<緊急:小6同級生殺害事件>→■■
●算数の文章問題はイメージ再現(文章を絵図にすること)ができれば簡単に解ける問題からイメージ操作(イメージの移動・変形・連想・比較)ができないと 解けない問題に発展させることで思考力を育てることが出来ます。思考力と言うと難しく聞こえますが、自分が描いた絵図を操作するだけのことですから、手本 を何度か見せてあげれば小学生でも簡単に出来るようになります。(私の教室では中学受験には関係のない普通の小学生が連立方程式の文章問題を文字式さえ使 わないで絵図を描いて簡単に解いています。イメージ操作そのものが考えることだと知っていると、どんな教科(材料を)を使ってでも思考力を育てることが出 来るのです。また、このイメージ操作練習を続けることで判断力も育てることが出来ます。なぜならば、判断力とはイメージ操作の結果として出てきたものを 「これでいいんだ」という感情を基に抽出することだからです。 ●プ ラトンの「哲学学校:アカデメイア」とイソクラテスの「弁論学校」は当時ライバル校だった。プラトンは幾何学(目で見て考える視考力中心のイメージ操作の 鍛錬)を重視し、イソクラテスは文学(暗記中心の言葉の鍛錬)を重視した。逸材は圧倒的にプラトンの学校から輩出された。当然のことである。思考力とは「視考力」を使ったイメージ操作であり、言葉とはイメージを導くための記号に過ぎないからだ。アカデメイアの門には「幾何学の何たるかを知らない者は入学を認めない」という意味の言葉が掲げられていた。と ころがこれは幾何学(数学)そのものを指していたわけではなく「人間は言葉を使うが、言葉そのもので考えているのではなく、イメージ(特に視覚イメージ) で考えていることを知っていることが入学の条件である」と言っているのである。計算が速かったり、言葉を数多く覚えることが思考力を育てるのではなく、イ メージ操作(イメージの移動・変形・連想・比較)の練習が思考力を育てることをプラトンは知っていたのでしょう。 ●「音で覚える、絵で理解する、その絵を使って考える」 【2009.01/25】...補足 ●幼児・児童期の大量暗記(暗記を利用した計算も同じ)が危険である理由: 幼児・児童期は思考モデル(思考回路)作成時期という一生に一度しかない貴重な時期です。その時に思考モデル(思考回路)養成とは無縁であり、回路作成 を妨害する結果になってしまう大量暗記をしていては、物知りバカと呼ばれる「思考できない記録再現マシーン」にしかなれません。知識の集積が思考に変化す ることはあり得ません。石を積み上げるだけでは家を造ることが出来ないのと同じです。大量に暗記することや手順を記憶して一見難問を解くことを才能開花と 勘違いしているようでは正常な脳の成長を促すことは不可能です。自動記録された知識(映像や音やその他の感覚も含む)を自動的に再現しないようにコント ロールして思考を可能にしているのが人間の脳の最も高度な力(制御力)なのに、才能開発と称して、その力(人間が本来持っている制御力)を破壊することに よる異常な記録再現力養成(記憶力と呼んでいるが、実は制御力の崩壊)をしている人がいることは実に危険なことです。幼児・児童期の記憶力の優秀性は暗記 するためのものではなく、具象物を脳内視覚イメージとして保持し、それを操作することで具象物を使った思考モデル(思考回路)を作り上げるための一時的な 優秀性です。ですから、自然にその力はなくなっていくのです。具象思考で作られた回路は抽象思考回路に置き換えられますから思考モデル(思考回路)が作ら れれば、その幼児・児童期の記憶力の優秀性は不要になり、脳内エネルギーを有効利用(思考するために用いる)するために、消滅させるようにプログラムが組 まれているからです。進化のするための積極的な細胞死(アポトーシス)と同じ仕組みです。脳内エネルギーは無限ではありません。生体エネルギーの一部なの ですから有限です。ですから、時期が来れば環境適応のための臨界期を越えた時点で要不要の原則に従って、使われなかった思考モデル(思考回路)網は消滅し てしまうのです。それなのに、単なるコピー回路しか使わない暗記をしていたのでは暗記回路以外の思考回路は殆どが消し去られることになります。才能開発の 中身とはこういうことです。自然開発という名前の正体が殆どは自然破壊であることとよく似ています。保護者は、必ず、自分の頭で子供にさせていることを検 証しなければなりません。子供にさせていることの5倍のことを自分で5週間体験してみれば大人でも同様の変化を感じます。感情が無くなり、機械的に反応 し、考えられなくなる。パターン化された頭は知っている問題は素早く解けるが未知の問題には拒否反応を示す。攻撃的な言動が増え、味わうことが出来なくな る。等々。完全記憶能力者であったロシアのシーの記録が科学者ルリアによって記録されています。完璧な記憶力を持っていたことが原因で思考ができなくなったのです。 |
●保護者から「じっくり考えているのに分からないようです。どうしてでしょうか?まだ、知識が足りないのでしょうか?」という質問をよく受けます。それ も、不思議だという感じでです。良く聞くと「知識は随分たくさん持っているのに考える問題は解けない」ということなのです。私には当然のことなのですが、 多くの人にとっては不思議な現象のようです。こういう質問をする人は「知識を増加させれば考えることが出来るようになる」という迷信を信じているのです。 ●知識量と思考力は合致しません。もちろん知識がゼロでは話になりませんが、何の特訓もしないでも子供は考えるだけの知識は持っていますし、知識はほんの 少しでいいんです。なぜなら、思考力とはイメージの移動・変形・連想・比較をする力のことだからです。この練習を十分にすることで考えることが出来るよう になります。知識は材料に過ぎません。使い方を知らなければ何にもなりません。材料は用途に応じて(目的に合わせて)調達すべきなのです。無目的に材料を 集めても使い方を教わらなければ何も作ることは出来ないのです。 ●多くの人は、子供の思考が停止している状態なのに「じっくり考えている」と思って「どうして考えても分からないのだろう?」と感じているのです。実は 「考えてはいない」のです。ですから、当然分からない(解けない)のです。こんなことは絵を描かせてみれば一目で分かります。絵を描けない子は頭の中でど う考えていいのか分からないので時間が過ぎるのを待っているだけの子です。もちろん本人は考えると言うことが絵図を操作することだとは教わっていませんか ら、絵図の操作さえもせずに「よく考えたけど分からなかった」といいます。 <子供は考えているように見えますが、多くの子供は考え方を教わっていませんのでどう考えていいのかを考えている「思考停止状態」で時間を費やしていることが多いのです> …………………………………………………………………………………………… ●「分かる」→イメージ再現できること →自転車と言われて様々な自転車を細部までイメージ再現できること →深く分かるとは体感(再体験)できるほど再現イメージを体で感じることができるということ。 ●「考える」→イメージ操作できること(操作とは再現したイメージを使って移動・変形・連想・比較すること)※予測・類推は前述の操作に含まれます ●「判断する」→イメージ抽出すること(抽出とは操作したイメージの中から選択すること) ●人間的な判断には確かな自分の感情(自信・違和感など)が必要になる。 …………………………………………………………………………………………… <2種類の「わかる」> →「分かる」:文字・言葉(記号)をイメージ再現できること:書いてあること・言われたことが「分かる」 →「解る(解ける)」:設問で求められているイメージを自分で再現したイメージ操作を通して抽出できること …………………………………………………………………………………………… ※「2才児神話」の大きな落とし穴→★★★(幼児期の知識優先教育が危険である理由) ※公開授業:小学生でもハッキリ分かる「分かる」と「考える」→★★ |
「学力とは何か〜理解力・思考力・判断力の育て方〜」 2.判断力の素は幼児期の安定した感情である。 3.長期教育が失敗するとき(学力を育てられない教育) |
●<知的早期教育・能力開発が無駄な理由>→★
※教育講演会を読んでいる途中の場合はブラウザの【戻る:BACK】で戻ってください。
●幼児期に計算を速くしてはいけない理由
計算を速くする練習は「考えるな」という命令を出していることです。しかも、これが幼児期に行われると、幼児期が
過敏反応する時期であることを考えると大人にさせて脳の活性化を促すなどという単純なこととは全く違うことが分かる
と思います。考えるなという指令を受けた頭は考えられない頭になるのです。大人には薬になるものでも幼児には劇薬に
なるのです。ですから、計算を速くする練習は速くても小5の9月から、できれば小6の9月〜がいいのです。こうすれ
ば、考える回路を定着させた後なので被害は最小限にくい止められます。「時間があるからさせてもいいじゃない」は、
実は「時間があるから考えさせない訓練をしてもいいじゃない」ということなのです。
それでも「でも、計算が速くないと困る」という人がいます。中学入試・高校入試を自分で解いてみて下さい。入試で
も「計算は速い必要がない」と分かるはずです。全く困らないのです。計算を速くするのは考える事が出来るようになっ
た後の話です。反対は時間のロスが多すぎます。あるいは不可能です。計算は「サッと」するのではなく「リズム良くトン
トントン」とできれば十分なのです。考える練習をしていなかったので、考える時間が足りなくて、あるいは考えられなく
て入試で不合格になる子は山ほどいますが、計算する時間が足りなくて不合格になる子はいません。
いずれにしても、幼児期に計算を速くするメリットは何一つ無いのです。
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<プラトンの教育に対する考え方は「どんぐり倶楽部」の考えと同質のものです>
●プラトンは「子供には元来才能がある。だから、その才能をあれこれ大人の都合で刺激するのではなく、上手に引き出してやるのが教育の役割だ」と考えてい
ます。
そして、学習には最も効果的なQ&A方式(「どんぐり倶楽部」の「分からん帳」と同じ考え)である問答法で特に図形問題(「どんぐり倶楽
部」が「良質の算数文章問
題」を使う理由と同じ)を教えて効果的な教育を実践した。
<具体例>
プラトンは知人の家の召使いであった子供に図形の証明や作図を問答法を使って解説しました。もちろん、その子供に数学の心得はありません。プラトンは絵図を使
うことで考える力を育てることが出来ると考えていたのです。「どんぐり倶楽部」の実践そのものです。
<問題>一辺の長さが1の正方形の2倍の面積の正方形を作図しなさい。
<教え方>
まず、子供はまず、子供は一辺の長さが1の正方形を描きます。そして、一辺の長さを2倍にしてみます。しかし、これだと、正方形の面積は4倍になってしまいま
す。そこで、プラトンと子供はいろいろ試行錯誤して、元の一辺の長さ1の正方形に対角線を引くことを発見します。(→目で考える・視考力の作用ですね)対角線の
長さを一辺とする正方形を作ると、元の面積の2倍の面積の正方形を作図することが出来ました。√2(ルート2)などという専門用語を知らなくても、子供の関心を
うまく誘導することで、作図は成功して問答法を使った教育は効果的なのだと分かりました。
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〜ギリシャ時代のヤンブリコス[Iamblichus]著「プロトレプティコス」より〜
「もろもろの感覚の中で、視覚が何よりも好まれ尊ばれてしかるべきものである。しかし、思慮は、それが真理を掌握する力を最も高度にもつということのゆえ
に、視覚
よりも、他の全ての感覚よりも、さらには生きることよりも、なおのぞましきことなのである。そしてそれゆえに、万人は、とりわけ、思慮をはたらか
せることを追い求
めるのである。なんとなればひとびとは、生きることを愛好することによって、思慮をはたらかせること、および認識することを愛好している
からである。ひとびとはも
っぱら感覚、とりわけ視覚、のゆえにこそ、生きるということを尊重するが、彼らがこの能力を最高度に尊重するのは、明らかにこの
視覚が、他の感覚にくらべて、一種
の知識のごときものであるからにほかならない」
●なるほど...ギリシャ哲学の限界が見える文面である。視覚イメージが有用なことまでは分かっていたが視覚イメージの操作そのものが「思考」であること
に気付かなか
ったということである。この気付きがなかったために、ギリシャ哲学は止まってしまい修辞学や弁論術になってしまった。
だが、プラトンがアカデメイアを哲学学校とし幾何学を教えていたのだから<いい線>いってたはずである。アリストテレスが道を誤ったと思うのは私だけだろうか。
...もったいない限りである。...もちろん、「どんぐり倶楽部」は正しい延長線上に立っています
。