総索引重要データ[米Nature紙]
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「思考の臨界期」は必読書ですので様々な読み方を提案しています。→
コチラ

人間の性成熟年齢(何才で子孫を残せるようになるのか)は12歳です。驚きに値しますが、1999年8月に英国イングランド北部のローザハムで12歳の少女が男の赤ちゃんを産んでいます。性成熟年齢にはもう一つ重要な意味があります。子孫を残せるということは進化の証である最も発達した(最終的に獲得した)適応能力部分にあたる機能の発達が終わる年齢だということです。人間で言うと「人間的な判断力を含む思考する機能・思考力」の発達(組み立て)が終わってしまう時期だということです。つまり、人間では12歳が機能的な思考力養成の臨界期だと言うことです。
 料理の下ごしらえと調理が異なるように、頭の機能的な発達が完了する12歳の前と後では、教育方法は異なって当然ですし、異なっていなければ不自然です。赤ちゃんにミルクではなく御飯をそのまま与える人を見て喜ぶ人がいるとは思えませんが、教育界ではお金と時間をかけて御飯を与えているような人がいます。また、どんなに優れたスーパーコンピューターでも初期設定を間違えると電卓にも及ばないことは周知の事実です。
 無事に12歳までに、人間としての証である「人間的な判断力を含む思考する機能・思考力」を始動させる(十分に機能するように設定する)ことができれば、後は多少乱暴な教育でも大丈夫です。準備が整っていれば中学はスパルタでもいいということです。丁度、高校受験前の3年間となりますので絶好の知育期間となります。知識とスピードはこの期間に付けるのです。「鉄は熱いうちに打て」といいますが、早すぎては砕け散ってしまいます。知育教育の最適期は中学の3年間なのです。反対に、12歳までの教育では、どんなに素晴らしい目標を掲げていても、過程を重視しない学習指導のような、手法そのものが間違っていては悪影響が大きく考えられない頭を育ててしまいますので要注意です。
 12歳までの教育で「出来るようになれば何でもいい」という考え方は子供の才能を潰すことに他なりません。子供達は才能に満ち溢れています。ところが、教育という名の下で多くの子供達は才能を潰されています。少なくとも12歳までの教育で「できる」と「スピード」を掲げている場合は要注意です。このことに気付かなければ一生の禍根を残します。「できる」という結果ではなく「分かる」という過程そのものが大事だというのは、道徳的なことではなく学力養成に不可欠だからです。思考力養成には学習の過程で修得される様々な思考モデルが必要不可欠なのです。様々な思考モデルは「具体的に悩むこと」でのみ修得できます。ですから、答えではなく過程が大事なのです。自信を持たせるために「出来る」ようにする人がいるようですが大変お粗末な教育です。「分かる」ことを実感させることで自信を持たせるのです。それには「分かる」とは具体的にはどういうことかを知っていなければ指導できません。知らない人は「出来れば分かる」「出来ているから分かっている」とトンチンカンなことを平気で言います。「読み・書き・計算」をどんなに徹底しても自然に考えられるようはなりません。少なくとも12歳未満での「10の補数(足して10までの一桁どうしの足し算も含む)と九九」以外の高速計算練習は厳禁です。
 暗記には思考モデルは何一つありません。1対1対応の再現練習だからです。そして、計算には思考モデルは「10の補数と九九」しかありません。詳しく見ても使っているのは「10までの足し算と九九だけ」という貧弱で数少ない思考モデルしか使っていないのです。ですから、どんなに高速に多量の計算問題を解いてもやっていることは10までの足し算と九九の反復ですので思考力の素になる多様な思考モデルは修得できないのです。当然のことながら、思考力は育ちません。多量の知識を与え、多量の高速計算練習をさせて「これだけ勉強しているのに、どうして考える力が育たないのだろう」と首を傾げる人がいますが、考える練習をしていないのですから思考力は育ちようがありません。非常に大くの問題を解けば中にはイメージ操作をする子も偶然に出てくるので、その子は考える力を得ることが出来ます。しかし、これは偶然です。最初から、キチンと「考えるとはどういうことか」を教えれば子供達は100%考えることができるようになります。偶然に頼って教育をすべきではありません。
 思考とは様々な思考モデルを組み合わせて比較検討するものです。この時に使うことが出来る思考モデルの種類の多さが思考の豊かさになります。多様な考え方が豊かな思考を可能にするのは当たり前のことです。人間が具象物を使って思考モデルを作り出せるのは通常9歳前後までです。そして、9-12歳で、それまでに作って蓄積していた思考モデルを使って抽象思考をします。ですから、9歳までにどれだけ多様な思考モデルを蓄積することが出来るかが思考力養成の鍵になります。思考モデルは問題を解ける解けないではなく「どうやれば解けるかな」の「どうやれば」と迷っている時にいかに具体的に迷うことが出来るか、考えることができるかで決まります。この「具体的に迷うこと」そのものが思考モデルを作っていることだからです。ですから、答えが合っていても間違っていてもキチンと考えたのであれば思考モデルは出来ています。ですから、思考モデルをキチンと増やすには具体的に迷う・考える事が重要なのです。ところが、頭の中だけでは漠然としていて自分でも何をどう考えているのかよくは分かりません。そこで、考えていることを絵図で描き表すのです。すると自分が考えていること・考えていないことがハッキリします。また、考え自体も「絵図を見ること」でドンドン発展していきます。これが思考モデルを飛躍的に増加させる効果的な方法です。「どんぐり倶楽部」の「良質の算数文章問題」を絵図で解く重要な意味がここにあります。
 0-9歳の間に思考モデルを作らなければ手遅れになってしまうのに、この時期に思考モデルが何も入っていない暗記や貧弱な計算をさせている教育者や保護者が大勢います。こうなると、思考モデルは子供自身が生活の中から獲得したものだけになってしまいます。残念ながら、これでは、将来(9-12歳)の十分な思考力養成に必要な思考モデルとしては極端に不足しています。また、日常生活の中では、殆どが行動で解決できる場合が多いので自動処理されてしまい意識には残りません。頭ではなく体で(経験で)処理することが多いので意識的な思考とは(視覚イメージを使う点では同じですが)異質だからです。  「どんぐり倶楽部」の「良質の算数文章問題」は驚くほど多様な思考モデルを養成できます。同じ問題でも描く絵が違うということは考え方が違うということです。また、間違っても、どんなに時間がかかっても確実に思考モデルは増えていきます。悩みながら絵を描く、絵を見ながら考える、そしてまた絵を描く。どんどん思考モデルは増えています。こうして思考力の素を作っていくのです。数多く問題を解くことよりも数少なく丁寧に具体的に悩むことが重要なのです。これは、体験学習などでも同じです。浅いたくさんの体験よりも、少なくても深い体験の方が格段に優れているのです。
 12歳までは「ゆっくり・ジックリ・丁寧に」が最も効果的な学習方法なのです。


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          〜緊急声明:あまりにも無知で無謀な教育を実施している教師や保護者がいます!〜
●12才以降の学習方法は必要な時期に合わせて「スパルタ」でも「徹底反復」でも「暗記・.暗算・高速計算・反射養成
・フラッシュカード」でも結構です。機能発達が終わっている(成育期を超えた)脳に対する刺激だからです。
 ですが、
上記学習方法は12才以前には厳禁です
●思考の臨界期である12才までに思考力養成をしなければ「人為的学習障害:ALD」を引き起こし、暗記や単純な処理の繰り返ししかで きない子供大人になってしまいます。そして、マリオネット症候群を形成します。
※マリオネット症候群:自分の判断基準を作る機会を奪われて育ったので、他人の判断基準で動くしか方法を持てない人達
●上記学習方法は機能発達が成育期(進化)途上の脳には「考えない力」を強化させ、壊滅的な「才能破壊」をもたらします。
●「読み・書き・計算」をどんなに徹底しても思考力は育ちません。
 表面的な評価に合わせた学習は表面的な力しか養成できないのは当然です。
●脳の機能発達が終わる12才までに養成しなければならない力は「考える力・絶対学力」です。知識は、その後です。
※12-15才が最適な知育期
●学習の順番を間違えると致命的なダメージを子供に与えます。
※前倒しには生物学的な限界がありますから無意味なんです:あるのは弊害だけです
●「子供は小さな大人ではない」
  これは医学界では常識であり、絶対に忘れてはいけない(命取りになる)大原則です。それなのに教育界では気付いてさえいない人
 が大勢いる。大人には効果的な手法でも子供には致命的なダメージを与えるものがあるんです。「スピード養成」と「徹底反復」です。
 子供の天才を守りたいのなら、この2つの手法だけは絶対に使ってはいけません。

脳科学の最新データと12才の思考の臨界期いかに反復させないで暗記できるように工夫するか
<索引:
クリックでジャンプ>
動物は全てイメージ思考をしています
公開授業「リンゴとリンコ」
視覚イメージと学習の注意すべき関係
夢追い族の守り神
弱視(貧弱な視力)を作る眼帯と弱思(貧弱な思考力)を作る高速計算練習 
思考力を育てるにあたっては
個性というのはその子の「できること」ではありません。
開発という名の破壊活動を御存知だと思います
超記憶能力開発をしてはいけない理由
サブリミナル効果
漢字は大きく書くと覚えてしまいます
「しつけ」をする理由と効果的な方法
「しつけ」の限界と2種類の「しつけ」について
自分からするように仕向けることが「しつけ」です。
「しつけ」的言葉遣いを知っていますか。
「しつけ」に関するメモ・見本として親が日常的にすること
幼児・児童期の刺激は
「しつけ」+α
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●本文の小見出し:
「どんぐり倶楽部」の「良質の算数文章問題」が全ての子供に必要な理由
幼児教育は言葉の教育と言いますが、実はイメージ再現教育です
習い事と教育を混同してはいけません
「早(速)ければ早(速)いほどいい」ことはありません。
前倒しの限界
スピードという悪魔の刺激
12才前(特に9才以前)に高速計算練習をしてはいけない
計算がある時を境に急激に速くなる「ふっきれる」という感覚は危険信号です
子供の才能を守りながら学力を育てるコツ
大事な大事な満足回路
幼児の反復性を知的系統的学習に利用してはいけません
一番大事な「認める」とはどういうことかを知っておきましょう
9才前後までの幼児脳を鍛えてはいけない理由
絵本の読み聞かせは「楽しむため」にだけ読んであげて下さい
やる気の誕生
「できる」ってのは全然
学力の素は情緒の安定
応用力・判断力に乏しい子供が育つ原因は視考力と自信力の欠如です
「自主的な遊び」の重要性
子育てと教育とは「ヒトを人間に育て上げる」ことです
健全な「成長」
基本とは
算数ができて国語ができないというのは、学習方法が間違っているということです
小学校時代に反射脳を育てないようにしましょう
教えられても分からせることはできない
体験的学習
遊びという体験学習
正しい時期に正しい教育を受けましょう
子供は学習したがっている?
人生が楽しむためにあることを教えましょう
変身する脳:乳脳と永久脳の仕組み
脳内言語は視覚イメージです
意識することの重要性
人間の条件
ノーベル賞受賞者の声
鳥は飛翔力を使うことで鳥本来の飛行ができます
夢を見ることができるのであれば理解力はありますが、思考力は別物です
乳脳と永久脳
宿題
ソロバン
中学受験は必要でなければ絶対にしてはいけませんが、必要ならば効率的に楽しくやって勝ちに行きましょう
危険な「脳の活性化」崇拝:見当外れな脳科学と教育の関係
「どんぐり方式」のすすめ
学力向上の簡単な方法
人間の機能は考えるために設定されている
本末転倒学習
最も効率の悪い学習方法
応用が利く頭
プラットホームは平面図
反射学習の恐ろしさ
翻訳できるということ
計算式は算数の言葉(換字式:かえじしき:の暗号)です
見て見て聞いては子供が発するSOS
忘れることが大事
思い出すための工夫
再現と操作
再現と操作2
国語と算数を同じ能力で吸収する
人の痛みが分からない
視考力を知らずに教育を語るのは目を閉じて美術館を彷徨っているようなものです
12才までの学習で高速単純計算ほど危険な学習はない
絶対基礎学力を育て上げれば12才以降はスパルタ教育で結構です
言葉の先にあるものを知らなければ教育は失敗します
教育において「子供を守る」とは「自分が納得できる教育方法を学校の先生にお願いし続けること」です
ヒトを人間に育て上げるには
私たちは言葉で考えているわけではなく視覚イメージで考えている
教育とは知識を与えることではありません
野菜ならば多少味が落ちるにしても促成栽培の利点はあるでしょう
「穏やかに育てる」ことの重要性
感情教育が学力の素になる
無意味な評価を気にしてはいけません
素早い行動には要注意です
子供の考えていることが分からないと嘆く人がいますが嘆く必要はありません
指折算の大切さ
計算問題と文章問題
子供達は評価に合わせて成長します
思考方法を知らずに思考力を育てることは出来ません
有能感は育てなければならない感情でもあり才能です
有能感を育てる魔法の言葉
速くてはいけない
大事な考え方
数字が示すイメージが大切
無限の効果を引き出すイメージング
教育が問われる時
右脳教育の落とし穴
意識的に:よく意識して〜確かなイメージを持って〜
手法が大事
技術の習得と幼児・児童期の教育を混同してはいけない
記号(言葉・文字)ヘ変換ヘイメージ(多くは視覚イメージ)
暗算は芸事です
入試で考えてみましょう
×××「子供は反復が大好きです。ですから多くのことを何度も反復させて覚えさせましょう」ってのは全くダメです
「帰ってきたら直ぐに宿題をする」のは夏だけ!
「するどい顔」は要注意、「大人びた顔」は危険信号
小学生でも簡単に理解できる「分かる」「考える」「判断する」
完璧であってはいけません
人生(子供の一生)を左右する「絶対基礎学力」を知っていますか?
子供はスーパーコンピューター
学校の責任にするのは止めよう
感味力を育てる:味わう時間を確保しましょう
習熟という名の落とし穴
感情について
子供時代に必要なものは、過度な「読み・書き・計算」ではなく「A(遊び)T(友達)S(視考力)」です
12年間で子育ては終わりです
この本は子供を守るために書いた本です
最初が肝心です
イレギュラーなことが当然だと思った方がいいし、不完全な方が当たり前と思った方がいい
よく「幼稚で残虐な犯行」といいますが、これは子供の正常な特性です
計算や漢字で人生の危機を乗り越えることができますか?
豊かさを勘違いしないようにしましょう
小さな時には「小さな満足大きな効果」ですが、大きくなると「大きな満足小さな効果」になってしまいます
小さいうちに「満足回路」を育てましょう
両方あるものは、両方を同時に使って効果を発揮するようになっています
朝の頭の始動に効果的なのは、映像再現のない「百ます計算」よりも、映像再現のチャンスのある「暗唱」が少しはいい。しかし、
時間内にすることの無意味さと危険性
悪い宿題のストレス度チェック
小さな時には小さな回路、大きくなったら大きな回路が必要になます
味わうことの楽しさを小さいときに体験する
遊びを犠牲にしてまですべき宿題などあり得ません
子育てメモ
効果的なのは自然な両脳教育
読解力とは何か
「子供がやりたいと言っているのだからやらせている」は要注意
無意味な評価基準に合わせて頭を成長させてはいけません
算数力と国語力は同時に育てることが出来る
子供の「分からない」が全ての始まりだった
先取り学習は無意味
永久脳の仕組み
危険な自動化:反射形成学習
体も思考も同じ仕組みで再現されている:脳細胞の発達
行間を読む
思考の先にあるもの
検定
テレビについて(12才まで)
イメージ化について
言葉
力の出させ方
授業と日常
調べ物学習の注意点
深思考
意識して
ミヒャエル・エンデ
味わい学習
思考形態
イメージと運動
確かなイメージ
小学校時代の学習
一流である条件
体を作るのが体育ではありません
教科に関係なく共通した目標は視考力養成です
小学校の体育では
言葉はイメージ
自信
算数の文章問題は
大きな勘違い
自信や達成感を持たせられればどんな方法でもいいわけではありません
最速の視算は「10の補数と九九」だけに限定する理由
知的障害者には有効だが健常者には有害な知的早期教育
応用するとは
幼児教育
トリガー理論の応用
繊細であること
「ふっきれる」恐ろしさ
勘違いをしてはいけない
「大人びた顔」には注意が必要です
料理と学習
のパーミッション(許可)効果
お喋りなお母さんの注意点
分からない
子供を守る豊かな教育
思考
2種類の忍耐力
12才までの教育の大間違いベスト5
12才を過ぎると「手遅れ」になる理由
長期教育が失敗するとき(学力を育てられない教育)
テレビ番組が子供に良くない影響を与える理由
学習年表
幼児・児童期に評価をしてはいけない理由
異常行動
9才前後までの幼児脳を鍛えてはいけない理由
本当の学力:「絶対学力」
天才の頭になってみましょう
子供達の変化の実際:同じ様な反応をして変化します
*****どんぐり倶楽部憲章*****
「あゆみ」は先生の感想文
2種類の学習習慣
勘違い教育
祭り
人間は進歩するように出来ている
受験頭にシフトする
凧揚げ
漢字
反応
絵図を描く人には絶対にかなわない
確認
うちの子には合わない
「読み・書き・計算」が考える力を育てられないことを検証します
「どんぐり方式」なら
貧弱な理論で危険な学習指導をする例・12才まではしてはいけない!
ホーーキングを知っていますか?
視覚イメージ以外のイメージについて
危険なレトリック学習:小学校では不要
解けてもダメな理由
夢を見ることができるひとは思考力を持っています
分割学習の危険性
言葉
多くの先生が答えられない簡単な質問:スピード幻想
オリジナル
学力は瞬く間に伸びます
人間が人間であるための条件
「なぜ人を殺してはいけないのか」
能動的に遊ぶ子が頭がいい理由
人間はゆっくり成長するようにできています
暗唱練習の勘違い
国語も算数も使う力は同じ視考力(視覚イメージの再現と操作)です
視覚イメージは思考のプラットホームなのです。視考力の応用
表現力にも視考力を使います
無駄な計算練習はしない
一時期だけ過剰発達する記憶力
犯罪と思考の臨界期
頭も体も人生を楽しむためにある
感味力
誰のために思考力を手に入れるのか?
判断力を育てる
「分かり易い」とは
幼児の反復性
子育てとは文字通りの「人間育て」
大脳と小脳
「読み聞かせ」が失敗するとき
「Slow-in & Quick-out の原則」
計算と暗記は最小限にする
成長の過程では、役目を終えれば消え去る細胞や機能があるのです
言葉が分からない
12才までは過程が大事な理由
理解欲を活用しましょう
サバン症候群
味覚・触覚・臭覚は直接味わう器官なので繊細な感覚が再現されます
音に自動的に反応する耳は自分の意志では塞げません
習熟と慣れ
長期にわたって知能の発達によい影響をおよぼす研究成果
人間の脳のしくみ
頭の悪い子
全ての動物は「考える」ことができる
納得感
具体的な手法が大事
プラットフォーム
脳の役割
記憶と思考
出来ることとやりたいこと
文字の学習
楽しい遊びが学力の素
IQは簡単に上げられるが学力とは関係ありません
「しつけ」がおしつけになってしまう場合
スパルタ教育の時期
父親の役割
皮膚接触の重要性
最高の学習教材は目の前にある自然です
本当の計算上手の育て方
「〜教育」とは「〜を楽しむ」とうこと
大脳の思考モデルを写し取る小脳
「感じること」と「考えること」
ヒラメキ
体で覚える
幼少期(0-12才:特に3-9才)の多量の知識(暗記・暗唱)と高速計算の危険性について
年齢別思考力養成の注意点
本当の「分からない」
子育てと教育のキーワード
スピードに慣れてはいけない
過程が全て
<索引へ戻る>…………………………………………………………………………………………………

 言葉はイメージ(多くは視覚イメージ)を再現するための
 トリガー(引き金)にすぎません。

 私達は、言葉ではなくイメージで考えているのです。
 このことを知らなければ教育は失敗します。
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○言葉はイメージ(多くは視覚イメージ)を再現するための記号である→
画像
<索引へ戻る>…………………………………………………………………………………………………
○ここに書いてある私の考え方は
 間違っているかも知れません。

 ただ、私の考えは
 全て私が実際に指導してきた
 子供達から教えられたことばかりです。

 ですから、
 机上の空論ではありません。

 少しでも
 健全な子育てと教育の参考になれば
 嬉しく思います。

 子供達のために、
 誰もが自在に操ることが出来る
「視考力」の使い方を
 教えてあげて下さい。
<索引へ戻る>…………………………………………………………………………………………………
動物は全てイメージ思考をしています。

 ですから、
 言葉が無くても
 考えることができるのです。

 私たちも同じです。

 脳内言語は視覚イメージ(絵図:イラスト)なのです。

 身体への命令も思考も
 視覚イメージで行っています。

 ですから
 同じ場所(小脳)で処理できるのです。

 脳科学の分野でも
 やっと最近になって
 運動だけでなく思考も
 小脳が大きく関係していることが
 分かってきました。

 やっとです。

「大脳の活性化」が
「思考の発達」ではないことを
 前著
「絶対学力」
「新・絶対学力」でも
 さんざん言ってきましたが、
 少しずつ科学的な
 証明も追いかけて
 きているようです。

 この本では、
 みなさんを
 もっともっと先まで案内します。

 何も難しくはありません。

 誰もが自分で
 検証できることばかりです。

 これから読むことを
 5分だけでも実践されれば
 教育に関するあなたの疑問は
 一瞬で氷解するでしょう。

 子供の一生を左右することに
 5分を惜しむ人は
 いないと思います。

 もし、いるとすれば
 それは特別な理由があるからです。
 営利が絡んだ
 特別な理由があるときには、
 今までの思い込みや迷信を利用すると
 便利だからです。
 子供の教育ではなく
 教育費に関心がある人達です。

 私はこの本を
 子供達を守るために書きました。

 ですから、
 子供に接する全ての人に
 読んでもらいたいと思っています。

 ここにかいてあることは
 私が直に接した子供達から
 得たことばかりです。

 ですが、
 子供達から教わったことを
 整理しているうちに
 それは、
 ギリシャの哲学者達(ソクラテス、プラトンなど)が
 言っていることと
 同じことだと
 分かりました。

 人間が持っている力は
 時代や年代に
 左右される様なものではなく
 人間が人間として
 持って生まれている
 誰もが持っているものだという
 ことを証明しています。

<索引へ戻る>…………………………………………………………………………………………………
公開授業「リンゴとリンコ」

「読める」とは
 発音できると言うこと
「分かる」とは
 発音からイメージしたものを
 見ることが出来ると言うこと
「考える」とは
 イメージしたものを
 頭の中で移動変形させることが
 出来ると言うこと

 頭の中でのイメージの移動変形は、
 人間が出来る最速の反応です。
 ですから、
 時間的にはゆっくり考えていても
 実際に処理されている内容(イメージの移動変形)は
 複雑で多様です。
 そして、
 これらのイメージの移動変形の中から
 状況にあった(設問にあった)
 解決方法(答え)を選択するのです。

 人間の思考過程は
 このようになっています。

 ところが、
 多くの人は
 言葉を知っていれば
「分かる」と思い込んでいます。

 ですから、
 いつまでたっても
 考える力の養成が
 できないのです。

 人はイメージで考えているのに、
 伝達手段の中心は
 言葉となっています。
 
 そこで、
 言葉そのもので
 伝えたいことが
 伝わると勘違いしているのです。

 ところが、
 実は言葉は
 イメージを導くキッカケ
 でしかありません。

 ですから、
 このこと(言葉のトリガー理論)に
 気付かない限り、
「伝える力・理解する力・考える力」を
 養成することは
 できないのです。

 つまり、
「言葉のトリガー理論」を
 知らなければ
「正しい教育」は
 できない(不可能である)と
 いうことです。

 このことは
 小学生にでも
 15分もあれば
 理解させることが出来ます。

 公開授業の様子を
 下記に載せておきますので
 参考にして下さい。
  「リンゴとリンコ」

私::リンゴとリンコって
   分かりますか?
生徒:???
私::リンゴは分かりますが、
   リンコは分かりませんね。
   どうして分からないのかな?
   読めるよね。
   発音できるよね。
   なのに、どうして分からないのかな。
   では、
   リンコを
   リンゴの隣で口を閉じて微笑んでいる
   お魚さんだとします。
   さて、
   リンゴとリンコって
   分かりますか?
   ……分かりますね。
生徒:うん。
私::どうしてでしょう。
   ついさっきまで
   分からなかったことが、
   今は分かっていますね。
   どうしてでしょうか。
生徒:教えてもらったから。
生徒:説明してもらったから。
生徒:言葉の意味が分かったから。
生徒:今は知ってるから。
私::うん、そうだね。
   じゃあ、今、
   みんなが言ったことは
   どういうことかな?
生徒:?……。
私::イメージできるようになった
   ということです。
   言葉から
   イメージを
   引っ張ってきて
   頭の中で
   見ることが
   できるようになったからです。
  『見える=分かる』なんだね。
   では、
   見えたものを
   描いておきましょう。
ハ※リンゴとリンコの絵
私::この分かったことを
   描いておくということが
   大事なんですよ。
   どうしてかというと、
   この分かったことを使って
  『考える』からです。
   今は2つだけですから
   絵を描いておかなくても
   大丈夫でしょうが、
   どんな場合にでも
   考えられるように
   必ず絵を描くようにします。
   描いたかな?
生徒:もうちょっと。
生徒:描いた。
私::はい、じゃあ今度は目を閉じて。
   リンゴとリンコが見えますか?
生徒:はい。
私::では、聞きますよ。
   リンゴとリンコって
   分かりますか?
全員:は〜い。
私::どうしてかな?
全員:見えるからです。
   頭の中で絵が。
私::そう!
  『見える』と
  『分かる』って
   同じ事なんだね。
生徒:え?あ、そうか。
   うん、そうだね。
私::さて、目を開けて。
   この絵を見てね。
   今度は
  『考える』とは
   どういうことかを体験するよ。
生徒:考える?
私::そう、考える。
  『考える』って
   どういうことだろう。
生徒:どういうって、
   考えるってのは
   考えることじゃないの?

私::じゃあ、聞くよ。
   絵を見てるんだよ。
   リンコがリンゴを
   食べるには、
   どうすればいいでしょうか?
   この絵を見て、
   この絵を見て。
生徒:口を開ければ
   いいんじゃないの?
私::その通り!
生徒:何だ簡単じゃん。
私::そう。
   とっても簡単なんだ。
   でも、それが
  『考える』ってこと。
   いいかい。
   今、ココに
   描いてある絵を
   見ながら、
   その絵を変形させて
   どうすれば
   問題が解決できるか、
   つまり
   リンコがリンゴを
   食べることができるか
   答えを見つけただろ?
   それが
  『考える』ってこと。
   絵にしてみるね。
ハ※リンコがリンゴを食べる絵
私::こんな感じかな。
   いいかい、
   今みんなは、
   頭の中で
   絵を動かしたんだね。
   イメージを変形させたんだね。
   このこと、つまり、
   頭の中でイメージを変形させることが
  『考える』ってことなんだ。
   だから、
   考えるって事が
   イメージを変形させることって
   分かれば
   誰にでも簡単に
   できるんだね。
   だから
   考える力のない人なんて
   いないんだよ。
  『考える』って
   誰にだって
   できることなんだ。
   しかも、
   どんな勉強でも
   同じなんだ。
   考える方法はこれだけ。
<索引へ戻る>…………………………………………………………………………………………………
続「リンゴとリンコ」※設問解釈という勉強方法
私::いくつもの答えが出るね。
   すると、問題を出した人は、
   合ってるかどうかを
   確かめるのが面倒になるね。
   そこで、答えが一つになるよう
   にヒントという条件を付けるんだ。
   例えば、リンゴを変形させてはダメ。
   口を開けてはダメ。とかね。
   すると、
   リンコを巨大化するしかない。
   こうすると、
   設問にあった答えが
   自動的に出てくる。
   設問解釈ってのは
   出題者に合わせて
   答えを絞ってあげること。

「リンゴとリンコ」の授業で
「リンゴを細く切れば
 口を開けなくても食べられるね」
 と言う子が何人もいます。

 普通の子供達ですが、
 この発想はアルキメデスの
「取り尽くし法」と呼ばれる
 後に数学の微分・積分に発展する
 考え方と同じです。

 視考力の素晴らしさは
 こんなところでも
 容易に確認できるのです。

 この様に、
「分かる」とはどういうことか、
「考える」とはどういうことか、
 教え方次第で、
 小学生にでも
 15分位で分かってもらえます。

 ところが、
 教育者でありながら、
 このことを知らない人が
 大勢いるようです。

 勉強不足の極みだと思います。

 このことが分かっていないから
「考える力」を育てられないのです。

 問題を
「理解して解く」とは、
 具体的には
「文章を絵図にした後で
 求められている形に絵図を変形させる」
 ということです。

 言葉(文章や音声)は
 イメージの説明をしているに
 すぎません。

 つまり、私達は
 言葉で考えているのでは
 ないということです。

「突然思いつく」とか
「ヒラメク」とか
 言うことがありますが、
 これは頭の中で
 絶えず変形させ続けていたイメージが
 求めていたイメージに
 一致したということです。
 考えていなかったわけではないのです。

 言葉ではなく
 イメージを変形させるという
 最もエネルギーを
 効率的に使う(ラクな)方法で
 考えていたので、
 意識しないで
 考え続けられたのです。

 また、
 飲み込みが早いとか
 吸収力があるとか
 理解力が高いなどと
 いうこともありますが、
 これらは全て
「言葉を的確にイメージ化できる」
 ということです。
 イメージ化すれば見えます。
 見えるとは分かることです。

 ですから、
 言葉のイメージ化=理解力となるのです。

 私たちは言葉を多用しますから
「言葉↓イメージ化↓理解」
 となりますが、
 言葉の無い世界では
「イメージ化↓理解」
 となります。

 理解する原理は
 全て同じなのです。

 ですから、
 イメージ化できれば、
 言葉が無くても
「理解すること」も
「考えること」もできるのです。

 人は、言葉を使えるから
 優れていると思っている人もいますが、
 そうではありません。

 動物にも言葉はあります。

 人間が優れているのは
 記録することができるからです。

 そして、
 その記録には
 絵図と言葉(文字・音声)を
 使うのです。

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視覚イメージと学習の注意すべき関係

 イメージ操作が大切だからといって
 言葉から離れて
 ブロック遊びや
 パズルに走っては
 いけません。

 大切なことは
 常に言葉とイメージを
 行き来しながら
 イメージ思考する力(視考力)を
 養成することです。

「良質の算数文章問題」は
「言葉↓イメージ再現
 ↓イメージ変形
 ↓イメージ変形の流れを数式化」を
 毎回練習するようになっています。

 ですから
「考える力の養成には、
 良質の算数文章問題が最適」なのです。

 算数の文章問題を、
 単に計算の応用などと
 思っているようでは
 学力は育てられません。

 もちろん、
 絵図で考えるように指導していない
 問題集は問題外です。

 反対に最初から絵図が描かれてある
 問題集もダメです。

 一番大事なのは
 文章(言葉)をイメージ再現する
 練習なのです。

 正しい絵図を描くことが
 学力を育てるのです。

 これらのことが分かると
 考える力の育て方が
 分かります。

※三角計算・トライアングルナンバーズが重要な理由
 三角計算はイメージを使って計算をする方法です。
 つまり、計算でありながらも「考える力」の基となるイメージを操作する
 練習ができるということです。
 算数の入り口でこの三角計算を使うと、私たちは考える準備を無理なく
 自然に整えることが出来るのです。

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夢追い族の守り神

「限りなき夢追い族」
 と呼ばれる部族がK山に、
「果てしなき夢追い族」
 と呼ばれる部族がM山にいました。

 両部族の守り神は同じで、
 それぞれの山の頂上には
 翼の形をした守り神を祭っていました。

 長い間、両部族は
 空を飛ぶことを
 夢見ていました。

 空を自由に飛び回ることに
 憧れていたのです。

 両部族とも、
 真剣に努力していました。

「限りなき夢追い族」の長は
「速く走れるようになれば飛べる」
 と信じていました。

 一方、
「果てしなき夢追い族」の長は
「高くジャンプすれば飛べるようになる」
と信じていました。

 時には両部族間で
 言い争いも起こりました。
「もう少し速く走れれば空を飛べるんだ。
 もう少しで飛べるんだ」
「もう少し高くジャンプできれば
 空を飛べるんだ。もう少しで飛べるんだ」
 お互いに譲りません。

 この争いが起こってから、
 すでに数十年がたっていました。

 そこへ、通りすがりの男が
 空からフワフワと降りてきました。

 両部族は言い争いをしていて、
 その男がどこからやってきたのか
 気がつきませんでした。

 その男は言いました。
「君たちは空を飛びたいのかい」

 すると、両部族が口をそろえて言いました。
「当たり前だ。それが夢なんだ」

 その男は不思議そうな顔で、
「じゃあ、なぜあの翼を使わないんだい」
 と山頂に飾ってある守り神を見上げました。

 両部族ともいっせいに笑い出しました。
「あれは我々の守り神である
 シコウリョク様だ。
 何にも知らないんだな。
 よそ者は帰ってくれ」

「あれはお祭りのときにだけ
 使う神聖なものなんだ。
 何にも知らないんだな。
 よそ者は帰ってくれ」

 そう言って、両部族は
 また走ったりジャンプしたりという
 練習を始めました。
 この光景をジッと見ていた子供が
 男に近づいてきて、
 真剣な目をして言いました。

「僕、空を飛びたいんだ」

 帰りかけていた男は、
 その子に守り神を指さして言いました。
「あれは翼というんだ。
 あれを使えば、
 ほんの少しの助走と、
 ほんの少しのジャンプで、
 空を飛べるんだよ」

 男は、そう言って
 スゥーッと空へ帰って行きました。

 子供たちは、
 その男が翼を使って
 軽々と空に舞い上がるのを
 しっかりと見ていました。

 そして子供たちは
 大急ぎで家に帰りました。

 どの家にも
 翼は祭られていたからです。

 そうなのです。

 空を飛ぶには
 翼が必要だったのです。

 そして、その翼は
 どの家にも飾ってあったのです。

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弱視(貧弱な視力)を作る眼帯と弱思(貧弱な思考力)を作る高速計算練習 
 子供の眼帯(高速計算練習)は
 要注意です。

 正しくは、
 子供の眼帯(高速計算練習)は
 原則的には「禁止」です。

 理由は
 正常な視力(思考力)が
 育たない可能性が
 非常に高いからです。
 弱視(弱思)といいます。

 私達は毎日
 外界らの刺激(情報)を
 五感から入力し、
 それを脳で
 処理し続けています。

 その中でも
 格段に大量の情報を
 得ているのが
 視覚からの刺激です。

 人間は視覚動物とも
 言われているほどですから、
 子供は視覚で
 成長を遂げているのだ
 と言っても過言では
 ありません。

 また、視力(思考力)は
 生まれつき正常(1.0)なわけではなく
 視力(思考力)の成長期に
 毎日、様々な物を見て、
 脳細胞が刺激を受けて
 成長した結果、
 初めて正常といわれる視力(思考力)が
 得られるのです。

 視力(思考力)の成長期に
 短期間でも
 眼帯(高速計算練習)をされてしまうと、
 視力(思考力)刺激のない間に、
 急激に視力(思考力)関係の
 脳細胞が
 働かなくなります。

 困ったことに、
 細胞の成長は「ゆっくり」ですが
 止まるのは瞬間であり
 消え去るのは「すばやい」のです。
 こうして
 脳内の機能的な視力(思考力)障害が
 できてしまいます。

 いったん弱視(弱思)化した
 子供の視力(思考力)を
 取り戻すのは
 非常に困難で
 根気が必要です。

 さらに、
 気付くのが遅れて、
 子供の時期に視力(思考力)の
 再生を試みなければ
 一生、視力(思考力)が
 育つことはありません。

 臨界期を超えてしまった機能は
 不要なものとして
 消し去られて
 しまうからです。

 このことをアポトーシスといいます。

 成長過程で不要となった細胞が
 自動的に消滅する合理化現象です。

 眼帯(高速計算練習)や、 
 眼帯(高速計算練習)に準ずる、
 子供の視力(思考力)の養成を
 妨害する学習(考えない学習)は
 厳禁なのです。

 光のささない
 暗い部屋に放置したり、
 黒いサングラスをかける行為
 学習では
 暗記・暗算・高速計算
 考えずに読むだけの暗唱
 考えずに書くだけの多量の漢字練習
 も危険行為です。
 
 でも「老人のリハビリには効果があるのだから」
 という人がいます。
 
 もちろんです。
 子供と老人とは
 全く違うから
「効果がある」のです。

 機能が始動し
 基本的な能力が
 固定した(臨界期を超えた)後は
 多少乱暴な刺激でも
 致命的な機能損傷はないからです。

 ですから、
 してもいいことと、
 してはいけないことが
 違うのは当然なのです。

 特に、
 成長期の前後では
 同じ刺激でも
 与える影響は全く違うのです。

 それなのに
「脳内のエネルギー消費量が増加(血流増加)する」
 だけのことを
「脳が活性化する」
 と曖昧に表現し、
「活性化=良いこと」
 のように印象づけて
 単純思考の強化をさせる
 危険教育が進行しています。

 危険極まりないことです。

 ガムを噛んでも
 脳は活性化するし、
 不快なことを考えても
 脳は活性化するんです。
 何ともお粗末な考えです。

 視力も同じように、
 成長(機能始動と機能確認)を終えれば(臨界期を過ぎれば)、
 長期に眼帯(高速計算練習)をしても、
 視力(思考力)は回復します。
 機能回路が出来上がって
 固定しているからです。
 臨界期は 
 視力は6才
 思考は12才です。

 これは、子供の一生の問題です。

 ですから、
 眼帯(高速計算練習)は
 厳禁なのです。 

 では、子供の眼科手術(中学受験)の時は
 どうすればいいのでしょうか。

 手術の時でさえも
 眼帯(高速計算練習)は
 原則的に手術日当日(受験前1ヶ月)だけです。

 眼科手術(中学受験)の時でさえ
 子供に眼帯(高速計算練習)はさせない
 というのが、眼科医(教育者)の常識です。

 子供の眼帯(高速計算練習)が
 非常に危険なことを知っていると、
 それだけで子供の視力(思考力)を
 救うことができる場合が多いことを
 知っておいてください。

 子供達の力は計り知れません。

 ですが、機能障害だけは
 自力での回復が出来ないのです。

 どうか、くれぐれも
 子供の眼帯(高速計算練習)には
 ご注意下さい。

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思考力を育てるにあたっては

「子供は一人一人違う」とか
「個性に合わせて」とか
「家庭の方針」とかは
 あり得ません。

 人間の思考方法は同じであり、
 成長過程も同じだからです。

 個性を伸ばす前に
 人間(自分で考えることが出来る人間)に
 育てなければならないからです。

 有名な
「みんなちがってみんないい(金子みすヾ)」
 という詩には
「ヒトから人間にまで育て上げた後ならば」という但し書きが必要なのです。
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個性というのはその子の「できること」ではありません。

 個性というのは、
 その子が自然に無理なく楽しめること・面白く感じる能力のことです。

 なぜなら、
 全ての人には全ての能力が与えられているからです。

 ですから、
 何かが出来るという意味では(同じ能力が備わっているという意味では)
 個性はないのです。

 従って、
 個性とは
「楽しむ力」のことだと考えるとよく分かります。

 第1個性とは、
 その子が持って生まれたテンポのことですが、
 第2個性である「好み」を
 一般的には「個性」と呼んでいる人が多いようです。

 ですから、
 子供の個性とは
 親が子供に植え付けた快・不快の感情から生まれた「好み」のこと
 になります。

 独創性は「好み」の追求から生まれます。

「好み」は快・不快経験から作られます。

 ですから、
 才能を結実させたければ
 何かを「させる」のではなく
「快体験」を多く持たせ
「好み」の幅を広げておくことが大切です。

 そして、
 才能は伸ばすものではなく
 成熟するのをまつものであることを肝に銘じておくべきです。

 子供の特性である反復行動は
 納得するため(納得回路を作るため)であって
 知的系統的学習(覚え込ませること)に
 使うべきものではありません。

 一つのことを
 本当に納得するまで
 ゆっくり見守ることが
 親の役目です。

 その子の個性と
 子供の特性を
 間違ってはいけません。

 個性(第2個性)は
 育てることが出来ますが、
 特性は育てることが
 出来ないからです。

 また、第1個性である
 独自のテンポは
 先天的なものなので
 生涯にわたって
 変えることは出来ませんし、
 変えようとしても
 効果はありません。

 これら2つの個性のことを
 知ったうえで子育てと教育を考えると
 無理なく無駄なく効果的な
 接し方が自然に見えてきます。

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開発という名の破壊活動を御存知だと思います。

 リゾート開発とは
 自然破壊のことであることが殆どです。

 同様に
 才能開発とは
 個性破壊であることが殆どです。

 能力は
 開発すればいいというものでは
 ありません。

 幼児・児童期に
 目ざめさせてはいけない能力も
 あるのです。

 特に、
 時期がずれている時(不自然に早く)に
 発揮される能力は
 害になります。

 害になるから
 自然には発達しないように
 プログラムされているのです。

 それなのに、
 眠っている子を
 起こして喜んでいるような人が
 大勢います。

 幼児・児童期に目ざめた能力は
 一生の性格(能力によっては一生の弊害)
 になる場合が多いので、
 要注意です。
 人間はあらゆるものを
 楽しむ能力を持っています。

 しかし、
 あらゆるものを
 楽しめることは
 実は恐ろしいことです。

 どんなに不自然なことでも
 非道徳的なことでも、
 そこに快楽を感じることが
 できるのですから。

 ここに子供達を教育することの
 重要性があります。
 特に幼児教育の
 重要性があるのです。

 開発してはいけないこと、
 目ざめさせてはいけない能力が
 人間にはあるのです。

 これを知らずに行う教育や開発は
 暗闇の中で射撃練習を
 するようなものです。

 幼児・児童期に
 テレビゲームに
 快楽を感じるような能力を
 開花させる必要は
 全くありません。

 高速計算を喜ぶ能力は
 害になるだけです。

 スピードに憧れる
 必要もありませんし、
 慣れさせる必然性も
 ありません。

 開発という
 甘い言葉には
 要注意です。

 なぜなら、
 開発などしなくても
 視覚イメージ操作は
 超高速でできるからです。

 そして、この能力は
 生まれたときから
 誰もが使っている
 能力なのです。

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超記憶能力開発をしてはいけない理由

 まずは、次の資料をご覧下さい。
<索引へ戻る>…………………………………………………………………………………………………
■参考文献■ルリア著、天野清訳「偉大な記憶力の物語」(文一総合出版)
 原著は、1968年モスクワ大学出版局より出版。
 著者はアレクサンドル・ロマノヴィッチ・ルリア(1902-1977)。
 ソビエト連邦時代の著名な心理学者。登場人物であるシィーの本名は、
 エス・ヴェー・シェレシェフスキー。
 ラトビア生まれのユダヤ人。
 兄弟、家族は普通の人達で、精神異常もいなかった。
<索引へ戻る>…………………………………………………………………………………………………
 ロシアの心理学者ルリアの研究室に、1920年中頃のある日、驚異的な記憶力
を持った新聞記者シィーが訪ねてきました。
 彼は、編集長の勧めでルリアの研究室にやってきたのですが、彼自身は自分の
超能力に気付いていませんでした。ルリアは当時まだ20代でしたが、シィーは
まもなく30才になるところでした。
 ルリアは数の系列、語の系列などつぎつぎとテストしていきましたが、シィー
は系列の数を増やしても何の困難もなく正確に憶えることができました。
 ルリアはその後30年に渡って、シィーの記憶力の異常発達、それが認識過程
や人格形成にもたらした作用について、心理学の様々な手法を駆使して、観察
・分析することになったのです。

 シィーは、語や数の系列を見続けるか、あるいは、口述された語や数を視覚
像に変換することで記憶していました。
 例えば、黒板にチョークで書かれた数表を記憶するとき、彼は、数表を注意
深く見つめ、目を閉じ、再び目を開き、次に目をそらせました。合図があると、
その数表を順方向にも、反対方向にも、対角線の順番にでも言うことができた
のです。彼は単に、与えられた視覚像を記憶し、再生のときには記憶した視覚
像を読んでいたのです。反対方向でも、対角線でも流暢に「読む」ことができ
たのはそのためでした。
 シィーには幼児の頃から、「共感覚」とよばれる現象がありました。音を聴
くと色や形が見えたり、色や形を見ると音が聴こえたり、匂いを感じたりする
現象です。ルリアが50Hzの音を聴かせたところ、彼は、「暗い背景に赤い舌
を持った褐色の線条が見えます。その音の味は甘酸っぱく、ボルシチに似てい
て、その味覚が舌全体を覆っています。」と報告しました。ルリアはこれらの
共感覚が記憶の背景を作り出し、彼の記憶の正確さを保証しているのだろうと
考えました。
 シィーはまた、自分の心拍数や体温を随意にコントロールすることができま
した。例えば、汽車を追いかけるのをイメージして心拍数を上昇させ、眠って
いる自分を想像して心拍数を減少させたりできたのです。彼の空想の世界はあ

まりにも鮮明で、空想の世界の実在性を経験することもしばしばあったようで
す。そうしたエピソードのひとつでは、少年の頃、想像の中の彼は学校に出か
けたのですが、そこへ父親が入ってきて、まだ自宅にいる現実の世界に引き戻
されたそうです。
 シィーの記憶は、視覚化と共感覚によってその正確さを保証されていました。
しかし、逆に、視覚化したものの記憶は、共感覚によって引き起こされる視覚
像によって邪魔されることもしばしばありました。
 彼はルリアに人の顔の記憶について愚痴をこぼしていたそうです。
「人の顔は、人の気持ちの状態や、どういうときに会うかによってしょっちゅ
う変わり、そのニュアンスはメチャメチャになります。」と。
 長い物語や詩の理解も、彼にとっては苦手なもののひとつでした。
 つぎつぎに浮かび上がってくる視覚像に邪魔されて、本質的なものを抽出し
非本質的のものを捨て、話や詩の流れを追うことが困難になるためでした。
 シィー以外にも驚異的な記憶者の研究報告はありますが、それらの例では
必ず忘却もありました。
 ところが、シィーの記憶は、ルリアが十数年後にテストしたときも全く完全
で、忘却のない完璧は記憶でした。
 しかし、それと引き換えに彼は、つぎつぎと生じる視覚像のために抽象的な
思考は妨げられ、また、しばしば、現実と想像の世界の区別を失うという異常
な世界に生きていたのです。
<索引へ戻る>…………………………………………………………………………………………………
 彼がどんな長さの言葉の組み合わせでも、また、これらが最初に彼に与えら
れたのが一週間、一ヶ月、いやもっと何年も前だったにせよ、再生するのに何
の苦労もないことが実験によって示されました。しかし、ルリアは異常な記憶
力にもかかわらず、彼が特に優れた知性を持っているわけではないといってい
ます。

 物事を視覚イメージで記憶するという
 脳本来の入出力方法を利用したから
 容易に記憶(記録・再現)できたのです。

 人は死ぬときに
 自分の人生を
 走馬燈の様に回顧するといいますが、
 これも視覚イメージ操作を
 超高速に行うことが出来るからです。

「走馬燈の様に」とは
 視覚イメージの連続再生です。
 小脳の1000億個の脳細胞に
 記憶されていた視覚イメージが
 意識することが出来る大脳に
 情報を流すことで起きた
 記憶の再現です。

 誰もが
 全ての記憶を
 視覚イメージで
 保存しているということです。
 だからといって、
 では視覚イメージで
 全てを完璧に暗記しよう
 などと思ってはいけません。

 不自然な能力開発は
 異常開発に他ならないからです。

 そして、思考には
「しない能力」も重要だからです。

 私達は、
 考え事をしているときに
 母国語が耳に入ってくると
 考え事をできなくなります。

 ところが、 
 意味が分からない
 外国語や音楽などなら
 聞こえていても
 考え事は出来ます。

 また、母国語でも
 騒音と同じように
 単なる音として聞いているときには
 邪魔にはなりません。

 なぜでしょう。

 それは、母国語は
 自動的に「音↓視覚イメージ」という変換をして
 脳内言語であるイメージ再現をして
 分かる(見える)状態を
 作ってしまうので
 考え事(イメージ操作)をしていると
 視覚イメージの混乱(イメージ操作の邪魔)
 が生じるからです。

 このイメージの混乱が
「考えられない」の正体です。

 言葉(意味の分かる言葉)以外のものであれば
 入力しても思考に影響するほどの
 明確な視覚イメージには
 変換されないので
 邪魔されずに
 考えられるのです。

 この視覚化「できない(しない)」能力も
 思考には重要なのです。

 不要だから
 能力があっても発達しないように
 プログラムされているのです。
 自然な状態では
 人園の頭は
 最も思考に適したデータ処理を
 するようにプログラムされているのです。

 もしも、この視覚化能力を
 開発してしまったら
 完全記憶者シィーのように
 考えられなくなるのです。

 大事なのは
 多量のいわゆる知識ではなく
 考え方(思考モデル)なのです。

 なぜなら
 大脳で意識的に作られた思考モデルは
 小脳にコピーされて
 自動思考に使われるからです。
【引用】アインシュタインの「自伝ノート」
    Paul Arthur Schilpp,
    Albert Einstein als Philosoph und Naturforscher
    シュテゥットガルト・1955年

   「多くの場合、記号(言葉)がなくても

    思考は進められるもので、

    無意識のうちにさえもかなりの程度まで

    それがやれるということは、

    自分にとっていまや疑いないことである」

■まさに、小脳思考のことへの言及です。もちろんアインシュタインだけ
 でなくギリシャの哲学者達も知っていた事実です。
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サブリミナル効果

 サブリミナル効果とは、
 意識されないレベルで
 呈示された刺激の知覚によって
 生体に何らかの影響があることです。

 例えば、ある映像刺激が
 20ミリ秒以上の長さで呈示されたときには、
 それを知覚したことが意識できるのに対し、
 それ以下では意識できないとします。

 この場合、刺激が20ミリ秒以下で呈示されれば、
 それをサブリミナル刺激と呼び、
 それに対する知覚がサブリミナル知覚です。

 サブリミナル効果とは、
 サブリミナル知覚の効果のことです。
 なお、サブリミナル知覚とは逆に、
 意識されるレベルで呈示された刺激の知覚は、
 スプラリミナル知覚と呼ばれます。

 クンスト・ウイルソンとザイオンスは
 1980年に、被験者に
 10種類のランダムに作った不規則な八角形を、
 一つずつ、認知できない短い時間見せた後、
 今度はそれらを、
 見せたことのない八角形と一つずつ、
 ペアにして1秒間見せて、
 どちらを見たことがあるか(認知)と
 どちらが好きか(親近感)を
 答えさせました。

 その結果は
 認知はできていない(正解率は50%)が、
 前に見せたものを好ましく感ずる割合が統計的に
 有意(信じるに足る結果)に見られました。 

 これは、対象が何であるかを認知できなくても(大脳が意識できなくても)
 情動的判断ができることを示す有名な実験で、
 自覚的再認知とは無関係に、
 潜在記憶により(記憶された小脳からの情報で)親近感を判断できる
 ということです。

 視覚イメージのマッチングが
 そうさせているのですが
 反応が速すぎて意識できないだけです。

 ところが、
 この何百回ものサブリミナル知覚に頼る
 無意識を利用した高速多量の反復よりも
 意識的に「ゆっくり・ジックリ・丁寧に」意識する
 スプラリミナル知覚のほうが、
 時間の労力も格段に少なくて
 効率的に記憶できるのです。
「知らないうちに〜」
「反復するだけで〜」
 というのは、
 実は無駄な時間を
 無駄に使っていることなのです。

 つまり、100回のサブリミナル刺激よりも
 1回のスプラリミナル刺激のほうが
 効果的だということです。
 100回のフラッシュカードよりも
 1回の体験が応用が利くのです。
 100回の暗算よりも
 1回の筆算が可能性を広げるのです。

 意識することは
 視覚イメージの再現を容易にします。
 それどころか、
 意識するとは
 視覚イメージを明確化することと同じです。
 そして、視覚イメージは
 頭にも体にも効果的なのです。

 スポーツ界では
 イメージトレーニングの
 重要性は既に確立しています。
 結果が目に見える形で
 出てくるので
 確認が容易だからです。

 実は、学習も同じなのですが
 教育界ではまだまだ気付いていません。

*視覚の情報処理は破格に速いから、サブリミナル効果が生まれます。
 入力と再現のタイムラグがもたらす現象。
 再現するより早く刺激が消えるだけのこと。確認再現しない入力。
<索引へ戻る>…………………………………………………………………………………………………
漢字は大きく書くと覚えてしまいます

 視覚イメージは
 細部を保存しないようになっています。

 思考に支障のない
 細部の形や色などは保存しないのです。

 刺激を受けて再現はしますが
 脳内言語としては保存しません。
 リサイズしているのです。

 情報量を減らすことで
 素早い動きを実現するためです。
 ですから、
 細部を思い出せるようにするには
 大きな文字や絵図で
 入力することが肝心なのです。
<索引へ戻る>…………………………………………………………………………………………………
「しつけ」をする理由と効果的な方法

「しつけ」とは
「その社会でタブー視されていることに
 不快感や違和感を持つように育てること」で、
 基本的には不自然な行為です。

 ですから、
 物心つかない時に
 原初的な感覚を利用して慣らすことが
 大事になります。

 不快感や違和感は
 普段しないことをしたときに生じます。

 小さいときであれば
 小さな刺激で大きな効果が得られます。

 ですが、
 幼児・児童期の刺激は
 不快感を促す刺激であっても
 穏やかなことが望まれます。

 しつけの時には
 不快感を催すことを
 しなければなりません。

 ですから、
 しつけは子供が
 物心付いてからすると
 副作用があるのです。

 それは、
 叩くことや
 命令の言葉などで
 不快感を与えるしかないのですが、
 物心ついた後では
 不快感と共に
 言動そのものが
 子供に残り
 パーミッション効果を
 生むからです。

 物心付く前ならば
 不快感だけで済みますので
 弊害は最小限で
 済むことになります。

<索引に戻る>………………………………………………………………………………………
「しつけ」の限界と2種類の「しつけ」について

 物心付いてからは
 本来的な「しつけ」は
 できません。

 しつけは
 否応なくさせることですから
 不自然なことを
 強制することになります。

 ですから、
 納得の前の段階の
 快・不快の感覚を
 応用するのです。

 物心付いてからは 
 快・不快ではなく
「約束」を納得させ
「守らせる」
 ように仕向けます。

 つまり、第1の「しつけ」は
 快・不快の感覚を利用しますが、

 第2の「しつけ」は
「約束」だということです。

 物心ついた後にまでも
 快・不快を応用して
「しつけ」をしようとすると、
 強制ですから
 何らかの暴力を伴います。

 そして、それは
 「しつけ」の本質(快・不快の感情の育成)よりも
 暴力の傷跡を
 大きく残します。

 物心付いてからは
 説明し、納得させて、
 ルールを分からせることしか
 ないのです。

 満足な親子関係が
 なければ難しいことです。

 強制を感じる段階でのしつけは
 体は従っても
 心は従わないからです。

 これでは本当のしつけには
 なりません。

 自分一人になったときには
 強制的に止められていた言動は
 歯止めが利かなくなるからです。

「しつけ」は
「自分からするように
 仕向ること」と
 考えると色んな方法が
 出てきます。

「自分からするように
 仕向ける」というのは、
 どういう場面があるでしょう。

 例えば、
「ただいま」と言わせたい時には
「ただいま」と言わなくても
 迎える方が
「おかえりなさい」
「おかえり」
「早かったね」
「学校どうだった?」
「今日は寒かったろう」
 と声を掛けます。
 誘い水です。
 返事をするまで呼びかけます。
「返事をしろ」とは言いません。
 環境設定を十分にするということです。

 また、大事な
「しつけ」には
「身体を動かすことを
 いとわないように育てる」
「他人に相談できるように育てる」
 という項目もあります。

 さらには、
「相手が悲しむようなことは
 しない言わない」
「相手を思って自分の言動に判断を加える」
 ということもあります。

「〜〜っていうと**ちゃんは悲しくないかな?」
「悲しくなるようなことは言わないようにしよう」
 と言ってあげるといいですね。

「しつけ」とは
 させることではなく、
 自分からするようにしむけることです。

「自分から」というところが大事なのです。
 なぜなら、見張ってる人が
 いなくなると止めてしまうようでは
 困るからです。
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自分からするように仕向けることが「しつけ」です。

 ですから、
 快・不快の原理を使うのです。

 また、
 ワガママであることは
 大事なことです。

 ワガママで
 命に関わることは
 殆どありません。

 ワガママを
 叱る必要はないし、 
 叱る利点もありません。

 反対に
 ワガママがなければ
 我が道はありません。

 好きなことと
 上手なこととは
 同じ意味ではありません。

 もちろん
 得意なことと
 好きなこととが
 同じ意味でもありません。

 大事なのは
 上手なことでも
 得意なことでも
 ありません。

 大事なのは好きなこと。
 その上が楽しいこと。
 その上は面白いこと。

 体を動かすことを
 厭わないように育てましょう。

 それには、
 自分が動いているところを
 見せてあげることが第一です。

「させる」ことが第一ではありません。

 そして、お手伝い期を利用して
 面倒なことでも
 楽しく丁寧にすることを
 手伝ってもらうのです。

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「しつけ」的言葉遣いを知っていますか。

 言葉の感覚(語感)を
 育てることです。
 もちろん日本語です。

 日常的に
 子供が確かめられる言葉を使わないと
 ただの役に立たない知識となります。

「しつけ」的心遣いをしっていますか。

 心の感覚(心感)を
 育てることです。

 他の人がどう感じているのかを
 感じる感覚が大事だからです。

「急にさせない・やめさせない」
 ということも大事な注意点です。
「テレビはエンディング・予告までキチンと見る」
「あと5分で終わりにしましょうね」
「おやつを食べてから宿題しようかな」

 予告が大事なのです。

 1クッションが大事ということです。

「心の準備が」いい結果を招くからです。

 自分を納得させる時間を与えると、
 自分の意志でやることになるからです。

「自分で」が自分を作り、
 確かな感情を育て
 自信を作り上げます。
 回りの状況が分かるように
 育てることも重要です。

 回りの状況が分からないと
 能力があっても
 対応できないからです

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「しつけ」に関するメモ・見本として親が日常的にすること

・体を動かすことを厭わない。

・チョットしたことでも手を抜かない。

・複雑なことでも丁寧に根気よくする。

・記録することを厭わない。

・覚えていれば見直す必要はないが、記録を取ることを自然にする。

・一連の納得して決めた動作を毎日できるようにする。

 例:帰って来たらテーブルの上のメモを見て、おやつを食べる。
   簡単なお手伝いをキチンとこなす。

   ※忘れても叱る必要はありません。確認だけでいいんです。
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幼児・児童期の刺激は
 不快感を促すことが
 目的である刺激であっても
 穏やかなことが望まれます。

 大人より何十倍も敏感な時期に
 大人と同じ刺激や
 大人よりも大きな刺激を与えると、
 その刺激は
 種類の如何に関わらず
 ストレスを与えるだけの
 劇薬となります。

 そんな刺激を
 与え続けていると
 子供は最終的には
 無反応状態となります。
 表情が乏しい能面のような顔になります。
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「しつけ」+α

 他人に相談できるように
 育ててあげること。

 子育てと教育で
 自分の子供には
 命令形は使わない。

 命令形は相手の存在・意志を
 全否定する働きがあるからです。

「君は自分の意志に関係なく〜する」
 というのが命令形の働きです。

 最も信頼する親に否定されては
 子供の成長はありません。

 自分の子供には
 使ってはいけない
 命令形でも
 他人の子供には
 時と場合によっては
 よい忠告となります。

「ちょっと待ってね」は禁句です
 やりたい↓ストップ:否定表現=不安定(不満の増加)になるからです。

「今、行くね」はGood
 やりたい↓準備していい:心は進んでいる:肯定表現(希望や期待の増加)

 大前提
 子供に善悪という
 基準はありません。
 善悪とは社会的に作られた
 判別基準だからです。
 虫を殺す↓母親が悲しい顔をする:これだけで十分です。
 小さいときであれば小さな刺激で大きな効果が得られる。

「10分だけ机に座ろう」は要注意
 見せかけだけの
 学習習慣ほど
 時間の無駄遣いはない。
 大事なのは内容です。
 形からはいると、
 机の前に座っていることを
 勉強と思ってしまう。

 スポーツや芸事のように
 体を使って型から入る学習
 とは根本的に異なる
 進化過程の機能始動のための
 学習であることを
 忘れてはいけません。
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しつけの3段階

 1・触覚(タッチ)

 2・視覚(親が「お手本」を見せ続ける)

 3・言葉

 物心付いたら絶対に
 叩かない(手は出さないで口を出す)

 全てに共通していることは
「穏やかに」接することです。

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小学校での表現力養成が危ない理由

 何かを伝えるのに
 言葉(文)の練習をすれば
 上手になると
 思っている人がいる。

 プラトンのアカデメイアと
 イソクラテスの学校のことを
 知っているのだろうか?

 表現を磨くのは確かに
 見栄えがして格好良い。

 しかしそれは
「入力↓消化↓オリジナル」
 の全てが終わってからです。

 そうでなければ
 表現(表現力の養成)は
 子供の持っている
 才能や個性を制限し、
 単なる誰かの
「上手な猿真似」
 にしかならないからです。

 大人が求める
 陳腐な表現様式に
 豊かな子供達の表現様式を
 合わせなければならない
 必然性は全くありません。

 ましてや、担任の先生の
 好みの表現に合わせることなど
 あってはならないことです。
 評価につながるからという理由は子供には通用しません。
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12才までの教育は
 12才以後の教育とは
 全く違います。

 12才までの教育を
 基本教育といい

 ヒトを人間に育て上げる教育です。

 これが本当の義務教育です。

 人間とは
 考えることができるヒト
 のことです。

 少なくとも
 12才以前の教育で
 表現力を求めることは無意味です。

 教育者は
 哲学者でなければ
 なりません。

 なぜなら、
 子供達は
 哲学を求めて学校に
 来ているからです。

 哲学とは
 生き方を考える
 学問です。

 そして、
 生き方とは
 人生の楽しみ方のことです。

 つまり、
 人生の楽しみ方を
 教えるのが教育だというです。

 楽しむには
 感味力と思考力が必要です。

 簡単なことです。

「ゆっくり・ジックリ・丁寧に」
 想像を膨らませればいいのです。

 教育者は
 哲学者でなければ
 なりません。

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再び「どうしてスピードをつけてはいけないのか」

 不要だからです。
 不要なことをさせるのは
 ストレスを溜め、吸収力を落とすからです。

 さらに、
 視覚イメージへの変換さえすれば
 視覚イメージ操作は
 誰もが練習しなくても最速だからです。

 ですから、
 すべきことは
 外部からの刺激を
 視覚イメージへ変換する練習なのです。
「描く」そして
「意識する」
 だけの話です。
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目で考える力・視考力を育てるためにはどうすればいいのでしょうか?

 イメージ操作練習をする
「どんぐり倶楽部」の「良質の算数文章問題」
 で十分です。

 視考力養成とは「言葉↓イメージ再現・イメージ操作」
 のことです。
「良質の算数文章問題」は
 この視考力を使わなければ
 解けないように
 仕組んでありますので
 自然に視考力を育てることが
 出来るのです。

 文章問題を式を導くだけの
 文章と考えているようでは
 「視考力」も「思考力」も育てられません。
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「どんぐり倶楽部」の「良質の算数文章問題」なら独創性も維持できる理由

 理由は簡単です。
 映像(視覚イメージ:絵図)は
 誰もがオリジナルだからです。

 この映像を明確にせずに、
 あるいは使わずに立式すると、
 そこには何のオリジナルもない、
 ただの「問題を解くだけ」
 の練習になってしまいます。
 これは教育ではなく調教です。

 個性を守る・育てるとは
 常にオリジナルを
 意識するということです。

「どんぐり方式」には
 常に毎回オリジナルがあります。

 同じ子が同じ問題を解いても
 違う絵になりますから、
 復習でさえも
 オリジナルは
 幅を増す結果となります。

 言葉も同じです。

 視覚イメージを
 意識した言葉は、
 言葉が同じでも
 再現される
 視覚イメージは
 同じではありません。

 ですから、
 イメージの再現は
 同じ言葉からのものであっても
 全てオリジナルになるのです。
「意識的に」
 というところが大事なのです。

 そして、
 そのオリジナルのイメージを
 確かなものにしていれば
 語彙量が増加するにつれて
 言葉での表現も豊かになります。

 逆はあり得ません。

 語彙量を増加させることからはいると、
 それは言葉のサルマネになってしまいます。

 知識が増えたように
 見えますが、
 そこには
 才能を潰してしまう
 効果しかないのです。

 理解力・判断力・表現力・創造力・伝達力など
 全ての基本は
 イメージ操作にあります。

 もちろんイメージというのは
 視覚イメージ(映像:絵図)
 だけではありません。
 音のイメージ(声・チャイム・ルパン三世の声からのイメージ・風鈴の音)、
 匂いのイメージ、
 皮膚感覚のイメージ、
 味のイメージなどですが、

 考えるということに
 関しては
 視覚イメージが
 突出しています。

 式と答えに
 オリジナリティーは
 ありませんが、
 絵図は全てが
 オリジナルです。

 たとえ、問題が同じでも、
 その問題を頭の中で
 絵図にしたときに
 一瞬で全てが
 オリジナルに
 なるのです。

 オリジナリティーを
 大事にするとは
 イメージ力を
 つけるということです。

 全ての学習教科で
 イメージ力を
 媒介にして学習を進めることで
 学習そのものも
 格段に吸収しやすくなりますが、

 それ以上に
 思考のベースとなる
 イメージ操作の力を
 得ることが
 出来るようになるので
 重要なのです。

 ですから、
 解けても解けなくても

 絵図を描く。

 これが大切。

 絵図を描くことそのものが
 オリジナル(個性)を
 維持することなのです。

 描くことが
 学習の中心であり
 オリジナルを守ります。

 これが思考力養成の第一歩です。
 文字のイメージ化がなければ
 思考力は育ち得ないからです。
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「どんぐり倶楽部」の「良質の算数文章問題」が国語力(読解力)も養成できる理由は、

 シーン展開を
 含んでいるからです。

 算数と国語の違いは
 1シーンの細部描写(再現)か
 多数シーンの曖昧描写(再現)かの違いです。

 算数も国語も本質的には、
 視覚イメージ再現
 という点においては
 全く同じなのです。

 違いは細部描写には
 根気と緻密さが必要ですし、
 複数シーンの流れをつかむには
 大まかな理解(再現)で
 数多くのシーン理解(再現)をする、
 あるいは完全に理解しなくても
 次に行く大雑把さ(拘りすぎないこと)が
 必要になるということなのです。

 ここで大事なことは
 精細(緻密なこと)から
 大雑把になることは
 比較的に簡単ですが、
 逆は難しいということです。

 整理整頓を出来る人が
 乱雑にするのは簡単ですが、
 日頃から乱雑にしている人が
 整理整頓するのは難
 しいということです。

「どんぐり倶楽部」の
「良質の算数文章問題」は
 算数の文章問題ですから
 緻密さを要求されます。

 しかもかなり高度な緻密さです。
 
 さらに、ストーリー性を
 加えてありますから
 解きながらの
 遊びがあります。

 実は、
 この遊びが
 国語の複数シーンの把握
 につながるのです。

 算数の文章問題が
 楽しくなければいけないのは
「飽きないように」ではなく、
 国語力もつけるために
 必要だからなのです。

 ですから、
「どんぐり倶楽部」の
「良質の算数文章問題」は
 これだけで
 国語力も算数力も付くのです。

 プラトンが創立した
 哲学学校の門に
「幾何学を解さざる者入るべからず」
 と刻んだのは
「哲学には精緻な思考が必要である」
 ということです。

 計算とは全く関係ないのです。

 また、曖昧な流れの方が
 日常的であるが故に
 訓練が必要なのは
 緻密な描写の方なのです。

 映画を楽しめない人はいませんが
 絵画を楽しめない人は多いのも
 このことが原因です。

 楽しい「どんぐり倶楽部」の
「良質の算数文章問題」という
 中間形(プラットホーム)を
 知っていると
 修飾の少ない数学にも
 修飾の多い文学にも
 どちらにも簡単に移行することが
 出来るようになります。
 さらに、
 独創的な考えも
 ヒラメキでさえも
 養成することが
 出来ます。

 なぜなら、
 これらは全て
 視覚イメージの操作から
 生まれるものだからです

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