25÷4 を暗算でさせる馬鹿者がいるらしい。
させなくても、できるようには、なってしまう。
だが、させることとは全く違う。
問題は、それが、いい方法だと思わせるところにある。
25÷4 を暗算でさせる人は、2657÷328 は、どうするのだろう。
25÷4 を暗算でやって褒められた子供は、2657÷328 も暗算でやろうとする。
そして、それが計算力だなどと勘違いして、無駄で危険なこと(暗算)に時間を浪費する。
百歩譲って、暗算を強化して、2657÷328 を暗算で出来るようになったとしよう。
では、2857/32×5665÷66を暗算で出来るようにするのだろうか。
25÷4 を暗算でさせた人でも、そんなことはさせないと言うだろう。
しかし、最初に25÷4 を暗算で出来るようにさせたら(その方法がいいのだと思わせたら)、
2857/32×5665÷66 も暗算でできた方が優秀だと思うのだ。
明らかな感違いである。
子供は気づかない。実に、哀れである。
使えない方法は、最初から使わずに、
一生使えるものに習熟させるのが親の責任である。
使えない方法でも、強化してしまうと、その使えない方法で処理しようとする。
つまり、無駄なことを際限なく繰り返す。
しかも、その無駄なことに力を注ぎ、肝心な考えることをしなくなる。
暗算の強化は、このように繋がっていく。
だ、か、ら、強化してはいけないのである。
その場だけを考えれば、カッコ良く有利に見えるだろうが、それは爆弾である。
筆算をキチンとすること。
これが、計算力養成の全てである。
実際の所、これ(筆算を丁寧にする)だけで、必要な暗算もできるようになる。
割り算筆算の仕組みを研究するといい。
「10の補数と九九以外は暗算厳禁」として丁度いい塩梅になるのだ。
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