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<画像は上記HPでご覧下さい>
2007.06.22
のそのそ家のウメちゃん(9)[ どんぐり文化祭 ]
のそのそさんからご長女の作品を出品していただきました。
そらまめさんこんばんは。のそのそです。今日は長女「ウメ」のどんぐりを文化祭に出品させてください。小6、どんぐり歴10ヶ月。
先週解いた問題です。
6MX50
ウガンダ小学校では、みんなで夏休みに北極へ修学旅行に行きます。この小学校の生徒は50%が女の子です。今度の修学旅行には女の子の100%、男の子の
80%が参加します。今回の修学旅行に参加しない男の子が110人だとすると、参加する生徒は男の子何人、女の子何人でしょう。
すこーし難しい問題に挑戦してみようと思い、この問題を選んだそうですが、絵にしてみたらするすると解けてしまったそうです。
北極にいる犬のような動物は白くまだそうです(笑)それと学校のデザインに凝ってみたそうです。式はこれだけでは足りないと思うのですが、これ以上の式は思いつかないそうです。添削にはまだ出していないのですが、どのように添削していただけるのか楽しみです。
←シロクマくんです。
ばってんをしているはじめの式と答えは間違っています。この時点で私のところに持ってきたので「描いた絵をよーく見てごらん」とだけ言うと、絵を凝視すること5秒。間違えに気付きなおしました。
この問題には後日談があります。ウメのクラスの宿題は毎日自学ノート1ページで、どんぐりをした日はそれを提出しています。ウメの友達に進学塾のトップク
ラスの子がいるのですが、この問題に興味を示して挑戦したそうです。あれこれと立式を試みるも解けず、ヒントとしてウメの描いた絵を見せてあげると
「あぁ!こういうことなんだ・・・」と納得して解けたそうです。土曜日は朝から晩まで塾で勉強しているお友達です。ウメの土曜日は朝から晩まで大好きな体
操。改めてどんぐりのすごさを思い知った出来事でした。
のそのそさん、すごいです!ウメちゃん、なかなかどんぐり方式になじめなかったんですよね?
高学年だからということで、どんぐり先生に相談されて・・・大好きな体操を一旦禁止して「考える学習習慣」をつけるために真剣に取り組まれたんですよね?
しっかりその成果が出ているのがわかります。すてきです!(そらまめより)
ウメがうれしい進化をしてくれている一方、次女「ユリ」は苦戦しています。とにかく宿題が多くて、短くても1時間みっちり、長い時で2時間半宿題に時間をかけています。宿題をしたらどんぐりの入り込む隙間がなくて、2週連続でどんぐりはお休みしました。
日曜日に0Mの問題をしたのですが、撃沈。ジックリ考える環境が整わなくてあせっています。ユリの担任とはもうこれ以上はバトルをしたくないし・・・子供を守れてない自分を情けなく思います。過去ログ読んでまた勉強します。
実はのそのそさんは、この春ユリちゃんのために担任の先生と長時間の話し合いをされたんです。
のそのそさんがどんなに心遣いこまやかに・・・先生のプライドを傷つけないように、自分の考えだけを押し付けないように、担任の先生と建設的な話し合いになるように、とがんばられたのを私は知っています。
5月の連休前は一時期学校に行けなかったユリちゃんをご両親であたたかく受け入れ、支えられたことも。
でも結局先生とはあゆみよれなかった・・・。
ユリちゃんは学校へ行くことを選んで、宿題も自分でやる選択をされているんですね。こういう情況で何をいえばいいのか私にもわかりません。
ユリちゃんの学校生活が少しでも豊かになるように祈るだけです。またお話を聞かせてください。出品ありがとうございます。
Last updated 2007.06.22 08:32:50
2007.06.18
どんぐり世界地図(7)[ どんぐり倶楽部 ]
先日どんぐり世界の地図を小豆が描きました。
←色鉛筆で書いたのでちょっと見えにくいですが・・・。
↓北半球で一番大きいのはげらげらジマ(けが鏡文字ですね)。ギャグに情熱を持っている人々が住んでいるそうです。小豆もここに住むそうです。
他には「マクドナル島」・「ピラミッ島」・「インスタン島」があります。
インスタン島はイースター島のもじりのようです。ってインスタントラーメンの形してますね。
↑は南半球。
レオンジマとベオン島(マフィアっぽいなぁ)があります。
どんぐりっ子島(どんぐり小島とかけてある)もあり、お笑いでないどんぐりっ子はここに住むそうです
南半球には他に「ベトベトナム」や「ゴーストラリア」があります。
ゴーストラリアにはお化けが一杯。花見をしているそうです(0mの問題ですね)。
電線亀はマクドナル島に住んでいるらしく、電力供給に役立っているそうです(なぜだっけ???)
ケロロくらげは赤道に近い海に分布しているそうです。
夏休みにはベオン島でキャンプがあり、どんぐりっ子が大挙してやってくるそうですよ
なんだかんだと言いながら一生懸命描いていました。
部屋の壁に貼っておこうと思います。
それにしても駄洒落に走るなぁ・・・。
すでにオヤジギャグっぽいのがなんともいえませんです。
Last updated 2007.06.18 08:18:15
2007.06.16
参観日でした(10)[ 不登校 ]
今日は参観日でした。
今回は全学年が「人権教育」の授業。授業後の講演会も聞きたかったのですが、仕事の都合がつかず、参観だけ。
小豆は先月と同じ最前列の席で、リラックスした感じでした。
教科書を使うのではなく、紙芝居のようなプレーを使い、一場面ずつ物語を進めながら登場人物の気持ちを考えていくというような形式でした。
ストーリーは・・・
狸の子供たち6人が遊んでいるときにぽん太が「ぼくもいれて〜」と走ってきます。
ですがジャイアン狸のポンすけは「人数が合わなくなる。みんな隠れろ」と命令(?)。
そこでみんなは木や石に化けたのですが、ポン吉だけはわざとしっぽを出して「ポン太、気付いてくれよ〜」と思っています。
でもポン太は気付かず、立ち去ります。
その後みんなはサッカーを始めようとするのですが、ポン吉は「ポンすけも入れてあげよう」と勇気を振り絞って言います。
「え〜」とにらむポンすけ。
でもポン吉はかまわず「僕呼びに行って来る」と走り出します。
結局みんなも「僕も〜」と走り出す場面でおしまい、でした。
小豆は・・・楽しそうに授業に参加していました。
紙芝居(?)の新しい場面を先生が取り出されるたび、「次はどうなるだろう?」という感じで目がきらきら
先生が質問されるたびに手を上げてる
でも去年と違い、「はいはい」とうるさく手を上げることはなかったです。
これはクラス全体が落ち着いた感じで、小豆だけではありません。みんな大きくなったなぁ
今日は嬉しかったことがたくさんありました。
一つ目・・・先生が「では隣のこと話し合ってみましょう」とおっしゃったとき→(後ろの席の子はお隣の子がお休みだったので)3人でちゃんと話し合ってい
ました。案外他の席の子供たちは話あっていなかったのは少し驚きました。一方的にしゃべっているのでもなかったし。嬉しかったです
二つ目・・・「ポン吉が「呼びに行こうよ」といった時、みんなはどうしたと思う?」という質問の時、みんなと違う意見のほうに手を挙げていた(他の子と違っていても意見を変えなかったのが嬉しかったです)。
三つ目・・・最後に先生が「もし同じことがこのクラスで起きたらみんなはどうしますか?」と質問されたときのことです。
他の子供たちは「注意する」「先生に言いに行く」「いじわる言った子のお母さんに言う」という意見でした(発表した子5人とも)が、小豆だけ「ぽん吉みたいに呼びにいってあげたいけど、ドキドキして言えないかもしれん」と答えました
これが一番嬉しかったです。「いえないかもしれない」という正直な答えも嬉しいし、「大人に言いつける」という答えでなかったのも嬉しいです
担任の先生は「その意見はおかしい」とか「それじゃぁダメ」などはおっしゃらないので、他の子供たちも嬉しそうに答えていました。
全体的にゆったりした感じのクラスで、私は「雰囲気いいなぁ」と感じました。
ご愛嬌だったのは、最後の「ワークシートを書きます」という時間になったとき・・・小豆の引き出しはパンパンで引っ張り出そうとしても出てこず、筆箱出すのに時間がかかっていたこと笑っちゃいました。
あ、そうだ、今日は朝早起きビデオタイムを返上し、お弁当を手伝ってくれました
明日もYくんと一緒にお弁当もって村の探検に行くそうです
いってらっしゃい
Last updated 2007.06.16 23:09:23
2007.06.15
ごんべえどんの温風扇風機(10)[ どんぐり文化祭 ]
今日は遊休でお休み中の小豆です。
明日は参観日だし、少し疲れもみえていますので、予想通りの遊休願いでした
「どんぐりやろうよ〜」と誘うとOK。
その前に朝、どんぐりワールドの地図を作成しました。
まだ途中なので、今度アップしますね。
今日はハム次郎とチュー輔の問題をやりかけて気絶した時刻が1時、まででギブアップ。
ちょっと集中力がないのでやめればよかった・・・
にもかかわらず、先週やりかけて途中だったごんべえどんの問題を「これでもやる?」と持ちかけてしまいました。
だめじゃん>自分。
今日の敗因は私のこの欲張りにあります。
ちゃんと休ませてやればいいのになぁ・・・ああ、懲りない母です。
(小二・どんぐり暦11ヶ月)
やる気のない絵です・・・どんぐり先生に叱られる〜(母がね)。
で、「え〜、90かくのがめんどくさい」と言って・・・
「」という顔になり・・・
100−10=90
90+90=180
と式を書きました。
実は小豆、どんぐり問題で式を描いたのは初めてです。
ごめんよ〜、母がせかしたからだね
ここまで順調に絵を描いてきているのに、余計なことをしてしまった
今日は大反省の日記です。
みなさんも焦りは禁物です。うぎゃ〜〜〜もう、自分がいやです!
筆算は私が書きました。
Last updated 2007.06.15 11:48:08
2007.06.14
おおかまきりこさんとカメムシ花子さんのじゃんけん対決(4)[ どんぐり文化祭 ]
先週のどんぐりです。
1M22 カメムシ花子さんとおおかまきりこさんはお祭りで綿菓子を10個ずつ買いました。そしてじゃんけんをしながら帰りました。ジャンケンで買った人
は負けた人から綿菓子を一個もらえます。ジャンケンはカメムシ花子さんが一回で、おおかまきりこさんが二回勝ちました。今二人は綿菓子を何個ずつ持ってい
るでしょう?
(小二・7歳6ヶ月、どんぐり暦11ヶ月)
10個ずつ描くのが面倒だったのか、綿飴部分は巨大で、割り箸が10本さしてある絵になりました。
かまきりこさんのはバッタ味、カメムシ花子さんのは落ち葉味だそうです。
1M61 ハム次郎がチュー助の家に行くのに80分かかります。今日ハム次郎はマンガの本を借りにチュー輔の家に1時10分につくように家を出るつもりです。ハム次郎は何時何分までに家を出ればよいでしょう。
(小二・7歳6ヶ月、どんぐり暦11ヶ月)
↑チュー輔の家はマンションで、かむ虫花子さんやオオカマキリコさんも住んでいるそうです。最上階がチュー助の家。左の豪邸はハム次郎の家です。
ハム次郎宅からマンションまでの道が40分、7階まで上がるのに30分かかるそうです。
そしてあまりの高さに目がくらみ、チュー輔の家の前でハム次郎が気絶してしまいます↓。気付くまでの時間が10分。
合わせて80分。
私が作った時計を戻して答えを捜そうとしますが、手作り時計は短針が勝手には動きません。
「え?何時だ?」と混乱して途中やめにしています。
今週中にまた挑戦する予定だそうです。
「ノートに描いた方が良いと母ちゃんは思うけど」と言ってますが、すねてます。
どうなりますことやら
さてさて、ちょっとここらで我が家のペット自慢をば。。。
←昨日やってきたミヤマクワガタ。
レオンくんうらやましいでしょ
←本日仲間入りのカタツムリのデンデン君。4cm以上ありました。デカイ!
もう一匹、代わった模様のカタツムリノロタ君↓。
カブトムシの幼虫はそろそろさなぎ化の準備を始めている様子です。羽化したらまたupしますね♪
ではでは〜。
Last updated 2007.06.15 11:33:15
会話(4)[ 子育ち・親育ち ]
一昨日の夜の会話です。
小豆は国語の授業、「カタカナ言葉集め」でカタカナが書けず、泣いてしまったようです。
疲れているのもあるんでしょう。
先生にお願いし、カタカナのアイウエオ表を(バックに絵を描いて)下敷きにはさみ持たせました。
家ではこういうこと(泣いたことなど)一切はなしをしない小豆です。
夜布団の中での会話・・・
私「あのな、小豆・・・子供ってみんなきらきらした才能にあふれたお宝なんだよ。」
小豆は黙って聞いてます。
私「知ってる?ちゃんとお宝かどうかを調べる「鑑定士」さんっているんだよ。普通の人にはなかなかお宝か偽物かわからないんだよ」
小豆「なんでも鑑定団みたいなものかぁ」
私「子供をみるのもね、おんなじなんだと思うな。お宝の本当の値打ちをわかる目がある人、少ないんだよ。どんぐり先生はすごい鑑定士なんだよ。だから母
ちゃんは先生に教えてもらって修行してるんだよ。大分わかるようになってきたよ。小豆や大豆やYくんの値打ちが見えるようになってきたよ。」
小豆「がんばりなさい」
私「は〜い。小豆もさ、友達のこと、ちゃんとお宝だとわかってあげれるから鑑定士になれるね。Yくんのこと、運動神経がいいって褒めていたし、Kちゃんの
ことはクレヨンしんちゃんの真似がうまいって、認めていたし。すごいね。そのまま大人になればどんぐり先生みたいになれるよ」
小豆「なんのこっちゃ?オヤスミ〜zzzz」
Last updated 2007.06.14 10:27:38
2007.06.10
どんぐり効果はジワジワと(9)[ 塾でのこと ]
だんきち先生の塾生自慢記事を読み、私も書いてみたくなりました。
まず小6のAちゃん・・・
この子は本当に静かで、ほとんどしゃべりません。言葉をかけても返事はかえってこず、わずかに首をかしげたり、口元に微笑を浮かべたりして意志を表すだけです。
去年7月からどんぐり文章題を取り入れたのですが、4Mには手も足も出ないというかんじでした。
ありんこ小学校のお砂糖獲得レースの問題は得意で、○をたくさん描き(300gなら30個のように)、それを紅白に塗り分けていくやり方で正解を出していました。
でも他の問題は完全に手が止まってしまい、あとは時計をチラチラ見ながら終わるのを待つ・・・という感じでした。
そこで0M〜1Mをゆっくりゆっくりと声をかけながら、また思考回路増設の話をしながら(答えはおまけ。今考えていること自体が頭の栄養になって、どんどん賢くなってるんだよ)一緒にお絵描きしていました。
絵はとても上手で優しいメルヘンチックな絵を描いてくれる子です。
しゃべらないのではじめはよくわからなかったのですが、文章をまとめて読むと意味がわからないらしいことも気付きました。
そこで「一文ずつ」を再度確認し、「一緒に読もうね」と声を書けると、小さな声ながらちゃんと読んでくれます。私もその声に重ねるように視ながら、がんばってゆったりと、読み聞かせのように一文ずつ読み、絵にしました。
消しゴムゴシゴシがくせのようになっていたので毎回毎回「消しゴム怖いせっかくできた回路をゴシゴシ消しちゃうよ」と冗談のように、でも必ず声をかけました。
春に1mのラッキーとマッキーの落ち葉拾いをあっさりクリアしたころから、徐々に笑顔が増え、粘り強さが目立つようになってきました。
先日メエメエさんがメソメソくんにお菓子とアイスクリームを買ってあげる問題をやりました。
この問題は彼女にとって「鬼門」でした。過去に3度チャレンジしたのですが、アイスクリームがお菓子の三倍の値段→アイス1つとお菓子3個を並べて描く・・・そこまでで手が止まってしまうのでした。
今回アイス一つ、お菓子三つを描き、じっと考えています。
そこで私は黙ってアイスとお菓子3つの絵を赤鉛筆で囲み、もともとの絵(メソメソ君がアイスとお菓子をもらって喜んでいる絵)のアイスも丸で囲み、二つの絵をつないでみました。
「あ!」という顔になり、その後勢いよく一気に正解にたどり着きました。
うっすら目に涙がうかんでいます。
「がんばった!すごい!立派!よくかんがえつづけたよね!」と私も思わず大拍手。
そのあとわからん帳入りだったサンタさんのプレゼントの問題、亀サブレの問題を一気に解決。引っかかっていたところは一緒でしたから。
嬉しそうな笑顔がでました。
その後4m・5mと0m/1mを各一問ずつ位の割合でやっています。
0Mは余裕で楽しんで。彼女のかわいい絵を私もワクワクしながら見ています。
そして4m5mはしっかり頭を悩ませて・・・
でも途中で思考が止まることがほとんどなくなったのがわかります。次の手・次の手で絵図を展開させています。
「偉い!すごい!こんなにたくさん考えることが出来る子はそうそういないよ!」と私が勝手に興奮しているので照れくさそうです。でも答えがなかなかでないから残念に思っているのも感じ取れます。
「答えはおまけ」の言葉が彼女に通じるのはまだ先だとは思うけれど、それでもずっと伝えていこうと思っています。
次に小5の新人Bちゃん。この子は元気一杯、とても明るい子です。
はじめの授業で描いたのはこの図でした↓。
デンデン小学校から公園までが10cm、今25mm歩いたところ・・・という図ですが、上の図を描いたところで固まってしまいました。
「もう一度描き直してみる?」と声をかけると、下のスペースに同じ図をもう一つ描きました。初めて「絵図に描いて考えて」といわれたのですから、何をどうしてよいものやら見当もつかない、といった感じでした。
描き直す、といわれても、どこをどう直すという考えが浮かばないのも当然でした。
よし、と次の週からは0mを。年長問題のファンタジー恐るべし。
あるとき虫歯のワニをやりかけて終わりました。
すると次の週、「続きを描いて来た」と言って泣いているワニさんを見せてくれました。
よっしゃ、とさらにその週も年長問題を。このときは小豆のノートを見せました。
げらげら笑いながら見てくれ、「下手でもいいんだ」とわかってくれたようです。
その週はヒカルピョン一号と二号の問題を途中にして終わったのですが・・
↓次の回にはちゃんと仕上げてきてくれました(宿題、といったわけではありません)。
答えは数え間違えていましたが、でもすごくすてきな絵ですよね?
さて今週・・・0mのこの問題・・・
巨大ハムハムとふつうハムハムが遊んでいます。数えてみると巨大ハムハムは普通ハムハムのちょうど半分いることがわかりました。ハムハムたちは全部で18匹います。では普通ハムハムは何匹でしょう?
問題を読み、巨大ハムハムと普通ハムハムを楽しそうにお絵描き。
「できた」といった絵を見ると・・・巨大ハムハムも普通ハムハムも9匹ずつ描かれています。
「残念、この絵は問題とあっていないみたいだね」というと怪訝そうな顔です。
もう一度二人でゆっくり問題を読むものの、どこが違っているのかわからない様子です。
「どうしてこの絵を描いたか教えてくれる?」というと「全部で18匹で半分だから」と答えます。「何が半分なの?」「普通ハムハムと巨大ハムハム」。
「じゃあ、今言ってくれたことを字で書いてみるね」
わたし「普通ハムハムと巨大ハムハムは全部で18ひきいます。ここまでいいかな?」
Bちゃん「いいよ」
私「巨大ハムハムと普通ハムハムは・・・この次なんて書くの?」
Bちゃん「半分です」
私「半分です・・・書いたよ。読んでみて」→Bちゃんが読む。
私「じゃあもう一度問題を読むね」と読み、「同じかな?」
Bちゃんは「う〜ん・・・」という顔をします。
私「じゃあ絵をもう一度見るね。全部で18匹。描けてるね。じゃあ巨大ハムハムは普通ハムハムの半分いることがわかりました」
Bちゃんはしきりに頭をひねっています。今度は○で普通と巨大を表しながら絵を描いていきますが、どうしても「半分ずつ」のえになります。
「半分ずついる絵だね?」というとまた首を傾げます。
どうして間違っているのかがわからないようです。
Bちゃんは「半分、全部で18個」という言葉から「18匹を半分こ」のイメージから抜け出せなくなっていた感じです。
Bちゃんは、先週ありんこ小学校の砂糖獲得レースをやっています(小豆がこの前やったものではなく、赤組は白組の三倍で、全部で400gというもの)。
問題を読んでありを数匹描いた後、400÷3で答えを出そうとしました。
だから答えは間違っていたけれど、「絵を描いて」というと悩みながら赤組○三つ、白組○一つを描きました。
〜は・・・の○倍の言葉の使い方はわかるようです。
今日は「半分」という言葉から「半分こ」のイメージが固定されてしまったのもあるでしょうが・・・言葉から再現されるイメージがすごく単純でパターン化されている印象があります。
どんぐりのすごい仕組みの一つに複数のイメージを喚起させておいて、その複数のイメージを取捨選択することの訓練が出来るようになっている、ということがあります。
しまりすさんのこの記事とレオンくんの下のコメントを読んでみてください。
○どうして「どんぐり倶楽部」では直ぐに間違い直しをしないで「分からん帳」を使うのでしょうね。...この問題を数年後に目にすると、その数年間の間に「〜した」と行った後で、その内容を言う(説明する)場合を体験しています。ですから、1行ずつ絵図にしていても頭の中で2通りの道を用意して読み進めます。つまり、簡単に出来るようになっています。...だから「どんぐり倶楽部」なんですよ。だから「分からん帳」があるんでしょ。分からなかったところは直ぐに復習するというのは特殊な場合だけです。それはヒミツです。通常は的外れな学習方法ですからね。
※ちなみに窓を作るのは「分からん帳」だけではなく通常のノートにする場合にも使う定石です。どこかで書いていま〜す。掲示板かな?
単純なパターン学習との違いが歴然だと思います。
またこのBちゃんはかなり勢いよく、早く問題を解こうとする子です。だから余計にゆっくりゆっくりの空間をつくりださなければと考えています。
以前掲示板で「六年生で臨界期間近、焦ります」という相談に対して、どんぐり先生が「臨界期間近だからこそゆっくりです。あくびが出るほどゆっくり」と答えていらっしゃいました。
子供の思考回路は文章題だけで作られるものではもちろんありません。
自主的な遊びの中でも多く作られています。
しかし使い方を教えられている子・意識させてもらっている子はわずかでしょう。
それを明確に意識するためには「あくびが出るくらいゆっくり」な環境の中で自分本来のペースを取り戻すことが必要不可欠なのだと思います。
そういう環境の中だとそれまで抑制されていた脳の触手が動き出し、回路が活性化してきます。
急がせればだれでも最短距離、最短コースを突っ走りたくなります。それではせっかくの回路が生かせず、刈り込みされていくだけになってしまいます。
ゆっくり・ゆっくり・・・どんぐり効果がじわじわ〜〜〜っとしみこんでいくように・・・布に落ちた色水がじわじわ〜っと繊維を染めていくように。。。
そういう時間を提供したいと思っています。
長くなったので今度にしますが・・・実は中二生たちの進化もすてきなんですよね。
中学生たちの授業でも学校より先行して「教える」ことはしません。授業の最後に来週習うはずの箇所を「自力で」読んでみさせ、各自語順訳にトライして「次の授業でしっかりきかなくてはいけない箇所」をはっきりさせます。
教科書に付箋用紙をはったり(疑問点を書き出しておく)しています。学校で机間巡視の際、先生が見つけてくださったりして、「○○、がんばってるな!」といってくださったようです。そうなると子供たちがまた張り切るんです。
「今度はこれを聞いてくる」と最近では自分で言います。
それでも「?」だった箇所、受験用にさらに必要なこと、もっと深めたら面白いこと(Hot Cake先生のテキストを読んだり、One Zemiのコピーだったり)を補ったり、単語の覚え方を一緒に試したり(その子その子によって違うので)します。
元気良くて脱線も多い中二ですが、一週間の最後が中二の授業なので、いつも元気をもらって帰ります。
今週もがんばっているかな、と思うとこちらもがんばる気持ちになります。
さあ、月曜ですね。今週も楽しく過ごすつもりです。
Last updated 2007.06.11 09:49:14
2007.06.08
だんごまるおくんと飴玉獲得競争 「小学生の勉強(10111)」 [ どんぐり文化祭 ]
え〜っと、コメントのお返事、脳みそのなかでぐつぐつ美味しく煮えています。
料理ができたら書きますので、しばらくご猶予くださいね。
今日のmarusianさんの日記、とてもすてきでしたので勝手に紹介しちゃいます。
というわけで、勝手な私は今日は親ばか全開で行きます。
最近は一週間に一問、どんぐり問題をやれるように・・・というのを目標に環境設定をがんばっています。
月曜日から土曜日までにゆっくり絵を描いて、一問完成させる(答えはおまけ)という感じです。
どんぐりやる日、と決めるよりそっちのほうがやりやすい、と小豆は言います。
1M20 だんごまるおくんは、お母さんから20円、お父さんから50円、おばあちゃんから30円、おじいちゃんから20円もらいました。
今日まるおくんはもらったお金みんなを使っておもちゃとノート一冊を買うつもりです。ノートは一冊70円です。ではおもちゃは最高で何円のものをもらうことができるでしょうか?
(小二・どんぐり暦11ヶ月)
まず初日はこちらの絵をカキカキ。まるおくん、お花の中でくつろいでいます。
次の日、問題を読みながら・・・
「お母さんとお父さんで70円。これがノートに使う分・・・だからおもちゃは最高で50円買えるんだ」と・・・
絵を描かずに答えを出すので、「絵は〜絵が見たいよ〜」とかわいく甘える(?)母ちゃんに・・・
「はいはい」と言って描いたのは下の棒でした。
(小二・どんぐり暦11ヶ月)
「棒一本が10円」と・・・
この前までは10円玉の写し絵とかでやってたのになぁ。
あんまりあっさりで寂しい母。でも学校がんばってるもんね。絵はシンプルになるよなぁ。仕方ないか。
続いて今週。
1M47 ありんこ小学校の運動会で、恒例の巨大飴玉獲得レースが始まりました。赤組と白組で競争をしたところ、とった数が赤組は白組の半分で、白組だけでは200個でした。では、みんなでとった数は赤組と白組を合わせると何個になるでしょう?
(小豆は読むのが苦手だから、問題を選ぶ時は私が何問か読み聞かせします。
先日びっくりしたのが、「いやだ」といった問題(年長)もほとんど内容を覚えている、ってことでした。恐るべし、年長問題のファンタジー)
この問題、私が読むのをききながら「あ、これ多分わかる」と。
私「え〜、じゃやめたら」というと「ま、絵は描くからさ」と生意気言います。
(小二・どんぐり暦11ヶ月)
でっかい丸が巨大飴玉だそうです。全部で500個用意されていたそうです。
この絵を描いて一日目は終わり。
(小二・どんぐり暦11ヶ月)
「で答えは・・・」と二日目。
棒を二本描いて「これ一本100」。
「白が200でしょ?その半分が赤組だから、赤は100・・・だから全部で300」。
う〜〜〜ん・・・あっさりしすぎだよ。
この日は「もう一問」と言って、ごんべえどんが温風扇風機を買う問題を選んで、扇風機一つ描いておしまいでした。
今週は昨日、11日ぶりに遊休をとりました。蕁麻疹が出たんです。家で弟とのんびり遊んでいました。
月曜日から3日連続で『アイスクリームごっこ』という本を朝読書の時間に読んだといって、毎日あらすじを話してくれました。
細かい言い回しとかが面白かったらしく、話しぶりにも熱がこもり、きいていて楽しかったです読むのはきっと、他のこの何倍もかかっているとおもうけれど、心から楽しんでいる様子で、と〜〜〜っても嬉しかった母でした。
終わっちゃったのが残念です
今週から登校班の付き添いもお役ごめん。集合場所で見送るだけになりました。
今朝は集合場所に行く途中でずっこけ、ひじと膝をすりむいて・・・でも「泣き」のレベルが去年の10分の1くらいです。
そのまま立ち直って普通に登校し、保健室に行ったようです。
「大丈夫だった?」ときくと「へっちゃらへっちゃら」という返事
今日は雷がすごくて「学校がパニックで大変だった〜」と嬉しそうに教えてくれました。
確実に学校で楽しめることが増えてます。
苦手な体育も参加できるようになりましたし、もうすぐプールが始まるので楽しみみたいです♪
良かったね、小豆
Last updated 2007.06.09 09:42:29
2007.06.07
ひろばさんより出品いただきました♪ 「小学生の勉強(10111)」 [ どんぐり文化祭 ]
畑野そらまめさん、みなさまへ
わが子ではなく、妹の子、つまり姪(年長)が初めて描いた絵を送ります。
妹いわく、「家宝にしておきたい!」
今年の2月から始めて、楽しく絵を描くことだけを伝えてきました。
ちょっと離れたところに住んでいるので、郵送とファックスでのやり取りです。
月に1、2枚のペース。ずっと、楽しいお絵かきが続いています。
そうして先日、初めて答を出そうと試みた絵が届きました。
合っていないのですが、お弁当のハンバーグが、ハート型あり、星型あり、お花型あり・・・。
この調子で、楽しく進めてほしいものです。
我が子(小6)のは、また次の機会にお送りします。
来月、臨界期年齢になるのですが、いまだ未熟な絵で心配しています。ハハハ。
ひろばさんありがとうございました!
次はぜひお子さんの作品も出品くださいね。
Last updated 2007.06.07 10:01:50
2007.06.06
続きです 「小学生ママの日記(65535)」 [ ワタクシゴト ]
話を戻しますね。Mちゃんのことを思い出すとき、私が感じることは・・・
親の(教育力という名目の)「管理力」が弱い場合、問題が顕著に見える。それが強いインパクトを与えるため子供たちへの「管理」を強める動きが強くなる→
親たちは「教育」を与えたいと望むがその方法がわかっていない。子供の見方もわからない→
「管理」ばかりが強まり、「教育」はされない。
→子供たちが生きにくく、親たちにとっても重苦しい社会。
本当に必要な「教育」とはどんぐり倶楽部の提唱する「考える力を育てる」「人間らしい判断力を育てるため、感味力を基礎とする学習」「人間の生物としての発達段階をしっかり認識した上でのカリキュラム」なのだと思います。
ここでどんぐり先生の言葉を一つ紹介させてください。「すべてを理解した上でどんぐり倶楽部を使わないという選択もあるのです。大事なのは理論です」。
どんぐりを知らなくても、どんぐりの教材を使わなくても「どんぐり流」であることは出来るし、その逆にどんぐり倶楽部の教材を使っても「どんぐり流」にならないこともあるのだと思うのです。
え〜・・・だんきち先生へのお返事がえらく広がってしまいましたが・・・今の多くの母親は重苦しい空気の中で子育てをしていると思います。
だんきち先生を「天然どんぐり母」だと思うのは、こういう管理される子育てから自由でいらっしゃるからです。とても尊敬しています。
いつもありがとうございます。本当にお近くなら嬉しいのにな。
どんぐりっ子がツアー組んで腕白キッズに参加、なんて・・・妄想しちゃいますです。
結局今日もまとまりませんが・・・どんぐり先生は「子育ての全責任は保護者にあります」とおっしゃるんです。
この言葉にはなぜ私が違和感を感じないか?
「本物の教育」、「管理でない教育」を教えていただいたからです。そして母親に子供を守る力があるとわからせていただいたからです。
う~ン中途半端ですが時間切れです。
また続くとおもいます。
Last updated 2007.06.06 16:07:20
2007.06.06
だんきち先生へ 「小学生ママの日記(65535)」 [ ワタクシゴト ]
だんきち先生より次のようなご質問をいただきました。
質問です。習い事ではなく「親のさせたいことをさせる」「1秒を惜しんで何かをさせる」というのは、具体的にどのようなことなのか、イメージができないん
です。小さい子どもに「させたいこと」「させないとと思うこと」が何があるんだろう?と単純に考えています。そして、なぜ、そう思ってしまったのか(思わ
されたのか)を知ることも、今のお母さんたちや子どもたちを理解することにつながると感じています。よかったら、教えて頂けますか?
私が幼児期の子どもたちに「させた」ことは着替え、ご飯、片付け、お風呂、就寝で、これらは自分たちだけでもできるように「させた」けれど、これ以外に何かをさせなくちゃ、って思いもしなかったんです。これって、すごく変わっているのかな?(2007.06.06
07:40:50)
簡単にお返事させてください。
だんきち先生は「スパルタでやらせた」とおっしゃってますが、それは決して「自分の世間体のため」ではなかったと思うのです。
この子達がこういうことをできないと自分が世間から悪く思われるから・・・って、思っていらっしゃいましたか?
だんきち先生はそういう方じゃないですよね。私はそうだったんです。
今いろいろとひどい子供の犯罪が起きますね。そのときによく「母親」がクローズアップされます。
給食費未払い等、保護者に対するネガティブキャンペーン(教師に対してもありますが)もネチネチと。。。
このネガティブキャンペーンはジワジワネチネチと展開され、続けられてきています。
百マス計算で有名な例の先生もこの立役者の一人だと私は思っています。
「早寝・早起き・朝ごはん」って、それは確かに大事で当たり前のことだと思います(朝抜き健康法なんてのもありますが)。
ですがそれを「学力」と直結させて議論を展開しているところが怖いと感じるのです。
これは親に対しての「無言の圧力」になっていると思います。
一昨年くらいに流行した本で『下流社会』(三浦展)というのを読んだ時も同じ息苦しさを感じました。
「親の教育力」で子供がその後ずっと這い上がれない「下流」に組み込まれてしまう・・・という論調なのですが、この人のいっていることも一見もっともに聞こえるところがあるんです。
たとえば「小学生を夜10時を過ぎてから居酒屋に連れて行く親」などがあげつらわれている・・・。
私はこの本を読んで吐き気がしたんです。問題がすりかえられていると感じたからです。
同じ感覚を昨今の「生活保護でのんきに暮らすけしからん輩」が週刊誌で特集されているのを見たときにも感じました。もっと前に小泉前総理が「母子手当てを
当て込んで気楽に離婚する」けしからん(けしからんとはいわなかったけど)女ども(女どももいわなかったけど)というような発言をしたときにも感じまし
た。
この違和感はだんきち先生ならわかっていただけるのじゃないかとおもうのです。
ずっと前にも少し書きましたが、わたしも一月ほど百マス計算を塾で使ったことがあります。
そのとき私の目の前にいた5年生の女の子は九九がいえませんでした。
足し算も指折り数えていました。
この子をこのままにしておけない、と思いました。でもどうしていいか私にはわからなかったです。
それで当時流行っていた陰山氏の本を買い、百ますをやってみました。
結果はボロボロでした。マスを少なくする、などもやりましたが、だからと言って成績に直結するわけではないですよね?
陰山氏の著書には「家に持ち帰らせて練習させた」とあり、親子で必死の努力をして早く出来るようになった女の子の例が載っていました。
でもこれはこの子には家で練習するなんて無理でした。
それを見ていると私はいつの間にかこの子の親を責める気持ちになっていました。
このMちゃんは兄との流血沙汰の喧嘩が日常茶飯事、プリクラに一日に2万円使う、「うざい」「馬鹿やろう」等の言葉も家庭内に飛び交っている・・・そういう育ち方でした。
「親がこういう風だから・・・」って。
でも・・・でも逆に、うちの塾には親御さんが大変教育熱心、というお子さんも多いのです。そしてそういう家庭の子供さんの中にも「考える力がない」「驚くほど応用力のない」お子さんがたくさんいるのを知っています。
知っているのにそれを見てみぬふりをし、「親がこんな風だから」で片付けてしまいそうになった自分がいました。
結局このときはTOSSと出会い、九九や割り算の筆算(小数)などの単元、割合も基本の問題は「出来る」ようになりました。
でも応用力など夢のまた夢、という感じでした(これはもちろん私の指導力不足も大きいのです)。パターンを覚えこませるやり方で、一見できるようになるし、本人も喜ぶものの、次の単元はまた一からのやり直しでした。
って・・・話がずれてきました。すみません。
私があの時感じた「親がこんな風だから」という偏見の感情・・・これが今の日本でどれだけ広く深く蔓延しているかを考えると恐ろしいほどです。
親たちはいつも「親の教育力で子供の未来が決まる」というメッセージを受け取っているといっても良いと思うくらいです。
そしてこれをささやく人たちは巧みに情報操作をします。
Mちゃんが置かれているような家庭環境が「低学力」へつながる一本道であるかのように。「親に教育力があれば」低学力は防げるのだ、自分の子供が下流になることを防げるんだ、と。
さらにもう一つのネガティブキャンペーンが盛り上げられます。
「ゆとり教育は間違っていた」のだ。「もっとビシバシ鍛えなくてはだめなんだ」と。
そうなると多くの親たちは知らず知らずのうちに大きなプレッシャーを抱えることになると思います。
自分の子供をきちんと「教育」しなくては!と。
ですがその方法を知っている大人は数少ない。。。
すると何が起きるか?
子供たちを「きちんと管理できる」こと=「親の教育力」だという勘違いです。
だって成績やお行儀の良さは見えやすいものですから。
決められた時間に決められた課題をこなし、決められた枠の中で子供らしく生き生きと過ごす・・・多分だんきち先生から考えると「なにそれ?」というような子供像が「理想」になってしまうんです。
そういう子供を作り出すことが親の責任であり、子供を「下流社会」の住人にしない方法なんだ、と。
そうなると目の前の自然な子供が許せなくなってくるんです。
子供らしさが「悪」にしか見えない。
そんな風だと落ちこぼれる、そんな風だと後で苦労する・・・。子供らしさを否定し、「お雛様」のような子供を作りたくなります。
だんきち先生は「スパルタだった」とおっしゃるのですが、使う言葉は丁寧でも、がっちがちに子供の「心」までも管理している親も多いと思うのです。
たとえば明日の準備を「すすんで」やらないことを責めてしまう。それも子供の人格を否定するような言葉で、です。
もちろん今の時代の母親だって、こういう呪縛から自由な方もたくさんおられます。
ですがかなりのお母さん方がとらわれているのも事実だと思います。
先日少年院の職員の方からお話を聞く機会がありました。
その方は三浦氏の言う「下流」の子供たちももちろん非行にはしる可能性は高いが、一方で親が「教育熱心」であった家の子供たちも多い。比率は半分くらいだ、と。
教育熱心という言葉は私は違っていると思います。「管理することに熱心」だったのだと思います。もちろん親は「子供のため」と思っています。
ですが「教育」を知らないため、「管理」してしまっている・・・。
なぜなら今一般的に「教育力」という言葉で語られることの多くは実は「管理力」のことだからじゃないかと私は感じています。
管理しようとすると子供が非生産的なのが許せなくなるんです。
道草して下校するのも許せない。登校時に川を覗いて歩くのも許せない。宿題もせずにぼ〜っとしているのが許せない・・・。
出てくる言葉は「私はこんなにあなたのためを思っているのに」です。
一分一秒を惜しんで、というのは言葉のあやですが、子供が自分の時間を生きている時間が惜しくなるんです。その時間に「学習の遅れを取り戻すこと」だの
「知識を得るための読書をする」ことだの、「決められた時間・空間内で友達と喧嘩せずに遊ぶ」ことだの、「管理からはみ出さない範囲で子供らしく外遊びす
ること(子供らしくが矛盾していますが気付けなくなるんです)」などを常に子供に要求してしまいます。
それは言葉や態度の端々にでてしまうのです。
いつかだんきち先生が腕白キッズのことで「子供はきちんとした料理を作るより、いものしっぽを千切りにするほうが好きだったりするし、それがとても大事」とおっしゃってましたが、「きちんとした料理」でなければ認められなくなるんです。
今の日本社会が弱者にひどく冷たくなっている・・・それと同じ構造だと思います。
こういう状態の母親は子供を管理しているけれど、実は自分も管理されているんです。
「世間」とか、「社会」とか、何か漠然とした(本当の首謀者はベールに隠れている)ものに。
だから私はどんぐり倶楽部の思想は母親にとって福音だと感じているのです。
管理されることから親と子を解放してくれますから。
学校の評価は気にしない、と前回書きました。
誤解のないように付け加えたいのですが、どんぐり先生は学校のカリキュラムを子供が自然に吸収できるように心を砕いていらっしゃいます。学校の勉強が絵に
描いたもちにならないように、うまく「(本物の)体験学習」とリンクできるように・・・。添削例を見るとよくわかります。
子供が「楽しんで学校で学べる」ように、と。準備学習についてのこの記事を参照ください。
このあたりはまた別の記事にしたいと思います。
長くなりましたので一旦きります。
Last updated 2007.06.06 16:10:15
2007.06.05
どんぐり流子育てへの疑問・・・なぜ高速大量学習に反対するのか? 「小学生の勉強(10111)」 [ そらまめ流どんぐりQ&A ]
Q:なぜどんぐり倶楽部は「高速反復大量」学習に反対するのか?
A:思考回路の作成を邪魔します。加えて「味わない学習」は「味わえない子供たち」を作り出すからです。そしてそれは人間形成に深刻な打撃を与えるからです。(すみません、たいそうな題をつけていますが、時間が限られているので書ききれないかも知れません。その場合もアップし、後日訂正します。)子供の時間はゆっくりですね。傍で見ている大人たちはいらいらしてしまいます。
ですがそれこそが人間形成にとって大事な時間なのです。
子供たちがオリジナルな時間の流れの中で、オリジナルな感情を味わうこと、これがなければ「人間」に育つことができません。
子供たちは子供時代を十分に生きてこそ、大人になれるのだと私は思います。
もちろん社会に出れば周りに合わせることは必要ですし、自分のテンポを相手に合わせることも大事でしょう。ですが自分のテンポをなくしてしまったら、大人でさえ欝になったり、攻撃的になってしまいませんか?
敏感な子供時代はなおさらです。
「周りに合わせることも大事だよ。それにはこういう工夫があるよ」と声をかけ続けることは大事だと思います。ですがあわせられないこと自体は叱責されることではないと私は思っています。。。といいつつ、時々子供にいらいらしちゃう私です。
うちの場合、小豆はゆっくりな子供です。
私はとてもせっかちです。
ですから私のペースで引きずりまわすことが多かったのです。
これはだんきち先生が「大人の都合を押し付けた・・・小さい子に留守番させたり料理をさせたり」とおっしゃるのとはまったく違うことです。
私は「引きずり回した」んですから。たとえば小豆が何かで遊んでいても、その遊びを中断させて親の「連れて行きたいところ」に連れて行っていたのです。
5歳くらいのとき、私が朝つい「あ〜、今日も忙しいな」といったところ、小豆は涙ぐんで「忙しいのいやだ」といいました。今思い出しても胸が痛いです。
加えて(小豆にとって)大量・高速に物事を教え込もうとしていました。文字や計算は教えなかったものの、たくさんの「知識」を教えていました。
どんぐりをはじめてもうすぐ一年、上記のようなことを必死でやめるようにした効果は歴然です。
子供が吸収 味わえる量よりも与えられる量が圧倒的に多い・・・。
すると子供たちは吸収することを拒んでしまうようです。
しかも吸収しないことに親が苛立ちを見せたり、しかったりした場合、吸収すること自体に恐怖感と嫌悪感を持ち始めるのかもしれません。
そうなると脳に「触手」が生えません。
標準の子が10のところを1でかまわない。
その1を十分に味わうことで脳に回路が出来る。
そしてそのことに「楽しい」を伴うと、脳に触手が生えます。
この触手は次の「吸収」を求めます。たとえゆっくりでも。
触手の増えかたは個人個人で違いますが、楽しんで味わうことで増え方も加速します(と感じます)。
触手が生えた脳は勝手に興味のあるものを吸収しようとします。
親は楽チンですね♪
ですから、回路作成を「楽しく」やる必要がある、とどんぐり先生がおっしゃるのだと思います。
これに対して高速大量学習は逆をやるわけです。
しかも子供たちの自然と反する・・・異常に大量で高速です。
すると子供たちは「味わう」ことも「感じる」こともする余裕がありません。
「しない習慣」は「できない習慣」に変わってしまいます。
建物の窓から外の野原を覗いてみても、「見ている気がする」だけですね。草のにおいや手触りはわかりません。
高速大量計算は子供たちから「体感」を奪ってしまうのです。
こういう(体感を失った)状態になるとたとえば何かを触ってもゴム手袋をしたまま触っているようになってしまうのでは、と思います。
私は学校に不適応を起こしていた高1のころ、まさにこういう状態に苦しみました。感覚も鈍くなって、リストカットしても痛みは鈍かったです(といっても私のは一時的なものです)。
誰も自分の子供をこういう風にしたいとは思わないはずです。
昨今の「心がないのか?」と思わせるような犯罪の多発が、この危険が実在することを裏付けているように思います。
途中ですが時間切れですのでこのままアップします。
Last updated 2007.06.05 15:20:53
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2007.06.05
どんぐり流子育てへの疑問・・・パターン学習に反対するわけ 「小学生の勉強(10111)」
[ そらまめ流どんぐりQ&A ]
Q:どんぐり倶楽部はなぜパターン学習や高速反復学習に反対しているのか?
A:パターン学習・高速反復大量学習をさせてはいけないのは12歳までです。
なぜなら12歳までの脳は大人のものとは違うからです。
と、わかったようなことを書いていますが、私は学者でも医者でもありませんので、どんぐり先生の受け売りです。
ですが私はどんぐり倶楽部を知ったとき、この12歳までの脳は「乳脳」(乳歯と永久歯の関係)だという理論にすんなり納得がいきました。
何度か書きましたが、私ははじめ塾で中学生だけをみていました。
ところが困ったのは小学生が入ってきてからです。
うまく表現できませんが、小学生と中学生は違う・・・と感じました。
何年かたって自分の教えていた子が中学生になり、中学生のその子を教える経験をすると・・・「すごく変わった」と感じ、驚きました。
これはうまく説明できないのですが、自分のお子さんがもう中学生以上でいらっしゃるお母さんたちにはわかっていただける感覚だと思います。
この感覚を経験していたので、どんぐり先生の説にすんなり納得がいったのだと思います。
先日どんぐり倶楽部の掲示板で、のんびり倶楽部さんとどんぐり先生のやり取りがありました。一部引用させてもらいます。
>スキャモンのリンパ型曲線の件、アップダウンが大きくて私も不自然だなあとは思っていました。この曲線が示すものは、やっぱり免疫だけではなさそうですね。
●面白いことを教えましょうね。神経型が90%のところでリンパ型が交差していますね。つまり、脳神経が稼働可能(思考に関する回路網作成が可能)になるのを待って、生殖型と一般型の成長を一旦抑制してまでも超高度成長に入っているんです。使えるエネルギーは決まっていますから分配比率を必要に応じて変えているんですね。ここで脳の神経回路の過剰生産と12才からの刈り込みの謎が見えてくるんです。...フフフ...面白いでしょ?つまり、この時期にしか思考回路作成はできないように(この時期にだけ出来るように)プログラムされているということです。で
すから、この時期に高速・多量・反復・計算はダメなんですね。70-80年の空白を経て出てきたデータを同一視できる(関係を見抜ける)人は、あまりいな
いでしょうが...まず、間違いないでしょう。人間の進化形態は何千年も同じなんですから70-80年の違いなんてないも同じです。
(2007年05月30日 18時25分06秒)
ここで話題になっているグラフはこちらです。
え〜・・・難しい話はおいておきますが、要するに「新しい思考回路」を作ることができるのは12歳までだ、っちゅうの←おい!
そうすると幼児・児童期にやるべき学習はただひとつ、この思考回路を増設するための学習です。
よくできた思考回路のイメージは網の目です。それぞれの道が横道・斜め道(?)でつながれていくようなイメージです。
パターン学習でこれがつくれるでしょうか?
パターン学習というのは要するに複雑に入り組んだ道を整理するための方法だと思います。
だからこれは思考回路が出来上がった後なら有効です。
すでにある道に名前をつけ、単純化した記号を使ってみやすく・使いやすくするための地図を作るようなものですから。「出来上がったものを使いやすく整理する」ことは役に立ちます(だれか我が家を整理してください)。
ですがこれがまだ思考回路作成途上の12歳までの子供になされてしまうと、それは「単純な回路」しか作らせないことになってしまいます。
網ではなく、一本ずつの線を並べていくようなものです。それでは弱く、応用が利かない貧しい回路が出来上がってしまいます。
どんぐり倶楽部のこちらの記事やこちらの記事に詳しく書かれています。
でも・・・うちは大丈夫。外遊びも十分にさせているし、いろいろな場所に連れて行って自然を感じさせているし、少しくらいパターン学習をやっても平気だと思うけど・・・。
と、おっしゃる親御さんもおられます。。。が、本当にそうでしょうか?
こちらの記事からの引用です↓
※「バランスよく〜」という言葉に惑わされて栄養を与えているつもりで「バランスよく毒薬を」与えていては、どんなに回復力がある子供でも自力で立ち直ることは出来ません。
●正確な反復を必要とする運動(体の制御)とは違って、柔軟で多様な視覚イメージを必要とする思考においては徹底反復や必要以上のデータは不要である。幼児・児童期には処理することではなく様々な処理が出来るように様々な処理回路(思考モデル:思考回路)を作ることが最重要課題だからである。
(中略)
一度固定された思考モデルは柔軟な思考モデルを食いつぶしてしまいます。回復は非常に困難です。幼児期の間違った教育が才能溢れる子供の脳力を最低の反射しかできない脳にしてしまうのです。暗記・計算は最も危険な考えない学習です。そこには思考力の基盤となる多様な思考モデルを育てる要素は全くないからです。
※質を量ではカバーすることはできません。幼児・児童期には不可能ですし、全く違うことです。つまり、コピーするという1つの回路を1万回使って1万個の知識を得ても、肝心の思考モデル(思考回路)は全く増加しておらず、反対に最も単純な1つの回路を強化して他の回路作成環境を悪化させていることになるのです。お金と時間をかけて才能を潰していることに気付かない。これでは、どんなに回復力のある子供でも...ヤバイです。...子供を見ましょう。そうすれば、分かります。特に目には気をつけましょう。
●単純思考の味をしめた子供は好きあらば、その単純思考(なるべく考えないで反射的にすること)に力を注ぎます。勉強以外でもです。ここが怖いところです。計算の反復練習も文章問題も<バランス良く>と思っている人は勉強以外の圧倒的に長い学習時間のことを忘れているのです。24時間のうちの数時間を<バランス良く>学習せていても、そのバランスは非常に悪いのです。誰にも何にも言われなくても、自分で<考えることが楽しいから〜>と自然になるように育てなければならないのです。
つまり車で移動する便利さを覚え、さらにそれを褒められて(「早くついてエライわねぇ」など)動機付けされたら・・・わざわざ遠い道を歩いて味わおうと思わなくなる・・・それと同じではないでしょうか?
ところで・・・
でも学校でパターン学習させられちゃうのよ!とおっしゃるお母さんも多いです。わかります、その苛立ち。
学校にできる範囲で疑問をぶつけましょう。教育界の常識をかえたいですものね。
ですがなかなかうまくいきませんね。でも・・・どんぐり先生のこの言葉も思い出してみませんか?
「子供たちは家庭で守れます」って。
しかも母親と父親の影響力の比率は(12歳まで)9:1だそうです。
であれば母である私たちは子供を守ることができるはずですね。
って、学校と何が何でも徹底抗戦しろってことじゃないんです。私が言いたいことは・・・
「パターン学習・高速反復学習はおかしい、危険だからあなたにはやらせたくない」という母親の考えと意思を子供にしっかり伝えることが大事何ではなかろうか、ということなんです。
学校で百マス計算をやるとします。
「早くなったね!えらい!」とか「早くできるように練習しよう」と母親からいわれている子供たちは「これがいいことなんだ」と思い込んで一生懸命反射脳を鍛えてしまいます。
反対に「こうこうこういう理由で早くやってはいけないよ」と母親にいわれている子供はたとえ「いやだやる!」と反抗したとしても「え?マズイノカナ?早くやっても大丈夫なのかな???」と反射で対応しようとする脳に心理的にブレーキがかかります。
これが大事なんじゃなかろうかと思うのです。
もっとも「やらされないように」学校への働きかけをすることは必要なことだと思います。だってそんなことをさせられている時間はもったいなさ過ぎますから。そして子供たちは敏感で吸収力が高いですから、毒もまた大人以上に吸収してしまいますから。
ですが、パターン学習や高速計算学習にうまく対応できることを「母親に喜ばれる」子供に比べればバリアーで守られると思います。
母親は子供を守れるんです。自分の力に自信を持って、子供たちを守りましょうね♪←自分に言い聞かせているんです。
高速反復に反対する理由について、ほかにも考えがあるのですが、それはまたつぎの記事で書きたいと思います。
Last updated 2007.06.05 15:57:54
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2007.06.04
最近の会話 「小学生の勉強(10111)」
[ 不登校 ]
小豆(工作に字を入れながら)「や、っていう字、これであってる?」
見ればとても複雑なまちがいかたをしています。
母「若様、大人国の「や」とはやや違うようですが、いかがなされますか?」
小豆「う〜ん・・・くるしゅうない、あわせてつかわす」
母「はは〜ではこのようにお書きくだされ」
小豆「大人国は面倒くさい。子供国にあわせてもらわなきゃ」
母「はは〜、鋭意努力いたしまする」
小豆「エイ?マンタ?」←マンタの真似が始まる・・・。
とまあ、こんな感じの最近です。
大人国の事情にはあまり合わせていただけませぬ。
小豆「我輩がこれでよいといったらよいのじゃ」
御意にござります
大人国の国情は面倒でござりますものなぁ
どんぐりを知っていると読み書き計算苦手でもどうってことない、と思えます。
学校のテストも気にならない。
楽チンです♪
Last updated 2007.06.04 09:40:35
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2007.05.31
嫌だな、と思う・・・ 「小学生の勉強(10111)」
[ ワタクシゴト ]
前回の記事、眠かったとはいえずいぶん好戦的ですみませんでした。
進学塾の先生とやらの言葉に無性にはらがたってしまいました。
「これは解けなくても仕方がないですよ〜」。
クラスでは9名全員不正解。
去年は5名中1名だけ解けたと。
「解けた子と、解けない子の差はなんですか?」と聞くと
「同じような問題をやったことがあるかないかの差です」と言われました。
要するにパターン学習をガンガンやります、ってことですね。
そして「イメージできない筋肉脳」を作りますって、言ってるんですね。
やったことない問題は手も足も出ない子をつくりますって。
ひどいじゃないですか?
さらに心配して「解けない」原因を聞き募るお母さんに向けて「この問題は小三でも初見では解けない応用問題です」と答えたらしいです。
LDかもしれないうちの小二息子はときました。自慢ではありませんが、数式アレルギーです。仮名文字もまだ正確に書けないです。
あ〜、でも自慢の息子ですが。
もちろんこの問題も解けなくても全く問題ないです。
一生懸命絵にして考えてましたから。
自分の力でイメージしていましたから。
答えはおまけですから。
もちろん小豆も学校やこういう塾で「テスト」という形で出されたら多分解けないと思います。
図を描くスペースもないでしょうし、他のたくさんの問題を見ただけでげんなりするでしょうから。
でも小豆は文章題を読んだ時、その情景をイメージしています。
イメージしきれない時、つかえる図がかけないときはもちろん答えを間違えます。
間違えていいんです。考える練習だから。
自分の図を作っていく過程ですから。
そして描いた絵図からまたいつか新しいヒラメキもやってくるかもしれませんから。
この塾でお子さんたちは柔軟な脳をがちがちに固められて・・・問題文を読んで空想で楽しむこともなく、ただただテストで点数を取るために追い立てられてしまうのでしょうか?
子供を金儲けのネタくらいにしか思ってないのでしょうか?
小二から遊ぶ時間を削って塾に行って、そこで得られるものが「応用のきかないがちがちの脳みそ」ですか?
それで本当に良いですか?
私にはこの塾の大人たちが『モモ』に出てくる「時間泥棒」に見えて仕方ありません。
Last updated 2007.05.31 16:36:04
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2007.05.29
ウルトラ君のお勉強 「小学生の勉強(10111)」
[ どんぐり文化祭 ]
今日は二つ目の記事です。
どんぐり倶楽部の問題ではありませんが、とあるところでこんな問題を見つけました。
山田くんは まいにち 3ぺージずつ 算数のもんだいしゅうを します。
8日目は 何ぺージ目から することに なりますか。
進学塾のテストで小学2年生への問題として出されたもののようです。
そこで小豆にこの問題に挑戦してもらうことに。
でも山田君・算数の問題集・・・つまらない、というので少し問題をアレンジしました。
「ウルトラ君(最近お気に入りのキャラクターです)は毎晩『ウルトラの歴史』の本を3ページずつ読んでいます。8日目の今日は何ページ目から読むことになりますか?」
←早速楽しくお絵描き〜。
「本も本当に読めるように書く!」と張り切りながら書いています。
「一ばんめにちきゅうにあらわれたうるとらまんで、かいじゅうたおしのせんもんか。さいしょにたたかったのてきはべむすたー。ウルトラマンはぜっとんにやぶれ、ウルとらのほしでちりょうをうけた」。と書いてあります。
ウルトラ君(手前の後ろ頭)が読んでます。
右ページにはウルトラマン関係のビデオが一杯棚にあります。
英才教育されているそうです。多分はじめに「算数の問題集を毎日三ページ」といったのが頭に残ったんでしょうね問題集3ページなんて、小豆も私も気絶するかも。
「これは家でウルトラの父にやらされてるんだよ。学校じゃないの。窓の外に見えるのが学校」。。。
とお絵描きを楽しみました。
そして答えは・・・はじめは棒を三つ描いて数えるつもりだったようですが、棒の上に数字を書くのが面倒に感じたらしく数字で書き始めました(右下)。珍しい〜。
8日目の22,23,24まで描いたので「あ、これは間違えるな」と思っていたのですが、
「だから、22ページ目から」とあっさり。
あれ〜、ひっかからなかったなぁ。
ごらんになるとお分かりでしょうが、小豆はまだ仮名も正確にかけません。
でも解けました。
このテストを実施した進学塾の講師の言葉として↓が紹介されてました。
「これは解けなくても仕方がないですよ〜」。
クラスでは9名全員不正解。
去年は5名中1名だけ解けたと。
「解けた子と、解けない子の差はなんですか?」と聞くと
「同じような問題をやったことがあるかないかの差です」と言われました。
「同じような問題」やったこと・・・ないです。
今日も寄り道して1時間半かけて学校から帰ってきました。
宿題もせずに外で遊びまわってます。週に一度どんぐりをやるだけです。
他はゼロ。。。です。
普通に育てばとける問題、ですよね。
この講師の言葉に惑わされないでほしいです。
子供たちの大切な「時間」を守りたいものです。
Last updated 2007.06.01 12:25:12
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2007.05.29
どんぐり流子育てへの疑問・・・「守る」ってどういうこと 「子育てって難しい〜。( ┰_┰)(3845)」
[ そらまめ流どんぐりQ&A ]
先日私がとても尊敬している先輩ママさん(塾の先生としても尊敬している方)から
「子どもを守る」とよくどんぐりママさんは言われますが、「何から守るのか」ということを、一度聞いてみたいな、と思っていました」と問いかけられました。
その日からずっと答えを言葉にしたいと考え続けて・・・
ようやく形が見えてきたので書かせてもらおうと思います。
少しずれた話から入ります。
去年小豆が不登校になったとき、私の心の中は恨みや苛立ちでいっぱいでした。
大事な大事な小豆の一年間。小学校の一年生という一度しかない時間を失意の日々に「されてしまった」という思いがどうしてもぬぐえませんでした。
もちろん頭では母親である自分の責任が大きいと考えていたけれど、それを他人から指摘されると反発してしまいました。
だから余計に去年は闇雲に「守るんだ!」と武装してしまったと思います。そういう状態でこのブログを書いていたことで、かえってどんぐり先生の理論が誤解されてしまう原因を作っていたのではないだろうか、と今とても反省しています。
またそれによってほかの悩めるお母さんを傷つけてしまったこともあったんだと今やっとわかります。
この問いかけをくださった先輩は、本当に素敵な子育てをされてきたのに、「自分の子育てを否定されたような気持ちになることがある」っておっしゃいました。
私はびっくりしてしまったんですが、なるほどお互いにそうだったんだな、と気づかせてもらいました。
私は私で「あなたが手をかけすぎるからこうなる」とたくさんの方に言われ、つらかったのです。そういう言葉から自分を守るため、理論武装していました。
今怒涛の一年が終わり、たくさんの間違いを犯した自分を振り返る余裕がようやく出てきています。
その中で皆さんからいただいた言葉の数々の真の意味がしみこむようにわかってきましたし、また過去ログを読んでいても「言葉」にとらわれすぎて、目の前の子供が見えなくなっていた自分も見えてきました。
そういう私がこれから書くことは自分自身の反省です。
去年これがしっかりとわかっていたら、きっともう少しましな対応ができたと思います。
小豆にも、読んで不快な思いをされた皆さんにも申し訳ないです。
「守る」ということなのですが、大事なのは「何から」「どうやって」ということよりも「何を」守るかだったのだと思います。
「何を」守ろうとしているのか曖昧なままでは「何から」も「どうやって」も答えは出てこないです。
でも私はそこが曖昧でした。
では今はどう考えているか・・・
守るべき「何か」は子供の「オリジナルな感情」なのだと考えます。
●私は基礎がモラルだとは考えていないんですよ。感味力が基礎です。その元は「快不快」ですがそれだけでは「人間」ではありませんね。オリジナルの正しい感情を持つことが基礎で
す。社会ルールは基礎ではありません。その世界だけで合わせるための作り事のルールでしかないからです。これは、誰かが勝手に作ったものです。「人間とし
て〜」ではありません。ここはひとつ腰を据えてモラルって何だ?ルールってなんだ?...しかも人間に育てている成長途上の子供にとってはどんな意味があ
り影響があり悪影響があるのか...考えるチャンスですね。
※誰がどんな目的で作ったものなのかを深く冷静に考えれば見えてきますよ。生命に関わること以外は99%不要で、後の1%は好みです。
これはどんぐり先生が下さったコメントのひとつです。
子供が何かを感じる、その感情自体は善でも悪でもないですよね。
なのに何かをいやだと感じる。嫌いだと感じる。怖いと感じる。・・・そういうときに私は「そんなこと言ったらだめ!」とか「このくらい怖がってどうするの!」とか言ってました。
「泣くのは弱い子」「こういう場面でそういう風に思うのは悪い子」というメッセージを送っていたと思います。これより怖いのは「泣くのは間違っている」「そういう風に思うあなたは変だ」というメッセージ。
去年迷い、間違いながらも気をつけていたことは「泣いてもいいよ」「いやなんだからいやと感じていいんだよ」と言葉に出して伝え、態度で伝えたことでした。
そして可能な限りこの「自然な・自発的な感情」を十分味わう時間を確保してやることが大事なんじゃないかと思うのです。
●人間は自分の本当の感情を危険にさらされることなく安心して味わうことが出来る環境にいられると健全に育つようになっています。子育てと教 育の大原則で「第1個性はその子独自のテンポです」と書いたのはこのことに気付いて欲しかったからです、この1行を<説明>するには何年もかかります。だ から書いていませんが記録しておきました。私の本にはそんな言葉が忍び込ませてあります。
「自分の本当の感情を脅威にさらされずに味わえる」環境を用意してやることが親の仕事なんだろうと思います。
「何から」守るか、はこういう感情を感じられなくする要因。だからまず親自身の言動が一番に見直されなくてはいけない。
また同じ理由で学校での「道徳の評価」は個人的に大反対です。去年小豆は「道徳の授業が怖い」といいました。
「これが正義」と上から「こう感じなさい」と押し付けられること嫌だと感じた小豆は健全だったと思ってます。
話を戻します。「どうやって」はその子しだいだと思います。
だからもしかなりキツイと見られる状況でも、子供がちゃんと感情を味わえる位に成長しているのなら大丈夫な場合もあるんだと。
何でもかんでも不登校にしちゃえ、っておっしゃっているわけじゃないってことです。
「確信を伴う我慢は子供を成長させます」って、どんぐり先生がおっしゃっている、その言葉のイメージがどうしてもつかめなかったです。だから理詰めで説得して子供を学校に行かせようとして失敗したり、手を出しすぎたりしました。
同じ子供でも年齢や本当の発達段階、状況(担任との相性など)で違ってきますから、一律に「これはこう」というマニュアルはありえないですね。
あれほど百ますに警鐘を鳴らしていらっしゃるどんぐり先生が「おかあさんは計算はゆっくりでいいと思うな、と何度も伝えることです。(教室での)百マス計算は気にすることはありません。」とコメントされている場合もあるんです。
この相談の場合、これで十分守れるってことだと思うのです。
どんぐり先生のすごいところは「真のリアリスト」だということだと私は感じてます。誤解を恐れずに言えばイエス・キリストもそうなんですよね・・・。
「まず罪なきものからこの女に石を投げよ」・・・。「シモン、シモン、サタンはあなた方を小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられ た。しかし私はあなたたちのために信仰がなくならないように祈った。だからあなたは立ち直ったら兄弟たちを力づけてやりなさい」・・・聖書の中のイエス・ キリストの言葉です。
話がそれましたが「この子はこの状況で感情を味わえているか」を観察していこうと思ってます。
まったくまとめられませんが、「教育は子育ての(有機的な)一部」であるのがどんぐり倶楽部のすごいところです。
以下どんぐり先生のブログ、掲示板の過去ログから無断借用します。
●幼児・児童期の学習では勉強や遊びの区別無く感情とリンクして育っていきます。この時に子供が重要ではないと思うことを強制的に感情を無視して続けさせると感情破壊を招きます。そして、この感情破壊は「(理解)する気」の根本的な活動を阻害します。
※宿題も含めて単純で強制的な反復をさせることの危険性は年齢が低いほど高くなります。
※感情破壊まで進んでいると回復は非常に困難です。一切の単純作業(特に家庭学習での単純反復「暗記・暗算・高速処理・多量計算」)を全てさせないことが
最も効果的な危険回避方法です。この環境設定をして「どんぐり倶楽部」の「良質の算数文章問題」だけを1ケ月1問〜4問程度を丁寧に正確に楽しく描く練習
をします。手が動き出すまでに半年程かかるかもしれません。私が扱ったケースは4年生でしたので時間がかかりましたが、2年生なら回復期間はもう少し短く
て済むと思います。
●まだ、どこかで50年来の勘違い学習を「尤もらしく」話している。12才(最短でも9才)までの学習は12才以降の学習とは異質である。詳しくコメントする時間はないが子供達のためにヒントを書いておく。
感情を殺しながらの「出来る」など×××ーーー→代表<高速徹底反復>
感情を殺しながらの「分かる」では××ーーーー→代表<できあいの図>
感情を殺しながらの「分かる」「出来る」でも×→代表<棒暗記>
感情を育てながらの「出来る」でも△
感情を育てながらの「分かる」なら○
感情を育てながらの「分かる」「出来る」は◎→<オリジナルの絵図>を「ゆっくり・ジックリ・丁寧に
●感情は味わうのに絶対時間を必要とする。従って、健全な成長には必然的に「ゆっくり・ジックリ・丁寧に」学習しなければならない時期がある。性
成熟年齢までが、その時期である。人間は12才である。だから、深い工夫が必要になるのだ。「出来るようにさせる」なんてのは簡単である。しかし、時期に
よって(年齢によって)使ってはいけない手法があることを知らないと悲惨なことになる。臨界期を越えると(生物学的に)後戻りは出来ないのだから。
.........................................................................................................
●「何かを達成するためには努力や訓練は避けて通れない」だから、幼児・児童期の学習でも楽しくなくても徹底反復は必要...なんて言う人がいる。また、
スポーツやピアノの練習を引き合いに出す人もいる。残念ながら体を思い通りに制御するための練習と視考力養成とは全く違います。詳細は「思考の臨界期」に
譲りますが、とんでもない勘違いです。12才以降ならば必要に応じて楽しくなくても徹底反復しても結構です。ですが、12才まで(少なくとも9才まで)は
ダメなんです。思考力養成の基盤整備(回路作成)をしている時に、その回路作成を邪魔するようなことをされては正常な発達は見込めません。2006年08
月23日の日記:頭と体:バイオフィードバック&マッチングに少しだけ書いています。参考にどうぞ。
●学習の優先順位は
1.感じる
2.分かる
3.できる
この順番でないと<応用>が利かないし自在に制御する事が出来ない。制御できない力は危険だし、応用が利かなくては使い物にならない。つまり、本当の力
にはならない。だから、低学年→感じれば、分からなくてもできかくてもいい。中学年→感じて分かれば出来なくてもいい。高学年→感じて分かって出来るよう
にする。
手順を間違えると取り返しがつかない。
Last updated 2007.05.29 13:32:46
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2007.05.24
結局 「子育て奮闘記f(^_^;)(65535)」
[ そらまめ流どんぐりQ&A ]
今日は三つ記事をアップしましたが、一番言いたいのは
「子供は正しい」「子供は完全体」という視点で見ていくことじゃないかと思います。
で、書きながら最近いい加減になっていることもたくさん、できてないこともたくさん・・・反省に次ぐ反省・・・。
今からまた覚悟決めてやります。
そう、毎日の覚悟の積み重ねが大事、って、以前どんぐり先生から教えていただきました。
後日になると思いますが、不登校についても書いていきたいと思います。
一つだけ
Q:どんぐり先生は学校教育を否定してるんですか?
A:否定しておられません。
だって先生のお子さんは不登校後に学校にもどり、元気に通っていらっしゃいます。どんぐり先生ならホームスクールもお手の物だと思います。
でもお子さんたちは学校に通わせていらっしゃる。
「学校に利用される(子供を合わせる)のでなく、学校を利用する」というのがキーワードだと思ってます。
Last updated 2007.05.24 11:12:43
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2007.05.24
どんぐり流子育てへの疑問・・・リセットについて 「子育て奮闘記f(^_^;)(65535)」
[ そらまめ流どんぐりQ&A ]
Q:リセットの意義は?
A:リセットは子供の回復のために必要だと思います。それに加えて親にも大事な期間だとわかりました。
リセット時期に親がすることは「観察と分析」だと思います。
「親の好み」でなく、「子供の好み 関心・成長段階」を必死で見る。
私はなかなかわからなくて、一年たって少しだけわかってきた感じです。
子供をジグソーパズルにたとえてみると、
親が思い込んでいる図柄があります。
たとえば海にヨットが浮かんでいると思いこんでいます。
それで「これがヨットの一部」と思ってみているパーツがお城の一部かもしれません。
気づかずに無理やりはめようとしていたかもしれません。
また他のパズルのピースを「このパズルのものだ」とおもってはめ込もうとしたりしてます。
リセットをしても「本当の完成図」は見えないと思いますが(ピースの数もわからないし)、
「このピースはこのパズルのものじゃない」というのを見極めていく。
親の好みの図柄に無理やりしようとしない。
それから子供が端からパズルを完成させるのでなく、一部ずつ完成させていたり、
真ん中から完成させようとしていたりするけど、それを親のやり方でやれ、といわない。
子供が完成させようとしているのをじっと見守る(難しいです)。
そんな感じかな、と思います。
どんぐりを知らなくてもこういう風に子供を信じる子育てをされているお母さん、たくさんいらっしゃるのを知っています。
そういうお母さんを私は「天然どんぐり母さん」と尊敬しています。
私は勉強しないと無理でした。どんぐりに出会ってなかったら大変なことになっていたと思います。
去年の春なんか、「叱られるのになれたほうがいい」と思って、大声で怒鳴ったり、ランドセルを片付けないのに腹を立てて外に投げ捨てたりしていました。
ひどいでしょ?
もうひとつ「リセット」についてですが、リセットの期間は「何もしない」のが大事なのかもしれません。
「しつけもしない」で、本当の状態(優先順位、子供の本当の発達段階など)を見極めるためです。
でもこれは「どこまで区切るか」が難しいですよね?
だから案のひとつとしては「時間」で区切る・・・一週間は怒らないから好きなようにする・・・という手があります。
この期間は子供にとっては十分でないかもしれませんが、はじめはまず「親が切れずにいられる時間」という選択です。
だからはじめは「10分だけ」からはじめてもOKだと思います。その10分は真剣に、自分の中のあらゆる雑音(世間体とかモラルとか)を排除して・・・その間に子供を見る練習を親がする・・・そういう時間を設定したらいいと思うのです。
だんだん子供の見方がわかってきて、本当に子供に必要なリセットができるようになってくるんじゃないかと。
私はわからなくて闇雲にリセット!ってやってました。やっているうちに考えたのが今述べたことです。
もちろん出来るのなら「子供の十分」を優先させるのがbestですが、現実にはそうは行かないと思います。
いつも100%は異常、と先生もおっしゃってますよね。
やってみるとリセットの効果はすごいので、徐々に納得できると思います。
Last updated 2007.05.24 11:51:23
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2007.05.24
どんぐり流子育てへの疑問・・・しつけについて 「子育て奮闘記f(^_^;)(65535)」
[ そらまめ流どんぐりQ&A ]
Q:しつけはしちゃいけないってこと?
A:しつけはしていいことだと思います。
ただし内容を吟味することが大事だとも思っています。
本当にそれが必要なのかどうか。
「だれ」のために必要なしつけなのか?またそれは個々の子供の発達段階にマッチしているのか?
そしてその手段は「良質」なのか?子供にとって何をすればいい、またはしてはいけないのかがわかりやすく示せているか?
「言葉で言えばわかる」というのは大人の思い上がりだと私は感じています。
子供が「視覚イメージの再現」しやすいかどうか?をキーワードに見直してみませんか?(身体は視覚イメージの後追いをするそうです)。
また「忘れるのは大切な才能」ですから、「思い出しやすい」工夫が必要ですよね。
絵に描いて貼り出しておき、子供が忘れていたらにっこり絵を指差してみる、なんてやっています。
ただし、量と内容は吟味。あまりたくさん(壁一面に指示だらけ)だとただの「模様」になってしまいかねません。息苦しいし。
私の場合、リセットの後、本当に少ない量から始めています。
「テレビは9時まで」(何かがんばれたことがあれば15分延長)。
「田んぼに水があるときには川をせき止めて遊んだり、逆にせき止めてあるものを勝手に壊さない」←田んぼに連れて行き説明。友達が「いいから」といったと
き・・・友達には「だめ!」と怒っていうのでなく、今おかあちゃんが説明したことを教えてあげること。それでもやってしまったときは必ず私にしらせること
(言ってくれたら絶対に叱らない。お母ちゃんが謝りにいくから、と約束しました←もし隠した場合は叱ります)。
あとはストローで飲み物をぶくぶくやったときは「一週間のストロー使用禁止」です。
これは「禁止の覚悟できたからやるからね」といってやってるときあります(笑)。
食事中にひじをつくのも「お膳の上のものにひじがあたるとこぼれるよ」と毎回声をかけます。
「大丈夫だモン」と口答えしますがそれには反応せず声をかけるだけです。
お片づけはうちも苦手です(親子ともに)。
なので「一緒に片付ける時間」と決め、声をかけて一緒にやります。
ちょっとでも手伝ってくれたらOKです。
「片付けろ 」と怒らないように気をつけてます。
「手伝って」といわれたら手伝います(結局私が片付けるほうが多いですがそれはOKだと思っています)。
工作の後も同じです。
遊びに言っちゃったときなどは紙に「片付ける手順」を書き、散らかった場所に貼りだしておきました。
帰ってきたら「楽しく遊べてよかったね。では片付けようか」と。
このときに子供が楽しく遊んでいることを中断させないことを大事にしています。
「今の遊びが終わったら片付けてね」と声をかける。
また忘れて次の遊びが終わっても同じように声をかける。←子供がだんだん思い出せるようになりますが、難しそうなら紙にお願いを書いて見えるところにおいておいたりします。
でも私が片付けちゃうときもあります。「あんまり楽しそうだったから、母ちゃんうれしくなって片付けちゃったよ」って。よくないかな?
とにかく子供は片づけより遊びが大事。大事なのは当然なのでそれは否定しない。
でも「心の工夫して(親・世間に)合わせる」練習もする、と思ってます。
本当によくよく「どうしてしてはいけないのか」を考えると、案外答えられないこと多くないですか?
「オトナノジジョー」というのもありますよね?
お出かけのときに「尻だけ星人ぶりぶり〜」といわないでほしい、とか
そういうのは「オトナノジジョーでござる。なにとぞご配慮を〜」とお願いします。
親の威厳はどこに?と思われるかも知れませんし、間違っているかもしれませんが。
Q:なんでも子供の言いなりってことじゃないでしょ?
A:もちろんそうだと思ってます。どこまで満たすかは本当に悩みながらやってきました。でも「満足回路」が正常に働くようになると子供のほうで自然にやめるようです。
約一年いろいろやってみて、今現在気をつけているのは「予告」と「限度を示す」ことです。
遊休カードを作ったとき、小豆に「学校を休むことが悪いのじゃない。でも小豆は大きくなって、母ちゃん相手では退屈するよね。それにおかあちゃんも うまく遊んであげられないとかでいらいらカカゴン(キャラクター化されてます)になってしまう。このカードの枚数くらいなら大丈夫。それにもし緊急事態の ときは必ず小豆の話を聞いてどうにか工夫するって約束する」と伝えました。
お金がかかる遊びの場合や、買い物でのお菓子などもあらかじめ「今日はこれだけしかお金が使えないから、その範囲で遊ぶことになるけどいい?」と聞きます。
小豆は「途中でやめるのがいやだからはじめからやらない」というときもありますし、「わかった」といって遊び始めることもあります。
少し少なめに設定しておいて、「わかってくれてありがとう。おかげで助かったから二人(小豆と大豆)でアイスひとつくらい買えるよ」とサービスすることもあります。
逆にこの「予告」をしていなかったときは「自分が悪い」と覚悟を決め、とことん付き合います。。。とはいえ財布の中身がなくなれば子供たちは納得せざるを得ません。
「ぶ〜」っとふくれますが、これは私が悪いと思うので私のほうが謝ります。
「はじめに言ってなくてごめんね。残念なきもちだよね」と。
「ついでにちょっとお肉売ってかせいでくるわ」と言うと「売れんわ〜」と言われてしまいます。一応丑年なので、「牛肉は高いんだぞ!」と威張りますが相手にしてもらえません(爆)。
この「予告」はどんぐりを始めてから気をつけるようにしていることです。
うまくいえませんが「環境設定」が大事、「準備が大事」というどんぐり先生の言葉を自分なりに解釈した結果こうなりました。
はじめると子供たちは本当に素直で、一生懸命考えてくれていることがよくわかり、それまでの自分の勝手な対応を申し訳なく思いました。
それに満足すると勝手に控えてくれます。
どんぐり先生がおっしゃる「満足回路」。これを尊重すると勝手に子供のほうで行動を制限してくれるようになりました。
春に花見に行ったとき、おもちゃでこれ(屋台で一つ何か買ってあげる)、というものがなかったので「またにするという手もあるよ?」と聞くと残念そうな顔をしつつも「ほしいものがないからいいにする」とその屋台を離れました。
そのあと綿菓子を買うことになったので、二人が一つずつほしがるものと思い、二つ分のお金を渡しました。
二人で買いに行き、一つだけ買ってお釣りは返してくれました。
「一つでいいの?」と聞くと「二つも食べれんからもったいない」と。
え〜っと・・・これって「普通でしょ」と感じられると思います。
私が言いたいことは「叱ったり、くどくど言わなくても」子供たちは考える、ってことです。
また私はリセットを何度もやりましたが、リセットの期間は甘すぎるくらい甘く、おもちゃがほしいときなども可能な限り希望をかなえました(最近がんばっているからごほうびって)。
それがいいのかどうか、本当に悩みましたが、リセットが終わるころに「こんなに買って大丈夫なん?」と子供に聞かれたとき、給料の仕組みやそれで買わなければならないもの、払わなければならないものの説明を絵に描いてやりました。
その後は「どんどんほしがる」ことはなく、「買えない」というと何とか心の工夫をして我慢しています。
お年玉を少しですが自分で管理するようにして、「この範囲内は(ゲーム機以外は)買ってもいいよ」といっていますので、この春それで一度買い物をしました。
あとは「今日はお菓子100円までならいいよ」というと一生懸命考えて100円以内で買ってます。
遊びについてもよほど危険でない限りほとんどOKです。
ただ「今はやめてほしい」など、「オトナノジジョー」がある場合、「オトナノジジョーです」と説明し、丁重にご配慮いただいています。
子供の遊びたい欲求・エネルギー・遊びをどんどん発明する才能はほめられこそすれ、責められるものではない、という前提で考えているので、子供の側に「ご配慮いただく」ことになります。
やってきて思うのは「こどもにとって大切なもの」を大切にすれば、子供の側も「おとなの大事にしているもの」を大事にしようとしてくれる感じです(子供なりの配慮で)。
もともと小豆も大豆も「善悪の区別」はわかっている気がしています。
たとえばかんしゃくを起こして泣き喚くときも「これは望ましくない」と自分で感じているのがわかるんです。
だから「わかっているけどできないときあるよね」と見るようにしています。
それと「かんしゃくを起こしたい気持ちは理解できるよ」と伝えるようにしています。
あとは本人もわかっているので「それはよくない」というのははじめの一回だけ言えば十分んみたいです。
やってはいけない、と知らないときは伝えます。
去年田んぼの水入れのため、川をせき止めてあったのを小豆とY君がみごとな連係プレーではずしたことがあります。
本人たちは「川が詰まっていたから取った」と思ってうれしそうでしたし、チームプレーがうまくいき、誇らしく感じているようでした。
修行の足らない母は途中で「あっ」という顔をしてしまい、小豆は「いけないことだった?」と聞きました。
「怒ってないよ。あとで説明するけど、今はその楽しそうな話を聞きたい」というと最後まで楽しそうに話してくれました。その後で「実はね・・・」と説明したわけです。
「そんなこといちいちやってられない」と、はじめ私も思ったんですが、「やってられない」から数が少なくなるんです。そしてそのほうが子供が受け入れてくれる率が高くなりました。
また一つずついちいちやらなくてもほかのことも考えてやってくれたり、わからないとき「これやってもいい?」と聞いてくれるようになりました。
Last updated 2007.05.24 11:49:52
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2007.05.24
どんぐり流子育てへの疑問・・・子供を怒ることについて 「子育て奮闘記f(^_^;)(65535)」
[ そらまめ流どんぐりQ&A ]
最近になって、どんぐりをはじめられた方からどんぐり実践について質問を受けることがちょくちょくあります。
育てている子供も違うし、おかれている環境も違う。マニュアルがあるわけではないです。また私もどんぐりを始めてまだ一年足らずですし、母親としても長男と同じ7歳です。
自分の年も34ですから、人生経験もまったくお粗末なものです。
だから人間としてとても未熟です。
でもどんぐりをはじめた当初、自分も「こういうときはどうすればいいんだろう?ヒントがほしい〜〜」と思っていたし、この読みにくいブログを一生懸 命に(どんぐり過去ログと平行して)読んでくださったのをしると・・・なんだかもう少しまとめたものをアップするほうがいいような気がしてきました。
それで質問されたことに私なりに答えたメールを元に、「子育て」面でのどんぐり流についての考えをまとめて見たいと思います。
なんだか偉そうだな、と思いつつ、わかりやすさを優先させてもらい、Q&A方式でまとめていこうと思います。
どんぐり流子育て(自問自答)Q&A
Q:どんぐりママは子供を怒っちゃだめ?
A:まず怒るってどういうことか考えてみました。
「怒る」という言葉と「叱る」、という言葉の違いを吟味してみると、
「怒る」は感情的にかっかしているような印象です。
「叱る」や「諭す」とは違うと思いませんか?
誰かに対して「腹が立っている」という感じです。
子供に腹が立つことはあります。でもその「感情」を子供にぶつけることはメリットがないと思います。特に12歳までの子供たちには。
だからまず感情的にならずにすむように、お母さん自身のストレス抜きは不可欠だと考えています。
たとえば一人の時間を定期的に持つこと、自分の「遊び」のために子供をどこかに預けることも良です。そういうことに罪悪感を感じないという「心の工夫」
をするといいと思います。自分を大事にできなければ子供を大事にできませんから、母親自身の休息は「絶対に必要なこと」だと思います。
「子育ての絶対必要条件」なのですから、私はいやいやながら(笑)自分が一番楽しいことをする時間を持つようにしています
それから自分がなぜ腹を立てているのかをよく観察することもやりました。ほとんどが腹を立てる必要のないことだとわかりました。たとえば・・・
「宿題をせずに遊びに出る」→本当の学力養成を自主的にやっているので怒る必要なし。
お風呂で遊んでいて身体をなかなか洗わない→子供にとって遊びは最優先。ゲーム機やお金のかかるおもちゃなしで遊べるなんてすごい!
「道草をくっていてなかなか帰ってこない」→「天才だ!」
「親の言いつけをすぐにやろうとしない」→「納得しなければやらないのは健全な証拠です(byどんぐり先生)・・・健全に育ってるんだな」
という具合です(だから過去ログ読んでね♪)。
ストレスをためずにすむ環境を整えることも大事だと思います。
うちの場合、親子ともに一番イライラが出てしまうのは「登校前」です。
母「今日は行くのか?行かせたほうがいいの?休ませたほうがいいの?」
子「これからはずっと行かせられるのか?休ませてもらえるのか?」
毎日この葛藤をやっていると絶対に私はいらいらし、怒りっぽくなったり落ち込んだりします。小豆は小豆で仮病を使いたくもなるだろうし、私の顔色を見るようになるでしょう。
それで遊休カードをつくりました。
また借りてきたビデオにあらかじめ所要時間を書いておくことも工夫のひとつです。
「口で言わなくてすむ」「目で見てわかる」工夫が効くと思います。
これは後からまた詳しく書きます。
長くなってきたのでいったん投稿します。
Last updated 2007.05.24 11:45:51
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2007.05.20
追記
[ どんぐり倶楽部 ]
なんとなく舌足らずだったので(いつものことながら)・・・もう一言。
工夫はいろいろあります。
時計を読めるようにする工夫、漢字がかけるようになる工夫、暗算が出来るようになる工夫、学校に行けるようになる工夫。。。
でもよく考えれば怖い工夫だってあります。
平気で人殺しを出来る人間を育てる工夫、他人をだます工夫・・・
工夫すればいろんなことが出来る。出来るけれど「しない」判断をする。
それが「人間」の証。
そして「出来ることでもやらない」判断が出来る子供を育てる・・・ヒトを人間に育てること、それがどんぐり倶楽部の一番大切にしていること。
だからこそ、出来ることでもやらない判断が親や指導者に必要なんだと、私は思うのです。
Last updated 2007.05.20 20:09:03
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2007.05.20
工夫はたくさんあると思う・・・でも
[ どんぐり倶楽部 ]
昨日この工夫も紹介しようかな、と思っていましたが、ちょっと引っかかることがあり、どんぐり掲示板で先に相談してみました。
その工夫とは・・・
←小豆の机の前に貼ってます
あいうえお表も貼ってます。
「普通じゃん」。。。はい普通です。
なぜこれをやり始めたか・・・以下はどんぐり掲示板からの引用です。
>>機会を意図的に指導者が増やすというのは有効でしょうか?
>●有効ですが不要でしょ?テストのためならば、その時間は才能潰しに時間になりますね。学校の定期テストが0点でも入試で合格すればいいんです。...漢字が好きで娯楽として学習するのなら結構ですよ。(ここまで、以前の書き込みに関するどんぐり先生のアドバイスです。これが引っかかっていたんです・・・以下はそらまめの書き込み)
先生、みなさん、おはようございます。
↑の書き込みを読んでから考え込んでいます。
小豆は今年ボチボチ学校に行っていますが、漢字書き取りのときなど、なかなか書きたがらず、先生をてこずらせているようです。
それはかまわない(先生ごめんなさい)のですが、学校での漢字練習時間に少しでもリラックス出来るようにと思い、新しい単元の漢字を大きくプリントアウトし(B5に一字&例文)、小豆が面白がる例文をつけて部屋の壁に貼りだしています。練習などはせず、例文を楽しんでいるくらいです。
でも一度目にしておくことで、授業中しょうもない例文を思い出し、「笑えてくる」と。笑うとリラックスできるので楽になるかなぁ。。。なんて思っているんですが。
こういう働きかけはよくないですか?書くほうの練習は今のところ全くできていないので、書き取りは2割くらいです(授業中に覚えられる程度)。
小豆は「新しいの作っといて」と気に入ってくれているようですが、上の先生のお返事を読んで考えてしまいました。テストのためではないからいいのかな・・・。
すみませんがアドバイスください。
この書き込みに対するどんぐり先生のお返事です。
>テストのためならば、
●楽しみのためならば、全く逆でOKです。ただし「忘れることを前提に」です。状況や相手により同じ事でも影響が異なるのは当然です。楽しく続けて下さい。
(2007年05月20日 11時34分14秒)
そうなんですよね、赤字のところ、わかっているようでいちいち悩んでしまいます。
この貼り字をしているのは掲示板に書き込んだように、「小豆を笑わせるため」です。
漢字の時間に「ぷぷっ」となってくれたら、リラックスできるんじゃないかなぁ、と考えてはじめました。
ですから例文がなかなか浮かばず、作製に時間がかかります・・・。お笑い作家のほにょりん、考えてちょ。苦し紛れにちょっとお下劣なのもあったりして
こういう風ですから(?)漢字の学習に関しては役に立ってないです(多分)。全然覚えさせようとはしてないし、覚えていないとおもいます。
でも例文は覚えてくれて、授業中に思い出して笑えたこともあるようです(シメシメ)。
さて、ここ数日、工夫について紹介しています。
「工夫は無限にあります」とどんぐり先生がおっしゃるように、工夫は本当にたくさんあると思います。
でも・・・それと同時に「工夫は個別です」・「一流の教育者は「いかにさせないか」を考える」というどんぐり先生の言葉も心に留めておかなくてはいけないと思っています。
親の工夫自慢や「おだてて木に登らせる」ような工夫にならないように・・・。
どんぐり流をやっていく上で、困ることは「具体的な工夫」がわからないことが一つあるんじゃないかと思います。
またどんぐり先生の書きかたが哲学的(?)過ぎてわかりにくかったりとか(先生ごめんなさい)。
下記太字は以前の日記にどんぐり先生が下さったコメントです。
●人間は自分の本当の感情を危険にさらされることなく安心して味わうことが出来る環境にいられると健全に育つようになっています。子育てと教 育の大原則で「第1個性はその子独自のテンポです」と書いたのはこのことに気付いて欲しかったからです、この1行を<説明>するには何年もかかります。だ から書いていませんが記録しておきました。私の本にはそんな言葉が忍び込ませてあります。
本当にこういう事例が多くて、だから私たち一般の母親は「あれ?これはどうよ?」といちいち迷い、そのたびに過去ログを読んだり、掲示板で質問したり、他のどんぐりママたちと話をしたりしながら自分の「目」を育てていくことになります。
子育てにマニュアルなし、でも指針はあり、という感じでしょうか。
だから・・・今の私はこう考えています。
個々の工夫についてはたくさんの参考になる本やHPがあります。
子育てについても同じです。
その方法を用いることはどんぐりと矛盾しません。
どんぐりの理論を芯にして、それらの工夫一つ一つを目の前の子供に合わせて取捨選択していけばいい。
同じ子供でも時期が違えば工夫も変える必要があります。
また工夫は子供中心に考え、カリキュラムや世間体に子供を合わせようとしない。
大事なのは子供のテンポ・第一個性を見極め、それを大事にしていくことだと・・・。
「子ども自身が考える生活」ってどんなものなのか、ずっとずっと考えていました(相変わらず唐突でごめんなさい)。
ただお金を与えて買い物に行かせたら子供は考えるようになるのか?
ただ家の手伝いをさせれば考える子供に育つのか?
ただキャンプに行かせれば子供は考える子供になるのか?
↑のような識者といわれる人たちの「体験不足」論調にどうしても何か引っかかるものをかんじていました。
(だんきち先生と以前意見交換したときも・・・だんきち先生ご自身は「子供の自発的な体験」・たとえば腕白キッズで料理をせずにいものしっぽをみじ ん切りにして楽しむ子供を「すてき」と見ることが出来る方なのです・・・なのに「体験不足」というような言葉にすごく引っかかってしまい、何度も何度も 突っかかってしまったのだと思います。だんきち先生、改めてごめんなさい。)
もちろんそういうものも大事、だけど何か違う、と。
やっと自分の違和感を説明する言葉を見つけました。
大事なのはその子どもの「第一個性・テンポ」を尊重される生活なのではないだろうか、と。
この環境がなくて他にどんな「良質のもの」を与えても意味がないのではないだろうか、と。
逆にこの「子供のテンポを尊重される」環境があれば、その中にお手伝いの項目がかけていたとしても、お買い物の体験がかけていたとしても、子供は考える・自分で判断することを学んでいけるのじゃないだろうか、と・・・。
この大前提がある。だから私は他のものではなく、どんぐりに惹かれたのだと。
と、ここで、私が個々の工夫をする上で、またはどんぐりを理解するうえで助けになった本を何冊か紹介します。たくさんあるので、またおいおい紹介していこうと思います。
ところで本文の中に本の画像を入れるのってどうやるんだろう?どなたか教えてください。
わからないのでリンクはアマゾンです。
「お母さんはしつけをしないで」(長谷川博一)
「親の目・子の目」(レイ・バーク他)「子育てハッピーアドバイス」(明橋大二)
「母さんぼく学校へ行けたよ!」(林礼子)←みさきさんから教えてもらいました。
「学校と家庭を結ぶ不登校対応」(小澤美代子・土田雄一)
今日はここまでにしとうございます←ふる〜。
ではでは〜。
Last updated 2007.05.20 16:41:41
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2007.05.19
いろんな工夫
[ どんぐり倶楽部 ]
業務(?)連絡〜。
昨日の日記にレオンくんが乱入してます。
ヒトちゃんのご両親&ほにょっち、見てね♪
さてさて、最近新しくどんぐりに取り組まれる方がよく読みに来てくださっているようです。ありがとうございます。
畑野家のどんぐりの軌跡←どんぐりをはじめた頃のことが書いてあります。
小豆もはじめはお絵描き算数をとても嫌がっていました。
絵を描くのが面倒だったり、答えを出すことにこだわっていたり、勉強自体を拒否していたり・・・。多分最近はじめられた皆さんの悩みに共通するものがあると思いましたので、手前味噌ですが紹介させてもらいました。
最近もまた学校の疲れから「じっくり描く」ことが面倒だったり、いろいろあります。
ただ山あり、谷ありがあたりまえ。それに今は学校をがんばっている小豆の努力を大事にしたいと思っています。
不登校同期(勝手にごめんなさい)のみさきさんがどんぐり掲示板で投稿しておられましたが、子供にとって学校って「行きたくないけど行きたいところ」だと私も思います。
小豆ももう、家で私といるよりも(たまにはいいだろうけど)友達の中で過ごしたい気持ちが強いと感じます。だから出来るだけ「行けるように」環境を整えてやりたいと今は思っています。
もちろんまた情況が変り、「休ませた方がいい」時期も来るかもしれませんが
さて、先週は木曜日が授業参観日でした。小豆は情緒学級&養護学級で「仲良しパーティ」に参加させてもらうことになっており、「司会をする」と張り切っていました。
その楽しみで木曜日まではすんなり・ご機嫌で登校。
木曜日は司会もパーティも存分に楽しみました。
疲れて夜はばたんキューでした。
昨日(金曜日)の朝・・・「休みたい」という小豆。
養護の先生・担任の先生からも「週に一度くらいは有給だと思って休ませてあげられたらいいですよ」といわれています。
休んでもよかったのですが、来週の火曜日に私の実家の女系集団との昼食会があることを話し、「そのときにお休カードとっておいたら?」と言ってみました。
するとにっこり
登校班では少し不機嫌だったものの、無事一日過ごしてきました。
去年の小豆は「あとからこういう楽しみがあるから」と言っても目の前のことが精一杯。「それなら今日はがんばろう」と言う気持ちが出てきませんでした。
それが心配だったので、昨日はとても嬉しく感じました。
実は先日紹介した日はずし(?)カレンダーや遊休カードは、「残り何日」など、先の見通しをイメージしやすくなるように、と思ってはじめたのです。
早速効果が?←ってことはないと思います(本人の成長でしょう)が、「目に見えるように」「イメージしやすいように」というのを念頭において工夫していこうと考えるようになりました。
もう一つ、最近始めた工夫を紹介します。
小豆はビデオが大好きです。
無制限に見せるのは嫌ですが、楽しみとして大事にしてやりたいとも思います。
困っていたのは寝る時間の30分前くらいになってから一時間以上のビデオを見たがったりすることでした。
小豆は「最初から最後まできちんと見たい」ので、「もうすぐ寝る時間だから無理」と言っていたのです。
でもこれがプレッシャーになっていることも感じていました。
「学校行くと朝早く起きなくてはいけないからビデオが見られなくて嫌だ」と、口には出さないけれど不満を感じているのがわかっていました。
それなら早く見始めたらいいのですが、おもちゃや工作で遊ぶのも楽しい。遊んでいるときは忘れていて、後からみたくなる・・・。
そこで・・・
←借りてきたビデオにこんな紙をつけてみました。
それに加えて↓
←厚紙で時計をつくりました。
片方の時計で「テレビを消すのは9時15分」「晩御飯は6時半」と目標時間を示しておきます(紙に書いて時計の下に貼ります)。
反対側の時計で一緒に「このビデオだと1時間13分だから・・・」と一緒に(または私が)針を動かして何時に見始めたら間に合うか、などをゆっくり針を動かして「見せる」ことをします。
時計の勉強ではないので、「自分で考えなさい!」なんて野暮(?)はいいません。
ただビデオを見るのにかかる時間を意識しやすくなればいいな、と思ってやっています。
これをはじめて私の方が「ダメだよ」と言わなくて済み、小豆も「禁止された」と感じずにビデオを選べるようになってきた感じです。
それになぜだかこの偽時計、とても喜んでくれました。
本物の時計も横に並べたいのですが・・・重さがネックです。
自分で文字盤を作るタイプの時計なら紙で作れるんだけどなぁ・・・と今考えているところです。
どんぐり倶楽部の子育て論を読んだとき、「禁止、命令をしてはいけない」という箇所に引っかかる方も多いと思います(私もでした)。
それではしつけができないのでは?わがままが大事と言っても子供のやりたい放題でいいのか?
もちろん「放任・ほったらかし」にしろということではないはずですよね。
でも子供を信じろ、ってことではあると思います。
ガミガミいわなくても子供自身が自分で選択しやすい環境を作っていくことかな、と思ってます。子供って大人が思っている以上に考えているし感じています。
だからうまく「イメージできる」ように手伝ってあげるのが大事だと思うのです。
小豆はまだ「所要時間」がうまくイメージできません。
それをイメージしやすいように、と思っての工夫です。
もし皆さんから「もっとこうしたら」と言うのがあれば是非是非教えてください。
なんだか今日もまとまりませんが、一応アップします。
それではよい土曜日を!
追記です。
先日ひつじ草さんが「子供は時間の経過を気にしないで過ごすし、それがうらやましい時があります。遅刻しそうだっていうのに、のんびりしたりしていて」。
とおっしゃったのですが、「本当にそうだなぁ」と時間を気にせずに遊べて、子供ってすてきだ
なかなかそういう視点がもてない私ですが、時間を気にせずに「遊び」を満喫できるのは子供の大事な才能だと思います。
だから今回の工夫も「とにかく何でも時間通りに、きちんと動きなさい」という意味ではなく、そういう風に使うつもりもありません。
ビデオに関してのみ、今のところ使っています。それも時間がギリギリ?って時だけです。
あとは時々話の中で時間のことがかかわってくる時には使うことはあります。
大人がさせたいことをさせるための工夫ではなく、お互いが出来るだけ「わかりやすく」暮らすための工夫のつもりなんです
Last updated 2007.05.19 10:06:42
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2007.05.18
ほにょりんピック♪レオンくん飛び入り参加です!
[ どんぐり文化祭 ]
ほにょ家の寺子屋報告が届きました。
今日、第一回目のどんぐり寺小屋の日でした
長女のお友達(小2)のヒトちゃんの作品を見て下さい。
初めてのどんぐり体験です。
ひとつひとつゆっくり丁寧に描いてくれました。
0M00です。この問題はとっつきやすくていいですね!
ヒトちゃんはゆっくり丁寧が得意で、月に2〜3度はほにょ家で一緒にどんぐり問題をする予定なんです(^_^)v
続いて長女で〜す!
ヒトちゃんのママに、解けなくても楽しめるってところを見てもらいたくて、この問題を選びました。が、難無く解いてしまってビックリ!
最初、4倍がわからなくて「ミミズは1匹4〇円?」とか言ってたのに、
クモの絵に10円玉の絵を付け加えたとたんに、「あ〜!ミミズは1匹20円やん!」って言ってました。
なんぜわかったんやろ?
最後はのびのび次女で〜す!
0M58です。勉強好き、おシャレも大好き、ペンギンのはなこ様って誰?(笑)
ほにょっち、素敵な寺子屋報告ありがとう!
長女ちゃんと次女ちゃん、お手紙ありがとう!
おばちゃんすごく嬉しかったです。
長女ちゃんの絵、全然ぐちゃぐちゃじゃないよ。
優しいところや一生懸命なところがよく感じられる絵で、おばちゃんは大好きです♪
次女ちゃんの絵の色遣い、すごく素敵です。
おもろい・・・もとい、優しくて楽しいママと三人、これからもどんぐりを楽しんでください。
おばちゃんやみんなにも披露してね♪まってま〜す。
と、レオンくん乱入です!
↑こ、これは・・・触覚ビームでは!!!
お勉強は楽しく♪ですね
Last updated 2007.05.19 10:08:21
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2007.05.15
遊休カードなどなど
[ 不登校 ]
書きかけていることはあるのですが、いざ言葉にしようとするとまだ練れていない気がするので、その件に関しては少しだけにします。
また良く考えてから書きますが、どんぐり倶楽部が「オリジナルの絵」にこだわる理由についてです。
絵は下手でもかまわないですよね?
って、いきなり変な出だしなのですが・・・。
どんぐり倶楽部の文章題は別名(?)お絵描き算数です(我が家では)。
そうなると出て来る悩みの一つに「お絵描きが下手」「お絵描きが苦手」というのがあります。
本当に悩みってつきません。
でも大事なことは「オリジナルを作り出すこと」です。
だからうまい下手は関係ないのです。
小さい時の子供って、大人から見ると何が書いてあるのかわからない絵を嬉しそうに描きます。
そして自分では「車」だとか「顔」だとか、ちゃんとわかって教えてくれますよね?
それが大事なのです。
この子はその絵からちゃんと「イメージの再現」ができているんです。
本当に絵が嫌いで苦手な子が○を一つに棒の手足を描いて「これが人間」と言ったとします。
別の子は細密に人物を描いて「人間」だといったとします。
この二人の間に優劣があるかといえばありませんね。
どんぐりに取り組む上でも何の不都合もないんです。
自分が「人間」のイメージを再現しながら描いて、その絵をみて「人間」の映像が脳内に再現できれば十分です。
ところがどんなに上手でも、出来合いの絵ではうまくいきません。
外から与えられたものは自分の中に根付かないので応用がききません。
自分で描いたものは自分の中から生まれたもの、自分の一部です。
ですからそれはデンタ君と同じように「体感」出来るのだと思います。
自分で描いた時、そこには自分が体験した様々な要素(感触とか視覚イメージとか味など)が練りこまれます。そしてそれは脳内での「イメージ再現」にとても大きな役割を果たすのではないかと感じます。
また「絵図に残しておくこと」が次にその図を見たときに「更なる進化」を導きます。
前とは違った考え方を思いつく瞬間が訪れます。
脳内だけで再現していたものはなくなってしまいます。
しかし図に記録しておくことで何度でも目にすることが可能になります。
さらに「自分が描いた絵図」は描いた時の苦労や感触などを伴って細部まで「思い出しやすい」のです(そのときの考えなど)。
どんぐり倶楽部の常識「忘れなくてはいけない」「思い出す練習をする」。
自分の描いた絵図は「思い出しやすい」のですね。
小豆は自分が描いたほとんどの絵をはっきり思い出せるようです。
ただしたのしんでいなかった初期の絵は思い出せません
嫌な思いとともにやったものは「おもいだしたくない」のですね、きっと。
中間まとめです・・・
このように考えると、「絵が苦手」であることは何も問題ありません。
ですがこれが「絵が嫌い」につながると少し厄介ですね。
ここは工夫のしどころだと思います。「苦手でも好き」「苦手でも楽しめる」ような工夫が必要だと思います。
それはその子その子に応じて違うと思います。
小豆の場合はとにかく、絵そのものよりアイディアを認めるようにこころがけました。
え〜、ここまで書いて、ケンバーンさんの今日の記事を読んだりしながらまた考えて・・・
脳内が迷宮になってきましたので、一旦きります。
ちょっと話を変えて小豆の近況です。まずどんぐりから。
←テントウムシ小学校です。渡り廊下の屋根などは「手の切れる草」で作ってあるそうです。小豆とYくんは実際に学校帰りに「虫さんのホテル」を作ってました。それを思い出しながら描いていました。
←赤たまご青たまご、黄たまごの位とりゲームです。赤チームは格好いいので人気があるそうです。
たまご5個ずつが各自一回だけ転がる(?)というイメージが浮かばなかった様子で、なぜ「各位の卵の数」が比べられるのかがわからず(各位に入ったたまごの数はあっているのですが)わからん帳行きです。
←ひつじ草さんのところと同じ、大かば・こかばの物語。ラッキー・マッキーもそうでしたが、同時進行の時間と言うのがまだ明確にイメージできないようです。これもわからん帳です。
次に学校ですが、ゴールデンウィークに「有給休暇制度」を作りました
遊休カードを作り、これを使う日は「ストレスなく休む」「親は文句を言わない」と決めました。これはお互いのために必要だったんです。
枚数は基本的に一月4枚です。
次の月に繰り越せます。どんぐり金星で一枚余分にゲットできます。
それと同時に↓のような週間予定カードもつくりました。
↑一日の終わりにその日の分をはずし、裏に一言日記を書きます。
書くのが嫌いなので私が書きます。
それに小豆が絵を加えたりします。
今やっと一週間が終わったところですが、遊休は二日とり、日記は7日分たまりました
たまった日記を読むと楽しそうです。
←右ページに貼り付けてあるのが遊休カードです。レオンくん孫悟空バージョン。きんとうんに乗ってます。
頭のわっかは誰につけられちゃったのかな?むふふ。
これも「思い出しやすい」工夫のつもりです。
この辺で時間切れ。ではまた〜。
Last updated 2007.05.15 13:11:53
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2007.05.13
これからデンタ君を試される方へ
[ どんぐり倶楽部 ]
朝から二回も記事が消えてしまい、泣きそうです。
はじめに書くつもりだったこと、もう書く気力がないので、デンタ君について思い出したことを。
これからはじめようと思っていらっしゃるお母さん方も多い気がしますので。
小豆がデンタ君で計算を始めたのは去年の9月の終わりごろです。
その頃小豆は「数えたし」をしていました。
たとえば4たす3なら4をいったん出し、それをまた0に戻して「5,6,7」と3本まで折ってかぞえていくのです。
この数え方だと10の補数がわからなくなるんじゃないかな、と心配でした。
それで一度は「その数え方だと間違いやすいからこうしたら(4本だし、そのあといっぺんに3本を加えるやり方)と提案したのですが、「いや!」と・・・。
小豆はそう言い出すと頑固なのであきらめました。
ですがでんた君は大事だと思いましたので、ルールは決めました。
「計算は絶対に指(デンタ君)をつかわなくてはいけない」と。
宿題はマシーンが稼動していましたが、一問か二問はわからないふりをして「でんたく〜ん」と呼んで小豆に出動してもらいました。
それも毎日ではありません。自分が「解かなくてはいけない」と思わない分、気楽にデンタ君を楽しんでくれたようです。
それから週に一回くらいはこれだけ算数計算編のデンタ君つきの計算問題を一緒にしました。
このときは数え足しでないやり方を一緒に確認しました。
これだけ算数計算編のデンタ君のプリントを見せながら一回に一組ずつです。
たとえば今日は「7と3だよ」という風に。
でも普段は相変わらず数え足しをしていました。
「この子はデンタ君も出来るようにならないんじゃないだろうか。でも文章題はずいぶん楽しんでくれるようになったんだからいいとしなくちゃ」。なんて思っていました。
シールを使ったのは本当に4回ほどだったように思います。
それでも変化が見えてきて、いつの間にか五トビの数え方をマスターしていましたし、時計もうまく目盛りを数えられるようになっていました。
どんぐり先生の言葉で私たちが良く困惑してしまうものの一つに
「子供はわかってます」というのがあります(違いますか、他のみなさん?)。
10の補数がわかっていないのです。という質問、「繰りあがり・繰り下がりがわかってないんです」という質問。。。
「子供はわかってます」と答えられると「違うもん!」と反抗したくなりませんか?
え、私だけ・・・?
私もずっと「だって、この子わかってないもん」と思ってました。
小豆は「7といくつ?」と聞くと「4!」なんて答えていましたから。
でも・・・ちょっとわかるようになってきました。
子供は生まれた時からずっとずっと、自分の手を目にしています。
小さい赤ちゃんは自分の手をひらひらさせてじっと見つめて遊びますもんね。
自分の指が10本であることも本当は感じているのだと思います。
だけど「明確にイメージ再現」したことがない。
だから「デンタ君」という名前で「しっかり、意識的にイメージ再現」しやすくしてあげれば子供たちは自分で気付くのだと思うのです。
だからデンタ君は「教える」というよりも「確認する」「意識的にイメージ再現する練習」するという感じだと思います。
たとえば高学年で繰り上がり・繰り下がりの計算ができないというお子さんがおられます。でも・・・そのお子さんに「指で11を出してみて?」とたずねた時、そのお子さんはどう答えるでしょうか?
「できないよ。10本しかないもん」じゃないのかな?
もしそう答えてくれるなら、この子はもうわかってます。
指は10本。8に4を足したら両手で足りないことも(本当は)知ってます。
きっと今まで気付いていないだけ。意識してこなかっただけです。
だから「気付くように」「意識できるように」デンタ君を使ってみませんか?
答えられないとき(もしかしたら出題の意図が読めなくて困っているだけかも知れないので注意)も大丈夫、デンタ君がついてます。
どんぐり先生のびっくり発言(私にとって)「人間は一度目にしたものは覚えています」・・・
嘘でしょ、私忘れますが・・・
「思い出せないだけです」・・・な、なるほど。
「思い出しやすいように」タグをつけておく工夫が必要ってことでしょうか。
「デンタ君」って名前、素敵な工夫ですね♪
え〜、ですから・・・これからデンタ君を試される方へ・・・そらまめの反省をこめてのメッセージ
◎ デンタ君は「特訓」ではなく、楽しくイメージ再現する練習をしてください(自戒をこめて)。イメージ再現する時にお母さんのあたたかい手が自分の手を触っていた記憶がよみがえると最高ですよね♪優しい声も♪(自戒をこめまくって)
◎ 数え足しをしている子にはそれを否定しないであげてください。・・・だってそのお子さんは自分で工夫して「計算する方法」を編み出されたんですから。言葉 かけの例「自分で工夫してすごいね!他にはどんな工夫があるか知ってる?こんなのもあるんだよ(デンタ君のプリントを見せるほうが視覚に入りやすくてよい と思います)。
※ がんばって「あたたかい優しい声」で♪
※ 間違っても「ほら!違うでしょ(怒)」ってやらないでね♪
昨日は母の日でしたね。母になれた喜びと幸せを味わいながら、デンタ君でお子さんとスキンシップ♪素敵ですね。
Last updated 2007.05.14 08:44:37
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2007.05.10
続きのつづきはもうちょっとまってください
[ どんぐり倶楽部 ]
先日の小豆のメールにレオンくんがお返事くれました。
みなさんにもご披露しますね。
>たとえば8+7だったら、8から3をひいて、7からも2をひいて5が二つできて
>10、とっておいた3と2をあわせて5・・・だから15でしょ?
>5のかたまりを作るのがポイント。
○ポイント〜〜〜〜〜〜!どすえ〜〜〜、ようきづきはりまったなぁ...へん?
>引き算もたとえば12−7だったら、12は5+5+2でしょ?7は5+2。5+
>2のところが一緒だからそこをとって残りは5。13−7とかもできるよ。13は
>5+5+3。7は5+2。5どうしを消して、あと3から2をとって、5と1で
>6.
○んだんだ、そげなふうにけいさんするだよ。
>内緒だけど50のかたまりとか500のかたまりも便利だよ。100とか1000
>とかになるもん。5がつく数字を二つあわせたら最後が0の数になるよ(←本人の
>言葉です)。
○ないしょないしょ。ひみつはいっぱいかくれてる。こっそりたのしもう!
>二つ分にするのも、二つに分けるのも5の塊で簡単に出来るよ。たとえば16を二
>つに分けるときは10を5と5にして、6を3と3にして、5と3で8。8を二つ
>分にするときは5が二つと3が二つだから16。ね、簡単でしょ?
○ふふふ...すてき。すうじのおともだちだけ。
>ぼく、算数がもっと楽しくならないかとおもって、ずっと考えてたんだよ。休憩時
>間も多分遊びながら考えていたのかも。でも考えていたことは覚えていないんだけ
>ど、休憩の時間が終わったら思いついたよ。
○ずっと、かんがえてるってところが一番すごいことなんだよ。わかるとかわからな
いとか、できるとかできないとかじゃなくて、ずっとかんがえてる...これが本当の
力っていうんだ。本当に自分が納得するまで考え続ける。
>工夫して早くなったんだからいいよね?
○うん。
>母ちゃんを怒っといてね。
○あっぷ!
>今日はタレパンダの問題をやったよ。夜はパンダのことをテレビで見たよ。昔パン
>ダは肉食だったんだって。パンダの指は7本あるから笹がつかめるんだって。
○ぼくは2本。
>ぼくの工夫どうだった?面白かったらお返事ください。
○すてきでホレボレしながらよんだヨ。発見ってたのしいよね。ワクワクドキドキダ
ヨネ。分からないことや難しい事って素敵です。
レオンくんお忙しいところをありがとう
小豆は昨日、宿題の計算問題を一問、ものす〜〜〜っく複雑に考えてました
絶対五のかたまりを作ろうとするので、かえって難しく計算してます。
たのし〜〜〜♪横で見ていてホレボレ(?)しちゃう母でした。
それからもう一つ。
是非是非紹介したい記事が!
月と地とさんのところのD君、「筋肉豆腐」で傑作をモノにしてくれてます。
もう絵はいつもながら見事なんですが、考えた過程もす・て・き!
こんな風に最後までがんばって考えられる5年生、実はそんなに多くないんじゃないかなぁ?
ぜひみなさんも鑑賞にお出かけください。
感想もお願いましす(月と地とさんのところに)。
Last updated 2007.05.10 10:11:12
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2007.05.08
出来ると決まっていることを練習させる時間は無駄、という話の続きです
[ どんぐり倶楽部 ]
長い題になってしまいました。
コメントくださっている皆さん、ちょっとお返事待ってくださいませ。
えっと、昨日工夫の話なんかが間に挟まってしまい、要点がぼけました。
私の頭の中っていつもこうなんですよ。話がまっすぐ一本道に行かなくて・・・
すみません。
今日の記事を書く前にあらかじめ要点を書いておこうと思います。
自分がずれそうになった時に戻れるように・・・。
○1000問の計算練習は1問の丁寧なデンタ君に及ばず
○計算練習「させている時間」はすべて無駄
○デンタ君が素敵なのは「いつも子供とともにある」「体感できる」→安定感がある→吸収力が増す→学力が伸びる。さらに自己肯定感を養成できるから。
○良質の文章題ですら、大人になれば案外解ける(いや、難しいのもあるけど)。
→これは「イメージ再現の元になる原型イメージが体験により増えたため」(『新絶対学力』より)
→だから「解けるようになる」ことは「出来るようになるとわかっていること」
→ゆえに答えは重要でない。
○では「良質の文章題」をつかって何を養成するのか?
→工夫することがすばらしいという価値観&工夫・試行錯誤を嫌がらない心
→絵図化する練習
→言葉から視覚イメージを再現し、操作する力(必要な情報を的確に絵図に盛り込むことは練習なしでは難しい)
→筆算など、計算の過程を「記録する習慣」
→間違いを恐れない心
→「わからん帳」・消しゴムを使わないこと・ノートを広く使うことなどの「正しい学習習慣」
○その他(そらまめが小豆に教えてもらった「出来るようになると決まっていること」)
・暗算(高速でない普通の)出来る程度の数量感覚
・・五トビの数え方
・頭の中でイメージを再現・操作すること(簡単な文章題を筋道立てて解ける程度)
※ただし↑は「良質の・吟味された教材」と、それを「数少なく」与えることで生まれる「味わい楽しむ時間」があること・また逆に「阻害要因」がないことが必要条件。
○高速多量計算を「やらされる」ことは反射的な思考を強化し、深思考を妨げる。また「早い」「多量」が「よいことだ」という価値観をもたらし、ゆっくりじっくり考えることができなくなる可能性が高い。
○言葉からのイメージ再現は「しない習慣」がつくと「できない」につながる→普段の生活でも「目に見えるように話す」のが大事。
と、一応要点を書いておいて、また途中になるかもしれませんがここから本文です。
えっと、別に私は「デンタ君を特訓しましょう」と呼びかけているのではありません。
いえ、これはどんぐりママさんたちには自明のことだと思いますが、最近新規の方も多いようなので、念のためです。
小豆はデンタ君さえあまりさせてくれませんでした。
「7と3」など、私の方が答えをいう形で少しずつです。
本当に少しだけ。
それで十分でしたよ、という話なんです。
大事なのは「計算には指を使わなくてはいけない」という信念ですね。
特訓の回数ではないんです。
デンタ君以上に効果的で安定した教具はない、という信念です。
昨日の記事への月と地とさんのコメントにもありましたが、「指を使ってはいけない」といわれて計算練習をさせられる弊害は計り知れない、と私は感じています。
特に低学年でまだ「数の概念」が「体得」できていない子への害は計り知れないのでは、と危惧します。
小豆も一年生の時、「指をつかったり絵を描いたりしてはいけない(計算のとき)」と指導されました。
この点に関して先生に理解を示すつもりは毛頭ありません。
早く気付いて一刻も早くこの指導をやめていただきたいです。
それと同時にもっともっと責められるべきは母親の私だと思います。
百玉を与え、宿題の計算プリントを嫌がる小豆にやらせたのですから。
最愛のわが子の大事な手をないがしろにした罪は重い。
母親の影響力は計り知れないのですから。
小豆ははじめデンタ君に異常に抵抗を示しました。
この抵抗を解くのは大変でした。
「小豆や大豆が生まれた時、もっともっと小さい手で、ぎゅ〜って何かを握ってでてきたよ。小さいけどしっかり母ちゃんの手を握ってくれたんだよ。嬉しかったよ。
大きくなるとだんだんとこの手をつかっていろんなことをして見せてくれるようになったよね。あっちって指差したり、欲しいものを掴んでみたり・・・幼稚園に入ったらはさみを使うようになったし、クレヨンで落書きも。折り紙も今はこの手で作ってくれるね。
母ちゃんにとってかわいくてかわいくて嬉しくて、大好きな大好きな宝物の手だよ。
どんぐり先生がね、この手は計算も出来るんだよ、って教えてくれたよ。
百玉そろばんじゃなく、小豆のこの宝物の手で。
お母ちゃん知らなかったんだ。百玉なんていらなかったんだね。
大事な宝物の手は、そんなにすごいのを。ごめんね。」
こんな言葉を何度もかけました。
それでようやく小豆はデンタ君をつかってくれるようになりました。
でも本当、数えられるくらいの回数だと思います。
学校での計算練習の回数、ドリルでの反復、そういうものに比べたら富士山と平地くらいです(効果は逆ですけど)。
話がまたそれ気味ですが、ですから「計算は出来るようになる」といいたいんです。
徹底反復なんかしなくても。
もちろん小豆がいまパーフェクトに計算できるとか、早く出来るとか、そういうことではありません。
でも「良質の文章題」にゆっくり・じっくり・丁寧に取り組んでいればだんだんと出来るようになってくると思います。
だからそういう練習をする時間は本人の「自由に遊ぶ」時間に使えば親子ともにストレスがありません。
そしてまた「自分の指」以上にすぐれた教具もありません。
TOSSが百玉そろばんをすすめる理由の一つに「ADHDなど、手先が不器用な子でも扱いやすい」があります。
タイルなどだと散逸したり、不器用な子にはうまく並べられなかったりします。
この理由は確かに全うだと思います。
ですが「指」はもっといいです。
だって「いつでもそばにあり」「絶対なくさない」「目をつぶっても確認できる」のです。
「本当に両手で10?」と思ったらすき放題数えることができますよね。寝転んでいてもできます。
母親にとっても大事な大事な子供の指です。わが子の指を触ってデンタ君の使い方を伝える・・・フラッシュカード・百マスをさせている姿とどちらがあたたかく感じられますか?
と。。。ここで時間切れ、続き&コメントへのお返事、もうしばらくお待ちください。
Last updated 2007.05.08 17:19:48
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2007.05.07
出来るとわかっていることをさせる時間はすべて無駄です。
[ どんぐり倶楽部 ]
連休明けましたね。
小豆は重い足取りながら「K先生(算数で個別対応してくださっているTTの先生)にどんぐりノート見せる」と、全三冊のノート(膨れているから結構重い)をもって学校に行きました。
多分明日は休みますが
連休中に有給休暇カード作ったんですよ。
二人で絵を描いたんですが、小豆はレオンくん孫悟空バージョンなどを描いていました。
今月は4枚+1枚(ボーナス)。これでぼちぼち乗り切れるといいな。
さて、昨日の記事に書いたことの補足です。
どんぐり先生はよく「出来るようになるとわかっていることをさせる時間はすべて無駄(子供に無用の負担をかける時間)です」とおっしゃるんですが、 私を含め、多分たくさんのおやたち(指導者)にとって「出来るようになるとわかっている」ことがわからない・・・ってことないですか?
たとえば今2年生で時計の単元が終わったのですが、「時計が読めない」と焦る。
一年生であれば「繰り上がり・繰り下がりの計算ができない」とか・・・。
うちの小豆の場合、デンタ君がうまく使えないことが心配でした。
目で見て、指を感じて考えているというよりも「数えて」いる状態でしたから、「このままでは10の補数がわからないままじゃないのだろうか」と気になりました。
また「無限計算機デンタ君と横筆算」をどんぐり先生がアップされた時も、「練習させなくちゃ」と焦ったものの、小豆は断固拒否(いや、酢のコンニャクのと逃れていました)する様子でしたから、「練習させる」ことをあきらめざるをえませんでした。
もういいや、とあきらめたあと、ケンバーンさんのブログからヒントをもらい、デンタ君使用時に小さい丸いシールを指先に貼る工夫を思いつきました。
たとえば8+6だと赤いシールを8個、青いシールを6個手足の指に貼ってみました。
引き算の時はたとえば16−8だと、赤シールを10個(両手)、青シールを6個(足指)はり、「どこを取る?」と聞いて8個はがす、という風にしてみました。
これは「くすぐったい!」と不評だったものの、視覚にしっかり認識されるので(私は)良かったと思います。
ただこれも全部で4回ほどやっただけです。
あと考えていただけでまだ実行はしていないのですが、時々小豆が「指一本が10とすると」などとデンタ君を使っている時に○シールに10と書いて貼ってやろうかな、なんて思っています。
でもわりとうまく数えているので必要ないかも。一回くらいはやってみたい母です。
話がそれました。
「出来るようになるとわかっていることを・・・」の話に戻る・・・ところで時間切れです。
とりあえず途中までアップしますね。
Last updated 2007.05.07 09:45:24
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2007.05.06
タレパンダ巨大化計画
[ どんぐり文化祭 ]
本日二つ目の記事です。
先日ほにょ家ご長女の見事なタレパンダちゃんを拝見。
「小豆のパンダも見たいよ〜」とおねだりモードの母(全くかわいくないけど)。
「え〜、あんまりギャグが思いつかん」と嫌がっていた小豆。
でも今日、暇そうなので「みんなでどんぐりやる?」と誘うと「じゃあ母ちゃんのリクエストに答えようかな」と・・・。
結局父ちゃんが5mに挑戦、小豆が1mを。
↑パンダ、タレてますね〜。
以前王子動物園でパンダを見たのですが、こんな風に垂れてました。
模様は変です・・・
明日から学校ということで、心細さを感じていた様子。
檻とオレンジ・茶色の色使いになんとなくそういう気持ちが表れているような・・・。
メイさんを見習い、一行ずつ読むことに。
タレパンダ君が巨大パンダになろうと思う。。。ところまでで左ページの絵を描きました。
そして「ケーキ一個で1m、ジュース一本で50cm身長が伸びます。一回の食事はケーキ一個とジュース2本がセットです」。
でもここできったらわけわからんなぁ、と最後まで読みます。
「目標達成までにジュースを何本飲むことになりますか」
「一メートルと50センチ?」とここは「?」。
習っていない事項なので「1mは100cmだよ」と単位換算表を見せました。
小豆「セットってハッピーセットみたいなもの?ジュースを一本にするとかはできんってことでしょ?」
母「そうそう」。
で、どうするのかな・・・と思っていると右ページにいきなり線分図を!
ほにょさんには「大丈夫ですよ〜」なんていったくせに、わが子が描くと焦る。
「え?線分図はまずいんじゃない?」←母の心の声。
で、はじめは6等分しようと思ったようですが、うまくいってません。
そのあと「ケーキ一個で1mと・・・ジュースは1っポンが50cmで二本・・・」
「かねたく〜ン」などのコールがかかる、またはわからなくなる、と予想していたのに・・・
あっさり「一回で2m伸びる!」と。
そのあと、2セット目、3セット目を描いて「これで6m!」。
おお!すごい!目玉が飛び出そうなくらい驚いた母でした。
小豆「え〜っと、だからジュースは6本」
あっさり正解。え?え?大丈夫?なのかな?
実は小豆にこの問題一度で正解できるとは思いもしませんでした。
塾でこの問題が一回でとけた子はいません。
かなり出来る子でも「セット」に引っかかるようです。
600÷50としてしまう子が多いです。
「ジュース」の本数を聞かれていて、ジュース一本で50cm伸びるから・・・と考えてしまうようです。
問題の情況をイメージすることなく、問題の中の数字だけで解くくせになっているんですね。
先日近所のお母さんに聞いた話で気になることがありました。
この家の長女Sちゃん(ことし6年生)は文章題が特に苦手だそうです。
4年生くらいの時に担任の先生が「「あわせていくつでしょう」とか「全部でいくつでしょう」とか、文章の中にそういう言葉があるときは足し算だ」と教えてくださり、それ以降、この手の問題は出来るようになった。感謝してる。。。と。
この教え方、危険ですね。
たとえば「ありんこ小学校の生徒は全部で100人です。女子と男子が一列ずつに並んでいます。女子と男子が手をつなぐと20人余ります。女子は何人いるでしょう?」
絶対わからないですね。
大事なのは「文章題の情況をイメージできること」、つまり「言葉からイメージの再現が出来ること」のはずです。
逆に言えば「イメージ再現」ができれば計算できなくても答えられる。
とはいえ私もどんぐりに出会うまで、この先生と同じでした。
そして頭を抱えていました。
ほんの少し言葉が変るだけ、ほんの少し情況が変るだけで全く手も足も出なくなる・・・
一つ一つパターンを教えていくのは絶対無理!
どう教えたらいいんだろう・・・。
「言葉ではなくイメージで考えている」!
「言葉はイメージを導くためのトリガーである」!!
どんぐり倶楽部に出会った私たちはもう大丈夫。
。。。書きたいことは山ほどあれど、明日に備えてもう寝なくては。
また明日続きを。。。かきたいなぁ。
Last updated 2007.05.06 23:54:54
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2007.05.06
感動をありがとう・・・
[ どんぐり文化祭 ]
先日学校の先生に「小豆君はLDかもしれないと思います」と言われたと書きました。
そうであっても別にかまわない(この言い方は語弊がありますが)のですが、
それならそれでどこに困難を抱えているか判断しなくては、と思い
「マとア」などにている字の筆順塗り字(っぽい)プリントをつくり、
「どこが違う?」と聞いたら見分けることができた、と話しました。
その話をさえぎってその先生(養護の先生です)は「頭が悪いって言っているんじゃないんです」と・・・。
いやこっちも別に「頭がいい」って言っているわけじゃないんですが・・・。
読みより「書く」方に困難があるかなぁ、と話したかっただけなんですよ、先生。
どんぐりノートも「これじゃぁ学校ではついていけないでしょう?お母さん」って。
はははのは、です。
「別に6年生までに漢字一字もかけなくても先生方を恨みはしませんので、高速大量学習はさせない方針です。あの子にプラスになるとは思えませんし、むしろ害になる気がしています。」
と、その日家庭訪問に来てくださった担任の先生に話しました。
とにかく学校での計算の時間、書く時間に大抵抗をしている小豆です。
そんな小豆、今日寝る前に私に秘密を教えてくれました。
というのは最近、なんだか計算がうまく、早く(と言っても高速ではないですよ)なってきた気がして「ゆっくりじゃないと〜」と、わざと言ってみたんです。
それにたいして小豆は「自分で考えた工夫」を教えてくれました。
そのことをどんぐり先生とレオン君たちにも教えたいと言うのでメールを代筆しました。
それをここに転記しますね。
先生、レオンくん、ベオン君へ
ぼくね、「ひき足し算」と「足し引き算」を考えたんだよ。
たとえば8+7だったら、8から3をひいて、7からも2をひいて
5が二つできて10、とっておいた3と2をあわせて5・・・
だから15でしょ?
5のかたまりを作るのがポイント。
引き算もたとえば12−7だったら、
12は5+5+2でしょ?
7は5+2。
5+2のところが一緒だからそこをとって残りは5。
13−7とかもできるよ。
13は5+5+3。
7は5+2。
5どうしを消して、あと3から2をとって、
5と1で6.
内緒だけど50のかたまりとか500のかたまりも便利だよ。
100とか1000とかになるもん。
5がつく数字を二つあわせたら最後が0の数になるよ(←本人の言葉です)。
二つ分にするのも、二つに分けるのも5の塊で簡単に出来るよ。
たとえば16を二つに分けるときは
10を5と5にして、6を3と3にして、5と3で8。
8を二つ分にするときは5が二つと3が二つだから16。
ね、簡単でしょ?
ぼく、算数がもっと楽しくならないかとおもって、ずっと考えてたんだよ。
休憩時間も多分遊びながら考えていたのかも。
でも考えていたことは覚えていないんだけど、休憩の時間が終わったら思いついたよ。
もしかしたら春休みがおわった時に思いついたのかも知れないけど、忘れちゃった。
母ちゃんが「最近計算が早くなった」って怒るから秘密を教えてあげたんだよ。
工夫して早くなったんだからいいよね?
母ちゃんを怒っといてね。
今日はタレパンダの問題をやったよ。
夜はパンダのことをテレビで見たよ。
昔パンダは肉食だったんだって。
パンダの指は7本あるから笹がつかめるんだって。
ぼくの工夫どうだった?
面白かったらお返事ください。
おやすみ〜。
これをどんぐり効果、デンタ君効果といわずして何といいましょうか?母は感動しました。
もちろんこれくらい誰でも考え付くことかもしれません(塾の子供たちをみているとそうは思えない私ですが)。
そして2年生の小豆が思いつくのはむしろ「遅い」のかもしれません。
でも間違いなく本人が自分で思いついたんです。
だって私は教えてないし、去年は不登校だったし、今年も時計の単元だけですもん。
それに「工夫」を考えていたこと自体がすごい!←親ばかです。
本当は何度「5のかたまりをつくれば良いのよ」って教えかけたことか・・・。言わなくて良かった〜〜〜
ア、もう一つ文をわすれてました。
どんぐり先生、追伸です!
「どうやって工夫するか考えていたら計算もお絵描き算数の次に楽しかったよ。五の塊探すのがおもしろいよ」だそうです。
そうそう、今日は先日ほにょさんの長女ちゃんが傑作をものにしておられた「タレパンダ巨大化計画」の問題をやりました。
これも感動でした。
長くなるので次の記事にアップします。
では続く〜。
Last updated 2007.05.07 00:23:26
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2007.05.01
ほにょ家のお嬢’s・・・会心のどんぐり!
[ どんぐり文化祭 ]
我らがアイドルほにょりんからいただきました(どーだ、恥ずかしいだろ)。
最近絶好調の長女のどんぐりです
一年の問題87です
1mを3マスの計算で、6mを18マスにして絵を書いてました
親馬鹿的には゛スゴイ!゛やけど、これは悪評高い線分図かな?
確かに線分図の元になる図だけれど、自分で編み出したのと、出来合いのものを与えられたのでは全く違います。
すっごいわ〜〜〜!
続いて次女ちゃん。
年長07です
あまり楽しそうに書いてるので、どんぐりをしてるってことを私が忘れてしまい(おい・)、「こたえ9!」って叫ばれたとき(次女はすぐ叫ぶ・)何を言ってるのか一瞬わからなかったです(^_^;)
ウチはこんな感じでやってますが、どうかな?
最高だと思います!
Last updated 2007.05.01 16:15:25
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2007.04.29
Aちゃん(新小6)の作品とそらまめの駄作・・・
[ どんぐり文化祭 ]
春から小6になったAちゃん。
本当に物静かでほとんど声を聞かせてくれません。
はじめは4Mを中心にトライしていたものの、思考停止で時計と睨めっこ、という状態に。
3月からは思い切って1〜3Mに問題を絞りました。
六年生での学習事項の概念を含むものを中心に、あとは割合も入れて問題を選んでいます。
昨日描いてくれた1m、ラッキーとマッキーの落ち葉拾いがあまりに素敵なできばえだったので写真を撮らせてもらいました。
←写真がいまいちだなぁ・・・
でもすごくメルヘンチックな絵でした。色使いも素敵♪ラッキーとマッキーを一生懸命に描き込んでいる姿が嬉しかったです。
私が余りに感動しているので照れていました。
まだ固さが強い彼女ですが、だんきち先生のようにもっと「一緒に楽しむ」ように心がけて彼女にリラックスしてもらいたいとおもってます。
それから新しく入った小5の女の子。
元気一杯ですが、絵に苦手意識が強い様子です。
←先週までの3回はこんな風な「図」しか描いてくれませんでした。
昨日思い切って0m(それもうちなおさずに平仮名)をだし、「この中から選んで」と・・・。
するとねぼすけ朝顔の問題を選びました。
私は私で一生懸命に絵に没頭。
彼女は途中何度も「描けない」と言います。
消しゴムを使おうとするので「あ~禁止!」というと困った顔。
見ればノートに(今までの図とは違って大きく)朝顔が描きかけてあります!
画像がなくて申し訳ないのですが、感激して「すごい!いいよ!消さないでよ!」というと照れくさそうにしながら続きを描いてくれました。
まだ「精読」する習慣がついていないため、「明日はいつもより5個多く咲きます」というのを「五個咲く」と早合点して5個の朝顔。
「昨日はいつもより二つ少なくて3つ咲いていました」も、せっかく三つ描いた朝顔を2つバッテン。。。
そこでハタと手が止まりました。
一緒にもう一度ゆっくり、一行ずつ問題文を読み、「今日は咲いていない」「明日はいつもより5個多く咲く???」「昨日はいつもより二つ少なくて三つさいていました???」
問題文の中の数字しか頭に入らず、なかなか情況がイメージできない様子です。
でも「明日は5個じゃないよ」というと一生懸命考えて「昨日は3個咲いたんだ!だからいつもは5個」と気付き、正解にたどり着きました。
このあと虫歯のわにさん、虹色の風船など・・・初めて色つきの絵を描いてくれました!
嬉しかった〜!年長問題のパワーはすごいです!
今度お願いして写真を撮って来ます。感激していて忘れてました。
さて話は変ります。
先日だまたさんのブログとふぃりぱさんのブログで話題になっていた問題二つ。
私もお絵描きに挑戦しました。
でもだんきちさんみたいには描けないんですが・・・下手でもいいよね>自分。
6m04です。
←怪しい?
←4m21
←はじめに描いたものです。
←短針を亀さん、長針をうさぎにしてみました。これだけじゃやはりわかりにくいなぁ・・・
式も一応・・・
←本当は式なしでわかる絵が描きたいので、またあとでトライしてみます。
以上恥ずかしながら初アップさせてもらいました。
Last updated 2007.04.29 13:27:15
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2007.04.18
二年生初どんぐり
[ どんぐり文化祭 ]
小豆、先週は休まず学校に行きました。
それも朝登校班で行き、同級生と一緒に下校。
がんばってます。
さすがに疲れた様子で、昨日はお休みしました。今朝も「嫌だ〜」と言いつつも、何とか学校に。
去年のように「お腹痛い」とか大泣きするとかは今のところありません。成長を感じていますが、もちろんまた調子が落ちることもあるでしょうし、ゆったり見守るつもりです(むずかしいです)。何かあったらまた助けてください。
学校に行くだけで精一杯、とてもどんぐりは無理だった先週(一応声はかけてみたけど断られた)。
「よし、今はまた『待つ』時期だ」と私が一生懸命お絵描き。
昨日はコロコロとゴロゴロの問題をやっていたら横から手を出し、ごろごろを描いてくれました。
さて今日、帰宅後の様子が割りと落ち着いていて、なんだかゆったりしている小豆。
むくむくと欲が出る母。
「どんぐりやらない?」と声をかけると「う〜ん、やる」
やった〜。
選んだのは1M88.
今日はひかるぴょんの誕生日です。カラスさんからは高級クモを5匹、もぐらさんからは柔らかミミズを8匹もらいました。クモはミミズの4倍の値段がします。クモ一匹の値段が80円なら、みなで何円分のプレゼントをもらいましたか?
←ひかるぴょんはこの前の続きで3号です。カラスさん用に止まり木が用意されていました。
見えにくいですがミミズとクモも描かれています。
←こちらはお隣のもぐらさんのおうち。いろいろと仕掛けを話しながら描いていきます。
さて・・・絵が描けた後は計算。
「かねたく〜ん」と、コインを呼び出します。
そしてなんと!一円玉80個を・・・(貯金箱の中は一円玉が一杯)。
「10円にしろよ〜」と、心の中で叫ぶ母。
山のような一円玉。「40円・・・あ、半分じゃないんだ」とつぶやきつつ少しずつ一円玉を分けていきます。
「5個ずつ・・・ア、全然ダメ(山を崩す)・・・12ずつ・・・またダメだ」と言う風に実に根気よくやってます。
母、見ているのが辛い〜〜〜!
一回ずつ山を崩してさらにする・・・もどかしい!!!
子供は工夫、親は忍耐のどんぐりです。
←結局16までで今日はギブアップ。
メモしてまた今度、になりました。
・・・と思っていたら・・・
先ほどお風呂に入っていたときのことです。
「はじめは40円だと思ったんだよ」と言う小豆。
小豆「半分だったらすぐわかるんだよ。40円。でも4つに分けなきゃいけないんだとおもってやり直したんだよ〜」と言う小豆。
母「ああ、そうか。気付いてすごい!」
小豆「指貸して。8にしてよ。ほら、半分だ40と40だもん」
と、私の指を4本ずつ立てさせてじ〜〜〜〜っと見ます。
小豆「わかった20円だ!あとは足し算していくだけだ〜」←って、これが大変だと思いますが。。。
デンタ君パワーはすごいっすね。
ノートに20とメモしてお休みなさいです。
2年生初どんぐりでした。
Last updated 2007.04.18 21:32:45
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2007.04.16
今年の目標
[ 塾でのこと ]
最近ちょっと頭が飽和状態で・・・書きかけて途中でやめている記事ばかりです。
l今日もちょっとだけ覚書的に書かせてください。
去年どんぐりに出会って、塾でも使うようになって・・・
「え?うそ?こんなのもできない?」「これもわかってなかったの?」と、はじめは驚きの連続&「できない」ことに焦ってしまった私でした。
無駄の多いどんぐりもどきになっていたと思います。
「子供はわかってます」というどんぐり先生の言葉、これがわかってなかったんですね。
そう、子供は本当はわかっているんですよね。
だから・・・今年は子供たちが生活の中で体験していることと机の上の勉強(どんぐり)をきちんとリンクさせてあげられるように修行します。
子供たちに負担をかけるのでなく、負担を軽くする勉強。。。
学校での勉強が実生活と結びつけば、子供たちの学校生活はもっと楽で豊かになるんじゃないかな。
思うに社会にでて、単に計算のための計算をすることってほとんどないですよね。
漢字を書くために漢字を書く(?)ってことも。←チョイ表現がおかしいですが。
「なにか」の目的があって漢字を使うし計算をするんですよね。
だから「漢字を書くこと」そのもの、「計算すること」そのもの、に何か意味があるような指導は変だと私は思います。
この春から入塾してくれた新小5の女の子、1Mに大苦戦しています。
でもそれはちっとも不思議じゃない。今年は私も「できない」と焦ることもありません。
彼女ともゆっくりゆっくりどんぐりを楽しんで行こうと思います。
作戦会議作戦会議(誰とかなぁ?)・・・。
Last updated 2007.04.16 15:48:35
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2007.04.09
新学期スタートですね。
[ どんぐり文化祭 ]
楽しかった春休みもおわりました。
毎日これでもか!というほど遊んだ小豆です。
昨日はお花見。かなり長い時間歩きました。
一緒に歩いてくれたのは私の友人で理学療法士さん。彼女はいま障害を抱えるお子さんの療育施設で働いています。
うちのまめ兄弟を見ながらしみじみ、「子供の遊びって本当に合理的だわ〜。いろんな訓練が自然にはいってるもん」とつぶやいていたのが印象的でした。
彼女は露天のおもちゃを見ても「これ使えるかな?」と・・・目がプロの目ですごく素敵でした
さて、話はかわります。明日入学式を迎える小豆の友達。
去年はバレンタインにチョコをくれたかわいい女の子・Nちゃん。
年末にどんぐりのCDをプレゼントしたので、少しずつ取り組んでくれているようです。
先日一緒にお出かけしたのですが、そのときにどんぐりノートを持ってきてくれました。
小豆と二人、楽しそうにノートの見せっこしている様子が可愛くて嬉しかったです。
同じ問題の絵でも全然構図が違い、発想も違い・・・子供の個性が強く出ています。
ママにOKを頂いたので、Nちゃんの作品を披露しますね。
↑これはありのりんこちゃんの涙池のおはなしですね。
6回で飲みきるという話をりん子ちゃんを6人描くことで表現しています。
なんだか詩的です。思わず魅入ってしまいました。
↑もぐもぐのお買い物のお話。もぐらだから、とトンネルが描かれていますね。
なぜかトイレが二箇所。妙にユーモラスです。
↑こちらがNちゃんの一番のお気に入り、くまの蜂蜜のお話です。
遊んでいるうちに3つのつぼが壊れてしまったという問題です。
こぼれた蜂蜜を拭こうと、熊さん、雑巾をもってます。
「えらいね〜」というと、小豆、すかさず・・・「新しい雑巾にしてまたなめればいい」って、おい!
母親の違いが出てしまいました(爆)。
美味しい蜂蜜やさんにたくさんの熊たちが行列しています。よだれが出てます
「おいしそう」「だめだよ」など、セリフもあって本当に楽しそうです。
「いいわ〜、すごくいい!」と感心してしまう私にいろいろと絵のお話をしてくれました。
←二人でドライブ中です。
ラブラブ〜
お兄ちゃんをとられて、大豆がやきもちメラメラでした
さてさて今日から新学期。
何ヶ月かぶりに登校班で学校に行きました。まだちょっとしんどそうなので、いつまで続くかはわかりません。
担任の先生がどなたになるのか、帰ってくるまでわかりません。さてさて2年生はどうなりますやら。
先日塾で新中一の女の子に「小学校は楽しかった?」と聞いたのですが、「1・2年はしんどかった〜」とため息のように答えてくれました。
ああ、どの子も一緒なんだな、と思うと少し安心しました。
また一年、ゆったりと見守ろうと思います。
進級おめでとう文化祭。
メイさんから出品いただきました
カードは花札だったんですね!
面白いわ〜すごく丁寧に絵柄が描いてありますね。大人にはかけないなぁ!
素敵です。メイさんがんばって花札付き合ってあげてくださいね!
私はいのしかちょう・五光・青たん赤たん・字たんくらいしか役をしりませんが、いろいろとあるんですよね?月見て花見て一杯とか・・・。
ん?酔っ払っているのはだれだ?レオンくんは未成年じゃ???ベオン君かな?
あ、そうだ、ベオン君、サングラス似合ってないって。小豆が言ってました
小豆のノートも添削してもらったので、今度また載せますね。まだ小豆にOKもらってないのです。
ドキドキの新学期。楽しいことが一杯ありますように!
Last updated 2007.04.09 08:24:05
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2007.04.06
わからん帳からの発見・・・続き
[ どんぐり倶楽部 ]
わからん帳の話の続きです。
3つの問題の共通点は・・・
それは「足跡(歩数)」がらみの問題だということです。
しっぽに鉄砲をつけた猿の話とマッキー・ラッキーの話、これらは「足跡」を書こうとしていますが、うまくかけなかった様子です。
お猿の問題と、ラッキー・マッキーのお話の間には、小豆のお気に入り、お昼寝亀さんの問題があります。
←そのときはこういう感じで答えを出し、とても嬉しそうでした。
そこで(多分)小豆はマッキー・ラッキーもそれまで自分がつかってきた方法で解こうとしています↓。
ところが・・・解けませんでした(かなり頭をひねってました)。
←最新のこれも歩数がらみです。
8歩で一回給油・・・ということで銀色の給油ノズルを描いています。
が・・・小豆、学校に着いたときは給油しなくていいのに気付いていません。
出発地と目的地が描いてないですよね?それが関係あるとは気付いていません。
この問題もわからん帳入りです↓。
時間経過と出発点、目的地がかかわってくる問題のイメージがまだ完成していない様子がよくわかります。
わからん帳を見ながら、この過程を見つけて嬉しくなってしまった母です。
この子にはまだ5年間、この「時間・距離(速さ)」の概念を練る時間、オリジナルの図を作り出す時間があるんです
わかるから・解けるから「描かなくてよい」とは思いません。「いつでも描ける」?本当ですか?頭の中だけでイメージする時、たくさんのエネルギーが必要とされるそうです。それを簡単に出来るのは本当に「余裕のある子」だけでは?
それに頭の中でイメージしているものを図にする時、本当にものすごく頭を使っているのがわかります。たくさんの工夫をします。
流れていく時間をどう図の中に盛り込むか?そのこと一つにしてもどれだけたくさんの思考回路が作られていくことでしょう?ワクワクします
いつ回路がつながるのかはわかりませんが、とてもとても楽しみです。
今日『子育てと教育の大原則』を読んでいたのですが、そこに遊びについての言及があります。引用していいのかな?
どうして「自主的な遊び」が大事なのかご存知ですか?
もっとも効果的な学力養成・視考力養成になるからです。
「自主的な遊び」は「感情=これでいい」と、「判断=こうしよう」と、「結果=あれ、違うぞ」「思ったとおり」の繰り返しです。
自分で予測したことをやって、その結果を自分の考えに反映させることの繰り返しです。バイオフィードとマッチングによる高度な進化過程の体現です。
小豆がやっているのって、これですよね?ね?勉強なのに遊びと同じように試行錯誤できてるんですよね?これってすごいことじゃないでしょうか?
どんぐりを実際にやってみると、本当に本当に「発見だらけ」です。幸せだ〜。
Last updated 2007.04.06 21:28:23
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2007.04.04
わからん帳から見えてくるもの
[ どんぐり倶楽部 ]
春期講習おわりました。
昨日は弛緩しきってました、ってすごく働いているヒトみたいな言い草・・・。
講習中・・・主人が休みで私が仕事、という朝・・・朝食をとってコーヒーを楽しんでいる夫にその日の授業内容を「聞かせて」しまい、←こんな顔されました。
そりゃそうだ、休みの日に、いきなり朝からbe動詞と一般動詞の話を延々聞かされたらげんなりしますね、はい。すみません。
この講習でまた感じたことがたくさんありました。
いずれゆっくり記事にしたいです。
その内の一つだけ。
小学校の時からきてくれて、7月からはずっと一緒にどんぐり問題に取り組んできたKちゃん・・・今回の講習にもきてくれました。
休憩中にぽつんと一言「中学になったら難しくなるよね、数学も」と、不安そうにもらしました。
実は小学生最後の授業で、中学校の問題を解いてもらったのですが、彼女はインフルエンザでお休みしていたんです。
どんぐりもかなり苦戦していた子でしたが、はじめは0Mに頭を抱えていたのに、今では5Mはあっさり。6Mもがんばれるようになっていました。
でも自分では一問に1時間かかること、2週間同じ問題に取り組んでいることなど、「自分は算数が苦手」という思いをさせていたのだろうと思います。
「それでいいんだよ」とずっとずっと言ってきましたが、やはりこういう不安を抱かせてしまったのはよくないです。
「よっし、じゃぁちょっとみんなで中学数学体験しようか?それも二学期の内容だよ」というとみんな「え?」という顔をします。
中2の春期講習のテキストから「方程式の文章題」をコピーしました。
「はい、じゃ、やってみて」
「?」という顔をしたのはこの講習で始めて塾に来てくれた子たち。
「習ってないのに・・・」と面食らっています。
「自分のやり方でいいよ。中学生のやり方は中学で習ってから」とはぐらかします。
時間と速さのからむ問題(速さの違う二人が追いかけっこするタイプとりんごとみかんをあわせて○個買い、180円のかごに入れると○○円でした、というタイプ)です。
鉛筆を持ったまま頭を抱えている外部性を見て、思うところがあったのでしょう、Kちゃんはいつものように(どんぐり方式)で蛇行する道を描いたり、りんごとみかんとかごの絵を描いたりしながらがんばります。
「答え、でたみたいだね?」と水を向けるとやや不安そうに頷きます。
見ればきちんと答えが出ています。
「その考え方でOKだよ。この絵を式にしてみて」というと嬉しそうに式を立ててくれました。
外部から来た子のノートを覗くと式だけなので、「図をかいてみて」と言うと、線分図を描く子もいます(ただし1分の中になぜか15分が閉じ込められている)。でも8割の子はどう描けばいいのかわからず、困っています。
Kちゃんのノートをコピーして配ると「あ、わかった」と納得顔(でもこの納得、本物とは違う場合もあります・・・わかったつもりになっていることが多いですから)。
Kちゃんの顔がパッと明るくなったのがわかりました。
あとでこっそり「どんぐりより簡単だった」と言いにきましたので、「でもさ、中学に入ったら、もっともっと簡単に解ける方法を教えてもらえるんだ よ。どんぐりも楽チンに解けるよ」というと「え〜、教えて」・・・「だめ、習うまで秘密だよ〜、お楽しみに」「それでも塾の先生なの?」・・・う~~~ ん、悩ましい質問です。
考えれば考えるほど、「どんぐり方式が学校に入れば塾はいらないよね」という結論に向かってしまう・・・。
さて前置き(?)が長くなりました。
ここでちょっと小豆のノートを紹介させてもらいます。下の三枚の写真、わからん帳入りしています(最後の一枚はこれから添削していただくのですが)。
←0m70
しっぽに鉄砲をつけている猿が動物園からにげました。しっぽには15発の紙でできている玉が入っています。3歩歩くたびに1発の玉を打つとすると、何歩で弾はなくなりますか?
←1m08
マッキーとラッキーの落ち葉拾いの問題です。
←1m54
バッタのパサパサがお誕生日に博士からジェットエンジンつきのスケボーを作ってもらうお話です。
一回の燃料補給で8歩分進めます。では48歩先の学校に行くには何回の燃料補給をしなければいけませんか?出発前は一回分の燃料が入っていることにします。
共通点がお分かりでしょうか?
と、ここ、まで書いて時間切れです。続きはまた後ほど〜。
Last updated 2007.04.04 20:34:55
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2007.03.31
う、うれしい・・・
[ 塾でのこと ]
●思い出しますねぇ。英語なんかでも耳を疑うようなことを普通に聞きましたからね。中3なのに(中3だけの塾OneZemiを開いていたとき)教科
書の英語もまともに発音できない状態で入塾→半月後→「SVがあるのに突然SVが出てくるって事は...接続詞thatが省略されてるって事だか
ら...」なんてブツブツ言いながら英文読解してる...。言いませんが内心「アルファベット読むのも怪しかったのに、コイツ本当に分かってる...」っ
て思いました。
※教え方(の理論)次第ですね。子供はヤッパリ凄い。
↑これは誰のコメントでしょう?ってわかりきってますね。
どんぐり先生です。
だんきちさんのところでこれを読んだのは春期講習が始まる前だったと思います。
ものすご〜〜〜〜〜っく、憧れました。
こんな情景を目にすることができたらどんなに幸せを感じられるか!
すごくすごく、憧れます。
どうすれば少しでもどんぐり先生に近づけるんだろう?
どうしたら生徒たちにこういう学びの楽しさを感じてもらえるんだろう?
ない頭で必死に考えました。
「子供たちの余計な負担をかけない工夫」
「忘れることを前提とし、思い出しやすくする工夫」・・・
・・・そして春期講習・・・
「これがSでこれがV。Vについているsは助動詞doseが・・・
だからDose he〜・・・で、場所がわからんからwhereで・・・疑問詞は一番前に・・・」
「ここはaじゃなくて、さっき出てきた犬と同じ犬ってことはわかる。だから・・・the」
新中二のMちゃん。。。春期講習も残すところあと2日。
「おわるのが寂しい。あ、でも普段の授業も来る事になったから」。
回数を重ねるごとにあくびが減りました。
彼女はどうも「わからない」と感じると反射的にあくびが出る様子。
わかってきたってことなんじゃないかな、と・・・。
考えている様子が生き生きしています。
集中出来る時間も徐々に長くなり、30分〜40分は休憩なしでやれるようになってきました。
しゃべろうとして、「あ、次の休憩に聞いてよ」と、今日は自分から課題に戻りました。
今回私がMちゃんから教わったことは山のようにあります。
今良い感じの彼女を一斉授業の中でもうまく支えていけるように、工夫しなければ。
本当に本当に、子供たちは信じるに値する存在です。
Mちゃんや他の子供たちに心から感謝
Last updated 2007.03.31 20:54:15
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2007.03.31
語順訳(覚書)
[ 塾でのこと ]
ちょっと走り書きのメモです。
語順訳についてですが、多分大学受験で英語を使った人や中学生の英語を教えられると言う方ならたいてい、この方法で読解しているはずです。
私も塾で英文和訳のときには語順訳を教えていました。
でも・・・
今回講習で「語順訳」をものすごく意識しながら授業をしてみました。
といっても語順訳「を」教えるということではなく、語順訳「で」教える・・・。
何を教えるかはその日その日のメニューですが・・・。
大きく言えば「英語は日本語とは違う文化の言葉なんだよ」「だからルールも違うの」「こういうルールがあるんだよ」etc・・・。
う〜〜〜ん、楽しい!&生徒の食いつきが良い!
やはりアルファベット(も大事だけど)やってる場合じゃないですよ、塾長!
講習おわったらゆっくり・・・書けるかな?
Last updated 2007.03.31 06:41:41
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2007.03.24
うさぎの神様&あれこれ
[ どんぐり文化祭 ]
年末にどんぐりのCDをプレゼントした友達。
少しずつお子さんと一緒に取り組んでくれているようです。
かわいい絵をパチンとうつしてまいりました。
←神様もうさぎさん。
しかもピンク、というところが女の子らしくてかわいいです。
神様の持ってる杖、すごく上手にかけてますね。びっくりです。ちょっと見えにくいですが、お星様にも一つずつ顔が描いてあります。
あ、このお嬢さんは年長さんです。
春からは小学生。楽しい学校生活が始まりますように!
次は小豆の作品です。
こちらはこだま先生の問題です。
「黄金のチケットが1枚あれば、空飛ぶドラゴンに乗れるよ。
黄金のチケットを1枚手に入れるためには、
黄金の種を20粒集めなくてはいけないのです。
ガルナージャの丘のてっぺんに登って
イダウヨチネタ
と呪文を2回唱えれば、5粒の黄金の種が目の前に現れるらしい。
空飛ぶドラゴンに乗りたいと思ったセーシュは
ガルナージャの丘に行って、呪文を唱えました。
さて、セーシュは何回呪文を唱えたでしょうか。」
←ドラゴンなどなど・・・。お宝のありそうな丘です。
←こちらが黄金の種だそうです。
ちょっとお笑い系ですな。
↓答えはまたしてもカネタ君の写し絵で。
一円玉二個が呪文二回を。五円玉が種五個を表しています。
←一円玉を数え、8回と答えもだしました。
↓こちらはどんぐり問題。
0M86 今日はひかるぴょん一号と二号の誕生日です。一号は3本足ミミズ8匹と5本足オケラ3匹をもらい、二号は7本足めだかと2本足ムカデ10匹をもらいました。ではもらったペットの足の数の合計はどちらが何本多いでしょう。
←母「ひかるぴょんってなに?」
小豆「うさぎって感じだ」。とうさぎを・・・当然(?)変身ベルトつきです
「一号と二号といえばライダーだもん」だそうです。
5本足オケラはちゃんとかごに入ってます。
←ライダーに変身するためのスーツです。ヘルメットは初日に(3日前)、その他は昨日描きました。
昨日はとにかくお絵描きに夢中。どんどん構想(妄想)が膨らみ、変身スーツが強化され・・・最後には絵を離れてブロックで再現しはじめ・・・
そのまま戻ってきませんでした燃えてます
どんぐりの掲示板で見つけた「目から鱗」の言葉です↓。忘れないようにここに転記させてもらいますね。
>ボーとした親の、ボーとした子供でも関係ないんですね!
●全く関係ありません。親の性格くらいで人類の進化が変わるわけないですから、
正しい手順で正しい環境を作ってあげれば自然に脳内進化は進むように出来てるんです。...残念なことに知らない人が多すぎ!...このことを知った上で
工夫された宿題なら今の1/100で100倍の学力が養成できるのにね。「宿題だからしなきゃ...」なんて言ってる余裕は微塵もないんですよ〜。
.........................................................................................................
初めての方はHPの「お粗末3点セット」「自動宿題しますマシーン」「速くてはいけない理由」だけでも読んで下さいね。 (2007年03月19日
12時16分01秒)
親の性格くらいで人類の進化がかわるはずないですから!
残念!もう古いですね・・・。非常に励まされた言葉でした。
さてさて、昨日は終了式でした。
無事に(?)一年生終わりです。
「あそぶぞ〜」と張り切っています。近所の2年生、T君、同級生のYくんと遊びまくりです。
楽しそうで嬉しい母です。
母は明日から春期講習です。がんばるぞ!
Last updated 2007.03.24 08:43:47
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2007.03.22
子供ってすごいなぁ
[ どんぐり倶楽部 ]
先日どんぐりの掲示板でのどんぐり先生の言葉です↓。
>「5は見えるの」
●お母さん!コレが一番大事なことなんですよ。片手の5本指を一塊りで感じること。これが計算の基本なんです。これがあると、自在に計算が出来るようにな
るんです。時計の60進法も修得できます。式の変形も自在になります。...ね。感じることが出来れば(しかも見ることも出来る)百人力なんです。やり方
さえ間違わなければ...OK?
(2007年03月20日 08時19分44秒)
これに関連(?)したことがありましたので、忘れないように書きます。
小豆が「5・10・15・20」と上手に数えるようになりました。
そしてそれに伴って「時計」に興味がある様子です。
今朝いきなり「2時間は120秒?」と聞きました。
「120はあってる。でも秒じゃなくて分だけど」と答えると少し残念そうでしたが、「60と60でしょ?50と50で100.10と10で20」と説明してくれました。
そのあと「何で時計は12が0なんだ???変だ〜〜」と怒ってます。
何で怒ってるんだろう面白いです。
それにしても小豆は学校の勉強が嫌いです。
今日も午前中だけで勉強はないよ、というと学校に行く気になりました。
うまくどんぐりとマッチさせてやりたいと思うけれど、今のところうまくいきません。
絵を描いちゃダメ、指をつかっちゃダメ、と指導されるのがしんどいと言います。
読み書き計算信仰、根強いですね。
話は変りますが、小豆は昨日は丸一日友達と元気に遊びました。
春休みが楽しみです♪
夜「勉強しようか」と誘ったものの、疲れた表情。
「これだけ算数にする」というのですが、これは多分集中できないだろう、と思い、「今日は外でいっぱい遊んだから勉強やめとこう」と言いました。
実は最近私、小豆が調子よくどんぐりを解くので「もっともっとモード」に入っているのが自分でもわかるんです。ここは絶対自重しなくちゃ。
ところが小豆、びっくりした表情で「え?これだけ算数ならやる」と言います。
そこで一枚だけ、3桁の数字を読むものをしました。
「よし、上出来」というと「もう少し出来る」と言います。
「う〜ん、じゃ、プリントはもういいにして、お手伝いしてよ」と、財布の中の小銭を数えてもらうことに。
100円玉が5枚、50円が二枚、10円が5枚、一円が7枚ありました。
小豆は実はまだ数え方がうまくありません。
1円玉から数えていくので見ているとへんなんです。
「7円でしょ?10円が5枚だから50円で57円」
次に50円玉を数えるのかと思いきや、いきなり100円玉を数えだしました。
「100円が5枚だから500円・・・507円」
考え考え数えます。
「この50円玉と10円が5枚で100円だよね?だから・・・607円」
最後に一枚50円玉が残っています。これは難しいぞ(小豆には)。
この数え方では正解しないだろうな、と踏む母。ところが・・・
「・・・・・・・・607と50だから・・・657円」
おお!なんだかわからないけど正解でした。
それにしてもせっかくお金を種類別に分けている(自分で)のに、上の桁から数えたら楽だけどなぁ。
と思いつつ、とりあえず今は放っている私です。
子供って面白いです。
Last updated 2007.03.22 15:35:14
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2007年3月21日:好きな言葉[ どんぐり倶楽部 ]
どんぐり先生の『言葉の贈り物』より。
【君が必要だ】君が必要だと言われて 有頂天になってはいけない
同じように、
君なんか必要ないと言われても しょぼくれることはない
どっちも相手の都合じゃないか
君は相手の都合に合わせて生きているわけじゃないだろ
【君の価値】 君が社会に必要とされているかどうかは
関係ない。
社会が認める価値ってのは 利用価値のこと。
だろ。
最終更新日時 2007年3月21日 21時6分31秒:コメント(0) | トラックバック(0) | コメントを書く
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デンタ君と暗算(1) [ どんぐり倶楽部 ]
前にも何度か書いたと思うのですが、小豆は計算大っ嫌いです。これだけ算数もデンタ君つきでないと嫌がるくらいです。数式アレルギーです。ケンバーンさん
がお嬢さんの「指の感覚」の問題を以前書いていらっしゃるのを読んで、小豆も一緒だな、と思っていました。中指が特にわかりにくい様子でしたし、デンタ君
で10の補数を練習しようとしてもなかなかうまく行きませんでした。「答えなくては」というプレッシャーが悪い、というのも小豆の場合にはありましたの
で、指を私が握って、しっかり見せながら「3と7」という風にゆっくりと唱えました(私が)。でもそれもたまにしかさせてくれません(嫌そうにしていると
きは辞めていた)。ですがどんぐりを解く中で「絶対指をつかうこと」「指だけで大変な数はお金を使うこと」と決めてやってきました。最近はお金の計算もず
いぶん的を射てきました。指もうまく使い、一本を10と考えたり、100と考えたりするようにもなりました。5の塊はしっかりと意識できるようになったの
を感じます。5とびの数え方がいつの間にか出来るようになっています。先日、時計(電池がないのではずした)を見ながら「時計の目盛りっていくつあるんだ
ろう?」と言いながら数えだしました。「一・ニ」とかぞえていくと思いきや・・・「5・10・15」と数えだしました。昨日は五本足オケラなどが出てくる
問題をやりましたが、五本足オケラ3匹で足は15本、は即答です。夕方、大好きなアニメビデオを借りに行きました(すみません、こんな生活で)。すごくヒ
トが多いので「今日は半額だからね〜」と話していると、小豆が「半額増しにすればいいのに」、と言うのです(それだと私も借りに来ないぞ!)。続けて「た
とえば100円だったら150円でしょ?200円だったら300円。。。300円だったら・・・半分に出来るかな?」私が「出来るよ。100円玉が3枚で
しょ。まず二枚を・・・」というと「100円と50円。150円増やすのか。え〜〜〜っと・・・450円だ」と。この足し算は間違えるだろうな、と思って
いたので驚きました。どんぐり方式(指とお金)で「数量感覚」も育つ、という事が実感できる今日この頃です。
最終更新日時 2007年3月21日 7時45分53秒:コメント(1) | トラックバック(0) | コメントを書く
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私も・・ ケンバーン38さん
かなり驚きました・・正直いってこんな事が出来るように(教えもしないのに)なるなんて思いもしませんでした(あ・・どんぐり先生に失礼ですね・・すいません)。私はお風呂の中で(暖かいので筋繊維が柔らかくなるので)娘の手のマッサージを毎日していました。なので、先日わかるはずない・・と思い「4
と9と足すといくつよ〜」と言った所、指を折り数え始めるではありませんか・・それだけでも驚いたのに、「13」と答え、思わず合っているか私の方が動揺
してしまい数えなおしてしまいました(笑)私のあまりの驚きに娘は喜んで「こんどは〜?いくつ?」と・・その日はそれで終わりにしたかった(私が)ので次
の日もう一度やってみたところ偶然ではないことがわかり・・。どんぐり方式に感謝感謝です。(2007年03月21日
11時01分28秒)
返事を書く……………………………………………………………………………………………
2007年3月17日:ハム太郎たちの夜明け(2) [ どんぐり文化祭 ]
だまたさ〜ん、頂いちゃいましたたけちゃんのハム太郎くんです。燃えてます強くなりたいんだよね、男の子って・・・。たけちゃんは体育得意そうだから、
きっと強くなりますね。頼もしいナイトですな。このたけちゃんのハム太郎を見て大うけの小豆。「ぼくのも載せて〜〜」と言うので載せます。たけちゃん見て
ね←ハム太郎は厳しい修行に励んでいます。大きくジャンプしたら落ちてハンモッグを破ってしまいました←飄々とした表情なのはお師匠さんです。落ちたハム
太郎は気絶してる感じですね←なぜかハムロボです???と、言うわけで、だからなんだということではありませんが、男の子たち、がんばってね、とエールを
送っておきます。
最終更新日時 2007年3月17日 20時56分31秒:コメント(2) | トラックバック(0) | コメントを書く
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2007年3月16日:頭の健康診断(3) [ どんぐり文化祭 ]
久しぶりに小豆のどんぐりノートを載せます。昨日ひょんなことから「明日はどんぐりやる」と言う話になりました。実は一昨日、K先生のドラゴン問題をやっ
たばかりだったし、しばらくお絵描き問題はやめとこうかな(やりすぎかなぁ)と思っていたんです。それに今日(金曜日)は学校に行く予定(しかも2時間目
から)だったので、疲れてできないんじゃないかなぁ、と。。。でも「どれやるか選ぶ」と言う小豆にいろいろと読んで聞かせながら頭の健康診断の話をしまし
た。小豆は50分で5問もはできないでしょうが、一問ずつ、4問まではこれまでにやりました。残りの一問は・・・
1M03 アリッサちゃんのクラスで人数調べをしています。一年生みんなが男の子の列と女の子の列に一列ずつならんでいます。今年の一年生は男の子
が多いそうです。今、男の子と女の子が手をつなぐと20人余ってしまいました。男の子と女の子をあわせるとちょうど100人です。それでは女の子だけでは
何人いるのでしょうか?
100人と言う数字がまだ小豆には難しいような気がして、挑戦せずにいたんです。でも昨日「あと一問だわ」と言うと、「やる」と張り切りました。
そして今日・・・アリッサちゃんはありです。年末にやったアリの問題が頭に残っていた様子です。「20人は男の子だから・・・」と、アリを一匹描いたと
ころで固まります。「20匹も〜」と泣きそうな顔。。。母「工夫してごらんよ」と言うと、貯金箱からお金を一円玉を一生懸命数えながら「100枚もあるか
なぁ・・・」といいながら、20枚取り出しました。「これは男子・・・あと何人だ???」としばらくお金とにらめっこ。「100枚も並べられん」と言った
後、「あ、10円玉を使おう」となって、一円玉を片付け、10円玉を数えだしました。ここからが長かった。90まではあっさり数えるのに、90の次が
100と数えられず、何回も数えなおしました。やっと100円になり「あ、10円10枚で100円だった」と後で気づく小豆です。そして「この20は男
子・・・あと残りは8枚かぁ。。。男子は60人だ。女子は40人!」母「どうして?」小豆「この20人は男子ってわかって、あとは80人。80は40+
40だから。」小豆「わかった〜でも絵は描くな。それがどんぐりなんでしょ?」母「はい、そのとおり。あとデンタ君もやっとこう」と、指10本で100を
表せるかな?と言うと、1本10にすればよいことに気付きました。2本指を折って残りが8本。4本ずつそれぞれの手に分けて完成そして絵です。学校と校長
先生、校庭の遊具を描いた後、「ありが〜・・・5匹アリにしよう」と、一匹で五匹分のアリを一匹。「つかれた〜今度は10匹分のありだ〜」←大好きなうつ
し絵(10円玉を強いてこすった)をして、10匹(新種・・・一匹で10匹分)アリを描こうとします。・・・「やっぱりつかれた〜」。母「どうやって考え
たかだけ、わかるように描いておいた方がいいと思うよ」というと・・・←ひだりがカネタくん、右は手書きの10人ありです。カネタ君はデンタ君の「ぱく
り」だそうです。お金を出してくれて、計算をてつだってくれるんだとか。←カネタ君が打ち上げてくれたお金で計算。赤で囲んでいるのが女の子、青が男の
子。写真が切れてますが、左にあぶれている20匹(五匹アリ2匹と、10匹アリが一匹)います。小豆「よっしゃ〜!一年生のテスト合格でしょ?」母「大合
格だね〜!でも答えはおまけなんだけどね」小豆「でもおまけも嬉しい」そうだねぇ・・・。この問題がとける日が来るとは!どんぐり先生に「自分の子供を信
じていなかっただけ」と言われますが、本当、感無量です(大げさ?)。4月からの添削教室提出第一号にするつもりです。レオンくん、ベオン君によろし
く〜。最終更新日時
2007年3月17日 1時30分47秒:コメント(3) | トラックバック(0) | コメントを書く
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2007年3月14日:しまりす家のお嬢さん・・・会心のどんぐり作品です。(7)[ どんぐり文化祭 ]
しまりすさんのお嬢さんの作品です。私はこのお嬢さんの画風が大好きです。おっとりしていて、丁寧で、優しくて・・・癒し系です。↑「前回も出てきた」
キャラクターが登場してますね小豆も電線亀など、オリジナルキャラクターを連続登場させるのがすきなんです。これってどんぐり効果ですよねぇ。それにして
もシッカリ考えておられますね!↑コロコロとゴロゴロの表情がたまらないです。せっかくの作品、急いでアップでごめんなさい。どんぐり先生の添削、大変参
考になります。
最終更新日時 2007年3月14日 9時40分32秒:コメント(7) | トラックバック(0) | コメントを書く
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2007年3月11日:Rちゃん、ごめん・・・(4)[ どんぐり文化祭 ]
あんまりだるまさんが可愛かったから・・・だんごが美味しそうだったから・・・ついワタクシ、そらまめもいただきま〜す。ケンバーンさん、Rちゃんにご馳走様とお伝えください。
最終更新日時 2007年3月11日 23時28分21秒:コメント(4) | トラックバック(0) | コメントを書く
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2007年3月7日:子供にゆとりを返しましょう!(2)
今日の出来事です。小豆は今朝学校休みたかったのですが、「給食美味しそうだわ」という言葉に反応・・・小豆「何がでるん?」母「パン(小豆は給食のパン
がすき)でしょ、エビチリでしょ」小豆「エビチリは好きじゃないもん」母「そうか、じゃ、休みね。・・・あ、ポンカンもでるんだ」小豆「行く!」おい!エ
ビチリよりポンカンかよでも行きたくない気持ち満々・・・勉強も気が乗らず、ただただこま回しに熱中しています。「行きたくないんだ。気持ちわかるよ」と
いうとニヤリ。結局昼前に学校に。そして約束の2時に迎えに行きました。校舎の外で待っていた小豆、「Yくんが待っといてって言った」と悩んでます。「ど
うする?」・・・考えること10分、「待つ」ということで保健室で待たせてもらうことに。Y君と歩いて下校してきました。よくがんばったね!さて、Y
君、昨日久々に放課後遊びに来ました。そして今日も「おやつ作りしたい〜」と言いながらうちに来たY君とEくん。「クレープ作りたい」と言いますが、缶詰
などはなく、ハムとゆで卵のクレープ&りんごをさっと煮たもので間に合わせることに。「じゃあさ、明日は材料買っておこうか?でもそのかわり叔母
ちゃんの頼み、聞いてくれる?」YくんとE君は「いいよ〜」と言います。よっしゃ〜、とどんぐり問題を持ってきて、「このお話のお絵描きしてよ」と頼みま
す。いろいろ読んでE君(軽度の知的障害があるそうです。言葉は普通に会話できます)はカタツムリの問題を、Y君はもぐらのもぐもぐの問題に決めました。
E君はカタツムリ4つしっかり描いたところで「明日続きします」と。Y君は・・・まず問題を「読んで」と言うので私が読みました。それを聞きながら目が泳
いでいます。どうも答えを探している感じですが、全く当たりがつかない様子。小豆が「ぼくももう一回描く〜」と言いながら描いています。Y君ももぐらを描
き始めます。ミミズも二匹大小をつけて描き、後は太陽と海、海の中にサメみたいな魚を描きました。あとは雨雲が出てきて、大粒の雨を降らせて・・・「完
成」となりました。もう一度問題を読み聞かせましたが、目が泳ぐだけです。「絵に描いてごらんよ」と言いますが「嫌だ」と拒否。そのやり取りを聞いていた
小豆が横から私に「答えはおまけでしょ!」と厳しく突っ込み・・・はい、すみません。小豆はこの問題を一度やっているため、出来るのは当たり前なんです
が、カニの指に擬態しているミミズなどを描き、「20円」と描きました。「何で20円?」と聞くと「だって一つが12円で2円引いてくれるから、2円を飛
ばすと10円残るでしょ?それが二つぶんで20円」とちゃんと理解している説明でした。で、私が考えたことはこうです。Y君は学校に毎日行き、宿題も
シッカリやっています(厳しくやらされています)。だから計算はかなり速いです。一方小豆は9月の終わりくらいから休みがちになり、3学期はほとんど授業
に参加していません。勉強は一日30分。どんぐり倶楽部の教材を使っているだけです。計算はゆっくりです。指をつかいます。私は小豆がY君より優秀だと
思っているのではありません。どんぐりを7ヶ月やってきた小豆と、未経験の(以前一度だけ一緒にやりましたが)Y君を一緒にするのは不公平ですし、Yくん
が「出来る」計算が小豆は同じ速さで出来ません。字もY君のほうがはるかに綺麗ですし、漢字もたくさん知っています。だから二人の能力を比べてあれこれ言
いたいのではなく、「何をどう訓練するか」が大事だと感じたのです。Y君は学校で「読み書き計算」を徹底して訓練しています。宿題も一年生にしては大量だ
と思います。担任は「読解力をつけるため」と普通の文章題のプリントもよく出します(絵が描いてあるもの)。そういう訓練をつんできて、ではどんぐりの問
題に対応できるかと言うとできない・・・。どんぐりの問題に対応するにはやはりどんぐり問題をどんぐり方式でやっていく必要があるんですね。やらなければ
「読み書き計算」を徹底的に訓練し、高学年になっても手も足も出ない。。。このことは塾の子供たちを見ていてわかっています。そうであるなら、何を先に訓
練するか、だと思うのです。読み書き計算ができなくてもどんぐり問題に対応できる、これは小豆が体現しています。もちろん解けない問題もたくさんあります
が、問題を読んで絵を描いて考える、ということはします。文章を読んだときにそれを頭の中で絵にすることが習慣になっているのをかんじます。この力は訓練
なしでは身につかないように思います。読み書き計算をしていれば勝手に出来るようになるものではなさそうです。そして「単純計算」と「視考力」、どちらが
後々比重を高めていくでしょう?単純計算だけでは手も足も出ない問題が中学では待っています。話がまたまた大掛かりになってしまいそうなので、ちょっと
端折ります。繰り返しになりますが、小豆は読み書き計算に難ありの子です。でもこの7ヶ月、どんぐり問題は一生懸命取り組みました。といっても一日に20
分〜30分。土曜日は「勉強してはいけない日」ですし、最近ではキャンプ中とキャンプ前の2週間、まるまる「勉強をしない日々」でした。それを思うと今の
学校での取り組みは「させすぎている」と感じるのです。しかも「させている」内容は・・・。その時間を子供に返してあげて欲しい。自由に遊ぶ時間を返して
あげて欲しい。ゆとりの時間を返してあげて欲しい。今よりやらなくても十分、子供たちは考える力をつけることが出来るはずなんです。どんぐり先生が繰りか
えしおっしゃっていますが優れた教材は子供の負担を最小限にとどめてくれます。最小限で最大の力がつくのが「どんぐり流」。余った時間を子供たちに返して
あげるため、工夫された教材なんです。子供たちにはもっともっとゆとりが必要です。もう一つ。。。昨日今日Yくんが久しぶりにうちに来て、すごく驚いた
ことがあります。「小豆君が○○した〜」「小豆君が○○してくれん」etc・・・すごく頻繁に私に言いに来ます。「○○したいんだぁ。で、小豆の方はした
くないんだね」ってな感じで対応しました。兄弟げんかの時に「裁かず・共感的に聞く」努力をしているので、とっさの判断で同じようにしました。そうしなが
らふと気付いたのですが、小豆は最近「大豆が○○した〜」とか「だれだれ君が△△で〜」とか言ってくることが本当に減りました。ここ最近あったかな?って
感じです。夜主人と話したのですが、大人がいちいち裁いていると、何かあった時にすぐ言いつけて大人に何とかしてもらおうとするのかもしれません。中学生
になると大人の歯止めが利かなくなってきます。その時どうなるんでしょうか?このテーマについてはまた書きたいと思います。今日も中途半端ですが、眠いの
で一応アップして寝ます。明日書き直すかも。おやすみなさ〜い。
最終更新日時 2007年3月8日 1時4分33秒
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2007年3月6日:今日は道草問題です(16時50分加筆)(6)
今日はちょっと毛色を変えて道草学習のすすめ、K先生の文章題です。かつては地球を征服しようとしていたバルタン星人も、ウルトラマンのおかげで今は地球
人と大の仲良し。いまやバルタン星のグッズが地球ではやっているのです。インターネットでバルタングッズを購入できるということなので、我が家でも早速調
べてみました。バルタンキャンディ3つの値段が6マタリです。マタリはバルタン星のお金の単位で、1マタリを日本のお金に直すと30円です。さてバルタン
キャンディの値段は日本のお金でいくらでしょう。←まずはバルタングッズをいろいろかき始めます。パソコン、お面、手袋などがあります。お面は一マタリ
(安い!)パソコンは30マタリ(激安!)です。ここまで描いて初日は終わりにしました。次の日、上の写真の右下に写っているように棒を描いて答えを求め
ようとしています。でも9マタリと勘違いしたらしく、90円と答えて間違い。「どうする?わからん帳?」と聞くと、「もうちょっと考える」と言います。そ
して描いたのは↓見たいなのはマタリだそうです。30,60,90まで描いて暗算は無理になりました。10円玉を並べて数えます。「180円!」と元気に
答えます。一つあたりでは、と思ったものの、どちらとも取れるので一応正解としました。マタリ(円をもじったようなデザイン)が気に入ったらしく、買い物
ごっこ。そこで「キャンディください」←母。小豆「6マタリです」。母「お金があまりないので一つだけください」小豆「・・・えっと、二マタリです」母
「マタリがないので円で払いたいです〜」小豆「じゃあ・・・60円ください」。と、ゆっくりですが自分の描いた絵を見ながら答えてくれました。「これはど
んぐり先生のお友達が作ったんだよ~」というと「どんぐり先生のお友達もやるな〜」だそうです。続けて今日もK問題です。サトルが読んでいる本は、とっ
てもこわい。だって、読み終わると、不思議なことが起こったんだよ。サトルのまわりには、青白い人魂が10個、ふわふわと浮かんでいたのだ。それもそのは
ず。その本は幽霊ブックといって5ページ読むごとに、人魂が2個現れるのだ。その本は、全部で何ページあったのかな。読んで「う〜ん。。。難しいよ〜。本
当に小学生の問題?」と聞いてきます。でも人魂ブックは描きたい。と描き始めます。←さとる君気絶です。5個目の人魂が大きくなっているのは他の5つを吸
収したからだそうです。人魂がなかなかいい味出してる、と母は親ばか。見せに来たので「おもしろいねぇ」というと「ここからはつまらんで。答えだもん」と
ちょっと不満顔。「答えはまたでもいいよ」というと「やる〜」。私は自分の問題を解きながらチラチラ。人魂二つを結んで10とかいてます。「よし・・・
え?あれ?違う」といいながらもう一度読みます。小豆は読むのが苦手なので、「(読み方)あってる?」と聞きます。「あってるよ」といいつつ、もう一度読
んで聞かせる甘い母。「10じゃなくて5ページだった」と、10の数字を消し、5と書き直します。あとは数えればOKですが、ここで別の方向に寄り道。人
魂ブックの二巻は5ページで3つ人魂が出るそうです。しかもボクサータイプ。殴られて宇宙まで飛んでしまうので、読むときは必ず宇宙服着用です。注意書き
も書きます。学校で字を書くのがすごく嫌で拒絶するのに、どんぐりノートのときは楽しそうに描いてます。「「む」ってどう書くんだった?あ、わかったから
いい」とか、「「わ」か「は」かどっち?」とか聞来ながら書きます。国語の勉強もしてますな。で、これを描いて今日は終わりかな、と思ったところで、今度
は5と5をあわせて10と書き始めます(はじめの写真)。おお!こういう発想は今までなかったなぁ・・・一つずつ数えてましたよ。進化してるなぁ!で、
25ぺ〜〜〜じ、と答えを書いて無事終了!気持ちよかったのか、楽しそうに学校に行きましたK先生、楽しい問題をありがとうございます。お礼にこちらをど
うぞ↓←学校から帰ってきた小豆と一緒に作りました。バルタンキャンディです(それにしてもレオンくんにはまずい棒だったっけ・・・ごめんね)。それにし
ても・・・今日しみじみ感じました。
読み書き計算は基礎基本じゃないぞ!
だって小豆はまだ絵本一人で読みません(一月か二月に一度くらい一人で読んでます)。教科書のすらすら音読もしません。計算はアレルギーです。字は・・・
今日の人魂問題でも鏡文字(20)&書く方向が変なのがありますよね。それに学校では絶対字を書かないようです。でも、でもです・・・ノーヒント
で考えましたよ読み書き計算ができなくても考えることはできます!バルタンキャンディの問題のあと、買い物ごっこしましたが、ちゃんと自分の描いた絵を見
ながら会計してくれましたこれが本当の基礎基本ですね!どんぐりHPのこちらの記事が実感としてわかってきました。小豆のおかげです。
最終更新日時 2007年3月6日 17時2分12秒
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2007年03月04日:久々の出品いただきました〜しまりす家のお嬢さんです
久々にどんぐり文化祭に出品いただきました。しまりす家のお嬢さんの作品ですたくさん頂いたのですが、もったいないので少しずつ・・・今回はベオン君の添
削つきで、私には大変勉強になりました。↑すごいですよね〜!こういうの小豆が解ける日も来るんでしょうか???楽しみに待とう。実は前回の出品のとき、
何日もかかって作品を仕上げられると伺い、とてもうらやましく感じたのです。小豆はその頃、一日で出来なかったらやめてわからん帳、ってかんじでしたか
ら。そのあと、一日描いて何日か置いてまたもう一日描いてみる、という感じが続き、今は何日も描いてくれるようになりました。わ〜い、しまりすさんちみた
いだ!と嬉しい母です。それにしてもお嬢さんの絵はすごく優しくて丁寧。これは女の子ならではかなぁ。本当にお宝ですね!さて二枚目は先日小豆も挑戦した
ラッキーとマッキーの落ち葉拾いの問題です。答えが間違っていますが、やはりこれもすごい絵です。あえてこの問題を提供してくださったのは「皆さんの励み
になれば」というしまりすさんのご配慮です答えはおまけ、と思っていてもやはり焦る母心、よくわかっておられます。さすがですね。↑個人的にこの作品がと
ても好きですパンダがかわいいです。子供の絵って本当にすてきです。なんだか幸せな気持ちです。しまりすさん、お嬢さん、ありがとうございます!調子に
のって月と地とさんのところからも拝借しました。つぶらな瞳がなんともいえません。胸キュンなお魚たちです。←なんじゃそりゃ?作者のD君。どんな気持ち
で空とぶお魚をみているのかなぁ・・・。さらにさらに調子に乗り、コウメポッキーさんのお嬢さんのも無断拝借。かわいい絵ですね〜。う〜ん、女の子の絵が
新鮮で珍しいそらまめです。ああ、楽しい♪
最終更新日 2007年03月04日 22時16分28秒
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2007年03月03日:学力診断テストの思わぬ恩恵?
今日塾生(6年生)のお母さんとお話する機会がありました。Mちゃんは多分学校ではかなり「出来る子」だと思います。塾でもずいぶんがんばっています。は
じめの頃こそ4Mで苦戦していましたが、最近では6Mの問題を余裕の表情でお絵描き。○だけだった最初の絵よりかなり楽しんでいる絵になっていました。と
ころが・・・今週のMちゃんは問題を読み飛ばし、すぐに式を立てて答えを求めようとするなど、入ってきた頃のMちゃんに逆戻りしたような感じです。やはり
中学入学目前で緊張が高まっているのかな。他の6年生も不調です。お母さんにそのことをお伝えすると、先日の県統一学力診断テストの話がでました。結果が
思ったより悪かったことでショックを受けていたとのこと。でもお母さんは問題を見て「いつも塾でやっているような問題(それより単純)で、絵を描けば解け
るはずだと思った」とおっしゃいました。本人に聞くと「問題が多すぎるのと書くスペースがなくて絵が描けなかった」と答えたそうです。「中学に入ったらテ
ストの問題は回収しないことがほとんどだから、裏に書きなさい」とお母さんはおっしゃったとのことです。そして「学校の『先生もイメージできない子が増え
ていて』とおっしゃっていました。改めて塾での取り組みが効果的だと(点数には反映できなかったけど)感じました」とも(ありがたい!)。今がチャンス!
と思い、学校の先生にもどんぐり問題を紹介していただきたいこと、宿題ドリルを視考力養成問題に変えてもらわれてはどうかという提案などをさせていただき
ました。あと一月ですし、彼女の今までのまじめな様子から宿題変更もやっていただけるのでは、と感じました。お母さんが点数に惑わされず、本当に大事なも
のをわかってくださったのがありがたいです。それからさらに「あの子は国語がさっぱりだったのに、塾で絵を描くようになってから国語がわかるようになってきた、と言っています」とも!もうチャンスもチャンス、大チャンスですよね!学校側と交渉していただくため、HPなどから資料を印刷中です。嬉しい話でした
最終更新日 2007年03月03日 21時23分38秒
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2007年03月02日:ごめんなさい
レオンくん、忙しいのにわざわざありがとうございます。小豆、大笑いでした・・・。得意満面って顔です。こうして家にいると何も問題のない小豆、ですが
学校に行けない日々が続いています。今週は今日はじめて登校し、6年生を送る会の練習に参加したようです。実は先日担任から電話をもらいました。小規模校
への転校制度を利用してはどうか、というような話もでました。小規模校のゆったりとしたスペース、教室の雰囲気は気に入った様子の小豆ですが・・・。か
えって先生の管理が行き届いちゃうしなぁ。。。どうなんだろう。どちらにしてもまだ小豆自身に「こうしたい」という強い希望は生まれていない様子です。
「今のままがいい」というのが小豆の気持ち。それを尊重すればいいのか、揺れてしまいます。最近ついつい焦りがち・落ち込みがちな自分を反省。もっと元気
を出さなくちゃ。あ、そういえば今日、小豆の二冊目のどんぐりノートがいっぱいになりました。またそのことも書きます。いつもながら揺れ動く母心です。ア
ドバイスいただけたらありがたいです。
最終更新日 2007年03月03日 02時39分37秒
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2007年02月28日:レオンくんめしあがれ
先日、だまたさんちのマイちゃんが描いただんご虫、レオンくんってば美味しそうにペロリ。←これに味をしめたらしく、コウメポッキーさんのところで
も・・・うん?これはなめてるんじゃないのかな???カタツムリの背中に乗っかってるけど???あ、右の子がなめてる「レオンくんにご馳走する〜」とうち
の小豆。1m96 今日は満開のさくらの下でお花見です。ご馳走は超長うまか棒と超長まずか棒の柔煮です。超長うまか棒は超長まずか棒の3倍の長さがあり
ます。みんなで午前中にうまか棒とまずか棒をちょうど半分ずつ食べたところ、残りの長さをあわせると200cmでした。では超長うまか棒はもともと何cm
だったのでしょうか?長いのがうまか棒、短いのはまずか棒・・・まずか棒「ぐじょー」となって、本当にまずそうです・・・。この問題をどうしてもときた
かったようで、絵の具チューブと百円玉を使って答えをだしてました。その過程をあとで絵に描いてもらいました。この経過をどんぐり倶楽部の掲示板にかき、
どんぐり先生からアドバイスを頂きました。
>あとで描いた絵のほうが答えよりは「値打ちがあるし、絵の具のチューブはいつもはないからね」と伝えましたが...。
●上出来です。幼児・児童期で使う具体物はシンプルで数が少ないものに限定するのが秘訣です。基本は10
(手の指の数)まで最大で20(手足の指の数)までです。あとは、それを視覚イメージに移して視覚イメージのコピーを操作出来るように練習します。ですか
ら、「百玉〜」は一見良さそうなんですが丁寧さが欠け、一見して分かるものしか受けつけなく危険性があるんです。悪いものではありませんが、じゃあ「千玉
でもいいじゃん」になります。そうではないんです。視覚イメージの再現操作を練習するタイミングが20なんです。
●具体物なら量を感じた後の計算時にはそれを指に置き換えると感覚と連動した数字になるのでベストです。 (2007年02月27日
17時47分33秒)
メモメモ・・・。ところで今日面白いことがありました。近所のY君、朝うちに小豆を呼びにきてくれたのですが、そのとき転んでしまいました。それで登校班
においていかれそうになったので追いつくまで付き添いました。その途中、小さな川に肥料の袋が落ちており、そこに「6−5−4」と書いてあるのに目をつけ
たY君、「ぼく計算得意」といい、計算しだしました。「6−5は1だろ。え〜っと、5−4も1だから・・・2」←答えるのは早い。「そう?」と聞くも、
「あってるもん」とY君。家に帰ってから小豆に「6-5-4」とかき、「Yくんが計算しようとしたんだよ〜」というと・・・「ぼくもやってみよう。
う〜〜〜ん・・・0?足りないよ?」と首を傾げます。「足りないの?」「うん、3足りない(指はつかっている)・・・3足らんだ〜!」
このあと「足らん」でゆび遊びしました。私が指をランダムに伸ばし、「足らんにたべられた〜」というと小豆がおっているほうの指を考えて何足らんだったか
答えるという・・・。面白かったですよ午後、元気がない私を励まそうと、小豆がまたどんぐりの絵を描いてくれました。←ぴょんぴょん・ぱさぱさ・ばたば
たの3匹のバッタのお話です。が。。。「レオンくんにごちそうする〜〜〜」と言って、イナゴの丸焼きを作ってます・・・おい!←一時間以上かかってもでき
ないのでベオン君が怒ってます。はははのは。続きは明日だそうです。
最終更新日 2007年02月28日 19時45分53秒
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2007年02月26日:嬉しい日
ここのところ良いこと盛りだくさん。昨日はポニークラブの日でした。小豆は落馬したんですが、ぐっと涙をこらえ、落馬後もポニーに乗ってましたつよくなっ
たなぁ!さらに夜、久々の勉強(土曜日は「勉強してはいけない日」なので、先週の月曜以来久々でした)。←どうしてもケロロが・・・。お花見してますね。
クルルの発明で「カラオケマシーン」に歌わされているようです。背景の絵はキャンプ前に描いてました。今日は私がホットミルクを作りに降りている間に答え
をだしていて、「これって『だれだれがなん個多い』って答えるってこと?」と聞きます。もう一度一緒に問題を読み、「やっぱりそうだよね」と言って「こう
すけくんが5枚多い」と答えました。「なんでわかったん?」と聞くと「描けばわかる」ってそれでこそどんぐりっ子!花をきちんと描くのが面倒だったのか、
花を表す大きな丸の中に花びらを表す5個の○を描いてます。さてさて、けさも「新しいどんぐり〜」。年長問題にはそろそろ好きなキャラクターが出なくな
り(?)1Mも読んでみると・・・1M08 マッキーとラッキーの落ち葉拾いの問題を選びました(今どんぐりオンライン教室で解説中)。←14枚の落ち葉
を○でかいて考える・・・考える・・・考える・・・。でもうまくいかない・・・←また書き直しました。でも12個しか描いてないみたいですねこれをマッ
キー君とラッキー君の分にわけ、マッキー君は二個で3分、ラッキー君は一個を1分、と数えたようです。23分、と答えましたが、「残念!」。もう一度数え
なおすも・・・やはり「残念!」。「むずかし〜〜〜」と言って今日はここまで。あとで公園に遊びに行ったのですが、「あれ違うの?」と悔しそうな顔をして
いました。でもだまって一生懸命考えていた小豆の顔はとても素敵でしたそうそう、もう一つ嬉しいことがありました。ケンバーンさんがお嬢さんのどんぐり
ノート初披露してくださり、朝から元気を頂きましたありがとうございます!これからもよろしくお願いします。またまた話はかわります。今朝「学校休みた
い」という話から、「何が理由でも絶対『学校行きなさい』とは言わない。だけど何に困っているのか知りたいから、嫌なことを話してみてくれない?」と聞き
ました。というのは2月7日の参加日のあと、3日しか学校に行っていません。その前は少し続けて登校できていたので、また何かあるのかな、と思ったので
す。小豆の答え・・・小豆「算数がいや」。「学校の算数はどんぐりと全然違う。数字と記号しか書いちゃだめ。指も1年生から6年生までつかっちゃダメ、っ
て言われた。100までの数をやっているんだけど、難しくてわからない」。そこでそれは「嫌なの当たり前だ〜」ということと、指や絵は使わなくちゃいけな
い。だけど今はまだ抵抗できそうにないから、もうちょっと作戦立てよう、と話しました。それから『大きな数の計算」がわかるかどうか、一問ビジュアル筆
算。無事に答えが見え、少し安心した様子の小豆。「じゃあ毎日一問だけやろう」ということになりました。あとは・・・将棋のやり方を覚えたい。休憩時間に
友達がやっているのだそうです。これもおじいちゃんに教えてもらうことに。今は試行錯誤が大事な時期だと思うので、いろいろやってます。うまくいかなくて
も、作戦立てる練習になりますしね。母はちょっと疲れていましたが、今日は天気もよく、元気が出てきました。と・・・先ほど教頭先生から電話が。百マスの
ことを伝えましたが、「他のお子さんはなんともないのにねぇ」だそうです。「家で早く出来るように練習されたらどうでしょう?」といわれたので「あれは小
学生の教材としては良くないと思っていますのでさせるつもりはありません」と答えると・・・「はぁ」とタメ息でした。「最悪な親」と思われてますね。でも
いまどき百ますを無批判に使う、それどころか推進している教師は最悪だと私は思います。先日の懇談のとき、担任は「学力テストで百点がいなかった」ことか
ら「百ますをがんばらせます」と・・・。百ますで文章題が出来るようになるんだろうか?「もちろん文章題もみっちりやらせます。宿題も増やします。がんば
らせてください」。。。その診断テスト、答えを間違えている生徒のところに行き、机を「ドン」と叩いて知らせたそうです。なんじゃそりゃ??何のためのテ
ストなんだか・・・。懇談の終わり、残っていたお母さんのところにかけよった男の子。お母さんの手にテストがあるのを見て「怒らんでよ」といったのが印象
的でした。このお母さんは4年生にもお子さんがおられ、同じ担任が一年生のときの担任だったそうです。「百マスやっていて良かったでしょ?」と担任に言わ
れ「はい〜」と大きく頷いていたお母さん・・・何が良かったんだろう???もう少し話を聞きたかったです。でもあの場で何もいえなかった私でした。だめだ
なぁ・・・。最後暗くなりましたが、ずいぶん元気が出ました。今の時期にこそ、たっぷり小豆に試行錯誤の時間を確保したいと思ってます。
最終更新日 2007年02月26日 15時59分17秒
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2007年02月19日:立ち直りました(早!)
今回のキャンプ参加の経緯は・・・昨日久しぶりにポニークラブに参加した小豆(最近少し休んでいました)、スタッフの方からキャンプの話を聞き、「どうし
ようかなぁ・・・」と、はじめ乗り気でない様子でした。でもK君が参加すると聞き、急に「キャンプ行きたい!」と。最近の小豆はエネルギーがうまく発散で
きていない感じでした。学校はしんどい、でも友達とはしゃぎまわりたい・・・そんな様子でしたから、キャンプは絶好の機会、ではあります。行かせてやろ
う、とは思ったものの、月曜日から金曜日までということで、今週まるまる学校を休むことになります。それはどうなんだろう?先週リセットのつもりで水曜日
以外お休みしたのに、今週も?と私の心に迷いが。しかも祖父母への説明、学校への説明をしなくては・・・と気が重いことこの上なくて・・・。でも何とか祖
父母へは説明しました。そしてここで義父から少し意見されました(当然ですが)。「毎日行けば慣れる。このままだと来年も行けない。そんなことで社会にで
てからどうする?逃げずに行かせるようにがんばるべきだ」・・・正論といえば正論ですね。そしてこの手の意見にとても弱い私。何とかキャンプ参加への理解
を得たものの、ちょっと落ち込んでしまいました。でも今日どんぐり倶楽部の過去ログを読み、皆さんのコメントを読み直し、また昔の自分を思い出して・・・
シッカリ元気になりました。何度かここにも書いたと思うのですが、私自身、高校生のときに不登校をして一年留年しました。実はその不登校の芽は小学校時代
からあって、私はよく休みたがる子でした。でも母はとてもまじめなで勤勉な人でしたから、「ずる休み」をとても嫌いました。それでも一学期に5〜6日は休
んでいた私でした。どうしてだったのか?とにかくしんどかったのです。学校という場が・・・。次から次に予定があり、嫌な行事(集会など)がたくさん。集
会などはよく保健室に逃げ込んでいました。じっとして先生方の話を聞いているのも、同じ場所にじっと座っているのも辛かったのです。今なら多分ADHDと
診断されるのではないかと思える子供時代でした。ただ私は実際に走り回ったり、授業中に立ち歩きをすることはなく、でもだからといって何も感じないのでは
なく、本当に学校は苦痛でした。とはいえわりあい成績はよく、算数などの授業は好きでしたし、先生に取り入るのもうまい(?)方でしたので、何とか学校に
は通いました。ただいつも「自分は友達のようにはなれない、できない」という思いが胸にあり、何か自分を恥ずかしい存在だと感じていました。他にもクリス
チャンであったことも関係するのか、友達が何気なく笑うところで笑えない(誰かを馬鹿にするような発言など)ことで、いつも疎外感を感じていたり・・・。
今もこれはあります。婦人会・PTAなどで発言に相槌を打てないことがよくあります。まあなんだかんだで「休みたがり」な私でしたが、母の教育力で不登校
にはならず、なんとか中学までは通いました。ただその間に「成績が良い」ことだけが自分の存在価値だと思い込むようになりました。本当にそれ以外に何も無
い自分でした。「出来る」「できない」が自分の判断基準でしたので、「できそうもない」ことには初めから手を出さず、うまく言い逃れをするすべだけを身に
つけてしまいました。高校に入って、周りがみな「出来る」級友ばかり。しかも子供っぽい自分に比べ,級友たちはずいぶん大人っぽくて・・・緊張からか全く
授業が頭に入らず、初めての中間テストで物理28点、数学80点(200点満点中)という点数をとったショックから立ち直れませんでした。もちろん母も。
それまで多分私はテストで80点をきることがなかったのですから、点数を聞いたとき、母の表情が氷ついたのを覚えています。といって母はそれほど「教育マ
マ」だったわけではなく、ただ無邪気に成績の良い娘が自慢だっただけなんです。でも私にとって、親の期待にこたえられないことは大問題。そのまま6月の終
わりから不登校に。。。過食嘔吐、吐けないときには殺虫剤を飲んで七転八倒したこともあります。今考えるとものすごくばかげているし、絶対できない↑こと
ですが、あの頃はなんとも思わなかった。吐けないこと、「元気だから」と学校に行かされるかも、ということのほうが大問題でした。そう、殺虫剤を飲む前の
日、「明日は学校に行くから」と約束したのに本心は行きたくなくて・・・だから病気になりたかったんですね。高校生にもなってばかげていますが、母に見捨
てられたくなかった気持ちが強い子でした。私は父のお気に入りの子で、父はいつも私を連れて山菜取りや川に。父がいると母とよく喧嘩になっていたため、私
は父を「子守?」している気分でいたのでした。中学生の頃、父が急に学校に電話をかけてきて、「早引きしろ」と言います。親からの電話でしたから、先生も
認めてくれて学校をでました。なぜ早引きさせたかといえば栃の実を拾いに行こう、という理由で・・・。もちろんこれが母にばれたら怒られることは目に見え
ています。でもそれを気にしている様子を見せると父が不機嫌になる・・・だから父に合わせて機嫌よく栃の実を拾いました。帰宅すると案の定母は烈火のごと
く怒っていて、私とは口も聞いてくれません。そんなエピソード満載の子供時代でしたから、私は母に愛されていると実感できずにいたように思います。もちろ
ん母は愛してくれてましたが。とにかく母を求める気持ちが強く、成績で母に認めてもらえることは嬉しいことでした。成績が悪くなったとき、私は何をどうし
たらよいのかわからなくなってしまったのです。と、自分の話が長くなりました。私がどんぐり倶楽部をすごいと思う理由の一つは「出来る・できない」を判断基準にしないと
いう理念があるからです。「できる・できない」を価値基準にしてしまうことの怖さを身を持って知っているから。「できる・できない」の呪いが解けてきたの
は本当にここ最近のことなんです。だから小豆と大豆には「できる・できない」を価値基準にせず、「楽しめる」「面白いと感じる」心を大事にして育てていか
なくては、と強く願っています。ちょっと話がそれているんですが、今回元気になれたのは、その休みたかった頃の自分を思い出したからです。「休みたい」
と感じているときに「行きなさい」というプレッシャーをかければ、子供は親に対して本当の気持ちを隠したり、嘘をついたりします。もしとてもまじめな子な
ら一生懸命学校に行き、「嫌だ」と思う自分を責めたり、苦しんだりしてしまうでしょう。だからやはり私は「休もう」といい続けようと思います。もちろん本
人が「行く」という日には応援するのですが、「行こう」というプレッシャーをかけないように楽しく過ごそう、と改めて決意しました。確かに義父の言うよう
に「毎日行けば慣れる」ということもあるでしょう。でもそれは本人の意思で「がんばってみる」のでなければ決して身になることはないと感じます。私はそう
いう方針で育てられましたが、結局ドロップアウトしました。大人になっていろいろな呪縛が解け、ようやく自分で選んでがんばれるようになりましたが、それ
までは何とかごまかして逃げることだけを考える10代・20代前半でした。どうしても「学校がいや」という気持ちを理解してもらえず、とにかく「行かされ
る」事から逃げることばかり考えていた私でした。そして他の子のように学校に毎日行けない自分が「出来損ない」だとずっとずっと感じていました。小豆が
帰って来たら、やはり今までと同じように接していこう、と思います。うまくいえませんが、そのことが小豆の自尊心を育ててくれると思うから。そしてまずそ
れが何よりも先だとおもうから。義父母にはあとで恩返しします、はい。
最終更新日 2007年02月19日 20時39分55秒
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2007年02月16日:続き
どんぐり先生はよく「子供は一人ひとり違います」「工夫、対応は個別です」とおっしゃいます。。つまりあることをしない(あるいはする)ことが生み出す環
境は各家庭によって様々だと言うことだと思うのです。だから他人の子育ての話を聴くとき、絶対にその語り手の「やったこと」「やらなかったこと」の生み出
した環境をきちんと分析していく必要があると思います。これは「わからん帳」と同じですね。「子供が家事をする」ということを例にとって考えます。大事な
のは「家事をした」ということではなく、「どのように」したかということだと思うのです。だんきち先生は今日の記事に「子どもはぜんぶ「本気」でやらなく
てはいけなかったから」と書いておられますが、この「本気」という言葉にこめられた意味は私の言わんとするところと同じだと考えます。そしてここ数日で私
が一生懸命文章にしたかったのもそのことです。「何をするか」ではなく「どのようにしたか」が大事なんだと。そして「どのようにしたか」を大事にするため
には、子供のおかれた環境にあった工夫が必要になる。。。当たり前ですが。たとえばうちは義父母と同居です。義父母の居間にはケーブルテレビも入っていま
す。私が子供を放っておけば子供たちは自主的に動くかというと違います。上げ膳据え膳でおばあちゃんにやってもらい、そのうえ「テレビを見ているときは大
人しいから」とケーブルテレビを見放題になります。また「学校は何時にいくのか?」「毎日行け」等のプレッシャーも受けるでしょう。これらを防ぐにはやは
り私の防御が必要になってくるのです。やや自己弁護のようですが・・・言いたかったのは「○○しておけばいい」ということは子育てには無いのだと思いま
す。また同じように考えると「何かが出来る(あるいはできない)」ということにそれほどの意味はない、ということだと思うのです(飛躍してますか?)たと
えば料理が「出来る」子と「出来ない」子がいます。出来ない子は様々な要因があってできないし、出来る子にはいろいろな要因が働いて出来るようになってま
す。その「要因」のほうが「できる・できない」の結果より重要だとおもうのです。親が一から十まで教えて、嫌がっているのに無理やりやらせて・仕込ん
で・・・その子は料理ができても楽しめていないし、「自ら学び取る心」は育たなくなるのではないでしょうか?うまく伝えられたかどうか自信はありません
が、小豆は今、どんぐりの問題をやっていても式を立てることはありません。また4+3も多分暗算はできません。でも「できない」ことは問題じゃないんで
す。これを焦ると間違うと思います。暗算ができないことがそのまま「数量感覚が無い」ことにはつながらないし、「文章題の意味がわからない(ように見え
る)」ことがそのまま「国語力の不足」にもつながらないと思うのです。ここ最近、いくつかのブログでどんぐりを始められた方たちから↑のような言葉を聴き
ました。違うんですよ〜、と私は言いたいんです。あ、あとだんきちさんのコメントの中で「先生8個とあなたは5個。ではどちらが何個多い」と聞かれて「8
個」と答えるお子さんの例がありました。この子は本当に言葉の意味がわからないかもしれない。でも別の子は「答えなきゃ」というプレッシャーで頭がフリー
ズし、答えを間違えることが原因かもしれません。だから自分のお子さんが「答えられない」からと言って「国語力をつけてかからなくては!」と焦る前に、原
因をじっくり探って見られたほうがよいとおもうんです。そしてもし国語力がないとしても、焦ることは全くないんです。どんぐり以上に効果的な学習はないん
ですから。どんぐりで育てればいいんです。常に言葉とイメージがリンクす
るのがどんぐりのすごさなんですから。どんぐりで練習すればいいんです。・・・と私は思ってます。今日も生意気千万、無礼千万の記事になりました。でも本
音です。せっかくどんぐりに出会ったんだから、それをよくよくあじわってほしい。。。そこにすべてがあるのに。子供に無用の負担を与えずにすむんですか
ら。
どんぐり先生の「言葉の贈り物」より・・・
【2006.12/3】...心へと続く道
暗闇の中で
子供をデタラメに
走らせるのは止めよう
足元をシッカリと照らし、
誰もが歩いていける道がココにある
舗装はしていないから、
歩きにくいかも知れない
でも、作り物じゃないから
絶対に壊れたりはしない
この道を信じて、
子供を歩かせてみないか
この道は、人間の心へと続く道なんだから
暗闇の中で
子供をデタラメに
走らせるのは止めてくれ
どんなに力がある子供でも
それじゃあ、力尽きてしまうから