<緊急:小6同級生殺害事件>→■■
<指導と評価:2004.7-8-9月用原稿>………………………………
●算数の文章問題はイメージ再現(文章を絵図にすること)ができれば簡単に解ける問題からイメージ操作(イメージの移動・変形・連想・比較)ができないと 解けない問題に発展させることで思考力を育てることが出来ます。思考力と言うと難しく聞こえますが、自分が描いた絵図を操作するだけのことですから、手本 を何度か見せてあげれば小学生でも簡単に出来るようになります。(私の教室では中学受験には関係のない普通の小学生が連立方程式の文章問題を文字式さえ使 わないで絵図を描いて簡単に解いています。イメージ操作そのものが考えることだと知っていると、どんな教科(材料を)を使ってでも思考力を育てることが出 来るのです。また、このイメージ操作練習を続けることで判断力も育てることが出来ます。なぜならば、判断力とはイメージ操作の結果として出てきたものを 「これでいいんだ」という感情を基に抽出することだからです。
プ ラトンの「哲学学校:アカデメイア」とイソクラテスの「弁論学校」は当時ライバル校だった。プラトンは幾何学(目で見て考える視考力中心のイメージ操作の 鍛錬)を重視し、イソクラテスは文学(暗記中心の言葉の鍛錬)を重視した。逸材は圧倒的にプラトンの学校から輩出された。当然のことである。思考力とは「視考力」を使ったイメージ操作であり、言葉とはイメージを導くための記号に過ぎないからだ。アカデメイアの門には「幾何学の何たるかを知らない者は入学を認めない」という意味の言葉が掲げられていた。と ころがこれは幾何学(数学)そのものを指していたわけではなく「人間は言葉を使うが、言葉そのもので考えているのではなく、イメージ(特に視覚イメージ) で考えていることを知っていることが入学の条件である」と言っているのである。計算が速かったり、言葉を数多く覚えることが思考力を育てるのではなく、イ メージ操作(イメージの移動・変形・連想・比較)の練習が思考力を育てることをプラトンは知っていたのでしょう。
●「音で覚える、絵で理解する、その絵を使って考える」

【2009.01/25】...補足
●幼児・児童期の大量暗記(暗記を利用した計算も同じ)が危険である理由:
 幼児・児童期は思考モデル(思考回路)作成時期という一生に一度しかない貴重な時期です。その時に思考モデル(思考回路)養成とは無縁であり、回路作成 を妨害する結果になってしまう大量暗記をしていては、物知りバカと呼ばれる「思考できない記録再現マシーン」にしかなれません。知識の集積が思考に変化す ることはあり得ません。石を積み上げるだけでは家を造ることが出来ないのと同じです。大量に暗記することや手順を記憶して一見難問を解くことを才能開花と 勘違いしているようでは正常な脳の成長を促すことは不可能です。自動記録された知識(映像や音やその他の感覚も含む)を自動的に再現しないようにコント ロールして思考を可能にしているのが人間の脳の最も高度な力(制御力)なのに、才能開発と称して、その力(人間が本来持っている制御力)を破壊することに よる異常な記録再現力養成(記憶力と呼んでいるが、実は制御力の崩壊)をしている人がいることは実に危険なことです。幼児・児童期の記憶力の優秀性は暗記 するためのものではなく、具象物を脳内視覚イメージとして保持し、それを操作することで具象物を使った思考モデル(思考回路)を作り上げるための一時的な 優秀性です。ですから、自然にその力はなくなっていくのです。具象思考で作られた回路は抽象思考回路に置き換えられますから思考モデル(思考回路)が作ら れれば、その幼児・児童期の記憶力の優秀性は不要になり、脳内エネルギーを有効利用(思考するために用いる)するために、消滅させるようにプログラムが組 まれているからです。進化のするための積極的な細胞死(アポトーシス)と同じ仕組みです。脳内エネルギーは無限ではありません。生体エネルギーの一部なの ですから有限です。ですから、時期が来れば環境適応のための臨界期を越えた時点で要不要の原則に従って、使われなかった思考モデル(思考回路)網は消滅し てしまうのです。それなのに、単なるコピー回路しか使わない暗記をしていたのでは暗記回路以外の思考回路は殆どが消し去られることになります。才能開発の 中身とはこういうことです。自然開発という名前の正体が殆どは自然破壊であることとよく似ています。保護者は、必ず、自分の頭で子供にさせていることを検 証しなければなりません。子供にさせていることの5倍のことを自分で5週間体験してみれば大人でも同様の変化を感じます。感情が無くなり、機械的に反応 し、考えられなくなる。パターン化された頭は知っている問題は素早く解けるが未知の問題には拒否反応を示す。攻撃的な言動が増え、味わうことが出来なくな る。等々。完全記憶能力者であった
ロシアのシーの記録が科学者ルリアによって記録されています。完璧な記憶力を持っていたことが原因で思考ができなくなったのです。

<高速計算練習をしている人はコチラもどうぞ>慣れさせることの危険性

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●理解力→(読解力)→思考力→判断力→(行動力)→(創造力)→表現力
 の養成に共通している最も効果的なことはイメージの利用です。
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 理解力→イメージ再現(確かな体感イメージが重要)
 読解力→言葉からのイメージ再現
※多くの知識は操作(思考)の邪魔になります。
                 知識そのものが思考力にはならないからです。

……………………………………………………………………………………………>>9歳の壁<<

 思考力→イメージ操作(イメージの移動・変形・連想・比較)(9〜10歳)
 判断力→イメージ抽出     
※乳幼児期に安定した情緒で育てられた確かな感情が必要です。
                「これでいいんだ」という確かな感情がないと断定できない。(11〜12歳)

 行動力→イメージ実践※幼児期の動くことを厭わないという「しつけ」が力を発揮します。
 創造力→イメージ操作+α(13〜15歳)
 表現力→イメージ還元(イメージを言葉などに戻す)
※低学年から表現力を養成しようとすると失敗します。
                (16歳〜)
※全教科を通して確かなイメージを育てることから始めることが基本となります。
「読み・書き・計算」を基本と思っていてはいつまでたっても本当の学力は育てられません。
※どんなに優れたスーパーコンピューターでも初期設定を間違ってしまうとその能力を発揮することはできません。
 小学校時代は初期設定時代です。丁寧に丁寧に育てなくてはいけません。人間は誰もが真に優れているのです。
 初期設定さえ誤らなければいいのです。ヘンテコリンな設定には要注意ですよ。
●子育ての歌:幼児には遊び・友達・視考力。読み・書き・計算ちょっとだけ。
 ゆっくりジックリ丁寧に。慌てず騒がず穏やかに。
●計算は「10の補数と九九」の反復単純作業です。最小限にしましょう。
 筆算が出来れば「10の補数と九九」以外の暗算は全て不要です。高速計算練習は厳禁です。

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「数字をたくさん知っていれば計算は自然に出来るようになる?」→もちろん、なりません。計算方法を知らないと、もちろん、なりません。
 同様に
「語彙をたくさん知っていれば思考は自然に出来るようになる?」→もちろん、なりません。思考方法を知らないと、もちろん、なりません。
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●詳しくは
「思考の臨界期:e-BOOK」をご覧下さい。
●「絶対学力」「新・絶対学力」は一般書店でどうぞ。→
amazonへ
「分かる」ということ・「考える」ということ・「判断する」ということ「理解力・思考力・判断力」

●保護者から「じっくり考えているのに分からないようです。どうしてでしょうか?まだ、知識が足りないのでしょうか?」という質問をよく受けます。それ も、不思議だという感じでです。良く聞くと「知識は随分たくさん持っているのに考える問題は解けない」ということなのです。私には当然のことなのですが、 多くの人にとっては不思議な現象のようです。こういう質問をする人は
「知識を増加させれば考えることが出来るようになる」という迷信を信じているのです。

●知識量と思考力は合致しません。もちろん知識がゼロでは話になりませんが、何の特訓もしないでも子供は考えるだけの知識は持っていますし、知識はほんの 少しでいいんです。なぜなら、思考力とはイメージの移動・変形・連想・比較をする力のことだからです。この練習を十分にすることで考えることが出来るよう になります。知識は材料に過ぎません。使い方を知らなければ何にもなりません。材料は用途に応じて(目的に合わせて)調達すべきなのです。無目的に材料を 集めても使い方を教わらなければ何も作ることは出来ないのです。

●多くの人は、子供の思考が停止している状態なのに「じっくり考えている」と思って「どうして考えても分からないのだろう?」と感じているのです。実は 「考えてはいない」のです。ですから、当然分からない(解けない)のです。こんなことは絵を描かせてみれば一目で分かります。絵を描けない子は頭の中でど う考えていいのか分からないので時間が過ぎるのを待っているだけの子です。もちろん本人は考えると言うことが絵図を操作することだとは教わっていませんか ら、絵図の操作さえもせずに「よく考えたけど分からなかった」といいます。
<子供は考えているように見えますが、多くの子供は考え方を教わっていませんのでどう考えていいのかを考えている「思考停止状態」で時間を費やしていることが多いのです>
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●「分かる」→イメージ再現できること
→自転車と言われて様々な自転車を細部までイメージ再現できること
→深く分かるとは体感(再体験)できるほど再現イメージを体で感じることができるということ。
●「考える」→イメージ操作できること(操作とは再現したイメージを使って移動・変形・連想・比較すること)※予測・類推は前述の操作に含まれます
●「判断する」→イメージ抽出すること(抽出とは操作したイメージの中から選択すること)
●人間的な判断には確かな自分の感情(自信・違和感など)が必要になる。
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<2種類の「わかる」>
→「分かる」:文字・言葉(記号)をイメージ再現できること:書いてあること・言われたことが「分かる」
→「解る(解ける)」:設問で求められているイメージを自分で再現したイメージ操作を通して抽出できること
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※「2才児神話」の大きな落とし穴→★★★(幼児期の知識優先教育が危険である理由)
※公開授業:小学生でもハッキリ分かる「分かる」と「考える」→★★

※補足:なぜ人は視覚イメージで考えるのか?
→理由は簡単です。人は視覚イメージ操作が得意だからです、他のイメージ操作力
とは全くレベルが異なります。簡単だからなのではなく視覚イメージ操作に一番慣れているからです。
例)イメージ操作の比較
味覚(味の足し算):人参+大根=??????:料理人はできますが子供にはできません。
嗅覚(匂いの足し算):バラの花+水仙の花=??:香水職人ならできますが子供にはできません。
触覚(触った感じの足し算):石+水=????????:これは誰にもできません。
聴覚(音の足し算):水+風=????,ド+ミ+ソ=和音:練習すれば決まった音だけはできます。
視覚(見たものの足し算):四角+三角=→□+△→◇+△→◇+▽→□+▽:誰でも色々出来ます。
→ずば抜けた得意技があるから人間は考えることが出来るのです。



●反射的な高速単純作業ができる力を学力と呼んでいるたわけ者がいるらしい。
●自信や達成感を持たせられればどんな方法でもいいわけではない。幼ければ幼いほど方法(過程)が大切なのだ。なぜなら成長過程にある幼児は吸収力がある だけに方法そのものをもまるごと吸収してしまうからだ。手抜きをすれば手抜きを全てマスターする。見当外れの無意味な(価値のない)達成感(快感)を味 わった幼児は、無意味な行動でも達成感(快感)を得るために反復行動をとる。達成感そのものが目標になってしまうと目標の意味や価値を考える必要を感じな くなり不毛な行動をとっても平気になる。幼児期の教育の手抜きは一生を左右する。従って、反射的な単純作業の反復は必要最低限とすることが肝要である。
→異常で役に立たない自信を持たせてはいけない!
●最速の視算は「10の補数と九九」だけに限定する
理由は「筆算を教えれば暗算は不要だから」です。「やりすぎ」はいけないなどという消極的な理由ではなく「10の補数と九九」以外の暗算は全く不要で無駄 なことだからです。暗算を習熟させる必要は一切ありません。文章問題を解く途中で出てくる計算を正確に丁寧に筆算するように指導すれば十分です。しかも計 算は視算表を見ながらでもいいのです。私たちは簡単な計算を高速で出来るようにするために計算方法を教えているのではありません。どんな計算でも正しい方 法さえ知っていれば出来ることを教えるために計算方法を教えているのです。
●その時々で習熟させるべき事は実はとても少ないのです。ここを見誤るとすべきでない時期にすべきでないことを強制的にさせて異常な頭を作ってしまう。

「学力とは何か〜理解力・思考力・判断力の育て方〜」
1.「学力」とは何か
・「分かる」と「解る」
・「分かる」から「考える」へ
・指導者の根本的な誤り:思考停止状態を「深く考えている」という保護者
※「悩んでいる」状態と「考えている」状態は全く違う
・考え方を教えなければ学力は育たない(子供任せになってしまう)
※教育の大誤算1:知識を与えて考え方を教えない先生は
「知識が増えれば考える力は自然に育つ」という根本的な間違いを平気で言う。
※肝心なのは考えるとはどうすることかを具体的に教えることである。
「全世界の言葉を全て知っていても考え方を知らなければ何も考えられない」
「一言も言葉を知らなくても考えることは出来る」

2.判断力の素は幼児期の安定した感情である。
・「分かる」から「判断する」まで
 
「分かる:理解するということ」→「考える:思考するということ」→「判断する:結論を出すということ」
 「イメージ再現」→「イメージ操作(移動・変形・連想・比較:予測・類推)」→「イメージの選択・抽出」

・選択したものを信じる力はどこから生まれるのか
・教育の大誤算2:比較できれば選択できると思っている。
※選択はどれを抽出するかの決断である。決断するには自分を信じる力がいる。
 自信(自分を信じる力)は自分の感情を信じることが出来る
確かな体感イメージを必要とする。
 幼児期の安定した(十分に繰り返された納得できる)体感イメージが判断力を育てる。
 幼児にとって「遊び・友達」が重要な理由である。

3.長期教育が失敗するとき(学力を育てられない教育)
<幼児期の失敗:知的系統的学習の失敗:知識が思考に繋がるという根本的な勘違い>
・安定した感情をもたせないと異常な判断をしたり、判断できなかったりする。
→安定した感情の養成は幼児期の安定した(十分に繰り返された納得できる)体感イメージを必要
 とするので本当の学力を育てたいのであれば幼児期に感情が不安定になることはさせない方がいい。
→幼児期の知的系統的学習は最も害になる(感情の不安定を招く)ストレスを増加させる。
<児童期の失敗:速さが頭の回転を良くする「頭が良くなる」という根本的な勘違い>
・「考える」とは「どうすること」かを具体的に説明して考える練習(イメージ操作練習)をしない
 とどんなに「読み・書き・計算」を強化しても思考力は育てられない。
・イメージ再現しかしていない「分かる」までなら数をこなせば条件反射的にできるようになるが、
 肝心なイメージ操作は練習をしないと自然にはできない。様々な体験の中から子供自身が考え方
 を発見して学力を自分で育てているのが現状である。全ての子供に学力を与えたのであれば学力
 そのものである考える力(イメージ操作力)を育てなければならない。
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「数字をたくさん知っていれば計算は自然に出来るようになる?」→あり得ません。計算方法を知らないと不可能です。
 同様に
「語彙をたくさん知っていれば思考は自然に出来るようになる?」→あり得ません。思考方法を知らないと不可能です。
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4.学力養成方法
・全ての教科を通じて
「イメージ再現(理解)→イメージ操作(思考)→イメージ抽出(判断)」を目標とする
※体育でさえも「出来る」ことよりも「分かる」ことが大事!
→逆立ちが「分かる」と「出来る」:確かな体感イメージを持つことが「分かる」ということ
よく、コツをつかませるといいますが、理想状態、例えば逆立ちして足を揃えて伸ばして静止している時の感覚を頭にイメージ(体感イメージ)として定着させ るのです。どうして、この理想的な体感イメージを持つことが最も効果的かというと、それは最も確実な自分の「お手本」を常に持っていることになるからで す。練習しながら、このイメージ(お手本)に自分の状態を近づけることで逆立ちは簡単にできるようになります。小学校2年生の子が、1時間ほどでピタリと 逆立ちして静止したときには驚きましたが、確かな体感イメージを持たせれば難しいことではないのです。自分が持っているお手本の体感イメージを再現できる ように体を動かすだけでいいのですから1人でも正しい練習ができるのです。反対に、この正しい体感イメージがないままに練習すると何百回何千回と練習して も一向に上達しません。自分のお手本がないからです。お手本は常に参照できるところである頭(体)の中になくてはいけないのです。漢字の練習の時も、瞬時 に正しいイメージ(字形と筆順)を確認できるようにお手本は常に真横に置いておく理由と同じです。

・全ては視考力(目で考える力:視覚イメージ操作力)の養成にかかっている

5.誰もが健全に育つ「味わい教育」
※Slow-in & Quick-out の原則:ゆっくりジックリ丁寧に入力された情報は瞬時に応用することが出来る。
 この原則は全ての教育にあてはまる。「スローイン・クイックアウトの原則」→
★★
・「味見」ではなく「味わう」ことが重要である理由:味わうことで限りない応用力が育つ
・幼児期に出力(表現力)を求めてはいけない理由:莫大なエネルギーと想像力(オリジナリティー)を失う
・国語を味わう方法→
・算数を味わう方法→
・理科を味わう方法→
・社会を味わう方法→
・音楽を味わう方法→
・家庭を味わう方法→
・体育を味わう方法→
・図工を味わう方法→
……………………………………………………………………………………………
●理解力→(読解力)→思考力→判断力→(行動力)→(創造力)→表現力
 の養成に共通している最も効果的なことはイメージの利用です。
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 理解力→イメージ再現(確かな体感イメージが重要)
 読解力→言葉からのイメージ再現
※多くの知識は操作(思考)の邪魔になります。
                 知識そのものが思考力にはならないからです。

……………………………………………………………………………………………>>9歳の壁<<

 思考力→イメージ操作(イメージの移動・変形・連想・比較)(9〜10歳)
 判断力→イメージ抽出     
※乳幼児期に安定した情緒で育てられた確かな感情が必要です。
                「これでいいんだ」という確かな感情がないと断定できない。(11〜12歳)

 行動力→イメージ実践※幼児期の動くことを厭わないという「しつけ」が力を発揮します。
 創造力→イメージ操作+α(13〜15歳)
 表現力→イメージ還元(イメージを言葉などに戻す)
※低学年から表現力を養成しようとすると失敗します。
                (16歳〜)
※全教科を通して確かなイメージを育てることから始めることが基本となります。
「読み・書き・計算」を基本と思っていてはいつまでたっても本当の学力は育てられません。

●子育ての歌:幼児には遊び・友達・視考力。読み・書き・計算ちょっとだけ。
 ゆっくりジックリ丁寧に。慌てず騒がず穏やかに。
●計算は「10の補数と九九」の反復単純作業です。最小限にしましょう。
 筆算が出来れば「10の補数と九九」以外の暗算は全て不要です。高速計算練習は厳禁です。
……………………………………………………………………………………………

ISBNコード: 4-89036-197-9(書籍コード):「視考力」についての詳細を書きました。
(
目次+未収録の【あとがき】)」




<知的障害者には有効だが健常者には有害な知的早期教育>

● 障害を持っていると記憶の再生や記憶の応用ができるようになるのに時間を要することがよくあります。そこで、要点だけを厳選して先行学習をし、健常者より も多くの時間をかけて反復しながら身に付けるようにします。形の上では先行学習ですが、実は先に進むことで時間をかけて基本の習得をするということなので す。したがって、障害者には厳選された知的早期教育が必要なのです。

●と ころが、同じ事でも健常者には有害になります。不要なことを強制していることになるからです。元気な人に歩くためのリハビリをさせても時間を無駄に使わせ て何の効果も得られないのと同じです。元気な人には歩き方ではなく走り方や泳ぎ方や様々な遊び方を教えるべきなのです。つまり、応用のしかたを教えるべき なのです。学力に関連させると知識量ではなく思考力を育てるということです。

●「読み・書き・計算」は歩くためのリハビリにあたります。歩ける人には不要なのです。ゼロでは困りますが必要最低限でいいのです。思考のための最低限の材料があればいいのです。歩くためのリハビリを「徹底反復」しても走れるようにはなれないし泳げるようにもなれません。「基本がしっかりしていないと応用は利かない」といわれて「読み・書き・計算」が基本だとばかりに「基本が大事だから...」と言う人がいます。残念ながら「読み・書き・計算」は基本ではなく材料に過ぎません。材料がどんなに沢山あっても料理方法を知らなければいつまでたっても料理はできません。
「材料が増えれば料理は自然にできる」と言う人はいません。それなのに、
「言葉が増えれば思考が自然に出来る」と言う人や
「計算が出来れば思考が自然に出来る」と言う人や
「漢字が出来れば思考が自然に出来る」と言う人がいます。
「分かる」「考える」のどちらも知らない人達です。

●基本問題を数多く解けば応用問題を解けるようになると思っている人はとんでもない遠回りをしています。知らない町を隅から隅まで歩かせて道を丸暗記させてお使いを頼む人はいないでしょう。地図を見せてお使いを頼めばいいんです。
地図を見て目的地を探す方法を教えてあげれば負担は一気に軽減します。そして、何にでも応用できます。これが考え方を教えるということです。視考力の養成です。人には地図を見る力がある(視考力)があることを知らない人が多すぎます。


<幼児教育は言葉の教育と言いますが、実はイメージ再現教育です。>
<幼児教育のお手本は言葉(音声)→イメージ再現ですが、体感イメージ再現に勝る物はありません >
そして、再現しやすいように入力してあげるのがコツなのです。
<子供が五感で感じていることに言葉を少しだけ添えてあげるのが最良の幼児教育なのです。>
<言葉のタグを自然に与えることです。>

<知的早期教育・能力開発が無駄な理由>→

※教育講演会を読んでいる途中の場合はブラウザの【戻る:BACK】で戻ってください。
●幼児期に計算を速くしてはいけない理由
 計算を速くする練習は「考えるな」という命令を出していることです。しかも、これが幼児期に行われると、幼児期が
過敏反応する時期であることを考えると大人にさせて脳の活性化を促すなどという単純なこととは全く違うことが分かる
と思います。考えるなという指令を受けた頭は考えられない頭になるのです。大人には薬になるものでも幼児には劇薬に
なるのです。ですから、計算を速くする練習は速くても小5の9月から、できれば小6の9月〜がいいのです。こうすれ
ば、考える回路を定着させた後なので被害は最小限にくい止められます。「時間があるからさせてもいいじゃない」は、
実は「時間があるから考えさせない訓練をしてもいいじゃない」ということなのです。
 それでも「でも、計算が速くないと困る」という人がいます。中学入試・高校入試を自分で解いてみて下さい。入試で
も「計算は速い必要がない」と分かるはずです。全く困らないのです。計算を速くするのは考える事が出来るようになっ
た後の話です。反対は時間のロスが多すぎます。あるいは不可能です。計算は「サッと」するのではなく「リズム良くトン
トントン」とできれば十分なのです。考える練習をしていなかったので、考える時間が足りなくて、あるいは考えられなく
て入試で不合格になる子は山ほどいますが、計算する時間が足りなくて不合格になる子はいません。
 いずれにしても、幼児期に計算を速くするメリットは何一つ無いのです。
…………………………………………………………………………………
<プラトンの教育に対する考え方は「どんぐり倶楽部」の考えと同質のものです>
●プラトンは「子供には元来才能がある。だから、その才能をあれこれ大人の都合で刺激するのではなく、上手に引き出してやるのが教育の役割だ」と考えてい ます。
そして、学習には最も効果的なQ&A方式(「どんぐり倶楽部」の「分からん帳」と同じ考え)である問答法で特に図形問題(「どんぐり倶楽 部」が「良質の算数文章問
題」を使う理由と同じ)を教えて効果的な教育を実践した。
<具体例>
 プラトンは知人の家の召使いであった子供に図形の証明や作図を問答法を使って解説しました。もちろん、その子供に数学の心得はありません。プラトンは絵図を使
うことで考える力を育てることが出来ると考えていたのです。「どんぐり倶楽部」の実践そのものです。
<問題>一辺の長さが1の正方形の2倍の面積の正方形を作図しなさい。
<教え方>
 まず、子供はまず、子供は一辺の長さが1の正方形を描きます。そして、一辺の長さを2倍にしてみます。しかし、これだと、正方形の面積は4倍になってしまいま
す。そこで、プラトンと子供はいろいろ試行錯誤して、元の一辺の長さ1の正方形に対角線を引くことを発見します。
(→目で考える・視考力の作用ですね)対角線の
長さを一辺とする正方形を作ると、元の面積の2倍の面積の正方形を作図することが出来ました。√2(ルート2)などという専門用語を知らなくても、子供の関心を
うまく誘導することで、作図は成功して問答法を使った教育は効果的なのだと分かりました。
……………………………………………………………………………………………
〜ギリシャ時代のヤンブリコス[Iamblichus]著「プロトレプティコス」より〜
「もろもろの感覚の中で、視覚が何よりも好まれ尊ばれてしかるべきものである。しかし、思慮は、それが真理を掌握する力を最も高度にもつということのゆえ に、視覚
よりも、他の全ての感覚よりも、さらには生きることよりも、なおのぞましきことなのである。そしてそれゆえに、万人は、とりわけ、思慮をはたらか せることを追い求
めるのである。なんとなればひとびとは、生きることを愛好することによって、思慮をはたらかせること、および認識することを愛好している からである。ひとびとはも
っぱら感覚、とりわけ視覚、のゆえにこそ、生きるということを尊重するが、彼らがこの能力を最高度に尊重するのは、明らかにこの 視覚が、他の感覚にくらべて、一種
の知識のごときものであるからにほかならない」
●なるほど...ギリシャ哲学の限界が見える文面である。視覚イメージが有用なことまでは分かっていたが視覚イメージの操作そのものが「思考」であること に気付かなか
ったということである。この気付きがなかったために、ギリシャ哲学は止まってしまい修辞学や弁論術になってしまった。
だが、プラトンがアカデメイアを哲学学校とし幾何学を教えていたのだから<いい線>いってたはずである。アリストテレスが道を誤ったと思うのは私だけだろうか。
...もったいない限りである。...もちろん、「どんぐり倶楽部」は正しい延長線上に立っています