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<教育コラム007>〜細心の注意を要する低学年からの語学学習〜

 言葉は思考と密接な関係があります。したがって、十分な思考回路が育っていない時点で、不要な言葉を学習させることは危険な行為です。「少しでも話せるようになればいい」「慣れていれば先が楽だろう」程度の考えで学習させるものではありません。貴重な幼児期に中学で一週間もあればできることを何年もかけて半端にできるようにしても意味はないのです。害はあっても益はないのです。
 私が提案していることは、日本語の練習の延長線上にあります。ですから、英文そのものを幼児期に入力することで生じる言葉の混乱や語彙不足や語感の欠如などの弊害を取り除きつつも、将来の英語学習の基礎固めを確実にできるのです。
 しかし、弊害を承知の上で、それでも生活の一部として幼児英語が必要であれば、生活英語から入って、好きな分野の英語で応用力をつけるようにすると負担は軽減できます。ただし、その場合でも、日本での生活環境を考えると純粋なバイリンガルではなく「セミバイリンガル」がお勧めです。つまり、英語脳を作ってしまうのではなく、英語を話せる日本語脳を育てるということです。コンピューターでも、言葉の変換ソフトは数多く使いますが、OS(脳)は一種類です。日本にいて英語脳を目指すことにはロス(無駄)が多すぎるからです。
 もちろん、日本語脳のままでも英語に慣れるにしたがって、日本語を介さずに英語の発音から直接イメージを連想できる(英語が分かる)ようにはなります。ですが、それは副産物であって最初から目標とすべきことではないのです。筆算だけをしていても、慣れると簡単な暗算が自然にできるようになることと同じです。目標設定を間違うと、当然ながら手法も間違ってしまいますので要注意です。