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<教育コラム008>〜学習指導における手抜きと工夫の違い〜

 多くの教育現場では、教師でさえも、「便利だから効果的なんだ」と思っていたり、「簡単だから基本だ」と思い込んで指導に当たっている人がいるようです。そして、中途半端にできることを基礎学力と思っている人を大勢見てきました。そして、そういう指導者達が使っている教材はどれも工夫の足りない「手抜き」教材です。教材は道具ですが、道具は十分に手入れ(工夫)をしなければ役には立ちません。これから、私が工夫した教材を数点紹介します。「手抜き」と「工夫」の違いを実感していただきたいと思います。「手抜き」と「工夫」とを混同していると、自分では工夫しているつもりでも手抜きの方法を指導していることになってしまいます。応用の利かない計算方法や知識だけの漢字に「習熟」してもらっては困るのです。

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図・計算練習1・暗算(手抜例)簡単な暗算練習:穴埋めプリント※最も悪い手抜き例<無駄が多く悪い副作用最大>

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図・計算練習2・暗算(手抜例)簡単な暗算練習:計算式のみ

●最低の宿題→最高の宿題:実際に自分でやってみると分かりますが最低の宿題は「ストレスを蓄積させ、短絡的思考を増強させ、考えない頭を育て、
 応用の利かない頭を作る」ことに力を発揮する危険な宿題です。





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 暗算1と理屈は同じです。数字が大きくなったので書きにくくなり、計算問題を書いてあるだけです。ところが、一ページに何十問も計算式が書いてあるだけで、筆算を書くスペースもありません。これでは、どうやって計算したのかが記録に残りませんし、筆算の方法を確認することもできません。もちろん、どこで間違ったのかも分かりません。
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 分数の計算も通分は公倍数で通分し、約分すれば必ずできる。最小公倍数は慣れてから使えるようにするといい。
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図・計算練習3・筆算(足し算・引き算)(手抜例)→(工夫例)
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 計算問題を自力で筆算に書き起こして、手順通りに計算することが計算力をつけるポイントであるにもかかわらず、この一番大事な筆算を書き起こすことをさせない問題集があります。これは筆算を書けなくする(書かなくする)ダメ問題集です。さらに、筆算は正式な計算式ではなく計算メモであることを教えておかないと、筆算で出した答えを計算式に書き写さなくなってしまいます。これでは、答えは分かっているのに答えていないことになります。

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図・計算練習4・筆算(掛け算・割り算)(手抜例)→(工夫例)


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 筆算はメモです。メモは自分で書くものです。362÷4=と書くべきところに筆算を書いてあるような練習帳では、筆算の練習にはなりません。なぜなら、ノートに書き写すときに、左から4362と書いて、あとで記号を書き込んで計算している子もいるからです。もちろん、書き方は362↓記号(÷)↓4 です。ここが大事なのに、これをすでに書いてある練習帳を平気で使っています。これでは筆算が使えるようにはなりません。
※よく問題にされる「分数の割り算」の教え方については前著『絶対学力』で公開してありますので割愛します。

◆音読練習(発音練習)→絵本黙読
 音読は発音練習にはなりますが、理解を妨げます。理解のためには、音読よりも黙読のほうが数段吸収力が高いのです。なぜならば、耳からのよけいな刺激を受けなくてすみますし、音読するために必要な口の動きや呼吸などは入力(知識理解)には関係ない(邪魔になる)からです。こうしてイメージを作り、体感することで、理解することができるのです。反対に、語感を味わうことが目的ならば音読しますが、その場合でも自分で読んで聞くよりも、聞かせてもらうほうが格段に効果的です。音読からはなるべく早く卒業すべきなのです。
 ただし、内容を消化しながらも音読を楽しむ子もいますので、その場合は音読して結構です。

◆漢字ドリル→全手本漢字練習帳(こうすれば書き順は自然に覚えてしまいます)
 「全手本漢字練習帳」と今までの「漢字ドリル(書き順プリント)」の最大の違いは次のようなことです。今までのものは書き順を頭で「覚えよう」とするものでした。これは数が少なければ可能ですが、何百何千とある漢字の書き順を「覚える」のは負担が多すぎます。そこで、体に覚えさせるのです。この体で覚えることは「正しい反復」以外にありません。ところが、反復は自然にできるものでないと長続きしません。今までのドリルは、多くの点で、この「正しい反復」が出来にくいように作られているものばかりだったので、子供たちは苦労していたのです。根本的に考え方が違っているのです。書き順を身につけるコツは書き順を意識しないことなのです。毎回、お手本に沿って書き順も見ながら書くだけでいいんです。
※すべての漢字(例えば同じ漢字を2個練習するのであっても、その2個練習するマスの横)に書き順付きのお手本がある漢字練習帳は見たことがありません。実はここが最大のポイントなのです。今まで同じ漢字のお手本は一つだったのです。これが最大の誤りなのです。今までは節約してはいけない部分を節約していたのです。

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図・漢字練習(手抜き→工夫)

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漢字読本とは一学年分の漢字がすべて入っている一つの物語のことです。
漢字読本を使うと一つの物語で一学年分すべての漢字の意味や用法が分かりますし、
この物語から「音読用」「漢字の読み用」「漢字の書き用」を作ることもできます。
資料編には小学二・三年生のサンプルを収録しています。
※「絶対学力」には一年生(使い方も)のサンプルを収録しています。
※単文などで学習させる教材が多いのですが、工夫を怠っている典型です。


漢字読本■二年生■
※ 読めなくていい漢字にはルビをふって使用
※ 二年生の漢字がすべて入っています。
「心の声日記」
 僕は晴れた日曜日の午後には、市場の横にある公園で絵本を読むことにしている。町内の清掃活動でよく来る公園だ。その日は、いつも海の絵ばかりを描いている画家と外国の歌ばかりを歌っている歌手が来ていた。いつもの様に、新聞紙を下に敷いて絵本を読もうとしたら何故か天気図が目に入った。そして、そこには東京地方の天気「晴れ、時々お米」と書いてあった。「オコメって何」と思った瞬間に、僕の頭の上にお米が星の数ほど降ってきた。「な、何だ。どうしたんだ」と思って空を見上げると、そこには鳥のように飛べる羽のある丸顔の魚が、空にポッカリ浮かんでいる明るい茶色の雲の回りを飛んでいた。「魚が飛んでる。ハテナハテナハテナ」それだけでも不気味だったけど、回りを見てみると僕はどこかのお寺の本堂に絵本を持って立っていた。そこは、書道教室に使われているようで、壁には掛け軸がズラリと飾ってあった。でも書いてあることはちんぷんかんぷん。「親孝行、したいときには親はなし・春の風組」親孝行って何かな。「人生山あり谷あり・夏の光組」ふ〜ん。「百才までに百万円・秋の麦組」分かる分かる。「頭の上に降ってきた米・冬の雪組」さっき降ってきた。そう言えば、同じ様な景色を夢で見たことがあった。「何だ夢か」そう思って僕は目を閉じた。そして、ゆっくりと目を開けた。でも、ダメだった。今度はどこかの神社の前にいた。さっきのお寺の境内にもデコボコした岩が多かったけど、この神社の前の広い道も岩だらけだ。道の横に立て札があったので覗いてみると、地図が書いてあった。それによると、この辺の土地の半分は池で半分は野原だった。家に電話をしたかったけど、どこにも電話は見あたらなかった。きっと今ころは細いお父さんと太ったお母さんで僕のことを捜しているだろう。仕方がないので野原を暫く歩いていると、何軒か家もあった。電話を借りようと思って近づいてみたけど、どこにも入り口がなかった。「こんにちは。すみません」と大声で叫んでもウンともスンとも返事がない。家もよく見ると三角形や台形をしている家ばかりでかなり変わっている。野原には黄色と黒が混じった珍しい野性のチューリップが咲いていて、一番大きなチューリップだと自分の首の高さくらいのものもあった。僕の家には雨戸がなかったけれど、この辺りでは見る限り雨戸のない家はない。お米が降ってくるくらいだから、他にも色々と降ってくるのだろう。きっと、用心のために雨戸をつけているんだと思う。ガチャ、ガチャ、ドバドバ、ガガーン。
「オオオオ〜」今度は計算機が降ってきた。遠くで強い雨音がした。雨になるらしいので、急いで神社に戻ろうとした時だった。ビュ〜っと吹いてきた風に引き込まれて飛ばされてしまった。
「助けて〜」と言って横を見ると公園で見た丸顔の魚が一緒に飛ばされていた。目が合った時、その魚がニヤッと笑って「今日の風は甘酸っぱいギョ」と言った。「風って甘かったり酸っぱかったりするの」と思わず言った時、後ろで声がした。「兄さん、何言ってんだよ。昨日は兄さんが甘すぎるって言ってたギョ」「え。兄さんって」と後ろを見るとちょっと小ぶりの青い魚が僕を見ていた。「お兄ちゃんは毎日言うことが変わるギョ」と今度は前にピンクの魚。どの魚にも羽があった。そして、いつの間にか僕もバタバタと羽を動かしていた。「どうして羽があるんだギョ」言葉までおかしくなっていた。その時、週に1回だけ首を傾けて弱々しく鳴く毛並みの良い鳥の声が聞こえた。「クワ〜、東西南北の四つの門から図形君達がやって来て言った。僕は四角形。私は台形。では、後の二人は何と言ったでしょうクワ〜」僕はそのクイズの答えを知っていた。別にクイズに正解したからってどうなるわけでもないと思ったけど。「正方形と長方形じゃないかな」とボソッと言った。「大当たり〜」とどこかから声がした。すると、地上で明るく光る一軒の家が目に入った。僕の親魚と兄弟魚と姉妹魚はパッと姿を消した。と思ったら僕の羽も消えていた。ヒュ〜〜〜〜。僕の体は弓なりになって風の抵抗を受けながら元いた場所に落ちていった。交差点の信号機が迫ってきたので「ぶつかる」と思って目を閉じたら僕は小高い丘の上の茂みに倒れて羽をバタつかせていた。僕は、この丘を多少は知っている気がした。「アレ、また羽が」と思ったけど、とにかく走って、じゃなくて羽をバタつかせて、その家の入り口に急いだ。光っていたのは家の壁に書いてあるクイズの文字だった。問題は五問あって、交代でチカチカ光っていた。一題毎に題名がついていた。「心の声日記」「友達」「工作」「算数」「食事」。「算数」ならいつもクラスで五番以内の科目だったから大丈夫だと思ってすぐに問題を読んでみた。「短い短い昼がすぎて長い長い夜が来た。会うのを楽しみにしていた牛君と馬君が汽船に乗って矢印を目印にして、ある店に集まった。では、牛君と馬君が出会う時刻は何時何分でしょう」意味が分からない。これは、どう考えても分からない。恐る恐る「工作」を読んでみた。「この家の壁に書いてある点線に沿って壁を切り抜いて合体させると、カッコイイ図形ができます。その図形の名前を答えなさい」意味は分かるけど家は切れない。どうしよう。ええい、次だ。今度は「食事」だ。「朝食と昼食と夕食を作るときには必ず魚肉を使う人がいます。では、その人が駅に通じる近道にある刀で魚肉を切って売っているお店でいつも魚肉を買う理由は何でしょう」コレモワカラナイ。残っているのは「友達」と「心の声日記」だけど、「心の声日記」なんて聞いたこともない。じゃあ「友達」だ。「折り紙を作り出したら何時間も止まらない友達が学校を休んで里帰りをした理由は何ですか」そ、そんなの分かるわけないじゃないか。こうなったら最後の「心の声日記」だ。そう思ったとき空からヒラヒラと手紙が舞い降りてきた。中を見てみるとこう書いてあった。「心の声日記」は届きましたか。この夢は、あなたが昨日見た夢です。夢は心の声です。心の声を日記にしてみましょう。あなたの夢を日記に書いておきましょう。すると夢は叶います。僕は咄嗟に「家に帰りたい」と書いた。僕は暖かな日差しの中で涎を垂らしながら飼い猫のケムクジャラと一緒にベランダで寝ていた。「おやつよ〜」と遠くでお母さんの声がした。タスカッタと思った。(おわり)
※ 二年生の漢字がすべて入っていますので、これだけで「読み」「意味」はOK。また、この文を使って書きを覚えていくととても簡単に覚えてしまいます。
 使い方は「絶対学力」に詳しく書いてありますので参考にして下さい。

学習の原点