●プラトンの「哲学学校:アカデメイア」とイソクラテスの「弁論学校」は当時ライバル校だった。
プラトンは幾何学(目で見て考える視考力中心の視覚イメージ操作の鍛錬)を重視し、
イソクラテスは文学(暗記中心の言葉の鍛錬)を重視した。今で言う高速多量学習である。
逸材は圧倒的にプラトンの学校から輩出された。
当然のことである。
思考力とは「視考力」を使った視覚イメージ操作であり、言葉とは視覚イメージを導くための記号に過ぎないからだ。
アカデメイアの門には「幾何学の何たるかを知らない者は入学を認めない」という意味の言葉が掲げられていた。
ところが、これは幾何学(数学)そのものを指していたわけではなく
「人間は言葉を使うが、言葉そのもので考えているのではなく、視覚イメージ(特に視覚イメージ)で考えていることを知っていることが入学の条件である」
と言っているのである。
計算が速かったり、言葉を数多く覚えることが思考力を育てるのではなく、視覚イメージ操作(視覚イメージの移動・変形・連想・比較)の練習が思考力を育てることをプラトンは知っていたのだ。
幼児・児童期の高速計算や暗記や知識量が思考力養成にはならない(害になる)ことはとっくに証明されているのだ。