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加藤智大被告「屈辱的な、母の育て方が影響」
17人が死傷した東京・秋葉原無差別殺傷事件から2年余。殺人罪などに問われた元派遣社員、加藤智大(ともひろ)被告(27)が27日、東京地裁で始まっ
た被告人質問で「事件を起こすべきではなかった。後悔している」と述べた。事件を起こした背景に「母親からの育てられ方の影響があった」とし、幼少期から
受け続けた厳しいしつけの数々を列挙し、「屈辱的に感じることもあった」と証言した。午前10時前、加藤被告は黒のスーツに白いワイシャツ姿で東京地裁最
大の104号法廷に入った。これまでの公判と同様、被告席に座る前で立ち止まり、遺族や被害者が座る傍聴席に向かって、深々と頭を下げた。加藤被告は淡々
とした口調で「私が話をしたことで被害が回復することはないとは分かっているが、今、自分がやるべき事を最低限やるべきだと考えた」と心境を語った。事件
を起こした一番の原因は何か、という問いには、「言いたいこと、伝えたいことを言葉ではなく、行動で示そうとする考え方です」と述べた。加藤被告はこうし
た考え方になった背景として、「事件は母親のせいではない」としながらも、幼い頃からの厳しいしつけを挙げた。トイレに閉じこめられたり、2階の窓から落
とされそうになったりしたと証言。食事を食べるのが遅いことを叱責(しっせき)され、廊下の床にばらまかれた食事を食べるよう強制された際は、「屈辱的に
感じた」と話した。被告人質問に先立ち、裁判官が今月8、9日に青森県内で非公開で行われた加藤被告の両親に対する尋問の内容を説明。それによると、母親
は「子供の時に(加藤被告を)屋根裏に閉じこめたりしたが、あくまでしつけの一環で不満のはけ口にしたわけではない」と話し、父親は「妻は子育てで完璧
(かんぺき)を求めていた。妻から私が子育てするから黙ってくれと言われ、口を出さなくなった」と述べたという。(2010年7月27日13時49分
読売新聞)
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【秋葉原17人殺傷 被告語る初日(1)】母親「経済的な損害賠償は不可能…私は被告を見放さない」 (1/4ページ)2010.7.27 11:46
このニュースのトピックス:秋葉原無差別殺傷事件
送検のため警視庁万世橋署を出る加藤智大被告=平成20年6月10日、東京都千代田区送検のため警視庁万世橋署を出る加藤智大被告=平成20年6月10日、東京都千代田区
《東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた元派遣社員、加藤智大(ともひろ)被告(27)の第16回公判が27日午前10時前、東京地裁(村山浩昭裁判長)で始まった》
《今回の公判からは、注目の加藤被告本人の被告人質問が行われる予定だ。半年前の今年1月28日の初公判では起訴内容を認め「私にできるせめてもの償い
は、どうして今回の事件を起こしてしまったのかを明らかにすること。詳しい内容は後日説明します」と話した加藤被告。秋葉原の歩行者天国で無差別に通行人
を殺傷するという理不尽極まりない惨劇を引き起こした理由が、ついに法廷で語られるときがやってきた》
《これまでの15回にわたる公判では、重軽傷を負った被害者9人や目撃者ら計34人が検察側証人として出廷。「まるで戦場のようだった」「人生最悪の日だった」「死刑しかないと思う」などと語り、凄惨(せいさん)を極めた事件当時の状況が生々しく再現されてきた》
《多数の証人尋問が行われることになったのは、弁護側が加藤被告や被害者、事件関係者などの供述調書の多くの部分を不同意としたためで、被害者の遺族が「傷口に塩を塗るような思いやりのない行為だ」と弁護側の法廷戦術を痛烈に批判する場面もあった》
《法廷での加藤被告は時折、持参したノートにメモを書き記す以外は、終始無表情で視線を落としたままだ。ただ5月25日の第10回公判で、男性被害者の妻
が「一つだけでも良いから、みなさんに良いことをしてほしい」と語りかけると、顔を紅潮させ、目に涙を浮かべるシーンもあった》
《事件から丸2年となった6月8日の現場交差点では、遺族や関係者が献花台に花を手向け、被害者の冥福(めいふく)を祈る姿が見られた。「二度と同じ事件
が起きないように…」。しかし、6月22日には、広島県の自動車工場で、従業員らが乗用車にはねられ、12人が死傷する事件が起き、元期間社員の容疑者は
「秋葉原の事件のようにしてやろうと思った」と供述。加藤被告の引き起こした事件が、別の事件を誘発する事態に発展した》
《加藤被告はなぜ、凶行に走ったのか。負の連鎖を断ち切るためにも、加藤被告の動機の解明は必要不可欠だ。果たして加藤被告は被告人質問で、闇に包まれた心の内をすべて明らかにするのだろうか》
《法廷は、これまで同様、東京地裁最大の広さを誇る104号法廷だ。傍聴人の入廷が終わり、午前9時57分、加藤被告が向かって左手の扉から法廷に姿を現
した。いつものように黒のスーツに白いワイシャツ姿で、頭は丸坊主で眼鏡をかけ、無表情。やはりいつものように傍聴席に向かって一礼し、向かって左手に位
置する弁護人席の前の長いすに腰を下ろした》
裁判長「それでは、開廷します」
《村山裁判長は、この日の予定として、7月8、9の両日に青森県で行われた加藤被告の両親に対する証人尋問の結果を要旨の告知として朗読し、その後、弁護人の被告人質問を行うことを告げた》
《向かって右側に位置する女性裁判官が口を開く》
裁判官「それでは、7月8日に行った被告人の母親に対する証人尋問の要旨について述べます」
「私は、青森高校を卒業後、地元の金融機関に就職しました。そこで同僚だった被告の父親と知り合い、昭和55年に結婚しました。その後、主婦となり、
57年に長男である被告が生まれ、その3歳下に次男が生まれました。その後、62年に夫の職場が五所川原市から青森市に変わり、その年に家を建てました」
《2人の子供が生まれ、マイホームも完成。ここまでの加藤家は平和そのものだが、その直後から、夫婦仲が悪化していったようだ。女性裁判官が、抑揚のない声で朗読を続ける》
「引っ越してからは、夫が毎日のように酒を飲んで帰るのが遅く、暴れたり、帰宅しないこともあり、私はイライラし、子供たちに八つ当たりすることがたびたびありました」
「たとえば、被告を屋根裏に閉じこめたり、窓から落とすまねをしたり、お尻をたたいたり。被告は食べるのが遅かったので、早く後片付けをしたくて、食事を茶碗(ちゃわん)からチラシの上にあけて食べさせたこともありました」
「もっとも、子供たちに強く当たったのは、私としてはあくまでしつけの一環と思っていました。単に不満のはけ口ではなく、なにがしか子供たちにも理由があったと思います。ただ、そこまでしなくても良かったとも思います」
「長男と次男に同じようなことをした記憶がありますが、どちらかというと長男である被告に強く当たりがちだったと思います」
《子供たちにきつく当たる母親を、父親は静観していたようだ》
「私が夫の前で怒ることもありましたが、夫は止めてくれませんでした」
《要旨の告知は、母親が加藤被告をどう見ていたかに移る》
「私は被告について、物覚えが早くて頭のいい子だと思っていましたが、一方で、あまり言うことを聞かない子だとも思っていました」
「私は被告に、北海道大学や東北大学を目指してほしいと思っていて、自分と同じ青森高校に行ってほしいと思っていました」
《母親は加藤被告に対し、学歴と安定した職業を求めていたが、父親は加藤被告の進路について何も言わなかったという》
《加藤被告が中学生になると夫婦仲はさらに悪化。母親は加藤被告にイライラをぶつけたという》
「被告は小学生のころは反抗するより、泣いていました。中学生になると物に当たって暴れたり、部屋の壁に穴を空けたりしました。中学2年生のときには、成績のことで被告と口論となり、顔を殴られたことがありました。私はそれ以降、被告とあまり口をきかなくなりました」
「たとえば、被告を屋根裏に閉じこめたり、窓から落とすまねをしたり、お尻をたたいたり。被告は食べるのが遅かったので、早く後片付けをしたくて、食事を茶碗(ちゃわん)からチラシの上にあけて食べさせたこともありました」
「もっとも、子供たちに強く当たったのは、私としてはあくまでしつけの一環と思っていました。単に不満のはけ口ではなく、なにがしか子供たちにも理由があったと思います。ただ、そこまでしなくても良かったとも思います」
「長男と次男に同じようなことをした記憶がありますが、どちらかというと長男である被告に強く当たりがちだったと思います」
《子供たちにきつく当たる母親を、父親は静観していたようだ》
「私が夫の前で怒ることもありましたが、夫は止めてくれませんでした」
《要旨の告知は、母親が加藤被告をどう見ていたかに移る》
「私は被告について、物覚えが早くて頭のいい子だと思っていましたが、一方で、あまり言うことを聞かない子だとも思っていました」
「私は被告に、北海道大学や東北大学を目指してほしいと思っていて、自分と同じ青森高校に行ってほしいと思っていました」
《母親は加藤被告に対し、学歴と安定した職業を求めていたが、父親は加藤被告の進路について何も言わなかったという》
《加藤被告が中学生になると夫婦仲はさらに悪化。母親は加藤被告にイライラをぶつけたという》
「被告は小学生のころは反抗するより、泣いていました。中学生になると物に当たって暴れたり、部屋の壁に穴を空けたりしました。中学2年生のときには、成績のことで被告と口論となり、顔を殴られたことがありました。私はそれ以降、被告とあまり口をきかなくなりました」
【秋葉原17人殺傷 被告語る初日(2)】「つぐないのため、すべて話す」 「掲示板の荒らしやめさせる」ことが動機 (1/4ページ)2010.7.27 12:13
このニュースのトピックス:秋葉原無差別殺傷事件
送検のため警視庁万世橋署を出る加藤智大被告=平成20年6月10日、東京都千代田区(中鉢久美子撮影)送検のため警視庁万世橋署を出る加藤智大被告=平成20年6月10日、東京都千代田区(中鉢久美子撮影)
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《東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた加藤智大(ともひろ)被告(27)。青森県で行われた母親の証人尋問の読み上げが終わり、続いて父親への証人尋問内容の読み上げに移った》
《仙台に単身赴任していた父親。加藤被告の短大入学を機にバイクを買ってあげたという》
「バイクが壊れ、被告から修理代を要求されたときに口ゲンカになり、それ以来、関係が疎遠になりました」
《それでも短大卒業後、加藤被告が仙台に就職したので、妻が加藤被告のアパートを訪れるなど家族とは交流があったという》
「ある日、被告と連絡がつかなくなり、アパートに行くときれいに荷物が引き払われていました」
《姿を消していた加藤被告が青森の自宅に戻ってきたのは平成18年の夏ごろだったという》
「妻から自宅に戻ったと連絡を受けました。被告は借金を抱えていました」
「音信不通だった被告が自宅に戻ってきてうれしかったので、借金の原因については聞きませんでした」
《自宅に戻った加藤被告は大型免許を取得。運送会社への就職も決まったという》
「青森駅まで送ってくれたときに被告は『ばかでごめんね』と話しました。私は『ずっと自宅にいていいからね』と言いました」
《その後、単身赴任を終えて青森の自宅に戻った父親だが、休みの日以外は、加藤被告と顔を合わせることはなかった》
《19年5月、被告に『別れることになった』と離婚の話をしたのが、被告と顔を合わせた最後になったという》
《19年8月に、妻が家を出るよりも早く、加藤被告は家を出ていったという》
《加藤被告が家賃を滞納していると連絡を受けた父親がしばらく、代わりに家賃を払っていたが被告とは連絡が取れなかった》
「この事件が起こるまで、(被告は)青森の運送会社で働いていると思っていました」
「今回の事件は妻から聞き、青森署まで行きました。びっくりしてなぜなんだと思いました」
《ショックを受けた父親。勤務先を休職した末に退職したという》
「私はなぜ、被告が事件を起こしたか分からない。でも、支える気持ちはあります。被告は裁判でありのままの気持ちを話してほしい」
《被害者や遺族への謝罪の言葉で父親の証言は締めくくられ、裁判官は読み上げを終えた》
《ここで、村山浩昭裁判長が弁護人による被告人質問の開始を告げた》
裁判長「それでは被告人質問を始めます」
《加藤被告が法廷で話すのは1月28日の初公判以来だ》
《初公判では、『せめてもの償いは、どうして今回の事件を起こしてしまったのかを明らかにすること。詳しい内容は後日説明します』と話した加藤被告。凶行に至った経緯をどう語るのか》
《その後、単身赴任を終えて青森の自宅に戻った父親だが、休みの日以外は、加藤被告と顔を合わせることはなかった》
《19年5月、被告に『別れることになった』と離婚の話をしたのが、被告と顔を合わせた最後になったという》
《19年8月に、妻が家を出るよりも早く、加藤被告は家を出ていったという》
《加藤被告が家賃を滞納していると連絡を受けた父親がしばらく、代わりに家賃を払っていたが被告とは連絡が取れなかった》
「この事件が起こるまで、(被告は)青森の運送会社で働いていると思っていました」
「今回の事件は妻から聞き、青森署まで行きました。びっくりしてなぜなんだと思いました」
《ショックを受けた父親。勤務先を休職した末に退職したという》
「私はなぜ、被告が事件を起こしたか分からない。でも、支える気持ちはあります。被告は裁判でありのままの気持ちを話してほしい」
《被害者や遺族への謝罪の言葉で父親の証言は締めくくられ、裁判官は読み上げを終えた》
《ここで、村山浩昭裁判長が弁護人による被告人質問の開始を告げた》
裁判長「それでは被告人質問を始めます」
《加藤被告が法廷で話すのは1月28日の初公判以来だ》
《初公判では、『せめてもの償いは、どうして今回の事件を起こしてしまったのかを明らかにすること。詳しい内容は後日説明します』と話した加藤被告。凶行に至った経緯をどう語るのか》
《一瞬、間をおいた後、被告が再び話し始めた》
被告「どうしても思いだせない部分については今まで努力してきました。ご遺族の方や被害者の方、今まで裁判所に証人に来てくださった方にご迷惑、ご負担をかけて申し訳ないと思っています」
弁護人「これから生い立ちや事件の経過について聞いていきます。どういう気持ちで事件を起こしたのですか」
被告「はい。私はインターネットの掲示板を使っていたのですが、自分のスレッドに私になりすます偽物や、荒らし行為を行う者がいたので、対処してほしいと掲示板の管理人に頼みました。(こうした人たちに)自分が事件を起こしたことを知らせたかった」
弁護人「どういう意味があるんですか」
被告「私が事件を起こしたことで、私に対して嫌がらせをしたことを知って、事件に対して思い当たるふしがあると思ってほしかった。私が(荒らし行為や、なりすましを)本当にやめてほしかったことが伝わると思っていました」
《被告は感情を出さないようにしているのか、淡々と話し続けている》
弁護人「復讐(ふくしゅう)しようと思ったのですか」
被告「そういうことではないです。(荒らし行為や、なりすましを)やめてほしかったということを伝えるための手段です」
弁護人「秋葉原の事件を起こす前に、やめてほしいと伝えたことはありましたか」
被告「はい。掲示板に事件をほのめかすことを書き込むことで、怒っているとアピールしたりしていました」
《事件を起こした動機について、被告は淡々と語り続けている》
【秋葉原17人殺傷 被告語る初日(3)】「掲示板は自分が帰る大切な場所」 子供のころ「2階の窓から落とされそうに…」 (1/5ページ)2010.7.27 13:00
万世橋署から送検される加藤智大被告=平成20年6月10日、東京都千代田区(緑川真実撮影)万世橋署から送検される加藤智大被告=平成20年6月10日、東京都千代田区(緑川真実撮影)
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《引き続き、元派遣社員の加藤智大(ともひろ)被告(27)に対する質問が続いている。加藤被告は膝に手を置き、前を向いたまま微動だにせず、よどみなく質問に答えていく。加藤被告の心中を引き出そうと、若い弁護人は丁寧な口ぶりで質問を続ける》
弁護人「逆に(掲示板の)利用をやめるということはできなかったのですか」
被告「できなかったです」
弁護人「それはどうしてですか」
被告「掲示板は他に代わるものがない大切なものだったからです」
弁護人「掲示板がそれほど大切なものだったということですか」
被告「大切なものというより、大切な場所だった」
弁護人「どうして、そういう大切な場所になったんですか」
被告「ネットの社会があります。本音で(友人らと)ものを言い合える関係が重要だった」
弁護人「あなたにとっては、どういう場所だったんですか」
被告「帰る場所。自分が自分に帰れる場所でした」
弁護人「場所が重要だったんですか」
被告「掲示板も重要だったが、そこでの友人、人間関係が重要だった」
弁護人「現実は建前といわれていましたが、掲示板でなく、現実に話し合える友人はいなかったんですか」
被告「そういう人はいませんでした」
弁護人「掲示板でも(書き込み内容を)文字通りにとったら間違いになると言っていた」
被告「本音ではあるが本心ではないということです」
《被告は弁護人の方を向くことなく、まっすぐ前を向いたまま、動揺もみせずに答え続ける》
弁護人「(掲示板では)どういう嫌がらせがあったのですか」
被告「暮らし、大切な人間関係が乗っ取られた。壊された。奪われたという状態になりました」
万世橋署から送検される加藤智大被告=平成20年6月10日、東京都千代田区(緑川真実撮影)万世橋署から送検される加藤智大被告=平成20年6月10日、東京都千代田区(緑川真実撮影)
弁護人「なりすましとはどういう行為ですか」
被告「私以外の人が書き込むことです」
弁護人「荒らしとはどういう行為ですか」
被告「やり方は色々あるが、嫌がらせの行為。人との交流ができないような状態にする行為です」
《弁護人は、核心に迫ろうと、ほんの少しだけ間をおいた》
弁護人「(友人との)交流がある大切な居場所を壊された。そのことが、この事件の原因だと思っていますか」
被告「その中の一つです。私にとっては(原因と考えることは)3つあります」
弁護人「掲示板が一つですね。あとは」
被告「そのもの。私のものの考え方です。次が掲示板での嫌がらせ行為。掲示板に依存していた私の生活の在り方。その3つが原因と考えます」
弁護人「その中で、一番重要と考えるのはなんですか」
被告「私のものの考え方が一番だと思います」
弁護人「どうして?」
被告「私の考え方、事件を思いつくことがなければ、何も起こらなかった。思いつかなければ、起きるはずがないからです」
弁護人「具体的にどのような考え方が間違っていたと思いますか」
被告「言いたいことや伝えたいことをうまく(表現)することができなかった。言葉でなく、行動で示して周りに分かってもらおうという考え方でした」
弁護人「(現実社会でなく)別の所でアピールして分からせる。そういう考え方になったのはどうしてですか」
《被告が一瞬下を向くような動きを見せる》
被告「おそらく、小さいころ、母親からの育てられ方が影響していると思います」
弁護人「親のせいだということですか」
被告「そういうことではないです。感情的にではなく、今まで考えてきて、自己分析した結果、そう考えます」
弁護人「(事件後)ずっと考えていたということですが、親をうらんでいますか」
被告「そういう気持ちはないです」
《弁護人は、準備した紙に目線を落としながら、質問を続ける》
弁護人「掲示板に依存していたことも原因といわれていますが」
被告「私のものの考え方で、(掲示板での)嫌がらせから事件を思いついた。ほかに何かあれば。掲示板以外の所で解決できたのではないかと思います」
弁護人「事件を起こしたことをどのように思っていますか」
被告「起こすべきではなかったと思うし、後悔しています」
弁護人「これから、長い時間をかけて詳しく聞きますが、説明を逃れようとする気持ちはありますか」
被告「そういう気持ちはありません。一生懸命お答えしていきます」
《ここで、男性弁護人から、女性弁護人に質問者が交代。被告の幼少時代、特に被告の人格形成に大きな影響を及ぼしたとされる母親についての質問になる。女性弁護人が適切と判断したようだ》
弁護人「子供のころにさかのぼって聞きます。生年月日を教えてください」
被告「昭和57年9月28日です」
弁護人「生まれはどこですか」
被告「青森県五所川原です」
弁護人「生まれてからずっと五所川原ですか」
被告「青森市内に引っ越しました」
弁護人「どんな家に住んでいましたか」
被告「最初はアパート。その後に実家を新築しました」
弁護人「新築したのはいつごろですか」
被告「幼稚園ぐらいだったと思います」
弁護人「誰と一緒に住んでいたのですか」
被告「父、母、弟です」
弁護人「家族以外で親戚(しんせき)との交流はありましたか」
被告「最初はありました」
弁護人「最初というと?」
被告「いつのまにか親戚の家に、遊びにいくことがなくなりました」
弁護人「交流というのは遊びに行くという意味ですか」
被告「そういうことです」
弁護人「父方と母方の両方。おじいちゃんとおばあちゃんの家にも遊びに行っていましたか」
被告「はい」
弁護人「いつごろまでいっていましたか」
被告「小学校のころまでです」
弁護人「その後はいかなくなった」
被告「はい」
弁護人「ご両親も」
被告「家族は会っていたようですが、自分だけいかなくなりました」
《被告の家族と被告の間には、すでに小学生のころから距離があったようだ》
《経歴を中心に質問をしていた女性弁護人も、少し間をおいた》
弁護人「小さいころのことで一番記憶にあることはなんですか」
被告「アパートに住んでいて、母親にトイレに閉じこめられたことです」
弁護人「何歳ぐらいの時のことですか」
被告「3歳ぐらいだったと思います」
弁護人「どうして閉じこめられたのですか」
被告「理由はよく分かりません」
弁護人「わざと?」
被告「そう思っています」
弁護人「なぜ、そう思っているのですか」
被告「窓がないトイレで、電気を消されたことがあったからです」
弁護人「理由が分からないが、閉じこめられた記憶があると」
被告「そうです」
弁護人「お母さんからされた記憶が一番記憶に残っている」
被告「はい」
弁護人「青森市に移ってから、お母さんから何かされましたか」
被告「2階の窓から落とされそうになったことがあります」
弁護人「なぜ?」
被告「その直前に、母が夕食の準備をしていて、3つの皿にキャベツの千切りを盛っていたが、子供のいたずら心で、一つの皿にまとめたら、母親が激怒しました。そういうことがありました」
弁護人「いたずらに怒った」
被告「はい」
弁護人「窓から落とされそうになった状況を具体的に教えて下さい」
被告「首の後ろを押さえつけられて、体は窓の外に大きくせり出したような形になった」
弁護人「そうされてどう感じた?」
被告「落ちると思いました」
弁護人「冗談だとは思わなかったんですか」
被告「自分は落ちないように必死だった。抵抗しなければ落ちていたと思います」
弁護人「母親が過剰になることはよくあったのですか」
被告「よくあった訳ではないが…。何が原因か分からないが、家から閉め出されたことがありました」
《これまで質問にとまどうことのなかった被告も少し言葉を詰まらせた》
弁護人「あなたのいたずらが原因ですか?」
被告「覚えていないです」
弁護人「理由がないのに怒られる。毎回そうだということですか」
被告「毎回よく分からない。説明をされないということです」
弁護人「何が悪いか教えてくれない」
被告「そういうことです」
弁護人「母親との楽しい思い出はありますか」
被告「特に思い当たることはありません」
【秋葉原17人殺傷 被告語る初日(4)】笑われながら風呂に沈められ…スタンプ10個で罰 「母の意に沿わないと怒られる」 (1/4ページ)2010.7.27 13:08
このニュースのトピックス:秋葉原無差別殺傷事件
17人が死傷した東京・秋葉原の無差別殺傷事件の現場となった交差点=平成22年1月28日(古厩正樹撮影)17人が死傷した東京・秋葉原の無差別殺傷事件の現場となった交差点=平成22年1月28日(古厩正樹撮影)
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《女性弁護人の質問が続く。幼少期の親に対する思い出について、落ち着いた口調で答える加藤智大(ともひろ)被告(27)。背筋を伸ばしてじっと裁判官席に視線を向けている》
弁護人「嫌なことばかりが記憶に残っているのですか。お父さんとのいい思い出とかはありますか」
被告「アパートの駐車場でおもちゃの車に乗って一緒に遊んでいました」
弁護人「お父さんとは遊んでもらっていたのですか。いい感情を持っていたのですか」
被告「小学生くらいからは何も聞かずに母親と一緒になって怒るようになり、(父親への感情も)変わってしまいました」
弁護人「だんだんとお父さんへの感情も変わってしまったのですか。ほかに遊んでもらったことは?」
被告「車のラジコンで遊んでもらった記憶もあります」
弁護人「自宅が新築になってからは、残っている記憶とかはありますか」
被告「一緒に遊んでもらった大工さんに対してあこがれの気持ちを持つようになりました。大工さんになりたいと母親に伝えたら怒られました」
弁護人「大工さんと一緒に遊んでもらって、あこがれを持つようになったのですか。お母さんはどう言いましたか」
被告「『何でそんなものになりたいの』と言いました」
弁護人「その言葉の意味は分かりましたか」
被告「いえ。分かりませんでした」
弁護人「お母さんに対してはどうして大工さんはだめなのか聞かなかったのですか」
被告「聞きませんでした。そうしたことを言える環境じゃなかったです」
弁護人「どうしてですか」
被告「抵抗したりすると怒られてしまうと思いました。母親の意に沿わないことをするとさらに怒られます」
弁護人「何か具体的なエピソードはありますか」
《加藤被告の口調が少し早くなる》
被告「母親から何かするように言われて、それをうまくできなかったら10を数えるうちにやりなさいと言われました」
弁護人「できなかったらどうなるのですか」
被告「何らかの罰を与えられるのです」
弁護人「それで抵抗することをやめたのですか」
被告「そうです」
弁護人「大工さんのほかに夢はありましたか」
被告「レーサーになりたいと考えました」
弁護人「F1レーサーのようなものですか。お母さんに話すとどう言われましたか」
被告「そんなものになるべきじゃないと一蹴(いっしゅう)されました」
弁護人「どう思いましたか」
被告「悲しかったです」
弁護人「転校してからお母さんとの間で残っている記憶はありますか」
《加藤被告の発言と呼吸を合わせるように質問を続ける弁護人》
被告「お風呂で九九を教えてもらいました。湯船に入っている間に暗唱しなさいと言われました」
弁護人「お母さんも一緒にお風呂に入っていたのですか。嫌な記憶はありますか」
被告「間違えるとお風呂に沈められました。頭を押さえつけられて沈められました」
弁護人「どんな気持ちでしたか」
被告「大人しく沈められていました」
弁護人「沈められているときにどんな言葉をかけられていましたか」
被告「笑われていました」
弁護人「お母さんはふざけて沈めていたのでしょうか」
被告「苦しくなるまで沈められていたので、ふざけていたということはないです」
弁護人「もう一緒にお風呂に入りたくないとお母さんに言わなかったのですか」
被告「ありませんでした。結局はやらされるからです」
《時折、視線を書類に落としながらも、村山浩昭裁判長が目を合わせるように加藤被告の表情をじっと見つめる》
弁護人「ほかにどんな怒られ方をしましたか。泣いてしまったことはありますか」
被告「よく泣いていました。でも泣くことでお母さんに怒られる材料になりました」
弁護人「どんなことがありましたか」
被告「口にタオルを詰められてその上からガムテープを張られたことがあります」
弁護人「黙れという意味ですか」
被告「たぶんそうだと思います」
《機器の不調からか村山裁判長が発言のやりとりにストップをかける。書記官が裁判官席の前を行き来して、30秒ほど中断した》
弁護人「ほかにはありますか」
被告「私が泣くたびに母親がスタンプカードをつくりました」
弁護人「スタンプカードとはどういったものですか?」
被告「押すところが10個あって、スタンプが10個たまると罰を与えられました」
《弁護人の質問にすべて即答で答える加藤被告》
弁護人「罰とは何ですか」
被告「いろいろありましたが、屋根裏部屋に閉じこめられることがありました」
弁護人「屋根裏部屋はどんな所でしたか」
被告「サウナのようなひどい所でした」
【秋葉原17人殺傷 被告語る初日(5)】「床に食事ぶちまけられ…」 幼少期の母親の仕打ちを告白 (1/5ページ)2010.7.27 13:12
このニュースのトピックス:秋葉原無差別殺傷事件
送検のため警視庁万世橋署を出る加藤智大被告=平成20年6月10日、東京都千代田区(中鉢久美子撮影)送検のため警視庁万世橋署を出る加藤智大被告=平成20年6月10日、東京都千代田区(中鉢久美子撮影)
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《引き続き、加藤智大(ともひろ)被告(27)の子供時代についての質問が続く。女性弁護人の質問は加藤被告と家族の関係に移っていった。特に母親との関係について強調する質問が続いた》
弁護人「家族だんらんの思い出はありますか」
被告「ないです。だんらんとはいいたくないです」
弁護人「なぜだんらんとは言いたくないのですか」
被告「リビングに集められてカードゲームをやったりしましたが、楽しくなかったのでだんらんとは言いたくないです」
弁護人「あなたにとってだんらんではなかった」
被告「はい」
弁護人「嫌々、参加していたんですか」
被告「嫌々ではないですが、嫌々参加しているように見せないようにしていました」
弁護人「家族みんなで食事をするときはありましたか」
被告「ありました」
弁護人「家族みんなでですか」
被告「最初は4人でした」
弁護人「最初というのはどういうことですか」
被告「いつからか父親が帰るのが遅くなったので、母と弟と3人になりました」
弁護人「食事は楽しくなかったんですか」
被告「はい」
弁護人「なぜですか」
被告「会話がなかった上、3人で黙々と食べていただけだからです」
弁護人「お母さんから黙って食べなさいといわれていたんですか」
被告「そういうわけではありませんが、雰囲気がそうでした」
《前を見たまま微動だにしない加藤被告》
弁護人「家族で食事をしているときに記憶に残っている出来事はありますか」
被告「私は食べるのが遅いので、食べきれなかったのを新聞の折り込みチラシにぶちまけられて食べるように言われました」
《子供のころの出来事を淡々と告白する加藤被告》
弁護人「お母さんにですか」
被告「はい」
弁護人「いつごろですか」
被告「小学校3年生ごろからです」
弁護人「チラシにですか」
被告「いつもはチラシですが、1度だけ廊下の床にぶちまけられたことがありました」
弁護人「いつもというのは何度かあったんですか」
被告「何度もありました」
弁護人「お母さんが食器を片付けたいからですか」
被告「そういうことです」
弁護人「食べるのが遅かったのはなぜですか」
被告「私が食べるのが遅かったのもありますが、量も多かったです」
弁護人「量が多いことを断ることはできなかったのですか」
被告「言えませんでした」
弁護人「どうしてですか」
被告「母のやり方や性格を考えると、最悪、食事を抜かれるということが容易に想像できたからです」
《加藤被告は、決して楽しいとは言えない子供のころの出来事についても丁寧な口調で話し続けた》
弁護人「チラシに食事を撒かれてどうしたんですか」
被告「必死で食べました」
弁護人「どんな気持ちでしたか」
被告「屈辱的でした」
《加藤被告は相変わらず、無表情で前を見据えたまま》
弁護人「チラシにご飯を撒かれたときはお父さんや弟さんはいたんですか」
被告「食卓にいました。チラシに撒かれたときは弟がいました。廊下に撒かれたときは父親もいました」
弁護人「お母さんは弟さんにはしなかったのですか」
被告「弟は賢いのでがんばって早く食べていました」
弁護人「あなたも早く食べなかったのですか」
被告「がんばったが間に合いませんでした」
弁護人「お父さんは廊下に食事が撒かれているときに何か言わなかったのですか」
被告「見て見ぬふりをしていました」
弁護人「かばったりはしてくれなかったのですか」
被告「そうですね」
《弁護人は加藤被告が家族の間で、違う扱いを受けていたということを強調する質問を続ける》
弁護人「食事について逆に抜かれたことはありましたか」
被告「それもありました」
弁護人「どういうときにですか」
被告「あるとき父の部屋で漫画を見つけて、見ていたら母親に見つかり食事を抜かれました」
弁護人「お父さんの部屋に入ったことに対してですか」
被告「そうではないと思います」
弁護人「漫画を見ていたことに対してですか」
被告「おそらくそうだと思います」
弁護人「お母さんには何か言われなかったのですか」
被告「言葉で説明をされてはいないので」
弁護人「どんな漫画を読んでいたんですか」
被告「少年誌のジャンプなどの漫画雑誌です」
弁護人「お父さんの部屋にあったということですが、あなたの家では子供に漫画は与えられてなかったのですか」
被告「はい」
弁護人「お父さんのをこっそり見ていたんですか」
被告「はい」
弁護人「弟さんも見ていたんですか」
被告「はい」
弁護人「お母さんは弟さんにも同じことをしたんですか」
被告「いえ」
弁護人「どうしてあなただけなんですか」
被告「感じとして、私だけが母親の目の敵にされているような感じがしました」
弁護人「全般的にですか」
被告「つまり、私がされたことを弟はされていないので」
弁護人「一緒にやっていてもあなただけに」
被告「はい」
《加藤被告は少し強めの口調で話した》
弁護人「家族で旅行に行ったことはありますか」
被告「ありました」
弁護人「どのくらいの頻度で行ったんですか」
被告「小学校4年生ごろから中学校2年生ごろまで、夏休みに年に1回行くことがありました」
弁護人「お父さんも一緒ですか」
被告「そうですね」
弁護人「楽しい思い出ではないのですか」
被告「旅行に行ったことは覚えていますが、旅行で何があったとかはほとんど覚えていません」
弁護人「楽しい思い出はなかったのですか」
被告「母が全部決めて連れて行かれました」
《弁護人が加藤被告の前にあるモニターに家族旅行の写真を映す。加藤被告は写真をのぞき込むようにじっと見た》
弁護人「写真1はあなたの家族の写真ですね」
被告「そうですね」
弁護人「どんな写真ですか」
被告「秋田県に行ったものだと思います」
弁護人「写真2はどういう写真ですか」
被告「よく分かりません」
《加藤被告は弁護人から示された写真を1枚1枚じっと見つめる》
弁護人「あなたとお父さんが写っていますね。旅行の写真ではないのですか」
被告「1と同じようなので同じところだと思いますが、思い出せません」
弁護人「写真4はどういう写真ですか」
被告「青森県内の橋に行ったときの写真だと思います」
弁護人「よく覚えていないのですか」
被告「はい」
弁護人「あなたとお母さんが写っていますね」
被告「はい」
弁護人「写真5はどういう写真ですか」
被告「いつ撮ったのかよく分かりません」
弁護人「旅行ですか」
被告「旅行だと思いますが、どこに行ったか分かりません」
弁護人「写真を見てどう思いますか」
被告「天真爛漫な弟と無表情な私が写っており、当時の私の精神状態がかいま見えます」
弁護人「どんな精神状態だったのですか」
被告「さほど楽しくないのに楽しく見せるそんな状態です」
《席に戻る弁護人。加藤被告は写真を見つめていた》
弁護人「旅行や家族団らんは母親に強要されたということですが、自分の意志を示して何かやってもらったことはありますか」
被告「ないと言っていいです」
弁護人「全然ですか」
被告「ほとんどなかった」
弁護人「パソコンを買ってもらったことがありますよね」
被告「買ってもらったというより、買ってもらわされたというのが正しいです」
【秋葉原17人殺傷 被告語る初日(6)】小学校高学年までおねしょ 「おむつはかされ屈辱的だった」 (1/4ページ)2010.7.27 13:22
送検のため警視庁万世橋署を出る加藤智大被告=平成20年6月10日、東京都千代田区送検のため警視庁万世橋署を出る加藤智大被告=平成20年6月10日、東京都千代田区
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《加藤智大(ともひろ)被告(27)に対する弁護側の質問が続く。女性弁護人は加藤被告がパソコンを親に買い与えられた経緯について尋ねる。加藤被告はこれまで「パソコンを買ってもらわされた」と説明をしていた》
弁護人「『欲しくない』といえばよかったんじゃないですか」
被告「母親としては買ってやりたかったので、それを否定しては怒られると思いました」
弁護人「小学生のとき中耳炎になりましたね?」
被告「『耳が痛い』と母親に訴えましたが、『痛いふりをしている』といわれて取り合ってもらえませんでした。自分が痛がっている横で、母親と父親と弟が食事をしていました」
《加藤被告はその後病院に行き、中耳炎と診断されたことが判明した。女性弁護人は質問をガラリと変える》
弁護人「大きくなるまで、おねしょをしていましたね?」
被告「はい。小学校高学年のころまで」
弁護人「母親に何か言われたことはありますか?」
被告「『何でおねしょをするの』と怒られ、オムツをはかされました」
《女性弁護人の手によって過去が赤裸々に明かされていく。加藤被告は動じた様子もなく、背筋を伸ばして明瞭(めいりょう)に答える》
弁護人「どんな気持ちでしたか」
被告「屈辱的でした」
弁護人「オムツはどんなものでしたか」
被告「布のものでした」
弁護人「赤ちゃんがはくようなものですか」
被告「そういうものです」
【秋葉原17人殺傷 被告語る初日(6)】小学校高学年までおねしょ 「おむつはかされ屈辱的だった」 (2/4ページ)2010.7.27 13:22
送検のため警視庁万世橋署を出る加藤智大被告=平成20年6月10日、東京都千代田区送検のため警視庁万世橋署を出る加藤智大被告=平成20年6月10日、東京都千代田区
弁護人「洗濯しましたか」
被告「はい。わざわざ外の物干しざおに干され、さらし者にされました」
《女性弁護人は加藤被告の横顔を見つめながら、質問を続ける》
弁護人「屈辱的でしたか」
被告「はい」
弁護人「勉強やスポーツで優等生だったようですが、学校生活はどうでしたか」
被告「家にいるよりはマシでした。勉強は嫌いでした」
弁護人「成績は良かったんじゃないですか」
被告「母親に無理やり、勉強をさせられていました」
弁護人「良い点を取って楽しくなかったですか」
被告「それはなかったです。テストは100点を取って当たり前で、95点を取ったら怒られました」
弁護人「絵がコンクールに入賞したり、詩や作文が評価されていましたね?」
被告「形式上はそういうことがありました」
《独特な言い回しで答える加藤被告。女性弁護人が「形式上」の意味を尋ねると、加藤被告は淡々と答え始める》
被告「私が書いたものではなく、母親が手を入れたり、母親がほとんどやったりして、私の名前で出しました」
弁護人「お母さんが書いたのですか」
被告「夏休みには私が最初にやるのですが、母親が手を入れていき、私のものではなくなっていくということがよくありました」
弁護人「作品が評価されても、自分が評価されていると感じなかったのですか」
被告「はい」
弁護人「将来の進路について言われたことはありますか」
被告「小学校低学年のときから、北海道大学の工学部に行くよう言われていました」
弁護人「中学、高校についてはどうですか」
被告「北海道大学に行くことが大前提で、中学のころは青森高校、県内トップクラスの進学校に行くことが当然という空気でした」
弁護人「自分では『どうしたい』という希望はありましたか」
被告「車が好きだったので、車関係の仕事を考えていました」
《弁護人は加藤被告が小学校時代に足が速いと評価されていたことに質問を移すが、加藤被告は自虐的とも受け取れる発言をした》
被告「学校のイベントで自分だけが一生懸命やり、一番になった。そして陸上部に入って練習して、足が速くなっていった」
弁護人「もともと得意ではなく、みんなが手を抜いたということですか」
被告「はい。そういうことです」
弁護人「好きなスポーツは?」
被告「小学生のときは陸上部ではなく、野球部と考えていました。小さいころ、近所のお兄さんと草野球をやっていたから、野球に興味がありました。みんなで1つのスポーツをやることにあこがれていました」
弁護人「それでも野球部に入らなかったのですか?」
被告「母親に『入りたい』と言いましたが、『ダメ』の一点張りでした。理由は説明されなかったので、分かりませんでした」
弁護人「今から思えば、なぜだと?」
被告「小さいころから野球を(本格的に)やっている子に交じっても、レギュラーになれないと思ったからでは」
弁護人「お母さんは外から評価を受けさせたいと思ったのでしょうか」
被告「はい」
《正面を見据えながら答える加藤被告。弁護側は被告人質問を通じて、加藤被告の人格形成に母親の教育が強い影響を与えたことを浮き彫りにしたいようだ》
弁護人「小学校には制服がありましたか」
被告「私服でした」
弁護人「服を自分で選びましたか」
被告「母親が前の日に選びました」
弁護人「自分で選んだことはありますか」
被告「選ぼうとしたことはありました。母親は着ていく服を私の部屋にあるタンスの上に置くのですが、あるとき、私は自分で選んでそこに置きました。母親はそれを無言で床に投げ捨てました」
弁護人「(母親は)どうしてそんなことをしたのですか」
被告「最初は服の組み合わせがダメだと思いました。別の組み合わせを試したのですが、何度(服を)置いても投げ捨てられました。結局、『自分が着たい服はダメ』と言いたかったのでしょう」
《進路、部活、通学服。着せ替え人形のような幼少期を過ごした加藤被告はいま、黒いスーツ姿で証言台に座り、微動だにせずに答えていた》
【秋葉原17人殺傷 被告語る初日(7)】「中学時代に付き合ったのは2人」と“恋愛遍歴” 母親「付き合いやめないと転校させる」 (1/5ページ)2010.7.27 13:28
万世橋署から送検される加藤智大被告=平成20年6月10日、東京都千代田区(緑川真実撮影)万世橋署から送検される加藤智大被告=平成20年6月10日、東京都千代田区(緑川真実撮影)
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《女性弁護人が加藤智大(ともひろ)被告(27)の小学校時代について質問を続ける》
弁護人「小学校のころに仲の良い友人はいましたか」
被告「いました」
弁護人「何人ぐらい?」
被告「数人ですね。一緒に遊ぶような友達はいました」
弁護人「友人が家に遊びに来ることもありましたか」
被告「最初はありました」
弁護人「最初は、というのは?」
被告「友達が帰ると、母親がこれ見よがしに部屋の掃除を始めるので、『家に人を入れるな』ということだと思い、友達を連れて行かなくなりました」
弁護人「小学校時代、友人とけんかをしたりトラブルになったことはありますか」
被告「小学校1年生のころだと思いますが、友達をひっかいたことはあります」
《20年以上前の話だが、加藤被告はよどみなく答えていく》
弁護人「どうしてひっかいたのですか」
被告「集会か何かで列になったときにはみ出したクラスメートがいて、『ちゃんと並べよ』という意味でひっかきました」
弁護人「カッとなったということですか」
《加藤被告は少し考えるように間を置いた後、質問に答えた》
被告「暴力を振るいたかったわけではなく、『ちゃんと並べよ』ということを伝えたくて、そういう行動を取りました」
(2/5ページ)2010.7.27 13:28
万世橋署から送検される加藤智大被告=平成20年6月10日、東京都千代田区(緑川真実撮影)万世橋署から送検される加藤智大被告=平成20年6月10日、東京都千代田区(緑川真実撮影)
弁護人「言葉で伝えようとしなかったのですか」
被告「そういう発想はありませんでした」
弁護人「他に小学校時代、友人に暴力を振るったことはありますか」
被告「低学年の時ですが、工作の時間が終わって誰がのりを片づけるかで2人が争っていたので、この2人をげんこつで殴って自分で片づけたことがあります」
弁護人「なぜ手が出たのですか」
被告「複数ある手段から選んだというわけではありません」
弁護人「カッとなると手が出るのですか」
被告「単純にそうではありません」
弁護人「伝えたいことがあると手が出るのですか」
被告「…それで伝えようとしました」
《続いて、弁護人が「中学校時代のことについて質問します」と前置きした後、質問を始めた》
弁護人「中学校時代のことで、何か覚えていることはありますか」
被告「中学校でソフトテニス部に入りたいと母親に言ったところ、『どうしてだ』と言われましたが、私はすぐに入部したかったので粘ったところ、試験で10番以内になることを条件にされました」
弁護人「なぜソフトテニス部に入りたかったのですか」
被告「当時通っていたそろばん教室の1つ上の先輩がソフトテニス部に入っており、学校帰りにその先輩に見つかって部員として登録されてしまったのです」
弁護人「やりたくて入ったわけではないのですか」
被告「はい」
弁護人「ソフトテニスをやってみてどうでしたか」
被告「楽しくないわけではありませんでした」
2010.7.27 13:28
万世橋署から送検される加藤智大被告=平成20年6月10日、東京都千代田区(緑川真実撮影)万世橋署から送検される加藤智大被告=平成20年6月10日、東京都千代田区(緑川真実撮影)
《積極的にソフトテニスを始めたわけではなかったようだが、弁護人によると、加藤被告は入部後、大会で入賞するなど頭角を現していったという》
弁護人「そのうち活躍するようになり、お母さんの態度は変わりませんでしたか」
被告「はい。それまではことあるごとに『(部活を)やめなさい』と言っていたが、秋の新人戦で入賞し、新聞に名前が載ったところ、手のひらを返したように応援するようになりました」
弁護人「他に中学時代にあったお母さんとのことで、覚えていることはありますか」
被告「はい。お弁当の件です。贅沢な話ではあるんですが、無駄に豪華で量も多い弁当を出されていました」
弁護人「豪華なお弁当で良かったのでは?」
被告「豪華過ぎるものだったので、クラスメートの視線が冷たいというか…」
弁護人「うらやましがられていたということですか」
被告「最初はそういう感じでしたが、やがて冷たい視線が刺さるというか…」
《幼い頃から母親に厳しく教育されていたという加藤被告。母親への複雑な心境を打ち明けた》
弁護人「中学時代、学校の成績は良かったのですか」
被告「はい。母親に教材を与えられてやっていました」
弁護人「10番以内の成績という母親との約束は守れていたのですか」
被告「秋の(ソフトテニスの)新人戦までは守っていましたが、それ以降は(10番以内という条件は)なくなりました」
弁護人「その後はどのくらいの成績だったのですか」
被告「それでも20番前後程度だったと思います」
弁護人「進路についてはどうでしたか」
被告「(母親の)母校に行くことがすでに決定されていた感じです」
《加藤被告は母親の出身校である県立青森高校に進学している》
弁護人「あなたも青森高校に行きたかったのですか」
被告「むしろ行きたくありませんでした。工業高校か地元の私立の高校に行きたいと思っていました」
弁護人「それはなぜですか」
被告「車が好きだったということと、試験で点を取るためのお勉強ではなく、もっと現場に近いものが…。工具を持ちたいと思っていました」
《加藤被告は高校を卒業後、岐阜県にある自動車整備士を養成する短大へ進学している》
弁護人「お母さんにはそのことを話したことはありますか」
被告「ありません。話したところで、青森高校に行かせられることは明らかでしたから」
弁護人「青森高校でもいいや、という気持ちもあったのですか」
被告「(実家から)近いからいいや、という思いと、母親と大学に合格したら車を買ってもらえるという約束をしたので」
弁護人「それが励みになっていたのですね」
被告「はい」
《この後も、加藤被告の中学時代の友人関係についての質問が続く。加藤被告は部活の仲間と集まって遊ぶ一方、中学3年ごろから「クラスの中で一人浮いて
いると感じるようになった。避けられていた」と説明。クラス委員などに選ばれたのも「立候補してやったというより、やらされていた」と話した》
《続いて、弁護人は加藤被告の“恋愛遍歴”についても質問していった》
弁護人「中学の頃、女の子と付き合ったことはありますか」
被告「はい。覚えているのは2人です」
弁護人「初めて付き合ったのは?」
被告「中学2年のころです。クラスメートです」
弁護人「どんなお付き合いでしたか」
被告「一緒に学校から帰るとかです。何となく始まって、何となく終わりました」
弁護人「2人目は?」
被告「中学3年の時です。やはり何となく始まって何となく終わった感じでした」
弁護人「自然消滅したということですか」
被告「いいえ。母親に『あの子と付き合うのはやめなさい』と言われました」
弁護人「なぜ付き合っているのが、お母さんに分かってしまったのですか」
被告「自室の机の引き出しの中の手紙を発見されたのです」
《母親は加藤被告の机を勝手にのぞいて手紙を見つけ、「付き合いをやめないと転校させる」と迫ったという》
弁護人「反抗はしなかったのですか」
被告「したところで転校させられるのは明らかなのでしませんでした」
弁護人「中学校時代にお母さんにしたことを覚えていますか」
被告「2年か3年の時に一度殴りました」
《母親を殴った理由について弁護人が尋ねると、加藤被告は「ちょっと経緯が長くなりますがよろしいですか」と断り、説明を始めた》
被告「食卓で黙々とご飯を食べていたところ、母親が何かのことで私に怒り出し、頬をつねったり髪をつかんで揺さぶったりしていたのですが、私はそれを無
視していました。その後、私が洗面所に移動したところ、母親がついてきて、本格的に殴りだしたので反射的に手が出てしまったのです」
弁護人「どんな風に殴ったのですか」
被告「右手で。グーで。力いっぱい、左の頬のあたりを殴りました」
弁護人「お母さんに暴力を振るったのは…」
被告「後にも先にもこれ1回です」
弁護人「どんな気持ちでしたか」
被告「悲しかったです。何でこうなっちゃうんだろうという気持ちでした。涙が流れました」
《弁護人が「質問を一度ここで切りたいのですが」と提案すると、裁判長が休廷にすることを告げた。約1時間半の休憩をはさみ、午後1時半から引き続き被告人質問が行われる》
=(8)に続く
...............................
※またです。
NHKニュース:逮捕の男“誰でもよかった”
自動車メーカー、マツダの広島市などの工場で社員ら11人が車に次々にはねられ、1人が死亡した事件で、
殺人未遂などの疑いで逮捕された元期間従業員の男は、取り調べの中で「誰でもよかった」などと供述して
いることが警察への取材で新たにわかりました。
22日の朝、広島市南区にある自動車メーカー、マツダの宇品工場や、隣接する府中町の本社工場で、社員ら
11人が乗用車に次々にはねられ、社員の浜田博志さん(39)が死亡しました。警察は、乗用車を運転して
いた工場の元期間従業員、引寺利明容疑者(42)を殺人未遂などの疑いで逮捕し、23日午前、身柄を広島
地方検察庁に送りました。警察によりますと、引寺容疑者は「おととし東京・秋葉原で起きた通り魔事件をまね
ようと思った」と供述しているということですが、その後の取り調べの中で、「誰でもよかった」と供述している
ことが警察への取材で新たにわかりました。これまでの調べによりますと、はねられた11人の社員らと引寺容疑者
とは仕事のうえなどでのかかわりはなかったということで、警察では詳しい動機などについてさらに調べを進めています。
...............................
Fuji News Network:
引寺容疑者の近所の人は、「普通のサラリーマンなんですよ。本当に、まじめな方ですよ」と話した。
引寺容疑者の父親は、「申し訳ないなということは、十分、わしも感じとるんですよ」と話した。
犯行動機、そして車を使用した凶行。
これらの特徴は、2008年6月に東京・秋葉原で起きた無差別殺傷事件を思い起こさせる。
加藤智大被告(27)は、歩行者天国にトラックで突っ込み、通行人をはね、ナイフでも襲った。
この事件で7人が死亡し、10人が重軽傷を負った。
東京工業大学犯罪精神病理学の影山任佐教授は、「工場関係者であれば、誰でもいいという意味では無差別で
すけれども、秋葉原のように、まったく無関係の人をやったということではないと。すぐに用意できるような
(乗用車と包丁という)凶器を使って、なぜ2カ月にわたって、犯行がなされてなかったのか。職場での問題だけ
で、今回の犯行が起きたというふうには、ちょっと考えにくいんですよね」と話した。
警察は、引寺容疑者の父親と共に家宅捜索を行った。今後、引寺容疑者を殺人容疑でも調べる方針。
最終更新:6月23日1時2分Fuji News Network.
※問題は(子育て&)教育だからね。根っこは同じことにも気付いていないのが現状であろう。←T.Itoyama注
...............................
※また、です。
※また、です。
※下記は2006.11に書いた記事である。無差別殺人の構造は下記と同様である。
※幼児・児童期にさせないで欲しい三大学習方法は「徹底反復」「高速学習」「大量暗記」です。
……………………………………………………………………………………………
*どんなに監視体制を強化して異常を事前に察知しても異常自体は減少しません*→JUMP
……………………………………………………………………………………………
【2007.5/25...日々雑感より抜粋】:福島・会津若松-母親殺害...2007.01/26:最近のメモの一部より-5で書いていたことの具現化である。
<母親殺害:5月15日12時3分配信>「母を殺しました」。15日朝、福島県立高校3年の少年(17)が、こう言って県警会津若松署に
自首した。持っていたバッグから、切断された頭部を取り出す。調べには「誰でもよかった」と静かに話しているという。
……………………………………………………………………………………………
2006年11月04日
●いじめの構造:原因と対処方法(文責:どんぐり倶楽部・T.Itoyama)
●「いじめ」についての議論を多く目にする昨今だが、トンチンカンな解釈ばかりしか出て来ない。情けない限りである。
●
「いじめ」の原因や責任は100%いじめる方にある。人間に育っていないからである。12才までの教育の失敗である。
いじめられる方には何の責任もない。
100%ない。まず、このことが大前提である。確かに、キッカケはいじめられる方
に多くある、が、それは原因でもなければ責任でもない。「いじめ」は人間
らしい判断力を育てて貰えなかった人がする
行為だからだ。
つまり、小学校高学年にあたる9-12才で育てられるべき判断力(情緒の安定+正常な感情→人間らしい判断力)を育てて
貰えなかった人達の行為なのだ。つまり小学校時代の教育の失敗である。
<いじめの種>は、小学校高学年にあたる9-12才に作られる。どんなに正常に育っていても、この仕上げにあたる<人間的
な判断力>を育て上げることが
出来なければヒトを人間に育て上げるという<教育>は完結しない。この時期に判断基準を
正しい感情に置くことを教えずに(幼稚な)理論から導き出された結
論が何の感情的な吟味もなく行動の基準となることを
許している(良しとしている)と人間的な判断力を育てることが出来ないのだ。
具体的には、行動基準(自分に言動を許容する基準)を「本当だから」「先生が言ったから」「決まりだから」「友達が
しているから」「良いことだから」
「本に書いてあるから」「言われたから」などという一見尤もらしい、通常では正しい
とされている(褒められたりする)ことを自分自身の正常な感情のフィル
ターを通さずに(正しい感情の吟味をせずに)
行動基準として使ってしまうということである。この<お粗末な結論=言動のGOサイン:行動基準>が矯正され
ずに進むと
「走るの(言動)が遅いから〜」「背が低いから〜」「仲間じゃないから〜」「外人だから〜」「色白だから〜」「自分より
勉強が出来るから〜」
「自分より勉強が出来ないから〜」「綺麗だから〜」...となる。つまり、理由は何でもよくなるのだ。
「〜だから」の「〜」さえ見つければGOサインが出
るように育てられてしまうのである。異常に育ってしまうのだ。...つまり
<いじめ>の対象は無制限なのだ。
本来は(正常な場合は)自分の言動は自分自身の感情が最終的なGOサインをだす。しかし、、小学校高学年にあたる9-12才の
時期に、この正しい判断基
準の育成を怠ると自分の感情を通さない他人の(都合のいい勝手な理由による)行動基準を利用して
動くことに違和感を持たなくなってしまう。責任転嫁の代表
例であるが、実際には見逃されている場合が非常に多い。
「事実だから〜」などと言う教師までいる。事実は判断基準の要素にはなるが、判断基準そのものには
なり得ない。
このような正しい判断基準の養成(人間らしい判断力養成)は、小学校高学年にあたる9-12才に必ずしなければいけないこと
である非常に重要
な教育である。にもかかわらず、残念ながら意識的になされることは極めて希であるのが現実である。
昔は<卑怯なことは絶対にするな>というような言い方で家庭や学校で伝えられてきた基準であるが、今は意識されていない
ようである。非常に危険な(お粗末な)教育環境になっている。
従って、偶然に問題が発生したときに問いただされることはあっても、意識的に<理論的に正しい(幼稚な理論から生まれた
結論は本来は正しくないのだが、そこには気付かない)ことならしてもいいんだ>という考えは間違った行動規範であるという
ことを教育することはない。
●現代では、<いじめ>を回避する正しい判断基準を持っていない人間の方が圧倒的に多いと考えられる。憂うべきことではあるが、
対処法はある。環境を整え
ることで病気にかかっても(感染していても)発病(発症)しないようにできるのと同様に、
<いじめ>を抑制することは環境を整えることで可能であるし、人
間的な判断力の養成時期(臨界期)を越えている子供達には
唯一の対処方法である。ここでも「ゆっくり・ジックリ・丁寧に」が基本となる。穏やかな教育にま
さるものはないのだ。
●キッカケを原因と勘違いして<原因追及>をしても何の解決にもならない。全ては教育の責任である。
情緒の安定-感情教育-思考力養成-判断力養成を12才までに終えなければ<いじめ>は解決しない。反対に12才までの正しい教育を
実践すれば<いじめ>は根絶できる。
……………………………………………………………………………………………
●最も簡単で効果的な対処方法...いじめっ子だけのクラスを作る。40人2クラスしかなくても、5人のいじめっ子がいれば5人の
クラスと75人のクラスにする。教室はどこでもいい。...考えたことがあるだろうか?環境を変える最も速い対処方法である。
……………………………………………………………………………………………
★中学受験(の為のパターン学習)が<危険>だと警告する理由もココにある。どんなに受験には効果的な手法でも時期的に
最も危険な行為となるからである。
ヒトを人間に育て上げるための<教育>の仕上げの段階(小4-6)で仕上げが出来ない環境
を作ってしまうからだ。あるいは決定的な勘違いをさせてしまう結
果(受験勉強)となるからである。
<理論的な結論=正解=正しい=いいこと=行動基準としていい>ではない。意識せずに、これを吸収し固定化してしまう危険
が非常に高くなる。この中には人
間が人間であるための感情判断がない。パターン学習は感情判断を麻痺させる。お金と時間を
使ってストレスと危険な教育で子供を人間に育て上げることを止め
ているのである。
プロ中のプロはこのことを熟知した上で受験指導をする。だから、パターン学習をしていい最短期間を綿密にはじき出すために
準備を怠らない。余計な事は絶
対にさせない。「絶対学力」にかいてある中学受験の方法はこういうことが大前提となっている。
<受験を甘く見ている>という感想があったが、全く逆であ
る。<受験を知り尽くしている>から、たてられる作戦なのだ。
12才までの教育でヒトを人間に育て上げることを無視して受験を語ることは犯罪と同じであ
る。
……………………………………………………………………………………………
2006年11月09日
●いじめの構造-2:必然的に<いじめ>を増加させた理由(文責:どんぐり倶楽部・T.Itoyama)
●必然的に<いじめ>を増加させた理由
<情緒の安定(〜3才)-正しい感情の育成(〜6才)-人間らしい判断力を含む思考力養成(〜9才〜12才)>が「ヒトを人間に育て上げる<教育>」
の基
本構造である。このどれもが欠落しても<ひずみ>が生じるのは当然である。環境次第で発症する場合もしない場合もあるが、
環境自体は悪くなっているので上
記の基本教育が更に重要となってきている。ところが、公教育は全く気付いていない。
だから「我が子を守る家庭教育」が必要な時代なのだ。
●昔の<いじめ>は<情緒の安定><正しい感情の育成>の失敗に多くは限定されていた。生活(特に心)に余裕がないとがどちらも難しく
なりがちだからだ。
ところが、今では最後の仕上げ期の<人間らしい判断力を含む思考力養成>で大幅に失敗している。原因は仕上げ時期である
9-12才の時期にしてはいけない
ことをさせているからである。公教育の現場である小学校も多くの家庭教育も...である。それまで<情緒の安定>
も<正しい感情の育成>も乗り越えてきた
子供が教育(受験や「もう高学年なんだから」というヘンテコリンな理由)の名の下に潰されている。
だから、一見普通に見える子供までもが<いじめ>をす
る。*考えたり、想像したりするのは異常ではない。飛べないのに飛ぶことを想像する
のと同じくらい簡単に想像はするようになっている。が、それを<言動に
移すのは異常>なのである。最後の仕上げ教育が出来なかったということである。
10年間の子育てが水の泡となる。9-12才の3年間は人間への教育の最後
の仕上げなのだ。この最後の仕上げが出来ないと人間らしい判断力は根付かない。
すると<人間らしくない言動をとる>ことに歯止めを掛ける(違和感を覚えさ
せる)ブレーキを意識できなくなる。フロイトの孫娘は「感情のフィルター」
と呼び大江健三郎は「ちょっと待ってみること」と言っているようだが、どちらも
判断力の基本となる正しい感情を使うことを指している。
※<いじめ>は昔もあった。と呑気に構えている人もいるが、今は桁違いなのだ。700人の生徒の中で昔は1割の70人が<いじめ>をしていたとしたら
今は
場所によっては7-8割の490人〜560人である。まさに、異常事態である。しかも、理由も分からず対処法もしらない大人がワンサカといる。
これでは、
家庭で守るしかないだろう。
●<いじめ><不登校><履修漏れ>の全てに共通している認識不足(欠落)は「ヒトを人間に育て上げる」という教育の基本を実践するための理論である。
12才(性成熟年齢)までの人間の成長順序が生物としてプログラムされていることを無視した教育の歪みから生まれている。「誰でもよかった」犯罪も同根である。