総索引】【子供の才能を殺さないために親が読む本

頭の健康診断はコチラ:年長〜小6:中学生は小5-6を使って下さい
*今の学習形式がお子さんに合っているかどうかも診断できます<診断表>*
※ご自由にお使い下さい<転載可:添削例の転載は御相談下さい>

フラッシュカードを使わない理由は?→※ALD(人為的学習障害)に陥る可能性が非常に高いからですよ。
→イメージまでは良かったんだけど、スピード(特に反射形成)と結びつけたところに落とし穴があるんだなぁ。
→絶対にダメ!チョッキンチョッキンだからね!
●LD症状がある場合にはフラッシュを有効活用する場合があります。しかし、それでもフラッシュするものは
 子供に合わせたその子用のオリジナルでなければ効果が無いどころか弊害が出ます。
ですから、オリジナルを局所的に限定して使うことを守らなければなりません。オリジナルの基準はその子の
「生活圏」です。登下校の風景・部屋の中・庭・よく行く公園などをデジカメでとって言葉とリンクさせます。
言葉は瞬時にイメージと繋がる必要がありますのでココが弱い場合にはフラッシュでサポートするのです。
1日に10回も同じ場所に一緒に外出して景色を見ながら言葉で確認することは物理的にできませんから。
フラッシュでサポートするんです。

●「どんぐり倶楽部」でもフラッシュと同様の理論を使うとき(CM法:「絶対学力」にて説明)がありますが、12才以降の短期間のみの限定方法です。
12才以下で、しかも、長期に渡ってさせることはどんなに楽しく工夫をしても厳禁です。進化を終えていない成長途上の脳に異常成長を促すような手法は楽しさに関係なくしてはいけないことだからです。脳(頭)の正常な発育を阻害する恐れが非常に高いからです。
●また、
幼児期の記憶力の優秀さは暗記のためのものではなく様々な思考モデルを作成するためのものですから、その貴重な(この時期にしかない)期間を使って本来の目的(様々な思考モデル作成)以外のこと(暗記・暗算・高速計算・反射形成)をさせることは危険極まりない行為となるのです。
※思考モデル作成期間が過ぎると、この能力が消えてゆくのは当然です。「2才児神話」などといますが、当然なのです。ここを勘違いして、
してはいけない暗記の強化をする人がいますが要注意です。
●どちらもバランス良く...と言うと聞こえはいいのですが、そんな時間はありません。子供の成長は早く12才で思考の臨界期を迎えるのですから、スピード教育などしている暇は寸分もないのです。
●どうしても必要ならば効果的に12才を過ぎてからするんです。中学受験では小6で使います。
※時期(タイミング)を誤った教育は子供に見えない致命傷を与えます。特に前倒し的に行われる「慣れていると後が楽だから」という考えは全くの的外れで す。子供は小さな大人ではありません。まだ、脳は出来上がっていないのです。細部分裂の途中で余分な刺激を与えると奇形になります。外見は「人間」ですが 子供は、まだ「ヒト」なのです。正常な成長を阻害する手法は厳禁です。

参考文献1.2.
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【謳い文句と?】
×ラッシュカードで声が揃うと気持ち良くなります。ポイントはひたすら誉めること。

?→一緒に歌を歌ったりお料理する方がたのしいよ。
★→こんなことを本当に「たのしい」と思うようになってしまうと恐ろしいことになる。単純作業の繰り返しが楽しい?どんどん「人間」から離れていくよ。
※この時期の教育は情緒・感情・人格を作る基礎です。細心の注意が必要です。だ・か・ら・絶対にダメなんです。
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×だまって読ませていくと、どうしてもだれてくる。しかし、カードの間に誉めていくと、次第に子どもたちの声にはりがでてきて、声も揃ってくる。ただし、テンポが遅くなっては意味がない。速いテンポで声が揃ってくると、不思議と子どもも笑顔になってくる。
×フラッシュカードは、出し方1つで子どもをひきつけさせたり、飽きさせたりします。フラッシュカードをゲーム化し、子どもに飽きがこないように〜

?→元来、飽きるような(有効ではない)ものだということ。
★→反射形成は生命維持のためだけに行う最も下等な反応形式です。つまり、最先端を行く高等動物はなるべくしてはいけない行為なのです。なぜなら「考える」という行為は「ゆっくり・ジックリ・丁寧に」することでのみ育つからです。
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●フラッシュカードの効用として言われる下記のことは脳の活性化の注意点を参照してから再読してください。非常にお粗末な理論だと思います。
×『右脳を活性化』します
???活性化の意味も知らないの?
→ちなみに君が『右脳』といって使っている力は大脳の力ではなく小脳だよ。で、その現象の元は小脳の反射作用を使った自動類推作用だよ。
→でもね、これは肉体の制御以外では幼児・児童期には使っちゃいけないんだ。思考回路網の養成を妨害するからね。

×一度見ただけでものを写真の状態で覚える記憶力を育てます
????*完全記憶者シィーの悲劇を知らないの?
×映像を見せ、ことばを聞かせることで右脳と左脳を連動をさせます
???体験情報とは全く違う情報入力になってしまう
×ことばが遅い子供の発語を促します。
→???使えない言葉じゃダメでしょ。

スピード学習を許されるのは「思考の臨界期を超えた」12才以降です。
※それでも「効果があるのでは?」と思われている人は<
頭の健康診断:年長〜小6:中学生は小5-6を使用>をお勧めします。思考モデルをつくるのに絶対不可欠な「ゆっくり・ジックリ・丁寧に」悩むことを「楽しく」できる姿勢が育っているかどうか確認して下さい。一生の学習姿勢が分かるでしょう。
※こんなこと(スピード学習)をするために記憶力が驚くほど一時的に優れている時期があるわけではないのです。
※乳脳をいくら鍛えても永久脳にはならないのです。→
乳脳と永久脳
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●高速学習の危険性に関しては既刊「
絶対学力」をご覧下さい。
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<子育てと教育の大原則より抜粋>
ー前略ー
 この機能の発達が完了する時期のことを「臨界期」といいます。
 人間に備わっている機能を正常に稼働させる(働かせる)ためには、臨界期(視力なら6才)までに、その機能を十分に使った多様な処理をさせて処理モデルを蓄積する必要があるのです。
 そして注意しなければいけないのは、機能の発達期に、その処理モデル作成を妨害する行為(視力養成なら眼帯に準ずるもの)をさせると、機能の発達に致命的なダメージを与え、深刻な機能障害を引き起こす(目ならば弱視になる)ということです。
 つまり、一生使うことになる多様な処理モデルを作らなければならない時期に、その機会を奪ってしまうと、確実に機能障害を招くのです。
 人間に限らず、動物のあらゆる種には視力以外に様々な機能がありますが、それぞれの機能に発
達が完了する臨界期があります。そして、最も発達に時間を要する機能の臨界期は、その種の「性成熟年齢(子孫を残せるようになる年齢)」と、例外なく一致しています。
これは、様々な機能が臨界期を迎えた段階がその種における完成形であり、それらの機能の完成形を子孫に遺さなければならないため、当然のことといえるでしょう。
そして、人間の性成熟年齢は12才です。すると、人間の最終進化形態である人間的な判断力を含む「思考」という機能発達の臨界期は12才であるということになります。

つまり、人間にとって機能的な思考力養成の臨界期は12才であるということです。
 
ですから、12才までに思考力を育て上げなければ手遅れになるのです。子供は小さな大人ではありません。進化の途上にいる、機能発達が未完了な「ヒト」なのです。
 特に抽象思考に移る前の段階(9才以前)での機能発達妨害、つまり単純思考の代表である「暗記」「暗算」「高速計算」は大変な危険行為です。
12才未満の子供に対して、多量の知識を与えたり、スピード処理を繰り返したりする「知的系統的学習」と、単純思考の代表である「暗記」「暗算」「高速計算」を強いることは、進化の最終形である複雑な思考モデル(思考の源)作成の機会を奪い、思考力養成の妨げになります。
そして目の機能障害である弱視と同様に、頭の機能障害である「弱思」を作ってしまいます。
 機能障害を一度起こしてしまうと、本人の力だけで克服することはとても困難です。ですから、最低でも「暗記」「暗算」「高速計算」は、ヒトを人間にまでキチンと育て上げた後で、効果的に利用すべきものであることを知っておいて下さい。

「読み」「書き」「計算」だけを徹底すれば、「考える力は自然に育つ」と言う人がいます。
しかし、「考える力」は考える練習をしなければ育ちません。そして、人間らしい判断力を含む思考力の養成には12年間を要します。これが「本当の学力」です。
 この本では「本当の学力」の育て方を紹介します。

合い言葉は「無理なく無駄なく効果的」

 料理の下ごしらえと調理が異なるように、頭の機能的な発達が完了する12才の前と後では、教育方法は異なって当然ですし、異なっていなければ不自然です。
例えば、赤ちゃんにミルクではなく御飯を与える人はいません。大人には栄養になる御飯も、赤ちゃんは飲みこめませんし、無理やり飲みこませても消化不良を起こしてしまうからです。
しかし教育界では、なぜかお金と時間をかけて赤ちゃんに御飯を与えている人がいるのです。
どんなに優れたスーパーコンピューターでも、初期設定を間違えると電卓にも及ばないことは周知の事実です。人間も12歳までに思考力の初期設定を正しく行うことが重要なのです。
 反対に、12才までに「人間的な判断力を含む思考する機能・思考力」を始動させる(十分に機能するように設定する)ことができれば、後は多少乱暴な教育でも大丈夫です。
準備が整っていれば中学時代はスパルタ式でもいいということです。
中学時代は丁度、高校受験前の三年間となりますので絶好の知育期間となります。知識とスピードはこの期間に付けるのです。
知育教育の最適期は中学の三年間なのです。反対に、12才までの教育では、どんなに素晴らしい目標を掲げていても、手法そのものが間違っていては悪影響が大きく、考えられない頭を育ててしまいますので要注意です。

12才までの教育で「できるようになれば何でもいい」という考え方は、子供の才能を潰すことに他なりません。
 
「鉄は熱いうちに打て」といいますが、早すぎては砕け散ってしまうのです。
子供達は才能に満ち溢れていますが、教育という名の下で多くの子供達は才能を潰されています。少なくとも12才までの教育で「できる」と「スピード」を掲げている場合は要注意です。
このことに気付かなければ一生の禍根を残します。「できる」という結果ではなく「分かる」という過程そのものが大事だというのは、道徳的なことではなく学力養成に不可欠だからです。

思考力養成には学習の過程で修得される、様々な思考モデルが必要不可欠なのです。
 
様々な思考モデルは「具体的に悩むこと」によってのみ修得できます。
ですから、答えではなく過程が大事なのです。子供に自信を持たせるために「できる」ようにするだけの人がいるようですが、大変お粗末な教育だといえます。
「分かる」ことを実感させることで自信を持たせるのです。そのためには「分かる」とは具体的にはどういうことかを知っていなければ指導できません。知らない人は「できれば分かる」「できているから分かっている」と、トンチンカンなことを平気で言います。

「読み」「書き」「計算」をどんなに徹底しても、それだけでは考えられるようはなりません。
 
少なくとも12才未満での「10の補数(足して10までの一桁どうしの足し算も含む)と九九」以外の高速計算練習は厳禁です。高速計算のような暗記には思考モデルは何一つありません。
暗記は「一対一対応」の再現練習だからです。そして、計算に使う思考モデルは「10の補数と九九」しかありません。詳しく見ても使っているのは「10までの足し算と九九だけ」という貧弱で数少ない思考モデルしか使っていないのです。
ですから、どんなに高速に多量の計算問題を解いても、やっていることは10までの足し算と九九の反復ですから、思考力の素になる多様な思考モデルは修得できないのです。
これだけでは、当然のことながら、思考力は育ちません。
 多量の知識を与え、多量の高速計算練習をさせて「これだけ勉強しているのに、どうして考える力が育たないのだろう」と首を傾げる人がいますが、考える練習をしていないのですから思考力は育ちようがないのです。
 非常に多くの問題を解けば、中にはイメージ操作(視覚イメージを再現し、移動・変形・連想・比較すること)をする子も偶然に出てくるので、その子は考える力を得ることができます。
しかし、これは偶然です。最初からキチンと「考えるとはどういうことか」を教えれば子供達は100%考えることができるようになります。偶然に頼って教育をすべきではありません。

思考とは様々な思考モデルを組み合わせて比較検討するものです。
 
この時に使うことができる思考モデルの種類の多さが思考の豊かさになります。多様な考え方が豊かな思考を可能にするのは当たり前のことです。
 人間が具象物を使って、思考モデルを作り出せるのは通常9才前後までです。そして、9〜12才で、それまでに作って蓄積していた思考モデルを使って抽象思考をします。ですから、9才までにどれだけ多様な思考モデルを蓄積することができるかが思考力養成の鍵になります。
 思考モデルは問題を解けるか解けないかではなく「どうやれば解けるかな」の「どうやれば」と迷っている時、いかに具体的に迷うことができるか、考えることができるかで決まります。
 この「具体的に迷うこと」そのものが思考モデルを作っていることだからです。ですから、答えが合っていても間違っていてもキチンと考えたのであれば思考モデルはできています。思考モデルをキチンと増やすには具体的に迷う・考えることが重要だということです。
  ところが、頭の中だけでは漠然としていて自分でも何をどう考えているのかよくは分かりません。そこで、考えていることを絵図で描き表すのです。すると自分 が考えていること・考えていないことがハッキリします。また、考え自体も「絵図を見ること」でドンドン発展していきます。これが思考モデルを飛躍的に増加 させる効果的な方法です。私が主宰する「どんぐり倶楽部」の「良質の算数文章問題」を絵図で解く重要な意味がここにあります。
 0〜9才の間に思考モデルを作らなければ手遅れになってしまうのに、この時期に思考モデルが何も入っていない暗記や貧弱な計算をさせている教育者や保護者が大勢います。
こうなると、思考モデルは子供自身が生活の中から獲得したものだけになってしまいます。
残念ながら、これでは、将来(9〜12才)の十分な思考力養成に必要な思考モデルとしては極端に不足しています。
 また、子供の日常生活における「具体的に迷うこと」は、殆どが行動で解決できる場合が多いので意識には残りません。頭ではなく体で(経験で)処理することが多いので意識的な思考とは(視覚イメージを使う点では同じですが)異質だからです。
 「どんぐり倶楽部」の「良質の算数文章問題」は驚くほど多様な思考モデルを養成できます。同じ問題でも描く絵が違うということは考え方が違うということです。
また、間違っても、どんなに時間がかかっても確実に思考モデルは増えていきます。
悩みながら絵を描く、絵を見ながら考える、そしてまた絵を描く。どんどん思考モデルは増えていきます。こうして思考力の素を作っていくのです。
数多く問題を解くことよりも数少なく丁寧に具体的に悩むことが重要なのです。これは、体験学習などでも同じです。たくさんの浅い体験よりも、少なくても深い体験の方が格段に優れているのです。

12才までは「ゆっくり・ジックリ・丁寧に」が最も効果的な学習方法なのです。
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遊びという体験学習を楽しみましょう
 どうして「自主的な遊び」が大事なのか御存知ですか?
 最も効果的な学力養成・思考力養成になるからです。
「自主的な遊び」は、「感情=これでいい」と、「判断=こうしよう」と、「結果=あれ、違うぞ」「思った通り」の繰り返しです。
 自分で予測したことをやって、その結果を自分の考えに反映させることの繰り返しです。バイオフィードバック(普段は知覚することができない体の 生理的反応を、視覚・聴覚・触覚などの客観的に知覚できる刺激に変換して、呈示することによって、健康管理などの自己コントロールを促進しようとする技術 や現象のことで、医療をはじめ色々な分野で活用されています)とマッチング(適合させることです)による高度な進化過程の体現です。
 判断力とは「不安や違和感がない状態で結論を実行に移す確信の感情」のことです。ですから、自主的な遊びは安定した感情も養成するのです。
 自主的な遊びとは、遊びの中に子供自身が自分で予測したことを実践できるように工夫する仕組みが入っているのです。
 人間は人間になるために遊びを十分に経験する必要があるのです。
 遊びを犠牲にしてまですべき宿題などありません。
 十分な体験学習・遊びの後で高度な学習が可能になるからです。この体験学習なくして高度な学習は成り立ちません。頑丈な土台がければ、見た目は上出来でも、絶対にしっかりした家は建てられません。学力も同じです。
 ノーベル賞を受賞したした人達は必ず「子供の時の体験が大事」と言いますが、理由があるのです。原形メージがなければ考えることができないからです。「外遊び」は健康的だからいいと考えている人がいますが学力の素を作っているのです。だから、大事なのです。
 学力養成に最も効果的な「遊び」は、体感イメージと多様な視覚イメージを常に使う具体的な「自然の中での体を使った主体的な遊び」です。
「主体的な遊び」というと難しく聞こえますが「子供自身が好きな遊び」ということです。「させられている遊び」ではないことが重要なのです。
 これらの基本的なことを知っていると「勉強をする時間が無くなるから遊べない」という台詞が実はヘンテコリンな台詞なのだと分かります。
「学力養成をしないために勉強する」と言っていることだからです。
 遊べないほどの宿題があるのならば、それは親の宿題だと思って下さい。
「みんなしてるんだから」は何の理由にもなっていませんし、理由にすべきことでもありません。「みんなと一緒に」は学校の中だけで十分なのです。
 実際に宿題ゼロの学校だってあるのです。宿題に合わせて子供を育てるメリットが何かあると思いますか? 全く何もないのです。「宿題はさせません」「宿題は私がしますが、家庭学習は子供にあった者を用意します」が普通なんです。
 計算が心配ですか?「これだけ算数・計算編」があります。
 文章問題が心配ですか?「良質の算数文章問題」があります。
 漢字が心配ですか?「漢字読本」があります。
 十分に遊べます。計算も漢字も文章問題も「何でも来い」です。
 私は「宿題だけはしなさい」と言える日を心待ちにしています。
良質の宿題が出ていれば、この台詞だけでいいのです。ですが、現実は「教科書の音読」「漢字ドリル」「計算ドリル」という「お粗末3点セット」です。
これでは「宿題」は勧められません。工夫の足りない宿題は人間への進化を止めてしまうからです。大袈裟に聞こえるかも知れませんが、大袈裟ではありません。機能的な脳の進化は12才まで続いているのです。そして、12才で機能発達は終わるんです。
 工夫の足りない宿題をさせている余裕はないのです。
乳脳と永久脳の仕組みを知っておきましょう

 脳は変身します。正確には脳の機能が変化します。正常に発達していれば、9歳前後です。
もちろん環境による時期の変動はありますが、6〜12才の間であることは変わりません。これ以前でも以後でもありません。豊かなな遊びと会話があれば自然に変身しますが、現代ではこの両方が不足がちなので要注意です。
 この機能変化を確実に出来るようにしなければ人間の脳としての進化は遂げられません。
私は進化前の脳を「乳脳」と呼び、進化後の脳を「永久脳」と呼んでいます。時期的にも乳歯と永久歯の関係に似ているからです。
 12才までに永久脳に変身できなかった脳を持った人は、外見だけは人間ですが、人間としての進化を妨害された「子供大人」になってしまいます。
 乳脳の特徴は「優れた記憶力」です。ですが、この記憶力は永久脳を作る準備にあたる思考モデルを作るためにある力ですから、思考モデル形成時期が過ぎると自然消滅します。
 このことを知らずに、「優れた記憶力」を最も貧弱な暗記と計算に使っしまい、永久脳への変身準備をさせることなく思考モデル作成時期を過ぎてしまうことが珍しくありません。
 英才教育と思い込んで思考モデル作成にはならない暗記・計算・高速反応をさせていると、手遅れになることが多いようです。
そして挙げ句の果てには、「これだけ鍛えているのに、どうして考える力がないんだろう?」と不思議な顔をする人がいます。思考モデルを作っていないですから思考が出来ないのは当然です。「考えない力」鍛えていては「考える力」は育つわけがありません。
 では、永久脳はどんな仕組みなのでしょう?
 思考モデルの保存庫は小脳です。乳脳の時期に、大脳で思考モデルを作って小脳にコピーして再利用できるようにするのです。
実物を使って考える「具象思考」の時期が「思考モデルの作成→コピー」に当たります。
「抽象思考」が出来るようになる時期が「コピーした思考モデルを利用して考える時期」に当たります。
 最終的には、どれだけ多様な思考モデルを小脳に蓄えているかということと、どれだけ思考モデルを自在に操れるかで脳の優秀さは決まります。
永久脳では大脳は司令塔になるのです。
 ですから、思考モデルの操作方法は永久に発達しますが、思考モデル自体は乳脳の時期にしか蓄えられません。ですから、乳脳に暗記・計算・高速反応をさせてはいけないのです。

6才まではゆっくりジックリ感情教育をしましょう
 人間の条件とは、人間らしい判断を下すことができる判断力をもっていることです。
この判断力養成には6才までに育てられた確かな感情が必要不可欠です。感情教育をすべき時期に先行学習や前倒し学習と称した知育(知的系統的な知識を与える教育)に走ってしまうと、頭の最終進化形態としての力であるで「人間らしい判断力」の養成に支障をきたします。
知育は知育期である12才〜15才に自然な環境を整備することで最も効果的な学習が可能になります。日本では高校受験の準備期間にあたりますので、好都合です。
この時期までに考える力を育て上げておき、この受験準備期間を使って効果的な知育をするのです。タイミングを無視した教育(環境作り)は人格形成にも大きな悪影響を与えます。
レディネス(学習をするために必要な準備)と臨界期を意識しながら、最適のタイミングで環境整備をすべきです。人間は環境さえ整っていれば自然に最高の進化を遂げるようになっています。この自然の法則を上手に使うことが無理なく無駄なく効果的な教区の大原則です。
 ここでは、低学年と高学年での注意点を見ておきます。
低学年では感情教育が大事です。自分の感情を大事にさせることです。自分の感情を信じることが出来る環境を作ってあげることが最も大事な保護者の仕事です。
確かな自分の感情がなければ他人の感情は絶対に分からないし、学力の素も出来ません。そして、最終進化形態である「人間らしい判断力を含む思考力」も育ちません。
 楽しくないのに楽しそうにする。悲しくないのに悲しそうにする。どちらも自分の感情を分からなくさせる危険行為です。低学年では表現を求めてはいけません。
表現できる必要は幼児・児童期にはないのです。表現に媚びることなく自分の中でジックリ味わうことが大事なのです。言葉にならない感情や思いを言葉にさせ ることは味わう機械を奪ってしまい、貧弱な表現が固定するのです。そして、その固定された貧弱な表現から抜け出せなくなるのです。パターン学習の弊害と同 じです。感情のパターン学習です。寒気がします。
高学年(小4〜小6)では価値基準に繋がる自分の行動基準を持たせることが教育者の目標となります。
この時期に一番注意しなければならない危険信号は「正しいこと(正しいとされていること)は何をしても良い」という曖昧な他人の基準での行動です。自分の 感情による判断をしなくても正しければしても良いという他人の基準(誰かが作った基準)での行動です。「友達がしているから」「先生が言ったから」「本に 書いてあったから」も同じく危険行為です。
 この時期に自分の行動は自分の感情が納得した自分の判断基準ですべきであることを学ばなければ、人生を楽しむのに必要不可欠な自分の価値基準は一生持てないからです。
自分の価値基準による行動には当然、責任が付いてきますし言い訳は出来ません。この自分の価値基準で動くという重要な力を小学校高学年では身に付けなければならないのです。
 これらは思考の臨界期と同じ12才までに育てる必要があります。
 なぜなら、12才を過ぎると頭で分かったつもりになるだけで、心のそこからは納得できないからです。心の底から体で納得するという回路が機能しないのです。
ですから、理屈は分かっても納得していませんから自主的には行動できないのです。感情が一致しないのですから自然には出来ないのです。一生修復できない欠陥となります。
 感情教育を考えたことが無かった人もいるでしょうから、対処法を書きます。
 保護者は常に「自分の子供を守る事」が原点ですから、自分の子供の状態で対処方法も変わります。
「自分(子供自身)はどう思う(感じる)のか」を常に大事にしてあげることはもちろんですが、その自分の思うことをどういう形で行動に移せるのか――これ は、相談すればいいことです。肝心なのは自分(子供)の本当の思いを行動基準にできるように育てなければいけないということです。
ここでも「ゆっくり・ジックリ・丁寧に」が重要です。
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 人間として最終的に進化した形態(能力)は、論理的に正しくても実行可能なことであっても「しない」という判断を下すことができる。あるいは、判断しないという判断を下すことができる。または「行動に直結する判断を保留する」という能力です。
 この能力は成熟した感情の作用です。簡単に言うと「違和感」を代表とする繊細な感情が発動する行動制御力です。どんなに力があっても力の制御が出来なければ「力を持っている」ことにはなりません。そして、自在に操るとは制御することに他なりません。
 安定した感情は学力の素であると同時に人間的な行動をも制御する最重要機能なのです。 
 感情教育で最も難しいのは「悲しみ」の感情教育です。これは言葉で伝えられないことの代表です。言葉で伝えられないものを、言葉でいくら伝えようとして も伝わらないのは当たり前です。ですから、感情教育は言葉に取り囲まれる前が適しているのです。言葉に頼らない分、言葉ではない部分に素直に反応してくれ るからです。
 早期教育で唯一、長期的な効果を見られるのはこの感情教育だけです。
多量の知識を消化したり、スピードをつける訓練をしたりする「知的系統的教育」の早期教育を謳っている人が未だにいますが、長期的な効果は認められず、弊害だけは数多く報告されています。海外では常識ですが日本では意図的にこのような情報は遮断されているようです。
 日本屈指の早期教育推進者であったソニーの創設者・井深大氏でさえも最晩年に「知的教育は言葉が分かるようになってから、ゆっくりでよい、という結論になった」(1990年4月28日付朝日新聞夕刊)という文を新聞に発表したことは専門家の間では有名です。

目に見えるように話してあげましょう
 言葉はメージ再現のための記号です。
 言葉は余りにも頻繁に使われているので言葉そのもので理解したり考えたりしていると勘違いしている人もいるようですが、言葉自体には何の意味もありません。
言葉はイメージ(殆どの場合が視覚イメージ)と繋がっているときにだけ効力を発揮します。
ですから、決して言葉自体を伝えることが目的であったり、言葉さえ知っていれば分かるということはないのです。
 また、言葉によって導かれた(再現された)イメージは、子供の場合には種類が少ないので大人が描いているメージと異なる場合もよくあります。
当然のことです。
これは、生活の中で様々なメージを体験することで修正が加えられて誰とでも共有できる共通した意志疎通のためのイメージが確立されますから、急いではいけないところです。
 「何度言ったら分かるの?」という言葉が意味のないこともこの点を知っているとお分かり頂けると思います。分からない場合は、話をしている方の言葉が、子供のメージ再現に役立っていないからです。ですから、言葉を変えてあげると解決します。
そして、その時のポイントは子供がメージ再現しやすい言葉を使ってあげることです。言葉本来の使われ方を考えれば子供に対して使うべき言葉は自然に決まってきます。
目に見えるように話すことが「親の役目」です。記憶力がいいからとばかりに新しい言葉をたくさん教えても、体験が追いつかないのですから「知識の空回り」が起きることは必至です。
 子供時代の記憶力は、思考モデルを作るための一時的な記憶力であり、多量の知識を暗記するためのものではないことを知っていなければ、危険な学習を強いることになります。
そして、その一時的な記憶力が役目を終えて無くなったときに愕然とするのです。
 ですが、最も被害を受けるのは子供自身です。
思考モデルを養成すべき時期に暗記を強いられた頭は、思考という機能発達が出来ないままに思考の臨界期を迎えることになるからです。
人間としての必要条件は、思考できる頭です。どうか、この思考するという機能発達の妨害だけは止めて下さい。子供時代の記憶力の優秀さは暗記するためのものでは決してありません。
思考するという機能を稼働させるための回路作成のためのものなのです。くれぐれも使い方を間違えないようにしてください。
 幼児・児童期の記憶力の良さは誰もが経験することです。
そして、その記憶力が失われることも誰もが経験することです。
これらは当然のこと(自然なこと)なのです。つまり、幼児・児童期の記憶力の良さは暗記するために使うべきものではないということです。
 幼児・児童期の記憶力の良さは暗記のためではなく「思考モデル」を作るためのものです。
多量の知識よりもじっくり体験することを心がけましょう
 知識が思考につながると思っていると「どうして多量の知識を与えているのに頭がよくならないのだろう」と、ヘンテコリンなことを考え、子供に八つ当たりをすることになります。
 知識が思考につながることはありません。
 正確には薄っぺらな知識(どんなに詳しい説明でも体験から得られる情報に比べると比較にならないほど貧弱で単純な知識という情報)の積み重ねは思考にはならないということです。
 同じ形の石を積み上げさえすれば家が出来るわけではないのと同じです。家を作るには様々な種類の石が必要なのです。数が多ければ出来るわけではないのです。こういうと「そんなの当たり前じゃないか」と思う人も多いようですが、「勉強」となると見えなくなるようです。
暗記と計算は最も単純な作業です。思考からは最も離れている機能しか使いません。
暗記はコピー機能ですし、計算はどんなに複雑に見えていても「十の補数と九九」しか使っていません。この二種類のことしかしていなくて思考力が養成される と思うのは、二種類の石だけで家を作るようなものです。ガチガチの何の特色もない貧相な家は出来るでしょうが、そこにはオリジナリティもなければ遊びもな く、何の楽しみも見いだせないでしょう。
 では、「知識は不要なのか?」と迫ってくる人が出てきますが、そんなはずはありません。そんなはずはありませんが、必要な知識は教えられなくても吸収しているのです。
ポルシェやフェラーリを知らなくても車の話は出来ますし。車を作ることだって出来ます。
 知識や計算が思考力養成に役立つというのは根本的で致命的な勘違いです。この勘違いを修正しない限り教育は子ども自身の力による偶然を期待する偶然教育しかできません。
 私は、全ての子どもに「人間の証」である「人間らしい判断力を含む思考力」を身に付けて欲しいのです。
ですから考える力の養成方法をキチンと理解し、キチンと教育をして欲しいと思っています。
日本の学校の先生方は優秀です。しかしながら、日本には思考力養成の理論がなかったのです。なかっただけならば、工夫をすればどうにか個別に対応できてい ましたが、今は違います。間違った理論が浸透してしまい、工夫することもなく、子どもの反応を見ることもなく、盲目的に知識と計算に走っています。危険こ の上ないことが見えないのです。
 間違った理論が浸透する裏には貧弱な評価基準があります。評価基準が貧弱であるにもかかわらず、その評価に合わせることが学力だと思っているから危険なのです。
 「計算は速い方がいい」「知識は多い方がいい」――本当でしょうか?
全く逆です。少なくとも12才までは「計算は速くてはいけない」「知識は多くてはいけない」なのです。時間をかければ「計算を速く」「知識を多く」することは100%できます。ですが、不要なことに時間を使っているほど子ども達の大切な時間は長くはないのです。

遊びを削ってまで習い事をさせないようにしましょう
 主体的な遊びほど思考モデルをたくさん作ってくれるものはありません。自分で考え、自分で動き、自分で確認する――これが思考モデルを作る最も効果的で正しい方法です。
 体は頭で組み立てた視覚イメージの真似をすることで動きます。普段は視覚イメージの動きが超高速なので意識していませんが、複雑な動きを連続して行うときなどを考えると分かります。イメージトレーニングが効果的であることもこの作用の応用です。
学習は全て同じなのです。
勉強も同じです。ですから特に9才までの遊びは非常に大切なのです。遊びを削ることは、そのまま学力を削ることになるのです。
 体を動かした方が情報量は多くなりますので、思考モデルも多く繊細になりますが、体を動かさなくても主体的に視覚イメージを操作すれば思考モデルは増加しますので、体が丈夫でない場合は、頭の中で視覚イメージの操作を楽しくできる遊びが有効です。
ですが、出来れば人工的な物を対象にするのではなくて、自然を対象にする遊びが格段に思考モデルは多くなります。自然にかなう多様さはないからです。
 自の中で遊ぶことを健康にいいとだけ思っている人もいるようですが、違うのです。格段に多量の情報処理を迫られるのですから格段に多種多様な思考モデル を作ることになるのです。つまり、自然の中で遊ぶことは高度な学力養成になるのです。ノーベル賞受賞者の多くが子供の頃に遊んだことがよかった、というコ メントを残していますが、これは偶然ではないのです。
 考えるとは、具体的には視覚イメージを操作することです。視覚イメージの複写・移動・変形・比較(・連想による他のイメージ操作も並行処理します)が思考そのものなのです。
 文字・言葉は記録方式の一種であって記録対象そのものではないのです。