総索引慣れさせることの危険性

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※ご自由にお使い下さい<転載可:添削例の転載は御相談下さい>

百マス計算に反対する理由と改善策
<低学年で徹底反復をしてはいけない理由:完璧主義の悪循環>
●多くの人が「基礎をしっかりしておかないと次に進めない・進んではいけない(次に進んでも分からない)」と思っている。
 いや、検証もしないで信じている。ところが、こういう人達がやっていることは基礎をしっかりさせることではなくて、
「徹底反復」が基礎作りになるとばかりに、無駄な反復を徹底させ、貴重な時間と労力を消耗させ、勉強を苦痛と思わせ、
子供の才能を潰していることが殆どです。
 大きな原因は「基礎」の取り違えです。基礎とは簡単なことが素早く出来ることではありません。
基礎とは「何にでも応用の利く根本的な考え方」のことです。
基礎の意味を知らずに基礎が大事だと言っているヘンテコリンな人達が異常に多くなったのは基礎を教えられずに
教育者になってしまった人が多いからでしょう。
 さらに、目の前の無意味な評価にとらわれて不要なことを必要だと言い張る人も少なくありません。
実例を見てみましょう。

●小学校低学年で「足し算・引き算を素早く出来ないといけない」と思っていませんか?全く必要ありません。
なぜでしょう?理由は下の計算を見れば分かります。

●掛け算の筆算:暗算は厳禁です!

   38
 ×  4 
    32
    12    ←ココで足し算(筆算)をしていますね。
    152


●割り算の筆算:暗算は厳禁です!

     9  ...1
  3)28  
     27  ←ココで引き算(筆算)をしていますね。27を書くときに3×9=27をしていますね。
      1

●上述のように、掛け算(筆算)の中には足し算(筆算)が組み込まれていますし、割り算の中には掛け算と引き算(筆算)が組み込まれています。つまり、足し算や引き算は低学年で習熟せずに掛け算や割り算を学習するときにキチンと筆算をすることで自動的に(無理なく無駄なく効果的に)習熟できるようになっているのです。
「掛け算が素早く出来るように足し算を完璧にしておく、割り算が素早くできるように掛け算や引き算を完璧にしておく」というともっともなように聞こえますが、実はこの行為は手抜き学習(筆算をキチンと書かない)をさせるための布石に過ぎません。掛け算・割り算をキチンと丁寧に筆算でする事を考えると「徹底反復」という聞こえだけはいい学習は全て無駄な学習の強要でしかありません。そして、当然のことながらこの「徹底反復」は計算を「飽きた・嫌だ・退屈だ・苦痛だ・面白くない」と感じさせます。しかも、真面目にやっていればやっているだけ、その弊害は大きくなります被害者は子供です。そして、思考力養成のための時間は永久になくなってしまいます。計算馬鹿の出来上がりです。
●低学年での徹底反復は「やらせなくてもいい」ではなく「やらせてはいけない」のです。
 ですから、
 優れたテキストは覚えるためのものであっても、なるべく反復しないで覚えられるような工夫
 
がされているのです。
 幼児・児童期の徹底反復による暗記は最低で危険な暗記方法なのです。
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<忘れないように復習することの危険性>
●忘れないように何度も復習する(させる)人がいます。本末転倒学習です。
 なぜならば、一度忘れないと最も大切な「思い出す練習」が出来ないからです。私たちは自然に記憶することが
出来るようになっています。あらゆる学習において大事で効果的なこととは「表層に記憶し続けること」ではなく
「(自然に簡単に)深層に記憶したものをいかにして思い出す(引っ張り出す)かということ」なのです。
 ですから「ず〜っと覚えているように、何度も復習する」のは無駄が多く効果的な学習方法ではないのです。
「思い出す練習ができるように忘れてしまう」ことが大事なのです。また、忘れることを恐れて覚えておくことに
使うエネルギーは莫大な量になります。ところが、そのエネルギーは殆どが無駄なエネルギーなのです。
 まさに、筆算が出来れば(「10の補数と九九」以外の)暗算が全く不要なのに、何百何千という無駄な暗算を日夜練習
している(させている)的外れ学習の代表例と同じです。
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●計算ドリルの「悪い使い方」:最低の宿題
今、手元にある計算ドリルには1ページに20題の計算問題が書いてあります。筆算用の空きスペースはありません。次のようなものです。
01.9÷2
02.8÷3
03.7÷2
04.9÷4
05.6÷5
06.13÷3
07.15÷2
08.18÷7
09.14÷6
10.19÷8
11.20÷6
12.23÷7
13.26÷6
14.29÷9
15.28÷5
16.31÷6
17.45÷8
18.61÷8
19.70÷8
20.83÷9

今日(2004.10/7)の小3の宿題は上記のような問題を「3ページがんばりましょう」です。
するとノートはこうなります。
※実際のノート
●こんなノートが続くのです。3ページでは60題ですから上記の15倍(量の確認はコチラもの数式を書くことになります。
全て無駄な労力です。しかも、間違った時に、間違った過程も全く分かりません。答え合わせは答えのページとこのノートを比べるだけですから確認のしようもありません。文字通り形だけの最低の宿題です。嫌になるのが自然です。
※穏やかな私でも「筆算は書かないで暗算でしましょう」という大馬鹿者がいることには驚きを隠せません。
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※ところが同じ計算ドリルでも最高の宿題となる「良い使い方」があります。
「5ばんと8番だけを筆算で解いてみましょう」と言えばいいのです。
するとノートはこうなります。

●このノートならば、間違ったときにもどこでどう間違ったかも確実にチェックできます。苦手な子も得意な子も嫌にはなりません。割り算だけでなく掛け算や引き算が組み込まれていることも一目瞭然です。このノートで深い授業さえも可能です。(実に簡単に効果的にできます)
 無理なく無駄なく効果的な学習とはこういう工夫で簡単にできるのです。

●工夫無く計算ドリルを使っている先生には猛省を促しておきます。
※ちなみに私の家では悪影響を与える宿題は
自動宿題しますマシーン1.2
に任せています。子供にはさせません。動力は缶ビール(350ml)一本。時々間違いますが、愛嬌です。
※やればやるだけ頭が悪くなる宿題なんかさせられません!

保護者の方も頑張っています。

学習の原点→「絶対学力」の書評

家本芳郎の教育時評(2002年10月号)

●不用意な先行学習と反復学習は学力低下を招く
勘違い:慣れていた方が理解が進む    →推進派
勘違い:先行学習すると授業をきかなくなる→反対派(でもついていけないと困る)
どちらも本質的なことを言っていない。先行学習は学力低下を招くからいけないのです。
学力を育むものは知識ではなく余裕なのです。先行学習は、この余裕を知識にすり替えてしまい、学力をそぎ落としてしまうのです。だから先行学習をしてはいけないのです。
習熟という名の下に当然のごとく行われている反復学習も同様です。これらは、学力の低下を招くのです。学力をつけ、受験にも社会に出た後の自分の人生にも自信を持って望むことが出来るようにするには、小中学校時代の緻密な指導を要します。「分かる」ということ・「考える」ということ・「判断する」ということ

<子供は考えているように見えますが、多くの子供は考え方を教わっていませんのでどう考えていいのかを考えている「思考停止状態」で時間を費やしていることが多いようです>
●思考が停止している状態を「じっくり考えている」と思っている人がいる。絵を描かせてみれば一目で分かります。絵を描けない子は頭の中でどう考えていいのか分からないので時間が過ぎるのを待っているだけの子です。もちろん本人は考えると言うことが絵図を操作することだとは教わっていませんから、絵図の操作さえもせずに「よく考えたけど分からなかった」といいます。
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分かる→イメージ再現できること
考える→イメージ操作できること(操作とは再現したイメージを使って移動・変形・連想・比較すること)※予測・類推は前述の操作に含まれます
判断する→イメージ抽出すること(抽出とは操作したイメージの中から選択すること)
……………………………………………………………………………………………
→自転車と言われて様々な自転車を細部までイメージ再現できること
→深く分かるとは体感(再体験)できるほど再現イメージを体で感じることができるということ。
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マス計算に代表される暗算や高速単純計算は百害あって一利なし(老人のボケ防止・予防にはカラオケ同様に多少の効果はありますが子供には無効です)
「学力とは何か〜本当の学力の育て方〜」
1.「学力」とは何か
・「分かる」と「解る」
・「分かる」から「考える」へ
・指導者の根本的な誤り:思考停止状態を「深く考えている」という保護者
※「悩んでいる」状態と「考えている」状態は全く違う
・考え方を教えなければ学力は育たない(子供任せになってしまう)
※教育の大誤算1:知識を与えて考え方を教えない先生は
「知識が増えれば考える力は自然に育つ」という根本的な間違いを平気で言う。
※肝心なのは考えるとはどうすることかを具体的に教えることである。
「全世界の言葉を全て知っていても考え方を知らなければ何も考えられない」
「一言も言葉を知らなくても考えることは出来る」

2.判断力の素は幼児期の安定した感情である。
・「分かる」から「判断する」まで
 「分かる」→「考える」→「判断する」
 「イメージ再現」→「イメージ操作(移動・変形・連想・比較:予測・類推)」
         →「イメージの選択・抽出」
・選択したものを信じる力はどこから生まれるのか
・教育の大誤算2:比較できれば選択できると思っている。
※選択はどれを抽出するかの決断である。決断するには自分を信じる力がいる。
 自信(自分を信じる力)は自分の感情を信じることが出来る確かな体感イメージを必要とする。
 幼児期の安定した(十分に繰り返された納得できる)体感イメージが判断力を育てる。
 幼児にとって「遊び・友達」が重要な理由である。

3.長期教育が失敗するとき(学力を育てられない教育)
<幼児期の失敗:知的系統的学習の失敗:知識が思考に繋がるという根本的な勘違い>
・安定した感情をもたせないと異常な判断をしたり、判断できなかったりする。
→安定した感情の養成は幼児期の安定した(十分に繰り返された納得できる)体感イメージを必要
 とするので本当の学力を育てたいのであれば幼児期に感情が不安定になることはさせない方がいい。
→幼児期の知的系統的学習は最も害になる(感情の不安定を招く)ストレスを増加させる。
<児童期の失敗:速さが頭の回転を良くする「頭が良くなる」という根本的な勘違い>
・「考える」とは「どうすること」かを具体的に説明して考える練習(イメージ操作練習)をしない
 とどんなに「読み・書き・計算」を強化しても思考力は育てられない。
・イメージ再現しかしていない「分かる」までなら数をこなせば条件反射的にできるようになるが、
 肝心なイメージ操作は練習をしないと自然にはできない。様々な体験の中から子供自身が考え方
 を発見して学力を自分で育てているのが現状である。全ての子供に学力を与えたいのであれば学力
 そのものである考える力(イメージ操作力)を育てなければならない。という考えは教育の基本中の基本である。