうです。6ヶ月
待って○一個。その6ヶ月を待つのは何故?ただ「出来るようにする」だけなら、もっと簡単で効果的な方法を知っているはずのどんぐり先生が、です。姪の
笑顔を見て、少しは↑の意味がわかった気がします。自分で新しいものを作り出す力。オリジナルを生み出す力。。。オリジナリティはアイデンティティをつく
る。それこそが自信(自分を信じる力)につながる。でもそれは育つのに時間がかかります。その時間を待って待って待てるか・・・。ああ、まだ待てていませ
ん。母はがんばりますついでに手前味噌ですが、この日の記事に書いたコンピューターミシンの例えをお読みください。さて、今日は阪神大震災の起きた日で
すね。震災の頃、私は大学生でした。直後ではなく、2週間後に現地に行き、友人の引越しを手伝いました。友人のアパートは半壊。瓦礫の中から何とか引っ張
り出せるだけのものを荷物にまとめ、運びました。そのアパートの横に駐車場がありました。「ここの家に住んでいた人は亡くなったんよ」と友人が言いまし
た。私はわけがわかりませんでした。だってそこは駐車場でしたから。白線で区切られた駐車スペースには番号がかかれている・アスファルト舗装の・・・本当
にありふれた駐車場でしたから。「だってここ、駐車場でしょ?」一瞬ホームレスの方がなくなられたのかな、と思ってしまいましたが、違いました。「この上
に家が乗っかってたんだよ」。「え???」「ひどいでしょ?でも地震が起きなかったらわからなかった」その家はアスファルトの駐車場にただ「のっけてあっ
た」というわけです。基礎工事もなく、ただ建物が乗っかっていただけ。それでも人は住めました。震災が起きるまでは・・・。恐ろしい話です。ひどい話で
す。哀しい話です。その基礎工事のない家屋の中で、平安に暮らしていた家族があったんですから。。。ごめんなさい。まとまりません。
最終更新日 2007年01月18日 00時24分16秒
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2007年01月17日:だまた家たけちゃんの力作&うれしかったこと
だまたさんのブログ、DMTへの想いより、たけちゃんの力作を拝借してきました。
<0mx71>どんぐりで出来ている自転車を売っているお店があります。1台の自転車にどんぐり11個使われています。お店に6台あるなら、どんぐりは皆でいくつ?
↑自転車を描くのに「想像では描けないから」と、寒中わざわざ写生にでたたけくん。すてきすぎる〜!そしてだまたさんからとても嬉しいメッセージを頂きました。「たけが、年長問題に戻ってやっているのは、小豆ちゃんが、あまりにも素敵な絵を描いているので、うらやましくって、戻ったんですよ〜知ってた?うふ。」た
けちゃんはとても賢いお子さんです。1mの問題だってバンバン解いてました。そういうたけちゃんをみて正直「いいなぁ・・・」なんて思ったこともある馬鹿
母の私です。でも↑のだまたさんのメッセージ・・・。どんぐり母ってかっちょいい!って思います。「レベルの高い問題をとける」ことより「楽しめる」こと
を大切に思える・・・これがどんぐり母ですよね!だまたさんかっちょいいです!私もがんばらねば。まだまだ覚悟も修行も足りません。だまたさん、どうもあ
りがとうございます。さてさて、昨日せっかく掲示板でケンバーンさんに「お知恵拝借」と頼っていただいたのですが、たいした智恵もなく、お力になれません
でした。すみません。こちらに来てくださるみなさん、良いお知恵があれば掲示板にお願いします引用したくてどんぐりの過去ログめぐりしていたのですが、
あっちもこっちも・・・となってしまいました。。。でも一箇所だけ引用させてもらいます。
[3003]Aさん 投稿日:2006/05/28(Sun) 10:49 [関東]
娘(小3)はリズムよく文章題をしているのですが、時々、絵が少ないことがあります。それは、「難しい問題」ではなく、頭の中で数段階の行程が瞬時にでき
る時です。例えば、4M38(ハム太郎とチュー助の運動場ランニング)の場合、チュー助が一周したときにハム太郎が160メートル先を走っている絵だけを
描きます。次に、即160を5回、筆算で足します。つまり「運動場は400メートルでチュー助が2キロ走るということは、運動場5周走ることだから、ハム
太郎は160メートルを5回分多く走る」ということまでを瞬時に理解している様子です。(2000÷400の様な割り算はまだ習っていないはずなんです
が)こういう場合でも、頭で瞬時に分かったことを絵にするように言うべきですか。上の子をどんぐりで育てたときは、レットカードとホワイトカードの問題
が、私自身理解できず、やらせませんでした。今日、息子に相談したら、「簡単じゃーん、いい問題だ」とさらさらと式を書いて解いてました。私は息子に説明
してもらい、息子の書いた式を見て考えて、やっと理解。私のような大人にこそ、「脳の活性化」が必要なのかも・・・。
※12才までの子育てや学習で「できるからさせる」は要注意です。「できてもさせない・出来ると分かったからさせない」の場合が格段に才能を守ることが出
来ます。十分に熟成させるための工夫です。だって「瞬時に理解できる」のは当たり前なんです。「その上で」どう指導すべきかを示しているのが「どんぐり」
なんですよ。子供の本来の才能を無理なく最大限までもっていきたいんです。早期に次の段階へ移行することは12才までは低レベルでの完成を意味している場
合が殆どです。
>>頭で瞬時に分かったことを絵にするように言うべきですか。
●言わないで、描きたくなる環境にすることが望ましいですね。だって、もったいないですからね。
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※下記は「最低の絵図が線分図である理由」より【参考:絵図と記号】
>>利用者.:息子の場合は最初から「絵」ではなく、○などの記号でした。頭の中の膨大な視覚イメージを即記号化出来ることに素直にすごいなーと私は思いました。
●アドバイス:幼児・児童期(12才まで:特に9才まで)には良くありません。発想が貧弱になります。建築設計の一流プロがなぜ模型モデルを実際に作るの
かを考えても分かります。絵図を描かないで解く子供はたくさんいます。私も数多く指導してきました。「分かるから」「解けるから」「出来るから」という理
由です。しかし「解ける問題だから描かない」は「解けないときにも描かない・描けない・描けば解決の糸口が見付かることを実体験として持っていない」ので
解決に最も効果的な絵図を使えない。となるのです。だから、分かっても解けても描くんです。そのかわり問題は少量にしてあるんです。これが多量では誰だっ
て出来ませんしする気ににもなりません。それでは意味がありません。「ゆっくり・ジックリ・丁寧に」良質の問題を少量するのがポイントなんです。
>>利用者:息子はドリルもどんぐりもどちらもやってます。彼は文章題を解くときには、さっと読んで立式が思い浮かぶ問題はそのまま式を立て、思い浮かば
ないものはとりあえず絵を描いてみる、と問題によって解き方を変えています。(絵というより、○などの記号を使った図です。絵である必要が私には分かりま
せん。)
●アドバイス:寄り道・回り道を大事にしたいからです。楽しむことが出来ることは最も優秀な才能の一つなんです。才能を守るための問題ですから寄り道・回
り道をしやすいようにしてあるんです。もちろん、寄り道・回り道をしなくてもいいのですが、才能保護の立場からすると記号で5題を消化するよりも絵図で1
題を楽しんだ方が遙かに効果的です。処理対象としての問題ではなく楽しみながら才能を守る問題なんです。
【追記】
●上記コメントを不思議に思う方もいらっしゃると思いますので、ちょっとだけオマケ。
「高度な抽象化」というと聞こえはいいですが、小学生のしていることは
「酷い省略・単なる手抜き」というだけ(工夫とはチョット違う)なので「(具体的な絵図からなら簡単に感じられる)気付き」がなくなっていくんです。そし
て、次第に「気付き」の感覚が失われていきます。だ・か・ら、絵図の記号化は少なくとも9才までは「できてもさせてはいけないこと」なんです。この気づき
の消滅が「センスがない」とか「才能が感じられない」とか「ヒラメキがない」になります。無理に描かせると頑固に描かなくなりますから描きたくなるような
環境が大事なんです。
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>>「脳の活性化」が必要なのかも
●不要です。既存の回路を丁寧に使うしかありません。しかも脳を活性化させないことが「効率的に」ということです。(急激な)活性化の原因は殆どがストレスですからね。思考とは無関係です。
[From どんぐり倶楽部・代表:T.Itoyama]
どんぐり先生の言葉の中から・・・絶対に忘れたくないこととして。。。
「出来ることが100あってもその中に楽しめることが1つもなければ人生は貧しい。でることが1つしかなくても、その1つを楽しめれば人生は豊かになる」「教育は子育てのほんの一部です」
小豆、くまさんの問題に描きたししてました。←くまさんは空気いすでトレーニングちゅうのようです。←たまには大豆の作品を。本当に車が好きで、とにかくタイヤがつきます
最終更新日 2007年01月17日 12時36分06秒
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2007年01月16日:月と地とさんご長男の作品
どんぐり倶楽部がじわじわ〜と広がっているのを感じます。楽天ブログで「どんぐり倶楽部」の文字があちこちに。AERAをみて、って方もかなりいらして、
やはりメジャー誌の効果はすごいものだなぁ、と改めて感じました。さて、私のブログからお気に入り登録させてもらっている『今日のいちばん(月と地とさ
ん)』でも、天才少年漫画家、D君のどんぐり作品初掲載です。このD君、優しい感じと絵が好きなところ、ガンプラにはまっているところなど、うちの小豆に
どこか似ていて・・・勝手に親近感を覚えてます。それにしてもD君の作品、予想以上です!←す・ご・いですねぇ!!!小豆、朝から度肝を抜かれたらしく、
「悔しい〜〜」と言っております。Dくんの発想、オリジナリティってすごいですね!←これが全体象です。もし小豆なら左のページで終わり、ですが、D君は
4年生だけあって、式も立ててありますね。それに右のページのカタツムリさんと葉っぱの並べ方もばっちりだと思います。何も心配ない気がします。>月と地
とさん。そして「ゆっくり・じっくり・丁寧」にがどんぐりのモットーですから、どんなに間隔が開いてもその子のペースでやるのが一番だと思います。>月と地とさん私は左ページを描き終わるまでちゃんと待っていらした(そして楽しんでいらした)月と地とさんに拍手喝采です。その母親の待つ心な
くして、この傑作は生まれませんね。私もついつい焦るのですが、しっかり待ちたいと改めて思いました。初めからその心をお持ちなんですから、すばらしいお
母さんだと思います。私はそこまで「待てる」ようになるのにずいぶん時間がかかりましたから・・・。問題への取り組みの詳しい様子は月と地とさんのブログ
をご覧ください。年長問題からのスタート、全く問題ないと思います。中学生でも年長問題に悪戦苦闘します。とにかくこのD君の記事を見てからなんだかニヤ
ニヤしてる私です。小豆にも見せると「嫉妬〜〜〜」と言ってます。ライバル意識メラメラのようです。それと小豆より、Dおにいちゃんへ質問です。「ケロロ
のセカンドシーズン見たことある?」「ガンプラではどれがすき?」&伝言です・・・「ぼくも傑作描くからね〜」だそうです。
最終更新日 2007年01月16日 16時56分08秒
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2007年01月12日:どんぐりの良質の文章題は子供を育てる
昨日のことです。小豆は誕生日におじいちゃん・おばあちゃんから腕時計を買ってもらいました。嬉しくて家にいる間はずっとつけてます。昨日うっとり(?)
時計を見ながら「あののろまな亀の問題をもう一回教えて」と言います。「長い針が一周する間に3歩しか歩けません」と読むと、「じゃあ一時間に3歩ってこ
と?ぎゃはは~、すっごく遅い!」と笑い出す小豆。問題を解いたときには長い針が一周=一時間と言うのがピンときてなかった小豆です。でも時計を見て気付
いたんですねどんぐりをやっているとこういうことがよくあります。自分で問題を思い出してくるんです。塾でさんざん「前にやった問題を思い出して!」と子供たちに言っていました。「何で前にあんなに苦労した問題をわすれちゃうのよ〜!」と自分の指導は棚に上げ、心で叫んでいた私でした。子供たちはどうやっても思い出せず、結局「ほらここ、この問題でしょ!」と私がテキスト&ノートを開いてみせる(最悪)ということの繰り返しでした。ところがどんぐりではこれが自然に起こってきます。子供のほうで勝手に思い出します。
言葉の言い回しとか、解いているときはわからなくて、結局問題が解けなくても・・・毎日の生活の中で無意識にその言葉の意味を拾い上げている、とでも言い
ましょうか。それは決して強制されたものでなく、本人のペースで自然に、です。これは親のほうで「今すぐの答え」を求めないことが大事、「楽しむこと」が
大事と言われることの理由(のひとつ)だと思っている私です。どんぐりを楽しんでお絵かきしている子どもの脳には「あれ?なんだろ?不思議な言葉だな?」
「これ、どうやれば解けるんだろう?」と言うのが本人も気付かないうちにインプットされているようです。そしてその「?」は生活の中でその言葉・題意・解
き方のヒントを拾い上げる触手になる・・・小豆をみているとそういうことを感じます。楽しんで終われたから、自分で考えたから、こそです。でも親(指導者
が)焦って答えを求めてしまうとこの触手が本人の脳に生えてきません。触手がないと何もつかまず、何も吸収しなくなるのだと思います。どんぐりっ子の脳には触手がいっぱい!←ってちょっと気持ち悪いかな。。。答えを出すことを子供に求めてはダメ→自分。
肝に銘じます、はい。さて、そのほか、小豆の成長を感じた話を記録させてもらいます。小豆はとにかく泣き喚く子でした。最近かなり減りました。が、昨日
おじいちゃんに工作の手伝いをたのみ、その途中で(まだじいちゃんが作業中に)「違う~」と泣き出しました。これは小豆の中でこの作業をやっていくとこう
なる、と言う予測が出来なかったことで、自分がたのんだのと違うことをやられている、と思いこんでしまったようです(たいていそのパターン)。それでじい
ちゃんに怒られました。でもびっくりしたのはこれまで怒られる言葉にさらに反応して泣いていたのに、黙って静かに聴き、おじいちゃんが作業をやり終えてく
れるとちゃんと頭を下げて「ありがとう」と言えたことです!おじいちゃん・おばあちゃんにはかなりふてくされた態度をとる子でした。これは祖父母が小豆の
不登校を否定せず、受け入れてくださっていることが大きくよい影響を与えているのだと思います。ありがとうございます!とにかくどんどん明るくなる小豆、
優しくなる小豆ですどんぐりマジック〜!感謝です。さあ、今日も楽しい一日にしようっと!あ、あともうひとつ、「こどもってわかってるんだなぁ」と思っ
たことです。昨日載せた小豆のノート。どんぐり15個がかなり丁寧に書き込まれていて、とても素敵!と母はニコニコ。「この絵の満足度は何点?」と聞くと
10点満点で1点だそうです。「え〜、なんで?」と聞くと「あれはケロロのキャラを使っているから。それがなかったら描けてないから。前の熊の蜂蜜の問題
のほうが上。」「オリジナルじゃないからかぁ!」「オリジナルじゃないからかぁ!」7歳でもちゃんとオリジナルの値打ちがわかってるんだなぁ・・・と。子
供ってすごいです。
最終更新日 2007年01月12日 09時22分49秒
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2007年01月10日:子供は家庭で守れる
「子供たちは家庭で守れる」と確信している・・・と去年どんぐり先生が書いておられたのをおもいだします。この言葉が心にしみてくる今日こ
の頃です。今まだ記事になりませんが、いずれこのテーマで書いてみたいと思っています。冬休み中に結構記事をアップしましたが、我ながら何かに取り付かれ
たように書いていました。なんというか、自分の中にたまっていたものを吐き出した感じです。そして皆さんのコメントを拝読し、自分だけではいたれなかった
ところに考えが伸びていくのを感じます。本当に感謝です。それをじっくり味わいたいとおもいます。それから、7日付の日記ですが、あとから本当に悩んで
いました。「宿題やらなくてもいいんじゃない?やってあげようか」と、塾生に言ってしまったこと、本当によかったのだろうか?と・・・。彼女たちは塾の宿
題もとてもまじめに取り組み(口はすごく悪いけどとても素直)、多分私がやってあげると言っても「自分でやる」と言うだろうとは思っていました。その素直
な彼女たちの心を育てられたのはご家庭でのはぐくみで、そのお母さんの心を否定するようなやり方だったのかも知れない、とあとでとても反省しました。その
後何人かのお母さんと冬期講習を見て、これからの学習は・・・と言う件を(電話で)お話しました。さすがに中学生のお母さん方は「受験」が控えていること
があり、「学校の指導に疑問がある」とおっしゃっるぉ母さんが多く、こちらの言葉に耳を傾けてくださいました。もうひとつ、中一のKちゃんのことでとても
胸が痛い冬期講習でした。Kちゃんは古いなじみで、小三から6年生までの貴重な貴重な時間を預けていただいていました。それなのに・・・私は本当に何もし
てこなかった・・・ワークをスモールステップで教えたり、私が図を描いてそれを写させたり・・・どんぐり方式とはかけ離れたことをやっていた4年間でし
た。Kちゃんが今中学での勉強で悩んでいる姿を見て(普段こちらの教室では教えていないのです)後悔で胸がキリキリ・・・。もともととても素直で見込みの
ある子なのに・・・。子供をよく見れば私にももう少しましな指導が出来たのかもしれません。それなのに子供よりも自分の「やらせたいこと」しか見てこな
かった・・・本当に申し訳ない。加害者は私です。お母さんとも作戦会議をしつつ、Kちゃんの補習をさせてもらうことに(塾外で無報酬←当然ですが)決めま
した。その作戦を今一生懸命練っています。どんぐり倶楽部とCDをすみからすみまで読み直しです。こんな私ですので、みなさんご遠慮なくどんどんご意見く
ださい。いろんなことの突破口になり、ありがたいです。最後にもうひとつだけ言わせてください。小豆、7歳の誕生日おめでとう!!!7年
前の今日、夜八時8分、あなたが無事に生まれてきてくれたとき、どんなに嬉しかったか。。。誕生日のたびに思い出します。たくさん親孝行してもらい、私は
幸せな母親です。あなたがいなかったらきっと、どんぐり倶楽部にも出合えなかったでしょう。ありがとう!小豆!これからもよろしく!まだ学校へまいにち
はいけませんが、担任の先生だけでなく、校長先生をはじめ多くの先生がたがかかわってくださり、徐々に学校へ行く気持ちがそだってきているように感じてい
ます。学校の先生方が小豆に一生懸命かかわってくださる姿に感謝の気持ちがわいて来ました。年末までは不満ばかりをクローズアップしていた私です。ブログ
で毒を吐き出したおかげでしょうか、素直にありがたいと感じるようになりました。遅いですが・・・。一年生もあと三ヶ月。やれることを一生懸命やっていこ
うと思っています。みなさん今後もよろしくお願いします。
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2007年01月07日:一緒に宿題をしました
昨日で冬期講習は終わりました。「せんせ〜、宿題がごっついのにぃ(すごいのに)」と言っていた中二生に「授業のあとで一時間くらいならここで一緒に宿題
してもいいよ」と言うと「一人よりいいかも〜」と思案顔。結局宿題タイムに残ったのは2人、それぞれ学校が違う女の子です。「ちょっと先生見てよ〜〜〜」
と口々に自分の宿題を披露し、どんなに大変でしんどいかを訴えます。なるほどそれはしんどい、大変だ、と思う量と質・・・。「先生ノートがなくなったから
売って」と、開始早々Aちゃんが言いました。塾で用意できるのは大学ノートと英語の4線ノート。大学ノートを渡して「何に使うの?」というと、ワークはす
べてノートに答えを書くのだといいます。しかも彼女がやろうとしている国語の宿題は小学校低学年〜高学年の漢字の問題が45ページ!のこりの3ページが現
代文の読解問題です。彼女は「あ〜、これ終わってもまだ山ほどある」「うわ〜〜〜!叫びたくなる〜〜〜」等いいながら、ノートにびっちりつめて書き始めま
した「何でそんなつめて書くの?書きにくいし見えにくいし頭に入らんし」と思わず口出し。「だって先生が見せた見本はこんなんだったもん。あ〜〜〜もうや
だ〜」と彼女。「そらいやだわな」と私。続いて「やってあげようか」という言葉が自制心を突き破って出てしまいました。Aちゃん「え!?まじ?」私「やっ
てあげるから他のをやったらいいじゃん。英語とか、数学とか。」Aちゃん「だってそれまずいっしょ?」私「まずい?かな?」A子とB子、信じられないもの
を見た顔をしています。私「じゃあさ、私が勝手に新しいノートにするからさ、Aちゃんは一応他のを今れば?家帰ってから別のノートにすればいいんだよ。も
しどうしても間に合わなかったときの保険に私がやったノート持って帰れば?」A子、ちょっと考えていましたが、「じゃあそうするか」と、国語のテキストを
私に渡し、自分は英語を始めました。社会の宿題を一問ずつ教科書で調べていたB子にも口出し。「それじゃ効率悪すぎるよ。答え持ってないの?」B子「持っ
てるけど」回答はワークの該当ページの写真に太字で解答が書かれている形式のものでした。私「ちょうどいいから先にこれをじ〜〜〜っとみて頭に焼付ける。
それから白紙のワークを見て思い出せるかチェックするといいよ。わかんなかったやつは印しつけてね」B子「答え見るってずるじゃない?」私「そう?でも
さ、いちいち調べて書いて、覚えられる?」B子「私社会最悪だもん」私「ジャ、だまされたと思ってその方式で一ページやってみてよ」B子「わかった」素直
に解答→ワークのにらめっこを開始したB子。私も黙々とA子の国語ワークに取り組みます。小さい字でびっしり書いて・・・どこに何を書いているのやら、途
中でわからなくなります。そんな私の様子を見つつ、A子は英語のワークを。A子「あ〜、わかんない・・・じゃなくてわかるんだけど今ちょっと忘れたってこ
と」「わからん」「ダメだ」が口癖の彼女に「それは禁句」と言い渡してスタートした冬期講習。それでも油断するとスグその言葉がとびでて「禁句!わから
んって言うと脳みそがストップする!」といい続ける私に不満そうな顔をしたこともあります。「わかる、って、はいはい、わかりますってば」と私にわざと大
げさに言ってみせます。「あ〜、これ、この前やったよね?動詞を分解するんだよ〜。過去だからdidだよ〜」などと冬期講習の内容を覚えていることもア
ピール。可愛いことこの上なしです。B子も「あ、覚えれてる感じ、うそでしょ?」などと言いつつ、どんどん進めていっています。B子「でもこれ提出するか
らワークに答え書かなきゃ」私「ジャ、今白紙のときにコピーしてあげるわ。あとで思い出しようにつかうってことで」B子「了解」私は漢字を書きながら、時
々「これは?」と思う漢字を出題。なぜかB子も答えます。A子ちゃんは8割がた正解。間違えた問題にはチェックを入れておきます。「あとでここを見直して
よ」というと素直にうなずきます。A子「先生かわっとるぞ〜」私「なんで?」A「普通『宿題はまじめにしろ』って言うじゃん、大人は」私「私自分の子供の
宿題取り上げてやっちゃうことあるよ」A・B「ええ〜〜〜!!」私「全部じゃないけどね。百マスとか、計算問題80問とかはやらせない。一問か二問かな、
やらせても」二人とも信じられない表情をしています。私「計算ばっかり多すぎると考える暇がなくなるもん」A子「確かにな〜、考えてないもんなぁ。考える
問題とか面倒、早く終われってそればっかり思うもん」B子「でも勉強せんでもいいの?」私「勉強はしとるよ。お絵かき算数とかはノーヒントでするよ。」B
子「でもさ、悪い子になるって思わんの?」私「思わんよ。思う?」B子「いや、なんとなくそう思う。。。」私「そうか、それで文句言いつつ宿題がんばっ
てるんだ。偉いね、二人とも。お母さんの気持ちもちゃんとわかってがんばってるんだね。本当、偉いな」A子「いや、やろうと思ってるけどやってないことも
あったりして・・・よう喧嘩になるで」B子「うちも〜」私「いや、でも二人とも、親の言うことちゃんと受け止めてるのよくわかった。偉いよ」重ねて言うと
二人とも照れまくり。そのあとも必死にがんばりました。ふと気付くともう一時間たち、A子の国語ワークはあと5ページ残ってしまいました。私「あと5ペー
ジ残ったわ。」A子「ええよ。もともと私の宿題だし」私「Bちゃんのはいっこも手伝わんと、ひいきしたみたいでごめんよ」B子「大丈夫」なぜか二人ともニ
コニコとやわらしい表情です。うん?なんか雰囲気違うな、と正直びっくりしました。A子「でもさ、やっぱ気がとがめるから、一応家でがんばってみるわ。先
生がやってくれたのつかわんかも。ごめんな」私「ええよ、こっちが勝手にやったんだし。どんな宿題出ていて、それをやるとどう学力がつくのかの研究だも
ん」A子「で、どうだったん?」私「手がごっつい疲れて、目が充血するってことがわかった」A子「なんじゃそりゃ?」三人で笑って片付け。よく考えれば普
段は中二を担当しない私。彼女たちに次に会うのはいつのこと?B子「先生次いつ会えるん?」私「本当、いつだろう?土曜日はこっちの教室におるけどなぁ。
いつでも会いに来てよ」A子「携帯メール教えてよ」てなわけでアドレス交換して別れました。先ほどまで「宿題やってるで〜。国語も結局やってるわ〜。先生
のやったの無駄にしてごめんよ」という眠気覚ましのメールに付き合ってました。私→A子「無駄じゃないから気にせんでよ。自分で決めてするんならやるほう
が気分いいし、身につくよ。風邪ひかんようにあたたかく!」A子「わからんって言わんの、気をつけるわ」と、これでメールが打ち止め。もう寝たかな?冬期
講習は一日おきに本部と分室で担当しましたので、8日間のうち、私が彼女たちに会ったのはたったの4日です。その私にずいぶん親しみを示してくれたのには
驚きました。特に今日の表情の変化には驚きました。眉間にしわを寄せていた険しい表情がふっと和らぎ、優しい、かわいらしい、本来の彼女たちの顔になった
ように感じました。「よくがんばってるよ」「ここまでがんばったんだ、えらいね!」等、こと勉強に関しては努力を認められた経験が少ないのでは、と感じま
した。もちろん彼女たちの素直さ・優しさはご両親がはぐくんでこられたものに間違いありません。だからこそ余計に宿題のことで親子が無駄に消耗して欲しく
ないなと思いました。「よくワークなくさなかったね」でも、「宿題があるの覚えて気にしていたんだ。偉いね」でも、認める言葉は心をやわらかくするのかも
しれません。「一緒に同じ宿題やってみようかな」も案外効果的かもしれませんね。一緒に苦労すると「仲間」という感覚が強まるようです。今回、どんぐり先
生の「新中一生のための講演」の原稿やわからん帳の作製講座のプリント・・・等、いろいろなものを渡しました。「え〜、読むの面倒」と言っていたのに
「さっき読んだわ。ま、なんとなくわかった感じかな」というメールが届きました。ひょっとしたら私を「仲間」と認識してくれたのかもしれません。仲間の言
うことなら聞いてみようか、って思ってくれたのかも。。。なんて甘い?かな。もちろんすべてが伝わったとは思いません。でもまた思い出してくれればいいと
思っています。「あの人なんか言ってたなぁ。何であんな一生懸命に言っていたんだろう?」と。そして特に彼女たちが母親になったとき、思い出してくれれば
いいな、と。冬休み最終日、有意義で楽しい一日を過ごしてくれていればいいな、と願う私です。
最終更新日 2007年01月08日 10時08分14秒
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2007年01月04日:どうして伸びない?(中学生)
今年塾で私が受け持っているのは小学生と中一です。昨日の日記で少し書いたことですが、最近中学生を見ていると本当に「伸びない」子供が多いです。「伸び
ない」と決めてしまうのはよくないし、伸びてくれるように働きかけることが私たちの仕事です。でも・・・「伸びしろ」を感じさせない子供たちが多いように
感じるのです。今冬期講習中で、外部(普段から塾に来ているのでない子供たち)生が数名来てくれています。その中に久々に「伸びしろ」がいっぱいありそう
な感触の男の子がいます。なぜ彼に「伸びしろ」を感じるのか、ちょっと箇条書きにしてみようと思います。◎わからない、と感じたらスグに質問できる(「先
生」と手を挙げられ)。◎問題を「こなさない」→しっかり躓く。いちいち「?」と疑問を抱く。◎理解したいという意欲を感じさせる(得点を上げたいという
よりも理解したい気持ちが強い
)・・・例:(英語なので)品詞の働きと意味を理解しようとしている。◎論理的に考えている◎好奇心がある・・・文化による言葉のつかい方・独特の用法な
どについての説明に目が輝く。◎ちょっと「くせ」のある印象(なんとなくADHDを疑う特徴がある)←実はこういう子が好みなんですよね、私。。。この手
の子が何人も伸びました。◎教科間のバランスが妙に悪い。・・・英語・数学・国語のどれかがものすごく嫌い。ただし社会・理科のどちらかは好きで、教科書
では物足りず、資料集・参考書等を「楽しんでいる」。◎良い意味のひとなつっこさ(大人を信頼している)これに対し、伸びしろを感じない子もいます。
○問題は「こなしている」だけ(内容を熟慮せず、早く終わらせることだけを考えている)→同じ間違いを何度でも繰り返す。○授業で講師が話していること、今学んでいることに好奇心が働いていない。→ただ授業が流れていって終業時間になることを待っている。○
「掛け算?わりざん?」的な質問。→(英語なので)「文の動詞はどれ?」と聞くと順番にひとつずつ答えていく(もちろん私は返事しませんが)。○どの教科
にも興味を持てない。○人間関係も「こなしている」印象。○大人に対しても「その場しのぎ」、対大人との関係を「こなしている」という印象。・・・と、こ
れは私の独断と偏見で講師をしてきた10年間で出会った子供から感じたことを挙げたものです。伸びしろのある子のほうの「教科間のアンバランス」ですが、
好き嫌いが極端という感じでしょうか・・・。でも英語・数学・国語でつかう力は(中学レベルでは)共通していますので、この「同じだよ」ということに気付
けば一気に解決するという特徴があります。こういう子は理・社の(全分野でないけれど)どれかをとても楽しんでいます。たとえば歴史がとても好きで、教科
書程度の記述では全然物足りない、と自分で参考書を読んでいたり、理科がとても好きだったりします。思うにこれは自分の生きている世界に対する好奇心があ
るということではないでしょうか?ただ教科書を「点を取るため」にこなしているのでなく、その中に描かれている世界に興味がある、楽しめる。。。こういう
子は話していても楽しいですし、吸収力もあります。逆に点数は良くても楽しんでいない子はあまり伸びません。良い点数を維持したまま高校に上がりますが、
「楽しい?」と聞きたくなることも・・・。そして伸びない、伸びにくい、と感じさせる子供たちは一様に「こなしている」印象です。作業として勉強をこなしている子
供たち(特に中学生)に勉強の楽しさや意味を教えるのは本当に難しいのです。ただその場がしのげればいい、という感じで「こなす」だけの子供たち。本当に
吸収力がかけてしまいます。セメントのように表面を流れてしまいます。雨が降れば多少水溜りができますが、時間がたてば蒸発していきます。どうしてでこう
いう状態になってしまうのでしょうか?大量の宿題を「こなす」のが決して子供たちのためにならない、と私が思うのはこういう子供たちを見ているからです。
宿題を「こなしてきた」子供たちにも二通りあるようにみえます。1、余裕があってこなすことが出来、学校の成績も良い優等生タイプ→成績は良いが楽しめて
いない。好奇心が不足している。2、余裕がなく、親からも教師からもさんざん叱られて何とかこなしてきたタイプ→勉強は「こなすもの」・「その場をしのぐ
もの(明確な問題意識もなくとにかく書いていく)」と思っている。劣等感も強く、勉強アレルギーのような状態を示す子が多い。教師の言っていることがお経
としか思えない←意味があって理解できると思っていない。つまらない。どこにも引っかからず、ただ流していく。親御さんはこういう状態にしたくてお子さん
のお尻を叩いて「勉強」させてきたのでしょうか?中学生になったとき、自分の子供にどういう風になっていて欲しいのか?明確なビジョンが必要だと思いま
す。そして子供に勉強して欲しければまず親が勉強して欲しいと切に願います。・・・って、これは天に向かってつばきする、ってやつですね。反省。と、いう
わけで私も勉強。小豆があんまり楽しそうに取り組むので・・・ガンプラ初挑戦中です。↓まだ足だけです。結構楽しいです。←こちらは小豆の新年初ガンプ
ラ。
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2007年01月03日:イメージと式
0M84 男の子のアリさんと女のアリさんが2列に並んでいます。女の子が多いようです。列の長さの違いは6人で、女の子が13人だとすると、みんなでは
何人いることになりますか?←年末に紹介させてもらった小豆のノートです。この問題を一年生で習う式で解くと普通こうなります↓。13−6=7、7+13
=20 でも、どんぐり方式では(低学年では特に)式は重視しません。なので私も式を教えることはしていません。小豆の様子をみて3年生か4年生くらいで
「式で書くとどうなるかな?」といってみようかな、とは思ってます。ではどうして式は重要ではないのでしょうか?ちょっと話が変わります。塾生のリーちゃ
ん、何度か彼女の絵を紹介させてもらいました。彼女は低学年の頃、公文に行っていました。計算はかなり速いし、学校のテストもほぼ満点です。どんぐりをは
じめた頃、彼女があまりにも妙な式で解く(文章の中の数字を適当にたしたり引いたりかけたり割ったり・・・)のでこんな問いかけをしました。私「4−2
は?」りーちゃん「2」(何をいまさら?という顔)私はノートに丸を4つ、その下の段に2つ描きました。
○○○○
○○
私「上と下の「差」をこの図の中に表せる?」リーちゃん「差って引き算の答えでしょ?」といいながらリーちゃんは自身なさそうな顔で「ここ」と下の段の○
二つを囲みました。リーちゃんは6年生。当然ながら「4−2」を楽々計算します。「差」が引き算の答えを意味していることも知っています。でも彼女の中
では「引き算」のイメージは発育不全だったのだ、と私は悟りました。それまでも彼女は妙な式を立てることがよくあり、そのたびに「何で?」と不思議に思っ
ていた未熟者の私でした。ときには「お兄ちゃんと妹の年の差」を求める問題に「112歳」という答えを出して何も不思議に感じない・・・そんな面がありま
した。彼女の中で計算とイメージは全く融合していなかったからです。この体験は私にとってとても貴重なものでした。小豆がどんぐりの問題を全く式で解こ
うとしない状態を焦らずに見ていられるのはこの体験があるからです。はじめの小豆の絵の中には「13−7=6、13+7=20」のイメージのほかに「6+
7=13」のイメージ、「(13−6)+7=20」のイメージ、「6+7+7=20」のイメージ、「7×2+6=20」、「20÷7=2・・・6」のイ
メージなども含まれています。このイメージが大切なのです、きっと(おいおい)。イメージ→式の移行は準備が整えばできるけれど、式→イメージが困難で、
式を優先すれば先ほどのリーちゃんのようなおかしな現象が起こってしまいまうのです、きっと(おい!)。リーちゃんはもちろん優秀な子で、今ではもう割り
算、掛け算のイメージも自分の物にしています。でもそれはどんぐり方式に出会ったから・・・もしも出会わなかったら?!さてこのイメージ→式(抽象概念)
について、ふぃりぱさんのこの記事は大変参考になります。それから「道草学習のすすめ」のこの記事も大変わかりやすいです。未読の方はぜひ↑二つの記事を
ご一読ください。そしてどんぐり先生のこの記事をどうぞふぃりぱさんの記事にもあるように具象→イメージ→抽象と「移行」するのでなく「積み上げて」いく
のですから、土台がしっかりして入ればしているほど、上に重なっていくものの重さに耐えられるのだと思います。今塾では中学生も教えています。何をどう教
えても全く吸収しない子供たちが増えています。今自分が教わっていることの「イメージ」が全く再現されないのでは?と思うようになりました。このことはも
う少しよく吟味してから書くつもりです。ただ・・・私の働く塾は初め中学生だけを対象にしていました。小学生を受け入れるようになってはじめて見えてきた
ものがあります。学校の先生方がどんぐり方式をなかなか認められないのは小学校の生徒だけ、中学校の生徒だけ、を見ているからかもしれません。両方見るこ
とで初めてわかることがあるようです。チョット舌足らずな記事になってしまいました。また書き直すかも知れませんが、とりあえずアップしますね。
最終更新日 2007年01月04日 21時51分45秒
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2007年01月02日:姪とどんぐりにチャレンジ
年末の29日から義弟の長女が帰省しています。彼女は中学校入学と同時に隣の市の養護学校に入り、それに伴って寮生活をおくるようになりました。今年17
歳。高等部の2年生です。知的障害があり、文字は2年生程度の漢字も読み書きでき、会話も問題ありませんが、算数にはかなりの苦手意識を持っているようで
す。寮では自分で買い物をするなど、日常に即した「算数」てき体験は積んでいると思いますが、お釣りの計算などは計算機を使っているようです。姪は最近少
し登校を渋り、欠席が多くなっています。私にボソッと「先生が怖い。算数がいや」といいました。「算数楽しいよ。一緒にやってみる?」というと学校の教材
を持ってきました。文章題が見開きに8問ずつほどのっているもので、式を立てて解こうとしているものの「わからん」と哀しそうにいいます。「これおいとい
て、おばちゃんの問題やってみない?」というとうなずきます。じゃあ、とカタツムリさんの葉っぱ集めの問題をやることにしてみました。姪「カタツムリどう
やってかくの?」私「どうやってかこうかなぁ・・・描きにくい?」と、会話を聞きつけた小豆「僕得意。渦巻き描いて目を描くんだもん」と描いて見せます。
姪もそれを見て恐る恐る、といった感じで描き始めました。でももちろん小豆の絵とは違う絵になってます。ひとつ描いてくれたので「わ〜、かわいい!まぁ
ちゃん、絵がうまいって聞いていたけど本当なんだね」というとにっこり。姪「次は何色にしよう?」といいながらもう一匹。「次は何色?」と大豆に聞きなが
ら4匹描きました。姪「つぎどうするの?」私「読んでみようか・・・葉っぱを二枚ずつ集めます・・・だって。」姪も声に出して読んでいました。姪「葉っぱ
かけない。」私「ジャ、なに描きたい?」ここでまたうちのおせっかい息子2号・大豆、「りんご〜」とリクエスト。小豆が「なしのほうが良い」と言い、関係
ない二人がもめてます。その様子をみて案外嬉しそうなのは姪。姪「かけた」・・・かわいいりんごを描いてます。大豆「うれてる(赤いので)」と嬉しそう。
その様子を見てまあチャンも張り切って続きを描いてくれます。4つ描いたところで手が止まりました。姪「これでいいかな?」私「これでいいか読んでみよう
か?・・・二つずつりんごを集めました、だって」姪「足りないみたい」私。。。ここで禁じてのヒントを。「どのりんごがどのカタツムリのかな?線で結んで
みる?」姪は黙々とやってます。姪「やっぱりたりない」私「ジャ、また描いてくれるかな?」姪「うん。今度は金のりんごだよ、大豆」と、大豆を喜ばせるた
めに金のりんごを4つすらすら。姪「かけた!」私「やったね。じゃあ最後を読むよ。・・・みんなで何個集めましたか?・・・だって」姪
「1,2,3,4、・・・」自分の描いた絵を一心に数え「8個!」と答えてくれました。このときの姪の嬉しそうな顔!なんというか、見ていてじ〜んとなる
笑顔でした。自分で描いて、自分で数えて、そして答えが見えて・・・嬉しいだけでなく、自己信頼感が高まるんだ、と改めてどんぐり理論の確かさを思い知りました。←ありあわせの紙に書いてしまいましたが、3日に寮に戻るとき、帰省ノートにお手紙とともに同封するつもりです。
最終更新日 2007年01月03日 14時28分21秒
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