総索引<危険な早期教育>参考になる
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週間文春
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・週刊朝日「早期教育で病んだ子どもたち(週刊朝日 2009年09月18日号配信掲載)
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渡辺由佳里http://watanabeyukari.weblogs.jp/blog/2007/11/index.html
2007年10月30日 (火)
早期英才教育は時間の無駄よりも悪い
親ならだれしも、わが子に他人よりも成功するチャンスを与えたいと思うものである。早期英才教育は、読み書きや音楽、数学などを幼児期に始めることで持っ て生まれた才能をそれ以上に膨らませることができるという信念に基づいている。私だって、わが娘には(どんな才能であれ)最大に発揮して欲しいと思うし、 そのためには(いかなる、とまではいかないが)ある程度の努力は惜しまないつもりだ。私も早期英才教育というテーマには興味を抱いたが、わが子に対して行 いたいとは思わなかった。英語でいうところの私のgut feeling(直感)が、「百害あって一利なし」と強く主張したのである。そんな私も、娘が小学校2年生か3年生くらいのころ、地元(ボストン近郊)の 公文教室に1度だけ通わせたことがある。娘と同じ水泳クラブに通っている子の親に「クラブへのcar pool(相乗り)に都合が良いから」と誘われたからなのだが、教室の様子を一度観察しただけで「これはダメだ」と思い、入会費と一月分の月謝を既に納め ていたが、即座に辞めた。これについてはまた別の機会に詳しく説明するが、公文を辞めたおかげで、娘の数学の才能はかえってのびる結果になったと私は信じ ている。先週末のボストングローブの日曜版雑誌に私の信念を裏付けするような特集記事が出ていた。「How the push for infant academics may actually be a waste of time - or worse.(乳幼児英才教育を推し進めるのが実際には時間の無駄……というよりも害があるかもしれない理由)」という副題の特集記事は、「早期英才教育 を受けた者と受けなかった者の間には、成長後の学問的達成に差はなく、従って時間の無駄である」という主張をさらに一歩進め、「早期英才教育は、その子が 持っている潜在的能力の開発をかえって妨げる」という推論を紹介している。この記事に載っているデータは、私が過去14年間に親としてわが子や周囲の子供 たちを観察して得た感覚と一致している。知り合った子供たちのうちには、「gifted child(いわゆる天才児だが、アメリカでの定義は”極めて優秀な子供”程度」も多い。彼らを知ると、giftedは生まれつきのものであり、親やシス テムがそれを積極的に殺さない限りは、才能はいずれ花開くようにできていることがわかる。親がどんなに頑張ってもgiftedを作り出すことはできない。 これは断言できる。私は幼稚園に行く前から早期英才教育を受けていた子供を何人も知っているが、10年後の現在、そのうち誰ひとりとしてこのgifted に属す者はいない。それどころか、公文で同級生たちよりもずっと先のレベルに達していたのに高校で数学が理解できず困っている子もいる。早期英才教育は、 (全ての、とは断言しないが)子供のせっかくの生まれつきの才能を殺しているのかもしれないのである。
早期英才教育は時間の無駄より悪い(その2)
ボストングローブ日曜マガジンの「How the push for infant academics may actually be a waste of time - or worse」という特集記事によると、National Institutes of Mental Health (NIMH)の研究者が5歳から19歳までの子供の大脳皮質の厚さとIQスコアの関係を継続的に調べた結果、「非常に優れた頭脳」のカテゴリーに属す子供 の大脳皮質は、平均的な頭脳の子供に比べると、遅れて成熟することを発見した。大脳皮質の厚さがピークに達する年齢が、平均的な頭脳の子供が8歳であるの に対して、非常に優れた頭脳を持つ子供の場合は11歳か12歳であったのだ。研究グループの1人Jay Gieddは、グローブ紙の取材に対して、「これは"兎と亀"の物語のようなものです。2歳−これは馬鹿馬鹿しいレベルですが−で本を読めない多くの人々 の多くは、2歳で本を読める子供たちに追いつくだけでなく、彼らを超えるということです」誰でも、小学校で成績が悪かった同級生(なぜか多くの場合は男の 子である)が高校で突然変身して優等生になったのを経験しているはずだ。それは、もともと才能ある彼らの脳が普通人の私たちに比べて遅れて成熟しただけの ことだったのかもしれない。テンプル大学のKathy Hirsh-Pasekは、このグローブ紙の記事で、カードを使って計算や綴りを1歳児や2歳児に教えるような早期教育は、neurological "crowding"という現象により正常な脳の発達をかえって妨げるという意見を述べている。これは、将来もっと創造的なタスクのために保存されている ほうがよい脳の部分のシナプスを過剰な情報で"混雑"させてしまう現象だという。これらの意見は、私が幼稚園のころから娘の通う小学校にボランティアとし て入り込み、そのころ既に小学校高学年程度の本が読め、公文式教室に通っていた子供たちを、高校1年生になった現在まで継続的に観察した結果とに一致して いる。幼稚園のころからボストン近郊の公文式教室(日本人経営のものではない)に通っていたアジア系の子供たちのうち、高校生になった現在、数学で突出し た能力を発揮している者はほとんどいない。それどころか、小学生のころクラスで最も優等生とみなされていた彼らの多くが、能力別編成になる高校1年生の数 学で3レベルの中間に属している。それとは対極的に、公文に通わなかったために同級生に比べると計算が苦手で、「私は算数ができない」と言っていた子が、 教師から飛び級を勧められるほど数学が得意になっている。これらの現象については「才能を殺さない教育」で詳しく語るつもりだが、グローブ紙の特集記事が 指摘しているように、危険なのは、われわれが”兎”のパフォーマンスをあたりまえの基準として認めることで、“亀”が最初の走りでの評価を受け入れて、や る気を失ってしまうことである。将来歴史に残るような文芸作品を書く潜在的能力を持っている子供が、小学校1年生の担任教師から「読み書きができない」と いう評価を受け、「どうせ僕は読み書きが苦手なんだ」と思いこんで本に触ろうともしなくなったら、学校と他人の教育ママたちが、子供たちの潜在的能力を殺 していることになる。これは、嘆かわしい現実である。
才能を殺さない教育−はじめに
この作品を書くきっかけになったのは、娘の通う公立学校でのボランティアだった。
日本での公立学校生活をあまり楽しんだとはいえない私は、住んでいるマサチューセッツ州の町立公立学校に対して殆ど期待はしていなかった。いくら教育で有 名な町であっても、日本よりは教育程度は劣っているであろうし、虐めだってあるだろうと決めつけていた。だから、学校の教室に入り込んで直接教師や同級生 を監視できるボランティアを希望したのである。まず私が驚いたのは、小学校での虐めがないことであった。これは、私自身の観察のみならず、小学生、中学 生、高校生を取材して確認したことである。次に私の先入観を覆したのは、学問的達成度である。小学校ではまったくといってよいほど詰め込み教育をしないの に、多くの生徒が中学校ですでに日本の大学生と同程度の論文を書き始め、世界史と国際政治に関しては日本の大学生よりも詳しく、数学でも中学校で日本の高 校レベル、高校で大学レベルに達している。これは誇張ではない。この町の中学校を卒業してから日本に帰国し、のちに慶応大学の医学部に入学した男子生徒 も、同じ見解を持っている。そして最大の驚きは、生徒の大部分が「学校好き」だということである。なぜ、人口二万人程度の小さな町の誰でも入学できる公立 学校がこれほど理想的な公立学校を作り出すことができたのか?私が取材を始めたのは、本を書くためというよりも、純粋な好奇心からだった。全てを探り出し たとは思わないが、この経過で母親として貴重な子育てのコツを学んだと思っている。あれから3年経ち、このとき取材した小学生は中学生に、高校生は大学生 になっている。何人かとは継続的に連絡を取っているが、みな自分の現在の状況に満足しているようである。私の娘も、大好きだった幼稚園よりも小学校のほう が気に入り、小学校よりも中学校、中学校よりも高校のほうが楽しいと言う。取材を通して学んだことは、実生活で役立っているようである。
注)この未発表作品は2004年から2006年にかけて取材したもので、登場人物の年齢、学年、職業などは取材当時のものです。
才能を殺さない教育 第二章 成功の定義(その1)
アジア系移民の“成功の定義”と落とし穴
「あなたにとって子供の成功の定義は?」こう尋ねると、日本人や韓国系移民は「そりゃあ、よい大学には行って欲しいけれど……」とあいまいに言葉を濁す が、たぶん文化の差なのだろう、レキシントン町に住む中国系移民の多くはあっさりとこう答えてくれる。「私たち中国人の間では、ハーバード大学かMIT (マサチューセッツ工科大学)でないと……という思いこみがありますね。実際同じ通りに住んでいる中国人家庭の子どもたちは、ハーバードとMITに入学し たから、こちらもそうしなくちゃならないような、そんなプレッシャーがありますよ」中国大陸からの移民である両親を持つアルバート・チェンはレキシントン 町の中国系移民が目標とする存在だ。高校の最初の2年間で数学のもっとも難しい過程を終えてしまい、3年目にはハーバード大学の延長プログラム、四年目に はスタンフォード大学の遠距離授業の最高レベルを修了し、数学チームではキャプテンを務め、全国レベルの大会で数々の優秀な成績を収め、化学コンテストで はニューイングランド地方大会で二位になり、高校三年生の夏休みには全米で五十人だけが選ばれるMIT(マサチューセッツ工科大学)の研究プログラムに参 加し、クラスメイトの誰よりも先にMITとハーバード大学の両方から合格通知を受け取った。アルバートの兄もMITに通っている。実際にレキシントン高校 からは2003年度はハーバード大学に5人、MITには8人入学しており、この数は町立の公立学校としては全国でトップレベルであり、他のマサチューセッ ツ州の優秀な公立学校と比較しても多い。しかし、約400人の卒業生のうち2割以上がアジア系であることを考慮に入れると、中国系移民の子弟全員がハー バードかMITに入学していないことは明らかだ。「ハーバードかMIT」を成功の定義にすると、9割以上のアジア系学生は人生の落伍者ということになって しまう。しかも、レキシントン高校には、「わが子を良い大学に入学させる」ことを期待して他の町よりも高い不動産を買ったアジア系移民が知らない「落とし 穴」がある。そこそこ優秀な生徒にとっては、大学入試というものがないアメリカの制度においては、レキシントン公立学校からトップレベルの大学にはかえっ て入学しにくいのである。その理由を説明する前に、まずアメリカの大学入学選考システムを説明しよう。
才能を殺さない教育 第一章 教育の理想郷(その2)
住民が手作りする公立学校
レキシントン町を運営するのは、町議会議員、行政委員、タウンマネジャーの三つの部門である。予算や条例を決めるのが町議会で、町の方針を決めるのが行政 委員会、そして、行政委員会の監督のもとに直接町政を運営するのがタウンマネジャーだ。この町のことを知り始めたころ私が一番驚いたのは、タウンマネ ジャーだけが年収一千万円を越す専門職で、住民選挙で選ばれる二十一人の町議会議員と五人の行政委員が、いずれも無給のボランティアだということだった。 公立学校の運営も、町の行政と同様である。町議会が可決した予算の詳細と学校の方針を決めるのは選挙で選ばれた五人の教育委員で、小学校から高校までの公 立学校の具体的な運営の責任者が教育長である。教育委員は町民のボランティアで、教育長は有給の専門職だ。町の方針を決める行政委員に報告する委員会は五 十以上あり、それらの委員会では約三百人が働いている。教育委員に報告する委員会や臨時委員会、学校のマンパワーとして重宝されているPTAまで合わせれ ば、常時およそ二千人、成人人口の十%ほどがボランティアとして町と公立学校の運営に関わっているということである。これは、ボランティアが盛んなアメリ カでも珍しいことらしい。私立学校やマグネットスクールという選択肢があってもレキシントン町の保護者たちがあえて町の公立学校を選ぶのは、そのほうが自 分の子供にとって良いことだと信じているからである。その信頼の源は、住民参加の民主主義にある。
民主主義と公立学校
レキシントン町の教育委員トム・ディアスは、「公立学校は民主主義そのもの」と言う。独立戦争が勃発した日レキシントン町に隠れていたサミュエル・アダム スは、「ボストン茶会事件」の首謀者で、後にマサチューセッツ州の知事になった建国の英雄である。彼は、アメリカ独立のために奔走しているときに、「市民 が無知だと、自由や民主主義のコンセプトを理解することさえできない」ということに気づいた。民主主義を行うには、その準備段階としてまず実行者の市民を 教育する必要がある。彼はこう書いている。「知識が普及し、徳が順守されれば、誰も従順に自由を引き渡したり、簡単に抑制されたりはしないだろう」マサ チューセッツ州の憲法は、合衆国憲法よりも七年も前の一七八〇年に批准され、憲法の執筆者の一人でもあるアダムスは、その中に公教育の義務を記した。建国 と同時に生まれたアメリカの公教育は、手に職をつけるためではなく、民主主義を遂行できる市民を育てるためのものだったのだ。アメリカ人に尋ねれば、「民 主主義とは戦ってでも守るべき大切なもの」という答えが戻ってくる。年収数億円の国際ビジネスマンでも、生まれた町から一歩も外に出たことのない無教養な 田舎者でもこの価値観は変わらない。私たち日本人には、そんなアメリカ人がちっとも理解できない。それは当然と言えば当然なのだ。アメリカ合衆国と日本は どちらも民主主義国家ということになっているが、両国の民主主義は根本的に異なる。アメリカ合衆国の民主主義は、他国の支配に耐えきれなくなったサミュエ ル・アダムスやミニッツマンたちが命をかけて戦って勝ち取ったものだが、日本の民主主義は第二次世界大戦で他国に負けて押しつけられたものだ。この違いは 大きい。公立学校に対しても、私たち日本人は受け身である。保護者は、不満があると学校に怒鳴りこんだり、陰口を言ったりはするが、学校と一緒になって状 況を積極的に改善しようとはしない。また、変えることが可能だとも思っていない。そこには信頼感がないからだ。レキシントン町の住民にとっては、そういう 日本人の感覚のほうが不可解のようである。「私立学校は、どんなにすばらしくても、親は一方的に学校の方針に従うしかありません。嫌ならやめるしかない。 けれども、公立学校は、住民のものです。住民や親に変える力があるのです」とディアスが言うとおり、町民はレキシントン公立学校の方針から教育長や校長の 雇用まですべての過程に口も手も出す。教育長を雇うときにも、教育委員に任せっぱなしにはしない。どんな人物を雇うべきかその条件を決める委員会にも希望 者が参加する。集まった多くの履歴書から候補を少数に絞る委員会、面接をして最終候補に絞る委員会にも、必ず一般の町民と学生代表が含まれている。最終候 補の談話会には飛び込みで自由に質問し、教育委員会による公開面接では、「この候補のこの部分が良い」といった意見を書面で提出する。最終決定を下す教育 委員会の会議も公開で、学生代表も教育委員と同じ重みを持つ一票を投じる。これがアメリカ合衆国と日本の差だと早とちりしてはならない。「サミュエル・ア ダムスの直接民主主義を今でも信じて実行しているのは、このあたりの住民だけですよ」とディアスは言う。南や西の自治体は、口は出すが手はださない。つま り、文句は言うけれども公立学校の運営になると政府や州に頼り切りで平気でいる。だからそういう地区の公立学校はダメになってしまったのだ。政府などはあ てにせずに、自分の手で理想を実現せよ。アダムスの精神的末裔は、そう言って胸を張った。
アジア系移民を魅了する学業面での達成
レキシントン町でアジア系の移民が急増している最大の原因は、レキシントン公立学校の評判が高いからである。その人気に対応するためにアメリカの大手不動産会社は中国語を話せるエージェントを雇用し、中国系移民による「Good School Real Estate(優秀学校不動産)」といった非常に直接的な名前の不動産業者が生まれ、主にレキシントン町で(交通量が多い、または家のコンディションが悪いなどの理由で)価格が低い不動産を中心に中国系移民に紹介しているという。
レキシントン公立学校の何が彼らをこれほど魅了するのだろう?
アジア系以外の新しい住民にレキシントン公立学校の魅力を尋ねると、「音楽プログラムがすばらしい」、「ディベートを授業で学べる」、などいろいろな答え が戻ってくるが、アジア系移民にとって最も魅力的なのは、どうやら「数学のレベル」のようである。レキシントン高校の数学チームは、全国的に知名度が高 い。1993年から2002年までで行われた数学競技「マサチューセッツ大学ローウェル校数学チャレンジ(UMass Lowell Math Challenge)」では無敵のチャンピオンの座を守り、ニューイングランド地方(ヴァモント、メイン、ニューハンプシャー、マサチューセッツ、ロード アイランド、コネチカットの6州)の私立と公立高校88校が競う「ウースター工科大学数学競技(Worcester Polytechnic Institute Mathematics Competition)」でも15年連続優勝。同じく、ニューイングランド地方の大部分の中、高が参加する「ニューイングランド・数学リーグ (NEML)」では、中、高ともにほぼ毎年トップ。「マサチューセッツ数学リーグ(Massachusetts Association of Mathematics League)」もチャンピオン。そのほかにも「マサチューセッツ数学リーグ協会」、「アメリカン数学競技(American Mathematics Competitions)などの競技で、優勝者からトップ20位までにレキシントンの学生の名がずらりと並んでいる。数学関係者以外にもレキシントン高 校の名が知られるようになったのは、たぶん1994年の「国際数学オリンピック」の香港大会であろう。アメリカチームは、この大会で優勝しただけでなく、 国際数学オリンピックの35年の歴史で初めて、チームメンバー6人全員が6問全問正解するという快挙を果たした。その「ミラクル・チーム」のひとりが、レ キシントン高校のジョナサン・ワインスタインだったのだ。また、マーク・リプソンは2003年の東京大会で3位になったアメリカチームの一員である。全国 的な快挙は、国際数学オリンピックだけではない。2000年には、ユンジョン・リュウが数学と科学での達成とリーダーシップにおいてマサチューセッツ州で もっとも優れた学生として「大統領奨学生賞(presidential scholar)」を受賞し、ホワイトハウスに招かれている。「国際数学オリンピック」の出場者を決める「全米数学オリンピック(USAMO)」は、ス ポーツのオリンピック出場権を決める予選大会のように、数学競技者の間では予選を通過するだけで栄誉あることだとみなされている。1996年から2002 年までの予選通過者の累積数では、レキシントン高校は全米で6位である。レキシントン公立学校の成績がどれほど驚くべきものかは、競合する学校と比較する とわかりやすいかもしれない。1位から5位までのトーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson,ヴァージニア州)、イリノイ州立数学科学アカデミー(The Illinois Mathematics and Science Academy、イリノイ州)、ストイフェサント(Stuyvesant High School、ニューヨーク州)、科学技術振興アカデミー(Academy for the Advancement of Science and Technology、ニュージャージー州)、ブレア(Blair,メリーランド州)は、いずれも「マグネットスクール」で、7位以降に名前が並ぶのもマ グネットスクールか、あるいは名門私立「フィリップス・エグゼター・アカデミー」(Phillips Exeter Academy,ニューハンプシャー州)、「フィリップス・アカデミー」(Phillips Academy, マサチューセッツ州)などである。フィリップスとエグゼターには、全米の裕福な家の子弟がアイビーリーグ名門大学に入学するために集まっている。したがっ て、入学選考がないふつうの公立高校としては、レキシントン高校はまぎれもなく、全米一位の存在なのである。レキシントン高校の吹奏楽団、ジャズバンド、 ディベートチームも全国的に有名なのだが、「数学」というのは、アジア人にとってももっとも分かりやすい達成の基準なのだろう。学業的な達成が人生を左右 する国から移住した移民たちが、「高い私立に入学させなくても、この町に住むだけで最高の教育を受けられる」という結論に達するのは容易に想像できる。し かし、子供にとって理想的な教育を考えると、これは非常に短絡的で危険な考え方なのである。これについては後の章で説明しよう。
才能を殺さない教育 第一章 教育の理想郷(その1)
アメリカ独立戦争が始まった日
一七七五年四月一八日早朝、ボストンから十五キロメートルほど北西にあるレキシントン村の広場では、赤い制服に身を包んだ英国軍兵士たちと、質素な身なり の地元の住民兵「ミニッツマン」たちが銃を構えてにらみ合っていた。英国軍は約九百人、それに対してミニッツマンは七十七人。それを四十人から百人といわ れる見物人が、息をのんで見守っていた。その場に遅れて到着した英国軍指揮官ピトケアンは、英国軍兵士たちに「撃つな」と命じ、それからミニッツマンに 「反逆者め。武器を捨ててこの場から去れ」と叫んだ。ミニッツマンのリーダー、キャプテン・パーカーがそれを受けて兵士たちに退却するように命じ、何人か がその場を静かに立ち去りかけていたとき、ひとつの銃声が響いた。この銃声に誘発されて数人の兵士が銃を撃ち、連鎖反応で銃撃戦が始まった。これが、アメ リカ独立戦争の始まりである。超大国アメリカ合衆国の出発点となった最初の銃弾を放ったのは、茂みに隠れていた傍観者だったとか、英国人の平民だったと か、いろいろな説があるが真相は謎のままである。
それから約二百年間、「建国の英雄」の子孫達にアイルランド系移民やイタリア系移民が加わったものの、レキシントン町は、人よりも牛の数のほうが多いよう な農業中心の小さな町にすぎなかった。そののんびりした町に変化をもたらしたのは、第二次世界大戦後の経済ブームだった。町は急速にボストン市のベッドタ ウン化して工業と商業が盛んになったが、さらに町の様相を変えたのは一九五〇年から六〇年代にケンブリッジ市界隈から移住してきたハーバード大学やマサ チューセッツ工科大学の職員たちだった。言語学者で思想家のノーム・チョムスキー、ノーベル平和賞のヘンリー・エイブラハム、知的巨人と呼ばれるエドワー ド・オズボーン・ウィルソンなどに代表される知識人たちが増え、現在では住民の成人人口の三十%が大学院卒業者になった。戦争直後には、民主党員が四人し かいない保守的な町だったのに、新しい住民たちのために急速にリベラルに傾いていった。
新しい住民の連鎖反応
新しい住民たちは、レキシントン町の公教育に大きな影響を与えた。 大学で教える彼らは、自分たちの子供にとって理想の学校教育を実現することに熱意を抱き、学校に協力していろいろな改革を試みた。六〇年代の米国東部は革 新的なアイディアに満ちていて、「何ができるか、まずやってみようじゃないか」という時代だった。国や州だけでなく、町の公立学校にも標準カリキュラムな どというものはなく、それぞれの学校が勝手にカリキュラムを作っていた。子どもたちに自由やゆとりを与えたほうがすばらしい能力が生まれる、という考え方 がもてはやされたのもこのころだ。 現在町に六つある小学校のひとつ、エスタブルック小学校は、ハーバード大学とレキシントン公立学校の提携で「チーム教育」という新コンセプトを実現するた めに、一九六一年に設立された。学校の建物も、このコンセプトを実行しやすいようにデザインさた。 チーム教育は試行錯誤を重ねた結果自然消滅したが、教育熱心な保護者に支えられたエスタブルック小学校の学力が突出し、レキシントン公立学校はほかの小学 校を同じレベルに引き上げるように努力した。このような努力の噂が広がり、「良い教育」を求めて教育熱心な親たちがレキシントン町に移住してくるように なった。ことに、第二次大戦後には皆無だったユダヤ系の住民が急増し、引き続いてアジア系移民が移り住んだ。マサチューセッツ州全体のアジア人人口は四% 未満だが、レキシントン町は約十二%で近隣の町よりも多く、エスタブルック小学校では約三割の生徒がアジア系あるいはアジア系の混血になっている。また、 クラスの三割前後の両親あるいは片親がユダヤ人で、中東、ヨーロッパからの移住者や海外赴任の「外国人」も多い。住民の変化は、宗教にも影響を与えた。ボ ストン界隈はカトリック教徒が多いのだが、レキシントン町にはプロテスタントだけで十以上のまったく異なる宗派の教会があり、中国系の移民が集まる「中国 バイブル教会」もある。キリスト教以外にはユダヤ教のシナゴーグが三つもあり、仏教徒協会、ギリシャ正教の組織、どんな宗教的基盤の人も受け入れるユニタ リアン教会もある。アメリカで最も多いWASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)は、このようにレキシントン公立学校ではかえって少数派(マイ ノリティ)なのである。
アメリカの公立学校の概要
ここで簡単にアメリカ合衆国の公立学校について説明しよう。日本では小学校六年、中学校三年、高校三年と決まっているが、アメリカではそれをどう分けるの かは学校次第である。小学校が五年間の学校もあれば、小学校と中学校が一緒になっている学校もある。そこで、アメリカでは小学校から高校卒業までを一から 十二年生までの通し番号で呼ぶ。レキシントン町には、公立の小学校が六校、中学が二校、入試のない普通高校が一校あり、これらすべてを「レキシントン公立 学校」という一つの組織が管理・運営している。幼稚園から五年生までが小学校(六年制)で、六から八年生までが中学校(三年制)、九から十二年生が高校 (四年制)である。アメリカ合衆国では、学校の分け方だけでなく、カリキュラムや学力レベルも全国的に統一されていない。アメリカの富と頭脳は東西の海に 面した地区に集中しているが、公立学校のレベルとなると東西南北では格段の差がある。はっきり言ってしまえば、東高西低、北高南低だ。レキシントン町があ るマサチューセッツ州は、「モーガン・キトノ出版」の「最も賢い州賞」(Smatest State Award)という公立学校ランキングで、毎年全米一位から三位に属している。二〇〇四年から二〇〇七年にかけての上位四位は、マサチューセッツ州とその 北に位置するヴァモント州、ニューヨーク市近郊のコネチカット州とニュージャージー州の順位が入れ替わる程度で、賢い州はいずれも北東部に集中している。 対照的に南部と西部は公立学校の不毛地帯である。「最も賢い州賞」のワースト10の常連は、ニューメキシコ、ネバダ、アリゾナ、ミシシッピ、ルイジアナ、 アラスカ、アラバマ、カリフォルニア、ハワイ、テネシー州などで、ブッシュ大統領お膝元のテキサス州も二〇〇四年の三十三位からはやや改善したが、いまだ に五十州中二十四位と北東部とは比べものにならない。
公立学校の二つのタイプアメリカの公立学校には、大きく分けて二つのタイプがある。住民の子弟なら誰でも入ることのできる一般的な公立学校と、入学選考が ある「マグネットスクール」である。マグネットスクールとは、ある分野で優れた才能を持つ子どもを広域から集める公立学校で、多くは大学、州、企業との連 携で運営され、あらゆる場から助成金を受けている。アメリカでは、住民が経済的に安定している近郊の公立学校は良いが都市部のそれは荒廃している。日本人 がアメリカの公立学校に抱いている悪いイメージは、こういった都市部のものである。ギャングの抗争やレイプが日常茶飯事だったサウスボストンで育った私の 友人は、必死で勉強して全米で最も古いマグネットスクールの「ボストンラテン」に入学した。別の友人の父親も、サウスボストンのアイルランド移民の貧困か ら抜け出すための唯一の方法として「ボストンラテン」に入学したくちである。しかし、マグネットスクールの主な存在意義は、慈善ではなく才能がある子の能 力を最大限に伸ばすことにある。理数系で有名なのが、ワシントンDC近郊バージニア州のトーマス・ジェファーソン科学技術高校だ。厳しい入学選考や企業と の提携で充実した科学のラボなど、一般的な町の公立学校とはまったく性質が異なるために、マグネットスクールは公立ではなく「税金を使った私立学校」に過 ぎないという批判も聞こえてくる。だが、社会・共産主義国のロシアや中国は、優れた才能を国家の未来のために選抜して開発している。アメリカがそれらの国 に負けないように税金を使って才能を開発するのは、極めて当然のことである。 いつの時代も、アメリカ政府の最大の関心事は軍事力と経済力で世界ナンバーワンの地位を維持することだ。そもそもアメリカが理数系の教育に力を入れるよう になったきっかけは、ソビエト連邦のスプートニクだった。アポロ計画がそうだったように、ソビエト連邦との競争に勝つための対策だったのだ。時代は変わ り、二〇〇六年の大統領一般教書演説でブッシュ大統領が競争相手として名指しにしたのは、中国とインドである。相手国が変わっても「理数系の教育に力を入 れる」という対策は変わらない。
才能を殺さない教育 第二章 成功の定義(その3)
大学進学に関するアジア系移民の誤解
アジア系移民の親たちとの会話からひしひしと感じるのは、アメリカでもっとも高い教育を与える大学はハーバードかMIT(あるいはアイビーリーグ大学のひ とつ)であり、優れた才能がある子は必ずこれらの大学に入学するという思いこみである。彼らには、これらの大学で優秀な成績を取る頭脳があっても入学を認 められない子やこれらの大学にはまったく興味がない子も(数多く)存在するのだということが想像もできないようである。そして、これらの有名大学に入学で きないと人生の落伍者になるという思いこみも典型的だ。移民の親たちが子供に「勉強しろ。他人に負けるな」とがみがみ言うのは、自分たちもそんな環境で育 ち、その結果現在の(成功した)自分が存在するという認識があるからだろう。少なくとも、レキシントン公立学校を通してアジア系移民と知り合った白人のア メリカ人たちはそのように好意的に解釈している。好意的な解釈はしても、肯定的にとらえているわけではない。「親の夢を叶えるためにプッシュされる子供が かわいそう」と同情する者や「わが家の教育方針とは異なるのに、学校での競争が過熱てうちの子がプレッシャーを感じている」と迷惑がる者が多い。そういう 親たちのことを、「白人の親は私たち(アジア系の親)のように頭を使わない。だから子供がばかになって将来よい大学に入れなくて後悔することになる」とあ ざ笑ったアジア系の知人がいたが、その知人の自慢の娘はハーバード大学だけでなくアイビーリーグ大学のいずれにも入学しなかった。大学側が拒否しただけで なく、本人も行きたくなかったのである。そして、小学校1年生で読み書きができず、計算が遅くて彼女の嘲笑の対象であった白人の生徒たちの何人かはアイ ビーリーグ大学に進学した。この知人の娘がハーバード大学に入学していたら、ちゃん優秀な成績を取っていただろう。だが、彼女の夢はエリート軍人になるこ とだった。空軍アカデミーでも優秀な成績を取った彼女は軍人として現在エリートの道を進んでいる。この例で私が言いたいのは、最初に述べたように、「これ らの大学で優秀な成績を取る頭脳があっても入学を認められない子やこれらの大学にはまったく興味がない子も(数多く)存在するのだ」ということである。ま ず、アメリカでは大学の“学問的”評価は、評価する者によって非常に異なる。USA Todayの大学ランキングは有名だが、これは大学が与える学問の高度さを比べたものではない。入学した者のSATスコアの平均点と、志願者の数に対する 入学を許可された学生数といった「入学の難しさ」の比較なのである。出願者と合格者の格差が激しいほど、ランキングは上がる。だから大学はランクを上げる ために出願者を増やすためにマーケティングにエネルギーを注ぐのである。雑誌やインターネットの大学ガイドの評価もまちまちだ。例えば「College Prowler」の学問的ランキングの第1位(2004年現在)は、日本ではあまり知られていないが伝統あるウィリアムズ大学で、それに続くのはスタン フォード、MIT、プリンストン、ダートマスである。ハーバードは7位のジョージタウン大学よりもはるかに下位の13位なのである。それに、ハーバードの ように大きな総合大学では、教授が直接学生を教えずに大学院の学生に講義を任せることが一般的である。それに比べ、リベラルアーツと呼ばれる小規模の大学 では、必ず教授が学生を直接指導するために教育の質が高くなる。この4年間の差のために、有名大学院にはリベラルアーツ大学からのほうがアイビーリーグ大 学からよりも入学しやすいとも言われる。次の誤解は、アジア系の親が忠実に従う入学選考の要点である。白人の親が指摘するように、アジア系の子供は幼いこ ろからピアノと弦楽器を学び、公文式教室に通う傾向がある。中学生になると、夏休みに日本の塾に似たクラスや泊まりがけのキャンプで数学や科学の講義を受 けるようになり、高校では標準テストのSAT準備クラスを受講する。しかし、これらの戦略が実際に役に立つのはわずかな割合のアジア人でしかなく、残りの 学生にとってはかえって逆効果になりかねない。
優れた高校に入学することの逆効果
日本と異なり、SATで満点を取っても有名大学に入学できる保証はない。ハーバード大学では、毎年SATで満点を取った学生を何十人も不合格にし、さほど 有名ではない大学の合格者平均SAT得点よりも低い点数の生徒を受け入れている。SATより重要なファクターは、人種と社会経済的なディバーシティ(多様 性)である。有名大学では、実社会を反映したディバーシティを実現するために、通常の入学選考では欠けるカテゴリー(経済的に恵まれない生徒やアフリカ系 アメリカ人、ヒスパニック系アメリカ人など)の生徒を優先的に入学させる。マイノリティであれば有利かというと、そうではない。ハーバード大学とMITは アジア系の生徒に人気があるので、応募者も多い。大学はひとつのカテゴリーだけを増やしたくないので、アジア系の生徒同士が比べられることになる。一生懸 命SATのために勉強をしても、高校で完璧な成績を取っても、ヴァイオリンとピアノを演奏できても、同じようなアジア人が何百人も入学を希望している状況 では、それらが他のアジア系学生に比べて優れていないかぎりは、特別な能力とはみなされない。それどころか、標準テストのSATを施行するCollege Boardの”The Downside to being an overachiever” http://www.collegeboard.com/student/plan/high-school/extracurriculars/150225.html によると、むしろ大学はこれらの“overachiever(やりすぎの成功者)”を敬遠するらしい。5歳のころから寝る時間も惜しんでピアノの練習をし たとしても、「どうせ、大学入学対策として習ったのだろう」という批判的な目で見られてしまうというのだ。加えて、レキシントン町には、子供を良い大学に 入学させるために越してきたアジア系移民が予期していなかった「落とし穴」がある。教育分野を専門にしているジャーナリストジェイ・マシューズの 「Harvard Schmarvard」は、少数のスーパースターの生徒は別として、優れた高校に通うとかえって有名大学への入学のチャンスが低くなる事実を指摘してい る。なぜかというと、高校での生徒のランキングを大学が重視するからである。有名私立あるいは第一章で説明した「マグネットスクール」では、SATスコア が満点に近い生徒が山ほど存在する。普通の町立公立高校であれば全校で1位か2位の成績ランキングだったはずの生徒が、マグネットスクールに入学したため に全校で30位程度になってしまうことは珍しくない。大学は、SATスコアが多少低くても、マグネットスクールで30位の生徒ではなくて、普通高校の成績 ランキング2位の生徒を取るのである。レキシントン高校はマグネットスクールではないが、良い学校を求めて移住してきた者が多いために、マグネットスクー ルに近い環境ができあがっている。実際に、2007年のSATの結果は、私立とマグネットスクールを除くと、マサチューセッツ州でトップである。それゆ え、他の学校であれば容易にトップに立てる生徒がレキシントン高校では“普通”のレベルになってしまう。APまたはオナーズ・クラスには人数制限があるの で、クラスについてゆける能力に達していても自分よりも優秀な者が多ければそのクラスに入ることは許されない。また、オナーズ・クラスに入ると、皆が優秀 なので、AどころかBを取ることも難しい。従って、よその高校であれば、大学の入学選考で最も重要だと言われる「高校で選択した授業とその成績」で卓越し ていたはずの生徒でも、レキシントン高校に行ったために「まあまあ」程度の結果しか提出できない。マグネットスクールや有名私立と同様に、レキシントン高 校からはかえって有名大学に入学しにくい可能性があるのだ。(しかし、これは「良い大学に入学すること」を成功の絶対条件にした場合の「落とし穴」であ り、子供自身の将来にとってはかえって良いことなのかもしれない。それについては別の章で述べることにする。)
才能を殺さない教育 第二章 成功の定義(その2)
アメリカの大学入学選考システム
日米の大学入学へのプレッシャーは似ていても合格を決める選考方法は異なる。日本を含めアジア諸国では入学試験ですべてが決まるが、アメリカでは、入学選 考を担当する “College Admission Officer”という専門職が提出された書類と面接の結果を審査し、合否を決定する。その過程と何が決定要因になったのかは極秘であり、学生は最後まで 合否の理由を知ることはない。ただし、書類審査で最も重視される一般的な内容についてはよく知られている。それらは以下のようなものである。
1. 高校で選択した授業とその成績。
これは多くの大学が最も重視する情報である。高校の成績は通常A,B,C,D(もっとも高い成績はA+で、A, A-, B+, B….と続く)で表現され、それを数字化した平均値「GPA(Grade Point Average)」は、大学入学後の学生の成功の可能性をある程度予測するために重視される。大学レベルのカリキュラムのAPあるいはオナーズ・クラス (習熟度別クラス編成などでの上級クラス)を学生が受講しているかどうかも大学側は重視する。一般的に、大学は難易度の低いクラスでAを取る生徒よりも、 難易度の高いAPやオナーでBマイナスを取る生徒を高く評価する。
2.標準テストのスコア
高校によりレベルに差があるので、GPAだけで学生を比較することはできない。そこで、全国的な標準テストのSATあるいはACTのスコアが参考として使われる。 2006年に改良されたSATでは、読解、数学、作文(そのうち1セクションは25分でエッセイを書くこと)の3つの能力をテストする。ACTは、英語、数学、読解、自然科学ですべて選択問題である。
3. 授業以外の活動
スポーツ、音楽、奉仕活動など学校の授業以外の活動。ピアノやヴァイオリン、スポーツでの達成、クラブでの活躍などの情報から、大学はリーダーシップと学生の入学後の成功度を推察する。標準テストのスコアと同様かそれ以上に重視される場合がある。
4. 出願エッセイ
5. 推薦状
学生の人柄をよく知る2人か3人の人物の推薦状は、学生の前途を予測させるので、高校の成績と同じほど重視する大学もある。属しているスポーツクラブのコーチ、奉仕活動の責任者、クラブの顧問など、活動の内容と合致する人物が効果的と言われる。
6.レガシー入学(Legacy Admission)
親族がその大学にコネクションがある場合(教授、理事、卒業生、寄贈者、など)優先的に入学を認められる制度。特に、古く伝統がある大学でこの傾向が強いと言われる。
7. 人種/社会経済的背景
黒人、ヒスパニック系アメリカ人、アメリカ原住民(アメリカ・インディアン)と都市部の社会経済的にハンディキャップのある学生の場合、SATスコアが他 の学生よりもきわめて低くても入学を許可されることがある。その目的のひとつは、社会的にハンディキャップがある学生に成功のチャンスを与えることであ る。潜在的能力を持っていても、高等教育を受けていない親に育てられた子供のSATスコアが低いことはすでに多くの研究結果で明らかになっている。優れた 大学にとっては、そういった学生の潜在能力を見極めて成功に導くことが、ひとつのチャレンジなのである。もうひとつの目的は、現実社会全体を反映したバラ ンスのとれた環境で学ぶことで、恵まれた立場の学生もかえって多くのことを学べるという考え方である。ただし、一般的にテストの成績がよいアジア系学生 は、両親が英語を話さない移民であっても社会的にハンディキャップがあるマイノリティとはみなされず、SATスコアが白人の学生より高くても不利になる場 合がある。これらはあくまで一般的な検討項目であり、どの項目がもっとも重視されるのかは、それぞれの大学が求める学生像により異なるだけでなく、時代の 流れに従い変移している。入学試験という白黒がはっきりした選択方法に慣れているアジア系の移民にとって、このようなアメリカの大学入学選考を完璧に理解 することは難しい。システムの差を頭で理解しても、感情的な部分では、生まれ育った国の価値観をひきずってしまう。
才能を殺さない教育 第二章 成功の定義(その4)
客観的な成功を狙うと、幸福にはなれない
取材した生徒たちの何人かはすでに大学生活を経験している。
親ではなく、本人が大学を選び、学力が適していた者は、大学生活を楽しみ、アイビーリーグやMITといった世界で最高の頭脳が集まる大学でも良い成績を取 るのには苦労していないようである。競争の激しいレキシントン高校で成績がふるわず、さほど有名ではないが小規模の優良大学に行った男子生徒は、大学で非 常に良い成績を取り、希望した大学院にはすべて入学が認められた。「レキシントン高校では、あまりにも頭の良い子が多すぎて、大学に入るまで自分がこんな に頭が良いとは知らなかった」と彼は笑った。「高校で知らない間に勉強の仕方を学んできたようだ」と私に言ったのは彼ばかりではない。レキシントン町と似 通った近隣の町で、競争の激しい公立高校を卒業し、ブランド名が高くない優良大学に入学した者の多くが、大学でさほど努力せずに良い成績が取れることを指 摘している。親が「うちの子は**大学に入りました」と自慢するために大学を選んだ場合、あるいは自分自身がライバルに勝つために有名校を選んだ生徒は、 合格したときには嬉しいが、入学した後での幸福度は自分で選んだ生徒に比べると低いようである。幸福の基準を自分の価値観ではなく、他人の価値観に置く と、数字ではっきりとわからない達成には満足しにくいからではないだろうか。また、学業以外の理由(スポーツや音楽)で実力以上の大学に入学した者は、学 業がふるわずに苦労している。せっかくアイビーリーグの大学に入学できても、そこで良い成績を取れなかったら大学院には入りにくくなる。かえって、ブラン ド名が高くない大学で良い成績を取った者のほうがアイビーリーグの大学院には入りやすいのである。しかし、大学がそうであるように、有名校の大学院に入学 するのが成功だという考え方も、他者の評価で自分の幸福をはかっているのは同じである。他者の評価に頼っているかぎり、人は決して幸福を実感することはで きない。
成功を実感するためには
私と同年代(40代から50代)で成功を実感している人々の共通点は、「自分の仕事が好きだ」ということである。大学で都市計画を教えている教授は、夕食 を一緒に取るたびに世界各地で自分が関わっている都市計画を身振り手振りを交えて語ってくれる。彼の話を聞いていると、この世に都市計画ほど面白い分野は ないように思えてくる。夫のすぐ下の弟は、日本人どころかアメリカ人でも聞いたことがないような大学を卒業し、最初の職は中堅企業の営業員でしかなかっ た。それが、いくつもの変遷を経て、現在では日本人でも知っている大企業の重役になっている。自分に自信が持てない青年時代を過ごした彼は、仕事を経てよ うやく自分の得意分野と価値を知り、自分を好きになったようである。彼のカリスマ性は、仕事を通しての自己発見にあったといえるだろう。私の夫は、イン ターネットを中心としたマーケティングとPRの専門家として著作のかたわら講演で世界各地を飛び回っている。もともとは、ウォール街で金融関係の仕事をし ていた彼が、まったく異なる分野の専門家になったのは偶然のことではない。
最初のステップは、「大学でこれを専攻したらこの職業につかなければならない」という既成の概念を捨てたことである。そして、次の大きなステップは、「会 社の重役」という他者の評価による成功の概念を捨てたことである。独立してからの幸福感は、今とは比較にならないと彼は言う。少し年上になるが、引退した 小学校の校長は、70歳を超えた現在でも町のボランティアのかたわら大学院で校長をめざす学生を指導している。彼にとっては、教育こそが人生の情熱なので ある。上記の4人の共通点は、MIT,ハーバードなどの大学生あるいは卒業生を相手に講義をする立場にありながら、自らはそれらのブランド大学を卒業して いないということである。また、彼らは自分のやっている仕事が好きで、「これ以外のことをやっている自分は想像できない」ということである。入学した大学 で成功は決まらない。そして、好きなことをやる、というのが成功への一番の近道なのである。
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http://mvweb.jp/fdubois/?p=206
フランソワ デュボワ。東京在住。作曲家・マリンバソリストと、キャリア教育の仕事に従事。デュボワ・メソッド・スクールの他、著作活動も多数行っている。
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子供の脳と教育2009年4月20日
日本に住んで久しい自分ですが、とても気になる、年々ひどくなる悪習があります。それは電車の中での10〜12歳くらいの子供たちの行動です。母親といっ しょに駅のホームで電車を待ち、電車が到着してドアが開いたとたん、車内の空いている席に向って走りこむ子をしょっちゅう見かけます。母親はそのあとを何 食わぬ顔で車内に入り、子供が座り、自分は立つというのが当然のような顔祖してそのまま子供の前に立ちます。さらに、明らかに席を譲ったほうがいいご老人 や、
障害者が車内に入って来ても、母親の目に入っていないか、ひどい時は無視。なので、子供に「譲りなさい」とも何とも言いません。親がそういう態度を示して いると、子供はそもそもそのことに気がつきません。このエピソードには、自分の子供を優先的に座らせてしまうことが道義的におかしいと思う事よりも、もっ と深刻な問題が潜んでいます。何が深刻なのか分かりますか?
実は、子供の発達と将来に関わる問題なのです。他人を差し置いて我が子をまず優先してしまう「親の身勝手」な態度は、「あなたは自分の好きにしていいの よ。他の人のことは気にしなくていいから。別に見なくてもいいわよ。」という暗黙のメッセージを子供に送っていることにもなります。以前、仕事の帰宅客で 込み合う夜の車内に、5-6歳くらいの女の子がある駅で乗車するや否や、座席に向って走りこみ、結局空席が見つからずに、泣きべそをかきながら「空いてな い!ずーるーいーーーー!!!」と癇癪を起こし、そのまま後ろから乗って来た父親に抱きかかえられた様子を見ていました。しかし、その時に返した父親の返 事が「ごめんね」という、娘に対する詫びの言葉でした。それは筋が違うのではないでしょうか?車内の混雑は父親のせいではないのに、なぜそこで彼が子供に 謝らなくてはいけないのか?それくらいの年齢の疲れている子供にとって、車内で座れないというのは確かに泣きたくなるくらい厳しい環境かもしれません。し かし、あの父親のリアクションでは子供に対して「君がまず先に座るのは当然の権利で、それができないのは父親の責任だ」というメッセージを送ってしまうこ とになるのです。子供がそのまま大きくなってしまったらどうなるのか?履き違えた理屈で物事を捉えるようになって社会生活中で、他人とのさらなる交流を深 める中でどうやって他人に健全な好奇心や興味を示すことが促されるのでしょうか?どうやってコミュニケーションを図っていくのでしょうか?さらに仕事など に興味を示すことができるのでしょうか?その子の居心地の良さが最優先された教育では自分以外の、他人の存在を気にかける心が抜け落ちてしまう可能性が高 いからです。実は思春期以前の子供の脳は、外部からの情報次第でその発達が決まります。そして脳細胞の余剰状態を防ぐために、使わなくなったニューロンは 破壊されていきます。つまり、この頃の外部からの情報は非常に重要になってくるのです。子供の脳について詳しい神経学者で精神科医のJay Giedd医師(国立心療研究所、ベテスダ、メリーランド州)によると、この頃、一年のうちに特定の脳の灰色細胞の最大40%が破壊されるとのこと。つま り、これくらいの年齢の子供たちの脳の発育に留意しながら、特に社会の中での仕組みや共同生活のルールを教え好奇心や興味を通じて社会生活に馴染む大人に なれるように道を示してやらなくてはいけないのです。脳の発達という大袈裟な話をしなくとも、基本的に小さい子供は体力がまだまだ大人に比べて足りませ ん。だからこそ鍛えていくべきなので、電車の中でも立っていられる年齢に達したらむしろ立つことを奨励するべきだと思います。そうでないと、体力も無い、 しかも他人には興味も関心もない、無い無い尽くしの大人であふれてしまいます。将来、そんな悲しい日本社会にはなって欲しくないものです。未来を背負う子 供たちを、正しく鍛えるのがわれわれ大人の務めですね。
http://www.parents-and-kids.com/blog/ja/2008/11/parents-guide-to-the-teen-brain/
Kids Are Our Future
優秀な子供を育てるためのヒントがここにある!
親のガイド-10代子供の脳
私たちは10代の子供はホルモン、または態度、あるいは独立必要があるので、“変な行動”をすると考えっていましたが、研究者は磁 気共鳴画像( MRI )を使って、10代の子供の脳は大人の脳と違うことを分かりました。10代の子供の脳はまだ成長中です。
思春期の脳の発達について、学習することで、親は10代の子供の行動、例えば、衝動、反抗、感情の激しさと高リスクの行動を取ることなどを理解することが できます。これらは10代の子供の”普通”の行動ですので、親は混乱とイライラする10代の子供を正しく指導することは非常に大事です。科学者は人間の脳 が完全に熟になるまで25年かかると認識しています。磁気共鳴画像( MRI )のお陰で、研究者は特定のタスクを実行する時に、脳は何の部分のエネルギーを使用しているのを見ることができます。例えば、研究者は、視覚タスクを実行 する際に脳の特定 の部分の明かりを発見しました。前には、人間の脳のアーキテクチャの基盤は子供が5歳から6歳の間に完成したと考えられていました。実際には、その間に 95 %の脳の構造を形成されました。Giedd博士と同僚は脳の前頭葉前部皮質と呼ばれる領域を発見しました。前頭葉前部皮質は再び成長しているように見えた のは思春期( 11歳の女の子で、 12男の子)の直前です。前頭葉前部皮質は人間の考える能力に非常に大事です。例えば、複雑な判断と決定、記憶、組織化作業、および気分変調など。研究者 は前 頭葉前部皮質の成長することによって、 10代の若者はより良い衝動を制御し、より良く判断することができると考えっています。また、前頭皮質のお陰で大人は表情の微妙な区別することができるこ とを発見されました。10代の子供の前頭皮質はまた完全に動作していないので、彼らは大人の顔に感情を読み違い原因になる可能性はあると一部の研究者は考 えっています。一部の神経科学者は10代の子供は合理的な思考ではなく、リスクのある行動をとる原因は未熟な脳につながっていると認識しています。 Giedd博士と彼の同僚の研究は、他の神経科学者の過去25年間での研究のまとめ、即ち、人間の脳のさまざまな部分は違う成長する段階で熟になることを 証明しました。特に、人間の前頭皮質は比較的に遅く成熟を示しています。一部の研究者は青少年の前頭皮質は成熟されていないだけを考えて、青少年の教育に 困難であることを認識することは正しくないと主張しています。皆は知っているように、一部の10代の子供と付き合うことは難しいですが、付き合い難しい大 人もいます。また、付き合い難しくない10代の子供もいますので、未熟な脳の構造だけ原因として説明できません。脳の構造と機能の関係はとても複雑です。 子供の成長の最初の時期は敏感な時期と言われて、視覚、聴覚と最初の言語学習の能力について、良く研究されています。いまは、脳の成長は最初の数年を超え ていることを分かりました。脳の重要な一部は思春期直前にも起きているのを発見されています。


パパ、ママたちへの警鐘
早期教育で病んだ子どもたちが増えている
(週刊朝日 2009年09月18日号配信掲載) 2009年9月9日(水)配信
書店には家庭向け教育雑誌が所狭しと並ぶ。「0歳から」「天才をつくる」といったフレーズが躍る
親ならば、愛するわが子の才能を伸ばしてあげたいと思うもの。そんな思いから、早くから何らかの幼児教育を始める親が増えている。その早期教育が、逆に子どもを苦しめているとしたら──。
 1歳になったばかりの男の子、Aくん。ある時期から食べ物がうまくのみこめなくなった。無理に食べようとすると吐いてしまう。夜中たびたびうなされ、昼間もごろんと部屋に寝転がり、無気力なことが多い。体の具合が悪いのではと、母親は小児科を受診した。
 母親は、一日じゅう英語のDVDを見せ、通っている英語塾で使う英単語カードの教材を1日10分ずつやらせていた。Aくんが乗り気でないときでも、膝に 座らせて何とかやらせようとした。そのころから、Aくんがお母さんに寄ってこなかったり、急に暴れたりするようになっていたが、にらむとおとなしくなるの で、そのまま続けていたという。
 診察した医師は、「Aくんは病気ではなく、お母さんに敷かれたレールの上を走るのに精いっぱいになっていただけだ」と考え、母親に、抱きしめてあげたり、一緒に遊んだりするようにとアドバイスした。DVDや教材は、一切やめた。
 1週間後に受診したAくんの症状はすっかり消え、ご飯が食べられるようになり、夜もぐっすり眠るようになったという。
 5歳の誕生日直前にお母さんとやってきた女の子、Bちゃんはケンケンと空咳が止まらず、「胸が痛い」と訴えた。頭には、円形の脱毛があった。
 Bちゃんの顔は能面のように無表情で、普通の子どもにある手の温かさがまったくなかった。
 医師は、母親を部屋の外に待たせてBちゃんと一対一で話した。
「お母さんは、どれくらい優しいの?」
 Bちゃんは何度もドアを振り返って母親がいないかどうか確認してから、右手と左手の間を5?くらい開いた。にらみをきかされたり、頭ごなしに怒られたりすることが長期間続いた子がよく示す反応だった。
 医師は、Bちゃんと会話を続けた。「お母さんが怖い」「もっと一緒に遊んでほしい」「おけいこがいや」……。絞り出すように、自分の気持ちを話し始めた。
 Bちゃんは、典型的なスシ詰めの早期教育を受けていた。3歳になる前から、英語や通信教育、受験塾、ピアノにスイミングと、毎日習い事に通い、疲れはてていた。母子関係の危機と判断した医師は、母子を入院させた。
 6人部屋に入院した初日、Bちゃんは、直立不動の「お利口さん」で、人形のようだったという。同室の子と遊ぶことができない。脈が速くなり、顔は蒼白だった。お母さんには、「黙って見ていてうなずいていてくださいね」と話してあった。
 じっと周りの様子をうかがっていたBちゃんは、入院4日目に手近にあったコップを母親に投げつけた。その後、Bちゃんは同室の子のおもちゃを奪ったり、 泣きわめいたりおもらしをしたりといった「赤ちゃん返り」の行動が続いた。母親はBちゃんを叱らず、求められるままにおんぶや抱っこを続けた。退院まで に、1年を要した。
 二つの症例は、いずれも慶応大学病院で小児科医として働く渡辺久子医師が出会った子どもたちだ。
 こうしたケースは、けっして特別なものではない。児童精神科医として25年間診察を続けている青山学院大学教授の古荘(ふるしょう)純一氏も、
「ここ数年、とりたてて発育環境に問題がないのに親に噛みついたり、髪の毛を引っ張ったり、ものを投げつけたりする乱暴な1〜3歳児に数多く出会います。家族以外の人とのかかわり方がわからず、同年代の子の輪に入れない3〜5歳の子も多い」
 と言う。彼らに共通するのは、診療室では「いい子」で、大人の行動を常に注意深く観察しているが、些細なことでキレるということ。そして、英語のDVD やお受験など、小さいころから早期教育を受けている。「発達障害」と診断される、「始終」落ち着きがなく、乱暴な子どもたちと違い、常に乱暴なわけではな いのが一番の特徴だ。
 親は腫れ物に触るように接してしまっているが、「一緒に遊んだり、子どもが何かを訴えるときに共感を持ったりするように」と、かかわり方を助言するだけで、症状が改善することも多いという。
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児童相談所に 家出する幼児も
 こどもの城小児保健クリニックの井口由子臨床心理士も、同じような症状の子どもが多く訪れることを指摘したうえで、
「最近は、健やかに育っているお子さんを連れて、『何歳で何をやったらよいか』というマニュアル的な相談に訪れたり、他の子と比較して『うちの子は○○ができない』と悩む親が増えました」
 と、育児とは、何かをできるようにすることだと考える親が増えていることを危惧する。
 しかし、前出の渡辺医師によると、子どもが苦しんでいることに親が気づかず、思いつめた5、6歳の子ども自らが、児童相談所に「助けてください」と家出 してくるケースが年々増えているという。「過度の早期教育は虐待だ」と断じる渡辺医師は、逃げ出せずに親元で怯えていたり、食べられない、笑えないという 状況に置かれている子も相当数いるのではないかと危惧する。事態は深刻だ。
 だが、早期教育は過熱する一方だ。
 首都圏の0歳6カ月〜6歳就学前の乳幼児をもつ保護者、2980人を対象に行われたベネッセ教育研究開発センターの調査(2005年)によると、習い事 をしている幼児は、2000年と比べて4割以上増加している。始める時期も、低年齢化しており、1歳児で4人に1人、3歳児で過半数に達し、6歳児では 85%を超える。人気が高い習い事は、通信教育やスイミングで全体の約2割。英会話などの語学教室や、知育や英語などを学ぶCD、DVDなどを一括して購 入するタイプの教材は、約3倍の伸びを示している。
 こうした世間の教育熱を反映するかのように、05年後半から06年にかけて「日経キッズプラス」「アエラウィズキッズ」など家庭向け教育雑誌が創刊され、乳幼児教育が特集された雑誌も多く発売されている。
 母親たちの教育熱と早期教育事情は、こんなふうだ。
 2歳8カ月の男の子を持ち、現在妊娠中のIさん。今は、地元のサッカークラブに週1回通わせている。ユニホームを買いそろえ、サッカーボールも買った。 リトミックの教室にも通ったが、泣いて嫌がったので、すぐにやめさせた。他に近所の児童館で週1回開かれる幼児クラブに参加し、家では英語のDVD教材を 見せている。家での会話はすべて英語。
 しかし、Iさんは、わが子の言葉の発達が遅いこと、他の子に乱暴なことを気にしている。取材中、男の子は何度も年下の子のおもちゃを取り上げ、力いっぱい突き飛ばした。「だから友達と遊ばせたくなかったのよ!」とIさんは怒り、男の子は泣き叫んだ。
 なぜ、たくさん習い事をさせるのかと尋ねると、
「子どもと一日じゅう家にいるのは間がもたないけれど、毎日公園に行くばかりでは私が飽きてしまう。習い事をさせるとそこで私が友達を作れるし、息抜きになりますから。でも、私って習い事をたくさんさせてるほうなんですか?」
 数々の有名小学校・幼稚園に合格者を輩出する受験塾の伸芽会(しんがかい)は、去年より1歳児の受講者が4割も増えた。
「1年間の受験準備では間に合わない、少しでも早くやったほうがたくさん学べると考える親御さんが増えています。でも、私たちは難しい漢字を教えるといっ た知識詰め込み型の早期教育はせず、『他者とのかかわり方や運動面、知的側面がバランスよく発達していること』を重視しています。今はお友達とうまく遊べ なかったり、核家族化で集団の中で遊ぶ経験が少ない子も多いですから」(伸芽会職員)
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科学的根拠が 不明な早期教育
 ただ、通わせている親の目的は志望校への合格。母親から、家庭用教材で学習するときに「どうしてできないの!」とつい感情的に叱ってしまうといった悩み や相談が多く寄せられるという。そのため、親への面談もしくは電話相談を月に2回以上行うことで、親の悩みを聞いたり、子どもの様子を報告したりしている という。
 科学者や研究者はこうした早期教育をどのように見ているのだろうか。元北海道大学教授で、現在、人間性脳科学研究所所長の澤口俊之氏は言う。
「いちばん重要なのは、脳の発達パターンに合わせるということです。われわれの研究所で、0歳児から追跡調査を続けたところ、早期教育を受けた子は、1歳児でもキレやすく、6歳くらいになると、多動性傾向が非常に強く、注意力散漫であることがわかりました。
 今、幼児教室や幼稚園などでなされているIQテストや教育などは、科学的根拠がないものが多い。子どもの脳は未分化で、乳幼児のころに教えたことが脳の方向性を決めてしまうので、『とりあえずやらせる』のは危険です」
 京都大学名誉教授の久保田競(きそう)氏は、脳科学者として赤ちゃんの脳の発達分野でも30年前から研究を続けてきた。久保田氏の妻のカヨ子氏が発案し た「久保田メソード」は、今年テレビで放映されて以来、「0歳児を天才にする教育法」として人気が爆発し、「久保田メソード」にまつわる本は、いずれもベ ストセラーになった。
「賢い子どもを育てるには、前頭連合野を育てることが大事です。0〜4歳の脳が育つ時期に、赤ちゃんの発達に合わせて、運動、感覚、社会性、知能といった 各分野の脳をバランスよく使い、神経細胞間のつながりを強くすることで、脳を大きく育てることができるのです」(久保田競氏)
 だが、乳幼児精神医学が専門の前出の渡辺医師はこう言うのだ。
「最新の乳幼児研究では、赤ちゃんには生まれながらに人の情動と意図を察知する力があることが実証されています。つまり、前頭前野といった特定の部位を鍛 えなくても、赤ちゃんは、人とコミュニケーションをもつようあらかじめ特別に発達した脳を持っており、親がリラックスした状態で自然に愛情を注ぐのがいち ばん望ましいのです」
 脳科学にも詳しい乳児行動発達学の権威で同志社大学赤ちゃん学研究センター教授の小西行郎(ゆくお)氏は言う。
「早期教育の安全性も効果も、ほとんど明らかになっていないのが現状です。他の子に遅れないようにという後ろ向きな動機でさせる今の早期教育に何の意味があるのか。サルと一緒で、繰り返しやればできるようになるのは当たり前です」
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孤独と不安を 抱える母親たち
 そもそも、大人と子どもの関係が対等でなく、「何かをやってあげる」という発想が、赤ちゃんが能動的に動く機会を奪っていると小西氏は訴える。
「大人は先回りして汚いものを取り上げたり、知育に役立つものを触らせたりしようとしますが、あらゆるものに触ることはものすごく重要なこと。赤ちゃんのときから、周りを観察して自ら行動し、作戦を立てて選んでいくことで一日じゅう学んでいるのです」
 母親たちに、早期教育への批判をどう思うか尋ねた。
「早期教育が弊害にもなりうるということ自体、知りませんでした。知り合いのお母さんが何か習い事を始めさせて、それがいいと聞いたら当然気になります。 でも、教室のサイトを見てもいいことしか書いていない。どの時期にどんな習い事ならさせてもいいのか、広告ではない情報がほしい」(1歳2カ月の男の子の 母親)
 前出の渡辺医師は、
「お母さんを責めるのは間違っています。症状を出している子ども以上に、誰にも相談できずに、お母さんがあふれる情報に振り回されたり、緊張しながら孤独 な中で育児をしている場合がほとんどです。お母さんたちは、おけいこや塾に行かせて子どもが出遅れぬようにしてやらねば、という気持ちに駆り立てられてい るのです」
 と言う。親子が他の人と触れ合う場、くらいに考えてするのならば早期教育も悪いものではないが、子どもの悲鳴に気づかぬほど必死になると取り返しがつかないと警告する。
 解剖学者で脳科学にも詳しい東京大学名誉教授の養老孟司氏は、
「人間は、20万年も前から子育てをしてきたけど、頭でっかちに『こんな頭のいい子に育てよう』って躍起になっているのは近代化してきたせいぜい20世紀 以降だけ。早期教育は、『脳トレ』と同じで繰り返してやらせればそれに関してはうまくできるようになるが、他のことに役立つかどうかはわからない」
 と否定的だ。
 では、どのように育てればいいのか。
 養老氏によれば、脳には入力・計算・出力の三つの機能があり、五感を働かせて脳に情報を送り込むことによって3機能が循環し、脳が活性化するという。
「脳の発育をうながすためには、自然の中で運動する、遊ぶのが一番だと思う。中でも虫捕りが理想的。日本では、季節も日々変化していくので、予期せぬ環境の変化があり、その分、五感からさまざまな情報が入ってきますから」
 そして、こんな問いを投げかけた。
「木の葉っぱはどういうふうについているか知っている? 重ならないようについていて、それは日光を最大限に吸収するためだと知ってるでしょう。こういうことを、子どもは自然のなかで自ら学んでいけるのです」
本誌・中釜由起子
<出典は下記>
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/asahi-20090909-02/1.htm
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/asahi-20090909-02/2.htm
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/asahi-20090909-02/3.htm
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/asahi-20090909-02/4.htm
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/asahi-20090909-02/5.htm
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/asahi-20090909-02/6.htm
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/asahi-20090909-02/7.htm
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/asahi-20090909-02/8.htm